風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

坂口安吾 『二流の人』

2007-05-31 00:08:49 | 



時に際し、利害、打算を念頭になく一身の運命を賭けることを知らない奴にいはゞ『芸術的』な栄光は有り得ない。芸術的とは宇宙的、絶対の世界に於けるといふことである。

・・・・・・

家康は先づ時に乗り、そして生死の覚悟をきめた。
彼はたゞ、生死の覚悟をかためることが大事であり、その一線を越したが最後鼻唄まじりで地獄の道をのし歩く頭ぬけて太々しい男であつた。

・・・・・・

彼は時代の子であつた。彼が自ら定めた道が時代の意志の結び目に当つてゐた。彼はためらはず時代をつかんだ。彼は命をはつたのだ。彼に課せられた仕上げの仕事が国内の整備経営といふ地味な道であつたから、彼は保身の老獪児であるかのやうに見られてゐるが、さにあらず、彼はイノチを賭けてゐた。秀吉よりも、信長よりも太々しく、イノチを賭けて乗りだしてゐた。

・・・・・・

だが、三成も胆略すぐれた男であつた。彼は利家あるゆゑにそれに頼つて独自の道を失つてすらゐたのであるが、それ故むしろ利家の死に彼自らの本領をとりもどしてゐた。天才達は常に失ふところから出発する。彼等が彼自体の本領を発揮し独自の光彩を放つのはその最悪の事態に処した時であり、そのとき自我の発見が奇蹟の如くに行はれる。

・・・・・・

家康も三成も山城も彼等の真実の魂は孤立し、死の崖に立ち、そして彼等は各々の流義で大きなロマンの波の上を流れてゐたが、その心の崖、それは最悪絶対の孤独をみつめ命を賭けた断崖であつた。この涯は何物をも頼らず何物とも妥協しない詩人の魂であり、陋巷に窮死するまでひとり我唄を唄ふあの純粋な魂であつた。

(坂口安吾『
二流の人
』)


一流、二流の基準が、安吾らしくて面白い。

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『殯の森』

2007-05-30 02:19:01 | 映画



「こうせなあかんってことは、ないからね」
(『殯の森』)

カンヌ受賞早々BSで観られるとは、嬉しいかぎり。
カンヌ受賞作は私にとってアタリハズレが大きいのですが、これはアタリだった。
森の描かれ方がすごく良かったです。
私がよく散策する鎌倉の山は、何百年も前の遺構がさらっと転がっていたり、古い人骨が大量に発見されたりする、そんな場所。
でもたとえそういう遺構がなくても、そのような古くからある森には、都会の新しい森にはない独特の「何か」が確かにあるように感じる。
樹々のなかを黙々と歩いていると、ふと誰かに見られているような、遠い昔の人々の呼吸と自分の呼吸が重なったような、そんな気分になるときがある。
タイムスリップというよりは、ふとこちらと彼岸とがつながってしまったような、そんな感じ。
こういう場所では、死んだ人と会えても不思議じゃないような気がしてくる。
森は何十年何百年もの間そこで呼吸をし、あらゆるものを養分として、生きている。
だからだろうか。
森とは、私にとってそういう場所。
そんな空気がとてもよく表現されている映画でした。
河瀬さんってこういう作品を作る人なのかぁ。
『萌の朱雀』も観てみようかな。

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ZARD 『揺れる想い』&『Today is another day』

2007-05-28 23:32:58 | その他音楽



こだわってた周囲を すべて捨てて
今 あなたに決めたの
こんな自分に合う人はもう
いないと半分あきらめてた
揺れる想い体じゅう感じて
このままずっとそばにいたい
青く澄んだあの空のような
君と歩き続けたい in your dream
(ZARD 『揺れる想い』)

ZARDは高校時代に好きで聴いていました。
坂井泉水さんの外見
や雰囲気は女性としてすごく憧れた。
私はヘアスタイルはいつもロングとショートを交互に繰り返してるのですが、ロングにしようかなぁと思うときは最近でも決まって坂井さんを思い浮かべていました(ちなみにショートのときに思い浮かべるのは石田ゆり子さん)。
昨夜私は「生まれる時と死ぬ時」という文章を更新しましたが、坂井さんはまさに沢山の人が今涙を流す、そんな人生を送ったんだなぁと思います。
坂井さん、素敵な歌を今日まで沢山ありがとうございました。
どうか安らかにお休みください。

