風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

NHK交響楽団 第2007回定期公演 Aプロ @NHKホール(4月14日)

2024-05-02 18:41:22 | クラシック音楽



シューベルト/交響曲 第4番 ハ短調 D. 417「悲劇的」
(休憩)
ブラームス/交響曲 第1番 ハ短調 作品68


感想まとめてアップもようやくここまで来た。。。あと4公演!
繰り返しますが、感想の長さイコール感動の大きさではありません。

ワーグナー作品以外でヤノフスキの指揮を聴くのは、今回が初めて。
交響曲でもヤノフスキ・マジックは健在だった。
一筆書きのような音楽の流れ。でもサラサラと流れてしまわない。流れるけどちゃんと心を持っていく。他の指揮者による同曲の演奏と比べて好みかどうか?よりも、そういうヤノフスキのシューベルト、ヤノフスキのブラームスとして素晴らしかったと心から思う。

シューベルトのこの曲はムーティ&ウィーンフィルの来日公演でも聴いたことがあるけれど、今回の方が感動したな(ウィーンフィルの方は重かったから・・・)。
特に4楽章。私はこの曲でこの4楽章が一番好きなんです。いい音楽だよねぇ。どこか急いていて、でも重くならず軽やかで、長調と短調がめまぐるしく入れ替わって。同じ暗から明へでも、ベートーヴェンのそれとは違い、シューベルトだなぁと感じる。

第4番には二つの要素を組み合わせたシューベルト特有のスタイルがあります。ハイドンやモーツァルトに起源を持つ古典的なオーケストラの演奏スタイル。ベートーベンよりもむしろハイドンやモーツァルトです。もうひとつはシューベルトの青年時代に流行したイタリア風の演奏スタイル。言ってみれば非ドイツ的スタイル、それが組み合わさっています。「悲劇的」という一風変わったタイトルがついています。第一楽章の導入部に少し悲劇的な緊張感が感じられますが、他の楽章にはありません。音楽はとてもポジティブな方向へ転じます。英語の「チアフル」」という表現がぴったりでしょう。快活で楽しく積極的に展開する。実に手ごわく演奏が難しいのです。なぜならハイドンやベートーベンの初期交響曲と同じような透明性が求められるからです。しかしテーマの性格はイタリアの演奏スタイルに非常に強く影響されています。そして、どう言いましょうかね。こういった点を聴き手に伝えることは簡単ではありません。このようなタイプの作品をレパートリーとして持つことはオケにとって非常に有益です。第4番と第6番に言えることです。どちらも演奏機会が非常に少ないのですが、緻密に調和させるという点では要求が高く、ブラームスの交響曲よりもはるかに難しいといえます。
(ヤノフスキ@クラシック音楽館)


ブラームス。ヤノフスキのブラームスってどうなのだろう?と想像がつかなかったのだけれど、生き生きとしていて、とてもとても素晴らしかった。ヤノフスキらしく基本は速いのだけど、たとえば四楽章の例のメロディーは2回目の再現時にはたっぷり厚い音で歌わせていたり、随所にこだわりを感じました(ここ、思いがけない優しさ、大きさを感じて、感動してしまった)。普段聴こえないような音が聴こえてきたのも新鮮でした。前へ前へと心が急く青春の焦燥のようなものも伴いながら(といってもそれほど若い年齢での作曲ではないけれど)、最後は、とても前向きな気持ちにさせてもらえた。

(ドイツ音楽を指揮する際に大切にしていることは)明瞭性です。構造を明確にすること。構造を覆い隠して不明瞭にするような強調しすぎはよくありません。作曲家が書いた動きのある音符が持続する長い音符とは対照的に聴き取りやすいままであること。ドイツ音楽における主題の対位法的な扱いが明瞭であることが重要だと考えています。ベートーベンやシューベルトはもちろん、シューマンやブラームスの交響曲、あるいはワーグナーやR.シュトラウスの規模の大きいオペラでも同じです。構造を明確にすることが私にとって最も重要なことです。
ブラームスは長い間交響曲と向き合うことをためらっていました。彼自身ベートーベンの後は誰も交響曲を書けないと言ったようですし、のちに第1番がベートーベンの第10番だとよく言われたものですが、もちろん正しくありません。交響曲第一番で彼が求めているのは、オーケストレーション言語の明確さです。対位法が明確に認識できることがとても重要です。音符の強弱やブラームスが書いた強弱を操作するのではなく、対位法の明瞭性がはっきり現れるように演奏しなければならないということです。彼の作品すべて室内楽にも複雑な対位法がありますが、常に聴き取ることができます。ブラームスの4つの交響曲の中で最も難しいのは第一番です。特に第一楽章第二楽章では、感情表現が豊かになるあまり対位法的な輪郭が不明瞭になることがあります。N響はこの作品をよく知り何度も演奏していますが、私たちは聴衆が対位法をはっきりと聴きとることができるような演奏を、この作品にある焦燥や情熱を忘れることなく心がけました。

(ヤノフスキ@クラシック音楽館)


来年の春祭はパルジファルで来日くださると耳にしました。心からお待ちしております!!

2024年4月定期公演プログラムについて ―2人のドイツ音楽の名指揮者が贈る ロマン派の名交響曲(N響サイト)

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ブルックナー《ミサ曲第3番》 生誕200年に寄せて @東京文化会館(4月13日)

2024-05-02 17:51:20 | クラシック音楽



ワーグナー:ジークフリート牧歌 
(休憩)
ブルックナー:ミサ曲 第3番 ヘ短調 WAB28 


ワーグナーの『ジークフリート牧歌』、初めて聴いたけれど良い曲ですね~。良い意味で、ワーグナー臭さが少ない。
予習で聴いたカラヤン&ベルリンフィルの演奏(公式のウィーンフィルのものでも公式のベルリンフィルのものでもない演奏)がお気に入り。
今日の指揮者ケーニヒスさんは、ワーグナーもブルックナーもとても丁寧な指揮で、特にブルックナーの〈ベネディクトゥス〉の美しさと〈アニュス・デイ〉のラストの平和を願う静かな、でもどこか切実な美しさに心動かされました。
ケーニヒスさんはこのミサ曲を指揮するのは初めてとのことだけれど、子供の頃に合唱団でこの曲を歌っていたそうで、なんとなくそういうことが伝わってくるような、曲への親密感を感じさせる演奏でした。

ミサ曲の予習をしていた時に、私はいつも外で散歩をしながらイヤフォンで予習をするのだけれど、〈ベネディクトゥス〉の上昇と下降のフレーズのところで風でさ〜っと桜吹雪が散って、諸行無常というか有為転変というか(仏教用語ですけど)、時が流れて変わっていく世界のようなものを感じて。キリスト教を歌うこの歌には合わないのかもだけど、そういう世界に生きる弱い我々だから、神を必要とするのだろうな、とか。
指揮者さんもインタビューで仰っていたけど、どんな宗教であれ、無宗教の人であれ、結局我々人間が求めているものは同じものだと思う。そして一層、今日の演奏の最後、「われらに平和を与えたまえ」の美しさが心に響いたのでした。

――キリスト教文化を共有していなければブルックナーの音楽は真に理解できないでしょうか。

「ブルックナーは、なかなか自信がもてない人でしたね。交響曲もなんども書き直しています。そもそも完璧を、絶対普遍を求める人だったのです。カトリック信者ではありましたが、彼の場合、信仰心だって[制度的なものではなく]普遍的なものです。[世俗的な音楽である]交響曲の第7番に、自作の宗教曲《テ・デウム》から引用してもいますよ。「non confundar in aeternum 私がとこしえにおじ惑うことのないように」と歌われる部分の音楽です。日本でもバッハをやるでしょう。バッハだって、とても信仰心篤い作曲家です。でも、キリスト教徒でなければ理解できないなんてことはありません。キリスト教徒であれ、ムスリムであれ、ユダヤ教徒であれ、仏教徒であれ、その深い信仰心は、より良い世界の希求は、誰の心にも訴えかけるものです。」

――ミサ曲では、最後に「Dona nobis pacem われらに平和を与えたまえ」と歌われます。現下の世界状況を考えると、これはとくに切実に響きます。

「こう言ってよければ、世界はいま関節が外れています。気候変動。戦争……。ブルックナーのミサ曲でそれを止められるわけではありませんが、音楽は人間を高めます。ひとたび聴けば、別の人間になるのです。Dona nobis pacemは一つのメッセージ。信仰を持たない人でも、それを聴けるわけです。人々に届くかもしれない一個のアピールにはなります。」
(ローター・ケーニヒス @春祭サイト)


ブルックナーと《ミサ曲第3番ヘ短調》(春祭サイト)
ブルックナー《ミサ曲第3番》の指揮者、ローター・ケーニヒスに訊く(春祭サイト)


日時・会場
2024年4月13日 [土] 14:00開演(13:00開場)
東京文化会館 大ホール
出演
指揮:ローター・ケーニヒス
ソプラノ:ハンナ=エリーザベト・ミュラー
メゾ・ソプラノ:オッカ・フォン・デア・ダメラウ
テノール:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー
バス:アイン・アンガー
管弦楽:東京都交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩


Wagner: Siegfried Idyll /Karajan/Berliner Philharmoniker/Salzburg 1988 ワーグナー:ジークフリート牧歌 カラヤン ベルリンフィル


今回の予習で聴いたカラヤン&ベルリンフィルのこの演奏、とても良い。珍しい音源のようで、「1988年3月27, 28日 ザルツブルグ祝祭大劇場 ザルツブルグ復活祭音楽祭後援者のための公開リハーサル」とのこと(アップ主さんによる情報源はこちら)。なんという自然で清らかな美しさだろう・・・。演奏前にカラヤンの挨拶があるけれど、ドイツ語なので聞き取れず。



演奏会前に、東京都美術館のレストランミューズにて。大人のお子様ランチ風ミューズプレート、2600円也。

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東京・春・音楽祭『ニーベルングの指環』ガラ・コンサート @東京文化会館(4月7日)

2024-05-02 16:50:58 | クラシック音楽




前半45分~休憩~後半35分というとても短いプログラムを知ったときはどうかな?と思ったけれど、とても楽しめました
なにより改めてヤノフスキ&N響が素晴らしすぎる。。。
一曲目の『ラインの黄金』ではオケにトリスタン全曲のときのような緊張感が感じられずリハ不足・・・?と心配になったけれど、二曲目の『ワルキューレ』以降は尻上がりに良くなっていきました(ワルキューレのラスト良かった!)。特に最後の『神々の黄昏』には深く心動かされたなぁ。。。ブリュンヒルデ役のパンクラトヴァもとても良かったけれど(ちゃんと演技してくれてた)、やはりオケ!ヤノフスキのあの一筆書きのマジック!一見サラサラなのに劇的で、心を持っていかれずにはいられない。幕切れは、息を止めて聴いてしまいました。
抜粋なのにこんなに感動させられるとは。

私は指環はまだ実演に接したことがないのだけれど(大野さん、新国でツィクルスやってくださらないかな~~~)、今回ちゃんと全曲予習したんです。もちろん数日間かけて!褒めて!指環って文学作品とかにも時々登場するから一度ちゃんと観なきゃと思い続けてきたけれど、なにせ全曲の時間が時間なのでなかなか思い切れず。今回のガラはいいきっかけになりました。

今回はフラ拍はなし。しっかり静寂が保たれて、ヤノフスキも満足そうでした

※一緒に行った友人に「指環全曲の中でどれが一番好きか?」と質問したら、「ジークフリートが刀を直す場面が楽しくて一番好き」と。そこ笑!?と面白かったです。指環は楽しみ方も沢山ですね〜。


■2024年4月7日 [日] タイムスケジュール
前半 15:00~15:45 [約45分]
―休憩 20分―
後半 16:05~16:40分 [約35分]
終演予定 16:50頃

舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』より

序夜《ラインの黄金》より第4場「城へと歩む橋は……」〜 フィナーレ [試聴]
   ヴォータン:マルクス・アイヒェ(バリトン)
  フロー:岸浪愛学(テノール)
  ローゲ:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)
  フリッカ:杉山由紀(メゾ・ソプラノ)
  ヴォークリンデ:冨平安希子(ソプラノ)
  ヴェルグンデ:秋本悠希(メソ・ソプラノ)
  フロースヒルデ:金子美香(メゾ・ソプラノ)

第1日《ワルキューレ》より第1幕 第3場「父は誓った 俺がひと振りの剣を見出すと……」〜第1幕フィナーレ [試聴]
 ジークムント:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)
  ジークリンデ:エレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)

第2日《ジークフリート》より第2幕「森のささやき」〜フィナーレ
 第2場「あいつが父親でないとは うれしくてたまらない」―森のささやき [試聴]
 第3場「親切な小鳥よ 教えてくれ……」〜第2幕フィナーレ [試聴]
  ジークフリート:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)
    森の鳥:中畑有美子(ソプラノ)

第3日《神々の黄昏》より第3幕 第3場ブリュンヒルデの自己犠牲「わが前に 硬い薪を積み上げよ……」 [試聴]
 ブリュンヒルデ:エレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)

指揮:マレク・ヤノフスキ
管弦楽:NHK交響楽団(ゲスト・コンサートマスター:ウォルフガング・ヘントリヒ)
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン





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東京・春・音楽祭『トリスタンとイゾルデ』(演奏会形式/字幕付) @東京文化会館(3月30日)

2024-05-02 16:07:59 | クラシック音楽



昨年の春祭『マイスタージンガー』で超高速なのに超名演を聴かせてくれたヤノフスキ&N響。今年も楽しみにしていました。

先日の大野さん&都響@新国に続いて、ブラボー
大野さん&都響とはまた違う音。清らかさや透明感よりも劇的さや濃さ?が加わった感じ。昨年のマイスタージンガーの方が音に官能性が感じられた気もしたけれど、コンマスさんが違うからかな(昨年はキュッヒルさん、今年はMETのコンマスさん)。
とはいえ途中までは昨年と同様に、「いくらなんでも速すぎでしょうよ」と感じたのが正直なところ。一幕の船が陸に着いて旗が翻るところの音とか大好きなんだけど、感動する前に音が次に進んでしまう。恋の高まりや一幕最後のマルケ王!の喝采と二人の世界の対比とその悲劇性も大好きなんだけど、心が締め付けられそうになるともう音が次に進んでいる。。。もう少し浸らせて〜と思ってしまった。
二幕もやはり速い…のと、愛の二重唱は演奏会形式なので二人が向き合わないから愛を感じにくい。
でも「トリスタンの行く国にイゾルデも来てくれるか?」から二幕幕切れには、オケの演奏に胸がいっぱいになりました。
そして三幕、泣いた。オケの音楽の力が凄い。。。
ヤノフスキの音って不思議なんですよね。一見サラサラと進んでいるように聴こえるのに(知人はこれを「一筆書き」と表現していて、なるほどと)、ちゃんと引っ掛かりがあって、聴いている者の心を連れて行く、心が締め付けられないではいられないような響きをさせる。私達を置いてそのまま流れて行ってしまうことがない。うーん、ヤノフスキマジック。。。

イゾルデ役のクリステンセン。二幕までは声量不足に感じられたけれど、最後は頑張った!
今回も改めて感じましたが、トリイゾって『愛の死』がダメだと絶対にダメですね。ここに全てが向かっているような作品だもの。イゾルデ役のプレッシャーはどれほどか。

スケルトンのトリスタンもとても良い声だったけれど、とても頻繁に水を飲んでいて(譜面台の上に常にペットボトルが数本)、イゾルデが真剣に愛を語ってるときも蓋を回してゴクゴク。マルケ王が苦悩を切々と語ってるときも座ってゴクゴク。。すぐに椅子に座っている様子からも、ご体調が心配になりました。体格の大きな方で、糖尿病とかそういう心配をしてしまった。
三幕モノローグはとてもよかったです。『愛の死』の場面で、死んでいるはずのトリスタンが座りながらじーっとイゾルデを見ていて、(ただ演技に飽きて見ていただけかもしれないけれど)なんだかジーンとしてしまった。

クルヴェナール役のアイヒェ、甘やかな声がとてもよかった。新国でも感じたけれど、この役って実はとても重要ですよね。マルケ王にしてもブランゲーネにしても、トリイゾって不要な役が一つもない。みんな重要。
ブランゲーネ役のドノーセも決して悪くはなかったのだけれど、新国の藤村さんがいかに素晴らしかったかを改めて実感しました。

ヤノフスキは二幕ラストでフラ拍が起きかけても手を下ろさず、沈めていました。にもかかわらず三幕でまたもやフラ拍。しかも今度は拍手をやめず。ヤノフスキは手を下ろさず。周りの人が「シーッ」と言って、やめさせていました。ちなみに私の数席隣の方でしたけれど。。
以前も書いたけれど、演奏終了と同時の拍手が常に悪いとは私は思っていないけれど、曲によりますよね。もしマーラー9番で拍手が起きたら、それって新手のブーイング?と思ってしまうもの(幸い出会ったことはないけれど)。

同じ春に新国と上野でタイプの違う、でもどちらも極上なトリイゾを聴けて、本当に幸せでした。三幕は毎回泣いた。
ヤノフスキ&N響のワーグナーは、4月7日にリングのガラも聴いてきました。幸せすぎる。。。

対談 vol.1:マレク・ヤノフスキ(指揮) × 鈴木幸一(春祭サイト)

指揮:マレク・ヤノフスキ
トリスタン(テノール):スチュアート・スケルトン
マルケ王(バス):フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ
イゾルデ(ソプラノ):ビルギッテ・クリステンセン
クルヴェナール(バリトン):マルクス・アイヒェ
メロート(バリトン):甲斐栄次郎
ブランゲーネ(メゾ・ソプラノ):ルクサンドラ・ドノーセ
牧童(テノール):大槻孝志
舵取り(バリトン):高橋洋介
若い水夫の声(テノール):金山京介
管弦楽:NHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ベンジャミン・ボウマン)
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン







桜の季節の上野を舐めていた私は藪蕎麦も駅ビルもどこの店にも入れず、朝から何も食べてないままトリイゾなんて死んでしまうので、結局東京文化会館内の精養軒へ。ここのお店はそれほど好きではないのだけれど(精養軒系列なら東京都美術館のミューズの方が好き)、いつも最後の砦になってくれる店でもあります。ビーフカレーは美味しかった(1680円也)。ご飯の量、昔よりは多くなった気がする

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歌劇『トリスタンとイゾルデ』 @新国立劇場(3月14日、23日)

2024-05-02 16:01:24 | クラシック音楽



誤解しないでください。私はワーグナーの音楽が大好きなんですよ。彼の反ユダヤ主義思想はひどいものですが。文芸批評家の故ライヒ=ラニツキは、家族を[ユダヤ系ゆえに]ワルシャワ・ゲットーで殺されました。『それでもなぜワーグナーを聴くのか』と尋ねられ、『《トリスタンとイゾルデ》を書いたのは彼だけだから』と答えた。つまりは愛憎。あの音楽の虜になるんです。私も《トリスタン》を15歳か17歳で初めて観て、完全にやられてしまい、すぐにヴォーカルスコアを買って、全部弾いて、指揮者になる!と決めたんですよ。
ブルックナー《ミサ曲第3番》の指揮者、ローター・ケーニヒスに訊く@東京春音楽祭

14日はZ席(1650円!)の上階Rサイドで、23日はD席(7700円)の上階Rサイドで聴きました。
Z席は初めて座ったけれど、信じられないほどお得ですね。
ほぼ見切れなしのD席に比べると確かに見切れるけれど、舞台中央はかろうじて見えますし、音楽は舞台に近いオケの上方なので一階席や正面席よりも響きがいい。長時間のワーグナーを今の時代にこんなお値段で聴けるとは。

ワーグナーのオペラを全曲で聴くのは、昨年の新国『タンホイザー』春祭『マイスタージンガー』に続いて3回目。
今回『トリスタンとイゾルデ』を聴いて、冒頭に引用させていただいたケーニヒスさんの言葉を強く実感しました。この音楽は虜になる。。。
動機の使い方もとてもよくできているし、最終幕の幕切れのオーボエの使い方なんて天才的と感じる。

今回の公演、なにより大野さん&都響が大ブラボーでした。
あいかわらず丁寧&雄弁&美しく、最終幕の清らかな響きにやられました。大野さんの音楽作りって私にはイマヒトツ突き抜け感が感じられないことが多いのだけれど、今回はそうではなかったというか、大野さんの指揮から今回初めて丁寧さ&雄弁さだけではないプラスアルファの熱を感じました。あるいは丁寧であるが故の凄みのようなものを感じさせてもらえた気がします。

ワーグナーとマチルデが既婚者同士でも愛し合った末にうまれた作品『トリスタンとイゾルデ』ですが、作品中特に二幕でトリスタンとイゾルデが光、太陽、日中を嫌い、夜を讃えるのはなぜでしょうか。日中は光があるので物が見えて概念を持ちますが、夜は光が無いため物が見えず既成概念を持てません。つまり敵、味方、婚約者の仇、主人の妻、既婚、未婚という既成概念が無い「夜」にすることで既成概念を否定したと解釈できます。形而上ですね。
(ブランゲーネ役 藤村実穂子)

今回、月と太陽の演出もとてもよかったな。
夜は全ての垣根をなくす。
人が真の自分になれるのは夜の世界。愛が成就するのも夜の世界。けれど夜の世界は死の世界と結びついている…。

一幕最後でようやく二人が本心から通じ合った直後の「マルケ王万歳!」の流れとか、二幕最後で2人が「夜の国」への憧れを口にする場面とか、三幕でイゾルデが歌う「愛の死」とか、映像で聴いても素晴らしいけれど、生で聴くと胸に訴えかけてくるパワーが全然違う。それはオペラ全般に言えることではあるけれど。
常につきまとう不安定さと破滅の音。
最終幕の清らかな響きと解決。死の安寧。

今回のソリストでは、ブランゲーネ役の藤村さんが素晴らしかった。彼女の独特な声が作り出すあの二幕の空気といったら・・・。
シュヴィングハマーのマルケ王も、その人間味のある温かな声に彼の心に共感してしまった。
シリンスのクルヴェナールも役にピッタリで、三幕は胸が苦しくなりました。
タイトルロール二人(ニャリキンチャ)は声の豊かさは少なめではあったけれど、その演技(声の演技も含めて)には、特に最終幕の二人には深く感動しました。ニャリのモノローグも胸がいっぱいになったし、特にキンチャの『愛の死』はオケの演奏とあわせて強く感銘を受けました。公演の後半に行った知人は「キンチャが愛の死でスタミナ切れでブーイングが起きた」と言っていたので、前半に観に行っておいてよかったです。

今年は春祭でもヤノフスキ&N響の同曲を聴けるというトリスタン祭り。なんという贅沢でしょう。

待望の再演 大野和士が語る、新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」(毎日クラシックナビ)
新国立劇場オペラ『トリスタンとイゾルデ』でブランゲーネを歌う藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)に聞く(SPICE)

スタッフ
【指 揮】大野和士
【演 出】デイヴィッド・マクヴィカー
【美術・衣裳】ロバート・ジョーンズ
【照 明】ポール・コンスタブル
【振 付】アンドリュー・ジョージ
【再演演出】三浦安浩
【舞台監督】須藤清香

指揮
大野和士

演出
デイヴィッド・マクヴィカー

キャスト
【トリスタン】ゾルターン・ニャリ
【マルケ王】ヴィルヘルム・シュヴィングハマー
【イゾルデ】リエネ・キンチャ
【クルヴェナール】エギルス・シリンス
【メロート】秋谷直之
【ブランゲーネ】藤村実穂子
【牧童】青地英幸
【舵取り】駒田敏章
【若い船乗りの声】村上公太
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京都交響楽団

新国立劇場『トリスタンとイゾルデ』2024年3月20日公演より ダイジェスト Tristan und Isolde New National Theatre, Tokyo 2024


待望の再演 大野和士が語る、新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」







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広島交響楽団 下野竜也 音楽総監督ファイナル @すみだトリフォニーホール(3月10日)

2024-05-02 15:02:25 | 日々いろいろ



3月公演の記録をGWにアップするワタシ。。。
もう書くのやめてしまおうかとも思ったけれど、このブログは自分用にとても役立っているので、頑張って書く。

下野さんの広響総監督としてのファイナル公演。下野さんを聴くのは、今回が初めてです。

【細川俊夫:セレモニー ― フルートとオーケストラのための】

会場には細川さんご本人もいらっしゃっていた様子。広響のコンポーザー・イン・レジデンスをされているんですね。
今日のプログラムはブルックナーだけと何故か思い込んでいて、会場で知人から前半にこの曲があることを知らされ驚いた
武満にも言えることと思うけれど、こういう曲は日本のオケに合ってるな~と感じる。日本人の良さ、空白の美の感覚のようなものを感じる曲。尺八のような音の使い方なのになぜ敢えてフルート…?と思ったけれど、特殊な楽器を使わないことで外国のオーケストラも演奏できる曲にするためなのかな

(休憩)

【ブルックナー(生誕200周年):交響曲第8番ハ短調(ハース版)】
前日の井上さんのマーラー3番は第一楽章が最も素晴らしかったのに対して、今日は四楽章が素晴らしかった。ここからオケの音がはっきりと変わったように感じました(三楽章後半も美しくて悪くなかったけれど)。リハーサルも四楽章に時間かけたのかな
それにしても下野さんのブルックナー、いいですねぇ
変な色気(指揮者の自己主張)がなくて、冷静で堅実なのがとってもいい。なのにちゃんと熱もある。
四楽章では手で「まだ、まだ、クライマックスはまだ先だから」とオケを抑えているように見え、嬉しくなってしまった。そうなの、ブルックナーではその冷静さ、俯瞰が大事なの。クライマックスはまだ先なのだから。

ただ以前秋山さんのブラームスを広響で聴いたときと同じく、ブルックナーの前半は音に余裕がなく感じられました。
本当に良い演奏って楽器を聴いていることを忘れるし、さらに音楽を聴いていることを忘れさせてくれる。ただその感覚だけがそこにあるような。ウィーンフィルやベルリンフィルなどでは、自分の楽器を弾きながら他の楽器の音を聴いてる余裕も感じる。
今日の広響はそれぞれが自分の楽器を、目の前のフレーズを弾いている感じが音に出ていた、ように私には聴こえてしまった。
でも四楽章はそういう感じが大きく軽減されて「ブルックナーの音楽」に感動させてもらえました。この曲は過去にバレンボイム&シュターツカペレ・ベルリン、ノット&東響と聴いてきたけれど、個人的には今日の四楽章が一番感動したな。
ずっと生演奏で感動してみたいと思ってきた曲なので(もしや私はこの曲が嫌いなのでは…?とまで思いかけていたので)、ようやくそれが叶って嬉しかったです。

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