風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

龍村仁監督

2023-01-08 20:42:07 | 映画

龍村監督が1月2日午後3時に亡くなられたことを、先ほど知りました。

これまでも何度かこのブログに書いていますが、10代半ばから今日までの30年間、谷川俊太郎さん、中島みゆきさんとともに、私にとって「この人がいてくれたから生きてこられた」という大きな大きな恩人のお一人です。

直接言葉を交わせたのは恵比寿で一度だけでしたが、その後の明治神宮での連続上映会のときに休憩時間に外で風にあたっていたら他に誰もいなくて、そしたら向こうから監督がこちらに向かって歩いてこられて、うわ、どうしよう…!と内心ドギマギしていたら、まっすぐ私の目を見てニコッと笑いかけてくださって。嬉しかったな。明治神宮に行くといつも、思い出します。

とてもスケールが大きくて、飾らず格好いい、素敵な方でした。

今はまだ言葉が浮かびませんが、ただひたすらに心からの感謝を。

本当にありがとうございました。

 

 

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『ネバー・クライ・ウルフ(Never Cry Wolf)』

2022-08-25 22:05:15 | 映画




"You are the most beautiful girl I've ever seen in my life."

という言葉を、むかし言われたことがあるのですよ、わたし。
デナリからフェアバンクスに向かうバスのドライバーの男性から。
この区間は事前に予約してあった小さなマイクロバスを利用したんですが、高速道路のガソリンスタンドで休憩があって、駐車場で風にあたっていたらドライバーさんも煙草休憩をしていたので雑談したんです。
そこに大型バスが停まって日本の観光ツアーの方達が20〜30人おりてきて、「彼らはチャーター便で来てグループで周るから僕も担当することがあるけど、君はそうじゃないんだね」と。
確かカナダ人の男性で、彼も旅が大好きで、休暇のときは何ヶ月間も海外を旅するのだと言っていた。旅するために働いているとも言っていたような。
フェアバンクスに着いたら各宿泊先まで送ってくれるのだけど、最後が私の泊まるB&Bで、別れるときに冒頭の言葉をくれたのでした(笑)
いやらしい感じは全くなく、いかにも自然や旅が好きそうな、ワイルドで優しげなオジサマだったな(私と歳変わらなかったかもしれないが)。

なぜそんなことを思い出したかというと、先日、映画『ネバー・クライ・ウルフ』(1983年 ウォルトディズニー)を観て、そしてその原作となった同名の本を読んで、その中の空気がこのときの駐車場で風に吹かれていたときの感覚を思い出させたからです。人間が誰もいない大自然の中にいたときの感覚ではなく、なぜかこのときの空気を思い出したのでした。
あの映画(本)ってオオカミや極北の大自然を描いているけれど、同時に人間のことも描いていますよね。人間と自然の関係について問いかけている。

私がアラスカに行こうと思ったきっかけについて、このブログに書いたことはあったろうか。
もちろん一番の理由は星野道夫さんだけど、旅行することに決めた直接のきっかけはオオカミなんですよ。
あの夏、私はアイルランドの短期留学を申し込んでいたんです(長い夏季休暇をとれる会社だったので)。お金も払い込んでありました。それがある晩、夕飯を食べながらNHK教育テレビの動物のドキュメンタリーを何気なく見ていたら、その日はアラスカのオオカミ特集で。そこで映っていたオオカミという生き物の美しさにひどく惹かれてしまい。アラスカは10代のときに星野道夫さんに出会ってからいつか必ず行きたいと思っていた場所で、行くならツアーではなく一人で行きたいと思っていた。でも当時の私は海外一人旅なんてしたことがなくて。でもすぐに思ったんですよね。「死ぬまでに絶対に行きたいと思っている場所なら、いつかではなく、今行こう」と。そして直前で旅行先をアラスカに変更したのでした。

で、無事デナリでオオカミに遭遇することができたわけですが、そんな感じで旅行に行ってしまったので、私はオオカミという動物やその歴史について、殆ど何も知らなかったのです。
こちらは、アラスカで買ったお土産の一部↓


一つは、オオカミだと思って買ったヌイグルミ。でもよく見るとこれ、ハスキー犬じゃね…?まあ可愛いからいいわ。
そして、パラパラと見て写真が素敵だったので買った『A Society of Wolves』という本。


仔オオカミの写真、かわえ~
でもこの本の中には、こういう写真も・・・↓



ここでようやく、この本の副題が「National Parks and the Battle over the Wolf」であることに気づいたのであった。
しかしこの本、写真も多いけど、文字もいっぱいで。
印刷物なのでコピペでweb翻訳にかけることができず(今ならスマホのカメラアプリで翻訳できるけど)、辞書片手に読む気力がなかったので、ずっと本棚の積読になっていたのです。そして今回『ネバー・クライ・ウルフ』を観て&読んでからこの本の存在を思い出してざっと読んでみたところ、ドンピシャで重なる内容が書かれてあったのでありました。
オオカミという動物がどれほど西洋で不当に忌み嫌われてきたか、恥ずかしながら私、これまで殆ど知らなかったんです。
この本に書かれてあるのは、彼らに対する殺戮の歴史と、再導入について。
当たり前ですが、これは「オオカミが可哀そうだから殺してはいけない」とか「どんな動物の命も大切だから守る必要がある」とか、そういうシンプルな問題ではありません。
この問題には自然環境と、政治と、経済と、人々の感情が複雑に絡み合っている。
そして映画でも描かれているように、極北の大地も動物達もイヌイット達も、文明世界と無関係ではいられない。
結局これはオオカミ側に原因があるのではなく、人間側の問題と言っていい。
そうであれば、映画のラストでマイクがタイラーに「This thing that's happening is too big for you.(この問題はあなたには大きすぎる)」と言ったのは、ある意味真実で。
でも最後に、タイラーはこんな風に言う。「In the end, there were no simple answers. No heroes, no villains. Only silence. But it began the moment that I first saw the wolf. By the act of watching them, with the eyes of a man, I had pointed the way for those who followed. (結局、単純な答えはなかった。英雄も、悪人もいなかった。あるのは沈黙だけだった。しかし、私が初めて狼を見た瞬間からそれは始まっていた。私は人間の目で彼らを見ることによって、後に続く者達に道を示したのだ)」(英語で観たので、誤訳があったらすみません…)。

この問題に対する意見は私の知識量ではまだ何も言えないけれど、専門家ではない私にできることは、単純に白か黒かを決めつけるのではなく、専門家が提示してくれる科学的データを学び(科学は万能ではなくとも大いに参考になる)、一つの情報を鵜呑みにするのではなく異なる情報にも幅広く関心を持ち、それらを自分の頭で考えてみること。それだけでも大きな意味があると思う。それだって決して簡単なことではない。
『ネバー・クライ・ウルフ』が書かれてから60年。今では科学的データも更新されている。でも当時世の中に対してこの問題が提起されたことだけでも、この本が書かれたことには大きな意味があった。築地書館版の「訳者あとがき」の中でこの本がレイチェル・カーソンの『沈黙の春』に重ねられているのは、もっともだと思う。

デナリで買った本『A Society of Wolves』の一番最初のページには、こんな言葉が書かれてあります。

If you talk to the animals they will talk with you
and you will know each other.
If you do not talk to them you will not know them,
and what you do not know you will fear.
What one fears one destroys.
(Chief Dan George)

もしあなたが動物達に話しかけたら、彼らはあなたと話すでしょう。
そして、お互いを知ることができます。
もしあなたが彼らに話しかけなければ、彼らを知ることはできません。そしてあなたは、知らないものを恐れるでしょう。
人は、恐れるものを破壊します。
(チーフ・ダン・ジョージ)

これはオオカミについてだけでなく、あらゆることについて言えることだと思う。

『A Society of Wolves』の売り上げの一部は、オオカミの保護団体に寄付されているそうです。アラスカの大自然の中にいるオオカミの姿を自分の目で見られたことに満足してこの本を今日まで放っておいてしまったことにちょっと罪悪感を覚えていたので、僅かでもオオカミ達に貢献できたのならよかったです。。


Backstage Pass - Never Cry Wolf

映画『ネバー・クライ・ウルフ』の撮影裏話。何が驚いたって、あのイヌイットのウテックとマイク役のお二人、演技未経験だったんですね タイラー役のチャールズ・マーティン・スミスが言っているように、彼らの自然な存在感と演技、素晴らしかった。
そして今知ったけど、チャールズ・マーティン・スミスって『アンタッチャブル』に出てたのか

Films That Matter To Me: Never Cry Wolf(vimeo)
こちらは裏話というより、この映画の監督や音楽などについて、ファンの方(アメリカの大学の環境学の教授)が熱く語っています。
個人的には、セスナから氷原に一人降ろされた後の場面で冬の極北でウールの手袋はないだろうとか結構気になってしまったが、まあ些細なことです。

アラスカにおけるオオカミのハンティング問題(日本オオカミ協会)
書評「狼が語る: ネバー・クライ・ウルフ」(同上)
世界が見ている「日本でのオオカミ復活」そして「知床の未来」(同上)

ラジオドラマ:星野道夫 『旅をする木』第2話「オオカミ」
先ほど見つけたこのラジオドラマ、とてもよくできているので、『旅をする木』を読んだことがある方もない方も、ぜひ

そうだ、一番肝心なことを書き忘れていた。
私が『ネバー・クライ・ウルフ』を知ったきっかけは、中島みゆきさんが夜会『リトル・トーキョー』を理解したければこの映画を観て!と仰っていたからです。みゆきさん、ありがとう

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『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』2

2021-09-26 10:28:00 | 映画

三島は『美と共同体と東大闘争』の後記「討論を終えて」の最後をこんな風に結んでいます。

私は彼ら(全共闘)の論理性を認めるとしても、彼らのねらふ権力といふものがそれほど論理的なものであるとは考へないのである。そして彼らが敵対する権力自体の非論理性こそ、実は私も亦闘ふべき大きな対象であることは言ふを俟たない。もし万一私がその権力を真に論理的なものとすることに成功したときに、三派全学連もまたその真の敵を見出すのではなかろうか。

まず闘うべきは、権力の非論理性。これは今の時代にも通じることのように思います。

ところでこの後記で三島は「私がこのパネル・ディスカッションのために用意した論理の幾つかを次に箇条書きにしてみよう。」と、時間の連続性、政治と文学、天皇の問題などの5つの論点を列記し、それぞれについて自身の考えを再度整理しながら述べています。実際の討論もほぼこの5つの議題に沿って進んでいたので、討論会を開催するにあたってこれらの議題が事前に両者の間で決められていたのでしょう。

三島は「その2時間半のうちに十分に問題点を展開し得なかつたのには私の責任もあつた。私はむしろもつとよく問題を整理し、一つ一つの問題の発展に留意すべきであつた。」としています。どこまでも真面目で謙虚な人だなあと思うと同時に、自分の子供くらいの年齢の学生達に対して、たとえ政治的に真逆の立場であったとしても、これからの日本を生きていく彼らの中に何かを残していきたいという想いもあったのだろうと思う。

討論会冒頭で三島が「半熟卵の日」と言っている1969年4月28日についてググってみたところ、「沖縄デー闘争」と呼ばれる日なのだそうです。1952年の同日にサンフランシスコ講和条約および日米安保条約が発効され、それにより日本は連合国から独立したと同時に沖縄は米国の施政下に入ったため、反安保勢力からは沖縄が切り捨てられた日とみなされ、1969年のこの日も学生達が都内や全国各地で大規模な武装デモを行い、逮捕者が続出したとのこと。ちなみにここで三島が展開している「安心した目をした日本の知識人」に関する話が私は好きである。

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『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』1

2021-09-23 01:21:28 | 映画




unextのポイント期限が迫っていたので何か面白そうなものはなかろうか?と物色していたところ、こんな映画があったので観てみました。昨年は三島由紀夫の没後50年だったんですね。
この映画は、1969年5月に東大駒場で行われた三島と東大全共闘の学生達の討論会の映像と、その関係者への現在のインタビューで構成されています。
討論会の冒頭で、三島は学生達にこんな風に話しかけます。

三島:とにかく言葉というものはまだここで何ほどかの有効性があるかもしれない、ないかもしれない。まあためしに来てみようぐらいな気持ちを持っております。(中略)私は決して諸君の理解者でもない。諸君を理解したいという欲望に燃えてここに来ているわけでもないのです。ですから、お互いに相手を理解しないことを前提としながら、一つ今日は言葉をぶつけ合いたい。

現代の私達がこの52年前の討論会の映像から得るものはそれぞれに異なると思うけれど、私はやはり、ここに表れている三島の姿勢に最も感銘を受けました。
討論会の最初から最後まで、三島は決して感情的になることはない。それが容易なことでないことは、討論を聞いていればわかります。共通の言語認識を持たない相手と二時間半も言葉をぶつけ合うことがどれほど疲れ、苛立ち、放り出したくなるものであることか。しかし三島は終始学生達を対等な相手として敬意を払い、彼らの言葉を根気強く理解しようとする。そして自分の言葉を理解してもらおうとする。
ここまで言葉が嚙み合っていないと、果たして対話をすることに意味はあるのだろうかと思ってしまいそうになるけれど、この映像を見ていると「人間と人間が向き合って言葉を交わし合う」ことにはやはり意味はあるのだ、と思わせられる。むしろこれほど異なる者同士だからこそ意味がある、とさえ思わせられる。でもそれは、どちらの言葉も少なくとも本物(本心から出ている言葉)であることがわかるからだ。その言葉が本物でなかったら、その場しのぎの言葉であったら、こんな討論会はなんの意味も持たなかったろう。
この討論会が纏まった映像の形で公開されるのは今回が初めてとのことだけれど、文字の形式では『美と共同体と東大闘争』という書籍として討論会の翌月に出版されています。その後記の中で、三島は討論会をこんな風に振り返っています。

パネル・ディスカッションの二時間半は、必ずしも世上伝はるやうな、楽な、なごやかな二時間半であったとはいへない。そこには幾つかのいらいらするような観念の相互模索があり、また、了解不可能であることを前提にしながら最低限の了解によつてしか言葉の道が開かれないといふことから来る焦燥もあった。その中で私は何とか努力してこの二時間半を充実したものにしたいといふ点では全共闘の諸君と同じ意志を持つてゐたと考へられるし、また、私は論争後半ののどの渇きと一種の神経的な疲労と闘はなければならなかつた。(中略)了解不可能な質問と砂漠のやうな観念語の羅列の中でだんだんに募つてくる神経的な疲労は、神経も肉体の一部であるとするならば、その神経の疲労と肉体の疲労とのかかはり合いが、これを絨毯の上の静かなディスカッションにとどめしめず、ある別な次元の闘ひへ人を連れてゆくといふ経験も与へてくれた。テレビのスタジオや静かな居間におけるディスカッションは、肉体を常数と考へて精神の変数のみにたよつて数式を展開しようとする。私はそのやうなものにいままで参加したいとも思はなかつたし、また今後も参加する気はない。肉体も変数であり、精神も変数であるやうなところで、そのいらいらした環境の中でぶつかり合ふことには、何ほどかの意味があるといふことを私も認めるのにやぶさかではない。

そして「慨して私の全共闘訪問は愉快な経験であつた」と纏めています。
精神と肉体の活動が切り離されず影響し合う状態に重きを置いているところがいかにも三島らしく、討論会後半はもはやランナーズハイ状態だったんじゃと思ってしまいそうだけれど、最後まで三島は精神の活動を放棄していない。それに加え冷静さとユーモアを保ち続けているのには敬服するし、本当に頭のいい人なのだなと感じます。
一方で、三島はこの”砂漠のような観念語の羅列の議論”をどこか楽しんでもいたのだろうと思う。それについては制作裏話で豊島監督が話していた平野啓一郎さんの「三島は楯の会の中にいてそういう知的な会話に飢えていたのでは」という推測が案外的を射ているのではなかろうか、と。そういうものに惹かれてしまう自分と、それを否定したい自分。三島って常にそういう自己矛盾を抱えている人ですよね。そしてそれを自覚している人。

などとエラそうに書いているけれど、私は三島の作品をそれほど多く読んでいるわけではないので(小説、戯曲、随筆をそれぞれ数作づつ程度)、この討論会で彼の「時間」についての独特な感覚を知り、驚いたのでした。
「解放区にあるのは空間だけで、時間は存在しない」とする全共闘に対して(後年の芥さんの説明によると「三島のいうような一つの統一された時間というものは存在しない。この世界には無数の事物があり、それぞれの事物の変化とその空間の変貌を我々は時間と呼ぶ」という意味だったそうですが)、三島は「過去からの時間の連続性」に価値を置きます。そしてこの両者の違いが、「天皇」に関する意見の違いにも繋がる。
以下、再び『美と共同体と~』の三島の後記より。

私は過去を一つの連続性として、歴史として、伝統としてとらへ、そして現在を過去の最終的な成果としてとらへ、現在の一瞬への全力的な投入がそのまま過去の歴史と伝統との最終的な成果を保証するものだと考へる者である。したがつて、現在の一瞬一瞬への全精神と全肉体の投入は、決してそこの一点のみにとどまらず、自己を現在へつなぐ過去の意識を越え、潜在意識をさへ越え、自己の属する時代をさへ越えて、すなはち近代的思考や意識のあらゆるものを越えてまで、そこに一つの現在の結晶が成就されるといふのが私の考へである。私の仕事も行動もすべて、『葉隠』ではないが、朝起きたときに今日を死ぬ日と心にきめるといふところに成立してゐる。したがつて現在は死のための最終的な成果であるがゆゑに未来は存在しない。未来は存在しないから、未来への過程としての自己も存在しない。そして自己を過程あるいは道具あるいは手段あるいは方法と考へる思考はすべてむなしく、自己はそこにおける成就(アカンプリツシュメント)であり、成果であり、そしてそこで終るべきものなのである。

また以下は、討論会より。

三島:ぼくは未来から行動の選択性の根拠を持ってこないで、過去から持ってくるという精神構造を持っちゃっているわけだ。それが誤りであるか正しいかわからんが、そういうふうに持っちゃっているわけだ。(中略)未来というものに手を伸ばす時に、そこに闇の中に確かに人がいると思ってこうやってさわってみたらいなかった。アッという時の瞬間の手の握り具合――私はこういうものが未来だと思うのですね。
全共闘C:それは時間がイマージュだからじゃないですか。
三島:イマージュかもしれないね。ここに何か固いものがあって……ここに壁があれば安心だ……。
全共闘C:記憶や時代は抹消されてるでしょう。抹消されるわけじゃないですか?
三島:それが抹消されないのだね、おれには。
全共闘C:時代は抹消されていますよ。
三島:時代は抹消されても、その時代の中にある原質みたいなものは抹消されないのだよ。
(中略)

全共闘C:関係づけの中でしか生きられない人間というのは、時間の無時間性なんて言ったらダメになっちゃうのはわかるけれども……。
三島:おれはダメになっちゃう、そんなこと言ったら。
全共闘C:でしょうね。

芥さん(全共闘C。映像の中で赤ちゃんを抱っこしている学生)が言う”イマージュ”という言葉は、現に存在している事物に対して、実体のない幻想のような意味合いですかね
わかりやすいイメージで言うなら、全共闘にとっての時間は現在という一つの点(あるいは真空)で、三島にとっての時間は過去から現在まで続いている一本の線。芥さんからすれば三島のいう時間つまり歴史は人間が作った幻想に過ぎず、そのような時間を頼みにしている伝統も天皇も過去の権力者達により都合よく捏造された価値にすぎない(あの腕の中の赤ん坊は「三島さんにとって天皇に値するものは、僕にとってはこの赤ちゃんですよ」と三島に見せびらかしたかったのだそうです。三島は天皇に聖性を見るが、自分はこの赤ん坊の生命に聖性を見るのだ、と)。私には芥さんのいう時間の概念は比較的想像しやすいけれど、三島のいう時間の概念はなかなか想像が難しい。
三島のように時間を過去から現在まで続く一つの歴史と捉えるならば、それは同じように未来へも続いていくものと”仮定”するのが自然のように思うのだ。そしてその仮定を根拠に現在の行動を選択するのが自然のように思う。つまり過去は直線で未来は点線で続いていくイメージ。でも三島の時間には、その点線がないんですよね。現在のところで終わっている。
その説明として三島は『葉隠』に触れているけれど、武士や特攻隊の人達も実際のところ”未来”を思っていたのではなかろうか、と私は想像するのだけれど。
そもそも三島自身、心底そう思っていたのだろうか。それは「そうである自分」ではなく「そうあるべき自分」だったのではなかろうか。「そうあるべき自分」として三島は死んでいったのではなかろうか。三島にとって両者は同一であるべきもので、それらを区別することには意味がないのかもしれないけれど…。

なお三島の「歴史の関係づけの中で存在する自分」という精神構造は、彼の芸術観にも見ることができます。

三島:私にとっては、関係性というものと、自己超越性――超時間性と言いましたかな、そういうものと初めから私の中で癒着している。これを切り離すことはできない。初めから癒着しているところで芸術作品ができているから、別の癒着の形として行動も出てくる。(中略)芸術というものは無意識の領域が非常に大きい。どんなに意識的に書いたって、無意識の領域が非常に多い。その無意識の領域では、私の関係論とそういうものとは完全に癒着している。
(中略)
芸術というのは個性だけが芸術でないということも確かなことで、つまり、ヴァレリーが芸術の個性というものはすでに死んでしまったと言っていますが、芸術というものは個性だけに依拠して自分の主観だけでしか見えないものが見えていると思い込む。こいつはと思ったものしか実は芸術でないのだという考え、それがおまえの見る牛とおれの見る牛は違うのだ、おれの見える牛が芸術だと考える。そういう考えはすでに古いのですね。(中略)牛というものの本質はどうやってとらえたらいいのか。われわれの目から見た本質のとらえ方が一つ、もう一つはみんなが共通項として、これはネコじゃないのだ、これは牛というものだというとらえ方が一つ、その二つには芸術というものがいつもそこに矛盾を持っているわけなんだ。ね、そうすると文学というものはどっちかというとね、ゴッホの絵が、太陽がこういうように狂ったり何かする、ああいう太陽は文字はなかなか書くのはむずかしい。文学はどっちかというと、名前に依る。牛という名前に依るわけです。そうすると、牛というものはすでにみんなの言語であって、ぼく個人、個性の言語とは違うわけだ、牛というものはね。それを越えようと思っても、うまくいかないのだ、どうしても。そして、牛というものに依拠して、自分の見えるだけの牛を書こうとする。しかし、その前提には牛という概念がすでにある。そこに文学というものは芸術ってものと言うにはちょっとあやしげなところがあるわけです。ことに小説というのは非常にあやしげだね。


様式美が基本である歌舞伎を三島が愛した理由が分かる気がします。ただし三島は時間の集積である文化の影響を受けている芸術を受け入れているし、それに価値も置いているけれども、現在を生きていない、過去の遺産として大事に奉られているだけのような芸術については徹底的に嫌っています。

三島:私はその過去と現在というものを別の次元のものとみなしているから、私は一応過去の長い集積を文化の集積として持っているけれども、その集積自体を尊重するような思想にはくみさない。私はいつも文化的遺産というものを大事にする思想というものを軽蔑してきた。なぜならこれは死物だから。(中略)私は文化というものは一つの長い時間の集積でもってここにまた自分の中に続いている。外在すると同時に内在するその中から自分がセレクトするというのが自分の現在一瞬一瞬の行為である。その行為の集積が自分の作品になるんだが、その作品もでき上っちまえばこれも過去に押しやられちゃう。そうやってわれわれ生きているのが文士というものの生活です。

そんなわけで文字ではわからない会場の空気がわかったし、映像の力というのは凄いものだなとも思ったけれど、書籍ではとっくに出版されているものであることを思えば『50年目の真実』と喧伝されているような新たな真実は特にこの映画の中にないわけで、この大仰で陳腐なタイトルや予告映像がかえって映画の価値を損ねているように思う。
映画では説明されていないけれど、芥さんによると三島がこの討論会に呼ばれたのは「カルチェラタンの中で、みずから自主的に主体的な大学を開始しよう」という芥さんのアイデアから作られた「解放区大学」の第一回目の講師としてだったそうで、司会の木村さん(全共闘A)も「わりとソフトな連中」だったのだそうです。以下は芥さんの談。

そんなときに、彼(三島)は本郷のほうの連中に会いに行って、けんもほろろに追い返されて、そのときにちょっと本郷の連中もいかんなと思った。市民が会話したいと言ってきたときに会話を拒否するのは、だいたい解放区のルールでも誇りでもないし、 知性でもないから、では、もし話があるなら、我々が本当に呼ぼうということで、三島さんに、我々の記念すべき自主大学の第一回目の講師として来ていただいたわけです。
(『混沌と抗戦──三島由紀夫と日本、そして世界』2016年)

また映画では「1000人の全共闘を相手に討論が行われた」と言っていますが、実際は討論をしたのは全共闘の学生だけれど、会場にいた多くは普通の学生だったようです(映画.com)。
”50年目の真実”とか”スクープ映像解禁”とか無駄に煽らずに、そういう当時の状況や事実を淡々と伝えた方が、より上質で知的なドキュメンタリー映画になったのではないかな。そうしても監督が見せたかったであろう討論会の”熱情”は十分に伝わったと思うよ。ただ、押しつけがましいメッセージ性がなかった点は、個人的には好ましく感じました。当初は映画の冒頭で福島原発事故の映像を流す計画だったそうだけど、そういうことは映画を見た人達の判断に任せた方がいいと思い直し、やめにしたそうです。やめて正解だったと思う。
ちなみに討論会だけを見ると芥さんの言葉はあまりに観念的にすぎるように感じられるけれど、当時を振り返って話されているこちらの文章を読むと、ちゃんと芥さんなりの筋が通っていて論理的な方なのであった。
豊島監督はインタビューの際に芥さんから「『豊穣の海』は読んでるのか?」と聞かれ「読んでおりません」と答えたら、「そんな程度で人に取材するってのは、三島が可哀そうだ!」と怒られたそうです。まあ芥さんの言うとおりだよね…。

この映画で興味深かったことのもう一つは、50年という時の流れ。
当時東京で大学生だったうちの母親(学生運動にもアルバイト的に参加していた)は、全共闘だった人達が後に公務員や大学教授など「いわゆる体制側の人」になり映画の中でコメントをしている姿に、「結局は彼らが最も否定していたような生き方をしたんだなと思った」とのこと。
映画の中で元全共闘の人達があれから時代の変化と自身の気持ちにどう折り合いをつけて生きてきたかについて語っていますが、宮崎監督もそうだけれど、この時代に青春を過ごした人達にはそういう屈託を心に抱えている人は意外に多い(うちの母は全然そういうタイプではないが)。私の世代には全くない、想像するしかない感覚です。
そんな中で芥さんだけはまるで時が止まったようにブレていないのも興味深い。

話を戻して、三島について。
外国語が流暢で、美しい日本語を操れて、ユーモアもバランス感覚もあって。あの最期は彼自身が望んだものだったかもしれないけれど、彼のような才能を持たない凡人の私からすると、生きていてほしかったなあとやはり思ってしまうな。彼ほど頭のいい人なら、死ぬ以外の選択肢を見つけることはできなかったのだろうかと、どうしても残念に思ってしまう。警察にみっともなく捕まっても生きてまた活動すればいいじゃない、みっともなく老いて生き延びてもいいじゃない、と私などは思ってしまう。本人は全く残念に思っていないかもしれないけれど、日本のために、世界のために、私達のために生きていてほしかった。だって三島のような文章を書ける作家ってものすごく貴重じゃないですか。なのにたった45で!自ら命を捨てるなんて!もったいなすぎる。。。。。。。太宰もそう。本人は死にたかったのかもしれないけど、もっと長生きしてくれたらどんな作品を読めたのだろうと思うと、あなたのような文章を書ける作家なんて滅多にいないのよ!わかってる!?と言いたくなる。
ディズニーランドが大好きだったという三島。生きていれば東京にディズニーランドができる日が来たんだよ。アメリカまで行かなくても日本で家族で楽しめる日が来たんだよ。三島にとって人生はそういうものではないのだろうけれど。。。


生きて動いている三島由紀夫に会える!豊島圭介監督&刀根鉄太プロデューサー(CINEMORE)
三島由紀夫ドキュメンタリーで会見 平野啓一郎氏「今の保守層が『日本はスゴい』と言うのとは違う」(oricon)
平野啓一郎が語る、三島由紀夫とその文学(サイカルjournal)
三島由紀夫の理想の日本とは ドキュメンタリー「三島由紀夫VS東大全共闘」平野啓一郎氏、豊島圭介監督が会見(映画.com)
「実に実に実に不快だった」その日の三島由紀夫(平野 啓一郎)(現代ビジネス)
「広報効果アリ」「非常に危険」…“事件前の三島由紀夫”を自衛隊関係者はどう見ていたか(辻田 真佐憲)(現代ビジネス)
東大全共闘と三島由紀夫の討論会を映画化 豊島圭介監督の制作秘話(東大新聞オンライン)
三島由紀夫没後50年 美輪明宏が語る“素顔”(サイカルjournal)
美輪明宏が語る天才作家・三島由紀夫(SmaSTATION)
美輪明宏 三島由紀夫に何度も「やってくれ!」と口説かれる(女性自身)

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『地球交響曲第九番』 @東京都写真美術館(7月9日、11日)

2021-07-22 20:56:34 | 映画




地球交響曲第九番』を観てきました。9日と11日の二回。
最後に、最後までこういう作品を作ってくださった龍村監督に、ひたすら感謝あるのみです。
30年前に監督の作品と出会えていなかったら、私の人生は全く違ったものになっていたと思う。その作品の世界は私にとって新しいものだったわけではなく、物心ついた頃からずっと肌で感じていたものでした。でも、それを分かち合える人に出会えていなかった。監督の作品と出会えてからは、監督とその仲間達が”魂の友”としていてくださったから、私は孤独ではありませんでした。だから第九番の一番最後、スクリーンに映し出された「龍村 仁」の文字には胸がいっぱいに・・・。

第九番の出演者は、小林研一郎さん(指揮者)、スティーヴン・ミズン博士(認知考古学者 英国レディング大学初期先史学教授)、本庶佑博士(分子生物学者 京都大学特別教授 ノーベル生理学・医学学賞受賞者)の3名。

多様なものが多様なままに共に生きる 
それは生命の摂理であり宇宙の摂理である

これは第二番の冒頭シーンで映し出される言葉ですが、この言葉について、監督は『地球交響曲間奏曲』(1995年刊)という本のあとがきで次のように書かれています。

私はものごとを断定的に言い切ることが大嫌いです。ものごとを一つの側面からだけ観て、これが”真実”だ、とか”正義”だ、とか言い切ることが、いかに危うい事かということを思い知っているからです。にもかかわらず第二番の編集が最終段階に入った95年の1月頃、私はこの映画の中で、この言葉だけははっきりと言い切っておこうと思うようになりました。いや、言い切っておかねばならない時にきている、とはっきりと思ったのです。とても静かな気持ちでした。「多様なものが、多様なままに共に生きる」という事は、多分間違いない生命の摂理です。

監督がこの文章を書かれたのは1995年3月末日となっています。
オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きたのが1995年3月20日でした。「多様なものが、多様なままに共に生きる」この言葉をあえて言い切っておかねばならないその必要性を監督が強く感じられた理由が、あの時代の空気を覚えている一人として、私にもわかる気がします。当時私は18歳でした。そしてあの時代の危うい空気は今もまだ世界に残っている、というより今また再び色濃くなっているように感じています。事件を起こした当事者に責任があるのは当然のことだけれど、そういう事件が起きる要因を生み出してしまった社会にもまた責任があるということを、私達は忘れてはいけない。社会に上手くなじめない人間を排除することでは、何も解決しない。そしてその社会とは、私達一人一人のことです。
地球交響曲の構想に大きな勇気を与えてくれたというこの言葉は、80年代初頭に龍村監督がインタビューをしたときの本庶さんの言葉がもとになっているのだそうです。

彼はインタビューのなかで次のように語ってくれた。
「遺伝子の構造、親から子へ伝わってゆく仕組み、生命というのは太古からひとつながりである。我々が今日持っている防御システムというのは、実は非常に遺伝子の小さな単位を組み合わせることによって多様な発現系が出来上がる。最初にすべての可能性を出して、そのあと、いいものを好きなように選びなさいというシステムである。それから学べることは、一見、今日、ムダに見えることを、いまムダだからと全部切ってしまうと将来困ることが起きる。だからムダのなかに将来に対する備えがちゃんと入っている。人という種は、たくさんの遺伝子の変形を抱合し多様性があるから長い進化の過程を生き永らえてきた。もしひとつの遺伝子系しか持っていなかったら、環境がちょっと変わったらヒト全体が滅びてしまう。」
すべての生命はひとつながりのものであり、ともに調和しながら永遠に生きている。宇宙誕生の一瞬に生まれた素粒子のひとつさえ、宇宙の無数の星々の誕生と死に関わりながらいま、この私のからだのなかにあるかもしれない。
(『地球交響曲第九番』HPより)


私は「地球が人類を生み出したのであるならば、人類が生み出した科学と地球は共存していけるはず」と思っているのですが、龍村監督もまた科学を信頼し、人間を信頼し、その大前提に自然があることを当然のことと理解されている方。私が龍村監督を好きな最大の理由はそのバランス感覚で、第九番でも変わらずそうあってくれたことが嬉しかった。

また本庶さんの菩提寺である京都法然院の梶田住職が仰っていた「悲しみ合って生きる」という言葉も印象的でした。

コバケンさんがベートーヴェンについて熱く語る言葉には、「わかる、わかるよコバケンさん…と、おこがましいけれどベートーヴェンのファン仲間感覚で嬉しくなってしまった。
ベートーヴェンが作り出す和音の響きの話は、数年前にはじめて月光ソナタの最初の数和音を弾いたときのことを思い出して、うんうんうんと大きく頷いてしまいました。そのとき私はとある公共のピアノに誰かの楽譜が置き忘れてあったのを見つけてこの曲を初見で弾いてみたのですが、「こんな曲が作れるなんてベートーヴェンって天才!?」と愕然としました。もちろん曲自体は知っていましたが、聴くのと弾くのとでは大違い。あまりの衝撃と感動に、その後すぐに電子ピアノを購入してしまったほどです。ピアノを弾いたことのない人でも、是非この月光ソナタの最初の数フレーズだけでいいから自分の指で弾いてみていただきたい。図書館で楽譜を借りて、駅ピアノとかでいいから。たった一つの和音で一瞬で空気を変えてしまうベートーヴェンの非凡さがわかります。
コバケンさんが月光ソナタに続いて語った、悲愴ソナタの第二楽章の和音についても心底同意。普通ならラ♭にするであろうところをラにしたベートヴェンの感性…!それにより生み出されるあの切なさ…!
32番のソナタの高音トリル後の日常世界に戻る瞬間も同じで、この独特の空気の変化のさせ方こそベートーヴェンの天才性の最たる部分ではないかと私は思うのである。
コバケンさんに話を戻して、2019年12月25日のサントリーホールの第九演奏会への本番に向けたリハーサルの中で、コバケンさんは”仲間たちオーケストラ”(プロ、アマ、障がいの有無を問わず、活動趣旨に賛同する不特定多数の演奏家から成るコバケンさんのオーケストラ)から奏でられる第九の音について「様々な個性が聴こえてきて、これまで指揮してきた(プロの奏者ばかりの)読響や日フィルよりもベートーヴェンに近いと思う」と仰っていましたが、これは私も本番の演奏を聴いたときに同じことを感じました。最初はその雑多な音に戸惑ったけれど、最後には「この音でなくてはならないのだ」と感じていた。それはベジャールの第九を観たときと同じ感覚で、多様なものが多様なままに共に演奏するということが、この曲において最も重要なことなのだ、と感じたからです。それは地球交響曲のコンセプトそのものの音でもありました。
そして第四楽章の合唱。既に耳が聞こえなくなっていたベートーヴェンが最後の交響曲である第九番で初めて入れた人間の歌声。

Seid umschlungen, Millionen! いだかれよ もろびと達
Diesen Kuß der ganzen Welt! 全世界のくちづけを受けよ

第九のこの部分の歌詞を検索すると「抱き合おう もろびと達。全世界にくちづけを」となっているのが殆どなんです。それを今回こういう和訳としたのは、私達人類も本来は他の動植物達と同じく地球に抱かれ、愛されている存在なのだと、龍村監督はそう仰りたかったのかな、と。
私達が地球を守ってあげているのではなく、地球に抱かれ、守られているのはむしろ私達の方なのだと。そしてこの状態がこの先も続いていくかどうかは私達次第なのだと。なぜなら、母なる地球のもとで全ての存在は繋がっているのだから。

30年前、この映画に「交響曲」と名をつけたのは、あらゆる楽器がそれぞれ独自の音を奏でながらシンフォニーを奏でるように、生命体である地球のシステムもまた、ともに美しく壮大な調和の音楽を創造する、ひとつの生命のシンフォニーを奏でているようなものだからだ。
今、私たち人間は、明らかに調和を乱す不協和音を奏でている。
調和を求める宇宙の「大いなる意志」によって私たちそのものは抹消されてしまうのか、それとも新たな調和の音楽を創造することができるのか、その選択は私たち自身に委ねられている。
(『地球交響曲第九番』パンフレットより)

映画が始まる前は「これが最後の『地球交響曲』なのだな」という寂しさがあり、これまでの30年間を思っていました。そして映画が始まるとそれは消え、私は数万年の時の流れの中にいた。地球交響曲はいつもそう。どこにいても、いつでも、その大きな流れの中の自分を一瞬で思い出させてくれる。星野さんの写真と同じ。
でも最後の最後、サントリーホールのカーテンコールの場面で流れ始めたのは、『The End of The World』の歌だったんです。

Why does the sun go on shining? なぜ、太陽は輝き続けているの?
Why does the sea rush to shore? なぜ、波は変わらず浜辺に打ち寄せているの?
Don't they know it's the end of the world? 世界が終わったことを知らないのかしら?

一回目に見たとき、ここでこの歌が使われているのが少し不思議な気がしたんです。なぜなら私はそれまで、この歌を失恋の歌だと思っていたから。でも帰宅後に調べて、作詞者が父親の死の悲しみをくみ上げて書いた詞であることを知りました。

It's ended when you said, "Good-bye" あなたが「さよなら」と言ったとき、世界は終わったのに

この最後の静かな"Good-bye"は、龍村監督と地球交響曲からの"Good-bye"なのだと感じました。
第九番のパンフレットの曲紹介の欄には、こう書かれてあります。

私たちにひとつだけ確かなことは、すべての人の生には必ず終わりが来るということ。それでも太陽はめぐり、星は輝く。生きることとは、なんとせつなくて、儚いのだろう。

病気と闘われ、「『第九』を私のいのちの最後として送りたい」と仰っていた龍村監督。
私達は数万年、数億年の時の流れの中に生きていて、そして同時に”いま”を生きている存在であることを、龍村監督は最後にちゃんと思い出させてくれたのだと、思いました。
悠久の時の流れだけを意識して生きることはある意味とても楽なことだけれど、同時に私達は”いま”の数十年間を生きている限りある一つの命なのだと、そう教えてくれているように感じられました。星野さんも同じだった。星野さんも、いつも今ここにある限りある儚い命を何よりも愛おしく大切なものとして感じておられた。
『The End of The World』が流れるなか、スクリーンはサントリーホールから天河の森へと移ります。龍村監督が関わってこられた自然林を再生させる斎庭プロジェクトの風景が映し出され、いつかこの場所が神様たちの遊び場になることが願われ、『地球交響曲第九番』は終わりました。
エンドクレジットで流れた音楽は、第九の第三楽章。ベートーヴェンの愛と祈りの音楽。

ナレーションは、第一番からずっと担当されてきた榎木孝明さん。サントリーホールのカーテンコールの場面で客席のお姿が映されていたけれど、感無量な表情をされていたように見えました。榎木さんが龍村監督をとても尊敬されていることは、これまでの数多くのイベントでお会いしたときのご様子からわかります。そういえば私が初めて龍村監督と話をしたのは、電話でだったな。ダライ・ラマ法王の古希のお祝いでチベット仏教の砂曼荼羅が国際フォーラムの相田みつを美術館で作られるイベントがあって(法王事務所のHPによると2005年5月だったようです)、榎木さんのミニトークの日に行こうと思って(結局その日以外も数回通ったのですが)、事前の予約は必要か確認しようと龍村監督の事務所に緊張しながら電話をかけたら、電話に出られたのがなんと監督ご自身のお声で。「!?」となって挙動不審になった私に、気さくに答えてくださったのだった。特に予約不要とのことだったので行ってみると会場に普通に榎木さんや監督やご家族が歩いておられて、のんびりした雰囲気だったなあ。チベット仏教の声明を初めて聴いたのも、チベットのバター茶を初めて飲んだのもあの時だった(衝撃の味だった…)。

今回のもう一人のナレーションは、鶴田真由さん。鶴田さんは以前、鎌倉薪能のゲストで拝見したことがあって、お能の間ずっと姿勢を崩さずに観られていてとても好印象な女優さんでした。地球交響曲の空気とも合っておられる方のように思います。

というわけで、第九番が無事完成し、私も最後まで見届けることができたことは、とても幸福なことなのだと感じています。
でも、正直な気持ちは、やっぱり寂しいよね…。寂しくて、今日まで感想を書くことができませんでした。今もまだ、寂しいです。
でも龍村監督からいただいたものにただ感謝して終わりにするのではなく、私にできることを少しずつでも行動に移していくことが、龍村監督へのお返しになるのではないかなと思っています。

最後に、The Flintstoneというラジオ番組のサイトに掲載されている龍村監督の過去のインタビュー記事からの抜粋を載せておきます。

魂を)永遠たらしめているのは誰かっていうと、それは生きている人なんですよ。生きている人が作品に触れていろんなことを感じる、それが魂が永遠であるということで、フワフワと飛んでいる魂が永遠に実在していると言ってもいいけど、そんなことを言っても虚しいので、やっぱり生きている人間の心の状態が元気になるというか、きれいになるというか、そういうことがあって初めて魂は永遠であると言えると思うんです。だから魂の問題は、実は冥界のこととか、死んだ世界、違う次元のことではなくて、いま生きている、今一瞬のこの時のことなんです。それが『魂を語ることを恐るるなかれ』ということなんだよね。」
the flintstone 2003年8月-1

「フィンランドの神様、カレワラの中に出てくる神様というのはちょうど八百万(やおよろず)の神様と同じで、キリスト様のように絶対的に聖なる人ではないんです。ドジなところもいっぱいあって、それがまた面白いんですけど、失敗をしたり、恋をして振られて悲しんだり、いろんなことをするんだけど、ただワイナモイネンというのは、生まれたときにすでに年寄りなんですよ。何千歳かくらいで白いヒゲを生やしているんだけど、その人が、いろんな魔女との戦いとか争いの中で、究極において彼がカンテレという楽器(カマスの骨に糸を通した竪琴のような楽器)を奏でると、敵対するものも、神様、動物、岩、風、水もみんな一緒になって心が和んで、その瞬間だけは争い事が治まるんです。
 ただし、フィンランドのお話の素敵なところは、それで世の中が平和になりましたでは終わらない。それがどこかで途切れると、争いを繰り返すんです。繰り返すけど、ワイナモイネンの歌と楽器、音楽がある。ヒンドゥー教の原典には、やっぱり宇宙の根源は、バイブレーション、音なり物があって、究極においては混乱しているように見えるけど、混乱しながら秩序を作るというのかな、ゴジャゴジャしながらも、しかしその中での調和をとろうとしていくものだというのがあるんですね。
 だから、僕なんかはそれがとても良いなと思うの。こうなりさえすればすべて良くなって終わりというのはないんだよね。良くなろう、進化し続けようとする何かが、生き続ける力で大切なんです。星野はやっぱりそういうことに気が付いて、森の中で一人でテントで書いた文章に『人間が究極的に知りたいこと、なぜ生きてここに居るのか、それらを知りたいと思って求め続けるから生きている』とある。もし、その答えがハッキリ分かったらそれで生きる力を得るだろうか、答えを求め続けながらも、その答えが得られないということによって生かされているのではないか、ということなんですね。・・・だから、プロセスなのよ。要するに、僕らは結果だけ言う結果主義になりがちだけど、そんな結果なんて屁みたいなもので、より良い結果を求めていろんな努力をし続けて、少しずつ、少しずつ進化し続けてるという部分に意味がある。こうなったら失敗だったとか思う必要はないわけで、どんなに一つの基準で失敗したように見えても、そこに向かって努力していた時にどう生きたかがとても重要なことなんです。結果が最初の思惑通りにならなくても過ごしてしまった時間は確実に存在する、そして最後に意味を持つのは結果ではなくて、過ごしてしまったかけがえのない時間であるという、星野が書いた言葉でもあるんだけど、そういうことですよね」
the flintstone 2003年8月-2

「人と人。人と自然。みんなが繋がっているということは、口で言うとえらく綺麗事に聞こえるけど、僕は紛れもなく最もリアルなことだと思っているの。ただ僕達が日常の中でなかなか思い出せないという、この時代のバック・グラウンドがあるだけで、それを思い出したら多分、人は元気になると思うの。例えば小さな苦しみや、孤立していて自分は誰にも理解されないんじゃないかという不安は、人間誰でも持ちますよね。だけど、そうではなくて、例え自分が誰一人に見られていなくても、このことは素敵で、こうしたほうがいいと思って一歩踏み出していることは、実は必ずそれが残って別の人に伝わったり、あるいは時や世代を越えて、然るべき存在に繋がっていくということは確かなんだよ。そう思えると安心できるんだよね。生きていく中で選ぶ道が、実はちゃんと繋がっていて、未来の世代に関係していくということがあると、元気が出るじゃないですか。そういう風になってほしいなという思いを込めて、第五番は完成したという感じです」
the flintstone 2004年8月

「今、僕やワイルが言っていることがあって、『It's always both』という言葉があるんですよ。少し難しくなるけど、陰と陽や、男性と女性とか、善と悪とか、美と醜とか、幸と不幸など、対立すると思われているその2つが、共にあることが大事だというのが彼の基本的な考えなんですね。医学的なことでいうと、気孔だとか、マッサージとか針とか、自然の生薬みたいな、いわゆるシャーマニズムみたいなことと、現代医学の薬、これらを全部含んでいるんですね。どっちに重きを置いていくかというと、伝統医療とか生薬になって、それが自然治癒力のニュアンスになるんだけど、彼は、偏った考え方になるけれど、現代医学の最先端が到達していることも、人間が持っている1つの英知だから、その両方が大事だということで、『It's always both』というのが、彼の言葉になっているんだよね。」
the flintstone 2010年3月


『地球交響曲第九番』予告編


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『地球交響曲第九番』完成!!!

2021-06-10 19:45:04 | 映画

『地球交響曲第九番』予告編



『地球交響曲第九番』がついに完成!
先ほど龍村仁事務所からのニュースレターで知りました(SNSを追いきれていなくて申し訳ない…)。
おめでとうございます!!!という言葉では表しきれません。
初めて龍村監督の作品『宇宙からの贈りもの』と出会ったのが15歳のとき。
あれからずっと追い続けてきて、ちょうど30年。
この第九番が無事に完成に至ったこと、本当に本当に、心から嬉しく思います。
龍村監督、よかった。。。。。。

龍村監督の道と私の道は今も同じ方向に向いているのか、それは見てみなければわからないけれど。監督の存在に常に生きる元気をもらえてきたこれまでの30年の時間の前では、そんなことは重要ではないんです。今はただ、完成おめでとうございますと心から申し上げたい。
東京都写真美術館での上映会、絶対に伺います。

★6/22〜7/11【3週間限定】東京都写真美術館ロードショー公開

■上映期間
2021年6月22日(火)〜7月11日(日)
・月曜休映(6/28、7/5)

■上映時間
10:25/13:00/15:35

■前売特別鑑賞券      1,500円
■当日券 一般・シニア   1,800円
学生(高校生以上)  1,500円
中学生以下(3歳以上)1,000円


龍村仁連続講座2016 第2クール 宇宙からの贈りもの編予告

へえ、あの少女にはそんなきっかけがあったのか。30年目に知る事実(この動画の存在を先ほど知った。ちなみにこの連続講座の存在は当時も知っていたけれど、ど~~~~~っしても仕事の都合で行けなかったのです)。
『宇宙からの贈りもの』と『未来からの贈りもの』はテレビを録画して何度も観て擦り切れそうだったVHSをDVDにし、今も大切に持っております。
以前地球交響曲の上映会でパンフレットにサインをいただく際にお話しさせていただいたときにも、「あの作品は本当に奇跡のような幸福な作品でした」と仰っていたなあ。


写真家 星野 道夫 未来からの贈り物 アラスカ編

星野さん、懐かしい。。。
死ぬまでにもう一度、アラスカを旅したいな。
次は星野さんが「アラスカが一番アラスカらしい季節」と仰っていた冬に行ってみたい。
ちなみにこの『未来からの贈り物』、演出が龍村監督で、物語は池澤夏樹さんです。ジブリの鈴木プロデューサーが感銘を受けた作品として、一部音楽を差し替えてジブリ学術ライブラリーからDVDが発売されています。

 

 

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映画『タイタニック』と『銀河鉄道の夜』

2021-05-15 01:02:00 | 映画

 

このアニメ映画のジョバンニの「どこまでも一緒に行くよ」は、『タイタニック』の「あなたを忘れない」という台詞と響き合っている。残されたものは、先に逝ったものから何かを受け取っている。それを忘れない限り、死者は死ぬことはないのである。

(「タイタニック」の悲劇はなぜ『銀河鉄道の夜』に描かれたのか 一人の日本人乗客が結ぶ2つの“残されたものの物語” @文春オンライン


いい記事↑。
猫版アニメ映画『銀河鉄道の夜』の音楽を担当した細野晴臣さんは、タイタニック号の生き残りの日本人のお孫さんだったんだね。

映画『タイタニック』が日米同時公開された1997年12月、私は大学3年生でした。ご存じのとおりこの映画は日本でも空前の大ヒットで、映画館へ何度も足を運ぶ人が続出。
私が初めて観たのは翌1998年の2月だったかな、日本ではなくハワイの映画館ででした。
春休みを利用して北米の複数都市を周遊したのですが、ホテルはエイビーロード(懐かしいねえ)に掲載されていた旅行会社を通じて予約していて、ノースカロライナとかナイアガラとかは問題なく旅したのだけど、ラスベガスのホテルで突然「予約は入っていませんよ」と言われ。ホテルを予約した旅行社がその日倒産し、私達の予約も勝手にキャンセルされていたんです。代金は旅行社が持ち逃げですよ。ひどい!当時はスマホなんてなく、ホテルから旅行社に電話しても誰も出ない。親に電話して初めて、その旅行社の倒産が日本でニュースになっていることを知ったのでありました。
最後に寄ったワイキキのホテルも当然キャンセルされていて、仕方なく予約をとり直しました。
そんなこんなあった旅行でしたが、パニクりながらもさほど身体的&精神的ダメージを受けずに飄々と旅行を続けていたのは、若さゆえだろうか。せっかくアメリカに来ているのだから楽しまなきゃ損、と私も友人も思っていたことは確かです。

で、そのとき映画『タイタニック』はまだ公開二ヶ月目だったのでハワイでも上映されていて、日本で既に一度観ていた友人が「観たい!」とのことだったので、ワイキキの映画館で観たんです。レイトショーだったので空いていたけど、現地のアメリカ人らしき人達も数組いました。
でね、英語が完全には聞き取れないながらも私は「うわぁ・・・」と大感動して観ていたら、傾く船の甲板でカルテットが讃美歌を奏でる例のシーンでアメリカ人達がゲラゲラ爆笑したのですよ あの場面で爆笑するって信じられます???「こいつらの感性って一体」とゲンナリですよ。しかし映画が終った後に彼らを見ると、ポロポロ泣いてるんですよ。アメリカ人って・・・。

まあそれはそれとして映画にはすごく感動して、夜の海沿いを友人とホテルまで歩いて帰ったのですが(よい子はマネしちゃだめですよ)、生温かい風が吹いていて、波の音がしていて、それが『タイタニック』を観た直後だったのでなんともいえない気分になったのを覚えています。そしてそれは今振り返ると『銀河鉄道の夜』から受ける空気とどこか似ていたな、と。
それは『銀河~』の中にタイタニック号のエピソードが出てくるからというよりも、あの南の島の生温かい風と夜の空気と波の音の中で、夏の夜の死者達の物語である『銀河鉄道の夜』と、氷山の海に沈んだ死者達の物語である『タイタニック』の世界がどこかで繋がっていたような、そんな感じを覚えるのでした。そういえば吉本ばななさんの『アムリタ』も、同じ空気だな。

以上、今夜の金曜ロードショーは観ていませんが、23年前を少しだけ懐かしく思い出させてもらいました。
ちなみに文春のこちらの記事にある「幻の3つ目のエンディング」はニコ動で観られますが、この記事に書かれてあるのと同じように、私もラストシーンは劇場公開版の方が断然好きだな。それにしてもこの頃のレオ様の無敵さよ。。。。
私レオ様大好きなのに、どうしてロンドンのレスタースクエアで「もう少しでレオがここに来る」と聞いていたのに待たないで家に帰ってしまったのだろう。私のバカバカバカ。悔やんでも悔やみきれん。あのときは頭痛がひどくて少しでも早く家に帰って横になりたかったのよ。あと、どうせ見られても豆粒ほどでしょ、と思っていたのよ。そしたら後日に同じ場所でローリング・ストーンズを目の前50センチくらいで見られて(ファンの友人はミックに触れていた)、「ああ、レオ様をこの距離で見られたかもしれなかったのか・・・」と。。。。。。。
ハワイの思い出とともにロンドンの痛恨の思い出まで蘇ってしまった。

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Kirk Douglas "Road Ahead"

2020-02-07 01:46:17 | 映画

I have lived a long, good life. I will not be here to see the consequences if this evil takes root in our country.  But your children and mine will be.  And their children.  And their children’s children. 

All of us still yearn to remain free. It is what we stand for as a country.  I have always been deeply proud to be an American. In the time I have left, I pray that will never change.  In our democracy, the decision to remain free is ours to make.

私は長く素晴らしい人生を生きてきた。この悪魔が私たちの国に根を張ったとしても、私はもうこの世にいてその結末を見ることはない。でもあなたの子供たち、私の子供たちは、違う。そして、その子供たち。そのまた子供たちも。

私たちはみんな、今も自由であり続けることを求めている。私たちは、国として、自由のために闘う。私はいつもアメリカ人であることを深く誇りに思ってきた。私に残された時間の中で、私はそのことが変わらないことを祈っている。民主主義では、自由であり続けることへの決定は、私たちが下す。


先日103歳で亡くなったカーク・ダグラスが、2016年9月にハフポストへ寄稿した文章『未来への道』より。

私の両親は、英語を話すことも、書くこともできなかったロシアからの移民だった。彼らは20世紀初め、ロシア皇帝の残忍な虐殺から逃れるために移民となった200万人以上のユダヤ人集団の中にいた。」という言葉で始まります。

日本語の全文はこちら
英語の原文はこちら

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アンジェイ・ワイダ監督

2016-10-12 22:19:34 | 映画

9日に亡くなられたんですね。

といっても私は『カティンの森』しか観たことがないのですが、この作品、時々ふっと何気ないときに思い出すのです。
正確には作品というより、ラスト10分の森の湿った空気、土の匂い、そういったものがふっと蘇ってくるのです。
落ち着いたら、この監督の他の作品もぜひ観てみようと思います。
下に、鑑賞したときの記事を載せておきますね。

ポーランドといえば、来月はツィメルマンのコンサートに行ってきます。


*****************
2010年5月 シネマジャック&ベティにて




「教えて、私はどこの国にいるの。ここはポーランド?」

(映画 『カティンの森』より)


友人に誘われて、観に行ってきました。
第二次世界大戦中、ポーランド人将校約1万5000人がソ連により虐殺された事件を描いた作品です。
先日ポーランドの大統領専用機がロシアのスモレンスク近郊で墜落しましたが、訪露の目的はこのカティンの森事件の追悼式典へ出席するためでした。

ポーランドは1939年9月1日西からドイツに、同17日東からソ連に侵略され、約1万5000人のポーランド人将校が捕虜としてソ連へ連行されたまま行方不明になります。
そして1943年6月、ドイツ占領下のカティンで彼ら数千人の遺体が発見され、事件が明らかになりました(カティンは1941年秋~1943年9月はドイツ領)。
ドイツによる調査により事件が1940年春(この時カティンはソ連領)に起きたことは周知の事実でしたが、ソ連は1941年であると、つまりドイツによる犯行であると主張し続けました。
そして戦後ソ連の衛星国となったポーランドでは、この事件に触れることは最大のタブーとされ、遺族は事件の真実を語ることさえ許されず、ひたすら沈黙を強いられたのです。
ソ連が自国の犯行と認めたのは、東欧民主化後の1990年。実に事件から50年が過ぎていました。

この映画で特に印象的なのは、やはりR15のラスト10分。
行き先も告げられず囚人用の車に詰め込まれ、彼らは森へと運ばれる。
それぞれに人生があり、夢があり、待つ人がいる命が、虫けらのように機械的に処理されてゆく。
朝靄に霞む深緑の中、朝陽のあたる遺体にブルドーザーが無感情に土を被せる。
そして漆黒の画面に流れるポーランド・レクイエムと、続く無音のエンドロール。
この無音のなんという重さ。
それは死者達への黙祷であり、そして沈黙を強いられ続けたポーランド国民の心の怒りでもあるのだと思います。

非常に上映館数の少ない映画ですが、ぜひぜひ映画館でご覧いただきたい作品です。

※遺体が埋められた場所
カティン:4410名 ピャチハトキ:3739名 メドノエ:6315名

※関連動画
アンジェイ・ワイダ 祖国ポーランドを撮り続けた男


最後に、パンフレットより。
ワイダ監督の父親も、この事件の犠牲者でした。

若い世代が、祖国の過去から、意識的に、また努めて距離を置こうとしているのを、わたしは知っている。現今の諸問題にかかずらうあまり、彼らは、過去の人名と年号という、望もうと望むまいと我々を一個の民族として形成するもの----政治的なきっかけで、事あるごとに表面化する、民族としての不安や恐れを伴いながらであるが----を忘れる。
さほど遠からぬ以前、あるテレビ番組で、高校の男子生徒が、9月17日と聞いて何を思うかと問われ、教会関係の何かの祭日だろうと答えていた。

もしかしたら、わたしたちの映画『カティンの森』が世に出ることで、今後カティンについて質問された若者が、正確に回答できるようになるかもしれないではないか。
「確かカティンとは、スモレンスクの程近くにある場所の名前です」というだけでなく......。

監督アンジェイ・ワイダ)

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映画 『パディントン』

2016-02-06 01:24:57 | 映画



思っていたよりずっと面白かったです
何度かホロリとしちゃったよ。
映像や効果も美しかった。やっぱりロンドンは雪が似合う 私はロンドンという街は冬>春・秋>夏の順で好きなのです。英吉利人は逆なのでしょうけど。
ペルーの場面もすごく楽しかった。エンドクレジットによると、撮影はペルーではなくコスタリカで行われたのね。

昔ロンドンで最初に住んだフラットがbakerloo line沿線だったので、慣れない頃はいつもこのパディントン駅を頼りに行動していたものでした。とりあえずここに出ることができれば安心&最悪歩いて帰れる、と。
そして当然のごとくパディントン熊も持っているのですが(駅構内で売っている)、どんな内容の話なのか今日映画を観るまで知りませんでした。こんな話だったのか。ちょっとアメリカ物語に似てますね。こっちの方がストーリーが温かいですけど。

そして本日一番の吃驚。
レミゼラブル25周年のテナルディエ旦那役のマット・ルーカスって、リトルブリテンの人だったんですね
今回の映画に出演しているのですが(wikipediaによるとパディントン地区出身なのですって)、映画を観ながら「リトルブリテンの人だ~。なつかし~」と思っていたら、帰宅して調べたら名前がマット・ルーカスじゃないの。テナルディエ旦那じゃないの。
リトルブリテン、結構好きで観ていたのに、レミゼ25周年を観ても同一人物だなんて全然気づかなかったですよ。。
でも、これと↓


これが↓


同じ人だなんて思わなくない??
・・・いや、思うか。思いますね。。

この『リトルブリテン』という英国コメディ、WOWOWでも放映されていたようなのでご存じの方も多いと思いますが、かなりドギツイというか辛辣な笑いで、例えばアジア人を笑いものにするようなものも多いのです。私的には「ギリギリ・・てかアウト」なものも割とあったのですが、同じく日本人の友人は「でも彼らは自分達のことも笑ってるからいいんだよ」と。まあ確かにそのとおりで、アジア人もアメリカ人もイギリス人も、障害者も健常者も、大統領もゲイもノンケも、彼らは全部笑い飛ばしているのです。
私などは自分を笑えば他人を笑うことも許されるのか?分別のない視聴者はかえってこのネタを差別のきっかけにするのでは?結局はそれでも自分達の国が一番という高みから彼らは降りてきていないのでは?とか今でもちょっと思ったりしてるのですけど、だとしても、こういうことを敢えてやるということ自体が実はなかなかできることではないのでは、とも日本にいる今は思うのです。
その国に現に存在している暗部や差別を全て公の場に曝して、皮肉にして笑う。ここまでできるのは、もしかしたら世界中でイギリスという国だけかもしれん、と。それを全部私が笑えるかどうかはさておき。

ところで今回のパディントン、とてもいい映画だったのですけど、終わり方が「色んな国の人達が集まるロンドン♪違った人も受け入れる、住みやすい街ロンドン♪」てな感じなのです。全く悪いことは言っていないのですけど、こうもストレートに自己肯定されてしまうと、自分達の国を真っ先に皮肉っていたあのリトルブリテンが懐かしくなってしまうのですから、私も勝手なものです。
それともあの曲も彼ら一流の皮肉だったり・・・はないか、さすがに。いや、意外と・・・?じゃあpretty japaneseも皮肉か?(ありそう) 考え出したらキリがない(^_^;) ここはやっぱり素直に観ましょう、素直に。


little britain usa opening


リトルブリテン米国編のオープニング。これかなり好き笑。
Little Britainというタイトルは、もちろんGreat Britainのもじりです。

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