風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『レオナルド・ダ・ヴィンチ ─ 天才の挑戦』展 @江戸東京博物館(3月26日)

2016-03-28 17:53:32 | 美術展、文学展etc




例によって、会期終了ギリギリに行くワタクシ。
ダヴィンチ以外の作品も多く展示されていましたが、自分用記録として、主にダヴィンチによる作品をここに残しておきますね。
以前にも書きましたが、私は画家の体温を身近に感じられる素描というものが大好きでして。今回も沢山展示されていて、幸せでした

レオナルドは、時間の経過とともに移り行く美の姿を、長くとどめることができるものこそが絵画であると考え、人間や自然の観察を行い、何千枚もの素描に描き留めました。「素描は極めて卓越しているのでそれは自然の作品を研究するだけではなく、自然が生み出す以上の無数のものを研究する。」(『絵画の書』133)と述べています。(公式HPより)

レオナルドは「絵画は、詩や音楽や彫刻に勝る最上のもの」と考えました。ミケランジェロと対照的です(そして二人は犬猿の仲であった)。

レオナルドは『絵画論』のなかで、彫刻は肉体労働であり、土にまみれて不潔だと書き、その反対に絵画は頭脳労働で清潔、優雅な作業だと述べている。対するミケランジェロは、絵画は浮彫りに近ければ近いほど良く、しかし浮彫りは絵画的になればなるほど悪くなる、と述べている。(池上英洋 『ルネサンス 天才の素顔』より)


レオナルド・ダ・ヴィンチ 《羊飼いの礼拝のための研究》 1478-1480年
紙、金属尖筆、ペンと褐色インク
7.4×9.8cm、ヴェネツィア、アカデミア美術館素描版画室


レオナルド・ダ・ヴィンチ 《ユダの手の研究》 1495年頃
赤い地塗りをした紙、赤チョーク、鉛白によるハイライト
20.8×16.1cm、ヴェネツィア、アカデミア美術館素描版画室
『最後の晩餐』のユダの右手。あのもととなった素描かと思うと・・・(興奮)
またイタリア行きたいなぁ。。
しかしこういう絵は美大生などが見るとさらに楽しめるのでしょうね~。


レオナルド・ダ・ヴィンチと弟子 《手の研究》 1495年頃
赤い地塗りをした紙、赤チョーク、白チョーク
20.8x16.1cm、ヴェネツィア、アカデミア美術館素描版画室
上が弟子で、下がレオナルド・・・?


レオナルド・ダ・ヴィンチ 《子どもの脚の研究》 1502‒1503年
赤い地塗りをした紙、赤チョーク
13.5×10cm、ヴェネツィア、アカデミア美術館素描版画室
可愛い・・・


レオナルド・ダ・ヴィンチ 《子どもの研究》 1502‒1503年
赤い地塗りをした紙、赤チョーク、鉛白による
28.5×19.8cm、ヴェネツィア、アカデミア美術館素描版画室
「聖アンナと聖母子」のイエスの習作。


レオナルド・ダ・ヴィンチ 《花の研究》 1504年頃
紙、銀の尖筆、ペンと褐色インク
18.3×20.1cm、ヴェネツィア、アカデミア美術館素描版画室


レオナルド・ダ・ヴィンチ 《受胎告知の天使のための左手と腕の研究》 1505年頃
紙、金属尖筆、赤チョーク、白チョーク
22.3×16.2cm、ヴェネツィア、アカデミア美術館素描版画室
この絵の完成形である「受胎告知」は今はないそうです。
「洗礼者ヨハネ」の左手の習作ともいえる作品。




レオナルド・ダ・ヴィンチ 『鳥の飛翔に関する手稿』第10紙葉裏と第11紙葉表 1505年
紙、ペンと褐色インク、赤チョーク、21.3×15.4cm、トリノ王立図書館
人間の飛行の実現のため鳥の飛翔を観察したレオナルドの直筆研究ノート。左利きのレオナルドは、すべて「鏡文字」で書いています(※買い物メモを除く)。左頁には赤チョークで男性の顔のデッサンが。レオナルドは思いつきでどこにでもデッサンしたのだそうな。当時は紙が貴重だったのもその理由?
しかしこの手稿が、ノートの形でそのまま目の前に展示されているという事実が夢のようです。500年の時を超えてそこに50代のレオナルド本人がいるようでたまりません。
Theメインというように展示されている糸巻きの聖母と違い、こちらはめっちゃサラリと展示されていました。しかし横にはしっかりガードマンが。見ている人も少なく、目の前で見放題でした。


レオナルド・ダ・ヴィンチ 《糸巻きの聖母》 1501年頃
油彩・板、48.3×36.8cm、バクルー・リビング・ヘリテージ・トラスト
遠く将来を見つめているようなイエスの眼差し、そんなイエスを見つめるどこか寂しげなマリアの眼差しが、しっとりと美しいです

「糸巻きの聖母」という主題は、1501年に修道士ピエトロ・ダ・ノヴェッラーラがマントヴァ侯妃イザベッラ・デステに宛てた手紙の中で、レオナルドがフランス国王ルイ12世の外交官フロリモン・ロベルテのために取り組んでいた作品として言及されています。その手紙にある作品の描写と本作の構図が完全には一致しないため、研究者の中で議論が続いています。しかしながら、現在の研究では、背景は後世に加筆されたが、構図の中心である聖母子および前景の岩の描写は、レオナルド本人の手になるという意見が多数になっています。…前景の岩は、レオナルドにしかなしえない高度な技術で描かれています。時間の経過とともに変化する地質学の研究成果が表現されており、科学者、自然の観察者としてのレオナルドを思い起こさせます。また、遠近法を応用した歪み像のような聖母の顔、幼子イエスの、斜めの軸を中心に回転しているかのような体の描写に卓越したものを感じます。
(公式HPより)


素人の私などは、真作でも贋作でも美しければいいように思ってしまいますけども。
赤外線調査によるとマリアの左奥の岩の辺りには、聖ヨセフが赤ん坊用の歩行器を作っている様子が描かれていたそうです。完成版では塗りつぶされています。


レオナルド派(スペイン人フェルナンド周辺?) 糸巻きの聖母(スティーヴンソン・バルンの聖母) 1501-1525年
スコットランド・ナショナル・ギャラリー
作者が当時レオナルドのフィレンツェの工房で見た準備素描をもとに描いたと推定される作品(これも今回展示されていました)。左奥に歩行器が見られます。


