風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

imperfect world ~ドラマ『未成年』~

2020-10-05 15:45:08 | テレビ

青春の輝き かあいがもん



先日ヤフーニュースで河相我聞さんのブログを知って、我聞さん懐かしいな~と読み始めたら意外な文才に思わず全部読んでしまった(我聞さんのブログはamebloとはてなブログの2つあります)。
その中にこんな記事がありまして、我聞さんはご自身が出演されたドラマ『未成年』の主題歌だった「青春の輝き」が大好きなのだそうで、それをカバーするためだけになんとピアノとボイストレーニングと英会話のレッスンまでしてしまったそうです
ドラマ『未成年』。
1995年、私が大学一年生のときのドラマで、我聞さんを始め主役の役者さん達も私と同年代でした。
懐かしいというより、今でも時々現在進行形で思い出す、私にとって特別なドラマです。このブログでも以前ご紹介しました。
主題歌は「I Need To Be In Love(青春の輝き)」、「Top of the World」、「Desperado」など全てカーペンターズの曲。
ていうか「この曲を歌いたい」という気持ちだけでピアノや英会話までやってしまう我聞さん、ナイス。
わたくし、こういう人、好きです。
ご本人曰くこのカバーはまだ発展途上とのことで、確かにちょっとぎこちない感じはあるけど、我聞さんの声、優しくて透明感があっていいね。最後の笑顔もよい (我聞さんはリクエストで「青春の影」カバー「香水」カバーも歌われていて、とても素敵なので皆さん是非聴いてください。「香水」はどうしてこの曲がそんなに人気があるのか全くわからないわたくしですが、我聞さんのカバーはよい。しかしかっこいいお父さんだなあ。)

こちら↓は、ドラマの主題歌でもあった本家カーペンターズの「I Need To Be In Love」。

Carpenters - I Need To Be In Love


この曲は生前カレンが最も気に入っていた曲だそうです。
切ない曲ですよね。前向きにもとれる歌詞ではあるけれど、カレンの人生を思うと、繰り返される「I know(わかっているの)」がすごく切なく響く。
imperfectなのが人間の世界。
そういう世界に生れ落ちてしまったimperfectな生き物である私達は、この場所で精一杯に生きていく以外にない。愛を求めながら・・・。

そしてコロナ禍の中、ドラマの主役だったいしだ壱成さんがyoutubeにこんな動画↓をあげてくださいました。
「再現か…」と正直、見る前は不安半分だったのですが(私にとって特別すぎるドラマなので)、、、

【神回】未成年のあの名場面を再現しました【いしだ壱成】


壱成さ~ん
懐かしいというより、今の壱成さんが今のご自分の言葉として言っているように聞こえて、沁みる。。。。。
ご自身も朗読後に「思い出すし、なんかこう、回る感じがします」と仰っているけれど、本当にそんな感じがする。
人も人生も、まわっているんだなあ。
そして生きていれば、25年が過ぎて、こういう動画に巡り合えることもあるのだなあ。
壱成さん、これまで色々なことがあったけど、いま、とてもいい表情をされていますね。

ところで最終回のあの屋上シーン、裏話で仰っていましたが、なんと本番ではなくカメラテスト(本番前のカメラの位置や音声を確認するためのテスト)でOKが出たのだそうです。なので脚本の1ページ分くらいがとんでいるんですって。ていうかカメラテストなのにあんな演技をしていた壱成さんに吃驚です。俳優さんってすごい・・・。

ドラマ 未成年 ただそいつらはそうなりたかっただけ


ドラマの別の1シーン。
これも大好きなシーンです。
このドラマの壱成さん、ほんと素晴らしいよね。天性の演技というか、無双だと思う。
野島脚本もこの頃は無双だったし、改めて奇跡のようなドラマだったなあ。
でも”今の壱成さん”の演技も、いつか見られたらいいな。
頑張っては禁句なのかもしれないけど、頑張ってほしいなと心から思ってしまう。応援しています。

私の生活している沿線では毎日人身事故が起きています。
私自身がややもすれば死に惹かれてしまう人間なので強いことは何も言えないけれど、みんな、ずっとなんて考えなくていいから、とりあえず目の前の一日を踏ん張って生きよう。嫌なことは全部投げ出していいから、どんなこともなるようになるから心配しすぎないで、とりあえず、今日は生きていよう。どんなに自分を嫌いになりそうでも、一緒に頑張ろう。

【未成年】当時の撮影秘話【いしだ壱成】
【共演者との想い出】未成年より香取慎吾くん【いしだ壱成】
【歌姫あゆ】共演者との思い出【いしだ壱成】
【初コラボ】中年になった今!ジュンペイと未成年を語り尽くす【北原雅樹】 
【北原雅樹】未成年の裏話を喋り尽くす【いしだ壱成】

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『みをつくし料理帖』

2020-06-15 10:37:48 | テレビ




「源斉先生。道が枝分かれして迷いに迷ったとき、源斉先生ならどうなさいますか?」

「私なら心星を探します」
「心星…?」
「そう、心星です。あそこに輝くあれが心星ですよ。あの星こそが天の中心なんです。すべての星はあの心星を軸に回っているんですよ。悩み、迷い、考えが堂々巡りしているときでも、きっと、自身の中には揺るぎないものが潜んでいるはずです。これだけは譲れないというものが。それこそがその人の生きる標となる心星でしょう」

見逃しドラマ視聴プロジェクト第6弾は、『みをつくし料理帖』(2017年、2019年)。
2012年にテレビ朝日でもドラマ化されているようですが、私が観たのはNHKの方です。
脚本は『漱石悶々』『夫婦善哉』『ちかえもん』に続き、藤本有紀さん。髙田郁さんによる原作は未読です。

面白かった
そもそもタイムスリップしたらやってみたいことの一つが「江戸の街で美味しいものを食べる」である私。このドラマが楽しくないわけがない。

キャストも、皆さんよかったです。
原作との比較はできないけれど、澪役の黒木華さんはこの役にとても合っていたように感じましたし、『夫婦善哉』では上方のぼんち風味が足りずワタクシ的に不満だった森山未來さんは、今回の小松原は江戸の二枚目風な役なのでピッタリ。大変よかった。
ていうかあれだよね、私の見逃しドラマ視聴プロジェクトはまだ6弾でしかないのに、俳優さんが被りすぎてるよね。異なる作品で既に2回観ているのが、森山未來さん、尾野真千子さん、富司純子さん、麻生祐未さん、松尾スズキさん、国広富之さん、伊武雅刀さん、林遣都さん。NHKがドラマで使う俳優さんってこんなに範囲が狭いの・・・?まあいいですが。

ところで、(原作を読んでいないのでドラマだけの感想ですけど)澪が小松原に恋に落ちたとき、そして小松原への嫁入り話が出たとき、周りの大人達はあまりに無邪気に二人を応援しすぎじゃないかい?ふつうだったら即座に「小松原(旗本)との結婚=澪は好きなように料理ができなくなる」と結びつけるよね。まあ百歩譲って彼らも澪も町人だし、武家のしきたりに疎かったとする。
でも小松原!あんたは旗本でしょ!武家のしきたりを骨の髄までわかってるでしょ!「ともに生きるなら下がり眉がよい」とか洒落たプロポーズをしていないで、「これからはお前の好きなように料理はできなくなるが、それでも俺とともに生きてくれるか?」とかそういう現実的なプロポーズをしなさいよ!又次が世間話のついでに教えて初めて澪がその事実に気付くって、どーゆーことよ!
と思ったのだけど。
澪から断られたときの小松原の表情に(ここの森山さん、よかった…)、でも本当に辛いのは澪よりもこの人の方なんだなぁ、と。これまでも、そしてこれからも市井で自由に生きられる澪より、身分のしがらみの中で生きるこの人の方が可哀相だ。澪のことを本当に愛していたし、自由に生きたい人なのに、ね。

