風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

古典芸能への招待(盛綱陣屋)&おしゃれイズム(愛之助)

2013-09-29 23:46:41 | 歌舞伎

う、わ~・・・・・・・・・・・・。
NHK古典芸能への招待で五ヶ月ぶりに杮落しの『盛綱』を観ましたけれど、やっぱり素晴らしいですねぇ~~~!!
4月の感動が蘇りました。
繊細で品のある仁左衛門さんの盛綱と豪快で暖かみのある吉右衛門さんの秀盛。間違いない当代最高の組み合わせ。。。
お二人ともただ座っているだけで、ちょっと動くだけで、ちょっと話すだけでTHE 歌舞伎で、当たり前ですけど花形と全然ちがう。。。そんな二人が舞台にいる姿を見るだけで、涙が。。。
ああ歌舞伎ってほんとにスバラシイ!

明後日からは、いよいよ十月大歌舞伎の義経千本桜!
三大狂言の通しはどれも初見な私にとっては、この十月十一月は夢のようです。
そして松竹さま!
来年こそは、仁左さまの『菅原伝授』をぜひに!!!ぜ・ひ・に!!!

ちなみに『盛綱』は最高画質録画をしておいたので、途中30分はおしゃれイズムに浮気いたしました。
愛之助にB'zの松本さんを紹介した橋之助さん、愛之助の楽屋にいる海老蔵、最後に登場した猿之助にテンションup。
菊之助や染五郎とも仲良くしているようですし、この世代はみんな仲が良くて、結構なことでございます。
次々と車を買い替える愛之助に海老蔵、「よく働いてるんですね♪」と意味深な笑み。松也報道へのコメントにしても、いろいろ正直(というのか・・・)ですねぇ、海老蔵は。面白いからいいけど。
ところで海老ブログの海老蔵の自分撮り写真がいつも三島由紀夫に見えて仕方ない私は、どうすればよろしいでしょうか。。。いや、もちろん海老の方が何十倍も美形ですけれども。

猿之助。ぜひとも長生きしてください、笑
そして私が69歳になったときに、70歳の狐忠信を見せてくださいまし♪

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

泣きなさい 笑いなさい

2013-09-28 00:43:31 | その他観劇、コンサートetc


隣りの若くて弱っちい男の子が、この映画観終わって「そんな人だって知らなかった―」なんて叫んでた。そうだよ、だから日本は面白かったんだ、命がけで面白がらせた人たちが、黄色い髪したすごい人のまわりでぜんぶ行き交ったんだ。なぜかって? それは美輪明宏が、まぶしい世界では暗く、暗い世界ではまぶしく、生きたからだ。どっちの世界でも希望でありつづけたからなんだ。

(『黒蜥蜴を探して』コメント──作家 荒俣宏


先日に続き再び行ってしまいました、美輪さんのロマンティック音楽会@PARCO劇場(26日)。
美輪さんの歌声には中毒性が・・・。

前回は気付きませんでしたが、松緑だけでなく愛之助からのお花もありました。枯れていたお花達は、さすがに正面からは移動してありました。
ロビーのお香の匂いも、前回よりしっかりと漂っていたような気がします。

美輪さんの舞台は、癒しをもらうというよりも背筋をしゃきっと正される、そんな舞台。
もう癒しなんていらんという気分になる。
そんなことより、しっかり自分の足で立って、自分の頭で考えて、自分の心で感じてめいっぱい生きなきゃって、そんな気持ちになる。
78歳と、私の倍以上のお歳なのに、あのパワー。
あの迫力で歌い切るだけでも大変なはずなのに、頭が下がります。
15時開演、18時終了。
もし私が78歳まで生きたら、きっとこの夜の美輪さんの歌と姿を思い出して力をもらうのだろうなぁと、そんなことを思いました。
外に出ると渋谷の騒々しい喧噪のなかで、普段だったら夢のようなステージの後でうんざりするはずなのに、美輪さんの音楽会の場合はそんな喧噪も不思議と不快に感じないんですよね。美輪さんが歩んでこられた人生のせいでしょうか。
まあステージ中は携帯だとか咳だとかのマナーにものすごく厳しい方でもありますが^^;

そして今回もつくづく感じましたが、美輪さんの音楽会はできれば小さな劇場で観るべき。
特にシャンソンは、大劇場よりも小劇場の狭い空間で聴く方が何倍もその魅力が引き立つように思います。
その点で、458席というパルコ劇場は理想的でした。


【第一部】
『ヨイトマケの唄』
この曲を歌うときの美輪さんの男声が、もうほんとにカッコいい!聞き惚れて聞き惚れて・・・。
この曲から次の『ふるさとの空の下で』に続く一部のラストは、神。強く、たくましく、背筋をまっすぐ伸ばして、自分に恥ずかしくないように生きなければ、と心から思わせられます。
『ふるさとの空の下に』
この曲を歌っているときの美輪さんが大好きです。私が今回の音楽会の中で一番好きな曲は、この曲かもしれません。これをもう一度生で聴きたくて、2回目のチケットを買ってしまったようなもの。
「風と共に去りぬ」のラストでスカーレットオハラがタラの土を握り締めて立つあの場面の話を、この歌の前にされていました。
長崎へ帰省する汽車の中で隣に座った青年が、この歌のモデルだそうです。その方だけが疎開していて、他の家族はみんな長崎の原爆で亡くなったのだとか。「それまでは自分は不幸だと思っていたけれど、そんなものではなかった」と仰っていました。
ステージ上の空は、この曲の最後に真っ青な透き通った青空に変わりました。


