風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

Garnet Crow 『君という光』

2007-03-04 22:55:59 | その他音楽

今日の話題はこの曲とはほとんど無関係なのですが。

時々、どうすれば私の心は安らぎを得られるんだろうと、どうしようもなく絶望的な気分で思うことがある。
息を吸って、吐く、ただそれだけのことが、時々とても難しいことのように思えるのです。
とても、疲れる。

太宰が言った「僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きて来たのも、これでも、精一ぱいだったのです。」という言葉が、私にはわかりすぎるくらいにわかってしまう。性質がわるいのは、これが鬱だとかいうような病だったり一時的なものでは決してないということだ。なぜなら子供の頃からそうだった。太宰だって、そうなんじゃないだろうか。一時的な病だったら「今まで生きてきたのも精一杯だったのです」という言葉は出ないのではないか。この世に生きにくい人間というものは、いる。そんな自分が私は好きじゃなかったから、何度も変わりたいと思った。そして表面上は変われた。
周りからはよく「どこへ行っても誰とでもうまくやっていけそう」って言われる。でもそれは本当の自分とはまったく違うものであることは、自分が一番よくわかってる。周りの人達のことは決して嫌いじゃない。自分のこともすごく嫌いなわけじゃない。世の中捨てたものじゃないことも、優しい人が沢山いることも、楽しいことが沢山あることも知ってる。それでも、時々どうしようもなく、生きにくいのだ。こんな時の自分は、あまり好きになれない。

たぶん、どこかにもうすこし心が楽になれる糸口があると思うのだ。たぶんそれは、自分の中にある。
それは何なのか、とても知りたいと思う。私は臆病なのだろうか?それとも何かのプライドが邪魔をしているのか?そういうものを捨ててしまえば私は楽になれるのだろうか?どうなんだろう。

でもこうも思えて仕方がない。これはこれまで生きてきた勘のようなものだけど、たぶん私の魂は死ぬまで孤独なんだろうな、ということだ。私のような人間はたぶん、結婚しても、子供ができても、これだけは変わらないだろうと殆ど確信のように思うのだ。

でもね。そうじゃないかもしれない。
私は世の中すべてを知ってるわけじゃない。
あるいはやはりそうなのかもしれない。ずっと孤独のままなのかもしれない。
でもたとえそうだとしても、その事実は変わらないのだとしても、死ぬつもりはやっぱり今のところはないのだ、私は。
だったら、どうせ生きてゆく以上は「より良く」生きたいと思う。より楽しく生きたいと思う。孤独という事実は変わらなくても、その孤独に寄り添ってくれる別の魂はみつけられなくても、たとえばその孤独を照らしてくれる光をもしかしたらみつけられるかもしれない。あるいは別の魂でも光でもない、私が想像していないような何かがこの世界にないとは誰にも言い切れない。死の安らぎは、いずれそう遠くない未来に必ず得られるのだから、急ぐ必要はない。
だから、どんなに難しくても、私は息を吸って、吐く。
完全な安らぎは得られなくても、より良く、より楽しく、より幸せに、生きるために。

やっぱり私は、太宰よりも坂口安吾の方に近いみたいです。

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