あと気になったのは、富三の料理の味の「気持ち悪さ」を客の多くが気付いていたのに、つる家の主人はどうして気づかなかったん・・・?とか。

セットは、今回も素敵だった


この早朝の雪の場面、美しかったですねえ。
ワタシ、浮世絵や歌舞伎や文楽で一番好きな演出が雪なので、感動が倍増でございました・・・


第2話のこの場面も、まるで広重の絵のようじゃないですか

©歌川広重『名所江戸百景 猿わか町よる之景』
ね?
ああ、江戸にタイムスリップしてみたいっっっ。
ちなみに浮世絵や日本画に描かれるワンコはめちゃくちゃキュートなので、そればかりを集めた画集も出ているほどです(私も持ってる) 
さらにちなみに、この絵はゴッホが蒐集していた浮世絵のうちの一枚です。一昨年アムステルダムのゴッホ美術館で観た企画展でも、沢山の浮世絵が展示されていました(ちょうど2年前の今頃だった。次に海外へ出られるのはいつだろー・・・)。

ドラマに出てくる料理はみんな美味しそうで、観ていてお腹が空いて困ってしまいました。
公式ページでは、澪が作っていた料理のレシピが公開されています
「はてなの飯」、作ってみたいなあ。


★オマケ★
江戸時代へのタイムスリップといえば、先日再放送もされていたTBSのドラマ『JIN-仁-』。
ドラマでは武田鉄矢さんが演じていた緒方洪庵が開いた適塾は、今も大阪市内に保存されています。内部見学も可能。
以下は、昨年訪れたときの写真です。





この適塾の教育法と比べたら、今の時代のそれはユトリのユトリのユトリといったところ。
塾生が寝るスペースは一人一畳と決められていて、成績のいい者から好きな場所を選べたそうです。最も不人気だったのは出入口付近で、夜中にトイレに立つ人達に踏まれて大変だったとか
また数に限りがある貴重な本は、書き写して使用していたとのこと。気が遠くなるような作業ですよね。私も少しは見習わないとなあ、とそのときは思うのですけれど、なかなか。。。
なお私は適塾というと、司馬遼太郎さんの小説『花神』の印象が強いです。

Comments (2)
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『夏目漱石の妻』

2020-06-10 11:57:28 | テレビ



関東も今週には梅雨入りですかねえ
緊急事態宣言は解除されましたが、まだ在宅勤務をしております。もう私の体は普通出勤には戻れない。
そんな私の見逃しドラマ視聴プロジェクト第5弾は、『夏目漱石の妻』(2016年)。

脚本は、『麒麟がくる』の池端俊策さん。このドラマで放送人グランプリというものを受賞されたそうです。
が。
んー、ワタクシ的には微妙なドラマでありました
まず気になったのは、全4話でトーンが一貫していないこと。例えるなら『吾輩は猫である』と『道草』という全く作風が異なる作品を無理やり一つのドラマに詰め込んでしまったような不自然さ、といったらいいだろうか。ユーモアの中にシリアスがあって、シリアスの中にユーモアがあるのは漱石の小説も同じだけれど、漱石の小説はその作品ごとのカラーがしっかりあって、統一感がある。でもこのドラマは、その辺りがどうもギコチナイ。。。大塚楠緒子が漱石宅を訪ねてくる場面は「え、ここでコメディ!?」だったし(直前までの鏡子は物凄い深刻だったのに)、4話冒頭の空気の重さには「3話と4話の間で彼らに一体何が・・・」状態であった。なので登場人物の言動にも「あなたそんな性格だったっけ?」と感じることがしばしば。
いっそ『道草』等の作品は無視して、鏡子さんの『漱石の思い出』のトーンに統一してドラマを作った方がよかったのではなかろうか(『漱石の思い出』の空気はこのドラマほど重くないし、統一感もある)。

鏡子役の尾野真千子さん&漱石役の長谷川博己さん。
どちらも迫真の演技だったのだけれど、鏡子&漱石か?と言われるとワタクシ的には違い。特に尾野さん。『夫婦善哉』でも少し感じたことだけど、尾野さんの演技はどことなく空気が神経質というか重い(一見そうは見えないし、ご本人も明るい方だそうですが)。尾野さんの鏡子は上手くいかない夫婦関係への投げやり気味な諦念が常にあって、漱石という人間への愛情はあまり感じられない。史実の鏡子は漱石の死後に「いろんな男の人をみてきたけど、あたしゃお父様が一番いいねぇ」と孫の半藤茉利子さんに語っているけれど、尾野さんの鏡子は後年そういうことを言いそうには全く見えない。今生では漱石と添い遂げる決意をしているけれど、次の生で選択肢があるなら違う結婚を選びそう。鏡子がこうなってしまうと、なんだかんだいって史実の鏡子&漱石にはあったように感じられる夫婦の安定感が皆無になってしまい、ラストの長野旅行(だっけ?)の仲良し場面もおさまり悪く感じられてしまった。まあ漱石の「あたまの調子が悪いとき」に焦点を当てすぎている脚本のせいも大きいと思いますが。

一方、鏡子の父親役の舘ひろしさんと漱石の養父役の竹中直人さんは悪くはなかった気がする。主役二人と同様に『道草』や『漱石の思い出』に書かれているイメージとは違ったし、「あなたそんな性格だったっけ?」展開もなきにしもあらずだったけど、主役じゃないせいもあり、さほど違和感なく見られました。
第二話の相場に手を出して身動きがとれなくなった鏡子の父親(舘ひろしさん)が、保証人の判をついてくれるよう鏡子から漱石に頼んでほしいと借金の借用書を持ってくる場面は、見ていて辛かったな。貴族院の書記官長にまでなった人なのに今は落ちぶれて愛する娘にこんなことを頼まざるを得ない父も、それを断るしかない娘も、辛いよね。翌日、漱石が鏡子の弟に四百円を包んで渡してあげる場面に救われました。まあ史実ではこの父親はお妾さんもいて、鏡子のお母さんも苦労されたそうですが。
漱石の養父役の竹中直人さんも、いやらしさ加減、下劣さ加減がよかった。鏡子に言う「わかりますか、落ちぶれるということの忌々しさが…」。お金があれば持てたかもしれない他人への優しさ、立派な人格、人としての誇り。それらを全て捨てねば今日を生きられない人間達の惨めさというのは、現実の一面としてきっとある。

引っ越し時のネコの運搬係な鈴木三重吉くん、ちゃんと再現してくれていましたね
漱石の娘たちが髪に大きなリボンをつけていたのも、史実に忠実。漱石自身も身なりを気にするお洒落な人で、美しいものが好きな人でした。

挿入曲は、シューベルトのピアノソナタ21番の第一楽章
最初は合っているような合っていないような?微妙な選曲に感じられたけど、観終わった今は、合っていたような気がします。無垢で絶えず死のイメージが付き纏う、でも決して暗いだけではない光のソナタ。シューベルトらしい明るい中に不意に現れる不穏な低音も、ストーリーによく合っていた。