【第二部】
『メケメケ』
柔らかく飄々と艶のある美輪さんの声に、酔いしれました!まるであの超絶美少年だった頃の美輪さんを、銀巴里で観ているような気分になります。「神武以来の美少年」っていう当時のコピー、まったく大袈裟じゃないと思う。
『恋のロシアンキャフェ』
最後の「束の間の人生を」のフレーズの間に一気に人生を遡るように老婆から若返る変化が最高です。
この曲の前のトークも楽しくて好き。若かりし頃の美輪さんが、パリ?のロシアンカフェ(ロシア風のインテリアのカフェ)でフランス人の男性と食事をしていたときのこと。バンドの演奏者がテーブルにリクエストを尋ねに来たので、美輪さんが曲名を言ってチップを渡したところ、連れの男性が「そういうのは男性に任せるべきで、レディーはそんなことをしてはいけない!」と不機嫌になってしまったそうです。「私は自分がレディーだということを忘れていたんです…」と笑う美輪さんがなんとも魅力的でした^^
『愛する権利』
国際結婚への風当たりが今よりずっと強かった時代に黒人男性との間に子供を作り、周囲から酷い苛めを受け、子供とともに海に身を投げた女性。また、年の離れた同性を愛したことを家族中に非難され、家族会議の間にトイレで首を吊った名家の男性。玉三郎さんのような可愛らしい顔をした方でした、と仰っていました。その遺体を見つけたのは家族会議に呼ばれていた美輪さんで、そのときの気持ちは彼をそこまで追い込んだものに対する強い「怒り」だったそうです。前回も書きましたが、この曲を歌うときの美輪さんは誰かの人生を演じているのではなく、素の美輪さんが一番ストレートに出ているように感じられ、聴いていて心揺さぶられます。
『黒蜥蜴の唄』
曲の前のトークにて、木村彰吾さんについて「過去最高の明智だと皆さんにお褒めいただいています」と満面の笑顔な美輪さん。・・・・まあ・・・何も言いますまい・・・。
ラストの『愛の讃歌』→アンコールの『花』は、その迫力にただただ圧倒されるばかり。
『花(すべての人の心に花を)』
美輪さんはこの歌を「皆さんのために祈りながら歌います」と言ってくださいましたが、美輪さんにそう言ってもらえると本当に幸せに生きていけるような気になるからフシギです。だって本当にすごい迫力なのですもの。ステージ上の美輪さんは客席の「全員」というよりも、「一人一人」のために歌ってくれているような、そんな表情をされます。
ラスト、真っ青なドレスで、上から金色のキラキラが降ってきて、それを両手を広げてぱぁっと散らせる仕草、そして最後のゆったりと掌を合わせる仕草、本当に本当に綺麗でした。
美輪さんの生のステージに間に合うことができて、よかった。

Me Que Me Que - miwa akihiro

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌舞伎座千穐楽おめでとうございます。

2013-09-25 23:44:36 | 歌舞伎




今月の筋書、豪華ですね~。
しかしなぜに花形のときだけ毎回ポスター入りなのか。
吉右衛門さんや仁左衛門さんや玉さまのポスターだって、ものすごく欲しいぞ。
でもって今月は掲載写真も大盤振る舞いですね。花形に対する松竹の力の入れようが覗えます。
晴明&博雅@晴明屋敷がある~。福太郎くん&愛之助&物怪のスリーショットも!菊ちゃんもきれ~。
三人笑もばっちり写っていて、嬉しい限りです。

さてさて。
注目の夜の部『陰陽師』千穐楽のカーテンコールは、松緑以外のメイン花形6人+亀蔵さんだったとか。
正直なところ、私は松緑が出なかったと聞いてほっといたしました。彼が大人げないとは全く感じません。
松緑には、彼の意見を支持している人達もちゃんといるということ、また今月の彼の芝居から感動をもらえた人達が沢山いるということも、知ってもらえたらいいなと思います。
そして松竹や他の役者さん達には、客のみんながみんなカテコに大喜びしているわけではないのですよ、ということを知ってもらいたいなと思います。
「カテコに出た役者」=「客を大事にしている役者」では決してありません。
「歌舞伎にカテコは不要」という私のような客からみれば、今夜の7人より松緑の方が「客思い」とも言えるわけですから。そういう客もいるということです。

いずれにしても、花形の皆さん、ひと月間おつかれさまでした^^
これからも益々のいいお芝居を期待していますよ!

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文化レベルと観客レベルについて

2013-09-24 00:37:17 | 歌舞伎

読者あるいは観客は、お金を出して自分のレベルよりちょっと高いものに憧れてるんですよ。ところが編集者は売れることばかり考えて、視聴率ばかり考えて、「この程度だと観てる人あるいは読む人は難しいんじゃないかな」と思って相手に合わせちゃおうとする。それはレベルを下げてるんですよ。それが駄目になる証拠なの。みんな自分のレベルよりちょっと高いものに憧れて、わからなくてもそれを読んだということに満足を得るんですよ。そこのところを何か製作者が間違っている。お芝居でもそうですよ。馬鹿にしてますよ。その馬鹿にしてるっていうことがわかるんですよ。…本を作ってる人でも、こうやったら売れるんじゃないかと下げれば下げるほど売れなくなるの。聴衆を馬鹿にしちゃいけません。読者を馬鹿にしちゃいけません。

(瀬戸内寂聴、美輪明宏、平野啓一郎 『ボクらの時代』より)


瀬戸内さんと美輪さんのこの意見は、以前熊川哲也さんが言っていたこととほとんど同じです。
大事なことなので、もう一度引用しちゃいますよ。

「観る側の人間に受信力がなければその文化だって絶えていくし、だからこそ敷居を下げますと、万人受けするんですと、誰もが観ても楽しいんですというのは育たない。なぜなら、敷居を下げればすぐ入ってくる、すぐ逃げてく」

全くそのとおりだと思います。
客は敷居の低い作品をいつまでも飽きずに楽しむほど馬鹿ではありませんから、一時的には客を喜ばすことはできても、長期的に見れば「(敷居は)下げれば下げるほど売れなくなる」。
そして、それに気付いた頃にはもう手遅れです。
特に伝統芸能と呼ばれるものにおいては、一度壊れてしまった文化は決して簡単には、あるいはもう二度と、元に戻ることはありません。

松竹さん&染五郎には、そのあたりをよぉーーーっく考えていただきたい。
もちろん染五郎が客のレベルを低く見たとか、人気をとろうとしたとか、そんなことは微塵も思っておりませぬ。
拍手をしてくれたお客さんの多くは心から舞台を楽しんでくれたのでしょうし、染五郎もそれが嬉しかったから感謝の気持ちを示したのでしょう。
ただ、その行為が歌舞伎の「文化」という面にどういう影響を及ぼすか少しだけ考えてみていただきたいと、また、決してカテコを喜んでいる客ばかりではないということに気づいてほしいと、私が言いたいのはそれだけです。
ほんとに。。。

これからは歌舞伎座で歌舞伎を観るときカテコの心配をしなければならなくなってしまった。。。
歌舞伎座だけはと安心していたのに。
今回は新作だからだと思いたいけれど、それも断言できないですしね。。。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの・・・

2013-09-24 00:37:09 | 歌舞伎

もう私・・・・・本気で松緑の熱烈ファンになっちゃってもよろしいですか・・・・・・・・? >『陰陽師』で染五郎がカーテンコール

変わっていくべき部分と変わってはいけない部分、それぞれがあってこそ“生きた”芸能といえる。
それはそのとおりだと思います。
思いますが。
歌舞伎のカテコに関していえば、私は「変わってはいけない部分」の方だと思うのですよね。。
私自身、ずっと歌舞伎離れしていてミュージカルばかり観ていて、今年一月に数年ぶりに歌舞伎を観たときにカテコのない潔さに「これぞ歌舞伎!」とひどく感動し、歌舞伎に戻ってきた思い出があります。
カテコなんて歌舞伎以外の舞台でいくらでも観る機会はあるけれど、「カテコのない感動」は歌舞伎でしか味わうことができないのに、なんだか歌舞伎が自らその美点を捨てているようでもったいなぁと思ってしまうのです。
「カテコのない感動」を客に与えるのも歌舞伎役者の大切な素敵な仕事の一つだと私は思うのですが、染五郎はその美点に自信を持てていないのかしら・・・。「慣例だから仕方がないけど、本当はお客様はみんなカテコを望んでいるはず、やればみんな喜んでくれるはず」と勘違いをしているのだろうか。
今夜はじめて歌舞伎座で歌舞伎を観たお客さんは、「歌舞伎もカテコをするもの」と認識してしまったことでしょう。

松緑の言う「そう云う、小さいけれども深く、濃い、核の大切な部分を蔑ろにしてしまうと、行く行く歌舞伎と云う演劇はそのアイデンティティーを無くして、他の演劇に埋もれてその姿を失ってしまう気がする」という危惧は、決して大げさではないと思います。
歴史的建造物と同じで、「文化」というものは放っておいたら消えていくのなんてあっという間ですよ。
「本当に良い物なら多少のことがあっても残るはず。残らないならそれだけの物ってこと」というもっともらしい意見があるかもしれませんが、そんなのは詭弁にすぎません。
ちゃんと意識して守らないと駄目なのです。
前から繰り返し言っていますが、日本人はヨーロッパの国々に比べてそういう危機感があまりに低すぎると思うのです。

せめて千穐楽だったならともかく、通常の公演日にやった以上、しっかり今後の歌舞伎座の前例になってしまいました。
「我々は堂々と歴史を作りました」
そうですね。。。
堂々と負の歴史を作ってくださいましたね。。。
ということは初日もやっぱり染五郎はカテコに応えるつもりで幕内で待機していたのかもですね。ツイッターの情報は正しかった、と。。
ああ、染よ。。。。。
せめてもの救いは他の役者が出てこなかったことですが、まだ千穐楽が残っているから安心できん。。。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薔薇と宝石と絹と恋

2013-09-16 01:06:00 | その他観劇、コンサートetc




美しい。
もうこれだけ美しいのなら何だっていい、と思わせるレベルの美貌でございますな。。


というわけで、12日に行ってまいりました、美輪さんの『ロマンティック音楽会 2013』@PARCO劇場。
(その前に恵比寿に寄り『黒蜥蜴を探して』も鑑賞)

客席にものすごく目立っている人がいて、さすが美輪さまのファンは色んなのがいるな…目を合わせないようにしなきゃ…と思ったら假屋崎さんだった、笑。ロビーにはExileのAtushiさん、槙原敬之さん、野田秀樹さん、大竹しのぶさん、長淵剛さん、千住博さん、平野啓一郎さんといった有名人の方々からの胡蝶蘭が溢れかえっておりました。なぜか松緑からのも。
…しかしながら、美輪さま。枯れたお花達をそのまま飾っておくのは、いかがなものでございましょう。スタッフさん、ちゃんと水をあげてあげて…。假屋崎さん、あなたが一番気にしてあげて…。美輪さまの会場に対する美意識は、今回も私の理解を超えておりました…。

と、前回同様に下がりかけたテンションでございましたが、その舞台はというと――。

素晴らしいステージでした!!

お芝居でも人生相談でもなく、やはりこの人の本業は「歌」なのだなぁ、と思い知った3時間。
といっても全体の半分はトークで、その内容も決して全てに同意できるわけではないのは相変わらずでございましたが、その上で、それもひっくるめてこの人なのだなと納得させられてしまう。
理由は、その歌。
あれだけのパフォーマンスを披露してくださったのですから、一言も文句はございませぬ。
この人の代わりになれる人が他にいるか?
いや、いない。
そう即答できてしまう。
美輪さんて、身長161cmなんだそうですね。前方の席で観ましたが、まったくそんな風には見えなかったなぁ。

そしてこれは『黒蜥蜴』でも感じましたが、あれほどの歌い方をしているのに自分に酔っている感じが一切なく、客席は興奮していてもステージの上は常に醒めている。悪い意味ではなく、醒めている。それは、美輪さんがMCで話されていた「常に頭は冷たく、心はあたたかく」という言葉に通じていることのように感じました。
ふと思い出したのは、檀さんのこの話。価値の転換が幾度も行われた時代を、生きてきた人。
歌の中で若い青年にもなる、場末の娼婦にもなる、老婆にもなる、歌姫にもなる、怪盗にもなる、悪魔にもなる。
そんな「美輪(丸山)明宏」という人間とそれを取り巻く世の中を、本当のこの人は常に一歩引いたところから冷えた頭で見つめながら、生きてきたのではないだろうか。
歌を聴きながら何人分もの人生を観、同時に美輪さん自身の78年間の人生をも観ているような気にさせられる、そんなステージでした。

セットリストは、次のとおり。
どの曲もyoutubeやニコ動にあがっていますので、ぜひ上から順に聴いてみてください。
生の迫力には到底及びませんが、少しだけステージの雰囲気を感じていただけるのではないかと思います。


【第1部】
テーマは戦争。
舞台背景は、夜の街。
美輪さんは、青いサテンのシャツに黒のパンツ、短い黒髪。
一曲目から衝撃的ですよ。
あれほどマイクを離しているにもかかわらず、その声量。とても78歳とは思えません。
そしてその圧倒的な表現力。

『悪魔』
『亡霊達の行進』
『祖国と女達(従軍慰安婦の唄)』
美輪さんが男性だという事実を、一瞬本当に忘れてしまいました。
『星の流れに』
1部ではこの曲のみ、美輪さん以外の作詞・作曲です。
戦後、夜の街で流行った歌だそうです。
『ヨイトマケの唄』
色々な方がカバーされているけれど、美輪さんのオリジナルがやっぱり一番!
『ふるさとの空の下に』
1965年発表。「ヨイトマケ」のカップリング曲。
からだにゃ傷もあるけれど 心に傷はないはずだ

【第2部】
20分の休憩を挟んで、2部のテーマはロマンティック。
一転して明るい南の海と色とりどりの薔薇のセットに、美輪さんは明るい真っ青なドレスと長い黒髪。

『メケメケ』
1957年発表。「だけどそれがどうしたの?」の意。フランスのシャンソンを美輪さんが訳した歌。
『恋のロシアンキャフェ』
表現の変化が素晴らしいです。
『水に流して』
『黒蜥蜴の唄』
1968年発表。三島由紀夫が自決の前に薔薇の花束を持って美輪さんの楽屋を訪れたことを、さきほどwikiで知りました。
『愛する権利』
今回の曲目の中で素の美輪さんが最もストレートに出ているのは、おそらくこの歌だと思います。
『愛の讃歌』
ピアフの原曲を美輪さんが訳した、無償の愛を歌った歌。

~アンコール~
『花(すべての人の心に花を)』 
一旦幕が下りて、それからほぼ間をあけずに再び幕が上がり、アンコール。
昨今の「どうせお約束なのに長時間手を叩くことを要求される」アンコールと異なり、すっきりとスマートで好感がもてました。
曲が終わった後もすぐに照明が点き、潔いです。
…はっ、松緑から花が届いていた理由はこれか! ←ちがう 
※追記:松緑のお父様(初代辰之助)が生前に美輪さんと舞台で共演されたそうです

美輪さんはこの歌を、輪廻転生を歌ったもの、と解釈されているそうです。
私はいわゆる小説的な輪廻転生は信じてはいませんが、そうだったらいいな、とそんな風に感じました。
辛い人生だけど、みんな、ずーっとずーっと色んな人生を繰り返し生きてきて。
最後の美輪さんの
「どっちが先にそこから抜け出せるか競争です。一緒に頑張りましょう」
という言葉に不思議な元気をいただけました。
ありがとうございました。
アンコール曲に入る前に「次はいつお会いできるかわかりませんからね」と笑って仰っていて、最近は体調面から仕事を減らしてもらっているとのこと、ぜひお元気でいつまでも頑張っていただきたいと思います。

