檀一雄の小説によれば、中原中也&太宰治とで会ったのは計3度。
1度目は、おでん屋「おかめ」にて、檀、太宰、中原、そして草野心平の4人での酒席。
このときのエピソードは有名ですね~。
檀さんも『太宰と安吾』などの本で、繰り返し回想しています。
寒い日だった。中原中也と草野心平氏が、私の家にやって来て、丁度、居合わせた太宰と、4人で連れ立って、「おかめ」に出掛けて行った。初めのうちは、太宰と中原は、いかにも睦まじ気に話し合っていたが、酔が廻るにつれて、例の凄絶な中原の搦みになり、
「はい」「そうは思わない」などと、太宰はしきりに中原の鋭鋒を、さけていた。しかし、中原を尊敬していただけに、いつのまにかその声は例の、甘くたるんだような響きになる。
「あい。そうかしら?」そんなふうに聞えてくる。
「何だ、おめえは。青鯖が空に浮んだような顔をしやがって。全体、おめえは何の花が好きだい?」
太宰は閉口して、泣き出しそうな顔だった。
「ええ、何だいおめえの好きな花は」
まるで断崖から飛び降りるような思いつめた表情で、しかし甘ったるい、今にも泣き出しそうな声で、とぎれとぎれに太宰は言った。
「モ、モ、ノ、ハ、ナ」
云い終って、例の愛情、不信、含羞、拒絶、何とも云えないような、くしゃくしゃな悲しいうす笑いを泛べながら、しばらくじっと、中原の顔を見つめていた。
「チェッ、だからおめえは」
という中原の声が肝に顫うようだった。
(檀一雄 『小説 太宰治』)
中也さん、イジメっこ以外の何者でもありません・・・・・・。
そして2度目も「おかめ」にて。
第二回目に、中原と太宰と私で飲んだ時には、心平氏はいなかった。太宰は中原から同じように搦まれ、同じように閉口して、中途から逃げて帰った。この時は、心平氏がいなかったせいか、中原はひどく激昂した。
「よせ、よせ」と、云うのに、どうしても太宰のところまで行く、と云ってきかなかった。
雪の夜だった。その雪の上を、中原は嘯(うそぶ)くように、
夜の湿気と風がさびしくいりまじり
松ややなぎの林はくらく
そらには暗い業の花びらがいっぱいで
と、宮沢賢治の詩を口遊んで歩いていった。
飛鳥氏の家を叩いた。太宰は出てこない。初代さんが降りてきて、
「津島は、今眠っていますので」
「何だ、眠っている?起こせばいいじゃねえか」
勝手に初代さんの後を追い、二階に上り込むのである。
「関白がいけねえ。関白が」と、大声に喚いて、中原は太宰の消燈した枕許をおびやかしたが、太宰はうんともすんとも、云わなかった。
あまりに中原の狂態が激しくなってきたから、私は中原の腕を捉えた。
「何だおめえもか」と、中原はその手を振りもごうとするようだったが、私は、その儘雪の道に引き摺りおろした。
「この野郎」と、中原は私に喰ってかかった。他愛のない、腕力である。雪の上に放り投げた。
「わかったよ。おめえは強え」
中原は雪を払いながら、恨めしそうに、そう云った。それから車を拾って、銀座に出た。銀座から又、川崎大島に飛ばした事を覚えている。雪の夜の娼家で、三円を二円に値切り、二円を更に一円五十銭に値切って、宿泊した。(中略)
中原は一円五十銭を支払う段になって、又一円に値切り、明けると早々、追い立てられた。雪が夜中の雨にまだらになっていた。中原はその道を相変わらず嘯くように、
汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
と、低吟して歩き、やがて、車を拾って、河上徹太郎氏の家に出掛けていった。多分、車代は同氏から払って貰ったのではなかったろうか。
(檀一雄 『小説 太宰治』)
中也さん、物騒です・・・・・・。
さすがです。
ザ・キングオブマイウェイ。
そして、伊藤静雄氏の出版記念会の席上が3度目。
以上です。
宮沢賢治の詩は童話とちがって難解なものが多いように思うんですが(この詩も単体では私にはイマイチ意味がわからない)、こういうふうに中也が口ずさむと、じつにいいですねぇ。
中也の有名すぎる「汚れちまった悲しみに」も、こうやって聴くと、ほんといい。
太宰の家での何様俺様中也様なふるまいと、娼家代を値切りに値切る超現実的なせこさ、あげく車代さえ払わない。
それで「汚れちまった悲しみに・・・・・・」って、、、。
おいおい(^^;!とつっこみたくなります。
でもそんな夜明けの雪道とこの詩が、なんだかとても合っている。
詩が生きてるというか。
今までこの詩の自嘲的すぎるような響きがどうも好きになれなかったのですが、はじめてストンとはいってきたような気がします。
中也は朗読が上手だったと言われていますから、こんなシチュエーションでこの詩を聴いた檀さんがうらやましい。
ちなみに、草野心平は自身も詩人ですが、当時無名だった宮沢賢治の作品を世に紹介した人でもあります。このとき檀さんの家に来ていた用件も、賢治の全集が出るから買えというものだったそうな。
そして、こんなに絡まれていたにもかかわらず、太宰の中也の作品に対する称賛は、中也の死後まで変わらなかったそうです。
以下、中也と賢治の詩の全文です。
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮衣
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
(中原中也 『山羊の歌』より)
夜の湿気と風がさびしくいりまじり
松ややなぎの林はくろく
そらには暗い業の花びらがいっぱいで
わたくしは神々の名を録したことから
はげしく寒くふるえてゐる
(宮沢賢治 『春と修羅 第二集』より)