ドラマの原作の『漱石の思い出』は以前読んだことがあって、今回再び読み返しながら、悪妻の評判が高い鏡子だけど、そしてこの本はあくまで鏡子から見た主観的な内容ではあるけれど、漱石のような人には結局は鏡子のような奥さんが合っていたのではないかなと感じるのでした。100%合っているとはいえなくても、では100%合っている夫婦なんてどれだけいるのか?と。独身の私が言うのもなんですが。
ただね、ドラマとは関係ないけど、鏡子さんにこれだけは言いたい・・・。
漱石はあの墓は絶対に不満に感じてると思うよ。「菫ほどな小さき人に生れたし」と言っていた人よ。さりげない上品なお洒落が好きだった人よ。それがあの墓・・・。漱石も子規みたく自分の墓のことを生前に細かく指示しておけばよかったのにねえ(漱石の墓は漱石の死後に鏡子の妹の旦那さんが設計して作りました)。

負けん気強くて夫思い!夏目漱石の妻・夏目鏡子さんに関する記事まとめ【日めくり漱石 号外編 @サライ】
日めくり漱石@サライ
村上春樹さん「もし筆を折ったら」 創作への思い、私生活を語る(2020.3.6)
「夏目漱石を愛する村上さんは、15年の取材時に漱石の旧居を訪れた縁で、被害を受けた旧居復旧のために基金から600万円の提供を決めた。」と(ありがとう村上さん!)。
「好きな作品は『三四郎』と『それから』、嫌いな作品は『こころ』」と。
村上さん、『こころ』お嫌いですよね。ご自身の小説の中でもそう書いていましたし。「完璧すぎるから」でしたっけ?。私はそうは感じないのですけれど。先生の遺書の異様な長さから言っても、完璧すぎるとは感じないなあ。完璧というなら『三四郎』の方が完璧ではなかろうか(私は『三四郎』大好きです)。

 健三は実際その日その日の仕事に追われていた。家へ帰ってからも気楽に使える時間は少しもなかった。その上彼は自分の読みたいものを読んだり、書きたい事を書いたり、考えたい問題を考えたりしたかった。それで彼の心は殆ど余裕というものを知らなかった。彼は始終机の前にこびり着いていた。
 娯楽の場所へも滅多に足を踏み込めない位忙がしがっている彼が、ある時友達から謡の稽古を勧められて、体よくそれを断わったが、彼は心のうちで、他人にはどうしてそんな暇があるのだろうと驚ろいた。そうして自分の時間に対する態度が、あたかも守銭奴のそれに似通っている事には、まるで気がつかなかった。
 自然の勢い彼は社交を避けなければならなかった。人間をも避けなければならなかった。彼の頭と活字との交渉が複雑になればなるほど、人としての彼は孤独に陥らなければならなかった。彼は朧気にその淋しさを感ずる場合さえあった。けれども一方ではまた心の底に異様の熱塊があるという自信を持っていた。だから索寞たる曠野の方角へ向けて生活の路を歩いて行きながら、それがかえって本来だとばかり心得ていた。温かい人間の血を枯らしに行くのだとは決して思わなかった。

・・・

「だけど、ああして書いたものをこっちの手に入れて置くと大変違いますわ」
「安心するかね」
「ええ安心よ。すっかり片付いちゃったんですもの」
「まだなかなか片付きゃしないよ」
「どうして」
「片付いたのは上部だけじゃないか。だから御前は形式張った女だというんだ」
 細君の顔には不審と反抗の色が見えた。
「じゃどうすれば本当に片付くんです」
「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」
 健三の口調は吐き出すように苦々しかった。


(夏目漱石 『道草』)

村上さんがフィッツジェラルドの作品について「深い内省はないが、それをはるかに凌駕する鋭い洞察がある」と書いていたことがあったけれど、この表現を借りると、漱石の後期の作品には「深い内省も、鋭い洞察もある」と私は思うのである。「ありすぎる」といってもいいそういう性質を持って生まれてきたことが漱石という人にとって幸福だったかどうかはわからないけれど、それがなければ作家漱石は生まれていなかったであろうことは確かでしょう。
ちなみに何度も書いて恐縮ですが、漱石やフィッツジェラルドやポゴレリッチが好きという部分は私と村上さんは共通しているけれど、私は村上さんの小説は苦手なのである(エッセイは好き)。

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『ちかえもん』

2020-05-21 02:39:51 | テレビ




案の定、緊急事態宣言の最後まで残りそうなわが県。
兵庫の友人は職場から突然「通常出勤」を言い渡されたそうで、「5月いっぱいは休む気満々だったのに」と泣いておりました。アニメや映画を観まくっておうち生活を満喫中だったらしい。
私はまだまだ観るぞよ (仕事はちゃんとしてますよ)

突然ですが、皆さんはもしタイムスリップができたら、いつに行ってみたいですか?過去?未来?
私は絶対江戸時代。町娘の恰好をして芝居小屋で歌舞伎や人形浄瑠璃を観るの。そして茶屋でお団子を食べるの
そんな私の見逃しドラマ視聴プロジェクト第四弾は、『ちかえもん』(2016年)。曰く、”痛快娯楽時代劇”。

たのしかった~~~~~~~~

脚本は、『漱石悶々』『夫婦善哉』に引き続き藤本有紀さん。
こうして続けて観てくるとドラマの展開が少々ワンパターン気味ではあるものの、今回は文句なしに楽しかったです。『漱石悶々』もそうだったけど、この方はこういうコメディ&フィクション要素の強い作品の方が向いている気がする。

セットも相変わらず素敵で、堂島新地や天満屋のテーマパークのようなワクワク感!蜆川に浮かぶ小舟、水面に映る月影、座敷から漏れる灯り、人々の喧噪・・・。ああ、タイムスリップして覗いてみたい。
街のあちこちにさりげなくいるワンコも楽しい(@綱吉時代)。

今回はキャストもパーフェクト
近松門左衛門役は、松尾スズキさん。
近松って元は武家の出なんですね。そして『曾根崎心中』を書いたのが51歳のときだったとは知りませんでした。『曾根崎~』って彼の初期の作品というイメージがあるので、もう少し若い頃の作かと思っていた。だからこのドラマの「近松のスランプ」という発想が生まれたんですね
フォークソングの替え歌(近松歌上手い笑)、忠臣蔵のパロディ(近松の創作過程の妄想)、楽しすぎる。
「うその何があきまへんのや。うそとほんまの境目が一番おもろいんやおまへんか。それを上手に物語にすんのんがあんたの仕事でっしゃろ?」
ドラマのラストで万吉が近松に言うこの言葉は、近松の虚実皮膜論に繋がりますよね。よくできた脚本だなあ。

万吉役の青木崇高さん。
「にんじょうぎょうるり」笑。
孝行を尊ぶ綱吉の治世に、ふっこうっとお~と歌いながら”不孝糖”を売り歩く万吉はん。
「なんやろなあ。なんで皆あないに息苦しい生き方せにゃならんのやろ。お初の父親も平野屋さんも己の生き方貫いてるようでいて、結局世の仕組みに雁字搦めにされてるだけや。お初に至っては親のために仇討ち考えたり、このまま遊女で生きていくて決めたり、若いおなごが見とって痛々しいわ。なんやお前の方が正しいような気ぃすらしてきた。このご時世に不孝糖不孝糖~言うて親不孝すすめてまわっとるお前の方がな」。第6話で近松が万吉に言う言葉。
最後の万吉の正体?に繋がる絶妙なファンタジー味、青木さんうまいな~。このドラマで優香さん(お袖役。彼女もとてもよかった)と知り合ったんですね。

近松の母親役の富司純子さんも、素晴らしかったです。
余談ですが、歌舞伎座のロビーでお見かけする奥様方の中で私が一番「綺麗だな~」と感じるのが、富司純子さんなのである。細い方で薄化粧なのだけど透明感があって、いつも思わず目で追ってしまいます。

竹本義太夫役の北村有起哉さん。
演技もとってもよかったけど、義太夫節に違和感が殆どなかったのもすごい。キャストのテロップには「義太夫節指導・三味線 - 竹澤團七」と。へえ。三味線弾きさんは義太夫節の指導もできるのか。文楽の世界でよく「三味線弾きが太夫を育てる」という言葉を聞くけれど、改めて、そういうものなのだなあ、と。太夫と三味線の関係って面白いですね。なお、團七さんは三味線弾き役でご本人も出演されています。

お初(早見あかりさん)と徳兵衛(小池徹平さん)。
「徳さま~」「おはちゅ~」笑。 
小池さん(あほぼん)は最初こそ「この現代的すぎる徳兵衛はどうなん?」と感じたけど、実はそれがフィクションとノンフィクション、シリアスとコメディの中間(ていうかほぼコメディ)のこのドラマの軽みにピッタリなのであった。
7、8話は『曽根崎心中』と重なる場面が多くて楽しかった。ラストは最初から想像できてしまったけど(近松が『曽根崎~』を書いたきっかけを知っていたのと、この脚本家さんのパターンから)、問題ナシ。二人の若さに胸いっぱい。

一番最後に出てくる絵(あの絵好き笑)が、現代の大阪なのもいいね。天満屋がキャバクラ風になっとる。文楽は大阪の宝だと思う、本当に。

5話の『出世景清』の小野姫道行の場面で小野姫の人形(当時と同じに一人遣い)が斜め上を見上げる角度の透明感が勘十郎さんが遣う人形にそっくりで、勘十郎さんのお弟子さんか誰かが遣っているのかな?と思ったら、勘十郎さんご本人であった。
ときに人間が演じるよりも人形が演じる方が物語や世界がリアルに立ち上る、文楽マジック。「芸術の真髄は、実そのものの描写にはなく、虚と実の皮膜(微妙な境)にこそ存在する」とは近松の論。
一方で『曾根崎心中』という作品を現代に復活させたのは、文楽ではなく歌舞伎なんですよね。文楽と歌舞伎の関係も面白いものだなあ。

江戸時代に初演を含め数回で禁止されたが、筋が単純であることもあって長く再演されないままだった。詞章は美しいため、荻生徂徠が暗誦していたとも言われる(大田南畝「一話一言」)。戦後の昭和28年(1953年)に歌舞伎狂言作者の宇野信夫が脚色を加え、復活した。人形浄瑠璃では昭和30年(1955年)1月に復活公演が行われた。
(wikipedia「曽根崎心中」)

「ちかえもん」、いよいよ最終回!(NHK関西ブログ)

~物言う三味線を目指して~ 三味線 鶴澤寛治
襲名前のインタビュー。そういえば寛治さんも亡くなられたんですよね…。
三味線を聴くことの楽しさも、私は文楽から教えてもらいました(歌舞伎のときはどうしても役者に注意が向いてしまうから)。三味線というものがその音色であれほど豊かな表情を表出させることのできる楽器であるなんて、以前は知らなかったもの。
「仮名手本忠臣蔵」の九段目。雪の積もる山科の家へ、大星由良助が帰って来る場面。弾き出しの「チンテンチンテン」が、なかなかうまく弾けなかった。景色が浮かばなかったのだ。
後日、北海道の雪深い旭川での巡業でヒントをつかんだ。どす黒い雲が空を覆い、雪が降っていた。前から黒いものが飛んで来るのが見えた。犬だった。その時、思わず「チーンテン」と口三味線を口ずさんでいた。
雪の降る音、ツララ、雨だれ、風の強弱、自然の音をはじめ、登場人物の心情などを音で描写する。「弾く人間の思い、つまり“腹”をやかましく言いました」と振り返った。
文楽の三味線は伴奏ではない。太夫の語り、人形の動きと一体となって舞台を作り出す。
「雪の手(弾き方)とか決まっていますが、今一度、物語るような三味線が弾きたい」
という念願を新たにしている。

七代目鶴澤寛治 彦六系芸風を引き継ぐ唯一の伝承者(2013年10月31日 文楽ポータルサイト)
上記とともに大変いいインタビューなので、ご興味のある方はどちらも是非サイトで全文をお読みください。
― 師匠の思い出に残っていらっしゃる太夫さんはどなたでしょうか。

竹本錣大夫さん、ケレンものが得意でして、チャリは日本一でした。
錣太夫さんは落語にあるような、浄瑠璃を質屋に入れたという人でした。父が鴻池さんのご本家で浄瑠璃を語りに、錣大夫さんと行ったんです。お座敷で当主に「今日は何を語ってくれるのや?」と聞かれ、「今日は、こんなもんをやろうと思うてまんね」と言うたら、ご本家は「すまんが、油屋(伊勢音頭)をやってくれ」とおっしゃる。
錣さんは、「いや、今日はやれまへんね」
「あんたいつもやってはんねんのに、何でやれへんねや?」
「あれやったらいけまへんね、いまやれまへんね」
「なんでや? そな言わんと、やってえぇな。頼むさかいに」とおっしゃる。
しかし、錣さん、頑としてやりまへん。
しばらくの間、ご本家は考えて、「ひょっとして、あんたそれ質屋に入れたんとちがいまっか?」
「そうでんね」と錣大夫さんは答えました。
ご本家は、「質札を持って本(床本)を取ってきなさい」と、番頭さんを質屋へ向かわせ、本を取ってきて、錣大夫さんと父(先代寛治)は油屋をやったといいます。

― いいお話ですね。

本当の話です、落語じゃなく。

― 質屋さんは太夫さんの本でもお金を貸してくれたんですね。

はい。質屋さんもお金を貸してくれるし、太夫さんも質屋に入れたら節度をもって絶対その浄瑠璃はしなかったですね。えらいな~、と子供心に思いましたね。それは、昭和の初めのこと。私が入る前の話です。

― 粋ですね。芸をするほうも、また聴く人、支える方も粋ですね~。

時代も変わりましたね。文楽の世界だけではないと思いますわ。時代の大きな変化がありますから、そんな粋なさまを見るのはなかなかないですね。文楽を取り巻く世界も変わりました。稽古の仕方も変わってしまいましたね。昔は太夫さんがお弟子さんをもったら、三味線弾きさんに預けたりしました。声の出し方や間の取り方をね。ある程度出来上がったら太夫の師匠が稽古をつけるんです。

― 三味線さんに預けるのはなぜなんですか?

三味線弾きさんが、この子の声はええな、これやったらこういう語り口をやらさないかんなとか、この子は三段目の語り口をやらさないかんなとか。それを仕込んでくれるのが三味線弾きなんですね。
ところが戦後、父(先代寛治)や喜左衛門師匠が亡くなれてからは、太夫は太夫が教えるもんやという風潮になりましたね。本来は三味線弾きが、赤ちゃんを育てるように方向性を決めて稽古してあげるのがいいんです。
父がよく言いました。「お茶碗一つ叩いたらチーンと、いい音がする。割れてしまったらもう二度とチーンという音は出ぇへんで。それと同じで、声を潰してしもうたら二度と声が出ない。初めが肝心や。デハ(初め)を考えないと太夫は育たんのんです。
いろんな太夫の語り口があって、お客さんは楽しまれたんですね。千代の南部さん、土佐大夫さん、上手なかたには「待ってました!」と声がかかりました。いっぱい個性的な太夫さんがいてはりましたな。今は特徴的な方が少なくなりました。浄瑠璃を聞いてますとみんな同じですわ。それじゃ文楽は続かない。今の太夫さんは、太夫が教えるようになってます。三味線弾きは声のいい太夫を弾くこともあれば悪い人のを弾くこともある。三味線を弾きながら太夫の特徴をつかまえて教えます。あとで大夫の師匠からまた教わればさらにいい。でも、三味線弾きは太夫に教えても一銭の得にはならんのですけど、文楽全体のことを考えればそんなことは言ってられない。もっと三味線弾きが太夫を教えることは文楽のためには大事ですね。

