風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

アルカディ・ヴォロドス ピアノリサイタル @Het Concertgebouw(6月10日)

2018-06-28 01:25:20 | クラシック音楽
昼のコンサートが終わり、一旦宿へ。
さて夜のリサイタルまで、どうしましょう
Vondel Parkをお散歩?でももうこの時間は人が多いだろうし、なによりワタクシもう歩きたくない。
ただ帰国前にあのニシンはもう一度食べたい。店はトラムの停留所の目の前で、ここからわずか数駅となれば、Let's Go~~~


宿の最寄りの停留所の向かいの建物が素敵と思ったら、なんてことない、国立美術館を横から見ていたのであった。
停留所の名前は「Rijksmuseum(国立美術館)」だもんね


やっぱりとても美味しい 
周りの環境は全く美しくないけど~。

それからトンボ返りで宿に戻ってシャワーを浴びると、猛烈な眠気が。。。。。。
お布団ぽかぽか。。。
裏の通りで遊んでいる近所の子供達の声が遠のいて。。。。。

目が覚めたらちょうどいい時間に
日本から持参したインスタントのリゾットで腹ごしらえして、着替えて、本日二度目のコンセルトヘボウへ~♪

さて今回の旅行で私は3つのコンサートのチケットを買っていたわけでありますが、そのうち購入時の内容どおりに開催されたのは8日夜のハイティンク×コンセルトヘボウの1つだけなのでした。
10日昼のコンサートがハサン×コンセルトヘボウに変更になったのは既に書いたとおりですが、この10日夜のピアノリサイタルもペライア→ヴォロドスに変更になったものなのです。
そんなですので、8日夜に指揮台に立ってくださったハイティンクには感謝しかありません。

10日夜のチケットは、ペライアのリサイタルとして、€90で買っていました(日本と変わらないお値段。オケの方は日本の半額なのに何故なの~)。
しかし3週間ほど前にペライア→ヴォロドスへの変更メールが。ピアノリサイタルのピアニストの変更なのに、「ヴォロドスが代役を引き受けてくれました!皆さん喜んで!」とあるだけで、チケットの払い戻し等についての文言は一切なし。
そして更新後の公演ページに行ってみると、しれっとチケット代が€75に下がっているではないですか。そこでコンセルトヘボウに問い合わせてみたところすぐに返事が来て、€15をカードに返金する旨と€75の新しいチケットが添付されていました。言わなかった人には返金しないのだろうか 


ホール正面の一見立派なアジェンダボード。


しかしよく見ると結構雑なのがガイジンぽい(ヴォロドスの部分のテープの貼り方)笑


本日の席は、2階右サイドの1列目。
足元は東京文化会館の5階席並の狭さですが、赤い布張りの手摺?が素敵。コンセルトヘボウの赤色の使い方が大好き♪


シューベルトの名前ももちろんあります。

Franz Schubert Sonata in A major, D 959
-interval- 
Franz Schubert Sonata in B-flat major, D 960
-encores- 
Johannes Brahms Intermezzo in E flat major, op. 117 no. 1
Intermezzo in b flat minor, op. 117 no. 2
J.S. Bach / A.Vivaldi Siciliano, BWV 596

さて、ヴォロドスの演奏の感想ですが。
残念ながら私の好みとはちょっと違い・・・
コンセルトヘボウの紹介ではexquisite and flexible toneで知られるピアニストと書いてあるのだけど・・・んー、私の耳にはあまりそう聴こえなかった・・・。pppは聴いたことのないレベルのものだったけど、それがイコール音楽の感動に結びつくわけではないしなぁ・・・(しかし会場奥まで届くあの最弱音はどういう技術なのだろう。相当力加減に気を配っているのだろうなあ。でも聴いていてちょっと首筋がモゾモゾしてしまう音でもある)。
また曲へのアプローチの仕方も私の耳には似て聴こえ、D959もD960もアンコールの3曲もみんな同じような曲に聴こえてしまったんです・・・。もしかしてこのホールの音響が悪いのか?と、あれだけオケで感動した音響も疑い始めてしまったり。「シューベルトはこういう風に弾いてほしい」という私の先入観のせいもあるのかも(ツィメさんの呪いアゲイン!?)。だとしたらそういうのってよくないよなぁ、とかそんなことをもんもんと考えてしまい、気づけば視界正面の「・_・」の顔をじっと見つめている始末・・・↓



