風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

北の果てで見る夢 2

2021-03-26 01:11:33 | 旅・散歩

前回からの続きです。

改めて地図を眺めてみて、「飛行機って思っていた以上に北を飛んでいるのだな」と感じた私。
これまでどの国の上を飛んでいるかは意識しても、緯度までは意識していなかったんです。
そしてふと思ったのである。

私が今までに行った中で最も北の地点って、どのあたりなのだろう

地上では間違いなくフェアバンクスですが、飛行機で通った上空を含めるとどうなのだろう?と。
ワタシ、北の方角に惹かれる人間なので、ちょっとワクワクしてきました(←北極にペンギンはいません)

以下は、google earthで作成した2011年12月の成田→ロンドンの飛行ルートです。
その中で最北の地点を確認すると、ちょうどそこにディクソンという名前の町があることがわかりました。





どんな町だろうとワクワクしながら、google mapで「ディクソン」と入れてみたところ。
出てきたのが、この画面↓





・・・・・・なんというか・・・・・予想を遥かに超えた最果ての地のような画像が出てきてしまった。。。
wikipediaによると、

ディクソンもしくはジクソン(ロシア語:Диксон)とは、ロシア連邦クラスノヤルスク地方の閉鎖都市である。

・・・・・・・・・「閉鎖都市」って・・・なに・・・

閉鎖都市は、核兵器開発や化学兵器開発などといった国家秘密にかかわるような、特定の目的のための都市であり、その住民は、主として核兵器製造や化学兵器製造、あるいは何らかの軍事活動に従事している者やその家族である。通常、都市というのは出入りが自由であるが、閉鎖都市は多くがフェンスや壁など、出入りの障壁になるもので囲まれており、検問所や何らかのゲートのようなものが設置され、立ち入ることが厳しく制限されており、一般人は立ち入ることができない。立ち入ることができるのは、極めて限られた者だけである。
現在のロシア、現在のCIS諸国には多数の閉鎖都市がある。
(wikipedia「閉鎖都市」)

・・・なんだか生臭い話になってきてしまった。
ググってみると、南アフリカのメディアNews24の記事では"8 Cities in Russia you can't visit"(あなたが訪れることができないロシアの8つの都市)の一つとして紹介されていて、最後に次のように書かれてあります。

Today it is an isolated part of the world you can't go to nor would you likely want to unless complete, Arctic isolation is what you're looking for.
(今日ではそこは世界から孤立した、訪れることができない、また訪れたいとも思わないであろう場所である。あなたが完全な北極の孤独を求めているのでなければ。)

一方ロシアのメディアRussia Beyondは、"the edge of the Earth"(地球の果て)と呼ばれるこの町について、「10 facts about Russia’s northernmost settlement"」(ロシア最北の町に関する10の事実)という記事でこんな風に紹介しています。

1) A territory the size of Great Britain with a population of just 548(たった548人の人口に対して英国と同サイズの領地)
2) You need a special permit to enter(訪れるには特別な許可が必要)
3) You can only buy gas once a year(ガスを買えるのは年に1回だけ)
4) The winter lasts 9 months(冬は9ヶ月間続く)
5) There are no trees(木はない)
6) The police is there to keep you safe… from bears(警察はあなたを守るためにいる・・・熊から)
7) No one watches YouTube videos in Dikson(ディクソンでは誰もyoutubeを見ない)
8) There are no hospitals(病院はない)
9) It costs 100 million rubles ($1.2 mln) a year to run the settlement(町の運営には年に1憶ルーブルかかる)
10) It’s the former capital of the Arctic(かつての北極の首都である) 

各詳細は記事にありますが、面白いですよ。
ところでこのRussia Beyondというメディア、『ロシアのもっとも辺鄙な場所での狂気の生活』とか『世界の終末みたいな場所TOP7』とか『ソ連史上最悪の産業・交通事故5選』とかいうタイトルの記事がわんさか出てくるので反ロシア系メディアかと思いきや、なんとロシア国営。欧米諸国からは「プロパガンダ的」という批判があるそうですが、政府系メディアなのでそれはそうだろうとは推察しますが、これがプロパガンダだとしたら、そのセンスはシュールというかなんというか、ものすごく独特。ニュータイプのプロパガンダなんだろうか・・・
また『プーチン大統領のタイガで過ごす休日(写真特集)』や『銀座にオープンしたロシア食品専門店 。「アレクサンドロフ」のスィロクも買える!』なんて呑気な記事があるかと思うと、『カラシニコフ製の新型アサルトライフル3選』というような物騒な記事が無邪気に唐突に現れたりする。ロシアは一体どこを目指しているのだろう・・・と困惑させられるが、それも含めてある意味とてもロシア的。狙っているのか天然なのか。ロシア・ビヨンドは欧米をターゲットにしているそうで、最大の読者は米国人だそうです。
そんなロシアのイメージ戦略について、こんな記事を見つけました。記事によると、ロシアは開かれたロシア、親しみやすいロシアのイメージを持ってもらおうと頑張っているようだが、欧米諸国のロシア嫌いは根強く、あまり功を奏していない、と。「そもそも、民主主義国家とは政治体制が異なるため、欧米の価値観に基づくパブリック・ディプロマシーとは相容れないことは、当然かもしれない。かといって、パブリック・ディプロマシーを諦め、政治宣伝やサイバー空間を利用した世論工作や、政治・軍事介入といった手段に出れば、民主主義国家は自国に対する直接の脅威だと認識し、決して野放しにできないだろう。ロシアはそのことを理解すべきである。あらゆる「脅威」がはびこり、イメージをめぐる国家間の対立が激化する今日の国際社会だからこそ、真の意味でソフトパワーに関連したパブリック・ディプロマシーに価値が見出されることに期待される。」とのこと。