(中略)

― 三味線の表情は技術だけではありませんね。

はい、心と情ですね。たとえば阿古屋をやったとき、文五郎師匠が私に「寛子ヤン、あんたは鮮やかに弾いてるけどな、人形遣いには鮮やかに弾いたらあかんのや。逆やんねん」。「三味線はこう構えて弾くやろ? 人形が三味線弾きと同じように弾いたらあかんねン」と言われました。
芸は、「嘘」をほんまらしく、オーバーに表現する。
昔、舞台で「これは雪の手です」、「これは風の手です」「これは・・・」、と解説をして舞台から降りたんです。舞台から降りてきたら、父が「嘘ばかり言いやがって。お前は詐欺師じゃ」と怒るんです。
「雪はチンチンと、これは雪の手じゃないですか」と言うたら「それは三味線の手じゃ」、と。「雪というのは、どんな雪やろ?とお客さんが聞いてて想像してこそはじめて雪の手や。お前は心で弾いてない。雪やない、ただの三味線の音や。雪の手を弾いてこんかい!」と言われましたね。
父は死ぬまで雪の手にこだわっていましたね。
九段目(仮名手本忠臣蔵 山科閑居)の最初もそうですね。「一番初めはどんなやったか知ってるか? 忠臣蔵九段目の雪は、雪が深くて吹雪いていて、チ~ンチ~ンと、雪が吹雪いているんのをお客さんが想像できるのが、ほんまの雪の手や」、と。私に伝えておりますけど、なかなか出来ませんけどね。父は「出来たときは死んだときやで」と言うてましたね。



★オマケ★
巣ごもり中の私に、巣ごもり中の友人から荷物が届きました。
手作りのフルーツケーキ、それに合うワイン、手作りのハーバリウム、手作りのマスクと市販のマスク。いつもありがたい。
とブログをインスタ風に使ってみた笑。

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『夫婦善哉』

2020-05-15 14:55:38 | テレビ




年中借金取が出はいりした。節季はむろんまるで毎日のことで、醤油屋、油屋、八百屋、鰯屋、乾物屋、炭屋、米屋、家主その他、いずれも厳しい催促だった。
(織田作之助 『夫婦善哉』)

お久しぶりでございます。生きています。
引き続き在宅勤務続行中ですが、なんか仕事が忙しい。いい加減在宅ではどうにもならなくなって、月曜日は会社に頼み込んで一日だけ出勤させてもらいました。まさかこのワタシが出勤を懇願する日がこようとは(でも基本は在宅がいい)。
一方、巣ごもり生活中の見逃しドラマ視聴プロジェクトも続行中です。
第三弾は、『夫婦善哉』(2013年)。
漱石悶々』と同じ藤本有紀さんによる脚本です。

原作は、織田作之助の小説。
今回知ったのですが、この小説は2007年に続編(別府編)の原稿が発見されていて、現在は完全版が出版されているんですね。私が持っているのはそれ以前に出版されたものなので、続編は未読です。
上の文章は、本編『夫婦善哉』の冒頭です。
ちなみに同じく織田作之助の『アド・バルーン』の冒頭は、こう。

その時、私には六十三銭しか持ち合せがなかったのです。十銭白銅六つ一銭銅貨三つ。それだけを握って、大阪から東京まで線路伝いに歩いて行こうと思ったのでした。思えば正気の沙汰ではない。

今回久しぶりにこれらの小説を読み返して、私は感じた。
コロナによって次々と企業が倒産し、次々と人が失業し、先行き不安だらけの今の日本。
「こんなときこそオダサク」、と。
織田作の主人公達は、気持ちがいいほどお金がありません。どころかマイナスなくらい。稼いでもすぐになくなってしまう。
でもどんなときでも、彼らに悲愴感はないのです。自殺しようとするような深刻な状況になっても、そこにあるべきじめじめとした悲愴感が不思議と感じられない。いつもどこか明るい。
その理由は、そういう生活が彼らの境遇による以上に、その性格によるからでしょう。ふわふわふわふわ安定を欠く生活は実は彼ら自らそういう生き方を選んでいるのであり、それを自分達も自覚している。
読み終わって印象に残るのは、人生の意味がどうとかいうよりもまず、なにはともあれ彼らが一日一日を生きているということ。
お金を稼いだり失ったりしながら、希望を持ったり絶望したりしながら、誰かを想ったり憎んだりしながら、笑ったり怒ったり泣いたりしながら、大きな事件があろうとなかろうと、とにかく今日一日を生きているというその事実。
もしかしたら何よりたしかで単純なその事実こそ、「人生とは何ぞや」という複雑な問いへの、ひとつの答えとなるのではないでしょうか。

私は旅費を貰いながら、大阪へ帰ったら、死ぬつもりでした。そんなものを貰った以上、死ぬよりほかはもう浮びようがない。もう一度大阪の灯を見て死のうと思いました。その時の気持はせんさくしてみれば、ずいぶん複雑でしたが、しかし、今はもうその興味はありません。それに、複雑だからといって、べつに何の自慢にもならない。
(『アド・バルーン』)

というわけで私は『夫婦善哉』の小説もとても好きなのだけれど、ドラマの方はどうだったかというと。
NHK大阪放送局放送開始60周年記念ドラマということで、制作陣が気合を入れていることは強く伝わってきました。キャストも豪華で、美術や演出も素晴らしいと思った。
だけれども・・・・・ 一番肝心なところが・・・・・

先ほども書きましたが、オダサク作品の最大の魅力って、主人公達の飄々とした空気にあると思うのである。どん底にあっても何故か漂っている不思議な明るさ。呑気さ。
その点で、このドラマの主役二人は、、、うーむ、、、。
演技だけをみれば、お二人ともとっても上手いのです。
だけれども。
「空気」が~~~ぜんぜん”オダサク”じゃないの~~~。

それでも蝶子役の尾野真千子さんは、悪くはなかったと思う。たぶん彼女にさほど問題はない。
問題は、柳吉役の森山未來さん。とっても魅力的な俳優さんであることは伝わってきたし、演技もとても上手かったけれども、、、
それ、柳吉ちゃう!織田作ちゃう!太宰や 
wikiによると森山さんは太宰がお好きなのだそうで。うんわかる。もし彼が太宰のあの弱~~~い感じを出すことができるなら、太宰を物凄く上手く演じそうだもの。最近小栗旬さんで映画化されてしまったので、見られる機会がなさそうなのが残念。ならば『人間失格』でも!と思ったけど、それも2010年に生田斗真さんで映画化されていた。うーむ残念。
一方柳吉としては、森山さんは空気が神経質で暗いのです。どこか深刻な鋭さが残ってしまっていて、視聴者が「しょうがない男だなあ」と苦笑しつつ許してしまえる愛嬌が森山さんの柳吉にはない。そして柳吉から愛嬌がなくなると、「あほ男」じゃなく「クソ男」になってしまう。
そんなクソ男に惚れ続ける蝶子も、「あほ女」じゃなく「バカ女」に見えてしまう。
結果、ドラマの空気が深刻で重くなり、そうなるともうオダサクではない。

柳吉という「ぼんち」のキャラクターで思い出すのは、上方和事の「つっころばし」。以下は、wikipediaの「つっころばし」より。

本来は優柔不断な若衆役であり、たいていは商家の若旦那や若様といった甲斐性なし、根性なしで、さらに劇中で恋に狂い、いっそう益体のないどうしようもなさを露呈することにある。そのさまは、特に紙治や伊左衛門に特徴的だが、あわれであると同時に、それを通りこして滑稽でさえあり、でれでれとした叙情的な演技が一面から見れば喜劇味をも含むという不思議な味いがある。

江戸和事の二枚目や、上方和事のつっころばし以外の二枚目との決定的な違いは、まさしくこの滑稽味、喜劇味の有無にあり、さらにいえばその原因となる性格造形の違いにあるといえるだろう。つっころばしは気が弱く、女に優しく、そのくせいいところの御曹司であるがために甲斐性や根性には欠け、なんとなくたよりない。これに対して江戸の二枚目は、表面上はつっころばしに似つつも、その芯の部分にはげしい気性や使命を帯びているために、どこかきりっとした部分が残るのである(それゆえに恋に狂っても喜劇的にはならない)。

つっころばしは上方独特の役種で、演技の巧拙以上に役者の持味、舞台の雰囲気に左右されることが多い。

まさにこれ。オダサクの「ぼんち」は「つっころばし」的であるべきなのに、森山さんのそれは「どこかきりっとした部分が残る」江戸の二枚目になってしまっている。「つっころばしは上方独特の役種で、演技の巧拙以上に役者の持味に左右されることが多い」ことを考えれば、そもそも柳吉役に森山さんを配した制作側の人選ミスでは。ネットの感想は絶賛評が殆どだけれど、私と同じ感想の方も少なからず見かけます。もっともこのドラマのプロデューサーの櫻井賢氏は撮影後に「森山さんに関しては、あほな男をやったら日本一(笑)、愛すべきあほを演じられるのはこの人しかいなかった」(映画.com)と森山さんの柳吉を絶賛されています。うーん、とてもそうは見えなかったがなあ。
あと柳吉を原作どおり吃音にしなかったのも、こうなってしまった一因だと思う。今の時代は色々厳しいのかもしれないけれど。

ドラマの中の大正~昭和の大阪の街の風景は、素晴らしかったです。小説『アド・バルーン』でもとても魅力的に描かれている、大阪の夜の街。大阪に限らず、今は日本中から消えてしまった風景。でもきっと人間の営みは今も変わらないのだと感じさせてくれる、オダサク作品の温かみ。

種吉役の火野正平さん、柳吉の妹役の田畑智子さん、おきん役の麻生祐未さん、売れない噺家役の草刈正雄さん、語りの富司純子さん、とてもよかった。
年齢が違うから無理だけど、火野さんや草刈さんが演じたらイイ感じの柳吉になるのでは、とも。

さて。
緊急事態宣言もぼちぼち解除されつつありますが、うちの県が解除されるのはおそらく最後でしょう。
この中の一県に住んでるって↓、確率的にすごくないですか?すごくないですね。単に人口が多いだけですね。


見逃しドラマ視聴プロジェクトも、まだしばらく続きそうです。

※『夫婦善哉』の中でぜんざいと並んで主役級の扱いなのが、自由軒のカレー
ですが、「難波自由軒」と「せんば自由軒」は別物だってご存じでした?関東圏の皆さん。ワタクシ、かつて我が街にあった「せんば自由軒」の支店で例の名物カレーを食べたことがあるのですが、あれは「本物ではない」そうなのですよ(by本物の難波自由軒さん)。まじっすか。あれですね、神楽坂五十番の肉まんと同じですね。神楽坂上にあるのが「本店(元祖)」で、神楽坂下にあるのが「総本店」。以前神楽坂上の本店で「坂の下の店とは同じ店ですか?」と無邪気に聞いたら、「違います」と力強く否定されたことがあります笑。
ドラマを見て20年くらいぶりに自由軒のカレーが食べたくなったのですが(”本物”の味は知らねども)、こんな状況なので御徒町にあるという「せんば~」にさえ行くことができない。そもそも臨時休業中。なので、こちらのサイトさんを参考に作ってみました。満足いたしました(決め手はソースとカレー粉だね!)

※『夫婦善哉』って文楽にもなってるのか!観てみたいなあ。これを観るならやっぱり文楽劇場で
はぁ、文楽を最後に観てから1年もたってしまった。そして昨年5月に一日通しで観た妹背山のレビューを書いていなかったことに今気づく。なんてこと。忘れないうちにここに書いておきます。三段目の妹山背山の段が一日のうちで一番よくて、素晴らしかった。歌舞伎でも好きな段だけど、文楽の舞台セットには歌舞伎とは違う文楽ならではの美しさが感じられて(あの舞台は人間よりも人形と合う!)、さすがにこの段は技芸員さん達も迫力満点でした。特に妹山は、太夫&人形&三味線パーフェクト(呂勢太夫織大夫清介さん、清治さん、和生さん、簑助さん)!背山の方は、千歳太夫さんのお声が大判事に向いていなかった記憶が。そして文字久太夫さんがいつの間にか藤太夫さんになられていた。あと確か昼の部の二段目だったかな、のチャリ場?がとても楽しかったのを覚えています。夜の四段目の「道行恋苧環」は、太夫さん達がイマイチだった・・・。全体としては昼の部の方が面白かったけど、夜の部の山の段がずば抜けて素晴らしかったので、あの一段のためだけでも夜の部に軍配、といった感じでしょうか。配役表はこちら。ちなみに10:30開演~21:00終演という10時間半の長丁場でした。もはや娯楽じゃなく修行。でも今の時代に平然とそんなことをやってしまう、そんな文楽が好き。周囲には一日通し観劇のお仲間さんがわんさかおられました

Comments (2)
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『漱石悶々 ~夏目漱石最後の恋 京都祇園の二十九日間~』

2020-05-03 12:20:52 | テレビ




私はただ、この、淋しさを軸とした堂々めぐりが人生というものではないかという問いを設定した漱石に感謝するばかりである。この問いがあることを知っているだけでも、人生、だいぶ生きやすくなると思うからだ。

(井上ひさし 『文学強盗の最後の仕事』)

巣ごもり生活中の見逃しドラマ視聴プロジェクト第二弾は、『漱石悶々』(2016年)。
『精霊の守り人』に続いて観始めたら、いきなりシュガ様が登場して驚く林 遣都さん@津田青楓役)。

しかしNHKは本気を出すと本当にいいドラマを作るねえ。
こういう上質なドラマを作れるうちは日本のテレビ界はまだまだ大丈夫だと心底思う。

漱石役は、豊川悦司さん。
そもそもこのドラマは、脚本家?演出家?が素晴らしいよね。同じくNHKの傑作ドラマ『坂の上の雲』の漱石は全く漱石ではなかったけども(小澤征悦さんのせいではなくキャラ設定が)、こちらはしっかり漱石。
ロマンチストで、空想癖があって、実は惚れっぽくて、怒りっぽくて、冗談好きで、繊細で、真面目で、誠実。
こういう性格をちゃんと出しつつ、このドラマの個性である可笑しみと軽みも自然に表現しちゃう豊川さんの演じ方が、ほんっと上手。
もっとも漱石にしては上背があって些か素敵すぎるけれども笑。

磯田多佳役の宮沢りえさんも、ほんっと上手いよねえ。いい女優さんだなあ。こういう演技を見ていると幸せになる。ラストシーンで椅子に座っているときの表情、見入ってしまいました。

妻の鏡子さん(秋山菜津子さん)も、イメージぴったり。漱石や青楓(さんもとてもよかった!)との掛け合い、楽しかった。やっぱり脚本と演出がよくできているのだなあ。

一草亭(村上新悟さん)も橘仙(白井晃さん)もよかった(よかったばかり書いてるが)。演技の上手な人達ばかりが出ているドラマって幸せ

冒頭に載せた井上ひさしさんの文章はこのドラマとは関係がないのですが、ドラマの最後で読まれる漱石の手紙(この手紙は実在するもの)の言葉を聞きながら、「私達は漱石という人間を持つことができたことで、どれほど人生が生きやすくなっていることだろう」と改めて感じて、この井上さんの文章が思い出されたのでした。
以下は、ドラマでも読まれた漱石から多佳へ宛てた手紙(抜粋)。

私はいやがらせにこんな事を書くのではありません。愚痴でもありません。ただ一度つき合い出したあなた――美しい好い所を持っているあなたに対して冷淡になりたくないからこんな事をいつまでもいうのです。中途で交際が途切れたりしたら残念だからいうのです。(中略)これは黒人たる大友の女将の御多佳さんにいうのではありません。普通の素人としての御多佳さんに素人の友人なる私がいう事です。女将の料簡で野暮だとか不粋だとかいえばそれまでですが、私は折角つき合い出したあなたに対してそうした黒人向の軽薄なつき合いをしたくないから長々とこんな事を書きつらねるのです。私はあなたの先生でもなし教育者でもないから冷淡にいい加減な挨拶をしていれば手数が省けるだけで自分の方は楽なのですが、私はなぜだかあなたに対してそうしたくないのです。私にはあなたの性質の底の方に善良な好いものが潜んでいるとしか考えられないのです。それでこれだけの事を野暮らしく長々と申し上げるのですからわるく取らないで下さい。また真面目に聞いてください。
(漱石→磯田多佳宛。大正4年5月16日)

これ、何について書いているかというと、送った本が届いたとか届かないとか、天神様に連れていく約束をしたとかしないとか、そういう言ってしまえば些細なことについての手紙なんですが笑、漱石の人間に対する誠実さ、真面目さが大好きです。そして尊敬する。人間関係に関して決して器用な人ではないのに、それでも人間から逃げない、諦めない。漱石の性格の美徳だよね…。
学生時代に子規と意見の齟齬が起きたときも、漱石は同じように子規と正面から向き合う手紙を子規に送り、そして子規もそれに応え、彼らの友情は子規が亡くなるまで続きました。
ドラマの中で掛け軸に描かれた俳句を見て漱石が「月並みだね」と言う場面がありますが、漱石ファンはニヤリとしてしまう場面ですよね。「月並み」という言葉を今日のように「陳腐、平凡」という意味で最初に使ったのは子規で、他にも野球の「打者」「走者」「四球」「直球」などは子規が作った日本語です(子規は野球が好きだった)。子規は漱石の親友であり、また俳句の師でもありました。あるいは漱石が子規に俳句の添削を頼み続けていたのは、病人である親友の気持ちを紛らわせてやりたいという想いもあったかもしれません。

小説の初版本がドラマのあちこちで登場するのも、楽しかった
ワタクシ、漱石の初版の復刻本を買いまくった人間でございますので。
そうだ、ステイホーム中に復刻本のアンカット部分をカットしようかな。老後にカットするつもりだったけど、それまで生きてる保証はないし。やっぱり本は読んでなんぼだもの!

さて。
緊急事態宣言も延長のようですし、籠城生活はまだまだ続きそう。
次は何を観ようかな~

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『大河ファンタジー 精霊の守り人』

2020-05-02 10:32:38 | テレビ



最終章では、私が『天と地の守り人』というタイトルにこめた思いも、大切に描いていただいています。地を歩む人々の営々とした営み、必死の思い、葛藤、醜い戦をしても勝ち取ろうとするもの――そういう人の心情などとはまったく関わらず、ただ淡々と、在るように在る大自然の営み……。
いかなることがあろうとも天と地のはざまで生きていく人々に、哀しさと愛おしさを感じていただけたら、幸せです。


上橋菜穂子 「天と地のはざまで ――最終章に寄せて――」


2016~2018年にNHKで放送されたTVドラマ『精霊の守り人』を、ようやく観ることができました。
以前もこのブログで愛を叫んでいたとおり、私は上橋さんによる原作小説がとても好きでして(他の作品はなんともいえないものもあるけれど、この守り人シリーズはとても好き)。
アニメも観ていたのになぜドラマは観ていなかったのか?というと、単純にリアルタイムで観る機会を逃してしまった後は存在を忘れていたから
今回籠城生活でネット配信サービスを色々物色していたら、おおこれはと見つけて、第1シリーズから第3シリーズまでを全編一気見したのでありました。

題名が『精霊の守り人』だからアニメと同じく同名の小説の部分だけがドラマ化されているのだろうなと思っていたら、なんと今回は守り人シリーズ全編の映像化で嬉しい限り。特に嬉しかったのは、原作で好きな『闇の守り人』と『天と地の守り人』が最終章で一つのストーリーになって映像化されていたこと。
ちなみに私は好きな小説の実写版はよほど酷い出来じゃない限り満足できる人間で、たとえ多少イメージと違っても文章で読んでいた風景や建物や食べ物が3次元で観られることは私にはこれ以上ない至福
そして今回は、同類のファンタジー映画『ロード・オブ・ザ・リング』と比べるとさすがに衣装や道具やセットに少々惜しい感はあるものの(ハリウッドとNHKでは予算が桁違いだからね)、想像より遥かに力をいれて制作されていることに吃驚。制作チームがんばった

そしてなにより、思っていた以上に俳優陣が豪華&役に嵌まってる
第1&2シリーズで聖導師役だった平幹二朗さんが急逝されて、第3シリーズでは鹿賀丈史さんになっているのは寂しかったけれど、鹿賀さんもよかったので違和感はなかったです。でもやっぱり第3シリーズの平さんも観たかったな…。
高島礼子さん、すごい 美人女優さんなのにリアルトロガイだ!女優魂を見た!
最近はセンテンススプリングの方で話題になってしまっている東出昌大さん、お~リアルタンダだ!イメージどおり!
帝役の藤原竜也さんも、さすが。観る前はイメージと違うのでは?とか思っちゃっていたけど、最終章を観終わった今ではあなたが帝。
綾瀬はるかさんは無論、すっごく素敵なバルサ 殺陣も見事 ご自身もインタビューで仰っていたけど、回が進むにつれてどんどんどんどんバルサになっていって(これは他の役者さんにも言えることだけど)、役者さんって凄いなあと改めて感じました。
ヒュウゴ(鈴木亮平さん)もカコヨカッタ!
あとアスラ役の鈴木梨央ちゃん!大人より上手いんじゃないかとさえ思ったよ。

はぁ。。。しかし守り人シリーズはやっぱりいいねえ。
「外れた」人たち、偽りの建国神話、目に見える世界と目に見えないもう一つの世界、大きな自然の流れと小さな人間の営み。
最終章は、まんま太平洋戦争時の日本だよね・・・。これを完全に過去のこととして観られないのが怖い。
ドラマでは特に後半は結構原作とストーリーを変えていて、原作どおりの筋で観たかった気もしたけれど、これはこれで一つの作品として楽しむことができました。
原作は『流れ行く者』までしか読んでいないのだけど、あれから番外編の新刊が出ていたんですね。買わねば。

本好きで司書をしている友人と以前「フィクションとノンフィクションのどちらが好きか?」という話をしたことがあって、彼女は断然ノンフィクション派だそうで、私は断然フィクション派と答えたら物凄く吃驚されました。
えー、確かに「事実は小説より奇なり」とも言うけれど、絶対フィクションの方が楽しいよ。だって現実には存在しない世界にも行けるんだよ!現実には存在しない物が食べられたり、時空を超えたり、現実の世界では起こり得ないことがいっぱい起こるんだよ!
・・・ん?それはフィクションというよりファンタジーか笑。



バルサとタンダの関係が最高に好きなので、今回こういう場面↑を実写で観ることができて最高に幸せでした

胸が痛くなるほど美しい。
最終章のオープニング映像の中で、すっと短槍を掲げるバルサの姿を見たとき、そう思いました。
三年という長い年月をかけて丹念に紡がれてきたこのドラマは、西欧のファンタジーによく見られる「光(正義)と闇(悪)の闘い」とはまったく異なることを描いています。
闇の中にも光が、光の中にも闇があり、人の営みの何もかもを、あっけなく押し流していくこの世の無常と、それでも天と地のはざまで生きていく、人という生き物の美しさを描いているのです。
深い哀しみの闇の中、短槍を掲げてすっくと立つバルサの、あの凛とした姿こそ、私が描いて欲しかった姿で、あのワンシーンには実に多くのものが詰まっています。
長い長いドラマの行く先を見届けていただければ幸せです。
(上橋菜穂子)

※公式サイトもめちゃ力作
精霊の守り人
精霊の守り人II 悲しき破壊神
精霊の守り人 最終章

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キング牧師の日

2020-01-20 21:05:49 | テレビ

Martin Luther King's Last Speech: "I've Been To The Mountaintop"


We've got some difficult days ahead. But it doesn't really matter with me now. Because I've been to the mountaintop. I don't mind.
Like anybody, I would like to live - a long life; longevity has its place.
But I'm not concerned about that now.
I just want to do God's will. And He's allowed me to go up to the mountain.
And I've looked over. And I've seen the Promised Land.
I may not get there with you. But I want you to know tonight, that we, as a people, will get to the Promised Land.
So I'm happy, tonight.
I'm not worried about anything. I'm not fearing any man.
Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord.

前途に困難な日々が待っています。でも、もうどうでもよいのです。私は山の頂上に登ってきたのだから。
皆さんと同じように、私も長生きがしたい。
長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。
神の意志を実現したいだけです。
神は私が山に登るのを許され、
私は頂上から約束の地を見たのです。
私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、
ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。
今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。
神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。

(April 3, 1968, at the Mason Temple in Memphis, Tennessee)


今日はキング牧師の日なのだそうです。
なので以前ご紹介したことのあるこの映像を再掲。
二十世紀が終わる頃、TVでは激動の100年を振り返る番組がいくつも放送されていました。
なかでも特に秀逸だったのが、1995年にNHKが作成したドキュメンタリー『映像の世紀』。
私がキング牧師の最後のスピーチを初めて見たのは、このドキュメンタリーででした。
あのときTVから受けた衝撃は、今も忘れられません。
有名な"I Have A Dream"の映像は何度も見たことがありましたが、この映像を見たのはそのときが初めてでした。
キング牧師の1968年4月3日、暗殺される前日の演説です。
なんという表情でしょう。
なんという説得力でしょう。
演説を終えた後の、すべてを言い切ったというような、生き切ったというような、そんな姿も印象的でした。
キング牧師はこのとき39歳。

Martin Luther King - I Have A Dream


One day we will have to stand before the God of history, and we will talk in terms of things we've done. ……It seems I can hear the God of history saying, "That was not enough! But I was hungry, and ye fed me not. …
(August 28, 1963, Washington D.C.)

そしてこちらは、1963年8月28日の有名な"I Have A Dream"(私には夢がある)の演説。
キング牧師の生家があるジョージア州アトランタも、この演説が行われたワシントンD.C.のリンカーン・メモリアルも、20歳のときに初めて訪れました。三ヶ月間の交換留学をしていたときです。
アメリカって世界の嫌われ者のようなところがありますが、以前も書いたことがありますが、私は誤ったことが行われるときに必ずはっきりと「NO」と声を上げる人間が現れるこの国のそういう面が好きでしたし、それは今でも私の中でひとつの指針となっています(何をもって「誤ったこと」とするか、という問題はまた別にありますが)。
私自身が黄色人種としてアメリカ人から露骨な差別を受けたことが幾度かありましたが、多くの場合それに即座に「NO」を突きつけてくれた人達もまたアメリカ人でした。どちらも私の知人ではない通りすがりの人達でした。
あれから23年。
私自身は少しは成長できたのだろうか、と振り返る日にもなったキング牧師の日でした。

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2019年の大晦日に ~筑紫哲也さん 最後の多事争論

2019-12-31 13:24:48 | テレビ

自分のブログを振り返っていたらこんな動画が出てきたので。
2015年の正月にあげた記事より。
なぜか私はいつも5年おきくらいに筑紫さんの記事をあげているのだな。
筑紫さんが亡くなってもう11年が過ぎたんですね。
でも、まだ11年なのか、という感覚の方が強いです。
たった11年で日本も国民もメディアも随分変わってしまったような気がする。
と後ろ向きなことばかり言っていたら筑紫さんに怒られてしまいますね。

「論」も愉し

近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。
その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。
そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、
失なわれるのは自由の気風。
そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。
二〇〇八年夏 筑紫哲也

(Web多事争論 公開に寄せて)

最後の多事争論(2008年7月5日)



先日の谷川俊太郎さんの『みみをすます』(1982年初出)のなかの下記の部分にも通じるものがあると思います。

(ひとつのおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことに
ならないように)

2020年がよい年になりますように!

私は今から年末大掃除をします(今から?)

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NHK 『仕事学のすすめ』 姜尚中

2019-09-20 21:01:06 | テレビ



僕はこれからの時代は、自分らしさの価値を求めなきゃいけない時代だと思うんです。ビジネスも仕事も人間にとってはものすごく大切なことですね。しかし同時に家庭がある。そして仲間がいたり、地域でのボランティアもあるかもしれない。
ですから、どこかで凹んでいる部分は必ずどこかで相殺できると。そういうものを持っている人と、ほとんど会社やビジネスが100%の人では…言ってみればリスクヘッジできる可能性が違うわけですよね。
僕は自分が忙しくなった時に、ものすごく違う領域にいたいと思うわけですよね。それは趣味になるかもしれないし、あるいは社会的なボランティアになるかもしれない。ですから大切なことは、一つの領域だけに100%自分を預けない。その方がビジネスもうまくいくと。
もっと大切なことは「自分を知る」。自分を知る機会はどこに生まれるかというと、自分と全く違う人と出会うことだったり、異質なものと出会うことによって、自分が見えてくるんですね。その時初めて「自然に」って言葉があるけど…これは本来、仏教用語なのかな「じねんに」という言葉があるけど、「ああ、自分はこれぐらいなんだ」と。これは安く見積もることではなくて…「自分はこういう人間なんだ」ということを知らないで、理想と現実のギャップにたえず悩む人が多いので。

いろんな本を読んだ限りで言うと、やっぱり神経症的な人に共通していることは不安なんです。つまり自分はこの高みに達せられるだろうか、これは実現できるだろうか…人間の最大の悲劇は記憶を持っているということと未来を予測したがるということ。
その処方箋は「今とここで生きる」ということ。全く不確実な時代に生きていて、先を予測できない。でも「今とここ」を生きていることは間違いない。僕はそこに寄り添うしか…それはある意味では「ケセラセラ」かもしれないけれど。いま僕はそういう立場で、できる限りそういう生き方をしたいと思っているんですね。私たちは3月11日以降、社会には最悪のこともあり得る。あり得るけれども、「今とここ」を生きるということですね。


(姜尚中 NHK『仕事学のすすめ』 2012年5月度  第1回 )

姜さんは、”漱石に人生救ってもらったナカマ”です。
写真は120年前に漱石がロンドンでお散歩にいった公園の一つ、ハムステッド・ヒース。姜さんもきっと行かれたことがあるのではないかな

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