きっと心が淋しいんだ
他人に期待しない あてにしない 信じたくない
悲しい現実をなげくより
今 何ができるかを考えよう
今日が変わる 
Today is another day
(『Today is another day』)


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生まれる時と死ぬ時

2007-05-28 01:47:12 | テレビ

あなたが生まれた時、あなたは泣いて、周りは笑っていたでしょう。
だからあなたが死ぬ時は、周りが泣いて、あなたが笑っているような人生を歩みなさい。

中学時代に見たドラマ、たしか『スクールウォーズ2』の中の台詞で、ずっと心に残っている言葉。
今でもこういう人生が私の理想です。 
でも、わたしには無理かなぁという気もじつは結構しています。。。

ドラマ自体は、まぁどうという内容でもなかったのですが。
あぁでも、あの馬鹿馬鹿しいほどの暑苦しさは懐かしいな。
この頃ってこういう熱いドラマが多かったんですよね。
割と観てました。
自分がドライなだけに、ああいう暑苦しい人間関係に実は憧れてたりするんですよ私、笑。
まぁ実際当事者になるとやっぱりうざったく感じるのかもしれませんが。
『はいすくーる落書』なんていうのもありましたね。この主題歌をうたってたブルーハーツが大好きで、当時聴きまくったなあ。

★追記(2009.01.09)
↑この言葉、アメリカ先住民の諺から来ていることがわかりました。
そうだったのかぁ。アメリカ先住民の言葉って、いい言葉が多いですよね。

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『Before Sunset』

2007-05-27 12:19:27 | 映画



「僕は歳をとるの好きだな。今という時間をより大切に過ごせる」

・・・・・・

「人って自分だけが辛いと思い込んでる。記事を読んだ時は羨ましかった。奥さん、子供、作家の肩書き。でも私生活は私より悲惨」
「僕が惨めでほっとした?」
「ええ、気が楽になった」
「よかったよ」
「―――幸せを祈ってるわ。自分はいい人間関係が築けなくても、他人の孤独は望んでいない」

・・・・・・

「傷つくことを恐れちゃだめだよ」

(『
Before Sunset』より)


前作から9年後の2人。
実際に撮影されたのも9年後。
2人の容貌、会話、空気のすべてから9年という年月がすごくリアルに感じられて、切ない。。。
前作同様に解釈は観客に委ねるラスト。私は、9年たってもやっぱり互いが一番としか思えなかったのなら、もうあなた達は結婚するしかないでしょう、と思うわけです。
たとえそうすることで奥さんや恋人を傷つけることになるとしても。
そして実際に付き合うことで互いに傷つくことになったとしても。
今また別れたら、結果的にみんなが不幸になると思う。

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『Before Sunrise ~恋人までの距離~』

2007-05-26 00:06:42 | 映画



「以前働いた時に雇い主が言ったわ。仕事のためにだけ生きてきたけど、52歳で気がついた。自分は誰にも何も与えずむなしい人生だと・・・。涙が光ってたわ。もし神が存在するなら人の心の中じゃない。人と人との間のわずかな空間にいる。この世に魔法があるなら、それは人が理解し合おうとする力のこと。たとえ理解できなくても、かまわないの。相手を思う心が大切」

・・・・・・

「女房が自宅で産むのを手伝った友人がいる。いよいよ誕生の瞬間、赤ん坊が現れ命の喜びをみなぎらせ、最初の呼吸をした。それを見ながら、彼は”この子もいつか死ぬ”と思った。人はいつか死ぬ。そうなんだ。物事には終わりがある。だから時や瞬間が貴重なんだと思わないかい?」
「そうね。今夜の私たちのよう」

・・・・・・

「多くの人々と美しい瞬間を共にしてきたわ。旅や、徹夜して夜明けを迎えたり・・・。すばらしい思い出よ。でも何かが違ってた。相手が悪かったの。私が思うことや感じることを理解してくれなかった。あなたといると幸せ。私の今までの人生で今夜ほど大切な夜はなかったわ」

・・・・・・

「どんなカップルも一緒にいると数年で互いの反応が予測できるから憎しみあったり飽きてくるなんて・・・。私はそうならないわ。相手を知れば知るほどその人が好きになる。どう髪を分けるのか、どのシャツを着るのか、どんな時にどんな話をするのか・・・すべて知るのが本当の愛よ」

(『
Before Sunrise ~恋人までの距離~』より)


主人公2人がとにかく話す話す話す、笑。
会話と空気と時間の使い方が素敵でした。

Before Sunset

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谷山浩子 「よその子」

2007-05-23 00:51:21 | その他音楽

きみの夢は涙に歪む 淋しい影が世界になる
きみは幻影の焼け跡を見る 焼け焦げたきみの心を

きみはよその子 母に憧れ
きみはよその子 母を憎んだ
果てしない旅の始まりは
もう思い出せない記憶の彼方

「それでも僕は 全ての家の
 全ての人の幸せを
 祈れるくらいに強い心を
 強い心を 僕は持ちたい」

(谷山浩子「よその子」)


アルバム『宇宙の子供』より。
この一曲だけのためでも買う価値十分なのに、名曲揃いのすごいアルバム。

この曲の少年は、全ての人の幸せを祈れるような強い心を今は持てていないのだ。
それだけの苦痛と孤独を彼は経験してきた。
「それでも」それくらい強い心を自分は持ちたい、と言うのだ。

浩子さんの曲は、中島みゆきと同じで(ちなみに2人は親友)、本当の本当のどん底のときでも生きる希望をくれる。
しかも自分に苦痛を与えた人間に対してでさえ優しい気持ちになれてしまったりするのだからすごい。
こういう音楽は、きっと人によっては不要なものなのだろう。坂口安吾の小説と同じ。
でも、必要な人にとってはこれ以上なく必要な音楽なのだ。
こういう曲に出会えるから、生きるのをやめられないんだよなぁ。

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神様は・・・

2007-05-22 02:04:18 | 日々いろいろ
世の中と自分との間に不公平はあるけれど、自分の中に不公平はないんじゃないかと、最近おもう。
その辺は人生って結構うまくできてるんじゃないかと。

たとえば、私があと数ヶ月で死ぬことになるとする。
平均寿命の86歳と比べるとどうして私ばかりこんなに早く・・・と不公平に思うはず。
でも自分の30年の人生の中では、自分がやってきたことと得たものの帳尻は結構あってるんじゃないかなと、振り返ってみると思うのだ。
神様(あるいはそのような存在)は私達がやっただけのものはちゃんと与えてくれているものなのではないかと。
それは、私達が望んだ形とはちがうかもしれないけれど。

恋愛でいうなら、いい加減な気持ちで付き合った人からはそれだけのものしか得られないし、本気で好きになった人から得たものは世間からはままごとにみえるものでも私の中では宝物だ。
人生って本当にうまくできている。
結局、どんなときでも、どんなことでも、いい加減な気持ちで臨んでは自分の中で何も得られはしないのだ。
世間に目をくらまされることなく、自分の中で価値あるものを大切にしていきたいものであるよ。。
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筑紫哲也さん

2007-05-15 02:36:28 | 日々いろいろ

「私を含む東京に住む者の多くの人達はいずれ東京には地震が来るだろうと思っていますが、それで自分がやられるだろうとは思っていない。いずれ原発の事故が起きるかもしれないと怖れてる人も、我が身にチェルノブイリのようなことが降りかかるとは思わない。まぁ人間というのは自分だけは別だと思いたがる生き物であります。私達の番組は『がんを生きぬく』というシリーズでこれまでと違う角度からがんをとりあげ、掘り下げ沢山の反響をいただきました。それをお伝えする私自身は歳不相応に元気で国の内外を飛び回っていたこともありまして、自分はがんにならない人間だという風に根拠のない自信をもっておりました。・・・」

(5月14日News23多事争論より)

筑紫さん、元気なお帰りをお待ちしています!

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遠藤周作 『沈黙』

2007-05-15 02:35:40 | 



こんな馬鹿なことはない。これが殉教というのか。なぜ、あなたは黙っている。あなたは今、あの片目の百姓が――あなたのために――死んだということを知っておられる筈だ。なのに何故、こんな静けさを続ける。この真昼の静けさ。蝿の音、愚劣でむごたらしいこととまるで無関係のように、あなたはそっぽを向く。それが・・・・・・耐えられない。

(遠藤周作『沈黙』p187)

私は無宗教ですしキリスト教に関する知識もありません。
なので、以下は専門的な話をしようというのではなく、私みたいな者がこの本を読んで宗教、キリスト教について感じたことをつらつらと述べているだけであることをご了承くださいませ。

「信じる者は救われる」という言葉がある。
この言葉には色々深い意味があるのだと思いますが、私には詳しい知識はありません。
さて、そんな私と同じく無宗教の友人は、以前キリスト教徒(バプティスト派)の方から「イエスを信じるか?」と聞かれ、「いいえ。人間を超えた存在は信じているが、それがイエスだとは考えていない」と答えたところ、「あなたは地獄に落ちる」と言われたことがある。
けれど、「信じる者は救われる」とは本当にそんな意味なのだろうか?
私は違うのではないかと思うのだ。何百年も続いてきた宗教がそんな狭いものであるとは考えにくいし、あってほしくない、という勝手な希望でもあるのだけれど。

この言葉は、「イエスキリストを信じ、またそれにかなう行動をする人を、(キリスト教の)神は受け入れますよ」という意味ではないのだろうか。
キリスト教の神を信じない者が、その神により救われることがないのは当然だ。

私は、信仰により幸せになれる人は、そうすればよいと思っている。
キリスト教に限らず、宗教とは「人が今を生きるため」に存在するものではないのだろうか。たとえ信仰の目的が来世のためや死後に天国へ行くためであったとしても、そのような信仰をもつことで「今を生き、救われる」ために、宗教はあるのだと私は思うのだ。
言い換えれば、「そのような形の救い」を必要としない人にとっては、それは不要なものであるし、それでいいのだと私は思う。そのことをキリスト教徒がとやかく言うのは、間違っている。

信仰とは信じること。
宗教とは人が救われ、よりよく生きるためにある。
私はそんな風に考える。
だから、宗教を持つがために人が苦しんだり、宗教があるがために人々が対立するという事態は、歪んでいるように思えてならない。

そこで興味深いこの作品、『沈黙』。
物語の始まりでロドリゴはすでにキリスト教徒、それも司祭である。
そして様々な言語に絶する出来事を通して彼がたどり着いた結論は、「神はいない→廃教」ではなく「神はやはりいる→実質上の信教(形式上は廃教)」だった。
彼は最後、神は沈黙していたのではなく常に自分とともに苦しんでいたのだ、という結論に至り、神の存在を「信じる」ことになる。教会から裏切り者とみられようと、幕府から転んだとみなされようと、彼は神により救われた。

そもそも「信仰」がなければ彼がこんなに苦しむことはなかったのではと、無宗教者の私はつい思ってしまうところだが、ロドリゴは私とは違う。「神はいない」という結論は決して彼を救わない。
では、彼が拷問の果てに聞いたキリストの声は、救われたいがために無意識に作り上げた幻聴か。それは、そうだとも違うとも、誰にも言えない。神がいるともいないとも、誰にも言えないのと同じだ。
しかし、信仰とは信じることである。
だから彼が「いる」と思った以上は、「神はいる」のだ。それが「イエスキリスト」であると感じた以上、それはイエスキリストなのだろう。たとえ教会が説くイエスキリストの姿とは違っても。
彼はこれからも苦しみ続けるだろう。けれどイエスもまた、彼の側でともに苦しみ続ける。そして彼は(おそらく作者も)そう信じつづけることで、救われるのだ。

時々ふと、もし宗教がこの世界からなくなった場合、人や世界は一体どうなるのだろう?と思うことがある。より良くなるのか、あるいは逆か。
けれどこんな仮定は無意味なのだろう。人が必要とし続ける限り、宗教は存在する。それだけだ。

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