話を戻して、ロシア・ビヨンドはディクソン推しのようで、サイト内検索をするとこの町に関する記事が沢山出てきます。以下は抜粋。

タイミル半島のまさに端にあるこの村は、北極の砂漠と呼ばれている。永久凍土、永遠の冬、永遠の風の王国がここにある。雪は9月から降り、5月まで続く!ディクソンでは、極夜は11月10、11日に始まり、2月の初めまで続く。
(ロシア・ビヨンド「ロシアで最も長い極夜はどこか」)


ディクソンはロシア最北の村。クラスノヤルスク地方に属し、カラ海に面している。ソ連時代はロシア最大の港があり、「雪極の都」と呼ばれていた。夏はエニセイ川から船でディクソンまで行くこともできる。

ここの気候はノリリスクよりも厳しい。極夜の時期は真っ暗で、9月から氷点下になり、雪は6月までとけない。時に、雪解けはもう少し遅くなる。通常、5月にスキー大会が実施される。
「黒吹雪」もある。風速40メートルの強風の吹雪は大嵐に変わる。地元住民によると、大嵐の時には犬や海岸にたくさんある空の燃料のドラム缶が空中に飛ぶという。
ディクソンはとても美しい。北極の端に立ち、カラ海のエネルギーを感じながら、シロイルカ、セイウチ、オーロラを見ることができる。
(ロシア・ビヨンド「ロシア北部の極寒の街5選」)

— There are no cinemas or mobile Internet, buses, coffee shops, supermarkets, or outdoor advertising. Every single person here has seen polar night and the green iridescence of the Northern Lights, knows what to do if they encounter a polar bear or how to react to a storm warning, and anticipates Arctic poppies and a scheduled flight. This is Dikson, the northernmost settlement of Russia.

Dikson is habitually called ‘the edge of the world’: it is located in the north of Krasnoyarsk Krai, in the Yenisei Gulf on the Kara Sea, the outskirts of the Arctic Ocean. The distance between Dikson and the nearest big cities, Dudinka and Norilsk, is 500 kilometers of uncivilized tundra. Access to the settlement is restricted, and you can get there only with a special pass, and only on an old AN-26 plane, which flies from Alykel Airport once a week, if there is no blizzard or fog. For the locals, everything that is not Dikson is the ‘mainland’. The ‘mainland’ has Siberia, wild taiga, roads, the usual change of day and night. ‘On the edge of the world’ there are stilt houses, “Have you seen the Arctic Fox chase the dog in the yard?”, wild tundra, open to all the winds, and endless ice, the Arctic.
(Russia Beyond "On the Edge of the Snow: Life in the Northernmost Settlement in Russia")

ロシア・ビヨンド以外では、これらの記事が町の写真が多いです↓。独特な雰囲気の美しい写真が見られますよ。
On the Edge of the Snow: Life in the Northernmost Settlement in Russia(BIRD IN FLIGHT)
Dikson - Russia's Arctic "capital"(The Barents Observer)
白く凍てつく、からっぽの辺境地で(swissinfo.ch)

ディクソンの町は西のディクソン島と東の本土の二ヶ所から成っていて、写真に出てくる教科書が置かれたままの廃校などはディクソン島のもののようです。この廃墟のような風景が、この町の一種の魅力となっているのでしょう。
以下、再びwikipediaより。

ディクソン島はカラ海のエニセイ湾の北東部、北極海に面した湾口にある岩がちな島である。本土から1.5 km、北極点から飛行機で2時間ほどの距離にある。
ディクソン島の気候はツンドラ気候であり、木本類は育たず、1年の内9ヶ月以上が雪に覆われる。最も暖かい月は8月で平均5.5℃である。0℃を上回る気温は平均的には6月下旬から9月下旬まで観測される。・・・
島の北東部にはディクソンの町の西半分が立地する。急激な人口減少により2010年に島は閉村され、今ではほとんど無人と化しているが、島には空港があり、週に1度飛行機が発着する。ディクソン島とディクソン本土の2つの集落は1.5km離れており、夏には1日2便の船が往復する。冬にはアイスロードの上を車で往来する。春と秋には、2つの集落はヘリコプターによってしか行き来できなくなる。・・・
戦後、ソ連の開発戦略の下でディクソンは北極圏の主要な交通ハブとなり、軍事基地が置かれ、数々の学術調査が行われた。最盛期であった1985年~1991年ごろにはディクソンの人口は5,000人を数えたが、ソビエト連邦の崩壊後、経済的需要が低下するにしたがって急速に人口が流出し、2019年現在では500人前後にまで減少している。・・・島側の集落は2010年に本土側に移転されてインフラ設備は停止しており、現在では空港と水文気象観測所が稼働しているのみである。
(wikipedia「ディクソン島」)

ところで英語版wikipediaの「Dikson island」の記事には、次のような一文があるのです。

Dikson island was one of the transfer destinations for 1949 march deportation from Latvia.
(ディクソン島は、1949年3月のラトビアからの強制移住の移住先の一つだった。)

「1949年3月のラトビアからの強制移住」とは
調べました。

Operation Priboi was the code name for the Soviet mass deportation from the Baltic states on 25–28 March 1949. More than 90,000 Estonians, Latvians and Lithuanians, labeled as "enemies of the people", were deported to forced settlements in inhospitable areas of the Soviet Union. Over 70% of the deportees were women and children under the age of 16.
プリボイ作戦は、1949年3月25〜28日に行われたバルト三国からソビエトへの大量強制移住のコードネームである。「人民の敵」と名付けられた9万人以上のエストニア人、ラトビア人、リトアニア人が、ソビエト連邦の住みにくい地域の強制入植地に強制移住させられた。被移送者の70%以上は、女性と16歳未満の子供だった。
(wikipedia "Operation Priboi"

なぜスターリンは多数の民族を強制移住させたのか(ロシア・ビヨンド)

ソヴィエト時代にこんな出来事があったこと、恥ずかしながら今まで知りませんでした。
写真にある強制移住に使われた列車は、以前写真で見た祖父が満州からシベリアへ運ばれた貨車と同じだな…。
これらのスターリンによる強制移住は、現在でもクリミア問題などに影を落としているそうです。

さて、そんな町の歴史や閉鎖都市という性質に似合わず、ディクソン市のマークはとっても可愛らしいのです↓

かつて「北極の首都」と呼ばれ、シロクマが頻繁に出没するという町の特徴がよく出ていますね。
ディクソンの緯度は、北緯73度。
へぇ、バロー(北緯71度)よりも高いのか。バローは北極海に面したアメリカ合衆国最北端の町で、いつか行きたいと思っている町なんです。フェアバンクスの空港で私が乗ったシアトル行きの飛行機がちょうどバロー行きと同じ搭乗口で、乗客の殆どがエスキモーの方達でした。

というわけで、世界一寒い村オイミャコンへはパッケージツアーで行くことができますが、一般人が閉鎖都市ディクソンへ行くことは現在のところ不可能のようです。おそらく北極点へ行く方が遥かに容易です(「海外旅行が初めてのお客様でも安心 添乗員同行 北極への船旅」)。
こういう町の上空を飛行機で通っていたとは、やっぱり海外旅行は面白いね。

ちなみにディクソン港は、ソ連の国家をあげての「北極海航路」開拓の主要な拠点でした
船がアジアからヨーロッパへ行く場合、一般的な航路はスエズ運河を通る「南回り航路」ですが、北極海沿岸を通って移動する「北極海航路」は、南回り航路に比べて航行距離が30~40%ほど短く、時間と燃料を大幅に節約でき、海賊に遭うリスクも低いため、夢の航路なのだそうです。しかしそれを阻んでいたのは、北極の分厚い”氷”でした。ソ連は軍事的な重要性から、北極海に面した国土の北側に多くの軍需産業を配置し、原子力砕氷船により北極海航路を切り拓いてきましたが、やがてソ連が崩壊し、北極海航路も本格的な実用に至ることのないまま衰退しました。
ですが近年、地球温暖化に伴い北極の氷が急速に溶け始めていることから、「北極海航路」の存在が再び注目を集めています。ロシアは2019年、ディクソン港を外国船に開くことを決定しました。ディクソンは温暖化の影響が最も顕著な町の一つだそうです。北極海航路は経済的な観点からは夢の航路といえますが、その実現が地球温暖化の裏返しであることを考えると、単純に喜んでいい話ではありません。また、北極の脆弱な自然環境への影響も強く懸念されています。
北極海航路とは?南回り航路との違いや今後の課題について(POLEWARDS)
商用利用が始まった北極海航路(マネクリ)
ソ連が北極圏で成し遂げようとした壮大なプロジェクト(ロシア・ビヨンド)

更に、こんな記事も。『氷が解ける北極圏、新たな覇権争いの場に』(ナショナル・ジオグラフィック)。
「各国政府と企業が虎視眈々と狙っているのは、金、ダイヤモンド、レアメタル(希少金属)などの鉱物、石油、天然ガス、さらには漁業資源など、膨大な価値のある未開発の資源と、海上輸送コストの大幅削減が見込める新航路だ。」
北極の重要性は、北極海航路だけでなく、氷の下に眠る豊富な天然資源にもあるんですね。減少する一方だったロシアの閉鎖都市が近年再び増え始めているそうだけど、こういうことも関係しているのかな。日本の一室で私が呑気に生活している間にも、世界は色々動いているんですね…。
ロシアが目指す「エネルギー大国」の野望を、極寒のシベリアに見た:その本気度を物語る16枚の写真(wired)

なお今回のブログ記事につけたタイトル『北の果てで見る夢』は、ナショナル・ジオグラフィック日本版の特集からとりました。
「ロシアの極北地方には、長い極夜に育まれ、凍りついて時間が止まったかのような昔ながらの暮らしと伝説が息づいている。」
ロシアの最果ての地に敢えて暮らす人々の特集です。"生活の豊かさ”ってなんだろう、と改めて考えさせられる記事でした。

最後に、トリビアを二つご紹介。

世界最北端の町はどこ?
ノルウェーのロングイェールビーンという人口2000人超の町だそうです(北緯78度)。
北緯約80度という位置のため、一年の大部分が白夜か極夜になる。白夜は4月20日から8月23日まで、暗期(Mørketiden, 太陽が昇らない、いわゆる極夜)は10月26日から2月15日までであり、このうち11月11日から1月30日までは薄明にもならないためずっと夜が続く(ノルウェー語ではこちらをpolarnatt「極夜」と呼ぶ)。暗期には晴れていれば頻繁にオーロラを観測できる。
(wikipedia)

ロングイェールビーンの位置は、冒頭のgoogle earthの画像にピンで示しました。北極点までの距離は1200kmとのことなので、東京から長崎くらいですね。観光にも力を入れているそうなので、割と容易に行くことができるようです。ネットにも日本人の旅行記が多くありますよ。
ちなみに世界最南端の町はアルゼンチンのウスアイアで、南極点までの距離は1000kmとのこと(人が住む地球最北端と最南端の町へ!アルゼンチンとノルウェーの旅)。

「北極」と「南極」の違い

オーロラが北極と南極で同時に発生するということ、初めて知りました
私がアラスカでオーロラを見ていたのと全く同じ時間に、地球の反対側でもオーロラが発生していたということか。私達が宇宙の法則の中にあるということを改めて感じますね。
ちなみにオーロラは極地に近いほど見やすいというわけではなく、オーロラベルト(北半球の場合は北緯65度付近)と呼ばれるドーナツ状の地域で観測されます。フェアバンクスは北緯64度なのでちょうどオーロラベルトにあたり、街中でもはっきりとしたオーロラを長時間見ることができました。郊外の暗い森に囲まれて見たオーロラも神秘的で素敵でしたが、人間達が普通に生活している街中で見たオーロラもとても印象に残っています。なお英語ではauroraではなくnorthern lightsという言い方が一般的です。

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北の果てで見る夢 1

2021-03-18 00:35:44 | 旅・散歩



先日妄想旅行の記事をアップしましたが、その中でメインで使ったポーランド航空(ワルシャワ行き)の写真は6月の旅行のもの、ヴァージン・アトランティック航空(ロンドン行き)の写真は12月の旅行のものでした。
上の写真は、記事でも載せた、成田→ロンドン線の成田を出発してから3時間半後のロシア上空の写真です。2011年12月12日撮影。この後すぐに窓の外は暗くなり、夜が明けたのは北欧を過ぎた頃でした。
記事を書きながら、ふと不思議に思ったんですよね。

成田を出たのは昼の12:00で、西に向かって太陽を追いかけて飛んでいたはずなのに、どうして途中で夜になったのだろうと。

ヨーロッパ線には何度も乗っているのに、恥ずかしながら、これまで深く考えたことがなく・・・
で、理解いたしました。

12月のフライトだからだ

たとえ12月でも緯線に沿って真西に飛んでいたらずっと昼間だったはずですが、飛行機はできるだけ最短距離をとって北西に向かって飛ぶので(大圏航路)、ロンドンへの飛行ルートの3分の1は北極圏になります。


これは6月にワルシャワに行った際のフライトインフォメーションの画面ですが、6月は夏至の季節なので、北極圏が白夜で、南極圏が極夜になっています。
12月はちょうどこの真逆になるので、北極圏は極夜だったんですね。

※トリビア
北半球の「夏至」の日は、南半球では「冬至」になるのか?
→No。天文学の定義では、「春分」の地球と太陽の位置関係を基準にして、公転の結果、地球から見た太陽の位置が90度進んだ瞬間を「夏至」(それを含む日を「夏至日」)というため、真冬の南極でも、天文学的には「冬至」ではなく「夏至」なのだそうです。
国立極地研究所


改めて2011年12月のロンドン行きの飛行ルートを当時の写真をもとに確認してみたところ、おおよそ以下の青線のようになりました。グレーの線は北極線(北緯66度)で、それより以北が北極圏です。


©aflo.com

冒頭に載せた写真は成田を離陸してから3時間半後、東京時間15:40のもの。この少し後にヤクーツクという都市(地図の印)の付近を通過しています。ヤクーツクと東京は同じタイムゾーンで(つまりこの辺りまではほぼ真北に飛んでいたことになる)、12月中旬のヤクーツクの日没時刻は15:00頃なので、夕方の写真と合致しますね。
ロシア連邦の中ではさほど北に位置しているようには見えないヤクーツクですが、緯度はサンクトペテルブルグやヘルシンキよりも高く、アンカレッジとデナリの間くらい(北緯62度)。都市名をgoogle mapに入力してみると、こんな画面が出ました↓



「永久凍土研究所」なんていうものがありますね
以下は、wikipediaの説明。

ヤクーツクはロシア連邦に属するサハ共和国の首都。レナ川に面する河港を持つ。人口は約32万人。
冬の気温は世界の都市の中で最も低い。盆地である為、冬の寒さが非常に厳しく、1月の平均気温は-40.9℃で厳寒期には最低気温が-50℃以下になることがある。一方で、夏には緯度にもかかわらず比較的高温となり、7月を中心に30℃以上にもなることがあり、寒暖の差がきわめて大きい典型的な大陸性気候である(夏季は、昼の暑さと比べて朝晩は相当冷え込むので日較差も大きい)。

・・・都市と呼べるまでに拡大するのは、1880年代から1890年代にかけて金やその他金属の鉱床が発見されてからである。これらの鉱山にはヨシフ・スターリンの時代、グラグ(強制収容所)が作られて多くの政治犯や戦争捕虜が送り込まれ、開発がすすめられた。グラグの急速な増設と強制労働者たちによるシベリアの急速な開発は、ヤクーツクを大きな街にした。
2008年には、「永久凍土の王国」という観光施設が郊外に開設された。

へ~~~
何気なく飛行機で飛んでいた雲の下には、こんな街があったのだなあ。
「永久凍土の王国」という観光施設が気になるっ!とググったら、普通にイマドキなテーマパークだった
そして私の祖父はイルクーツクの付近の収容所を転々としたそうですが、戦争捕虜は本当にシベリア全土に散らばっていたのだな…。

ちなみに北半球の”寒極”(最も低い気温が観測された地点)はオイミャコン(地図の印)とベルホヤンスク印)の二つで、ヤクーツクと同じサハ共和国内にあります。意外なことにオイミャコンは北極圏内ではないんですね。
オイミャコンってどんな場所?と気になり、調べてみました。
共同通信「世界一寒い村に行ってみた 氷点下59度、オイミャコン」によると、

「世界一寒い村」とされるロシア極東サハ共和国・オイミャコンを1月中旬に訪れた。・・・村には、1926年に観測した氷点下71・2度を記念するモニュメントが立つ。ただこの記録は非公式で、33年の氷点下67・7度が公認の最低気温。リリア・スタルコワ副村長は「今年は暖冬かと心配したが、やっと寒くなった。この気候は村の誇り」と胸を張った。

村の主産業は畜産で、寒さに強いヤクート馬や牛を育てている。午前7時半、ビノクロワ・エブドキアさん(57)が牛舎を開けると、毛むくじゃらの牛がのそりと出てきて干し草をはんだ。10分で手先が動かなくなりシャッターが押せなくなった記者と違い、牛は食後に水を飲み周囲をぶらぶら。寒くないのだろうか。「別の品種を育てたこともあるが寒さに耐えられなかった」そうだ。
馬は放し飼いで、生後7カ月までに食肉となり、レバーは村の食生活で不足しがちな貴重なビタミン源となる。生肉をかみしめると、けもの臭さが広がった。馬刺しとは違いねっとりとした脂が舌に残る。好き嫌いが分かれるかもしれない。

村の売店を訪れた。野菜や果物などは月に数回、ヤクーツクから運ばれる。板チョコは100ルーブル(約170円)でウラジオストクより2~3割高いが、村人は「昔と比べて買える物が増えて便利」と口をそろえる。

またTravel Book「世界一寒い村!ロシアオイミャコンの暮らしとは?」によると、

オイミャコンの村には、標高740mの永久凍土に、人口約500人(大人300人と子供200人)が住んでいます。年平均気温が-15.5℃のオイミャコンでは、水が凍結してしまうため、水道はなく、かつては住民が馬や牛にタンクを引かせて川まで水を汲みに行っていましたが、現在は、給水車により各家庭に給水が行われています。

オイミャコンの人々は、主に、魚や馬肉、乳製品を食べて暮らしています。果物不足は野イチゴで補っています。近くの川で魚が釣れますが、気温が低い時は、釣りあげた魚は、外気に触れたそばから凍りつくということもしばしば。一気に冷凍保存されて、鮮度をキープできます。凍った魚をそのままスライスして、塩をかけたら「ストロガリーナ」という郷土料理のできあがりです。

オイミャコンは、ギネスにも認定された、世界一寒い村ということで、関心を持つ人も多いようです。しかし、オイミャコンは、観光地ではないためホテルはありません。唯一、宿泊できるのは、元教師で郷土史研究家のタマーラ・ワシリエワさんのゲストハウス。タマーラさんは自宅の一部を改装して、旅人達を迎え入れ、エクスカーションなどを提供、この村の窓口的存在です。

へ~~~
世界は知らないことだらけ。
なお南半球の寒極はボストーク基地で-89.2℃が観測されていますが、定住地ではないので、「世界一寒い村」というと北半球の寒極になるとのこと。
オイミャコンやベルホヤンスクに行ってみたいけど個人で行くのはハードルが高いという方は、日本からのパッケージツアーもあるようですよ

続きます。


世界一寒い村・オイミャコンへ


「世界最高気温」と「世界最低気温」

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ANAの『おうち機内食』

2021-03-06 22:27:02 | 旅・散歩



【ANA's Sky Kitchen】おうちで旅気分!!ANA国際線エコノミークラス機内食 メインデイッシュ まんぷく3種詰め合わせ 12個入り

ANA国際線エコノミークラスで実際にお客様にご提供実績のあるお食事です。機内では、客室乗務員がお食事の時間に合わせてギャレー(厨房)のスチームオーブンで加熱調理し、お客様にお届けしています。

鶏もも唐揚げ油淋風ソース ×【4個】
シーフードドリア ×【4個】
ビーフハンバーグステーキ ×【4個】

機内食を製造・販売する株式会社ANAケータリングサービスがお届けいたします。

というものを、頼んでみたのです。
ニュースで見たときは「わざわざ地上で機内食を食べたいとは思わないなあ・・・」と思ったのだけど、次はいつ海外に行けるかわからない家族に食べさせてあげたかったのと、一度くらい試してみるのも楽しいかも、と。
お値段も手頃で、クール便の送料込みで9,000円(税込)。
早速今日のお昼にハンバーグステーキを食べてみたのですが、これは、、、予想よりずっと美味しい
機内食と同じサイズなので大きくはないですが、ランチのメインとしては十分。近所のテイクアウトも同じくらいの値段でそれほど美味しくないことを思えば、これはアリ
私は海外に行く時は海外の航空会社を使う方が良くも悪くも異文化を体験できて好きなのですが、単純にサービス面だけでいうとANAがベストだと思っています。コロナ禍で大変だと思いますが、踏ん張ってほしいですね。

さて。
ランチの写真をただ載せるだけでは芸がないので、妄想旅行風にしてみました。現地空港に到着するまでの片道ヴァーチャルフライトをお楽しみください 写真は複数のフライトをミックスさせてますが、記載のないものはポーランド航空です。



地元駅5:43発の成田エクスプレスでしゅっぱ~つ


車内は空いていて快適






成田空港第一ターミナルの出発ロビーに着きました。
まずは電車の事故や遅延なく到着できて一安心。


案内板でチェックインカウンターと搭乗ゲートを確認し、チェックイン。
現金も少し両替しておきます。


出国審査を済ませ、免税店を覗いたりしながら、搭乗口へ。


定刻どおり離陸することを、再度確認
しかしこの出発便の過密状態はすごいですよね
ヨーロッパ方面だけでも、チューリッヒ便とワルシャワ便が5分違いだし、その後も10:50ブリュッセル、11:00デュッセルドルフ、11:10コペンハーゲンと続く。第二ターミナルや関空からも同時刻に沢山飛んでるはずだし、空の上は飛行機の網の目状態なのだろうな。


搭乗口に着きました。


自分が乗る飛行機をパチリ
ワタクシ、飛行機が大大大の苦手なので、このときはいつも「頼んだよ。君に全てがかかってるんだ。お願いだから無事に私を現地まで運んでおくれよ」と心の中で飛行機に話しかけています(マジです)。


離陸
このときの私はいつも時計を睨みつけて、”魔の11分”(=最も墜落事故の多いといわれる離陸後3分と着陸前8分)をはかっています(マジです)。時間が過ぎるのが永遠のように長く感じられます。正確には、飛行機がメイン滑走路に入ってエンジン音が変わった瞬間から、手に汗握って神に祈っています。
ちなみに乱気流のときは『天空の城ラピュタ』のシータの「人は土から離れては生きられないのよ!」という声が聞こえてきて、飛行機に乗ってしまったことを毎回後悔します(マジです)。
※ヴァージン・アトランティック航空


水平飛行に入ってシートベルト着用サインが消えると、ようやく少しだけホッとします。
離陸前からぐーすか寝ていられる人達が羨ましいかぎりです。


ヨーロッパまでの飛行時間は約12時間。先は長い。




まずは、飲み物とスナックのサービス。
※ヴァージン・アトランティック航空


離陸後1時間半くらいすると、美味しそうな匂いが漂ってきて、食事のサービスが始まります。
私にとって機内食は、長時間のフライトの中の一番の楽しみです。


じゃ~~~~~ん
お待たせいたしました。ようやく「おうち機内食」の登場です
ANAの「おうち機内食」をメインディッシュに、国際線エコノミークラスの機内食の雰囲気を再現してみました。
食器とか色々ツメが甘いですが、これが限界。紫のカトラリーは、ヴァージン・アトランティック航空を意識しました。
ちなみに右上にあるのは「きゅうりとホヤの酢の物」です。機内食では絶対に出ないメニューです。前夜にホヤを解凍しちゃったので(冷凍ホヤは銀座にある岩手のアンテナショップで購入しました。新鮮で美味しくてオススメです
グラスの中身はスプリッツァー、と書くとお洒落だけど、白ワインの炭酸水割りです


蓋を取ってもソースがぐちゃっとなっておらず、美しいまま さすがはANA。
お肉も、ソースも、ライスも、付け合わせのお野菜も、パーフェクトな美味しさでした


数年前に日本から撤退してしまったヴァージンエアは食事はイマイチだったけど、軽食は充実していた記憶が。これは食後に配られたフルーツのパンナコッタみたいなデザート。
※ヴァージン・アトランティック航空


成田を出てから、3時間半。
ロシア上空。
次第に夜の帳が下りはじめます。
※ヴァージン・アトランティック航空


ワタクシは飛行機が苦手なのと、あの常に聞こえているゴォォォォォという音で、フライト中に熟睡できることはまずありません。
※ニュージーランド航空


乱気流のたびにドキッとしてしまうので、映画を観ていてもストーリーが頭に入ってこない
※ニュージーランド航空


なので基本的にディスプレイはフライトインフォメーションの画面にしておいて(好きなんです)、ウォークマンで音楽を聴いたり、旅行先のガイドブックを読んだりしながら、ダラダラと過ごします。


成田を出てから、5時間半。
ようやく半分近くが過ぎました。
まだまだロシアの上ですね。


この照明を落とした時間に静かに配られるお水が好きです。「water? water?」っていうアレ。
CAさんのところに行ってドリンクと夜食をもらうのも、私のマスト
飛行機は大嫌いだけど、この時間は好きです。
夜中に誰かが起きている気配を感じる安心感、みたいな。わかりますかね?
そして真っ暗な中でゴォォォォという音を聞いていると、「いま地球の上を移動してるんだなあ」と感じます。


ヴァージン・アトランティック航空の軽食。


成田を出てから、10時間弱。
窓からそっと外を見てみると、一面の雪山。道路や町(というか村?)の灯りも少し見えます。『雪の女王』の物語みたいな景色。
こんなところにも人が住んでいるのだなあ。
地図を確認すると、北欧の上空あたりでした(これはロンドン行きの写真なので、ワルシャワ行きよりも北を飛んでいます)。
※ヴァージン・アトランティック航空


夜が明けました。
窓のシェードって、到着の結構間際(2時間前くらい?)まで上がりませんよね。いつも、もうすぐ着いちゃうのにと心配になります。なんとなくCAさん達が動き始めて、いい匂いがしてきて、「朝食の準備をしてるんだなあ」と感じて、それからようやくシェードが上がる。
ここから着陸までの時間は、食事をして、入国カードの記入もして、と意外と慌ただしいんですよね。
※ヴァージン・アトランティック航空


成田からこんなに飛んできました。
※フィンランド航空


朝ごはんです
飛行機の中では体を動かしてないしお腹は空いていないはずなんだけど、ペロリと平らげてしまう。
※ブリティッシュ・エアウェイズ


着陸態勢に入りました。
高度が下がって、、、窓の外になにやら山が見えてきました。
※ノースウエスト航空


皆さま、12時間のフライト、お疲れさまでした!
無事、ポートランド国際空港に到着しました~~~~~
ってポーランドじゃなくポートランドかい
ええ、妄想旅行なので、成田からヨーロッパを目指してユーラシア大陸を飛んで、北米大陸に到着です(さっきの山はポートランド富士)


こんな風に心置きなく機内食を楽しめるフライトが戻ってくるのは、いつになるのかな。
でもこの記事を書きながら、久しぶりに国際線に乗った気分になれて楽しかったです


【番外編】

これは今はなきノースウエスト航空のシアトル→成田線の機内食の写真なんですが、これまで経験したエコノミーの機内食の中で、このときの機内食が一番美味しかったんです。往路のポートランド行きではスモークサーモンが出て、復路ではシュリンプカクテルが出て。このとき現地(アラスカ)滞在中に、ノースウエスト航空が倒産したんですよ。往路は破産法申請前、復路は破産法申請後。なのにこのときの機内食が最も美味しかったとは、この頃のノースウエストはヤケになっていたのだろうか(笑)


アラスカ航空
は国内線でしたが、早朝便だったせいか朝ごはんが出ました(フェアバンクス→シアトルの4時間弱)。
温かいサンドイッチとコーヒー。海外だと、サンドイッチが温かいだけで嬉しくなりますよね

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ハイキングでワインで花見

2021-03-03 19:39:46 | 旅・散歩




先週末、1年以上ぶりに会った友人と近場のハイキングコースに行ってきました。
昨年はコロナ禍で一度も会えず。
このハイキングも昨年秋から計画していて、延ばし延ばしになっていたものです。
メジャーなコースではないのでハイカーも少なく(途中で江戸時代の旧道も歩けるなかなか楽しいコースなんですが)、久しぶりの山歩きにストレスが解消されました。やっぱり自然からもらえるパワーは大きいですね
今回は、休憩を入れて、片道2時間半くらい



途中で視界が開けて水仙が沢山咲いている一画にベンチがあったので、ここでランチをとることに
トンビが来ない場所であることをチェック。
友人とのソーシャルディスタンスもちゃんと取ったよ

突然ですが、高村薫さんの小説『レディ・ジョーカー』の中で、合田さんと加納さんが多摩川の土手でワインボトルをらっぱ飲みして花見をする場面があるんですが。
私と友人のブームは、ハイキングでワイン、なのです
街のお洒落なテラス席でのワインも素敵ですが、自然の中でのワインは「ああ大人って最高」と心底感じることができますよ。
注意点は、ハイキングコースであるということ。
つまり、どんなに低い山だとしても、頂上付近でボトルを一本空けて解放感いっぱいの昼食を楽しんだ後は、下山しなければならないのです
しかしそれも面白いんですよ、ほろ酔い気分でフワフワしながらの下山。今回はマスクをしていたので少々息苦しかったけども。
そんなわけで日帰りハイキングコースでのワイン花見、最高に気持ちよくてめちゃオススメなんですが、大人の皆さまはどうぞ自己責任お願いいたします。転んで骨折しても責任はとれませぬ。お酒に弱い人は絶対にやってはいけません。ワインのアルコール度を侮ってはいけない。
また大人数での”宴会”も、コロナ禍でなくても、もちろんですよ。あくまでピクニックの一環、です。



クロッカスやスミレも咲いていました。春ですねー。


コースは続きますが、私達は途中で逸れて、自然公園&動物園へ。
菜の花が満開でした(このページの最初の写真も自然公園です)。遠くに見えるのは東京湾。


満開のミモザの花と、カンガルー。
ところでミモザとアカシアが同じものだってご存じでした?
ミモザは「黄色い房状の花を咲かせるマメ科アカシア属の総称」で、ミモザという名前の植物はないのだそうです。
私は最近知って驚きました


オカピ。
オカピがいる動物園は、日本で3か所だけとのこと。これも先ほど知りました。
オカピが日本に初上陸したのは私が大学生の時で、ニュースになったので私も見に行ったのですが、あれからン十年。今も変わらず希少動物なのだな。

オカピが発見されたのは、1901年のこと。野生の個体数が少なく、また警戒心が強いため人間の前に滅多に姿を現さないことから、その生態は謎に包まれています。生息地のコンゴ民主共和国では内戦や環境破壊が進み、オカピの生息数は減少の一途を辿っています。
(ANA Travel & Life)

そうなのか・・・。
ジャイアントパンダ、コビトカバと並んで世界三大珍獣と言われているそうです。
ちなみにシマウマに似ていますが、キリン科です。


昨年4月に誕生して11月に出袋した、コアラの赤ちゃん。可愛い
後ろのグレーのモコモコは、赤ちゃんの体ではなくお母さんコアラです。


帰宅したら、ベランダの鉢植えにムスカリが
昔植えていたときの球根が土の中に残っているらしく、存在さえ忘れて放ってあるのに、毎年必ず春になると土の中から出てきて花を咲かせます。
たくましいですね。私も見習わないと。

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二月大歌舞伎『於染久松色読販』『神田祭』 @歌舞伎座(2月27日)

2021-03-01 18:13:24 | 歌舞伎




歌舞伎座の第二部に行ってきました。
こんなご時世だしいつでもチケットはとれるであろうと余裕綽々でいたら、気づけば既にまともな残席はなく、千穐楽は全席ソールドアウト えぇっっっ
そうか、歌舞伎座は今は観客数を半分以下に抑えているのだった。
どうしましょう、と様子を見ていたら、あるとき、千穐楽の前方花横という最高のお席が一席だけ戻っているではないですか
一等席15000円か・・・と迷っている暇はもはやない。ポチ。
というわけで、無事に行ってまいりました。
14時15分開演。

【於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)】
『神田祭』とともに2018年3月以来、3年ぶりの上演。
前回にも書きましたが、この凄み、この軽み。ダークで楽しい南北のお芝居
暗~いボロ屋(莨屋)でのお二人の空気も、油屋での強請も、息がピタリと合ったニザ玉コンビは今回も極上
こういうお役の仁左衛門さんと玉三郎さんが大大大好きだからまた観られて嬉しいし、舞台上のお二人から伝わってくるThe夫婦な空気に、この人達のお芝居を私はあと何回観られるのかなあ、次世代の役者さん達からこういう空気を感じられるようになる日はいつか来るのだろうか、としみじみと有り難いものを見させていただいている気持ちにもなりました。

丁稚長太は、寺嶋眞秀くん。死体に触る前は、お手手ふきふきアルコール消毒
眞秀くんはいつ見ても、堂々と落ち着いていて楽しそう。さすがしのぶさんの息子さん!と毎回感じるのだけど、しのぶさんのblogによると、今月は上手くできなかった日には楽屋口で自分の不甲斐なさに泣き出してしまったことがあったそうで、こんなことは初めてだと。8歳で立派なプロ意識が芽生えているんですねー。先日ご贔屓さんからフグ刺しを贈られた眞秀くん。「今月のお芝居でフグが怖いと思ったらしく"久太みたいになったらやだから千秋楽終わってから食べようかな"と」(blogより)。カワユイ。
ところで眞秀君は菊五郎さんとよりも仁左衛門さんと組むことが多いですよね。なんでだろう。菊ちゃんの家系との事情とか、色々あったりするのだろうか・・・。

※4月の歌舞伎座は『桜姫東文章』とのこと。
仁左衛門さん&玉三郎さんによる上演は36年ぶり。
再演は絶対にないと思っていたこのコンビの桜姫。
エンターテインメントの危機にある今の時代への、お二人からの応援のお気持ちもあるのかな。
もちろん伺います!

(20分間の幕間)
ロビーにしのぶさん、いらっしゃいましたね。
そして幕間の終わりにふと後ろを振り返ると、数列後ろの席に仁左衛門さんの奥様と派手なパツキンの青年が。マスクをしていたけど、あの目元は千之助くん。お祖父さまの舞台を観にきたんだね。この空気をいっぱい感じて、いっぱい学んでいっておくれ!

【神田祭】
あいかわらずの、お二人の華やかさ
『於染久松色読販』の役とのギャップが楽しい
大向うありの満席の客席で観たいタイプの演目だけど、観客は大きな拍手で気持ちを伝えていました。
粋で鯔背なほろ酔い気分の鳶頭の仁左衛門さん。艶やかで華やかで可愛らしい芸者の玉三郎さん。
観客はひたすら二人に酔わせてもらえばいい
「粋」→気性・態度・身なりがあか抜けていて、自然な色気の感じられること。
「鯔背(いなせ)」→粋で、勇み肌で、さっぱりしているさま。
仁左衛門さんを観ながら、こういう”粋で鯔背”な空気を出せる役者というのも、これからの世代ではどんどん少なくなっていってしまうのではないか、とそんなことを思いました(とはいえニザ様も江戸っ子ではなく、西のお方だけれども)。仁左衛門さんとの共演で安心しきっているように見える玉三郎さんも、いつもながら本当に可愛らしい。比類なきゴールデンコンビ。

渡辺保さんが今月の二部について「一つの時代を象徴する舞台である。」と書かれていたけれど、本当にそのとおりであるなあと感じたのでした。ニザ玉コンビを好きな人もそうでない人も、この言葉には誰もが頷くのではないでしょうか。

しかし今は前後左右が空席とはいえ、オペラグラスを覗かなくていい一階席の観やすさといったら。毎回一階席で観たいものよ。。。

3月の歌舞伎座は、菊五郎さんの『雪暮夜入谷畦道(直侍)』
菊五郎さんのお役の中でトップ3に入る好きなお芝居!
そして仁左衛門さんの『熊谷陣屋』!と玉三郎さんの『隅田川』!
吉右衛門さんの『楼門五三桐』はあまり得意な演目じゃないのだけど、玉さまの隅田川とセットなので行くぞ!というかこの石川五右衛門の演目、絶対に観たことがあるはずなんだけど(三階席からは楼門上の五右衛門の顔が見えなかったことを記憶している)、私のブログの鑑賞記録にないのよね。一体私はいつ、誰のを観たのだろう・・・・。

吉右衛門さんは、先月の歌舞伎座を途中で降板されたんですよね。昨年秋に手術をされていたとのことで、ご体調が心配です。昨年11月の『俊寛』のお稽古のときに葵太夫さんがtwitterで「2吉右衛門丈の俊寛は申すまでもなく、現在の歌舞伎の頂点にあり、くれぐれもお見逃しなく…と申し上げたい。いつもおん身を削りながらの熱演で、大変な消耗と思う。千穐楽までご無事に…と祈らずには居られない。」と書かれていて、いつも吉右衛門さんを大切にされている葵太夫さんではあるけれど、いつも以上に吉右衛門さんのご体調を気にされているご様子に少し不思議な気がしていたのだった。そういう理由があったのだなあ。

吉右衛門さんは、昨年の『俊寛』について、ある連載の中でこんな風に書かれていました。
 ・・・思い続けた妻がもうこの世にはいないと告げられた俊寛の気持ち。これまでは驚きと悲しみだけを表していましたが、今回は少し違った思いで演じました。実は私は十月に、あることで手術を受けました。その影響が思ったより体に響いてしまい、大声を出すと息が上がり、立ち上がるのに苦労し、歩くだけで心臓がパクパクします。そんな体調ですが七十年以上役者を続けているお蔭様でしょうか。何とか一ヶ月の公演を終えることができました。自分では気づかぬ舞台に対する執念執着かもしれません。
 手術の後、一晩中苦しく辛く、生の放棄まで頭をよぎりました。その経験を俊寛を演じるに当たって集中してみました。生きたい、生きて都へ帰り生きて妻に会いたいという、それまでの強い気持ちから一転、妻の死を知り、少将の妻となった千鳥に赦免船の座を譲り、島に残ることを決意する俊寛。百八十度思いが変わり、自分を犠牲にして若い者を生かすことにする切っ掛けとなる場面です。生き抜く事、また、次の時代に渡すことも大切な気がします。俊寛のさまざまな心情の変化を経て、浄化の域にまで到達できれば役者冥利に尽きるのですが、ご覧になっていただいた方は、いかがでしたでしょうか。コロナのことも色々な人生の苦しいことも一時忘れてカタルシスに浸り、美しい涙を流していただけたようでしたら幸いです。
本の窓「二代目中村吉右衛門 四方山日記」第十一回 俊寛の心

私は千穐楽の日に拝見しましたが、”浄化の域”そのものでございましたよ~~~

また昨年8月末に映像配信した『須磨浦』については、こんな風にも。
脚本を書き終えるのにかかった時間は三十分くらい。まことにやっつけ仕事だとは思いますが、あの場合、そうでもしなければ作れなかったと思います。伝統歌舞伎はまだ命脈を保っていますよ、忘れないでくださいと、僕は孫の丑之助のためにも申し上げたかったのです。配信をご覧になった方々からは賛否両論ございましたでしょう。・・・なにはともあれ、僕は歌舞伎で大好きな熊谷を演じられただけで、あれ程生の喜びを感じたことはありませんでした。・・・全ての方々に感謝あるのみです。
同上 第十三回 「須磨浦」の動画配信


©松竹
於染久松色読販

©松竹
神田祭

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