風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

クリスチャン・ツィメルマン ブラームスを弾く @サントリーホール(10月17日)

2019-10-19 04:45:04 | クラシック音楽




演奏会の前にアークヒルズの「日本橋 天ぷらめし 金子半之助」にて早めの夕食を。サントリーホールのチケットで天ぷら1品がサービスでした。まあ値段相応の味ではあるものの、あさりの味噌汁は美味しかったし、コスパはなかなかよいのでは。気をつけないと服や髪が油くさくなるけど^^;

今回の演奏会は日本とポーランドの国交樹立100周年を記念したポーランド芸術祭2019 in Japanの参加公演だそうで、ホワイエにはポーランド航空の看板や日本パデレフスキ協会のリーフレットなどが置かれていました。改めて写真で見ると、若い頃のパデレフスキってアインシュタインみたいな髪の毛だけど美男ですね

【ピアノ四重奏曲第3番ハ短調 op.60】
(休憩20分)
【ピアノ四重奏曲第2番イ長調 op.26】

クリスチャン・ツィメルマン Krystian Zimerman (Piano)
マリシャ・ノヴァク Marysia Nowak (Violin)
カタジナ・ブゥドニク Katarzyna Budnik (Viola)
岡本侑也 Yuya Okamoto (Cello)


曲目は、ポーランド芸術祭だけどブラームス笑。
今年3月のリサイタルで演奏されたピアノソナタ第3番では、丁寧に聴かせてほしい部分もさらさらと流すように弾かれてしまっていて。今回はどうだったかというと、前回ほどの違和感はなかったものの、やはりそういう傾向の弾き方で。残念ながらツィメさんのブラームスは私の好みとは違うのだということを再確認してしまったのでありました。

――のだけれども。

それでも今夜の後半に演奏された第2番、とてもよかったのです。濃密で、美しく、自由で前向きな勢いがあって。あれはツィメさんだけによるものではなく、4人全員で作り出されたものだったと思う。でももちろんツィメさんが中心にいなければできなかったであろう音楽。カルテットを聴く醍醐味ですよね。ツィメさんってソロ以外で演奏するときは絶対に一人突っ走らずに周りと一緒に音楽を作ろうとするところが、性格が表れているようで微笑ましい。特に第2楽章のアダージョでは、4人の周りにほわあ~っと美しい柔らかな白い光が見えました。ゆったり楽章は前半の第3番でもとてもよくて(第3楽章)、そういえば3月のピアノソナタのときも第2楽章はうっとり聴き入ってしまったものだった。ツィメルマンはこういうアダージョ的な静かな音色がとても魅力的なんですよね。独特の硬質さがあって。バーンスタインでもベートーヴェンでもそうだった。
でも第2番は、どの楽章もとてもよかったです。
繰り返しますがツィメさんの弾き方は基本私好みのブラームスの弾き方ではないのだけれど、それでもこの四重奏は心に響きました。ぐわぁ~っと押し寄せる感じではなく、美しさがしみじみと熱く心に届いた。室内楽というのはいいものだなあ。

全部で3曲あるブラームスのピアノ四重奏曲は、完成時期は違えど、どれも1855年頃に作曲されているそうです。(なのに今回のポスター、なんで作曲当時のブラームスの写真を使わないのさ!せっかく紅顔の美青年なのに!)
ブラームスは1853年、21歳のときにシューマン夫妻と出会いました。翌1854年、精神を病んだシューマンはライン川へ投身自殺を図り、そのまま療養生活に。そして1856年に亡くなります。その後もブラームスは14歳年上のシューマンの妻クララを、彼女が76歳で亡くなるまでの40年以上、献身的に支え続けました。友情、恋、憧れ、どんな言葉も表現しつくせない深い想いとともに。
シューマン夫妻に出会った翌年の1854年8月、ブラームスはクララへ宛てた手紙の中でこんな風に言っています。

「あなたを知る前は、あなたがたのような人間やご夫婦は、ただ人間の最も美しい幻想の中にのみ存在すると考えていた」
(『クララ・シューマン ヨハネス・ブラームス 友情の書簡』より)


これはその年齢に比して多くの苦労と辛酸を経験していたブラームスの本心からの言葉だったろうと思う。彼はシューマン夫妻と出会い、彼らのような嘘偽りのない清らかな心を持った人間が現実にこの世界に存在するのだということに驚き、そして救われたのだと思う。そのときの感動と感謝の気持ちを彼は一生涯忘れなかった。
でもブラームスの心がシューマン夫妻のそういうところに共鳴したのは、だれより彼自身の中に同じ清らかさがあったからでしょう。

今日の四重奏の演奏から感じさせてもらえた好みや理屈を超えた「美しさ」は、ブラームスという人間の美しさに通じるものがあり、それこそがブラームスの音楽の芯であると言ってもいいのではないか、と感じたのでした。

そんな少し切なく温かな気分に満たされながらカラヤン広場を駅に向かって歩いていたら、男性が第2番の第4楽章の主題を口ずさんでいて。わかるわかる、あの民族舞踊風のメロディって歌いたくなるよね 来月はブロムさんのブラ3が聴ける あれも耳から離れなくなるメロディーですよね。

Brahms - Piano quartet n°3 - Guarneri SQ / Rubinstein

今日の演奏は2番のがよかったけれど、曲としては私は3番も好き。ちょっとピアノ協奏曲第2番に似ていて。

Brahms Piano Quartet No 2 in A major op 26



そうそう、今回の演奏会ではいつものチラシ&アナウンスによる「録音・録画禁止」の注意に加えて大々的な掲示がホワイエに、さらにボードを持ったスタッフが通路に出現いたしましたよ。芸術を楽しむ場所でこれはやりすぎでしょうよと思うけれど、ツィメさん、本当にトラウマになってしまっているんだなあ

今日のような若者達の父的なツィメさんもとてもいいけれど、同世代のラトルとの少年達のじゃれあいのようだったツィメさんもまた聴きたいな。もう一緒に来日してくれることはないのかな。ラトルといるツィメさん、可愛かった

 私がショパン国際ピアノ・コンクールを受けたのは18歳のとき。ポーランド人がショパン・コンクールを受けるというのは、ものすごいプレッシャーなのです。2005年にラファウ・ブレハッチが優勝し、このときに彼は大変なプレッシャーと闘うことになりましたが、私のときはおそらくそれ以上でしたね。
 あのときは、ポーランドからの参加者は6人。女性5人で男は私ひとり。しかも私は最年少。コンクール前に新聞にパロディ作家がカリカチュアを描いたのですが、5人の女性がベビーカーを押していて、なかにいる赤ちゃんは私でした。18歳ですから、成人とはみなされなかったのでしょう。とにかく自分との闘いでしたね。
 優勝後もまったく実感が湧かず、朝目覚めると、ああ、いまの状態は夢ではないんだと思う日々でした。私はキャリアを積むという感覚がなく、ちやほやされるのも好きではありません。はなやかな場所はすごく苦手で、すぐひとりになりたくなってしまう。ですから、いつもステージに出ていくのは大変な勇気を必要とするんですよ(笑)

 私はコンクールから世に出たわけですが、自分が審査員席に座ることはしたくありません。なぜなら、若い人の演奏を聴くのは好きですが、点数をつけることは苦手なのです。私は自分が得意でないことをすると、とても気分が悪くなり、自分を見失ってしまう。
 住む環境にも同じことがいえます。私は日本が大好きで、日本にいると気分が落ち着き、とてもくつろいだ気分になれる。いつも気難しい表情をしているといわれる私が、とても機嫌がよく暮らせるんですよ。日本人は秩序を守る人たちですし、人に敬意を示してくれる。日本の歴史や文化、長年作り上げてきたものに対し、私は尊敬の念を抱き、それらをもっと深く知りたいと思います。ですから、一年の三分の一くらいは日本に滞在したいと願っています。

(朝日新聞:初のコンクールでビリ。ツィメルマンは日本大好き(2019.8.11)

 

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高畑勲展 日本のアニメーションに遺したもの @東京国立近代美術館

2019-10-04 14:11:55 | 美術展、文学展etc




子どもの心を解放し、生き生きとさせるような本格的なアニメシリーズを作るためには、どうしなきゃいけないのかということを一生懸命考えた。

・・・

描いていない部分があるとか、ラフのタッチのままだとか。
そしてそれが、とりもなおさず、見る人の心に記憶を探ろう、想像しようという気持ちを呼び覚ますんだと思います。
「かぐや姫の物語」での線の途切れ・肥痩、塗り残しがたつきなどは、そのために役立ったのではないでしょうか。

(高畑 勲)


少し前になりますが、東京国立近代美術館で開催中の高畑勲展に行ってきました。
宮崎さんが監督をし高畑さんがプロデューサーをされた『風の谷のナウシカ』が公開されたのが1984年、私が8歳のとき。スタジオジブリ設立が翌1985年。でも「ジブリのアニメ」と呼ばれるもっと前から、世界名作劇場の『アルプスの少女ハイジ』などの形で、高畑さんや宮崎さんの作品は意識されることなく子供だった私の生活の中に自然に溶け込んでいたのでした。

宮崎さんの作品と比べると現実世界や人生の厳しさをリアルに容赦なく突きつける高畑さんの作品は、私には時に苦しく感じられてしまう(アニメの中でくらいもう少し夢を見させてくれてもいいではないかと思ってしまう)こともあるのだけれど。
今回の展覧会、とてもとてもよかった。
展示が丁寧で誠実で知的で、高畑作品に対するいっぱいの敬愛が伝わってきて、会場をまわりながら高畑さんがその作品を通して描こうとしたもの、日本の未来と子供達に遺したかったもの、遺してくれたものが熱く胸に届いて、最後の『かぐや姫の物語』のコーナーを観終わったときにはなんだか涙が出そうになってしまった。ただでさえ『かぐや姫の物語』は映画館でボロ泣きした作品ですし。

東大仏文科卒(ということも今回知った)の高畑さんがジャック・プレヴェールの熱烈なファンで詩集の翻訳もしていたことを知り、へえ、と思いました。なぜなら『かぐや姫の物語』を観ながら私の頭に浮かんでいたイメージが、まさにジャック・プレヴェールのこの詩だったからです。高畑さんの翻訳ではありませんが。

天にましますわれらの父よ
天にとどまりたまえ
われらは地上にのこります
地上はときどきうつくしい
(抜粋)

アニメーション映画『木を植えた男』のフレデリック・バック氏との交流についての展示も、温かくてよかったな。
妥協が全くない高畑さんの製作方法は、現場の人達にとっては想像を絶するご苦労もあったろうと思うけれど(漏れ聞く話だけでも壮絶ですし…)、それでも、なんだかとても清々しく美しく感じられて。
せっかくこの世界に生まれてきたのだからしっかり生き尽くさなきゃもったいないでしょう、と高畑さんから言われているようで。
この展覧会に来てよかったな、と心から感じたのでした。
アニメーションは一人の力で作るものではなく大勢の力で作り上げられるものなのだということも、今回の展示で改めてわかりました。

『火垂るの墓』のコーナーの壁には、清太と節子が戯れる蛍の光が戦闘機から落とされる焼夷弾の炎と重なっている絵が投影されていて(映画公開時のポスターよりもはっきりとB29の姿が見えました)、それがとても美しく、だから一層恐ろしく、幸せそうな兄妹の姿が悲しかった。
丘の上のベンチで清太が眠る節子を膝に眼下の現代の神戸の街並みを見つめているラストシーン。あれは「私達が平和を享受して生きているこの世界は彼らが生きた時代から繋がっている世界なのだということを忘れてはならない」というような意味なのだろうと今までぼんやりと解釈していたのです。清太の表情がどこか虚ろなことが気にはなりつつ。現代の世界に彼らの霊がいるということは、それまでの長い時間二人の霊はどうしていたのだ?・・・・と思いながらも、なんとなくその辺を曖昧なままにして今までこの映画を見ていたのだけれど。
遅ればせながら、今回真実を知った私でありました・・・。
高畑監督はやはり高畑監督で、宮崎監督ではなかった。どこまでも甘くない。そしてそれが高畑さんという人の、世界や観客に対する誠実さなのだと思う。
そういう意味で、この作品は『かぐや姫の物語』と似ているのですよね。

かぐや姫は最後に良い面も悪い面も含めた地上の美しさに気づくけれど、もうそのときにはこの世界を去らねばならなくて。
「生きるために生まれてきたのに」と泣きながら地球を去るかぐや姫と、それ以上成長せずに閉じられた世界の中で繰り返し同じ時を生きるしかない清太達。死は何かの解決には決してならないし、何ものにも繋がらないという高畑監督の冷徹な視点は、どちらの作品にも共通している。
これは”死”というものについて高畑さんが考えているところのものを、そのままに描いているのだと思う。そして監督が最も描きたかったものはもちろん、そのような”死”に相対するものとしての”生”の素晴らしさでしょう。
高畑監督は彼らのような人生を描きながら逆説的に、汚いものも綺麗なものもあるこの地上を「それでもこの世界は美しく、生きるに値する世界である」と言っているのだと思う。
このメッセージは、宮崎監督の作品にも共通するもの。
でも、宮崎監督は主人公達や観客に対してもう少し甘い笑。そして私は宮崎監督のそういう甘さが好きだ。下記のドキュメンタリーの中で『風立ちぬ』の完成試写を観た高畑監督が「出会いからなにから全部あり得ないというかな、こうあってほしいという風な、パラソルが飛ぶところから始まる…そういうのがいっぱい出てくる。それがものすごくリアルというわけでもなく、本当らしく見せようと思ったらもう一押ししなきゃいけないんじゃないかというところがサラサラといっちゃう。それが悪いと思ってないんです全然。まあ(宮崎監督の)理想なんでしょうね色々と。死ぬことも含めて理想でしょ」(『「かぐや姫の物語」は、こうして生まれた。』)と仰っているけれど、私もそのとおりだと思う。あれは宮崎監督の夢がいっぱいに描かれた作品。そしてそういう作品から元気をもらえることでこの現実世界を生きることができる私のような人間もいるのです。
でもご自身の『かぐや姫の物語』を”優しくない映画”と仰る高畑監督も、この地上を志半ばで去らねばならなかった命への救いをのこしてくださっているではないですか。映画の最後に「いのちの記憶」を流してくださったことで。あれ以上の優しさがあるだろうか。
かつて月から舞い降りた小さな命が、翁と媼に大きな大きな幸せを与え。人と出会い、自然と触れ合い、成長し、愛を感じ、喜びを感じ、怒りを感じ、悔い、涙を流し。たくさんの出来事、たくさんの想い。それらの記憶はこの地上を去るときがきても、決して消えない。必ず憶えてる。そしていつか必ずまた会える、懐かしい場所で――。
ちなみに私がもっている生命や世界のイメージはこのようなものなので、「いのちの記憶」もそのようなイメージで聴いています。

高畑勲監督は追い求めた、アニメの向こうにある「現実」を。82年の生涯を振り返る

「かぐや姫の物語」。高畑勲監督が答えていた「姫の犯した罪と罰」とは

悲惨日誌(スタジオポノック)
『かぐや姫の物語』のプロデューサー西村義明さんによる2013年4月15日~9月1日の製作日誌(全121回)。まあ、、、凄まじいの一言ですよね。「お世話になっております」の社交辞令を許さず「あなたをお世話した記憶がないんですが」と返す高畑さん。こういう人、私は大好き。ではあるが実際に自分が言われたら確実に凹んで萎縮しちゃいますね



宮崎監督と高畑監督のお二人、いい関係だなあ。どちらも70オーバーなのに少年みたい 鈴木プロデューサーが加わった3人の会話は、ずっと聞いていたい。久石さんの謙虚さもとても素敵です。
前編はこちら

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