しかし今回の展示を見て、レオナルド・ダ・ヴィンチという人は本当に「天才」というか多才」という言葉がピッタリな人だったのだなぁ、と改めて思いました。
何にでも「なんでだろう?」と疑問を持ち、するとその先を追究しないではいられないようで、その思考方法もイチイチちゃんと現実的(その良い例が鳥の飛翔の手稿)。宮殿や橋の設計をしたと思ったら、機械仕掛けのライオンを作ったり、それらが同時進行だったりするのですから(しかし自分の中で納得すると?製作途中で投げ出してしまう^^;)、私のような怠け者は年表に書かれた出来事の多彩さを眺めているだけでクラクラです(@@)。その67年の人生の中身の濃いこと。

「立派に費やされた1日が快い眠りを与えてくれるように、立派に費やされた人生は快い死を与えてくれる。」 (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

レオナルドには遠く遠く遠く及ばなくとも、自分なりにそういう一生を生きたいものであるなぁ。(と、願望形で書いてる時点で・・・)


レオナルド・ダ・ヴィンチ『鳥の飛翔に関する手稿』 江戸東京博物館「レオナルド・ダ・ヴィンチ ─ 天才の挑戦」


レオナルド・ダ・ヴィンチ《糸巻きの聖母》 江戸東京博物館「レオナルド・ダ・ヴィンチ ─ 天才の挑戦」

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人形劇団ひとみ座 『リア王』 @県民共済みらいホール(3月25日)

2016-03-28 00:36:15 | その他観劇、コンサートetc



リア:忍耐が肝心だぞ。人は皆、泣きながらこの世にやって来たのだ、そうであろうが、人が始めてこの世の大気に触れる時、皆、必ず泣き喚く。一つお前に教えて遣そう、よく聴け!
グロスター:おお、神はいまさぬのか!
リア:生まれ落ちるや、誰もが大声挙げて泣叫ぶ、阿呆ばかりの大きな舞台に突出されたのが悲しゅうてな。
(新潮文庫より)

先日のハンブルクバレエ団の公演をきっかけに、シェイクスピアに興味津々のワタクシ。
早速サーチしてみたところこんな公演があることを知り、仕事帰りに行ってきました。
3列目(カンフェティ席)4300円

人形のデザインは片岡昌さんという方で(2013年に亡くなられています)、NHKの『ひょっこりひょうたん島』の人形を担当された方。そして当時その人形操作を担当していたのが、このひとみ座だそうです。『リア王』は彼らの代表作で、1988年からほぼ10年おきに上演されているそう。

人形によるお芝居というと文楽しか観たことがなかったので、人形遣いさんが台詞も言うというのはどんな感じかしら?と期待半分&不安半分だったのですが、皆さん演技が上手くてビックリ
シェイクスピアのもってまわった台詞が、ストンと頭に入ってくる。
あぁこの台詞はこういうことが言いたかったのか、この場面はこういうことを表現したかったのかと、文章ではわからなかった部分を自然と理解することができました。
そして文楽と同じく人間の存在が消えて、人形が生きてるように見えました。それは遣い方ももちろんでしょうが、声の演技の上手さも大きな理由だと思います。

演出も素晴らしく、特に道化の使い方がとても良かった。軽みとユーモアとエグみと哀しみのバランスが絶妙で、シェイクスピアがこの作品に道化を加えた意味がわかった気がしました。文章だけだとイマイチわからなかったのですよ。シェイクスピアはつくづく読むものではなく、舞台で観るべきものだなぁ。

台詞を省略していたり、わかりやすい演出にしていたりと(エドガーが渡した手紙をオールバニ公がその場で読んだり)、変更を加えている部分も多かったですが、肝心な部分はしっかり押さえてあり。といって飽きさせないようにスピード感ばかりを重要視しているようではないのも、好印象。
映画やナショナルシアターライブのシェイクスピアでありがちな必要以上に現代風な解釈&演出でなかったのも、よかったです。大人向けの人形劇」とはっきり謳っているだけあって、エグみも好色さもしっかり表現されていましたし、「気ちがい」「目くら」というような台詞をそのまま言っていたのもよかった(こういう部分をキレイな表現に変えてしまうと、本来の作品の空気が伝わらなくなってしまうと思うので)。

舞台装置もセンスよく、最小限のセットで場面転換や雰囲気がうまく表現されていました。
馬のひづめ、風の音などの効果音もテープではなく全て生音で、その仕掛けが舞台上に全部見えているのも素朴で楽しかった。
特に荒野の嵐の場面は、音だけでなく服のはためきなどが原始的な方法なのにすごくリアルに表現されていて、素晴らしかったなあ・・ 豪華なセットやCGなどを使用した映画よりよほど「シェイクスピア」を感じることができました。こういうところ、歌舞伎と同じですね。蝋燭の本火もgood。

少し惜しく感じたのは、グロスターが崖ではなく丘から飛び込むという状況がストーリーを知らない人にはわかりにくかったのではないかなと感じたところと、最終幕が意外とアッサリ終わってしまったところ。グロスターの最期を語るエドガーの台詞もなかったですし(よね?)、リア王の最期の本人や周囲の台詞も割と割愛されていて、前半からの盛り上がりに比べて「あれ?終わり・・?」感が・・・ あの辺りは原作どおりの台詞・展開にした方がよかったのではないかしら。
でもコーディリアが首を吊られている姿を視覚的に見せたのは衝撃的でわかりやすかったですし、夜空の月も禍々しくて素敵でした

全体としてシェイクスピアを観た満足感をたっぷりもらえた、素晴らしい舞台でした。
次はなにを観ようかな~♪

グロスター:そういうあなたはどこの誰方か?
エドガー:詰らぬ人間さ、運命神の飽く事無き打擲に馴れ、悲しみを知り味ったため、他人に対しても幾分思遣りが懐けるようになっただけの事。さあ、手を、どこか休める場所にご案内しよう。
グロスター:心からお礼を申上げる、天の恩寵と祝福が、いやが上にも御身の上に!

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ハンブルク・バレエ団 『真夏の夜の夢』 @東京文化会館(3月11、12、13日)

2016-03-17 22:23:49 | バレエ


気づけばなぜか皆勤してしまっていた、ハンブルク・バレエ団の『真夏の夜の夢』。自分でもビックリです
ワタクシこの原作がすごーーーく好きでして・・・。今回は、演出もキャストも好みにドンピシャ!だったものだから・・・。
もっとも11日は舞台の上の情報を目で追うだけで精一杯で、オケ(東京シティフィル)にもクラクラ眩暈がしたりして、あまり落ち着いて観ることはできませんでした。そんなオケも尻上がりで良く(というかましに…)になり。13日の公演は本当に感動してしまいました。最初から泣きそうになってしまった。ハプニングが一番多かったのも13日でしたけど(手回しオルガンの太鼓?がうまく鳴らなかったり、一幕最後の薔薇がオベロンに届かなかったりetc)、そういうのは感動には無関係なのだなぁ。

好きな場面を挙げればキリがないけど、やっぱり何より、舞台のあちこちで登場人物が芝居をして一体どこに目をやればいいのやら(@@)なTheノイマイヤーさんな演出にピッタリのカオス感が、最終幕で静かな優しいメロディのなか、それぞれのあるべき場所へと収束していくところ。エピローグのパック(フィロストレート)がまたいいのよね。「お楽しみいただけましたか?」っていうイタズラっ子の声が聞こえてくるよう(トルーシュGJ)。そして薔薇を高く放って姿を消して、最後に全てを締めくくるのは、もちろん妖精界の王オベロンと女王タイターニアの仲直り。このひたすらな幸福感・・・

そんな人間界と妖精界の恋愛劇に絡んでくるのが、職人たちの世界。いつでもどこでもマイペースに、ポコポコ呑気な音楽を鳴らしてご登場。そうそう、彼らはこうでないと。大真面目にお馬鹿に描かないとネ。とはいえ11日に観たときは彼らの場面が少々間延びして感じられ、12日はキャストがイマヒトツだったせいかやっぱり少しタイクツに感じられたのですが、13日はもう一番好きなのは彼らの場面かも!!というくらいツボでございました。ロイド・リギンズ(ボトム)、やっぱりこの人上手い  表現力はもちろん動きも本当に綺麗で、眠るタイターニアに躓くときのスローモーションなんて、双眼鏡でガン見しても完璧すぎて見入ってしまった。その後のタイターニアとのオタノシミも、笑えるのに下品にならないバランスが素敵(でもちゃんとエロいところも素敵笑)。劇中劇でのシスビー(コンスタンティン・ツェリコフ)との掛け合いも、二人とも最高でした

ヘレナが男二人に口説かれて、「二人とも私のもの♪」とハーミアの前で得意げなのも可愛かったな~。ヘレナは、12日に踊ったカロリーナ・アグエロも全く問題なかったのですけど、11日&13日のアッツォーニが絶品でした。魅せ方もすごく上手いし、なによりリアブコとのパートナーシップが鉄壁。まるで二人で一つの体のようだった。「色々あっても最後はこの相手以外いないよね」というのが感覚で伝わってくるカップルだから、途中のドタバタ劇も安心して楽しめるし、最後に収まるべきところに収まる結末がとても自然に感じられました。こんなにこのストーリーに説得力をもたせられるデミトリアス&ヘレナってなかなかいないのではないかしら。
この二人の場面はどれも絶品だったけど、二幕の最初に目覚めたとき、デミトリアスがまだ夢の中にいるような表情でハーミアに手を伸ばしかけるところ、良かったなぁ。後ろからヘレナも彼に手を伸ばすんだけど、やっぱり駄目なんだな…と諦めて背を向ける。でもデミトリアスは、「いやちがう。自分の相手はこのヘレナだ」としっかり納得した表情でヘレナの肩に手を置くんですよね。これ、原作にないヒッポリタの目覚めの場面を敢えて挿入したのと同じ意図なのではないかな、と。ガラでノイマイヤーの「愛」の洗礼をこれでもかと受けた後にこういう場面を見ちゃうと、泣かないではいられないっすよ、もう・・・。結婚式では、ヘレナは登場するときは眼鏡をかけてるけど、その後にデミトリアスがヴェールをそっとめくって、眼鏡を外してあげるのね。もうこの二人に眼鏡は必要ないんだなって、再びジーン・・・
それにしても、リアブコ&アッツォーニの芸域の広さよ・・・!
彼らは、踊りを観る楽しみもいっぱいにくれるんですよね。一幕途中の、男女四人の関係がめちゃくちゃになって、踊りまくって、それをパックとオベロンが眺めていて、風が吹いて木がざわついて嵐になるところとかすごく好きなんですけど、ここの二人の踊りも美しかった。リアルなものをリアルじゃない形で踊りで表現するのがバレエのストレートプレイやミュージカルと違うところだと思うので、やっぱり踊りからの満足感は私にとって重要なんです。全てではないですけど。

11日&13日のエレーヌ・ブシェウラジーミル・ヤロシェンコ(ポーランド国立バレエ団)も、素晴らしかった。
ブシェのヒッポリタは一幕の最初から好きだなぁと思いました。体格や顔立ちは大柄なのに、仕草や表情がとてもキュート。タイターニアも理想的なタイターニアでした。ゲストのヤロシェンコ(この人もノーブルで素晴らしいダンサー!)ともすごくお似合いだった。13日のヒッポリタの目覚めの場面などは、二人の空気が11日に比べてあまりに濃密で恋愛オーラがふわぁ~~~と5階席まで届いてきたので、「この二人本当に恋しちゃったんじゃないかしら・・・。大丈夫かしら・・・」と妙な心配をしてドキドキしてしまった。同じことをツイッターで書かれていた方がいたので、そう感じた人多かったのではないかなぁ。この二人のオベロン&タイターニアはリゲティの音楽とともにまさに超自然の存在で、『真夏の夜の夢』の妖精そのもの

そして、アレクサンドル・トルーシュのパック。リアブコとともに3日連続おつかれさまでした~。
ガラでは彼の良さがわかるようなわからないような?だったのですが、このパック、とってもよかったです。この役って結構難しいのではないかなぁと思うの。パックとフィロストレートって全く別のキャラクターだけど同じ一人の表裏ともいえて、更に最後のエピローグではそのどちらにも見えなくてはいけなくて、物語を終わらせる存在感も必要だけど、軽さも必要で。
人間界の小物にいちいち反応する姿も、可愛かったなぁ 
オベロンとの掛け合いは、ユングのときは絶対的な上下関係のもとでイタズラっ子パックがじゃれついてる感じだったけど(主人にじゃれつく仔犬的な)、ヤロシェンコとは歳が近く見えるせいか妖しいじゃれつきに見えて、ドキドキしてしまった。オベロン、パックに食べられちゃいそうって(はい、そのままの意味です)。オベロンのパックの頭ナデナデも、ユングよりヤロシェンコの方が長くやってませんでした?気のせい?
そういえば2日目だったか、パックの足首につけた薔薇が木に掠れて落ちちゃって、トルーシュはどう回収するのかな~と思っていたら、もう一度その場所を通るときに「僕の大事な薔薇っ」って飛びついて、その後も「王様には渡さないっ」て演技をしながらちゃんとオベロンが取り上げやすいような流れに持っていってて、それが全く不自然じゃなくて「おお!」と思いました

このブシェ、ヤロシェンコ、トルーシュの三人、福田恆存さんが書かれている原作の彼等の役割をこれ以上ないくらい立派に果たしていたと思います↓。
演出の真の成否はこの劇の作因にもなり、行き違いの調整者として劇を「ハッピー・エンド」に導くオーベロン、タイターニア、パック、その他の妖精達にかかっている。その超自然の力と雰囲気とが出せなければ、何にもならない。彼等の存在は超自然でありながら、超自然であることによって自然を表出するというシェイクスピア的機能を背負わされているからだ。
(新潮文庫「夏の夜の夢・あらし」解題より)

というわけでキャストは11日&13日の方が好みではあったのですが、12日に感情表現がはっきりしているアリーナ・コジョカルカーステン・ユングの二人を観られたからこそ物語をより理解でき、13日にあんなに感動することができたのだと思います。コジョカルはタイターニアも良かったですが(あんなに無理なく女王様な官能的な演技ができる人だったとは!)、やっぱりヒッポリタが素晴らしかったな。序幕では彼女の悩みがストレートに伝わってきましたし、あんなに小柄なのにしっかり主役オーラなのはさすがだった(テクニックもさすが)。ユングもコジョカルとお似合いのカップルで、好演でした。ただ彼は踊りの技術はイマヒトツなのかな・・?でもガラのときは気にならなかったので、クラシック系が苦手なだけかも。

ライサンダー(庭師の設定なんですね)は、11&13日がエドウィン・レヴァツォフ、12日がクリストファー・エヴァンス。ハーミアは全日程フロレンシア・チネラートでした(お疲れさま!)。こちらのカップルはあまり注目して観ていなかったので感想らしい感想はないのですけれど(ごめんなさい・・・)、安心して舞台の他の部分に集中できたので、いいキャストだったのだと思います。

しかしノイマイヤーは、ほんっっっとーーーーーに舞台の端っこから端っこまで使いますねぇ・・・。貧乏人に優しくない演出家だわ・・・。重要な場面をサラリと端っこでやるのだものなぁ(^_^;) 特に序幕のヒッポリタとシーシアスの心情は、舞台左右を同時に見られないとわかりずらい・・・。他の女性と戯れてはいるけれど、本当はヒッポリタを愛している不器用なシーシアスの性格も。

照明効果も素晴らしかった。特に二幕冒頭の次第に夜が明けはじめるところ。一夜のバカ騒ぎが終わって、皆があるべきところに収まって。同時に、夢が終わろうとしてるんだな、この舞台も終わりに近づいてるんだな、と切なくもなり・・・。

一幕最後でヒッポリタのソファが森に現れて、パックが眠る彼女に花の露を降りかけますよね(そしてその花をオベロンに投げる)。結局このノイマイヤー版でも、妖精界はやっぱり超自然の位置にあるのだな、と。人間臭くて馬鹿なケンカもしてるけど、彼等は人間の常識や意識を超えた絶対的な存在で(眠っているときに見る夢も基本そうですよね)。そこではヒッポリタの意識は解き放たれ、だからこそ彼女は夢から目覚めたときに眠る前とは違う自分になることができた。シーシアスを愛し、彼の愛を受け入れる勇気をもつことができた。ノイマイヤーの妖精界とはそういう場所なのかな、と。でもそれは完全にヒッポリタが作り出した想像上の世界(いわゆる夢オチの夢)というのとは少し違うのだと思います。恋人4人もボトムも同じようにその世界を体験していますし、こちらの世界に戻ってきた後も恋人達の服はボロボロでしたから。それは「常にそこにあるけど目には見えない、私達のもう一つの人格の世界」あるいは「同時に存在しているパラレルワールドのような世界」(ノイマイヤーはサイバーワールドと表現していました)で、このたった一夜だけ二つの世界が重なったのではないかな、と。
そんなことを思いました。

13日のカーテンコール。ノイマイヤーさんもダンサー達もいつもの「See you again」電飾とキラキラ紙片を目を丸くして見上げてて(知らなかったのかな?)、すっごく嬉しそうな表情だった。彼らも楽しんでくれたのなら嬉しいな。
大きな大きな感動を本当にありがとうございました。次は7年後といわず、もっと早く来てくださいね(^_^)

そして今年はシェイクスピアの没後400年。シェイクスピアはまだまだ読んだことのない&観たことのない作品がいっぱいなので、機会を作って色々観たいです。6月のロイヤルバレエ団のロミジュリも楽しみ♪ 


舞台セットの木(NBSツイッターより)。美しいですよねぇ
装置・衣裳は、『椿姫』と同じ、ユルゲン・ローゼ(Jürgen Rose)さん。


※ハンブルク・バレエ団特集⑦ 現地特別取材[5] ジョン・ノイマイヤー インタビュー
※ハンブルク・バレエ団特集① 現地特別取材[1] エレーヌ・ブシェ インタビュー
※ハンブルク・バレエ団特集⑪ 現地特別取材[8] アレクサンドル・トルーシュ インタビュー

※プログラムで評論家の三浦雅士氏が「パックが素知らぬ顔で侍従長よろしく宮廷に侍っている不気味さ」ということを書かれているけれど、これ、そういう設定かなぁ・・?私には違う風に感じられたのだけれども。もし侍従長が完全にパック本人なら、パックが人間界のメガネや手回しオルガンにあんなに興味を示すのはどう説明するのだろう・・?
ちなみに今回パックを踊ったトルーシュは、上記インタビューでこんな風に言ってます。
「パックとフィロストレートの二人はまったく異なるキャラクターではありますが、同時に別の側面を持った一人の人間でもあるので、バランスに気をつけながら微妙なところを演じ分けています。幕開きに登場するフィロストレートは婚礼の準備を仕切っていて、シーシアスのお屋敷も本当は自分が牛耳っているんだと思いこんでいるところがあり、性格も頑固で厳しい。一方パックは、ふざけるのが好きで、間違いもたくさん犯してしまう。僕自身のキャラクターはたぶん、その両方の要素が混ざっているかなと思います。この作品はとても複雑な構造をしていて、ちょっとした仕掛けやジョークがあちこちに散りばめられているので、好きなシーンを挙げるのは難しいのですが、だからこそ全幕バレエの醍醐味を味わえるのではないかと思います」

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ハンブルク・バレエ団 『ジョン・ノイマイヤーの世界』 @東京文化会館(3月9日)

2016-03-14 23:35:19 | バレエ




ハンブルク・バレエ団来日公演、おっきくて温かな幸せをいっぱいいただきました
ノイマイヤーさん、ダンサーの皆さん、関係者の皆さん、本当にありがとう。
世界はまだまだ広いのだなぁ。。

結局、ガラ1回、真夏の夜の夢3回行ってしまった。。

昨年の世界バレエフェスで観たアレクサンドル・リアブコ&シルヴィア・アッツォーニがとても好きだったので買った、今回の来日公演のチケット。二人の全幕は『真夏の夜の夢』だけだったのでそれは早々に押さえたのだけれど、のちの配役変更でガラ公演でのリアブコ出演が急増し。観たい・・・・・しかしノイマイヤーの全幕は椿姫しか観たことのないバレエど素人の私にガラはハードルが高すぎる・・・・・と迷っているうちに一夜目が終了。ネット上の感想は絶賛の嵐・・・。しかし皆さまノイマイヤー作品をいっぱい観たことのある方達ばかりだし・・・とまだ迷っていたら、どなたかが「ガラというより全幕のような作りになっているので、個々の作品を知らなくても楽しめる」と書かれていて、背中を押されて当日券で行ってまいりました。会社をクビになる覚悟で、週2回の早退でございます。
心から行ってよかった。。。。。。。ちょっと言葉にできない種類の感動が残る作品だった(たしかにガラじゃない、これ)。
これは皆さん感動するわけだわ、と。
だってハンブルク・バレエ団のガラ公演を観に行こうと思うような方達って、たぶん「バレエ(観る方でも踊る方でも)」が大好きな人が殆どだと思うのです。そういう人達の心のいっちばんど真ん中をまっすぐに突くような作品だもの、これ。バレエを好きな人だったら、ノイマイヤーが特に苦手じゃない限りは、感動せずにはいられないのではないかなぁ。
ノイマイヤーの上手いなぁと思うところは、「こういう感動が欲しい」と客が感情として欲してる部分を逸らすことなく最大限に満足させてくれつつ、決してあざとくもベタ(陳腐)にもならないギリギリのラインがわかっていらっしゃるところ。この方のセンスの良さなのだろうなぁ。

【第一部】
『キャンディード序曲』の序盤は生ノイマイヤーさんの登場に感激しながらも「録音ってこんなに録音ぽい音だったけ・・・?」とか考えたりしていたのですが、すぐにロイド・リギンズが作り出す空気にぐんぐん引きこまれていって(この人の表現力&存在感すごい!この夜のガラを見事に引っ張っていってくださいました)、リアブコ&アッツォーニ『アイ・ガット・リズム』では音が云々なんて雑念はすっかりどこかへ飛んでしまった。バレエフェスでは二人だけで踊っていたので、やっぱりみんなと踊っている姿を観る方が楽しい&嬉しい♪
『くるみ割り人形』の舞台中央でクララ(フロレンシア・チネラート)が履くトウシューズを憧れるように見つめ、そっと手を伸ばすノイマイヤー少年(リギンズ)。やがてバーレッスンをする女性(アンナ・ラウデール)の動きを倣うように踊っていた彼が、教えるような踊りに変化して『ヴェニスに死す』へ繋がる流れで最初の涙腺決壊が・・・。ダメだよこれ・・・泣。踊るのが大好きな男の子が女の子のバレエに憧れて、ただ踊りたいという思いのままにその世界に飛び込んでいくのって、『リトル・ダンサー』を彷彿とさせて・・・。それにリギンズの演技がもう!思わず『ヴェニス~』のDVDを買ってしまった。
続く『ペール・ギュント』は、同じ場面をアンナ・ラウデール&エドウィン・レヴァツォフで観たことがあったけど、今回はアリーナ・コジョカルカーステン・ユング。この二人は密度が濃いなぁ。感情溢れる演技をしますよね。ストーリーを知らなくてもその表情と踊りの美しさだけでなぜか感動してしまうという、コジョカル現象・・笑。上から降ってくる雪のようなキラキラ効果も素敵だった。これはバレエフェスではやっていなかったですよね。このキラキラ、この後の演目でも名残の紙片が時折自然にチラチラと降ってきて、その偶然の効果が大変効果的でした。
そして第一部のクライマックス、『マタイ受難曲』から『クリスマス・オラトリオⅠ-Ⅳ』。もう感無量・・・・・ ノイマイヤーさん、ほんっとーーーーーに魅せる演出が上手いよねぇ・・・。この構成の見事さ、どうしたらいいの・・・!最後は輝かしい歓喜の大団円で第一部が終了。客席、興奮してましたねぇ。この第一部のラストは、第二部のラストを観終わってから振り返ると、なんかぐわぁ~~~・・・とクルのよ。もうもう、ノイマイヤーさんってば本当になんてなんて・・・・・・。

~休憩25分~

【第二部】
後半は休憩後なのでまずは軽めから、ではなくいきなりガツンと『ニジンスキー』から。ノイマイヤーさん、なんてなんて・・・(構成力に感動しっぱなし)。そしてそしてリアブコ・・・!バレエフェスの『椿姫』でも『シルヴィア』でも、この人はなんでこんな短い時間にこれほど役になりきれるのだろうと驚いたけれど、今回のニジンスキーといったらもうもうもう・・・泣!あの鬼気迫る演技(てかもはや演技じゃないレベル)は何事!?リアブコってガッチリ体形じゃなくてちょっと少年のように見えるときがあるから、どんどん自分の内面世界に沈み込んで戻れなくなっていく過程が見ていて本当に胸が締め付けられて痛くて・・・可哀想で・・・。そしてこれほど役に入りきっているのにちゃんと「表現」はしているのよね、これ以上なく完璧に(表現していることをわからせないほど完璧に)。本当に素晴らしいダンサーですね。狂気の兄を踊ったアレッシュ・マルティネスも壮絶に素晴らしかったです。今回のガラ演目の中で一番全幕で観たいと強く感じたのはこの作品でした。
『ハムレット』ラウデールレヴァツォフ)は、「ハムレットがヴィッテンベルクに発つ前にオフィーリアと過ごした二人きりの時間」のPDD。全幕を観たことがないけれど、ノイマイヤーはあの原作の中からこういう場面を取りあげるのね。面白いなぁ。若い二人の、幸福とともに別れの切なさも感じもさせるPDDでした。ただ強烈な『ニジンスキー』の後だったので、実は魂抜け気味に見てしまった・・・。ごめんなさい(^_^;) 
続く『椿姫』も、二人の一番幸せなときのPDD。ノイマイヤーが踊りで伝える愛の形。コジョカルのマルグリットは、オレリーよりも切なさの表現の濃い白でした。彼女の解釈なのかな。いわゆるマルグリットというイメージではないけれど、一つの椿姫として十分に成り立っていて、年下のアレクサンドル・トルーシュのアルマンとも合っていたと思いました。ただゲストと知って観ていたせいかもしれませんが、コジョカルはこのガラで踊っている他のダンサー達と空気が少し異なるように感じられました。BBLと東京バレエ団が一緒に踊った第九でも空気の違いに驚いたものだけど、ハンブルクもやはり一つの強い個性をもったバレエ団なのだなぁとコジョカルとの対比で知った気がします(でも同じくゲストダンサーだった真夏の夜の夢のヤロシェンコにはそれをさほど感じなかったのは不思議)。
『作品100─モーリスのために』リアブコイヴァン・ウルヴァン。こちらは抜粋ではなく完全版。ここでこの愛の形をもってくるのが、もうもう、ノイマイヤーさんってほんっっっとに・・・! この作品も、今回のガラを観に行こうと決めた理由の一つでした。私はバレエ鑑賞超初心者なのでノイマイヤーとベジャールが知り合いであることも知らなかったのですが、今まで観たBBLの舞台はみんな好きで、今回これがどういう背景で作られた作品かを知って、「へぇ。ベジャールがノイマイヤーに捧げた作品を使って今度はノイマイヤーがベジャールのために作品を捧げたり、この二人はそんなに仲が良かったのかぁ」と観てみたくなったのです。
で、観てみたわけですが。

想像より1000倍くらい仲が良かったのだと、知りました。

作品の二人はご自分とベジャールに重ね合わせていると思ってもいいのですよね。上階席から見ると二人の足下を照らすライティングが故意なのか偶然なのか綺麗なハートの形でねぇ・・。で、リアブコウルヴァン。もうもうなんて素晴らしいのでしょう、なんて美しいのでしょう、なんて温かいのでしょう・・・!踊り方によっては同性愛的になる作品だと思うのだけれど、この二人の場合は同士であり友人でありライバルであり幼馴染のようでもあり。魂の友のようであり。ほんとうに、なんという空気でしょう。リアブコも素晴らしいけど、ウルヴァンの表現力がまた素晴らしかった!このテーマで音楽がサイモン&ガーファンクルの『旧友』と『明日に架ける橋』ときたら信じがたいほど陳腐になりかねないのに(かなり危険ですよね)、そうならないのがノイマイヤーの凄さと、ダンサー二人の凄さだなぁ、とも。ベジャールがもう亡くなってることを思うと、少年同士のじゃれ合いのような姿に思わず涙が・・・。これ、youtubeにリアブコがボッレと踊っている映像が上がっているのですが、個人的には今回の二人の方が対等で温かい感じがして好きでした。

そうしてノイマイヤーが語る「愛」で胸がいっぱいになって迎える第二部の、そしてこのガラのラスト、『マーラー交響曲第3番』。第六楽章の副題は、「愛が私に語るもの」。特別な筋はない作品のようですが、ネットで調べた設定では、アッツォーニの役割は「天使」「愛」なのだとか。
男(ユング)は彼女に出会い、「愛」を知る。youtubeで観ましたが、通常のガラで抜粋が踊られるときは、男が蹲って「愛」を腕の中に閉じ込めるところまでのようです。ですが今回観ることができた続きでは、「愛」は男の腕からすり抜けていってしまうのです。目覚めた男の腕の中に「愛」はいない。そんな彼の周りで踊るのは、たくさんの男女。一度愛を知った彼の目に映るのは、愛に溢れた世界でした。そこに再び彼の「愛」が目の前をゆっくりと横切っていきます。彼(オリジナルでは「男」のままですが、今回はここでノイマイヤーさんに変わります)は彼女に手を伸ばすけれど、彼女は足を止めることなく通り過ぎてしまう。そして幕。
しっかり掴まえたと思っても、愛は擦り抜けていってしまう。でも一度それを知ってしまった彼は、もう昔の彼には戻れない。人はこうして愛を知り、そしてそれを求め続ける生き物なのかもしれません。きっとノイマイヤーさんご自身も。・・・・・ということをノイマイヤーは言いたかったのかな~、と。全然ちがうかもしれないけど笑。

個人的に今回のガラ、観終わったときの感覚がすごくBBLに似ていたのですけれど、ノイマイヤーの方がより身近な愛という印象を受けました(どちらも観た作品数は少ないので、見当はずれなことを書いていたらご勘弁です)。ベジャールの愛は人間存在全てを見つめている感じで、ノイマイヤーのはその辺にいる私達一人一人を見つめているような。あるいは彼自身もまだ人間的な弱さを持っていて、私達と同じ視点で一緒に苦しんでいるような、まだ何かを探し続けているような、そんなイメージ。私はどちらも大好きです。

敬愛するノイマイヤーの芸術家人生そのものともいえるこの作品を絶対に成功させたい!!というバレエ団のダンサー達一人一人の想いが舞台から強く強く伝わってきた、そんなガラでした。観ることができて本当に幸せでした。いいカンパニーだなぁ・・・。

『真夏の夜の夢』の感想はまた後日~。


Nijinsky - Ballett von John Neumeier

これ、2005年の来日公演でやっていたんですね・・・リアブコで・・・泣。観た方達の絶賛ブログがいっぱい・・・泣。バレエを観始める前だからまだ諦めもつくけど・・・けど・・・・・やっぱり観たかったよぉ~~~~~~ もうリアブコで観たいとか贅沢言わないので、お願いだからもう一度来日公演でやってください・・・私が生きているうちに生で観たいです・・・。でなければDVD出してください、今回のガラの記憶で脳内補完します・・・。

Bolle and Friends Opus 100 coreo Neumeier music Simon & Garfunkel

リアブコ&ボッレの『作品100』。
リアブコの踊り、本当に好きだなぁ。。。無駄な動きがなく端正で、なのにすごく雄弁で華がありますよね。
そういえばリアブコ、NBSがあげてくれたカーテンコールの写真を見ると、これではなくニジンスキーの衣装を着ているんですね(そういえばそうだったかも。ブシェの近くにいたし)。私が見た中では、彼はこの日と13日のカテコが一番嬉しそうな表情に見えました。
カテコはノイマイヤーさんも、自然な心からの嬉しそうなお顔をされていましたねぇ。あの表情にも感動してしまった。。。

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英国の夢 ラファエル前派展 @Bunkamuraザミュージアム

2016-03-06 05:41:54 | 美術展、文学展etc



金曜日の夜に行ってきました。
2013年7月の「夏目漱石の美術世界展」(東京藝大美術館)、2014年3月の「ラファエル前派展」(六本木ヒルズ)に続き、私にとって日本で3回目のラファエル前派
絵画の世界では比較的マイナーな部類だと思うのに、こんなに頻繁に企画展を開いてくれるなんて・・・幸せ
今回はリヴァプール国立美術館より計65点が来日。

ミレイの『オフィーリア』やロセッティの『ベアタ・ベアトリクス』が来日していた六本木ヒルズの展示に比べると、今回は大きな目玉となる絵は少なめ?とも思いましたが、テートブリテンには今後も行く機会はあるかもしれないけど、リヴァプールにはおそらく行くことはないと思うので、私にとって稀少性はこちらの方が上かも。

厳密な意味での「ラファエル前派(ラファエル前派兄弟団Pre-Raphaelite Brotherhood)」としての活動は1848年の結成から1853年にミレイがアカデミーの准会員になりグループが崩壊する辺りまでの僅か数年で、それ以降のウォーターハウスなどの画家は「ラファエル前派の影響を受けた画家」、あるいは「ラファエル前派第二世代、第三世代」と呼ぶのが正しい、ということを今回知りました。
今は存じませんが数年前のテートではウォーターハウスの『シャロット』(←ボートの)の真下にミレイの『オフィーリア』が展示されていたりしたので、その辺の違いをあまり意識したことがなかったのです(六本木ヒルズで説明されてたかもしれないけど^^;)。まぁ後年のミレイ作品よりウォーターハウスの方がよほどラファエル前派らしい絵とも思われるので、この二つを並べるのは自然だと思います。そもそも何をもって「ラファエル前派らしい」というか、という疑問もありますが・・・。「自然に忠実(写実性)」、「中世回帰」、「聖書や文学に題材をとった物語性」、「場合によって象徴主義」という感じの理解でいいのだろうか。で、どの部分を強調するかは画家に委ねられていた(そしてそれが分裂の原因にもなった)、という感じ・・・?うーん、ラファエル前派の特徴ってやっぱりわかりにくい・・・。いずれにしても「アカデミーには反対!」というところでは兄弟団の意見は一致していた、という感じでしょうか。
そして兄弟団を結成したとき、ミレイは19歳、ロセッティは20歳、ハントは21歳だったのですねー。若い 時期としては、印象派より25年くらい前。

【Ⅰ.ヴィクトリア朝のロマン主義者たち】
 
ジョン・エヴァレット・ミレイ 『いにしえの夢―浅瀬を渡るイサンブラス卿 A Dream of the Past: Sir Isumbras at the Ford』 1856-57年
ミレイは人物はもちろんですが、『オフィーリア』でも見られるとおり、植物がもっっっのすごく美しいと思うのです。左下の枯草も、少年が背負っている枝も、生で目を凝らして見ても、すんごい上手。ミレイは写生の鬼だったそうです。まるで本物みたいなんだけど、写真みたいというのとも少し違う、絵画ならではの美しさ。
とはいえこの絵も発表当初は「馬が騎士に比して大きすぎる」等の理由で批評家から猛烈な批判を受け、幾度も修正を重ねたのだとか(確かにそれらしき跡が見えます)。
批判者の一人は、美術評論家のジョン・ラスキン。ラファエル前派のよき理解者だった方。彼にはエフィーという奥さんがいましたが、彼女はミレイと恋に落ちてしまい、1854年に婚姻無効の訴訟を起こし離婚、翌55年にミレイと再婚しています。だから批判したわけでもないでしょうが、ラファエル前派周辺の人間関係って若さのままにドロンドロン・・・ ロセッティの愛人ジェイン・バーデン(前回来日していた『プロセルピナ』のモデル)の夫は、ウィリアム・モリスですしね(^_^;)
ラスキンは後にホイッスラーの『黒と金のノクターン』(1877年)も痛烈批判し、名誉棄損で訴えられたりしています。

さて、こういう企画展は、額縁の鑑賞もお楽しみの一つですよね。

 ©finefil
ステキ 精巧で美しい葡萄の実で縁どられています
右の小さな額は、同じ絵を紙にグワッシュで描いたもの(1863年)。ミレイはオリジナルと明確に区別させるために、少女の服の色などを変えています。これがまた上手でねぇ。。。

  
ジョン・エヴァレット・ミレイ 『春 林檎の花咲く頃』 1859年
「描かれているのは妻やその妹たちなど身近な人々で、各人物の将来が顔や物腰に象徴的に暗示されています。全体の雰囲気は希望と期待に彩られ、それは瑞々しい春の開花と芽吹きによって示されていますが、画面右側の大鎌の刃は、はかない存在の不吉な象徴となっています。」(公式サイト)とのこと。
これまた左右に置かれた籠の中の草花や、青い服の少女の髪に飾られた黄色の花、林檎の花々が、それはそれはそれは自然で美しいのですー
しかしただ平和に美しい風景というだけでは終わってくれないのが、ラファエル前派。彼女達がどういう運命を辿ったのかは不明ですが、みんながみんなウッキウキ♪という表情ではありません。そして右端の大鎌。この鎌さえなければ、このポストカードは飛ぶように売れたでしょうに


ジョン・エヴァレット・ミレイ 『ブラック・ブランズウィッカーズの兵士 The Black Brunswicker』 1859年
女性の服や壁紙の質感がもうねぇ。。。スンゴイのよ。。。どんなに目を凝らしても、ただの絵具から作りだされたとは信じがたい。
この絵は、ナポレオン戦争に向かうプロイセンの兵士とその恋人の別れを描いているそうです。しかしなぜか左上には、敵であるはずのナポレオンさんの額が・・・。発表当時から色々憶測を呼んだようですが、結局理由はわからないみたい(誰もミレイに聞かなかったのー?)。女性のモデルは、作家チャールズ・ディケンズの娘さん。ディケンズはこの10年ほど前にミレイの『両親の家のキリスト』を猛烈批判していますが、もう和解していたのかな?この絵、実際にはモデル同士は会っておらず、それぞれが木の人型相手にポーズをとったのだとか。


ジョン・エヴァレット・ミレイ 『森の中のロザリンド』 1867-68年頃
こちらはとても小っちゃな絵。全体の色合いがシックで素敵。


ジョン・エヴァレット・ミレイ 『良い決心』 1877年
写真では全くわかりませんが、生で見ると上下の服の質感の違いがスンゴイのです。
あまり細かいところに目をやる見方はしたくないけれど、見ないではいられない。


ジョン・エヴァレット・ミレイ 『巣』 1887年に最初の出品
こちらも生で見ると少女の柔らかな透けた服と、母親の黄色の服の質感が、モノスゴイのです。
少女の表情は、自然に対する畏敬の念の顕れとのこと。

ミレイは他に、『ソルウェーの殉教者 The Martyr of the Solway(1871年頃)が展示されていました。


アーサー・ヒューズ 『聖杯を探すガラハッド卿』 1870年に最初の出品
ミレイにスペースをとりすぎてしまった。サクサクいきましょう。
こちらは、イングランド北部の風景なのだそうです。写真だとわかりにくいですが、石の橋の下に川が流れています。
この感じ、昔行ったハワースの荒野の風景↓に少し似てると思いました。


ピンクの花はヒース。のどかに写っていますが、実はものすごい大荒れの天気の中で撮ってます。だからカメラの調子もおかしい(^_^;)


ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 『シビラ・パルミフェラ』 1965-70年 カラーチョーク・紙
手にしているのはヤシの葉(パルミ=パーム)。左上の薔薇は愛、目隠しのキューピッドは「恋は盲目」の暗示。右上のケシの花とその下の髑髏は、死の暗示。蝶々は魂の象徴。
モデルは、アレクサ・ワイルディング。ロセッティのモデルの中で唯一男女の関係になかったといわれる女性。ほんっとロセッティって・・・(ーー;)


ダニエル・マクリース Daniel Maclise 『祈りの後のマデライン』 1868年に最初の出品

【Ⅱ.古代世界を描いた画家たち】

ローレンス・アルマ=タデマ 『お気に入りの詩人』 1888年
ラファエル前派って色のドギツイ鮮やかな絵が多いので、途中でこういう色合いを見るとほっとする 隠れた意味のない(よね?)ところも。
しかしこの大理石の質感の見事さよ。。。


フレデリック・レイトン 『書見台での学習』 1877年
このピンクのサテンの質感・・・!少女らしい細っこい身体も愛らしいです。
ロンドンのホーランドパークには、レイトンの家がLeighton House Museumとして残っているのだそうです。行ってみたいなあ。


エドワード・ジョン・ポインター 『テラスにて』 1889年に最初の出品
これも一息つける系

【Ⅲ.戸外の情景】

ウィリアム・ヘンリー・ハント 『卵のあるツグミの巣とプリムラの籠』 1952-60年頃 水彩、グワッシュ・紙
ハントは、ミレイ、ロセッティとともにラファエル前派を創設した主要人物の一人(忘れないで~)。
この絵は屋外ではなく、これらのものを室内に持ち込んで書かれたのですって
ラファエル前派のモットーの一つだった「自然に忠実に」に忠実に、自然を観察した作品。


ジェイムズ・ハミルトン・ヘイ 『流れ星 The Falling Star』 1909年
星の瞬く漆黒の空、一面の雪、シンと寝静まった家々。そんななか、遠くに見える一軒の家から漏れる灯りの暖かさ

【Ⅳ.19世紀後半の象徴主義者たち】

ジョージ・フレデリック・ワッツ 『十字架下のマグダラのマリア』 1866-84年
イエスは午前9時に十字架にかけられ、12時頃には全地が闇に覆われ、15時頃に息を引き取り、夕方に十字架から降ろされたと言われています。
マリアの後ろの柱は、イエスが磔になった柱。彼女の視線の先にはそういうイエスの姿があるのです。この絵の前に立つと、背景の暗い空と暗い丘の色合いに、「ああ、きっとこういう感じだったのだろうなぁ」と感じました。

ワッツは他に、テートに完成品がある『希望 Hope』のためのスケッチなども展示されていて、興味深かったです。


エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ 『フラジオレットを吹く天使』 1878年 水彩、グワッシュ、金彩・紙
100年以上前の絵ですが、昨日描かれたイラストですと言われても信じちゃいますよね~。少年のような中性的な雰囲気が素敵。
バーン=ジョーンズは他に、水彩の大作『スポンサ・デ・リバノ(レバノンの花嫁)』などが展示されていました。

©spice
ジョン・ロダム・スペンサー・スタナップ『楽園追放』について解説する宮澤政男上席学芸員
この額の豪華さ~~~。


ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 『エコーとナルキッソス』 1903年
黄色の水仙は死の象徴。こういう感じの場所も、イギリスにはよくありますね。


オックスフォードのルイス・キャロルのお散歩道。似てません?


ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 『魔法をかけられた庭 The Enchanted Garden』 1916-17年
ウォーターハウスの未完の遺作。今回この絵が来ていることを知らなかったので、会場で見つけたときは嬉しかったです(*^_^*)
今回の展覧会のポスターになっている絵は同画家の『デカメロン』(1916年)で、10人が10日間をかけて100の物語を語るという場面ですが、こちらの絵の題材はその物語からの一つ。

©spice
会場のソファの布は、ウィリアム・モリスのいちご泥棒
日本の美術館もついにこういう部分にまで拘るようになってくれたんですねぇ
左のアルバート・ジョゼフ・ムーアの『夏の夜』(1890年)も、黄色の布の質感と全体の上品な色合いがスバラシかったです。私もお仲間に入って夏の夜をのんびりまったり過ごしたい~ この4人がみんな同じ女性だと思うと、ちょっと不気味な気もしましたが(^_^;)

ラファエル前派展は渋谷Bunkamuraザミュージアムにて、3月6日まで。

決められた遣り方に従うのではなく、自分の眼で見た通りに描こうというのが、彼らの主張であり、信念であった。…ラファエル前派の画家たちは、単に自然を正確に再現することだけに満足していたのではない。彼らは、眼に見える自然の世界の奥に、眼に見えない魂の神秘、情熱の世界、さらには自然を超えた聖なるものの存在をも見ていた。精緻な自然の再現は、その眼に見えない世界に到達するための手段に他ならない。この点では彼らは、ロマン主義から象徴主義にいたる19世紀のもうひとつの重要な流れとも密接に結びついている。
ローランス・デ・カール 『ラファエル前派 ヴィクトリア時代の幻視者たち』)

象徴主義は、19世紀後半の重要な芸術の流れのひとつである。科学と機械万能の時代の実利的なブルジョワ精神、芸術の卑俗化を嫌悪した文学者や芸術家は、人間存在とその運命に関する深い苦悩、精神性への欲求から、内的な思考や精神の状態、夢の世界などを表現しようとした。それゆえに象徴主義は、主題や表現手段の上できわめて多様な形をとった国際的な潮流となった。
イギリスに現れたラファエル前派は、最初の象徴主義の運動のひとつにかぞえられる。1848年にダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレー、ホルマン・ハントらが結成した「ラファエル前派兄弟団」は、ラファエロ以降の西洋絵画を退廃とみなし、それ以前のイタリアやフランドルの芸術のもつ誠実で精神的な在り方こそ理想的な姿としてそれへの回帰を主張した。こうした考え方は19世紀初頭のナザレ派やルンゲ、ブレイクなどに先例をもつ。彼らは聖書や中世の歴史、シェークスピアやダンテなど文学に主題を得ながら、それを初期ルネサンスの画家に倣った入念な細部描写、因習にとらわれない構成で描いて、神秘と象徴の世界を作り出した。

(太田泰人 『カラー版 西洋美術史』。前掲書より引用)


Pre-Raphaelites

なんのミステリーやねん。面白いけど笑。19世紀イギリスは私の永遠の憧れ!

The Founders of The Pre-Raphaelite Brotherhood


John William Waterhouse & Dante Gabriel Rossetti

ほぼウォーターハウスなのに途中でロセッティが一つ混ざってる妙な動画ですが、美しい・・・。

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