ただ、彼の音の真摯さ、そしてヴォロドスというピアニスト自身の人間的な雰囲気はいいなと感じました。
この人はきっと、超絶技巧というイメージから脱却したいと思っているのではないかしら。アンコールの選曲や、大盛り上がりの手拍子でアンコールを要求する客席に対して浮かべた微かな表情に、そんな印象を受けました。きっと真面目で純粋な人なのではないかな。1972年ロシアのレニングラード生まれの46歳。

Schubert - Andante sostenuto from the B flat major sonata, D. 960 (A. Volodos)

これは、今回のリサイタルで比較的いいなと感じた部分です。
このときは「・_・」ではなく、ヴォロドスを見ていました(ピアノはスタインウェイでした)。

Tchaikovsky - Piano Concerto No. 1 (Volodos, Ozawa)

小澤さん×ベルリンフィルとのチャイコフスキー、いいねぇ。ラフマニノフもとてもいいし、この人はシューベルトやブラームスよりロシアものの方が合っているように思うなあ

Arcadi Volodos Prinsengrachtconcert Amsterdam 2001

ああ、すごくいいですね、こういうコンサート♪♪♪



翌早朝、空港に行く前に。
トラムも人もいない通りで、朝日に輝くコンセルトヘボウ。沢山のドラマと歴史の詰まった音楽の殿堂。
凛とした佇まいと柔らかな親しみやすさの両方を感じさせるところが、ここをホームにしているオーケストラの音色と同じ
またいつか来られるかな・・・。来られるといいな。
そしてハイティンクとペライアには、どうかどうか早く回復されますよう、心からお祈りしています。私にクラシック音楽の素晴らしさを教えてくれた、一番好きなお二人ですもの。

そうそう、このホールで印象的だったものがもうひとつ。せっかく綺麗にまとめたのにアレですが。
プログラムの販売や会場を案内しているスタッフのお兄ちゃん達が、めちゃくちゃ品のいいイケメン揃いだった
なんていうかスーツを着ている王子様的な?(いやほんとに)。音大生さんとかなのだろうか。
私:これ、今夜の公演のプログラムですか?
兄ちゃん:はい、そうです
私:いくらですか?
兄ちゃん:€2.5です
私:(お財布じゃらじゃら)
兄ちゃん:お釣りもありますよ
私:(プログラムを買ってから)あの、レディースルームはどこですか? ※王子様相手にこんな質問したくなかったが、仕方がない。
兄ちゃん:そこを曲がって右ですよ
私:ありがとう。(と歩きかけ)
兄ちゃん:あ、ちょっと待って・・・!!!(ものすごい慌てた様子で追いかけてくる)
私:(な、なにごと・・・
兄ちゃん:(プログラム売り場を放って、通路を右に左にうろちょろした後)すみません、右じゃなくて、左でした!
私:(ちょ・・・、なにこの可愛い王子様・・・!)

てなことがあったり、他にも数人話したスタッフ(写真撮っていいかの確認とか色々)がみんなそんな感じで、このホールに行かれたことのある日本人の方達のブログを読むと音響や演奏について絶賛している文章は多いけど、こういう邪な情報について触れているものはなかったので、私が触れておきます


※コンセルトヘボウの公演ページよりヴォロドスについての紹介(よく読まなくても今年の12月の公演用の使い回しですね。おそらく最初の一行を足しただけ。ガイジンぽい笑)
ARCADI VOLODOS: SUPERIOR MASTERY OF TONE AND LIMITLESS DYNAMIC IN SCHUBERT, SKRJABIN AND RACHMANINOFF

Due to health problems Murray Perahia had to cancel his recital.  Arcadi Volodos replaced him.

The day after his recital in 2017 the daily newspaper NRC Handelsblad awarded his last recital five stars. The heading of the review read: ‘Not the brilliance but the depth of the notes.’ Once again the music of Schubert was performed in an ’ultimate’ manner, and we will experience this again in May and December, when Volodos plays two major sonatas of Schubert, this time linked with much Russian nostalgia and virtuosity of Skrjabin and Rachmaninoff!

‘A measure of great music means more for me than life itself,’ Volodos, who by now has developed into one of the most profound pianists in the world, once said. He is known for his exquisite and flexible tone. His virtuosity is likewise legendary. Again and again Volodos’ performances leave his audience enchanted, as if they had been to a spiritual séance.

This profundity is found in every fibre of his being: ‘I am someone who starts living during the night. Around eleven in the evening I am fully awake. That is when I play the piano, compose, write, daydream, read and learn. Daytime is suitable for walking in the park and being with friends, but not for creativity, strength of mind or originality. I enjoy reading Dostojevski and philosophy. What I choose varies. It is as in music: one moment you travel with Schubert heavenward before descending with Rachmaninoff to the depths of the suffering soul, and similarly I enjoy reading Epicurus besides the complicated philosophies of Emil Cioran, my favorite author’. (NRC).





このリサイタルは、マスターピアニストシリーズというものの一環でした。今回はペライアの代役でしたが、ヴォロドス自身も最初からメンバーに入っていて、12月に公演予定のようです。他にはツィメルマンやアルゲリッチやグリモーなどの名前がありました。ヴォロドスはあまりヨーロッパの外へ出ない人のようなので、今回聴けたのは貴重な機会だったかもしれません。

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コンセルトヘボウ管弦楽団 『マーラー 交響曲第9番』 @Het Concertgebouw(6月10日)

2018-06-22 23:22:16 | クラシック音楽




8日夜に舞台上でハイティンクが転倒した後、10日午後の公演については一切の続報がないまま当日の朝を迎えました。
本日の公演は14:15から。さてそれまでどうしましょう、と特に予定もないのでゆっくり朝食をとり、宿から徒歩2分のmuseumpleinまでお散歩に出かけてみると、、、


午前早い時間のこの広場のなんという清々しさ
いつもの”観光広場”とは別世界ではないですか~
観光客の姿は殆ど見えず、地元の人達がわんこのお散歩にきています



広場の一画にこんな綺麗な花が咲いていたことも、この日初めて気づきました。
人・人・人の市街中心部まで出る気持ちはすっかり消え、旅も終盤で足も疲れ切っていたので、このままここでのんびり過ごすことに
お、ちょうどいいところにベンチが


この眺め~。
コンセルトヘボウとゴッホミュージアムとmuseumpleinを一望する最高席で、青空の下クリスマスマチネのマーラー9番を聴く贅沢といったら 

このうえなく平和で穏やかな6月のアムステルダム。

ああ、幸せだ・・・

でも、


やっぱりこの曲はすこし寂しいね・・・


最後まで聴き終えた頃には、広場の観光客もすっかり増え。
お腹が空いたので国立美術館前のストールでチーズバーガーを購入。tripadvisorでは割と評判のよい店だったのだけれど・・・不味かった 前日に街で食べたニシンの塩漬けパンが最高だっただけに。
それでも完食し、ミュージアムショップで買い残しのお土産を買い、宿に戻ったのは正午頃でした。
そしてタブレットを確認すると、コンセルトヘボウからこんな新着メールが↓↓↓



・・・覚悟はしていたけれど、やっぱりショックでしたよ。
ハイティンクのマーラー9番、もう一度聴きたかった……。しばらく他の指揮者でこの曲は聴きたくなくて今日の公演に行こうかどうか一瞬迷いましたが、メールによると代役を任されたハサンはハイティンクのアシスタント・コンダクターとのこと。その彼の公演に空席があったらきっとハイティンクも悲しむ・・・と、服を着替えて出かけました。

ホールの入口に指揮者変更の貼り紙はなし。
日本だったら絶対に貼り紙をだすよなあ、と思いつつ、席へ。


8日は音響重視で2階の後方サイドでしたが、本日はP席。
ああ、本来だったらこの角度でハイティンクのお姿を拝めるはずだったのに
後ろには、厳しい顔で舞台を見て話しこんでいるオランダ人らしき男性二人。ハイティンクの降板について話してるのだろうか。

やがて客が全員席について、客電が落とされ、奏者が出揃って、コンマスさんも出てきて、音合わせも済んで、鑑賞時の注意のアナウンスが流れても、まだ指揮者変更についてのお知らせはなし。
(・・・いくらなんでもこのまま予定と違う指揮者が突然登場して演奏を始めるなんて暴挙はないわよね
と思っていたら、徐に舞台袖から男性が。
そのコンセルトヘボウのディレクターさん(だったかな?)曰く「名誉指揮者のベルナルト・ハイティンクが金曜の夜に舞台で倒れたこと。目下のところ状態は安定していること。本人は今日の指揮をすることを強く望んでいたが、やはり不可能である旨の報告が今朝本人からあったこと。彼の指揮で二回の素晴らしいコンサートを持てたことを我々は幸せに思うこと。今日代わりに指揮をするKerem Hasan(ケレム・ハサン)はイギリス人で、ハイティンクのアシスタント・コンダクターとしてハイティンクと何度も公演を共にしていること。昨年のネスレ&ザルツブルク音楽祭Young Conductors Awardで優勝した将来有望な指揮者であること」などの紹介がありました。
それからすぐにハサンが階段から登場。
指揮台で客席に礼をして、指揮棒を上げて・・・の間にも、席を立って退場する人がぱらぱらと。私の斜め前の高齢の男性も、話を聞き終わるや否やハサンが今おりてきたばかりの階段を上がって、第一楽章の第一音が鳴るのとほぼ同時に扉を閉めて出て行かれました。「ハイティンクだから聴きに来た」ということなのでしょうし、まあ正直わかります、その気持ち・・・。これは運営側が悪いよねぇ。2時間前には決まっていたのに、こんなにぎりぎりまで指揮者変更のアナウンスをしないんだもの。それもただのコンサートではなく、客にとってもオケにとっても特別な意味を持つコンサートで。

さてハサンの指揮ですが、コンセルトヘボウ大ホールでRCO×マーラー9番をハイティンクの代わりに振るわけですから(しかも最終日)プレッシャーは相当だったでしょうし、リハーサル時間も殆どとれなかったはず。そんな条件下で、よく頑張ったと思います。ぎこちないところはあっても90分の大曲をちゃんとまとめていましたし、笑顔を絶やさない生き生きとした、かつ落ち着いた指揮姿も好印象。マーラー9番にしては笑顔全開過ぎな気もしないではなかったが、まあ若い彼には合っていましたし、オケとコミュニケーションをとろうという気持ちが伝わってきました。今回の状況と26歳という年齢を考えれば十分以上ではないかと思います。
でも前々日に聴いたばかりのハイティンクのものと比べてしまうと・・・、やっぱり難しいなあ・・・。アシスタントコンダクターなので基本はハイティンクの解釈をもとに振っていると思うのだけれど、なんだか今日の演奏は指揮者の「形になるように」と頑張っている意識が所々の演奏に出てしまっていて(状況を考えれば当然ですが)、音楽が自然に歌っているのびのびした感じがなかったように聴こえた。
なので演奏自体に感動したかと言われるとイエスとは言い難いのだけれど、それ以外のところでは印象に残る体験が色々できました。

まずこの公演は今回私が聴いた3つのうち唯一のマチネだったのだけれど、「一流オーケストラの演奏を昼の自然光の中で聴く」という夢がようやく叶った\(^〇^)/ しかも曲はマーラー9番。このホールの一番高い位置のアーチ型の窓って、夜のコンサートでは閉じられているけれど、昼のときは開けるんですよね(もちろんガラス窓ははめ込みですが)。
それでね、この曲の第一楽章を聴きながら窓から射し込む白い光を見ていたら、それが神様の光に見えたんです。とても自然に。まるで教会にいるように感じられた。あれはちょっと忘れ難い体験でした。それにこのオケ、不意にとてつもなく美しい音を出すのだもの。加えてあの音響。

次に印象的だったのが、コンセルトヘボウのオーケストラがハサンに対して非常に真摯で温かで協力的だったこと。
急遽指揮をすることになった無名の26歳の指揮者に対して、世界一流オーケストラの奏者達がこれほど素直にその棒に従い支える演奏をするものなのかと、ちょっと驚きました(当然といえば当然なのですけど、ほら、オーケストラの世界って色々コワい話も聞くから)。コンマスさん(8日も10日もLiviu Prunaruさんという方)の視線はしっかりハサンを追っていて、見下す感じはゼロだった。そこには間違いなく、彼に指揮を託したハイティンクに対する敬愛の念もあるのだろうな、と強く感じました。ハサンはツイートでこんな風に書いています↓




そう、本当にwarmでsupportiveなオーケストラだった(少なくとも私にはそう見えたし、聴こえた)。
それまでゆっくりめだった割に何故か突き進み気味だった第四楽章は「もうちょっと落ち着きましょう」とオケがハサンに対して言っているように聴こえたが、それは私の心の声かも笑。
このコンサートに限っていえば、ハイティンクの代役は他のベテラン指揮者ではなく、26歳のハサンでよかったと思っています。そこから生まれていく新しい何かがあるように思うから。

さて、このオケにとってマーラーという作曲家がいかに重要なものであるかは、ホールに掲げられたその名前の場所からもわかります。このホールは古今の作曲家の名前が金文字で描かれたプレートが客席の周囲をぐるりと囲んでいるのですが、そのうちオケから見た正面ド真ん中(客席の真後ろ中央)にその名のプレートが掲げられているのがマーラーなのです(写真は前回の記事に載せてあります)。そしてマーラー自身もしばしばこのホールの指揮台に立ったそうです。


ちなみに指揮者がおりてくる階段の上に掲げられた作曲家はバッハで、その隣はハイドン。
私は歌舞伎座には過去の役者さん達などの神様がいると思っているのですが、同じことをコンサートホールにも感じています。もちろんそれはこのホールに限ったことではないのだけれど、私達の人生に美しく優しい光を与えてくれる作曲家達の名前に囲まれながら美しい生演奏を聴く体験は、ちょっと圧巻でした。このホールの客席にそういうプレートがあることは知識として知っていましたが、マーラー、ブルックナー、チャイコフスキー、ラヴェル、バッハ、ハイドン、シューベルト、ブラームス、ワーグナー・・・といった名前に囲まれて音楽を聴くことがこれほど心に訴えかけてくるものだとは予想外でした。これもアムステルダムの聴衆にとっては当たり前の日常なのでしょうが。

演奏後はものすごいスタオベ&ブラヴォーの嵐。演奏後即全員スタオベはまあよいです。このホールの慣例なのでしょうし(今回行った3つのコンサート全てでそうだった)、特に今回は急遽の代役を頑張ったハサンに沢山の拍手を送りたいでしょう。でもねえ。この演奏にブラヴォーはどうなのでしょう。。。とちょっぴり複雑な気分で宿に戻ることになったワタクシでございました。。。

これから夜のコンサートが始まる20:15まで、しばし休息。
夜はアルカディ・ヴォロドスのピアノリサイタルです。私が買っていたのはペライアのリサイタルだったのですけどね。感想は追って。

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コンセルトヘボウ管弦楽団 『マーラー 交響曲第9番』 @Het Concertgebouw(6月8日)

2018-06-18 22:34:39 | クラシック音楽



"I'm not Dutch any more – I've been too long out of the country." Although he grew up in the occupied Netherlands, He was not raised in a religious environment. "That was quite amazing for a Dutch family of the time." he says. He hasn't lost his accent, however, in spite of 12 years in charge of the London Philharmonic Orchestra, and 15 at the Royal Opera House.

Those formative years during the war still haunt him. "There was so much talent lost. During the occupation, it became clear the Germans wanted to isolate the Jewish population. However, at the time, we didn't want to believe it. We couldn't believe they would all be murdered. I remember I went to see a young Jewish violinist play a concert at his home – he played Beethoven's Kreutzer Sonata quite beautifully – but then, of course, he disappeared. I think the whole scene would have been different if Hitler and this whole fanatic policy had not existed. It becomes very odd and frightening when you think about it." He looks troubled. "These are very dangerous and unpleasant thoughts – but I would never have been a conductor if all of these catastrophes had not happened. There would have been more talented conductors than me."

Musicians who play for Haitink today would disagree. Concertgebouw members speak of him with reverence; no one seems to know exactly how he does it, because he doesn't say much during rehearsals, but Haitink makes them play with more concentration, intensity and freedom. 



what did he think about a huge work like Mahler's Ninth? Was there an idea, a plan?
"One of the things I was thinking was: how can I keep it quiet at the end? Because it's a unique ending, this breaking off of everything and disappearing in the air. And I thought, 'Whatever I do, they [the audience] must be silent.' I don't know what I did, but they were silent! Then you have one or two idiots in the hall shouting 'Bravo!' and the whole thing is broken."

(22 September 2009, The guardian)

ハイティンク×コンセルトヘボウ管弦楽団×マーラー9番@コンセルトヘボウ大ホールを聴きに、アムステルダムへ行ってきました。
旅程はポーランド3泊&アムステルダム3泊だったので旅行記も追って書きたいと思いますが、まずは演奏会の感想を。

昨年末ハイティンクがベルリンフィルで同曲を振ったときに次回は半年後にコンセルトヘボウで振ると知り、「コンセルトヘボウかあ、いいなあ、いつか行ってみたいなあ」と。そして「コンセルトヘボウで聴くなら、やっぱりコンセルトヘボウ管でマーラーを聴きたいなあ」と。では指揮者は誰で聴きたいだろう?となると、私の場合は即答でハイティンク一択だったので、だとしたら行くのは今しかないであろう、と思い切って行ってしまいました
初めてロンドンでハイティンクの指揮を聴いてから、ちょうど10年。
ショスタコーヴィチもブラームスもブルックナーも聴いて、モーツァルトやベートーヴェンの協奏曲も聴いて、あとはやっぱりマーラーを聴いてみたかった。しかも第9番は彼自身が「特別な曲」と位置づけている曲ですもの。

夏休み時期じゃないので休暇をとるのに少し苦労はしたけれど、思い切って聴きに来てよかったな、と心から思いました。
人が人生を生きていくなかで向き合わねばならないものを、その演奏は教えてくれたように感じられました。
私がこの曲を聴くのはヤンソンス×バイエルン放送響に続いて二度目で、そのときの感想記事で私は「(予習で聴いた音源では)死ぬときにこの曲を聴くのは死を強く感じすぎるから嫌だなと思っていた」と書きました。あのとき聴いた音源は、実はハイティンク×コンセルトヘボウの演奏だったんです。生きとし生ける者すべてを外側から包み込んでくれるようなヤンソンスさん×BRSOと違い、このコンビのそれはより容赦なく発せられる音に私には聴こえました。人が死んでゆくときの、魂がこの世界に別れを告げる音。であるがゆえに胸が苦しくなる。
できることなら向き合いたくないけれど、生きている限りは向き合わねばならないもの。今年の私が向き合わなければならなかったもの。

白鳥の歌のような3楽章後半~最終楽章を聴きながら、89歳のハイティンクは指揮台の上でこんな音に包まれて冷静でいられるのだろうか、と思いながらその背中を見ていました。それくらい痛切に「人の命の最後」を感じさせる音だったからです。
聴きながら、昔アラスカの空に音なく浮遊していた白いオーロラを思い出しました。星野さんが「亡くなった人の魂」と言ったオーロラ。この世界で生きていた人の、最後の魂の音。

ラストは、客席の完全な静寂が保たれました。そしてハイティンクはパタンと楽譜を閉じて、「おしまい」とちょっとおどけるように小さく両手を挙げたのがこの人らしいなと思いました。それが合図となったように初めて客席から拍手が沸き起こりました。最初に指揮台に上がったときも鳴りやまない拍手を全く気負わず気軽な感じで少し笑って止めていて。彼は自身をオランダ人と呼ぶにはこの国を長く離れすぎたと語っているけれど、少なくとも数年前に日本で見た姿よりずっと寛いだ雰囲気で、やっぱりここはこの人にとって慣れ親しんだ場所なのだなあ、と感じたのでした。同じ母国語を話す、そっくりの顔立ちの人がいっぱいいる客席(ほんとに!)。1楽章の最後の消えゆく音の怖いほどの美しさ。完璧に盛り上げ切った3楽章。ソロのときなどは椅子に腰掛けるときもあったけれど全奏部分になると立ち上がっていて、やっぱり立って指揮をすることにこだわりをもっておられるのだなぁと感じたのでした。

コンセルトヘボウの大ホールで聴くコンセルトヘボウ管の音は、これまで聴いたどのオーケストラの音とも違って独特で、本番前の音出しの音だけでも「わ、今まで聴いたことのない音だ」と感じました。このオケを聴くのもこの会場で聴くのも初めてなので、どちらが理由かはわかりません。ただこの翌々日に同じコンビによるクリスマスマチネのマーラー9番の録音を久しぶりに聴いたら同じ音がしたので、あれはきっとコンセルトヘボウ管@コンセルトヘボウの音なのだな、と。どんなにとんがっても決して神経に障ることのない、品格と艶のある滑らかな音。ベルリンフィルのような機能性はないけれど(正直演奏が始まってからしばらくはベルリンフィルとの違いに戸惑った)、温かで。大編成の世界一流オーケストラの音というより、アットホームな室内楽のような音といったらいいでしょうか。そして長い歴史のあるコンサートホールであることを感じさせる、深みのある落ち着いた音響。
そういえば以前ハイティンクがインタビュー(Oct. 2004)で“Amsterdam is halfway between Berlin and Vienna. They’re not as macho as Berlin - in a good performance they have more transparency than a Germanic orchestra because they play so much French music. The texture is lighter.”と仰っていましたが、そう、まさにそんな音。そしてこんな風にも。“I don’t want to be nasty to Chailly , but the sound changed. Then, when I heard them this summer with Mariss, I thought, ‘Yes, that is the old Concertgebouw again.’”。ヤンソンスがシャイ―の後任に就任したときに団員から「ハイティンクの頃の音(奏法)に戻したい」とお願いをされたそうなので(当時のヤンソンスのインタビューによると)、それが実行されたということでしょうか。

ハイティンクは3年前に見た時より動作が小さくなられてはいたものの想像していたよりずっと溌剌とした指揮で、その姿を見た後は、翌々日もこのコンビで聴けることを1ミリも疑っていませんでした。楽章の間にじっと下を向いたまま動かないときもありましたし、演奏後にスタッフから贈られた花束を女性奏者に渡すときに少し足元が覚束ないご様子ではありましたが、それでも演奏中の指揮には力強さもキレもありました。それが二回目のカーテンコールを終えたときに突然バタンと大きな音をたてて倒れられて(床の僅かな段差に躓いたらしいというツイートを見かけました)、客席もオケも完全に凍りつきました。私はすぐにサントリーホールのヤンソンスさんのときを思い出したけれど、あのときと違ったのはハイティンクがいつまでも立ち上がらなかったこと。舞台袖からすぐにスタッフの人達が出てきて。ハイティンクの頭を撫でていた女性は奥様だろうか。だいぶ長い時間そういう状態だったけれど、奏者の一人が聴衆へ感謝の挨拶をオランダ語と英語でして。でもまだ舞台上で動かないハイティンクを残しては…と退場を躊躇っていたら一階席から大きな拍手が起こって、見ると、ハイティンクが両側を支えられて退場するところでした(担架も出ていたけど使用されることはありませんでした)。もちろん私も拍手。近くの席の方達の話ではこのとき客席に手をあげてくださったそうですが、私の位置からは確認できませんでした。
帰り道で近くにいた女性は「It was a special night... bravo... bravo...」と呟いていて、まるで今夜が最後みたいじゃない…明後日もあるのに…と寂しく思いながらも、あの場であの状況を目の当たりにした客は誰もが、2日後は彼は振れないかもしれないと感じていたと思う。事実そのとおりになったのでありました。

今後ハイティンクがマーラー9番を再び振ることはあるのだろうか。
仮にあったとしても、少なくとも私にとっては、この夜の公演が最後となることはほぼ間違いないでしょう。数分前までは翌々日にもう一度聴けることを疑っていなかったですし、誰よりもハイティンクご自身が3日間の公演を最後まで振りたかったろうと思います。

ハイティンクは2009年の上記インタビューで、あの大戦で多くの才能ある命が失われた、と。もし彼らが生きていたら自分は指揮者にはなっていなかったろう、と、かつてこの街で彼に美しいベートーヴェンを聴かせてくれた若いユダヤ人のヴァイオリニストについて語っています。そして、"but then, of course, he disappeared."と。ハイティンクと同い年だったアンネ・フランクがこの街から連行されていったアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を、私は今回の旅でアムステルダムに来る前に訪れました。オランダはナチスの迫害によるユダヤ人犠牲率が欧州の国々の中でずば抜けて高く、その理由は当時の行政(独軍占領によりアーリア化した行政)がナチスの政策を黙認したためとも言われています。ハイティンクはそういう時代のこの街の空気を肌で知っている人で、そんな彼からあのマーラー9番の音が生まれてくることに、私は自然な繋がりを感じないではいられないのでした(演奏にユダヤ色が強いという意味では全くありません)。上記インタビューでハイティンクが見せた痛みの表情。彼の指揮から生まれる、決して聴衆の興奮を煽ることをしない、けれど、強く人の生の最後を感じさせる音。ハイティンクがどう仰るかはわかりませんが。 



急遽最終日(10日)の代役をすることになったKerem Hasan(ケレム・ハサン)の7日のツイート。
ハイティンクが初めてコンセルトヘボウでマーラー9番を指揮したのは54年前とのこと。
Hasanもこのときはまさか数日後に自分が振ることになるとは思っていなかったでしょうね
10日の感想については、別記事で。




8日の演奏前の写真を後からFBに載せてくださいました。


階段も素敵


ハイティンクの肖像画?がロビーにあるのも、コンセルトヘボウならではですよね


このホールを訪れたらやっぱり撮りたい、このアングル。
皆さんネットに上げていらっしゃるけどそんな簡単に撮れるものなのかしら~と思っていたら、とても簡単なのであった。なぜなら~


アノ階段の扉の前はこんな感じの廊下で、普通に聴衆も利用する場所なのであった。P席の客が使うのも指揮者と同じ階段(ハイティンクはご高齢なので使っていませんが)。演奏前に階段上で奏者が聴きに来た友人らしき人達と雑談している光景なども見られ、そんな気取らなさがこのホールの魅力の一つであるなぁと感じたのでした。


やたらと高さがある割には客席との距離が近くに感じられるステージ。


このホールはドレスコードもなし。フォーマルとカジュアルが不思議と違和感なく混じり合う客席
そんな客席ですが、皆さんめっちゃマナーがいいんです 今回3回コンサートに行きましたが、東京より静かなくらいの客席にワタクシびっくりです。日本の聴衆レベルは世界一とか言って憚らない自画自賛な人達は一度コンセルトヘボウでも聴いてみるとよいと思ふ(ロンドンはダメよ)。そして演奏終了直後に客全員スタオベという不思議慣例があるのもこのホールの特徴
ちなみにスタッフに確認したところ、演奏中以外は会場の写真撮影はOKとのこと。


演奏会後にmuseumpleinより。ここの演奏会は20:15に始まるので、終わるのは今回のように一曲だけでも22時過ぎになるのです。それでもこの明るさ。夏至が近いこの時期のアムステルダムの日没は22時頃で、23時近くでもまだ完全な暗闇にはなりません。
写真はあえてトラム入りで(トラムなしで撮る方が大変ですけど笑)。
もっともこの写真を撮っていたときの私は、ハイティンクのことが心配で呆然としておりました。。


ハイティンクのエージェントからのメッセージとのこと。
一日も早くお元気で指揮台に戻られますように
コンセルトヘボウのことは、"Bernard's beloved Royal Concertgebouw Orchestra"と
Hasanについては、"the silver lining to this cloud"と


ロビーで€2.5で買った今回の公演プログラム(オランダ語おんりー)と、ネット購入したチケット(オランダ語おんりー)と、会場にあったハイティンクが表紙の寄付を募る?パンフレット(オランダ語おんりー)。このパンフレット、中の写真がとっても素敵なんです。建築当時のコンセルトヘボウの写真が載っていたり。
今回の座席は落ち着けそうな端の席をゲットしていたのだが、舞台寄りの席のカップルの女性から「風邪を引いて咳気味で、途中退室するかもしれないので席を替わっていただくことはできますか」と聞かれ、替わって差し上げたのでありました。まあハイティンクの姿をより近くで見られたのはよかったかな。
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