風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『SINGIN’IN THE RAIN -雨に唄えば- 』  @東急シアターオーブ(11月21日)

2014-11-30 04:02:10 | ミュージカル




ボリショイ白鳥の翌日に、行ってまいりました。
生ザハロワの翌日に、生アダム。
これだから東京から離れられない・・・。

といっても、実はこの公演、当初は行く予定はなかったのです。
マシュー白鳥&Kバレエ&ボリショイだけでも相当な出費でしたし、正月の歌舞伎座も行きたいし(猿ちゃん、初歌舞伎座うぇるかむー)。
なのでチケットは買っていなかったのですが、何気なくぴあを覗いてみたら、8列目中央という超超良席が戻っておりまして。。。思わずポチ、と。。。
13000円はキツかったけど(結局BBLも行っちゃったし・・・)、とっても楽しい時間を過ごすことができました。行ってよかった!

さて、主演のアダム・クーパー
彼は私にとって「映画リトル・ダンサーの人」なのです。マシュー白鳥の初代様というよりも、やっぱりあの映画のラストシーンの人。
本当に大好きな映画なので、今回はじめて生アダムを見ることができて、とても感激しましたし、嬉しかった。
もしかしたらアダムは、いつまでもあの映画のことを言われることにウンザリしてるかもですが^^;

前日にあの衝撃なグリゴロ版白鳥を観て、作品の解釈とか頭の中でグルグルグルグル考えちゃって(今だに考えてます笑)、そんな中でのザ・アメリカ~ンな、コムズカシイことは一切なし!楽しんで!なこのミュージカル。
こういうのもいいですよね~。
色々考えさせられる作品も大好きだけど、エンターテインメント100%で観客サービスいっぱいな作品も大好き!観ている間ずっと、顔が笑顔になっちゃっていました(*^_^*)

初めて目の前で見た生アダムは、とても素敵でした。
最初に登場した時は「ん・・・?アダム太った・・・?」と思いましたけど笑、すぐに慣れちゃったというか(でもあとちょっとダイエットしてくれてもよくてよ)、前半最後のクライマックスのどしゃ降り場面のアダムが、それは綺麗で。カッコイイというよりも、不思議と綺麗という言葉がぴったりで、見惚れてしまいました。バレエ出身の彼だからこその姿勢や動作の美しさがあるのかな。
びしょ濡れのスーツで、夜の雨の中を歌って踊るアダム。
いい男には雨が似合う。

ここは映画と同じく、ドン&コズモ&キャシーが3人で歌う「Good Morning」からの流れが、ものすごくいいですよね。

When we left the movie show
the future wasn’t bright
But came the dawn
the show goes on and
I don’t want to say good night
So say good morning
Good Morning
Rainbows are shining through
Good Morning
Good Morning
Bonjour Monsuier
Bonas Dies
Bunus Greas
Bonjourrrraaaaa
Artichonnnaaaa
Good Morgan
Licha Moana
Good Morning to you
("Good Morning")

※映画版より

歌い終わってアダム達が舞台上手に勢いよく倒れ込むと、客席の気分も最高潮。
なかなか終わらない拍手にアダム達は息を整えながら笑ってたけど、全っ然手抜きなしで歌って踊ってくれて嬉しかったな~。
そしてキャシーの家を出て、コズモも帰らせて、一人になったドンが真夜中の雨の街で踊るタイトルソング、Sing'in In The Rain

I’m singin’ in the rain
Just singin’ in the rain,
What a glorious feeling,
And I’m happy again.
I’m laughing at clouds
So dark, up above,
The sun’s in my heart
And I’m ready for love.
("Sing'in In The Rain")

どしゃ降りの雨の中、The sun’s in my heartと歌うドン。
心がハッピーなら、雨だって幸せの道具に変えちゃう。

ミュージカルってすごいですよね。
こんなに明るくて難しいことなんか一つも言っていないのに、こんなに心に響くんだもの。
昔ロンドン留学を終えて帰国直前に観た最後のミュージカルがThe Sound of Musicだったんですけど、ご存知のとおり決して悲しい話ではないのに、"Climb Every Mountain"で急に涙がじわぁっと溢れたんです。在英中にリーマンショックが起きて、日本に帰っても仕事がすぐに見つからないことはわかっていて、「イギリスに来たことは本当に正しかったんだろうか・・・」とかそんなことを考えてしまっていた時期でしたから、あのラストの場面で歌われる「全ての山に登れ、全ての川を渡れ、全ての虹を追え」という歌詞に、自分のイギリスでの一年間を肯定してもらえた気がしたのです。

さて、今回の来日キャスト。英国ツアーとほぼ同じメンバーだそうですが(アダムはPalace Theatreから続投)、アダム以外もみんな役にぴったりで素晴らしかったです。
キャシー役のエイミー・エレン・リチャードソン。会場を泣いて去ろうとするあのラストシーンでちょうど私の目の前まで下りてきて、そういう演出があるとは知らなかったので吃驚しました。アダムが思いきりこちらに向かって愛を語ってくれるのでお得な席でしたが、エイミーの渾身の演技の方にやはり釘づけに。素敵な女優さんだったなぁ。
リナ役のオリビア・ファインズも、キュートでした~。憎めないけど、ラストの展開で「リナが可哀想!」ともならない絶妙さ笑。インタビュー映像を見ましたが、本当に地声もああいう声なんですね!
そしてコズモ役のステファン・アネリ。ま~芸達者なこと!正直、アダムより上手かった笑。
他、ポール・グラナート:ロスコー・デクスター、マックスウェル・コールフィールド:R・F・シンプソンズ、ジャクリン・クラーク:ドーラ・ベイリー/ミス・ディンズモア。