以上、「憲法改正には皆さん絶対に反対してくださいね!」というような言葉をはっきりと仰いますし、その他美輪さんのいろいろな部分を割り切れない方には、この舞台は受け付けないと思います。ですがそうでない限りは、先入観をもって観ないでいるのはあまりにもったいない、そんな舞台でした。

今年は美しくて圧倒的な舞台をいっぱい観られた年だったなぁ。。。(まだ終わっていませんが)
辛くて大変なことは毎日いっぱいあるし、本当に生きているだけで精いっぱいなのだけれど、それでも、幸せです。

さぁて。
薔薇のソルトのお風呂に入って、天平の香りのお香を焚いて、眠るとしましょう。
なんて幸福な初秋の夜(外は台風ですが)。


※2回目(9月26日)鑑賞の感想はこちら


「美輪明宏/ロマンティック音楽会2013」
「美輪明宏ドキュメンタリー~黒蜥蜴を探して~」
 特別インタビュー

大反響の『ヨイトマケの唄』も
わたくしは元祖シンガーソングライターと言われていますが、働く人や弱者の心や立場を歌いたかったから始めたのです。今年の「ロマンティック音楽会」の第一部では、そういうワークソングや世の中に対する警告などを歌った、精神性の強い曲をお届けしようと思っています。たとえば、昨年末のNHK紅白歌合戦で大きな反響をいただきました『ヨイトマケの唄』はもちろんのこと、軍需産業に携わった人々への呪いを歌った『悪魔』、世界中の戦争犠牲者たちが夜ごと行進して反戦を唱える『亡霊達の行進』、従軍慰安婦のことを綴った『祖国と女達』、終戦後の流行歌『星の流れに』。そして、長崎の原爆孤児が故郷の土を握りしめて、決して負けずに生きていくと誓う力強い歌『ふるさとの空の下に』で締めたいと思っています。

ロマンティックで華やかな時を
対して、第二部は華やかに。人情味の溢れる叙情的でロマンティックな深く大きな愛の歌を、若い方はご存知ないかもしれませんが――シャンソン・ド・ファンタジスト=歌を演じるという表現で、お贈りいたします。今までは「愛/L'amour」をテーマにしてきましたが、この秋は「心/Le coeur」をテーマにしたいと思っているんです。この「心」というのは曲者で、持ち方ひとつで明るくも暗くもなるんですよね。そういうお話も交えながら、皆さんと共に現在や将来を見つめ直して、考え直す機会にしたいと思っています。

音楽会・映画などが重なる不思議
9月のパルコ劇場での音楽会と同時に、わたくしを密着取材したドキュメンタリー映画が、全国のいろんな映画館で上映されることになりました。1968年の映画『黒蜥蜴』を観て、わたくしのファンになったという、フランスの映画監督パスカル=アレックス・ヴァンサンが、フランスのテレビドキュメンタリー向けに撮影したものです。とてもいい出来上がりで日本でもDVD化されたのですが、まさか映画館で上映されるとは。それに『黒蜥蜴』も再上映されるそうじゃないですか。この夏にはNHKで特集番組がつくられて、10月からは野田秀樹さんがわたくしの半生を舞台化した『MIWA』が上演される。音楽会も映画も舞台も全部重なるなんて、一体なんなの!?とわたくし自身が驚いています。年忌の追悼ならまだしも、まだ生きてぴんぴんしているのに(笑)、不思議ですね。

生きるエネルギーに火を
私はとにかく、皆さんの中にある「生きるエネルギー」を再燃させるために、火を点けるお手伝いをしたいと思っているんです。そのために毎年、春には舞台を、秋には音楽会を、また私の携帯サイトや様々なメディアで身の上相談を、といろいろな活動を続けています。もしかしたら、そういう思いが多くの皆さんに届き始めたからなのかもしれませんね。


【恋のロシアンキャフェ】
「美輪さん スタンド使えそう」のコメに噴きました、笑
この曲の美輪さん、とっても素敵でした。
ニコニコ動画ですが、ぜひぜひご覧になってくださいませ。



【その他動画】
美輪明宏 ボクらの時代 /SONGS
美輪明宏 ブラボーニッポン オーラの食卓

【インタビュー】
なぜ歌い、戦い続けるのか

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌舞伎のアイデンティティー

2013-09-12 21:38:07 | 歌舞伎

“新作歌舞伎”と銘打っているとは言え、“歌舞伎座”で上演している“歌舞伎”だ
確かにそんな雰囲気な幕切れではあるから、分かりたくなんかないけれども、それでも気持ちは分からないでもない
今日までに何回となく、夜の部終演後のカーテンコールをせがむ人に遭遇した
感心出来ないし、はっきり言ってよして欲しい
(中略)
演劇にはそれぞれ各ジャンルでルールが有る
“カーテンコールと云う物は存在しない”、これもまた“歌舞伎”のルールの中の一つだと思っている
その代わりと云うか代替、同様の物として「口上」や“切り口上”、“引っ張りの見得”、“幕外の六方”と云った演出方法が有るのではないかな
そう云う所にこそ“歌舞伎”特有の美学が有るのではないかな
だから、他の演劇に出演した時、する時はカーテンコールをやる事は有ったし、これからも有るだろうが、“歌舞伎座”で“歌舞伎”として上演している「陰陽師」
この演目でカーテンコールに出て行く事は、僕は無い
(中略)
「時代遅れ」と言われようとも「頑固」と言われようとも、事実なのだから構わない
そう云う、小さいけれども深く、濃い、核の大切な部分を蔑ろにしてしまうと、行く行く歌舞伎と云う演劇はそのアイデンティティーを無くして、他の演劇に埋もれてその姿を失ってしまう気がする
僕にはそれが一番危ぶまれてならない


本日の松緑のブログより。
よくぞ言ってくれました!!
まっっったく同感でございます。
松緑のファンになってしまいそうだわ。

まぁちょっとだけお客さんを擁護させていただくと、『陰陽師』の場合は初めて歌舞伎を観に来られたという方が他の演目よりは多いと思うので、歌舞伎のルールを知らなかっただけではないかと。
だからこそ役者さんには、「カーテンコールには応えない」姿勢を貫き通していただきたい。
このルールを崩したら、本当に歌舞伎というものが土台から崩れてしまうように思います。
自主公演やスーパー歌舞伎ではなく、『陰陽師』は“歌舞伎座の”本興行の“歌舞伎”です。
その区別だけはキッチリとつけていただきたいのです。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌舞伎座新開場こけら落 九月花形歌舞伎 昼の部(9月8日) 

2013-09-09 00:38:18 | 歌舞伎




3階B席中央。


【新薄雪物語】
貸切の日ではないのに客席は色々な団体客でいっぱいで、「さぁさぁさぁ」で笑いが起きたのは久しぶりでございました・・・。そんなですから、合腹の場は推して知るべし・・・。
今回に限っては、悪いのは役者じゃなく完全に客ですよ。全然面白い場面じゃないのに口調や仕草がほんの少し変わってるというだけで声を上げて笑う感覚が、私には理解不能です。何がそんなに面白いのか・・・。それとも「面白そうな場面でちゃんと笑わないと、歌舞伎を理解してないと思われる」という強迫観念でもあるのだろうか・・・。

さて、だからというわけでは全くありませんが(歌舞伎のこの手の客にはとうに慣れました・・・)、この昼の部、私の感想は、期待以上でも以下でもなく・・・でした。ツイッターなどの評判がとてもよかったので、残念・・・。
ていうか「合腹」の場、他の新薄雪を観たことがないのでわかりませんが、テンポがゆったりすぎていて、観ているこちらの緊張が先に切れてしまった・・・。最初の伊賀守の出から三人笑の最後まで、緊張を要する場面がずっと続くのだもの。テンポと演技でぐいぐい引っ張ってもらえないと、緊張の糸を保ち続けるのはキツイ・・・。
ただ、三人笑の菊之助(梅の方)は涙を流しての熱演で、4月の『熊谷陣屋』より母性も感じられましたし、なにより客のバカ笑いをその迫真の演技で抑え込んだのは菊ちゃんのお手柄です。染五郎(園部兵衛)切ない表情がとてもよかった。そして松緑(伊賀守)の一番最後の大笑いは、ぞくっと来ました。
だから、決して演技が下手だったわけではないのですよ・・・。
せめて三人笑をあの半分くらいの時間でやってくれたら、もっと感動できたと思う・・・。とくに菊ちゃん。
そういえば菊之助は、7月の四谷怪談の薬を飲むまでの間も少々ひっぱりすぎのように感じたものだった。

海老蔵は、「花見」の大膳は国崩しの凄みが殆ど感じられませんでしたが(海老蔵は悪役が似合わないと思う)、「詮議」の葛城は美しく見栄えしていて悪くなかったです。もっとも国行の死体を検分する演技はイマイチに感じましたけど。ちらっと一見しただけで、とても表面的な演技に見えた。

七之助の籬は、ぽや~んとした梅枝に対して「年の近い、綺麗でしっかりしたお姉さん」という感じで良かったです。腰元の雰囲気もちゃんと出ていたと思いますよ。

そうそう、「詮議」の場で染五郎と勘九郎の二人並んだ姿が、不思議なことにちゃんと親子に見えました。この場面の染五郎、表情はあまり動かさないのに、胸の内で息子を心配する想いが伝わってきて、切なかった。。

あと、愛之助の妻平がとても良かったように思いました。適度に色気も情も落ち着きもあって、カッコよかった。ただそんな愛之助でも、「花見」の立ち回り場面は長すぎて飽きました・・・。

作品自体は好みだったので(詮議からラストまでのあのなんとも表現し難い雰囲気がよいです)、評判のいい吉右衛門さんの伊賀守もものすごく観てみたいと思いました。やってくれないかなぁ。。。


【吉原雀】
二人のセリからの出がカッコイイ
そして、勘九郎。彼の踊りの良さが、今回はじめてわかった気がします。ひとつひとつの動きが歯切れよく、緩急の流れも見事で、観ていて実に気持ちがよかった。
はじめて勘九郎に色気も感じられたよ。舞台セットは『鞘当』と同じなのに、こんなに受ける印象って変わるものなんですねぇ。
先月の『鏡獅子』を観に行かなかったことが、今更ながら悔やまれます。
七之助との組み合わせも、二人の間に漂うベタベタしていないのに不思議と濃密な空気がたまらない。
こんな大人な魅力の中村兄弟を見られるとは予想外でした。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌舞伎座新開場こけら落 九月花形歌舞伎 夜の部(9月5日) ②

2013-09-08 23:53:20 | 歌舞伎

というわけで、『陰陽師』の感想をざっと。
観てよかった!というのは前回書いたとおりでございますが、今回はツッコミどころを中心に、笑。
ネタバレ注意。
3階A席上手からの鑑賞です。


幕が開いてまず驚いたのが、歌舞伎座の舞台ってこんなに奥行があったんですねぇ~。舞台セットの置き方が完全に現代風で、まるでレミゼの舞台を見ているようでした。歌舞伎座で廻り舞台の円が全部見えているのって新鮮。
そんな舞台を役者が縦横無尽に動くのも、これまた現代的。普段は、左右と花道の移動が殆どですものね。
そして空間に映し出される「二十年前」の文字。
「ここ、たしか歌舞伎座だったよね・・・?」と自問してしまいましたですよ。
全体的には悪くない演出だと思いましたが、録音BGM、音響効果、カラフルなスポットライトの3つは微妙でございました。

染五郎の晴明。
美しいの一言に尽きます。外見は完全に晴明ですよ。睫毛長い!白い衣装も似合っていました。
でも、口を開いた途端に幸四郎さんでしたが・・・^^;
もうすこし人間臭さを出さない演技にしてくれると、なお嬉し。染五郎は演じるにあたって「晴明は存在感のない存在。宇宙の真ん中にいるような孤独感を漂わせて」と語っていますが、そういう感じをもう少し強く出すとより晴明らしくなると思います。
屋敷の場面の白狐、可愛いっ お酒を持ってこさせるところ、染五郎があまりに楽しそうで(笑)、何度でも見たいです。
この晴明の屋敷で晴明と博雅が二人でお酒を呑む場面は、私が原作シリーズで一番好きな場面ですが、これほど美しく再現してもらえるとは思いませんでした。伸び放題の萩、薄、桔梗、と金木犀? 晴明の庭には秋草が一番似合うと常々思っていたので、嬉しい。歌舞伎にしては珍しく季節感が合っているのもポイント高し。
そこで寛ぐ晴明と博雅とともに、小説から飛び出てきたような景色でした。大満足。
この後、二人が自然に道を歩いている場面に変わる廻り舞台の使い方も、素晴らしかったです。

勘九郎の博雅。
おお、博雅だ!朴訥で、一人だけこっち側の世界の人間な感じが博雅そのもの!しかもカッコイイじゃないのさ!
だけど博雅の笛って一体どれだけスゴイの、笑

松緑の藤太。
松緑の荒事、いいですねぇ!この松緑と新悟君の大蛇のムカデ退治の場面が、私には一番歌舞伎に見えました(ムカデはバルタン星人だったけど・・・)。花道の六方、カッコよかった!
将門との友情場面もなかなか素敵でしたが、このお二人、リアル世界ではどうなのでしょうね。超ポジティブ思考の海老蔵と超ネガティブ思考の松緑って、合うのかなぁ・・・。そんなことを考えながら観てしまいました^^;

七之助の桔梗の前。
芯が強くて、でも儚い雰囲気がぴったりでした。
死んでゆく場面の海老反り、美しかった。。。

海老蔵の将門。
悪役だけど実は興世王から利用されている、そんな人の良さと弱さが出ていて、とてもよかったです。特に一番最後の演技は、素晴らしかった。脚本さえ良ければ泣けていたと思う。赤と黒の衣装も似合っていました。海老蔵って『一命』でも思いましたが、普段はあんななのに、意外に父親役が似合うんですよね。不思議。
ただ、将門が復活して「また、この哀しみの世に戻ってきてしまった…」と言う部分は、もう少したっぷりと演じた方がいいと思うのです。でないと最後の「もう十分でござろう…」辺りが唐突に感じられてしまう。。

愛之助の興世王。
時々表情があまりに仁左さまにそっくりで、背丈には目を瞑るからこのまま仁左さま路線を突き進んで!と心から願ってしまった。。。ほんとに似てる。。。
ただですね・・・今回の役に関して言えば、、、軽い、、、。
ラスボスの大きさがもうひとつ感じられず、愛之助だけは昼の部の方が良かったです(昼の部の妻平は絶品だった)。まあ興世王という人物を描き切れていない脚本の問題もあると思いますが。

菊之助の滝夜叉姫。
素晴らしい。貫禄とピュアな可愛らしさの両方を備えていて。
つくづく、花形の中で菊之助の存在は貴重ですねぇ。
出番は多くないけれど、タイトルロールにふさわしい存在感でした。

亀三郎の保憲。
外見、雰囲気、声、すべてこの役にぴったりでした。とてもよかった。

亀蔵さんの道満。
事前に「亀蔵さんの出の度に笑いが起きる」という評判を聞いていたのでハラハラいたしましたが(ワクワクではありませぬ)、この夜は笑いが起きたのは一番最後の出だけでした。このすっぽんの登場は最高、笑。でもそれまでは、少なくともこの晩は、笑いをとらない演技をちゃんとされていましたよ。
実際に観てわかりましたが、最後以外は決して笑う場面ではないのですよね。にもかかわらず、どうして他の日に笑いが起きてしまったのか、不思議です。亀蔵さんというだけで条件反射でしょうか?
亀蔵さんも市蔵さんも、笑いも取れるけど、そうじゃない演技もとてもお上手な良い役者さんですから、亀蔵=笑うキャラのようになってしまったら本当にもったいないと思うのです。昼の部の秋月大学もきっちり演技されていて、よかった。というわけで亀蔵さん、今後もこの夜みたいな方向性でよろしくお願いいたしまするm(_ _)m

以上、配役に関してはほぼ完璧!でございました。

問題は・・・・・・それ以外です。
正直なところ、次回上演するときは、脚本を思い切ってごそっと改良していただきたい(根本的な部分は変えなくてOKです)。
何より、時代が前後しすぎです。これは原作の欠点でもありますが。「二十年前」はともかく、「その四年後」「その一年前」となってしまうと、原作を読んでいる私でさえ混乱しました。元々のストーリーもすごくシンプルというわけではないので、原作を読んでいない人はついていけなかったのではなかろうか。

また、歌舞伎風とそうでない部分の使い分けが不自然に感じました。
歌舞伎の抑揚をつけて話す人もいれば、そうでない人もいたり・・・。普通の言葉でしゃべっているのに、突然見得を切ったり・・・。別に無理に見得を入れなくてもいいのでは・・・。

そしてラスト――。
「博雅さま、笛を!」、「人は何のために生きている?」、「友達だ」のくだりは、現代風というよりも、ふた昔くらい前の青春映画を観ているようで、キツかった・・・。挙げ句、「明けない夜はない」(でしたっけ?)で盛り上がるBGM・・・・・。
古典より遥かに古臭く感じました・・・(古典はいつでも最先端です)。
それに「花になぜ咲くと問いますか?」は原作でも唐突に感じましたが、舞台で観るとさらに唐突感が・・・・・・・。

ここまで小うるさく書いたので、ついでに言ってしまいます。
小道具の趣味も宜しくないです。染のネックレスの先に付いた赤いガラス玉とか、道満のレモンライムなネックレスとか腰にぶらさがった髑髏とか、安っぽすぎる。。。バルタン星人なムカデは言わずもがな。

一方、原作にはない歌舞伎独自の演出でいいなと思ったのは、少女の滝夜叉が妖怪と毬で遊ぶところ。福太郎くんが可愛いし、妖怪も可愛いし、視覚的にも美しいし。そして最後に晴明が「滝夜叉姫の側にいてくれた彼らのためにも笛を」のところは、とてもいいと思いました。ちょっと感動した。

これらの点を少しでも改善していただき、ぜひとも!ぜひとも!シリーズ化してほしいです!!
そしてそのときはぜひ同じキャストでお願いします、松竹さん!
本気で若いお客を増やしたいのなら、絶対に再演すべきです。
今回だって結局、若いお客さんは増えていないじゃないですか。私が行った夜の年齢層はいつもと全く変わっていませんでしたよ。
それは若い人達がこの作品に興味を持っていないからではなく、既にチケットがソールドアウトになっていたので入り込む隙がなかったからです。
ですから、ぜひ再演して、今度こそ若い人達を歌舞伎座の中へ取り込むべきです。でないと歌舞伎の未来はありませんよ!!


以上、すべて歌舞伎への愛ゆえの叫びでございます。
何卒ご容赦くださいませ。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌舞伎座新開場こけら落 九月花形歌舞伎 夜の部(9月5日) ①

2013-09-07 21:18:02 | 歌舞伎




一言でいうと、観に行ってよかった!!です。

今回7人を同じ舞台で見てつくづく感じましたが、この花形世代の個性の多様さは素晴らしいですね。
そして舞台上の彼らの美しいこと!
芸と若さのバランスが最高の状態にある、「花形」が最も「花形」らしいとき、それがまさしく今なのではないでしょうか。

そんな花形役者が勢揃いした、超豪華配役の『陰陽師』。
舞台を観てまず感じたのは、「時代は平安だけど世界観は現代」という原作の魅力をよく表現しているな~ということでした。
これというテーマがあるわけではなく、現代的なカラリとした空気感と平安という美しい時代設定がひとつになった、気軽に楽しむエンターテインメント小説。それが、この陰陽師シリーズですから。そういう意味でも、とても現代的な小説です。
こういうこれまでの歌舞伎にはなかったタイプの作品をあえて新しい歌舞伎座の新作として選んだことは、歌舞伎の可能性をまた一つ広げたという意味で、私は評価していいと思います。

新作なので本当にツッコミどころはまだまだ満載ですが(後で書きます、笑)、それもまた花形世代と新生歌舞伎座の勢いを感じさせて、とても気持ちのいい舞台でした。
彼らの日頃のインタビューから古典は古典として決して変えてはならない、その一線ははっきり引く、という意識をちゃんと持っていることは知っていましたので、そういう意味でも安心して観ることができました。それだけは絶対に守っていただきたい部分ですものね。
記者会見で松緑が「少数派の意見かもしれないが、"これを歌舞伎と言っていいのか"というタイプの新作は主義的に僕の好きなジャンルではない」とはっきりと言っていましたが、こういう意見があることも頼もしいな、と思います。いざというときにはストッパーになってほしい。今回の『陰陽師』でも松緑はとても歌舞伎らしい演技をしていて、私には好ましく見えました。
いずれにしても、そんな彼らが一緒に作り上げた新作『陰陽師』、色々な意味で必見の舞台です。

詳しい感想はまた後ほど。


《記者会見》
チケットぴあ:花形俳優が勢揃い!「九月花形歌舞伎」会見レポート

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする