風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

30 Years of "One Day More" Les Misérables &ラミン怪人

2015-10-31 19:11:20 | ミュージカル

30 Years of "One Day More" | Les Misérables


30年間のレミゼラブル。
やっぱりレミゼは素晴らしいね・・・
ブロードウェイの現ヴァルジャンはAlfie Boeなのですね。ジャベールはEarl。
プリンスオブブロードウェイのおかげで(私は行かないが)また久しぶりにyoutubeでミュージカル動画を楽しんでいるのですが、素敵動画に色々出会えて嬉しい。

ラミンのレミゼ@ブロードウェイのほぼフル動画も見つけましたよ↓。
なんかラミさん、ウエストエンドでやっていたときより熱すぎるような。。当時の音声と比べてみたけど、やっぱり当時の方が静かなところは静かに歌ってるよなぁ(声は今の方が出てるが)。まぁ日によって演技が変わる方のようなので、この日は激しい気分の日だったのかもですけど。共演者によっても変わるのかも。ガタイは確実に変わってる^^; 髪型も。
※追記:ロンドンのときは旧演出版で、こちらは新演出版だったのね。ヴァルジャンの役作りも少し違ったりするのかもですね。

LM 2014 SD



そういえばJOJは今ロンドンでファントムをやってるんですよね。観たいな~。
ラミンもまたやればいいのにね。でも人間的にすぎる怪人は個人的にはあまり好みではないので、今のラミンだとそういう怪人になるのだろうなぁ。25周年でさえ私には少々人間的すぎたというのに(あれはあれで大好きだが)。考えてみたら私が観たときと25周年の間にラミンはLove Never Diesをやっているのですよね。そういうのも関係あるのかな。
ところで私、ラミンラミン書いてますが、当時ラミンと同じかそれ以上にジーナ・ベックのクリスティーヌの方にも感動したのです。ジーナの声がとても好き。
ラミンのこの怪人解釈↓はとても好きです^^ 後半は私もまったく同感。

 ―記念公演では圧倒的な歌声を自在に操り、繊細かつ情熱的な怪人像を造形した。

 「きっと何千通りもの演じ方があって、どれも正しいと思う。今回、僕は怪人をできるだけ人間らしく演じたかった。彼が何を食べて、どうやって命をつないでいるのかということまで考えて役作りを深め、より真実味があるように演じたつもりです。歴史の一部を担うことができて誇らしく思っています。
 俳優として一番好きなのは最後の場面。大きく揺れ動く怪人の心を表現することができるからです。ファントムは、自分が愛されないのは社会と自分の醜い顔のせいだと言い続けるけれど、クリスティーヌに『ゆがんでいるのはあなたの心』と言われて目が覚める。クリスティーヌがラウルの命を救うために怪人にキスをし、自分を犠牲にしようとする行為の中に真実の愛を見いだすのです。だから、ファントムは生まれつきゆがんでいるのではなく、社会が生み出した悪なのだと思っています」

(ラミン・カリムルー 時事通信インタビューより)

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芸術祭十月大歌舞伎 『一條大蔵譚』 『文七元結』 @歌舞伎座(10月24日)

2015-10-24 18:06:47 | 歌舞伎

やっぱりどーーーーーしても菊五郎さんが観たく、前楽の本日、スケジュールをムリクリして行ってきました。
嶋大夫さん引退のニュースに、観たいものは観られるときに観ておかないと突然観られなくなるときがくる、と改めて思ったので。。。(自分も含め)
発売30分前に着いたら一條大蔵が立見(120番台)で入れたので、そちらも一緒に。


【一條大蔵譚】
今月2度目の大蔵卿。前楽のせいか、心なしか皆さん気合いが入っているように見えました。

仁左衛門さんは本日も素晴らしかった
檜垣茶屋の花道で鬼次郎を見ておやっという表情で笑顔を消して(露骨じゃなく)、くるっと背を向けて扇で顔を隠すところ、静かに瞼を閉じた姿が本日も美しくて美しくてリアル光源氏のよう。。。。
そして今日観てはっきりとわかったのですけど、奥殿での素とつくり阿呆の交互の演じ分けは、ラストの方までまったく阿呆に戻る演技をしていないのですね。

菊之助(鬼次郎)&孝太郎さん(お京)のカップルもいいですねぇ~。菊ちゃん、ステキ。奥殿で仁左衛門さんと二人並んだ姿は眩しすぎて眼福も眼福であった。
檜垣茶屋の花道の引っ込みの孝太郎さん、雰囲気たっぷりで見惚れました。
家橘さん。勘解由に対しても大蔵卿に対しても(阿呆にも)温かく情のある鳴瀬だから、自害する場面は切なかった


【人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)】
やっぱりわざわざ観に行ってよかった。
でた菊五郎さんにしか出せない空気
いいなぁ、いいなぁ、もうほんと好きこういう役の菊五郎さん。
なんてあったかくて、とぼけてて、ダメ男なのにかっこよくて(親分!)、粋なのでしょう。

そして時蔵さん(お兼)の旦那はやっぱり菊五郎さん(長兵衛)だよね!
なんちゅー長年の夫婦感。
右近くん(お久)との3人家族、ニヤニヤしちゃいました。

この話、楽しい♪
まっくらなボロでちっさい火鉢にあたって薄っっっぺらな煎餅布団に座る菊五郎さん。
長兵衛の左官服着て(だって一枚しかない着物は長兵衛にとられちゃったからね)屏風からピョコピョコ顔を出す時蔵さん、可愛い 菊五郎さんに団扇で頭はたかれてるし笑。

そしてそして、梅枝(文七)。
今までだっていつ観ても上手かったのに、まだまだ成長し続けているとはなんと恐ろしい。毎回確認している気がするが、まだ20代ですよね。
隣に座っていたオジサマ(知り合いではない)も、見終わって「よかったですね~」と話していたときに「時蔵の倅、しばらく見ないうちにすごくうまくなりましたね~!」と仰っていたわ^^

團蔵さん(手代藤助)、左團次さん(和泉屋清兵衛)、玉三郎さん(角海老女将お駒)。
みんないい人オーラが出ていて、ハッピーな気持ちになった
玉さまはちょっと台詞のイントネーションが危うかったけれど(ああいう言い回しをされる方ではあるけれど)、カッコイイ女将であった♪
配役チェックしていなかったから最後に松緑(鳶頭伊兵衛)が出てきてビックリ。今月見られていなかったから嬉しい。しかも見たことがないくらいずっと笑顔の役であった(人のワルい笑顔なら山ほど見たことあるが)。得した気分笑。

誰も悪い人が出てこない、いい人ばかりのお話。
元は落語なんですね。
観終わった後、すごく幸せな気持ちになれました。こういう神経質じゃないタイプのあったかい幸せは菊五郎劇団だけがくれる幸せなのだよねぇ。
本当に観に行ってよかった。

菊五郎さん、どうかどうかどうか健康にお気をつけて、いつまでもお元気でいてください。本当に。心から。

音羽屋!!!

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芸術祭十月大歌舞伎 『一條大蔵譚』 『阿古屋』 @歌舞伎座(10月16日)

2015-10-17 00:46:53 | 歌舞伎

中日だ千穐楽だと贅沢を言っている余裕のないこの頃の私。
今日を逃したらもう行けない!と行ってまいりました、三ヶ月ぶりの歌舞伎座。
幕見の待機場所とか色々変わってて戸惑った。。


【一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)】
寝坊して開演30分前に着いたのですけれど、80番台で座れました。はぁーよかった。。
感想は一昨年に松竹座で観たときとほぼ同じ。あらためて、、、
仁左衛門さんの大蔵卿が大っ好き 一番好き (といっても他に観たことがあるのは吉右衛門さんのだけだが)。

檜垣茶屋。
桜色着物の腰元衆にかいがいしく世話を焼かれるニザさま。そうそうこれこれ^^。松竹座でもこの光景が大好きだったの~~~。
仁左衛門さんの可愛いポイントは一昨年のレポで書き尽くしたので、今回は割愛。・・・あ、いっこ書いてないのあった!

「太郎冠者のお京あるかや?」
「はっ、御前に」
→大蔵卿大喜び
「次郎冠者の鳴瀬あるかや?」
「はっ、御前に」
→大満足でウキャキャ

かっわい~~~ やっぱり大蔵卿はニザさんだよね!舞台から春風が吹いてくる奇跡の71歳!

花道の七三。
菅原伝授でも吉田屋でも、斜め横から観る七三の仁左衛門さんの立ち姿が私はとっても好きで。今回も美しかった・・・。
今回特に印象的だったのは、鬼次郎に気付いて素にかえったときの扇越しの表情。美しかった・・・(もう美しいしか感想でてこない)。こういうときも仁左衛門さんの大蔵卿はあくまで優雅なのよね。だって源氏方だろうとなんだろうと、大蔵卿は御公家さまなのだもの

奥殿。
一昨年の奥殿の仁左衛門さんは交互に出てくる素と作り阿呆をはっきりと明確に演じ分けていて、あれもリアルなファンタジーを観ているようで大好きだったんですけど、今回はより自然な感じに演じ分けているように見えました。

そして、幕切れの立ち姿と表情の美しさはやっぱり格別。。。すみません、仁左さま、拍手できませんでした。。。どーしてもオペラグラスをおろせなかった。。。(>_<)
この大蔵卿は最後まで自分の状況に対する悲しみや切なさをあまり強調しないのよね。それが吉右衛門さんの大蔵卿との違い。そして私はそんな仁左衛門さんの大蔵卿が好き。
「二十年来長成が作り込んだるこしらえ阿呆。鼻の下の長成と、笑わば笑え言わば言え。いのち長成、気も長成。ただ愉しみは狂言舞」
ニザさま~~~~~~
こんな至芸を1400円で観られるのだもの。歌舞伎って本当に素晴らしい!(でもこれ以上は値上げしないでね・・)

鬼次郎(菊之助)、お京(孝太郎さん)、常盤御前(時蔵さん)、よかったです。
菊ちゃんって怒りの演技、いつも力いれてやるよね、良くも悪くも。今回は本気で「常盤御前許せん!」っていう気持ちが伝わってきてよかったわ~。
時蔵さんの常盤はクール系。この常盤なら淡々と夜な夜な丑の刻参り(違)をやりそう笑。でも魁春さんの常盤の方が情が感じられて私は好きかな。

ここで一旦、外へ。
文七元結にも心惹かれたのですけど、阿古屋の幕見券を買わなきゃだったのと、お腹が空いてしまったので。
がっつり系を食べたかったので、以前孝太郎さんがブログでご紹介されていた「ぐーばーぐ」へ行ってみました。孝太郎さんが食べてたアボ玉チーズバーグwithご飯味噌汁を注文。値段なりのお味ではあるけれど、お腹も満たされ、店員さんも感じがよくて、よかったわ。また行こう。


【壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき) 阿古屋】 
初見です。
なんかよくわからないけど誰にでもできるわけではない女方の幻の演目みたいなイメージがあったので(紅天女@ガラスの仮面みたいな)、こんな変な演目だとは思わなかった。びっくりした。ステキ笑。

「人形ですけど何か?」的に普通に登場する人形振りの岩永(亀三郎)with黒衣2名と、それと普通に会話している人間の重忠(菊之助。今回初役なのですね)。どう考えたっておかしい絵面なのに本人達はいたって平然。こういう真面目に可笑しみが滲み出る雰囲気、菊ちゃん、菊五郎さんに少し似てきましたね。嬉しいわ。
岩永の足はちゃんと宙に浮いてた(自分の足は黒でその上に黄色の偽物の足がのっている)!眉も動く!

そして阿古屋(玉三郎さん)が登場すると、菊ちゃん&玉さまで舞台上はキッラキラ
「立女形でございます」な堂々たる美しさの玉さま、「これからの歌舞伎界はお任せあれ」と言わんばかりの旬な美しさの菊ちゃん、その横にどう考えても絵バランス的におかしい赤っ面人形の亀三郎with黒衣・・・。
なんてシュールなの!これだから歌舞伎って好き!

そんなただでさえおかしい絵面の中にさらにシュールなの登場した・・・!
なに、あれ・・・?外見(奴的な何か)も存在意義も謎すぎて言葉で説明できない。「うきゃきゃきゃきゃきゃ☆」って奇妙な叫び声を上げて突然現れ、阿古屋を囲んだかと思うと、再び叫び声を上げて退場していった・・・。そんな変なモノを目の前にしても平然としている二人+人形振り一名。
阿古屋がこんな演目だったとは。

で、肝心の演奏部分ですけど、長くてちょっとびっくり
この演目の眼目だからなのだろうけれども、玉さまの演奏技術を聴き分けられる耳は私にはなく、曲の内容もよくわからなかったので(詞章の予習をしていく時間がなかったのでaru・・・)、ちょっぴり飽きてしまった。。
玉さま&菊ちゃんの美しさと、亀三郎の小芝居の楽しさで1時間15分もったけど、もし他の配役だったら結構きつかったかも。。
しかし将来女形を目指すチビっこ達はみんな琴&三味線&胡弓を嗜みとして習えばいいのに、と思ってしまうのは私だけかしら。

階段でポーズをキメる玉さまの打掛の裾の広がり、同じく菊ちゃんの袴の流れるような形の美しいこと。。。
菊ちゃんは今回の衣裳(紺色@一條大蔵、黒色@阿古屋)、どっちもすごく素敵だった 品のある色合いと質感がよく似合う。少し痩せた?ぜひそのままキープしておくんなまし。

しかしこの演目の幕見人気の高さよ・・・。
平日の夜にあんなに立ち見がいっぱいだなんて予想外だったわ。昼のニザさまの大蔵卿は一人も立ち見はいなかったのに;;
阿古屋ももちろん観てよかったけれど、今月の観るべき第一はニザさま東京初出の大蔵卿でしょ!??
(すみません、勝手に決めました・・・。決して菊五郎さんや松緑にケンカを売ってるわけでは・・・)
※追記:前楽に『文七元結』行ってきました♪

終演後は、いわて銀座プラザへ。


・国産イワシ生姜煮
・国産秋鮭スモークサーモン
・サンマの一夜干し(塩)
・さんますり身汁
・バター餅
これだけ買っても千円いくかいかないか(助成金で三割引中)。安い 

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「ヨハネス・ブラームス」

2015-10-15 00:02:56 | クラシック音楽

アンサイクロペディアの「ヨハネス・ブラームス」の記事がなにげに秀逸・・笑

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鞠子のとろろ汁

2015-10-13 00:12:37 | 


広重「隷書東海道・鞠子」


 丸子のとろろ屋 丁字屋 は当時まだ開店していなかったので、ここの主人と懇意な人に頼んで貰って、その日だけ私達三人の為に店を開いて貰った。前日私は自転車を走らせて山芋以外の材料一切――米、麦、味噌、塩、醤油、鰹節――を届けておいた。これがその日特別にとろろ汁を作って貰うについての条件であった。
 その頃の丁字屋は、今では想像もつかない街道筋のうらぶれた粗末な藁屋根の一軒家の茶店で、広重の保存堂版 東海道五十三次 の中の 鞠子 そのままの情景であったし、十返舎一九の 東海道中膝栗毛 の一場面そのままのたたずまいを残していた。
 私達三人は店先の囲炉裏のある部屋で、麦飯に名物とろろ汁をたっぷり掛け、塩辛い田舎沢庵を添えて昼食をした。…
 丁字屋の主人夫婦は私達の眼の前の土間の片隅で麦飯を炊き、とろろを擂り、葱を刻み、沢庵を拍子木に切った。先生はその有様を興味深く、黙々と一部始終眺めていた。
 食事を終えて外に出ると、先生は、
 「如何にも街道の茶店といった粗末なたたずまいと、眼の先の土間で主人夫婦が名物のとろろ汁を作ってくれるってところが気に入りました。まさに広重や一九や黙阿弥の世界ですな」
 と言われ、更に、
 「小宮(豊隆)がいつか、戦時中に丸子でとろろ汁をたべたと言っていたが、話の様子でどうもそれは昔からの茶店ではなく、比較的近来できた料亭のような家だったらしい。私は本家本元でたべたのだから、今度会ったら自慢してやらなきゃならない。」と言われた。
 (『中勘助の手紙 一座建立』 稲森道三郎)


昭和二十二年十一月のある日の記述。

絵画や歌舞伎の演出で私が一番好きなのは雪で、広重の描く雪景色も好きで好きで好きで。
次に好きなのは、食べ物の描写で(食い意地が張ってるのでね)。浮世絵などに出てくる食べ物が好きで好きで好きで。
いいなあ、美味しそうだなぁ、とろろ汁。丁字屋って今も鞠子にあるんですね。現在の建物は1970年(昭和45年)に移築されたものだそうなので、勘助達が食べた建物とは違いますが。
勘助が最初の一年半暮らした家(杓子庵)も残ってるし、静岡、遊びにいきたいなぁ。伊豆は毎年行ってるけども。
日帰りで行けなくもないかもだけど、どうせなら泊まりたいわ。



広重「東海道五十三次・丸子」
このお店が丁字屋さんだそうです。


アッシジの聖フランチェスコ聖堂にあるジョットの壁画「小鳥に説教する聖フランチェスコ」。
勘助が「古今東西を通じて最も好きな絵の中の一つ」と言っていたそうです。
小鳥、好きですもんね
他には鈴木春信の絵なども好きで、「雪中相合傘」を題材に詩を書いたりしてます。

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ロンドン交響楽団 @東京文化会館(10月5日)

2015-10-06 13:53:25 | クラシック音楽

先日のミューザに続き、行ってきました。
ロンドン響日本ツアー最終公演の、東京文化会館。
歌舞伎でもバレエでもミュージカルでも能でも文楽でも、初めてその面白さ、魅力を教えてくれた人というのはやっぱりすごく特別で。
クラシックではそれがハイティンク&ペライアでしたから(オケはシカゴ響だったが)、ハイティンクのご年齢を考えると再びこのお二人が一緒に演奏している姿を確実に見られるという保証は。。。。
なので、行ってきました。チケットショップで入手して。安席しか買えないのでね。。

「パーセル(スタッキー編): メアリー女王のための葬送音楽」
映画『時計仕掛けのオレンジ』で現代風にアレンジされて使われた曲だそうですが、私は今回初めて聴いたので興味深かったです。
はっきりと葬送音楽なのだけど、どこか若々しいロマンティックさも感じさせる曲。
調べてみたらなるほど、メアリーは32歳で亡くなり、この葬送曲を作曲したパーセルもその翌年に36歳で亡くなっているんですね。後半の金管は、彼女が逝った場所の天国的な美しさと、遺された者の悲しみと痛みが、ちょっと言葉で表現の難しい凄みと透明感を伴って感じられました。

「ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第4番 ト長調 op.58」
先日のミューザのモーツァルトでは、ペライアとオケとの間に隙間を感じてしまった私。
今日のベートーヴェンはとてもよかったです。なにより(私の)来てほしいところに来てほしい音をオケがくれていた。ペライアも先日より安心して弾いていた、ように見えた。先日はちょっとイラってたように感じられたので(私の心がそう見せたのかもだが)・・・。ピアノソロに耳を傾けているハイティンクの後ろ姿も美しかった(だって鍵盤を見てると必ずハイティンクが視界に入るのだもの^^;)。
ピアノの弱音の抒情の豊かさ、胸が苦しくなるような深みのある透明感・・・・・素晴らしかったなぁ・・・・・・・・。基本は客観的で端正なのに、演奏が進むにつれどんどん彼自身が曲に沈み込んでいくところがとても好き。
ロンドン響の音は今夜も最後まで私の好みとはいえませんでしたが、今夜はピアノとオケとハイティンクの会話が先日よりちゃんと聴こえてきたので(私にはそう感じられたので)、いい演奏だったと思います。美しかった。
そして演奏後のハイティンク&ペライアのお二人の姿に、やっぱり大好き(*^_^*)と感じました。
またぜひお二人一緒に、日本にいらしてください!!!

「ブラームス: 交響曲第1番 ハ短調 op.68」
今夜は先日のブルックナーのような息を止めて圧倒される感覚(ブルックナーの心がホール中に広がっていくようなあの感覚)とは違ったのですが、第四楽章で思いがけず心動かされました。あの楽章はおそらく誰が演奏してもそれなりに感動的になるのだろうとは思いますが、すごくハイティンクさんに合っていた。第一主題、ベートーヴェンの歓喜の歌に似てるという指摘をブラームスは一蹴したそうですが、でもやっぱり聴いたときの感覚はとてもよく似てる。土台に厳しさはしっかりある上で、素朴で、明るくて、でも第九よりも女性的な優しさを感じさせる、この上なく美しい人生讃歌。
ハイティンクがインタビューで言っていた「Life is ok.」という言葉と声を思い出しちゃって。。。
彼の指揮でこれを聴くことができてよかったです。
温かいブラームスに、本当に「人生って悪くない」って思えました。

終わってみれば二日ともいい演奏会だった。
クラシック素人の私には色々学べて、大きな大きな感動ももらえて。

あ、楽屋口のお見送り、今夜だけ、参加させていただきました。
ハイティンクさんには私は本当に感謝の気持ちでいっぱいなので、心の中でありがとうございましたと言ってきました。エスパーじゃないから伝わってないでしょうけど^^;
ぜひまたお元気で来日されてくださいね。

昨夜も今朝も電車は人身事故で(ここからは6日の朝に書いてます)。目の前の現実生活とは別の次元にある、けれど密接に影響し合っているこういう美しさにもっともっと気軽に沢山の人が触れられれば、もう少しだけそういう悲劇も減るのではないかしら。と思うにつけ、世界の一流オケの演奏に貧富の差なく誰でもが(数百円さえ払えれば)触れられるプロムスの素晴らしさと、我が国の文化一般に対する(特に一部の政治家などの)意識の低さを思い、悲観を覚えるのです。
何度も何度も言っちゃいますが、文化を大切にしない国に未来はありません

ところで今夜の東京文化会館では、先日のミューザに聴きに来られていた方達って素晴らしかったんだな・・・と思い知りました。
先日のミューザは日本で初めて行ったクラシックコンサートだったので(イスラエルフィルはどちらかというとバレエ公演でしたし)、日本のクラシックの観客ってこんなに素晴らしいのか!と感動したのです。
あの静寂。あの集中力。あの中であのブルックナーが聴けたのは幸福でした。
今日の東文は色んな人がいた。。。演奏中にプログラムをパラパラずっと読んでたり(読んでないときは寝るか咳するか前傾姿勢の繰り返し)、ひどかったのはブラームスの静寂のときに1階席前方でピココン♪って携帯音が鳴りましたよね・・・。コンマスがハッて厳しい視線を向けたのが見えちゃったから、私が「ゴメンナサイ」って気分になっちゃったよ・・・。

次回のクラシックは、来年のシカゴ響。8年ぶり!もちろん安席ですけど(それでもあの時の15倍)。。。。。。。
そして今月は仁左様のバカ殿さま~@歌舞伎座♪♪♪

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ロンドン響のコンマスさん Roman Simovic

2015-10-04 19:29:31 | クラシック音楽

Hangout with Roman Simovic


ロンドン交響楽団の現在のコンサートマスター(リーダー)、Roman Simovićさん
先日のミューザはハイティンクとこの方をちょうど正面から並んで見られる席だったのですけど、いやぁ見ていて面白いこと面白いこと。二人のノってきてる過程が手にとるようにわかって。ブルックナーの後半、この方、ものすごーく楽しそうな表情で演奏されてました。ほとんど腰が椅子に落ちつかず、指揮者よりも遥かに動くコンマスであった。THE音楽オタクって感じ^^
演奏後に二人が満足そうなニコニコ笑顔で握手している様子も、温かい気持ちになりました

※この動画、音が大きくなったり小さくなったりするのでご注意くださいまし~

※この方の名前をググってみたら、バービカンのこんなページに。。。ゲルギエフ指揮で£10ですか、そうですか。。。
※同じくバービカンでこんなのも。今回の来日ツアーと全く同じプログラムで£10ですか、そうですか。。。知ってたけどね。。。

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ロンドン交響楽団 @ミューザ川崎(9月30日)

2015-10-03 00:56:58 | クラシック音楽






クラシックの楽しさと美しさを教えてくれたお二人(ベルナルト・ハイティンク&マレイ・ペライア)に7年ぶりに再会してまいりました(知り合いじゃないが)
ちなみにワタクシのクラシックコンサート鑑賞歴は、次のとおり。
2008年 シカゴ響@ロンドン @Royal Albert Hall ※Bernard Haitink、Murray Perahia (Pf)
2008年 ロンドンフィル@ロンドン @Royal Festival Hall ※Vladimir Jurowski、Hélène Grimaud(Pf)
2008年 フィルハーモニア@ロンドン @Royal Festival Hall ※Vladimir Ashkenazy、Simon Trpčeski (Pf)
2014年 イスラエルフィル@東京 東京文化会館 ※メータ
ザッツオール
このうちロンドンフィルとフィルハーモニアはシカゴ響に感動した勢いであの感動をアゲイン!とチケットを買ったのだったが、同じ感動をもらうことはできず、演奏もほとんど記憶に残っておらず(咳の嵐の客席だけをよく覚えてゐる・・・)。あの頃はクラシック音楽が指揮者やオケによってこれほど演奏が変わるとは知らず、なぜあのロイヤルアルバートホールでの演奏にはあれほど感動したのに今回は感動できないんだろう?と不思議だった・・・。そしてイスラエルフィルのときは、目的がBBLでしたし。あ、バレエ公演はほぼ生オケで観てますが。
なわけですので、以下は末尾に全て「~と超ド素人の私には感じられた」と脳内補完してお読み願いますです。

ハイティンクとペライアって似てる、と思うのです。
7年前にペライアのピアノを初めて聴いたとき、「とてつもなく美しい光の粒が降り注いでくるよう」だと感じました。モーツァルトのピアノ協奏曲24番は短調ですから闇を感じさせる曲ではあるけれど、ペライアの指から紡ぎだされるそれはやっぱり「光」で。でもそれは暗闇を知らない光ではなく、闇と共にありながら、それでもなお柔らかさと軽やかさを放つ、そんな光。
上の映像でハイティンクが「ペライアが弾くと、突然曲の意味が明らかになり、人生が素晴らしく見えるのです(okですから、正確には人生も悪くないと思える、でしょうか)」と言っているけれど、すごくよくわかる。そしてそれと同じものを、私はハイティンクに対しても感じるのです。

死ぬ前に聴きたいのはこういう音楽だなぁと思う。決してドラマティックな人生ではなかったとしても、辛い事もいっぱいあったとしても、最後には「だけどそれでも、美しい世界だったな」って心から思えそうな、そんな音楽。それは神の世界の美しさではなく、この地上の、人間の世界の美しさなのだと思う。『かぐや姫の物語』でかぐや姫が最後に振り向いたときに見る、ありのままの地球の美しさ。闇も体温もともなった、地上の世界の美しさ。
ハイティンクが若い指揮者たちを指導したときに、ブルックナーの交響曲第7番を振る生徒に、「神ではなく山について、もっと考えを巡らせなさい」と言ったそうです。その言葉がすごく納得できる、そんな音楽。

30日の演奏について。

「モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調」
私はクラシックには全く無知ではありますが、ロンドン響はおそらく一流と言われる楽団の一つなのだろうと思います。
けれどこの夜のロンドン響とペライアのモーツァルトは、互いが互いの良さを増幅し合うような、高め合うような演奏をできてはいなかった、ように感じられました。。オケと指揮者のどちらが理由かはわからないけれど、ペライアの音にオケが応えきれていないように感じられたのです。私には(←小心者^^;)。もちろんそこには聴く側の好みもあると思うけれど。。
んー、指揮者とピアニストの間ではどうだったんだろう。短い時間なのでよくはわからなかったけれど、この二人は通じ合っていた、ような気もするし、そうでなかったような気もするし(時々ペライアがもどかしげに見えたのは気のせいかしら)。
コンチェルトって、主になる楽器とその他の楽器が掛け合いのように演奏をするじゃないですか。その二つの個性が相乗効果で高まり合って、融け合って、天上の美しさを見せてくれるのがたまらない魅力なのだと思うのです。そして7年前のシカゴ響×ハイティンク×ペライアのときは、それがはっきりと感じられました。
でもこの夜はピアノに比してオケの主張があまりに控えめで・・・。好意的に捉えればそれがこの団の個性なのかもしれないけれど、協奏曲としてはどうなのでしょう・・・。
とはいっても、ペライアのピアノはやっぱり私の大好きなピアノでした。この夜は7年前の自在で軽やかな光というのとは少し違い、闇の方をより強く感じたけれど、それでも最後に残ったのはやっぱり光だった。上の映像でペライアはこの曲を「一番好きなレパートリー」と言っていますね。全体としては決して私の理想的なコンチェルトではなかったにもかかわらず、それでも大満足と思えてしまうのは、自分はこの人のピアノがやっぱり好きなのだなぁ、と再確認できたから。

「ブルックナー:交響曲第7番」
7年前のシカゴ響でモーツァルトとセットだったのが、ショスタコーヴィチの交響曲4番でした。それも素晴らしい演奏だったのですが、だからこそといいますか、当時の私、「このオケならどんな指揮者が振ってもそれなりに高水準の演奏を自力でやれちゃうのではなかろうか」とも思ってしまったのでございます。なにせまともにオケを聴くのは初めてでしたから、指揮者とオケがどの程度影響し合うものなのかが全くわかっておりませんでした。言い換えれば、どこまでが指揮者の力でどこからが奏者達自身の力によるものなのかが素人にはわかりにくいほど、オケ自体(奏者達)の表現力が豊かに感じられたんです。
で、今回。前半のモーツァルトでは表現が控えめだったロンドン響の皆さんとハイティンクによるブルックナー7番。
ド素人のワタクシは当然この曲を聴いたことがございませんでした(威張ることじゃない)。
しかしチケットを買ってから、「やっぱり予習くらいは」とCDを聴きました。有名指揮者による有名楽団の録音です。
1回目:1楽章の途中で寝ました・・・
2回目:2楽章の途中で寝ました・・・
結局一度も最後まで聴き終えることなく、当日になってしまいました。まぁ今回のワタクシのお目当ては前半のモーツァルトでしたから、ブルックナーに関しては「寝てはいけない」くらいが今夜の目標でありました。

それがまさかの―――


ものすごく感動した。。。。。。。。。。。。。。。


正直最後まで、ロンドン響の音は本当の意味での私の好みとはいえなかったのですけれど(なんというか、個々の音楽的な主張の少なさのようなものが・・・)。
でも、すごくよかった。。。
第1楽章の半ばあたりまではワタクシ、割と醒めて聴いておりました(ただし最初の弦のトレモロの美しさにはゾクゾクした)。「やっぱりこの楽団は私には合わないんだわ。ハイティンクさんもどうも7年前のようではないし」と。
でもなぜか第一楽章の後半あたりから不意に音に変化が感じられて、「ん?なんかハイティンクさん、ノってきてるような…?」となり、「あれ?なんかオケ、それに応えようとしてる?」となり、CDの時にはとうに睡魔に襲われていた第二楽章ではすっかり私の体は前のめりに(周りの迷惑にならない席でしたので)。そしてそこから最終楽章のラストまで、大きな波に攫われるように一気に連れて行かれました。興奮してるのに呼吸とめちゃって、よく呼吸困難にならなかったわ^^;

何が言いたいかと申しますと、オケでの指揮者の役割というものがすごくよくわかった公演だったのです。
指揮者という存在がどんな風にオケの可能性を引き出し、どんな風に彼らをコントロールし自分の望む場所へと誘導し、そしてどんな風に全体としての大きな宇宙(70分間の一交響曲の世界)が作り上げられるのかがわかった気がした。
指揮者の一本の棒の動きでどんどん奏者が変化していく様子が、目に見えるように伝わってきた。
指揮者の意思を奏者が正確に理解して音で応え、指揮者にそれが伝わり、双方が心からその演奏を楽しんでいるその熱がステージから伝わってきた。ロンドン響ってこんな演奏もやれるのか、と驚いた。
7年前のシカゴ響が私にある種の芸術の高みをみせてくれた演奏だったとするなら、この夜のブルックナーも間違いなく、芸術の高みの一つの姿だと思った。
歌舞伎を観ていると時々、わかりやすく大袈裟な演技をすれば客は感動すると勘違いをしているらしき役者と、それを熱演と受け取り大喜びしている観客を見かける。でも本当の「熱さ」って「激しさ」ってあんな薄っぺらい表面的なものではない(ということを同じく歌舞伎から教わった)。おそらくクラシックの世界にもそういう現象はあるのではないかしらと想像するのだけれど、この夜のロンドン響は最後までそういう演奏をしなかった。それが私にはとても心地よく。それはおそらくハイティンクがそういう指揮者だからではなかったろうか、とド素人の私は勝手に想像するのです。

この曲を作曲したブルックナーの“心”がミューザのホールいっぱいに広がったように感じられた。
それを見せてくれたのは、ハイティンク。
あんなに空席が多かったのに(サントリーホールは完売でしたが、ミューザはかなり空席があったのです。3階席なんてガラガラだった)、あんなパフォーマンスをしてくれたハイティンクさんに本当に感謝。それだけの金を払ってるんだから当たり前だろと思う人もいるかもしれないけど、それが決して当り前ではないことを私はここ数年のアホみたいな数の舞台鑑賞経験を通して知っております。
まさに“渾身のブルックナー”。随分大仰だなと聴く前は思ったこのコピーに偽りなしだった。

ところで、クラシックコンサートって安易にスタオベしないのですね。とてもいいと思います。だがしかし習慣のようにカテコやスタオベをするのには全くもって反対ですけれど、「これだけのものを聴かせてもらったのに拍手だけなんてありえん」と心底思い、一人でも立ち上がってしまおうかと思いかけたのです。でもクラシックコンサートのマナーにまったく詳しくない新参者が、本物の長年のクラシックファンの方々の気分を害していい権利はどこにもない。郷に入っては郷に従え。
と一階席の方々の様子を高層階から大人しく見守っておりましたところ、数回目のカテコで一番前の真ん中に座っておられたオジサマ(この方、すんごい楽しそうに演奏を聴いておられた)が不意にとてとてとてっと通路へ小走りに移動され、スタオベされました。ふと見ると、サイドの(後ろの迷惑にならない)席の方達も立っていて。そこで私も安心して立ちました(同じくサイド席でしたので)。そしたらすぐに隣の男性も立った♪
やっぱり感動した気持ちはわかる形で伝えたい。
ちなみにそのオジサマ、客電がついてオケもはけて客が帰り始めた後も一人率先して拍手をされていて、そしたらハイティンクさん、もう一度出てきてくださいました。そのとき周りに残っていた客が駆け寄っていて、いい光景だったな(*^_^*) 

ハイティンクさん、舞台袖にはけられるとき、少し足をひきずり気味でした。演奏を終えた途端に急に実年齢に戻られたというか、力を使い切ったという感じで。曲の間は、楽章と楽章の間のわずかな時間座るのみで、ずっと立っておられました。
86歳なのですね。私の祖母と一歳違いです。
にもかかわらず、今夜のブルックナーに悪い意味での老いは全く感じなかったなぁ。
舞台の上にいたのは紛れもなく、一人の芸術家の姿でした。

※LSOのtwitterでこの夜のブルックナーを"magisterial performance"って言っていましたけど、こういう表現もあるんですねー。英語から遠ざかりすぎな私。。

※今回のプログラム(私はお財布が限界なので買っていないけれど)の中でハイティンクは「(ブルックナーの中で)特に気に入っているのが第7番です」と語っているそうです。

【KAJIMOTO】
●ロンドン響来日直前!Vol.1―― ハイティンク、ペライアからの動画メッセージが届きました。
●ロンドン響来日直前!Vol.2 ――ハイティンクとロンドン交響楽団
●ロンドン響来日直前!Vol.3 ―― ハイティンクの来日歴
●来日公演に向けて / ロンドン響の現在(6・最終回)~ ハイティンクとともに達した高み

ハイティンク・ロンドン響 至福の瞬間 ブルックナー7番(毎日新聞)



Mozart - Piano Concerto No 24 in C minor, K491 by Murray Perahia

こちらが、7年前のPromsの録音です。BBC radioより。私のダビングの下手さとyoutubeにアップするためのファイル変換でだいぶ音質が下がってしまいましたが。。。ヘッドホンで音量上げて聴いてね^^;
ペライアが20年ぶりにPromsに帰ってきた記念すべき夜の演奏でもあります。しばらくしたらたぶん撤去すると思いますので、ご興味のある方はお早目にどうぞ。


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