それにしてもアダムって、私より年上なのにタフだわぁ。
私はこの日、風邪でひどい体調だったのですが、ザハロワと同じくアダムも「この人を観たい」とチケットを買っている客がほとんどじゃないですか。そんな期待にちゃんと応えて、毎日雨に打たれながら24日間28公演をやりきっちゃうのだもの。しかもあんなに全力で演じてくれて。もちろんアダムだって生活があるでしょうから、手抜きなんぞしている余裕はないのかもしれないけれど。
それでも、それも含めて、すごく元気をもらえました。

ああ、そうそう。バンドも生演奏で楽しかったです♪
SITR bandの名前でツイもされていましたね。
最後の追い出しの音楽の後、網の向こう側から手を振ってくれて、楽しい方たち^^
カテコは、少なくとも一階席はみんなスタオベでした。

この日は客席に渡辺えりさんと篠井英介さんのお姿がありました(渡辺さんはブログに書かれていました)。
こういう公演は客席もお楽しみの一つですよね

次にアダムに会えるのはいつかな~?

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『白鳥の湖』 ボリショイ・バレエ団 @オーチャードホール(11月20日)

2014-11-24 04:41:13 | バレエ




まず最初に言わせてくださいまし。


ザハロワの脚線美は人類の奇跡・・・!


生で観るのは初めてでしたが、もはや人間のものではないですね、あれは。。
あんなに華奢なのに爪先から付け根までほっそりと滑らかで、ビスクドールのよう。ザ・バレリーナな脚。。。うっとりです。。。

しかし、そんなザハ様の美しさに劣らず私にとって衝撃だったのが、グリゴローヴィチ版の演出
白鳥はフツー版の演出しか観たことがなくて(=フツーに王子が弓を持って狩りに出て、オデットと恋する話。ヌレエフ版は帰宅してから観ました)、「ラストが違うらしい」くらいしか前知識がなかったので、幕開けから既に全然違って戸惑う戸惑う。。
なにより、

ロットバルト ≧ 王子 > オデット・オディール

の順に目立っているのだもの。

今回の公演も配役変更があり、王子がホールバーグ→デニス・ロヂキン、ロットバルトがラントラートフ→アルテミー・ベリャコフと変わりました。ボリショイを観るのは初めてなので配役にさしたる拘りはなかったものの、ホールバーグ観てみたかったなぁという残念な気持ちも観る前はちょっぴりあったのですが。

まずは、王子役のデニス・ロヂキン君。
やだ、ジークフリート王子って感じだわ~ いいわ~。いかにもマザコン馬鹿な感じという意味ではないですよ。この版の王子って従来版よりそういう感じが薄いので、ロヂキン君の若々しい品の良さがこの王子によく合っていたように感じたのです。
跳躍ふっわふわ。滞空時間長~い。わざとらしさのない自然な演技も好印象^^
現在24歳、伸び盛りのleading soloist。

そして、ロットバルト役のアルテミー・ベリャコフ君。
昨年9月にsoloistに昇格したばかりの、ボリショイ"期待の新星"(だそうです)。
グリゴロ版のロットバルトは、オデットより先に登場して、王子と一緒に踊っちゃう!
ロットバルトというとオディールパパのイメージだったので、王子と年格好の変わらないお兄さんのようなロットバルトの登場に最初はちょっと吃驚。ロットバルトにしては威厳がないのでは?と一瞬思ったんですけど、すぐに、カッコイイ!!となっちゃいました笑。踊りもダイナミックで勢いがあって、かつ、キレイ。
いかにも王子~な白い衣装にキッラキラ金髪なロヂキン君と、黒い衣装で影の魅力いっぱいのベリャコフ君。
同じような年恰好で、同じような振付を、まったく違う個性でシンクロして踊る二人。
ああ、なんて楽しいんでしょう。なんて眼福なんでしょう。

しかーし!
そんな王子&悪魔中心主義のグリゴロ演出においても、抜群の存在感を見せつけたのがザハロワ
王子と最初に出会ったとき、手を伸ばした王子にびくっと体を引いたオデットの動きに、私まで恋に落ちちゃいましたよ。鳥のような、少女のような、ていうか35歳でこんな初々しい透明感が出せるなんて・・・!
ザハロワってもっと姫!って感じを前面に出す踊り方をするダンサーかと勝手に想像していたので、この可憐さは意外でした。
なのに白鳥達の群れに入っても絶対に紛れない。本当に、吃驚するほど見分けられるんですよ。一人だけレベルが違う美しさ。彼女は生まれながらの白鳥姫なのですねぇ。

オディールも素敵でした。以前ちらっと動画で観たザハロワのオディールはキャラクターを無理に作っている印象だったのだけど、今回はより自然で、オデットとの差が良い意味で極端すぎず、こういう方が彼女に合っているように感じました。
また、こういうオディールなら王子が間違えちゃっても不思議じゃないというか(フツー版の白鳥は、どう見たってキャラが違うでしょ!王子、あんたの目は節穴!?と思う)、現代的な今回の演出には似合っていました。
オディールとロットバルトの登場の仕方が正面奥の入口?からこっそり入ってきて、ぴょこんっと左右の柱に隠れるのは、面白いというか可愛かった(だが今思うと、あれは見なかったことにすべきものなのかしら・・)。

