風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

オスカー・ワイルド 『サロメ』

2011-04-18 23:27:57 | 



あゝ!ヨカナーン、ヨカナーン、お前ひとりなのだよ、あたしが恋した男は。ほかの男など、みんなあたしには厭はしい。でも、お前だけは綺麗だった。…この世にお前の体ほど白いものはなかった。お前の髪ほど黒いものはなかった。この世のどこにもお前の口ほど赤いものはなかった。お前の声は、不思議な馨りをふりまく香炉、そしてお前を見つめてゐると不思議な楽の音がきこえてきたのに!あゝ!どうしてお前はあたしを見なかつたのだい、ヨカナーン?手のかげに、呪ひのかげに、お前はその顔を隠してしまつた。神を見ようとする者の目隠しで、その眼を覆うてしまったのだ。たしかに、お前はそれを見た、お前の神を、ヨカナーン、でも、あたしを、このあたしを……お前はたうとう見てはくれなかったのだね。

(オスカー・ワイルド 『サロメ』 福田 恆存訳)

震災後初の更新としては少々不謹慎な内容かもしれませんが――。
先日、国立西洋美術館で開催中の『レンブラント 光の探求/闇の誘惑』展に行ってきました。
これまでも自画像や夜警など機会があれば見るようにしていた画家で、とても好きな画家なのですが、今回作品をまとめて見て………西洋美術にキリスト教の知識って本当に本当に本当に必要なのだな、と改めて実感させられました……。
実は私、大学時代にバプティスト色の非常に強い地域に留学してしまったことがあり、それ以来軽くキリスト教アレルギーだったのです。遠藤周作の『沈黙』などは結構好きな作品ではあるのですが、それでも大学時代のトラウマは消えず。
ですが今回レンブラント展に行って、やっぱり聖書の最低限の知識は西洋の文学や美術を楽しむために必須だと痛感し、旧約・新約聖書に関する本を10冊ほど図書館で借りて読んだのです(聖書そのものは読んでいません)。そして妙なこだわりを捨てて読んだところ…、聖書って意外と面白いのですね!特にイエスは思っていたよりずっと人間らしい面があったことを知り、興味深かったです。何事も食わず嫌いはいかんな、と改めて思った次第です。

で、大学の授業で習った記憶はあるけれど皿に載った首以外はほとんど覚えていなかったワイルドの『サロメ』。聖書の物語を知った後で改めて読み返したわけですが……、いやぁ、素晴らしいですね!
エロド王はサロメを見、サロメはヨカナーンを見、ヨカナーンは神を見ている。このぞっとする妖しさ、美しさ、狂気。すごく好みです。ご存じない方のために粗筋を言いますと――。

ヨカナーン(=洗礼者ヨハネ)は、ユダヤのエロド王(=ユダヤ領主アンティパス・ヘロデ)が異母兄の妻エロディアス(=ヘロディア)を娶った事を非難したことにより、投獄されています。そんなヨカナーンをエロディアスは強く憎んでいますが、夫のエロド王が預言者としてのヨカナーンに畏怖の念を抱いているため、殺害することができないでいました。一方エロディアスの娘(前夫との子)サロメは、囚われの身であるヨカナーンに恋をし、色仕掛けで誘いますが、言下に拒絶されてしまいます。そしてその夜、宴の席で美しい踊りを舞ったサロメは、感嘆したエロド王から「望みのものを何でも与えてやる」と言われ、「ヨカナーンの首」を所望します。ヨカナーンを畏れるエロド王は幾度も「他の物ではだめか?」と尋ねますが、サロメは頑として譲りません。王は、皆の前で公言した言葉を取り消すわけにはいきません。こうしてヨカナーンは斬首され、その首に口づけるサロメ。その姿に空恐ろしさを感じた王が兵にサロメの殺害を命じたところで、物語は終わります。

ちなみに上の絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチの《洗礼者ヨハネ》。
色っぽいですねぇ。宗教に生きた男がこんなに色気があっていいのか?と思ってしまいますが、この絵、ダヴィンチが同性愛者だった弟子をモデルに描いたという説もあるとか。
一方、ワイルドの描く(サロメの口を通して語られる)ヨハネも相当に色っぽい。そこはワイルドですから。ちなみに『サロメ』を英訳したのは、ワイルドの同性愛の恋人でした。
なんだかダヴィンチの絵とワイルドの小説のせいで、私の中のヨハネのイメージはすっかり……・・ごにょごにょ……・・。
敬虔なキリスト教徒の方、不快な思いをされたらすみませぬ。。。って最後に言うなって感じですね、すみません。


ビアズリーによる『サロメ』の挿絵


最後はほっこりとこの絵で^^
ムリーリョの《貝殻の子供たち》
左の子がイエスで、右の子がヨハネ。
ヨハネはイエスより数ヶ月だけ年上です。

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