ただこの日のザハロワは、ところどころ絶好調じゃないのかな?と感じるときも。
一番気になったのはロヂキン君のサポートでのピルエットで、ザハ様の体がぐらぐらと左右に・・・(といっても僅かですが)。あれはどちらの問題なのかしら。「ロヂキンくん、いっそ手を離した方がザハ様はやりやすいんじゃ・・・」と思ったから、やっぱりロヂキンくんの問題かしら。
あと、グランフェッテが全てシングルだったような。ダブルを入れている動画も観たことがあるので、絶好調なわけではなかったのかな、と(でも笑みも浮かべ、丁寧にきめていました)。
その他ちょっと不安定に見えた部分はありましたが、ザハ様の存在が舞台全体に与えるあの余裕と安心感。さすがの貫録でした!
ちなみにグランフェッテの後に音楽が止まってレヴェランスが入るのは、私は好みではなかったです。ロイヤルのようにそのまま王子の踊りに繋げてくれる方が、テンションが途切れないので好き。


さて、話を戻しましてグリゴローヴィチ版。
他の日に王子を踊るセミョーン・チュージンは、2011年のインタビューでこんな風に言っています。

Q:グリゴローヴィチの「白鳥の湖」は、どういうところが違って、どのようなところが魅力ですか?
A:グリゴローヴィチ版の特徴は“王子の成長”が物語の重要なポイントになっており、“王子の視線”“王子の思い”が作品の進行に大切な役割を果たしているのが僕にとっては魅力です。王子がたくさん踊る!というのも嬉しいことです。

Q:王子の成長というふうにおっしゃっていましたが、最初に登場した時と、最後にひとり佇む時と、王子はまったく違う王子ですよね?
A:そうなのです。同じ“王子”なのに、違う。それは踊りと演技に説得力があれば、自然なことのように、王子の感情に寄り添って舞台を観ていただけると思っています。そういう意味ではとてもやりがいのある役ですよね。それと同時に、ロットバルトの役も興味深い役ですよ。他の演出とは違ってグリゴローヴィチ版ではロットバルトがある考えを持って王子を白鳥姫のところに導いていくわけですが、その思いを内に秘めているところなど演じがいがあるでしょうね。


・・・・・・。
このグリゴロ版のロットバルトの目的って、一体なんなのでしょうか・・・。「ある考え」ってなに・・・?「内に秘めた思い」ってなに・・・?
正直なところ、今もよくわかりません(プログラムは買っていないのです)・・・。
前知識なしに観て感じたのは、先程も書いたとおり、まずオデット/オディールの作中での存在感の薄さ。
オディールだけでなく、オデットも他の白鳥達も、最初から最後までロットバルトの掌の中で操られているように私には見えました。ラストでオデットがぐったりと倒れる様は、魂の抜けた人形のよう。
王子を自分の世界に導き、オデットに恋をするように仕向け、さらにオディールを使い惑わせ、オデットを死なせて王子を失意の底に落とす――。
そんなロットバルトの目的って、一体なんなのでしょう・・・・。
王子を破滅させること?でもラストも王子は生きているし、精神的にも破滅というほどズタズタになってしまった感じでもないし。
で。私、思ったんですよね。
ロットバルトは王子に恋しちゃったんじゃないかなって。
ちょっぴりちょっかいだしたかっただけなんじゃないかなって。
自分が与えたちょっかい&試練によって王子が成長しようとしている姿に、紗幕の裏側で満足しているツンデレ君なんじゃないかなって。

いや冗談じゃなくて、そうとでも考えないと理解できないのよー!私の頭が腐ってるわけじゃないですから(たぶん)!

紗幕の使い方も色々意味がありそうでしたが、だからといってもう一回観てもこの疑問はきっと解決しない自信はある。

そんなグリゴロ版の二幕二場(フツー版の四幕)、あまり世間の評判は宜しくないようですが、私は好きでした。たしかにラストは超唐突感ありますけど^^;
特に、あのいっちばん音楽がクライマックスになるところ(フツー版で白鳥達がロットバルトを囲むフレーズのところ)。
ロットバルトと王子とオデットの三人が、踊りますよね。ちょっとの時間ですが。
その場面のベリャコフ君、ロヂキン君、ザハロワ姫の姿といったら、それはもう美しくて。。。
陳腐な言葉ですが、本当に夢のようでぞくぞくしました。
フツー版の白鳥達がロットバルトを囲む演出も大好きですが、白鳥達がいなくて、魅力的なダンサー三人だけが舞台の上であの音楽で体全体で踊る光景って、観ていて最高に楽しいです。


今回脇もなかなか豪華で、王子の友人役のアンナ・ニクーリナとスペイン王女役のアンナ・チホミロワの踊りが好みでした。
王女達はみんな強気で楽しかった~。王子に断られると、「なによ、マザコン王子のくせに」って顔してた笑。
ナポリの踊りは、ロイヤルで観た超絶技巧が記憶に残っていたので、あの振付でまた観たかったなぁとちょっと思ってしまいました(あっちは王女じゃないですが)。

道化役のデニス・メドヴェージェフ。ステップが音に正確でキレがあって、すごく見応えありました!もっと踊って!と思った。

コールドは、あまり揃っていなかったよう・・な・・・。
それと今回やたらと足音が気になったのだけど・・・、あれは何故だろう。
オーチャードでこんなに気になったことってないのだけど。
床とダンサーの靴が合ってないのではとか考えちゃって(そういうことがあるのかどうか知りませんが)、ちょっと集中力が途切れがちになってしまった。。。座った位置のせいかな?今回初めて三階後部に座ったので。

今回は本国からオケも帯同していて、指揮はソローキンさん。
最初もカテコも笑顔がなく居心地悪そうにされていたけれど、あれはシャイなだけと思っていいのだろうか。。^^;

このグリゴロ版はとても現代的な演出なので、マシューボーンのスワンレイクは好きだけど古典は苦手・・・というような方にもオススメできるのではないかしら。色々暗示的なところも似ていますし、男性ダンサー踊りまくりですし、音楽もルースカヤやマシュー版でベッドからスワン達が湧いてくる場面のあの名フレーズも聴けますし。

来月バヤも観るのですが、こちらも「グリゴロ版」なのですね。
また従来版と全然違う演出だったりするのかな?
楽しみ(*^_^*)


※追記:
グリゴロ新版の演出意図が知りたく、あれからいくつか海外サイトを周ってみたのです(私的にはロットバルトの恋物語☆で全然OKなんですけど)。
ほぼ共通して書いてあったのが、
「Grigorivich has streamlined the the four-act ballet into two halves, each with scenes alternating reality and fantasy in swift transition. 」
「The swans, Odette and Odile, are his fantasies; the Evil Genius his dark alter-ego」(hisは王子)
ということ。
うん、白鳥達やオデットやオディールが王子の空想というのは、わかります。あの現実味の薄さ。オデットとの関係も、男女の恋愛というよりは、王子の憧れ、理想といった感じでしたし。
でも――
ロットバルトが王子のダークサイドの人格??
ロットバルトが仕向けたことは全て王子が心の奥で無意識に望んでいたこと(=大人の階段のぼる~的な?)、ということなのだろうか。
ラストはそのダークサイドの方が勝っていますよね。チュージン’s インタビューの「成長物語」って、「ラストの王子はもう最初の(ピュアなだけの)王子ではないんです」という意味?
「世間知らずなピュアな白王子」と「成人したくせにいつまでも夢見てんなよ、綺麗なままで生きられると思うなよ、な黒王子」の葛藤の物語ということ?最後に王子が呆然としているのは、白王子との惜別中ということ?
でもそうするとロットバルトは結果的に王子に人生の本質を教える人になるけど、そういうのevilっていうのだろうか。ツンデレっていうんじゃなかろうか。私的にはロットバルトの恋物語☆と同じラインになるので満足だが。
あるいは違う解釈があるのか。
もう、グリゴロさんもチュージンも、はっきり教えてよ~~~~!!(パンフ買いなさい)
まぁどんな意味があろうが、王子と悪魔のデュエットの素敵さに変わりはないからいいんですけど。

★Dance Cube:王子の心の葛藤をダイナミックに描いたグリゴローヴィチ版『白鳥の湖』

※追記2:

海外サイトからこっそり拝借した、今年9月のベリャコフ君@ロットバルト。この場面の衣装も素敵です
太陽のような王子@ロヂキン君と、月のような悪魔@ベリャコフ君。見事に好対照な二人だったなぁ
写真のオディールは、クリサノワ。


11月20日公演後のロヂキン君&ザハロワ。Japan ArtsのHPより。
美しい二人。。。
大先輩のザハロワをしっかりエスコートしてるロヂキン君(11歳下!)。いい写真ですね(*^_^*)

これほどイメージにぴったりの白鳥姫に私は今後出会えるのだろうか(踊りだけでなくプロポーションやオーラなど総体的な意味で)。
そういえば来年はまたマリインスキーが来日しますね。ロパ様、白鳥を踊ってくださるかしら。ロパ様の白鳥姫もぜひ観てみたいです。前回の来日公演では、ロパ様白鳥の日はソールドアウトで観られなかったので。。

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ショパンとベートーヴェンとモーツァルトとショスタコーヴィチ

2014-11-14 00:51:10 | バレエ

最近の通勤時の音楽は、もっぱらショパンとベートーヴェンを聴いております。チャイコフスキーは先月聴いて聴いて聴き倒したので^^;

3月のパリオペ椿姫は、9月のNAスワンレイクと同じく、しばらく舞台の余韻を引きずってしまい、それは困ったものでございました。日常生活に支障が出てしまってましたから^^;
そんなだったので、ショパン@椿姫の音楽は舞台を観た夜からずっと封印していて、一度も聴いていなかったのです。
で、今回第九をウォークマンに落としたついでに(ガラケーなので・・・。でもSONYは音がとても良いのヨ)、さすがにもう大丈夫でしょうとショパンも一緒に落としたのです。
それを朝、通勤電車の中で再生したところ――。
十分知ってはいたけど、音楽の力って物凄いですね・・・・・・・・・。
最初のあのピアノの旋律が流れた瞬間に、ぶわっと3月22日の舞台が蘇ってきて・・・・・。それは上野ではなく、紛れもなく19世紀のパリで・・・・・。あのアルマンとマルグリットが目の前にいて・・・・・・。もう胸がいっぱいになって苦しくて切なくて、通勤どころじゃないっす・・・・・
でもあまりに今自分がいる場所(ラッシュの電車の中)と世界が異なりすぎて、かえって「もう仕事行きたくないっ(>_<)」とはならなかったのは幸い^^; 
それにしても8ヶ月も前の舞台なのにあれほど鮮明にフラッシュバックするとは、吃驚しました。。

それと、第九。
こちらも先日の夜の記憶がそのまま音楽と結びついているため、第二楽章から突然ぐわっとテンションが急上昇するという、少々困った現象が起きてしまっております・・・・^^;
しかし第九って全楽章を通しで聴くと、あんなに美しい曲だったんですねぇ。。。。。。
やっぱり生オーケストラはいいなあ。また聴きに行きたい。日本に帰ってからクラシックコンサートは一度も行ってない。。
私が初めて行った本格的なクラシックのコンサートはロイヤルアルバートホールのプロムスで、シカゴ交響楽団のモーツァルトとショスタコーヴィチでした(指揮はベルナルト・ハイティンク)。立ち見で£5。それがもっのすごく美しくて、迫力で、楽しくて。クラシックってこんなにcoolなんだ…!って感動して。翌年日本に帰ったらタイムリーにそのシカゴ交響楽団が来日してくれて。でも、チケットのお値段のあまりの高さに断念せざるをえなくて。。。求職中だった身には、とてもあの値段は出せなかった。。。


※※※
今ちょっと検索をかけたら、そのプロムスでモーツァルト/ピアノ協奏曲第24番のピアノを担当していたピアニストのマレイ・ペライアが、昨日サントリーホールで演奏会をされてた。。。。。なんなのこの残念すぎるタイミング。。。。。
この方のピアノの音、すごくすごく綺麗な音だったんですよー。立ち見はアリーナ席だったのだけど、楽器の音というよりも、何かとてつもなく綺麗な光がポロポロと降り注いでくるようだった。そのときの演奏はウォークマンに入れて今でも聴いています(BBCが後日ストリーミングをしてくれたので、それを録音したのです)。


プロムスの会場。手前に立っている普段着的な人々が立見席の客で、その奥がオケです。
私が行った日はお客さんは皆さんとても行儀がよくて(立ってでもクラシックを聴きたい人達だから、本当に好きなのだと思います。嫌いな人はたとえ£5でも御免だと思いますし)、隣の英国人のおじちゃんはショスタコーヴィチが大好きだそうで、熱く語ってくれました。サウスバンクよりも集中して聴けたくらい。イギリスにも色んな面があるけれど、この国のこういうところは素晴らしいと心から思います。


振り向くとこんな感じ。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モーリス・ベジャール・バレエ団&東京バレエ団 『第九交響曲』 @NHKホール(11月9日夜)

2014-11-10 21:43:02 | バレエ




ベートーヴェンの華々しい「歓喜の歌」を一枚の絵に描いてみるがよい。
想像力を存分に駆け巡らせながら、人々が感動の戦慄を覚え、地面にひれ伏す
のを凝視するがよい。そうすれば、ディオニソスの陶酔に触れることができるだろう。
そのとき、奴隷は自由の身となる。そして、人々の間に作られてきた、堅牢で敵意
あふれる障壁はすべて打ち砕かれるのだ。
今や人々は、宇宙的調和の教えによって結合し、和解し、融合していると感じる
ばかりではない。同胞と自分自身を平等の立場で観るようにさえなってきている。
まるで世俗の鎖から解き放たれるかのように……。
まるで神秘の源に見えるものは、もはやちぎれた鎖の輪とでも言うかのように……。


(ニーチェ「悲劇の誕生」より)


東京バレエ団との合同ということで購入を見送っていた今回のBBL来日公演でしたが(すみません、東京バレエ団の踊るベジャール作品が得意じゃないのです・・)、初日のキャストが発表されて、思った以上にBBL祭であることが判明し、前日に急遽購入。全3公演の最後の回に行ってまいりました。三階席15,000円也。こんなことなら半額が出たときに買うんだった・・・。

でも、本当に行ってよかったです。
昨年の来日公演やパリオペ椿姫やNAスワンレイクのように鑑賞中に心臓をぐわっと掴まれたり、前宣伝で言っていたような壮大スペクタクルな興奮を感じることはなかったのだけれど、その代わりに、BBLだけがくれる独特な幸福感をしみじみとじわじわと感じさせてもらえた公演でした。
私が世界で一番好きなバレエ団はもしかしたらBBLかもしれない、とまで思ってしまった。
このバレエ団がもつ懐の深さ、スケールの大きさを改めて知った気がしました。本当に、いいバレエ団だなぁ。。

この作品はオケ×歌唱×バレエの全てが主役なため、ファンもそれぞれの分野の方達が一堂に会した非常に珍しい公演となりました。
オケは、ズービン・メータ氏指揮によるイスラエル・フィル。私はクラシック音楽の分野にはまったく不案内で、第九をフルで聴くのも今回が初めてという人間ですが、今までバレエで聴いていたオケってなんだったんだろう・・・と素人耳でも感じた・・・。毎回こういうオケでバレエが観られたら最高だろうなぁ。バレエ目的な私にはもったいないほど繊細で温かな美しい演奏でした。
ただ今回はオケが舞台奥に位置していたせいか音が遠く感じられたので、音楽目当ての方達は物足りなかったのではないかしら。と思ったら、ネットに上がった感想を読むと概ねそれらの方達にも満足のいく公演だったようですね。なるほど、やはり音は大きさよりも質か。たしかにバレエの場合もどんなに良席で観ても感動しないものはしませんし、どんなに遠くで観ても感動するものはしますから、それと同じなのでしょうね。

以下、各章の感想をざっと。

【プロローグ】
ジル・ロマンによる、ニーチェの「悲劇の誕生」の朗読。
ジル様、やっぱりダンサーでいらしたのね・・・(私はジルの踊りを生で観たことがないのである。そもそもBBL自体去年初めて観たし)。今おいくつ?54歳?相変わらずフランス映画から抜け出てきたような翳りがあって、存在感あるわぁ。。。今でもこれだけはっとさせる美しい動きができるのなら、ちょっとくらい踊ってくださってもいいじゃないですかーーー(>_<)!
うぅ・・・、バレエファンになるのが遅すぎた。。。
朗読が途中からラップ調っぽくなるところも、ジルがすると素敵!

【第一楽章】 
柄本弾上野水香
正直このまま第四楽章までいったら一時間半どうしよう・・と本気で思いました・・・。すみませんっ(>_<)。でも、技術が上手下手以前に、舞台から語りかけてくるパワーがとても薄いのだもの・・・。熱意はちゃんと感じるのだけれど。何がいけないんだろう?と考えているうちに第一楽章が終わってしまった・・・。本当にダンサーはみんなとても頑張っていたのです。でも・・・うーん・・・。

【第二楽章】
キャサリーン・ティエルヘルム大貫真幹
そうこれ!求めていたのは。
BBLのダンサーが踊り始めると、途端に作品がストレートに語りかけてくる。ジルによる朗読も同様で、本来なら説明的になりかねないはずなのに(踊りを言語で表現するのは本来私は好きではありませぬ)、まったくそう感じない。ディオニソス組曲のときと同じで、言葉も含めて、本能に語りかけてくる作品の一部に感じられる。
大貫さんの踊り。この明るさ。人の体ってこんなに雄弁に語るものなのだなぁ。。。いや待て、もしや彼のこの笑顔に騙されてるのでは、と試しにオペラグラスを下ろしてみたけど、やっぱり違う。
彼が入団したのはベジャールさんが亡くなった後だけれど、すっかりこのカンパニーの個性に溶け込んでいるのだなぁ。

【第三楽章】
エリザベット・ロスジュリアン・ファヴロー
青と白の、水の中でたゆたう体温を感じさせる、そんな踊りでした。
不思議な静寂と温もり。
エリザベットとジュリアンは、現実のカップルというよりも、アダムとイブのような、根源的な二つの存在に見えた。
愛の成分の中の、最も純度の高い部分を見せてもらった気がしました。
そしてそれを踊るのはエリザベットとジュリアンでなくてはならないのだと、そんな風に強く感じました。

【第四楽章】
オスカー・シャコン那須野圭右アランナ・アーキバルド他、全ダンサー。
大っ好きなバッカス的なオスカー!!この踊り!なんて美しいの。。。なんて楽しそうで、なんて神々しいの。。。。
この第四楽章、音楽・歌・踊りという3つの根源的な芸術が一体となって、それらが争うことなく融け合って一つの「作品」へと昇華する様を同じ場所で体感できたことは、至福以外の何物でもありませんでした。ここは天上か?
ダンサー達がくるくると円陣を描いて踊るラスト。過去も未来も、西洋も東洋も、この世界の全ては繋がっていて。死は生に繋がり、終わりは始まりに同義なのだなぁ。
アランナがオスカーと那須野さんの二人に高く掲げられる姿はとても神聖で、死者のようにも胎児のようにも見え、そこから新たに生まれる“生”は、あの『ライト』の光であり、決して消えることのない人類の希望なのだと感じました。どのような苦難でも絶えることのない、幾度でも生まれる光。
この夜は、ベルリンの壁崩壊25周年の夜でもありました。
そしてメータさんはあの東日本大震災を日本で経験され、直後の4月に再来日し、この『第九』を演奏してくださったのでした。

最後のカテコではキラキラの紙吹雪。昨年の東京文化会館の千秋楽でもそうだったよねぇ
今回はバレエダンサーだけじゃなくソリストや合唱団の方々、そしてオーケストラの全員が主役だったので、カテコの感慨もひとしおでした。メータさんもニコニコ^^

しばらく第九の音に浸ります。
世界が平和になりますように。
皆が幸福でありますように。

そしてBBLの皆さん。
次回もきっと観に行くから、また来日してね~~~!!!

-----------------------------------
指揮:ズービン・メータ
演奏:イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
出演:東京バレエ団、モーリス・ベジャール・バレエ団 
ソプラノ:クリスティン・ルイス  
メゾ・ソプラノ:藤村実穂子
テノール:福井敬 
バス:アレクサンダー・ヴィノグラードフ
パーカッション:J.B.メイヤー、ティエリー・ホクシュタッター(シティーパーカッション)
合唱:栗友会合唱団
-----------------------------------



美しい公演プログラム。お値段は意外に良心的で1500円。

「第九交響曲」リハーサルMovie(5) ~開幕前日ゲネプロ~
 


★TV放送のお知らせ★
NHKとドイツのユーロアーツが共同で収録し、世界数カ国で放送予定とのこと。
NHK BSプレミアム 「プレミアムシアター」
12月22日(月)午前0時~(日曜深夜)


※追記:chacottインタビュー:那須野圭右(2008年来日時)
このインタビューを読んで、このバレエ団が今とても大きなものを乗り越えようとしているのだということがわかりました。。。
シンコペいまいちとか言っちゃってゴメンね、ジル。作品の好みと応援する気持ちは別ものだけど^^;
また、昨年のBBLの「ボレロ」でメロディとリズムの間にあった“温かな何か”の理由も、わかった気がしました。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏目漱石 『彼岸過迄に就て』

2014-11-05 21:50:46 | 




この作を公にするにあたって、自分はただ以上の事だけを言っておきたい気がする。作の性質だの、作物に対する自己の見識だの主張だのは今述べる必要を認めていない。実をいうと自分は自然派の作家でもなければ象徴派の作家でもない。近頃しばしば耳にするネオ浪漫派の作家ではなおさらない。自分はこれらの主義を高く標榜して路傍の人の注意を惹くほどに、自分の作物が固定した色に染つけられているという自信を持ち得ぬものである。またそんな自信を不必要とするものである。ただ自分は自分であるという信念を持っている。そうして自分が自分である以上は、自然派でなかろうが、象徴派でなかろうが、ないしネオのつく浪漫派でなかろうが全く構わないつもりである。

 自分はまた自分の作物を新しい新しいと吹聴する事も好まない。今の世にむやみに新しがっているものは三越呉服店とヤンキーとそれから文壇における一部の作家と評家だろうと自分はとうから考えている。
 自分はすべて文壇に濫用される空疎な流行語を藉りて自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒気があって自分以上を装うようなものができたりして、読者にすまない結果を齎すのを恐れるだけである。

(夏目漱石 『彼岸過迄に就て』)

好きな作家は山ほどいれど、一番好きな作家はと聞かれたら、私は迷うことなく漱石なのです。

「ただ自分は自分であるという信念を持っている」
胃潰瘍で生死の境を彷徨い、可愛がっていた五女ひな子を亡くし、古くからの弟子達は彼に背を向け去っていったこの時期。
ふんっと顎を上げ、きゅっと唇を引き結んで、向かい風の中をゆく坊ちゃんのような姿を、私は思い浮かべるのです。
淋しさと、それ以上の自負心。
最後まで地から足を離さず、大嫌いなものもいっぱいあるこの世界で、人間というものに向き合い続けた人。

 東京大阪を通じて計算すると、吾(わが)朝日新聞の購読者は実に何十万という多数に上っている。その内で自分の作物を読んでくれる人は何人あるか知らないが、その何人かの大部分はおそらく文壇の裏通りも露路も覗いた経験はあるまい。全くただの人間として大自然の空気を真率に呼吸しつつ穏当に生息しているだけだろうと思う。自分はこれらの教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物を公にし得る自分を幸福と信じている。



※写真:先日訪れた、修善寺温泉の桂川。菊花まつりが行われていました。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『カルメン』 K-BALLET COMPANY @オーチャードホール(10月26日)

2014-11-02 20:53:45 | バレエ




やっぱり私は熊哲の踊りが好きなのだなぁ、と観る度に再確認。
今回はストーリー重視で踊り的な見せ場は少なかったけれど、ピルエットなんて相変わらず素晴らしく綺麗で、何より熊川さんの踊りにはこんなに素敵なバレエというものをみんなにも知ってもらいたい、楽しんでもらいたいという気持ちが溢れているから、観てる方も幸せになってしまうのよね^^
これは、バレエ文化が欧米ほどには当たり前に浸透していない日本という国から英国に行って、再び日本に戻ってバレエ団を立ち上げた熊川さんならではのものだと思います。

以下、舞台の感想ですが、パンフを買っていないので(Kのは高すぎるから買ったことがない)的外れな部分もあるかもですが、まぁ素人ブログということでご容赦くださいましm(__)m

『カルメン』は小説を読んだこともバレエを観たこともなく、今回予習としてオペラの映像を観ました。
そのためこのお話の主役はカルメンだろうと思い込んで鑑賞に臨んだのだけど。
ん?なんか違う・・・?
カルメンというと自由な愛に生きて男達を惑わせる女というイメージですが、今回のロベルタ・マルケスのカルメンは、真っ白ガーリーな衣装のせいもあって、振付は妖艶なのだけど拭いきれないジュリエット感。
まぁそれはいいのですけど、問題は、一幕でホセのことを愛してるようにはあまり見えなかったこと。
カルメンってホセのことを全力で愛して、それからエスカミーリョのことも全力で愛する、いつだって自分の感情に嘘をつかない、そんな女性だと思うのですが、マルケスのカルメンはホセのことは、自分に関心を示さない珍しい男に興味を持っただけに見えた。彼女が本気で愛したのはエスカミーリョだけに見えた。マルケスの表現力のせいか、熊哲の振付のせいかは不明ですが。。

従来の『カルメン』であれば、おそらくこれは致命的な欠点になるところですが。
今回そうはならなかったのは、この熊哲版カルメンは、「カルメンの物語」というよりも、「ホセの物語」のように見えるから。
鑑賞の軸をカルメンではなくホセに据えてみると、面白いくらい全てがしっくりくるのです。
カルメンの歌にもあるように、相手が自分を愛してくれるかどうかなんて、恋をするときには関係ない。
ホセは、カルメンが自分を愛してくれたから彼女に恋したわけではないでしょう(きっかけは彼女が作ったかもしれませんが)。
彼女が彼を愛しているかどうかなど、彼にとってさほど重要じゃないのではないかとさえ感じる。彼はカルメンを愛している、だから離したくない。彼が望むことは、それだけ。
今回の『カルメン』は私にはそういう物語として見えてきて、そうなると、極端に言えばカルメンがどういう女性であるかはあまり重要ではなくなるのです。

というわけで、ホセに比べて存在感の薄いこのカルメン。
最期も、ホセの銃弾(ナイフじゃないのです)で、パァン!とあっさり死んじゃいます。
さぁここからがホセの一人舞台。
上手に横たわるカルメンの体に美しい夕陽?が射しこみます。
しばらく下手で呆然としていたホセは、這うようにカルメンのところへ行く。
愛おしげに彼女の体を抱き上げるホセ。
周りの人間達が動くことができずにただ見守る中、彼女とともにゆっくりと歩み去ります。
ようやく彼は、カルメンを自分だけのものにできたのでしょう。
そして一瞬の静寂の後、軽快な闘牛士のテーマで幕(ここ好き♪)
ここの熊哲のぼっろぼろな衣装や髪、色気があって素敵だったなぁ
この後、ホセも死ぬのですよね。カード占いのとおりに。小説では処刑だそうです。

と、ここまで書いて思い出したけど、一番最初のプロローグ、真っ暗な舞台でホセが一人椅子に座っているのです。憔悴しきった様子で。そして銃口を自分の顎に向けて自殺を図ろうとし、それから何かを思い直したように立ち上がって走り去ります。
そう、彼は闘牛場へ向かったのですね。カルメンを自分のものにするために。
ここからも、熊川版カルメンはやはりホセが主役なんだと思う。
一つの演出として、こういうのもアリ、かな・・?少なくとも新鮮ではありましたし、熊川さんには大変似合っている演出でした。

忘れてはならないのが、遅沢さんのエスカミーリョ
エスカミーリョってオペラでも彼が登場すると思わず口元が緩んでしまうのだけれど、それで正解なのだろうか?
今回の振付も、本気で真面目にカッコ良さを追求したとはとても思えません^^;
そういう愛すべきキャラクターに私には思えるのだけれど、遅沢さん、とってもよかった!面白いのに、アホに見えず大層カッコいい。私のエスカミーリョのイメージそのもの。遅沢さんの踊り、ダイナミックで好きです。彼のエスパーダ@ドンキも観てみたいな。
あとこれは演出の問題ですが、二幕二場の闘牛場前の行進場面はもっともっと派手にしてもいいように感じました。オペラでも最後に最も盛り上がる華やかな場面ですし。
ちなみに今回の闘牛士達のブーツの色は、しょっきんぐぴんく(@ドンキ)ではなく、べびーぴんくでした。。どっちがマシなんだろう。。

神戸里奈さんのミカエラも、イメージにぴったりでよかったです。しかしミカエラも気の毒だよね・・・。ホセの心が離れてしまったことは彼女にはどうしようもないとはいえ。

今回のセットは、ほどよいシンプルさで、私はみんな好きでした。
薄暗い中にランタンの灯った酒場は、カリブの海賊みたいでワクワクした
工場前の広場の水も本物を使っていて、こういう適度にリアルなところも好み。

1幕1場のロープの踊りは、バヤみたいで面白かったな。
酒場でカルメンの姿を探す熊哲は、しっとりした踊りが美しかった。
あと酒場のラストで気が進まないながらもカルメン達の仲間になって一緒に酒場を去るときの笑顔。ちょっとワクワクしている内心が出ていて可愛かったです^^ 実は彼も自由な生活に憧れをもっていたんだね。

以上、今回は初演なのでまだまだまだまだ改善の余地はありそうですが、今回の演出、私は嫌いではないです。特にロマンティックなラスト!

最後に。ビゼーの音楽はやっぱりテンション上がる~



いつもは撮らないのだけれど、開演直前で空いていたので・・笑 
ステキです

そうそう、この日の後半部分は、天皇皇后両陛下による天覧がありました。

私の席はちょうど真上だったのでご観劇されているところは見られなかったのですが(両陛下の上に座ったとは恐れ多い・・。上演中は知らなかったけど)、劇場外のお見送りのときに目の前でお顔を拝することができました。あの笑顔で御手を振られると、どんな人も反射的に満面の笑顔で「美智子さまぁ~~~」「陛下ぁ~~~」と振り返してしまうことが今回身を以てわかりました笑 これが皇族というものか。とてもふんわりした幸福な気持ちにさせていただきました。本当に。

※インタビュー(chacott):ロベルタ・マルケス
彼女もゴメスと同じブラジリアンなのですね。あまりラテンな雰囲気はないけれど。二人がオリンピック開会式で共演?なにそれ観たい!ぜひぜひ実現を!

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする