風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

4Stars 2017 @国際フォーラムC(12月27日)&『ダンシング・ベートーヴェン』@シネマジャック&ベティ(12月29日)

2017-12-30 02:12:33 | ミュージカル




千穐楽の前日に行ってきました。
来日のたびにラミンを見に行っているわけではないし、そういう意味では全くファンとはいえないけれど、行くとやっぱり楽しいし、感動してしまう。この人は本当に裏切りませんよねえ。
改めて数えたことがなかったけど、私はどれくらいラミンを観てきたのだったろう(こういうときブログって便利)。

2008年12月 オペラ座の怪人 @ロンドン
2011年12月 レ・ミゼラブル×2回 @ロンドン
2013年6月 4Stars @東京
2016年7月 I love musicals @東京
2016年12月 ラミン・コンサート @東京
2017年12月 4Stars @東京

7回。思っていたより多いような、そうでもないような。そろそろほんとにラミンの演技が観たいわ・・・。来年のChessはワシントンDCだとか。ワシントン、結構好きな街ではあるけれど、このためだけに行くのはなぁ。ロンドンならついでに行きたい所が沢山あるのだが。


さて、今回の4Stars 2017、とってもよかったです。
まぁ私のようなミュージカルを殆ど知らない人間には、選曲はオペラ座の怪人やレミゼやミスサイゴンのようなビッグナンバーをそれぞれの役を経験したキャストが次々歌ってくれた2013年の方が親しみをもって楽しめたのは正直なところではありました。
でも今回、ラミン城田君が前回に比べてこういう場に慣れていたというか、リラックスして見えたのがとてもよかったなぁ。シエラは前回も今回も変わらず男前笑。ほんと大好き!そしてレア・サロンガに代わって入ったシンシア・エリヴォもとっても魅力的だった。シエラのあれほどのwishing you were somehow here again→ラミンのあれほどのMusic of the Nightの後や、あれほどのBring Him Homeの後にもかかわらず、どちらのときもまったく舞台のエネルギーを下げることなく歌いきって。果てはショーストップまでさせちゃう見事さ。性格もとっても良さそう!そしてそれだけの迫力のI'm Hereの空気をまったく下げることなくAnthemに繋げちゃうラミン(コルムさんのAnthemもすんごくよかったけど、ラミンのもすんごくよかった)。
と、今回も世界クオリティ、たっっっぷりと堪能させていただきました 

今回4人の歌声を聴きながら強く感じたのは、その歌声の純粋さ。
セクシーさも深みも暗闇もしっかりあるのに、その芯はすごく純粋で綺麗で。これって彼らの心や生き方がそうだからなのだろうな、と。

それでね、私はというと、少し辛くなってしまったんです。ラミンのファントムを聴くと一瞬でHer Majesty'sの客席にいたあのときに感覚が戻ってしまうのは今回も同じで。いつもあの夜のラミンと今のラミンが並んで見えるんです。これは問答無用の音楽の力。でもそれが今回はちょっと辛かった。ラミンはあの時から今日まで、すごくいい年齢の重ね方、成長をしているでしょう。ラミンと私はほぼ同年代なので、彼がこの9年で過ごしてきたのとちょうど同じ人生の時期を私は過ごしてきたわけなんです。こんなに変わったラミンと比べて、私はどうなんだろう?・・・・・と・・・・・やっぱり考えないではいられないのよぉぉぉぉ~~~~~~~(>_<)(>_<)(>_<)
同じことを城田君にも感じました。すごくいい年齢の重ね方をしているなぁ、と。もう32歳なんですね!前回の4Starsのときには、ゲネプロで他の3人のあまりの凄さに怖くなって歌えなくなり泣いてしまったのだとか(下にインタビューのリンクを貼ってあります)。いっぱい努力をしてきたんだろうなぁ。

しかし2013年のときもそうだったけど、4Starsのメンバーの舞台上の雰囲気のよさは格別ですね(I love musicalsの5人も同じくらいよかったけど♪)。みんな本当に仲良しさんなのが伝わってくる。シエラが城田君に「自分達が楽しまないとお客さんを楽しませることもできない」と言ったそうだけど、こういう舞台を見ていると本当にそのとおりだなあと感じます。そして客席の温かさも前回と同じ。

というわけで、すごく感動した一方で、感動すればするほどちょっと自己嫌悪で苦しくなってしまった今回の4Stars 2017でもあったんです。

そんな苦しさを抱えたまま年末に突入しようとしていた私でしたが、その2日後の今日、映画『ダンシング・ベートーヴェン』を観てきたんです。2014年にNHKホールで観たベジャールの第九交響曲のドキュメンタリー。その中でジルが何気なく言った言葉、「我々はとるに足らない存在だ。己と闘いながら生きているだけの存在だ」という言葉に、ふっと心が軽くなったんです。呼吸が楽になった。そして、4Stars 2017の感動も素直に受け入れられる心になれたんです。

ベジャールの第九も、4Stars 2017も、きっと伝えていたものは一つだけ。大切なのものも一つだけ。

 


本当に素敵な4人 みんな大好きです。
この4人での4Stars、城田君、またぜひ企画プリーズ!絶対に行くから!

「2017年に一番劇場が震えるのはこの公演です」――4年ぶりに世界最高峰の歌声がやってくる!『4Stars2017』城田優インタビュー(このときはまだシンシアじゃなくパティーナ・ミラーの予定だったのね)
城田優『4Stars 2017』を語る~世界的なミュージカル界トップスターが集結!



そしてベジャールとジルに、心からのありがとうを。ベジャールの大きな愛にこれまでどれだけ救ってもらったことでしょう。。。
ついでにここで映画の感想を書いてしまおう。
この舞台を観たときに感じたことをそのまま全部言ってくれていた。死と再生。終わりのない円。空ではなく地上。ベートーヴェンとベジャールは似ている。本番冒頭のジルの朗読場面も観たかったな。日本のシーンの映像がいかにも外国人の撮る日本であったのはご愛嬌(桜や東京の夜景や^^;)。ジルの娘さん、美人。ジルの奥様(キーラ・カルケヴィッチ)、初めて見た。時々映る練習やバックステージのジュリアンがめちゃくちゃ綺麗であった。この人本当に動くギリシャ彫刻。またジュリアンのボレロ観たい。メータ×イスラエルフィル×ソリスト×合唱団の生み出す音楽の美しさ。メータさん、思いのほかしっかりリハーサルしてくださっていたんですね~。芝刈りするオスカー。曰く、音楽の中でも人の歌声で踊るのが一番気持ちがいい。カテリーナのお腹の赤ちゃんの父親はオスカーだったのか(知らなかった)。来日の『ライト』のとき、カテリーナのオスカーに向ける眼差しに愛が溢れていたものなぁ。もっとジュリアンにも愛を~を思ってしまったほどに。オスカーもカテリーナもBBLを去ってしまって寂しい・・・。大貫君の2楽章の練習風景が沢山見られて嬉しかった。ローザンヌのバレエ団の建物は初めて見ました。自然に囲まれていて素敵。4楽章のアランナの動きについてここは気を抜くなと注意するジル。エキストラの投入による苦労(あそこまでとは)。「ベジャールは瞬間瞬間を生きる人だった」。「自信家のように見られていたけれど、自分の好きな人の評価には傷つきやすい人だった」。ベジャールの言葉「希望は勝利である」。

ありがとう、ベジャールさん。

思想という幻想を捨て、五感を感じて今を生きる。音楽も踊りも人生も流れているけれど、人と人がつながれる瞬間は「喜び」に他ならない。響く旋律、響く肉体、全ては国境を超え人間である事を平和を謳歌するために!
(小林十一。映画公式HPより)

※ベジャールの第九交響曲@NHKホール(2014年11月)の感想はこちら
Dancecube 映画公開直前インタビュー『ダンシング・ベートーヴェン』のアランチャ・アギーレ監督
年末に第九を観に行こう!ドキュメンタリー映画「ダンシング・ベートーヴェン」

~4 Stars セットリスト~
Act 1
Ⅰ.LONGING FOR ADVENTURE
1.Corner of the Sky 『ピピン』 城田優, ラミン・カリムルー, シエラ・ボーゲス, シンシア・エリヴォ
2.Part of Your World(パート・オブ・ユア・ワールド) 『リトルマーメイド』シエラ・ボーゲス
3.Neverland 『ファインディング・ネバーランド』 ラミン・カリムルー
4.Maria(マリア) 『ウェストサイド物語』 城田優(スペイン語歌唱)
5.The Color Purple 『カラー・パープル』 シンシア・エリヴォ, シエラ・ボーゲス, ラミン・カリムルー, 城田優

Ⅱ.TRAVEL
6.Muddy Water "Big River" ラミン・カリムルー, 城田優
7.Another Day of Sun 『ラ・ラ・ランド』 シエラ・ボーゲス, 城田優
8.Where You Are 『蜘蛛女のキス』 シンシア・エリヴォ
9.El Tango De Roxanne 『ムーラン・ルージュ』 城田優
10.Cucurrucucu Paloma "Hable con ella"『トーク・トゥ・ハー』 ラミン・カリムルー(スペイン語歌唱)
11.Don't cry for me Argentina 『エビータ』 シンシア・エリヴォ

Ⅲ.FRIENDSHIP
12.Die Schatten Werden Länger(闇が広がる) 『エリザベート』 ラミン・カリムルー, 城田優(日本語歌唱)
13.Something There(愛の芽生え) 『美女と野獣』 シエラ・ボーゲス, 城田優
14.My Favorite Things 『サウンド・オブ・ミュージック』 シンシア・エリヴォ, 城田優
15.Worlds Apart "Big River" ラミン・カリムルー, シンシア・エリヴォ
16.Empty Chairs at Empty Tables 『レ・ミゼラブル』 ラミン・カリムルー

Ⅳ.LOVE
17.Ich gehör nur mir(私だけに) 『エリザベート』 シエラ・ボーゲス(日本語歌唱)
18.Ich bin Musik(僕こそ音楽) 『モーツァルト!』 城田優
~YOUNG LOVE~ 
19.Hello Young Lovers/We kissed in a Shadow 『王様と私』 シンシア・エリヴォ,ラミン・カリムルー,シエラ・ボーゲス
20.J'ai Peur(僕は怖い) 『ロミオ&ジュリエット』 城田優(日本語歌唱)
21.Aimer(エメ) 『ロミオ&ジュリエット』 シエラ・ボーゲス, 城田優(フランス語歌唱)
22.On the Street Where You Live 『マイ・フェア・レディ』 ラミン・カルムルー
23.I Could Have Danced All Night 『マイ・フェア・レディ』 シエラ・ボーゲス, シンシア・エリヴォ, ラミン・カリムルー, 城田優

ACT2
~PRINCESS MEDLEY~
24.Everyday Princess "The Princess and the Frog"『プリンセスと魔法のキス』 シンシア・エリヴォ
25.Colors of the Wind 『ポカホンタス』 シエラ・ボーゲス
26.Beauty and the Beast 『美女と野獣』 シンシア・エリヴォ, 城田優
27.I See the Light 『塔の上のラプンツェル』 シエラ・ボーゲス, シンシア・エリヴォ, ラミン・カリムルー, 城田優
~MATURE LOVE~
28.Only with You 『ナイン』 ラミン・カリムルー
29.Unusual Way 『ナイン』 シエラ・ボーゲス, ラミン・カリムルー
30.Easy as Life 『アイーダ』 シンシア・エリヴォ
31.Kiss of the Spider Woman 『蜘蛛女のキス』 城田優
32.Wishing You Were Somehow Here Again 『オペラ座の怪人』 シエラ・ボーゲス
33.Music of the Night 『オペラ座の怪人』 ラミン・カリムルー
34.Losing My Mind / Not A Day Goes By 『フォーリーズ』 / 『メリリー・ウィ・ロール・アロング』 シンシア・エリヴォ, シエラ・ボーゲス

Ⅴ.COMING HOME
35.The Journey Home 『ボンベイドリームス』 城田優
36.Home 『ファントム』 シエラ・ボーゲス
37.Bring Him Home 『レ・ミゼラブル』 ラミン・カリムルー
38.I'm Here 『カラー・パープル』 シンシア・エリヴォ
39.Anthem 『チェス』 ラミン・カリムルー, シンシア・エリヴォ, シエラ・ボーゲス, 城田優

~アンコール~
40.Where Did The Rock Go? 『スクール・オブ・ロック』 シエラ・ボーゲス, シンシア・エリヴォ, ラミン・カリムルー, 城田優
41.Take Me to Heaven 『天使にラブ・ソングを』 シンシア・エリヴォ, シエラ・ボーゲス, ラミン・カリムルー, 城田優

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Sunrise Izumo & Matsue

2017-12-27 01:06:41 | 旅・散歩



すこし前になりますが、こんなもの↑に乗ってきました。

寝台列車は北斗星以来でしたが、やっぱり楽しい~~~
東京22:00発→出雲市9:58着。約12時間の旅。ヨーロッパまでとほぼ同じです
上の動画の最後で停まっている駅は浜松駅で、01:12着。

室内の灯りを消して、ベッドに寝転がって撮ってみました。少しは雰囲気が伝わりますでしょうか。


シングル上段のお部屋。
中はコート掛けや簡単な棚があって、エアコンの調節もできて、快適
列車の中は暑いくらいポカポカでした
この温かさと心地よい揺れで、自然に眠くなってくる。窓にブラインドもちゃんとあるので、外の光が眩しくて気になるということもありません。


ラウンジカー
2車両の計16席しかないので、東京駅を出てすぐに満席に。皆さん買い込んできたお酒とおつまみで酒盛り。でも深夜になると誰もいませんでした。ラウンジのインテリアは北斗星のゆったりまったりした感じの方が私は好きでしたねぇ。


走ってる電車からなので全然撮れていませんが、部屋の灯りを消すと星空や月が綺麗に見えました


6:27岡山着。まだ夜明け前。
ここでサンライズ瀬戸と出雲の切り離し作業が行われます。
早朝のホームで、しばしのリフレッシュ。


行ったのは11月だったのでもう神様は全国に帰っちゃってるな~と思いながら参拝していたら、実は数日前に旧暦の神在月が始まったばかりだと夜に玉造温泉の旅館の方に教えていただいて知りました


松江城のお濠沿いにある、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧居。
こういう日本家屋はやっぱり落ち着きますね~
併設された記念館の展示も、非常に充実していました


旧居前の道も、いい雰囲気。


穏やかな宍道湖の夕日



私の前には広々として美しい湖が、柔らかい光でにぶく輝いて眠っている。・・・・・日は沈み始め、色彩の微妙ですばらしい変化が水と空とに現れる。・・・・・仄かに淡い夕暮れの色は五分ごとに変わっていく。すべすべした玉虫色絹布の色合いや陰影を思わせて色という色が不思議なほどに目まぐるしく移り変わる。
(小泉八雲 『神々の国の首都』より)


出雲そば !
旅行中に3回食べました。うち2回は割子。蕎麦、大好きなんです。
出雲の蕎麦は、色の濃い麺と甘めのツユがとっても私好みでした

またサンライズで旅したいな~。今度は瀬戸かな 

Comments (2)
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Holiday Greetings from Finnair

2017-12-22 20:10:45 | 日々いろいろ



こんなのも来た

フィンエアーはいくら安くても座席が耐え難いほど狭かったので二度と乗らんと思ったのだけど、今でもああなのかな。

でもヘルシンキは楽しかったな

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ヘイヘイおじさん

2017-12-21 20:08:26 | 日々いろいろ

ディズニーリゾートの「3000億円大拡張」発表の陰で、全国の遊園地はこの20年で3分の2にまで激減している──。

 2002年に閉園した遊園地の『横浜ドリームランド』。その跡地から歩いて10分ほどの古いアパートのある一室には『ヘイヘイおじさん』と書かれた表札が掲げられていた。ここに住む、76才の新井俊次さんは、かつて横浜ドリームランドのスター社員だった。新井さんが振り返る。

「24才で開園と同時にドリームランドに入社して、それから30年以上『ミュージックエキスプレス』というアトラクションを担当していたんだ。お客さんを盛り上げようと、当時大ヒットしていたフィンガー5の『学園天国』を歌いながら仕事をしていたら、いつの間にか『ヘイヘイおじさん』と呼ばれるようになってさ。おれがお昼の休憩に入ると、お客さんは乗らないで、戻るのを待ってるのよ(笑い)」

 現在は大学や公園などに姿を変えた“夢の跡”を、新井さんと一緒に歩いてみた。

「敷地のほとんどは、今は大学になっちゃった。おれがいたミュージックエキスプレスは、公園内の野球場になっているあたりだね。今も学生たちでにぎわっているけれど、当時はもっとすごかった。そんなお客さんたちを喜ばせようと、社員が一丸となってたね」(新井さん)

『ヘイヘイおじさん』として人気を博したため、会社も40万円の金色のスーツを特注で作った。これに、ファンからプレゼントされた缶バッチがたくさんついた黄色い帽子。こんな姿で『ヘイヘイおじさん』はお客さんに笑顔を届けていた…。

「当時のドリームランドには、子供たちが次から次へと押し寄せて…。ミュージックエキスプレスにも『おじさんに会いたくて今日6回目』と、笑顔で乗り込んでくる子がたくさんいてうれしかったね」

 あの頃の遊園地には、夢いっぱいの子供たちがいた。そして、一社員をスターにするほどの情熱と熱狂が渦巻いていた。

ヤフーニュースより)

このおじさん知ってる ていうかこんなに有名なおじさんだったことを30年目にして今知った!

小学生の頃って大人抜きで子供同士で出かけられる場所って限られてるじゃないですか。その一つが大船のドリームランド(でも住所は横浜市だったんですね~、ということも30年目にして知った)で、クラスの男の子や女の子たちで時々行きました。もっと小さい頃は家族と行きました。なかでも大大大好きだったのが、このミュージックエキスプレス!おじさんの気持ち次第でいつまでもいつまでも乗らせてくれたり、急に逆行したり、すっっっごく楽しくて大好きで何度も乗ったなあ。大人になってドリームランドが閉鎖されるというニュースを聞いたときに一番に頭に浮かんだのもこのアトラクションだった。
おじさん、いま76歳ということは、当時は40代半ばだったんですねえ。ディズニーランドも大好きだけど、こういう地元密着型の遊園地も人の温もりが感じられてよかった。入園料も安かったはず(子供たちだけで行っていたくらいだから)。

こういう遊園地が消えていくのは残念ですし、寂しいです。まあ需要が減っているということなのでしょうけれど・・・。素朴で温かくて、大きな商業施設にはない魅力がいっぱいあるのになあ。私に子供がいたら絶対に連れていくのに。
同じ理由で、職員さんが毎回自分の声で解説してくれるプラネタリウムが減ってきているのもとても残念です。
なんて思ってしまう私はすでに時代遅れな人間なのだろうか。

※はまれぽ.com:ドリームランドにいたヘイヘイおじさんは現在何をしているんでしょうか?

※追記:ヘイヘイおじさん取材レポート(2018.08)
ミュージックエキスプレスは中東のクウェートに渡って現在も活躍しているそうです!

横浜ドリームランド名物 ヘイヘイおじさん


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ネットで拾ったハイティンク関連記事

2017-12-20 21:43:43 | クラシック音楽

先日のBPhとのマーラーに感動した勢いで、今まで読んだことのあるハイティンク関連のネット記事の一部を纏めてみました。せっかくなので、ここにもアップ。べつに暇なわけではなく、仕事が忙しすぎるための現実逃避です
もともと2015年のLSOとのブルックナー&ブラームスに感動した後に英語の勉強も兼ねてネットで拾い読みしたもので、普段私がクラシック関係の記事をこんなに読みまくっているわけでは全くございません。

著名な指揮者の方達の仲の良し悪しについては全く知りませんが(クラシックファンの方達はお詳しいと思いますが)、ハイティンクのインタビューにでてくる”Simon”や、ラトルのインタビューにでてくる”Bernard”はなんか好きだったりします。なので、そんな感じの記事を中心に。全文は雑誌名のリンクから読めますです。

ところでハイティンクは今の奥さまが4人目?だと思いますが(それまでは人との付き合いに壁を作っていたが、今の奥様に出会えたことで変われた、みたいなことが下のどれかの記事に書いてあったような)、ラトルも3人目?なのですよね。私には計り知れない世界です 

昔の記事も多いので、あくまでお暇つぶし程度にどうぞ~。でも私のような永遠のクラシック初心者には興味深い記事も多かったです

Bernard Haitink: unfinished symphony
“Amsterdam is halfway between Berlin and Vienna. They’re not as macho as Berlin - in a good performance they have more transparency than a Germanic orchestra because they play so much French music. The texture is lighter. I don’t want to be nasty to Chailly , but the sound changed. Then, when I heard them this summer with Mariss, I thought, ‘Yes, that is the old Concertgebouw again.’”
(OCTOBER 23, 2004, Financial Tims
確かヤンソンスさんも就任したときに、コンセルトヘボウの団員達から「昔の(ハイティンクの頃の)音に戻したい」と言われた、とインタビューで仰っていましたね。

The passion and pain of Bernard Haitink
Simon Rattle says he can tell when Haitink has conducted his own orchestra, the Berlin Philharmonic, because they sound more relaxed, spacious and expressive.
(22 September 2009, The guardian)

でもこのラトルの素敵な言葉に対するハイティンクの反応は”pained expression”なの。。。
そしてマーラー9番のラストの静寂の意味について語り、その後の無粋なブラボーについて笑うハイティンクに、記者は”but he is deadly serious: anything that gets in the way of the music is his enemy.”と。
With the CSO, Haitink is touring four other composers he loves: Haydn, Mozart, Brahms and Bruckner. I wonder how he can find Bach's music too religious yet feel an affinity with Bruckner, one of the most devoutly Catholic composers. "This music speaks to me," he says. "Yes, there is a very strong Roman Catholic feeling, but . . ." His words dry up, so I try again. Does he find Bruckner's music – the Seventh Symphony, say – a spiritual experience? "It's very difficult to talk about this," he says at last.
Far easier simply to conduct it: as ever with Haitink, the performances will do the talking.

ブルックナーの音楽がこの人に語りかけるように、この人も言葉ではなくその指揮から生み出される音楽で語る人ですね。

He talks about conductors he admires. The list starts with Carlos Kleiber. Simon Rattle tells the story of how he and Haitink were sitting in a Covent Garden box at a closed Kleiber rehearsal of Otello. When it ended, Haitink turned to Rattle and said: "Well, I don't know about you, but I think that my studies in this art have only just begun."
"Yes, that is true," he says now. "I'm not ashamed of saying that. When I have listened to Kleiber, I always think, 'My God, he knows his scores so well.' He is a fanatic. He looks at every manuscript and he will dig out every note, every detail, every query." For the young Haitink, though, the key figure was Wilhelm Furtwängler.
(5 March 2004, The Guardian)

この記事では、各オーケストラの特徴についても話されています。

How does he characterise these mighty beasts of the orchestral jungle? Haitink starts his reply with the Berliners, with whom he is doing a two-week stint as we speak. "I love the open way they attack the music. It is so positive. When they play with conductors they don't like, they ignore him; but when they play with conductors they like, they really add something very positive."

What about Vienna? "Well, you never know with Vienna because they have an enormous number of players, and you have to wait and see who plays. They don't have a music director. They play the same pieces more than once in a season with different conductors. I think in their hearts they are arrogant. They think, 'It doesn't matter who conducts us, we are the Vienna Philharmonic.' Very dangerous attitude. But they are of course extremely good musicians."

The conductor Bernard Haitink once told Rattle the LSO could play better than anyone could imagine if they had the chance to rehearse together. “They are trying to run a marathon in a crowded lift,” says Rattle, his accent signalling his Liverpool origins. “They go up the walls. If they had the conditions that exist elsewhere in the world, there is so much more they could do. 
I mean, my orchestra here, they work hard, but if they worked the LSO schedule for a month they would all be in hospital. 
(6 June 2016, Evening Standard

ハイティンクからラトルへ、LSOを指揮する際のアドバイス。
少なくとも仲は悪くはなさそうですよね、このお二人。
指揮者の世界ってドロドロな政治的陰謀がうずまいていそうなイメージが勝手にあるんですけど、ハイティンクってそういうものに関わるのを面倒くさがりそうな感じですし、ラトルとは歳も違いますしね。
ところでお二人がここまで言うLSOってどれだけハードワークなんでしょう。。。昔からなのかしら、あるいはゲルギエフになってからなのかしら。。。

【番外編:バレンボイム→ラトル】
He is a friend. Sometimes we don’t see each other for months. Then we meet and it feels like yesterday. It is a friendship which does not need frequency. On Monday, Simon Rattle celebrates a birthday. Last time, I called and congratulated him. I’m twelve years older than him and I joked at the time: Simon, enjoy the 50, I can tell you one thing, 50 is better than 60. This time, I’ll tell him: Enjoy the 60, but 70 is even better. I first experienced Simon Rattle when he was 19, playing timpani in the English (National) Youth Orchestra. It was a performance of Stravinsky’s “Rite of Spring” under the baton of Pierre Boulez. We did not speak at that time. I met Simon in 1978 in Orange. During the festival, the Roman Theatre, Saint-Saens’ opera “Samson et Dalila” with Placido Domingo. Simon was on a private visit. That was the beginning. When we meet now, we have so much to talk about. We talk about Berlin, about England, about the Middle East. Simon has always been very interested in the West-East Diwan Orchestra. Of course, we talk about music, sometimes just about food.
Barenboim writes birthday ode to Simon Rattle, Jan 2016)

バレンボイムさんはヤンソンスさんの指揮で楽しそうにピアノを弾いてる映像も先日流れてましたね。指揮者の皆さんが仲が宜しいのは聴衆にとっても嬉しいことですね


【その他ハイティンク関連のインタビューや記事】
Why Doesn't Bernard Haitink Act Like a Superstar? (21 November 1991, The New York Times)
“I'm not a conductor type,” Haitink admitted on the eve of the Chicago performance that began his third America9 tour with the London Philharmonic Orchestra, which arrives in New York for two Carnegie Hall concerts tonight and Monday. He knows a lot about Georg Solti, Zubin Mehta acid Herbert von Karajan, and he feels he is not one of them. He doesn't want to make himself into a personage. The permanent conductor of the Amsterdam Concertgebouw Orchestra, artistic director of the London Philharmonic and music director‐elect of the Glyndebourne Festival Opera is still two years short of his 50th birthday, still a little cautious, and, although he is one of the most highly regarded conductors in the world, still not acting the part. 

Haitink grew up among orchestras, studying the violin in his native Amsterdam, playing the instrument ('badly,” he recalls) in the Netherlands Radio Philharmonic, and pursuing conducting with Felix Hupka and Ferdinand Leaner. Living in a country with a rich symphonic tradition, he advanced fast, becoming Leitner's assistant with the Netherlands Radio Union orchestras in 1955 (age 26), principal conductor of the Radio Philharmonic in 1957, co‐conductor with Eugen Jochum of the Amsterdam Concertgebouw in 1961 and permanent conductor and artistic director of that orchestra three years later, at the tender•for conductors age of 35.

“ I was far too young,” Haitink says with characteristic frankness, remembering his early years with the Concertgebouw. “Only for the last seven years or so have I been really in charge. It took me a long time to reach a certain standard. But I'm happy with it now.”

He developed not only appreciation, but respect and sympathy for the groups of people who make up orchestras. Rather than confront an ensemble with his own strict pattern, his own sounds and subtleties in mind, he prefers to find an orchestra's strengths and build on them. “I never try to change an orchestra to fit my own ideal,” he explains. “I want to get the best out of an ensemble, but to keep its own character.”

・・・


He will get what he wants, but not by throwing around any power. “My whole personality tells what I want,” he says. “Thank God that we are all different.”

※ For a Reluctant Maestro, Relief, No Regrets, in Berlin (2 June 1991, The New York Times)
1990年のベルリンフィルの芸術監督選びの頃の事について。

"To be honest," he told me a year and a half ago, when Claudio Abbado's appointment was announced, "I never believed it was a serious proposition until they came to me very soon before the decision and said it was very probable that I would be chosen. I knew I couldn't refuse if it was offered, but it would have been hell for me. And I said to them, to be honest, I wouldn't have been the right man for the job. First of all, I'm just a bit too old, and second, I'm just not tough enough with all these commercial pressures which are so incredible now. It gets worse all the time. Is it compact disks which have given the record companies such strength?"

Some 18 months later, as he prepared to lead the Berlin Philharmonic to New York, Mr. Haitink conversed with me again in his room at the Royal Opera House. He seemed unusually relaxed and expansive, without the jumpiness and terseness that sometimes mark his public utterances. He talked quietly but firmly, often with passion, in an accent still tinged by his Dutch upbringing. About the Berlin choice, he said, he still had "no regrets at all."


In describing his own personality, Mr. Haitink said, "I am looking more to the past than to the future. That's my problem. But it is not nostalgia. I don't like the way the world is going, but then the world was always a very problematical place."

Is he, perhaps, too reasonable a man to be a conductor? "Ha! Really that's my disadvantage. I'm not tough. But I'm stubborn. That helps me when I step on the platform. That is my world. No telephone calls, nothing can disturb me. Then I am my own master. Those are my best moments, I think."

Master of the House (14 October 2000, The Guardian)

A Life in Concert With the Arts (11 March 2002, Los Angels Times)
"The danger now is that orchestras tend to sound like each other. Because maybe the CD, or the international thing. Let's face it. We all travel. Orchestras travel. That's a danger also for artists and for conductors. It's very important that one keeps one's own character."

Haitink's character, at least in conducting, has been called "undemonstrative." He is described as a leader who allows the music to speak for itself. He feels that what's on the page must be respected, but he says that's only the starting point.

He recalls great performances that were not exactly to the letter, he said. "Art is something of human beings, and it would be awful for all of us to do exactly the same thing. Music is such an elusive art. I conduct pieces that I have lived with my whole musical life. I'm grateful for that. It's wonderful to evolve with them. I never get bored."

An Eminently Rational Man In an Irrational Profession (10 March 2002, The New York Times)

Bernard Haitink: I love power without responsibility (4 September 2008, The Telegraph)
CSO首席指揮者就任の経緯についてのインタビュー。奥さまにDarlingと呼びかけるマエストロ。

Bernard Haitink garners appreciation from Chicago Symphony Orchestra, audience (7 September 2008, Chicago Tribune)

Bernard Haitink at 80: Maestro sets his sights firmly on the present (1 March 2009, Chicago tribune)
"I love Chicago because of the freedom of the programs I can conduct," the maestro recently observed. "There, I have free choice. The orchestra is always so well prepared. This has been a wonderful four years for me."

誕生日を憎むマエストロ(笑)

Bernard Haitink: 'Shostakovich was too great to be miserable' (6 October 2013, The Guardian)
"Shostakovich said he had been moved by our concert, and I was terribly moved that he had been so," he adds. What a fitting encounter: between the last great composer of his kind and the last maestro from that golden age of conducting still touring and performing.

※Encyclopedia: Benard Haitink

※Haitink On Brahms 3


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Season's Greetings from the Royal Opera House 2017

2017-12-19 19:13:50 | バレエ




今年もロイヤルオペラハウスより

最後にこのサイトからチケットを買ってから9年もたってるけど、まだアドレス削除されないのだなあ。
とはいえこのメールは年末の愉しみになっています(来るまでは忘れてるけど)。
あちらに色々観に行きたくなってしまって、ちょっと困りますけどね

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Mahler: Symphony No. 9 / Haitink · Berliner Philharmoniker

2017-12-16 22:45:32 | クラシック音楽

Mahler: Symphony No. 9 / Haitink · Berliner Philharmoniker



オランダの名指揮者、ベルナルド・ハイティンクが1961年にロイヤル・コンセルトヘボウ管の首席指揮者に就任した時、ヴィレム・メンゲルベルクに端を発するオランダのマーラー演奏の伝統は、ナチスの独裁時代と第2次世界大戦を経て色褪せたものとなっていました。「私の故国では1945年までマーラーの上演は禁止されていました。マーラー演奏の伝統はもはやなくなり、その音楽はまったく新しいものだったのです」とハイティンクは語ります。彼は就任当初からマーラーの作品を積極的に取り上げ、1960年代初頭からのマーラー・ルネッサンスに大きく貢献。マーラー指揮者としての名声を不動のものとしました。


そのハイティンクが今回マーラーの交響曲第9番を指揮しました。作曲家の死後に行われた初演以降、この交響曲が「告別」や「死」という概念と密接に結びつけられてきたのも故なきことではありません。この曲を指揮することは大きな挑戦だとハイティンクは語ります。「マーラーの演奏で重要なことは、デュナーミクの差を明確に付けることです。すべてをメゾフォルテでドロドロに似たおかゆのような状態になってしまってはいけません。かつてカラヤンは『一つの作品にクライマックスは一つしかない』と言いました。そこに行くまでに撃ちつくさないことが大事なのだと」。ハイティンクがマーラーの最高傑作に数えられる大作を指揮する今回の機会では、彼のこれまでの集大成ともいえる芸術的な成果が聴かれます。
(BERLINER PHILHARMONIKER DIGITAL CONCERT HALL)


演奏会とその予習以外では普段の生活でクラシック音楽を殆ど聴かないため、存在は知っていても登録したことはなかったベルリンフィルのネット配信サービス。でもハイティンクが「特別なときしか演奏してはいけない曲」と言っているマーラーの9番をベルリンフィルで指揮する(昨年からNYPやLSOなどでも振っていますが)。その演奏が聴きたくてググってみたら、プライムシートで無料で聴けるとは 収録は今月3日のもの。ベルリンにて。※現在はデジタルコンサートホールで有料視聴可

そして知りましたが(勉強しないもので)、この曲の初演ってマーラーの死後だったんですね。
1909年夏に作曲開始。1910年4月1日に総譜の清書が完了。1911年5月18日に死去。50歳。若いなあ・・・。

マーラー自身がこの時期に死の影に怯え、《9番》の完成直後にこの世を去っていることから、《9番》を「死」と関連づけるのは決して間違いではないのだが、この時期のマーラーは自らが指揮した《8番》 の初演を大成功に終わらせ、アメリカ合衆国にも招かれ旺盛な指揮活動を行っている。マーラーの活動の最盛期は実はこの時期であり、そんなエネルギーが充溢していた時期だからこそ、否定的な世界に立ち向かい音にすることが出来たのだとも言えるのだ。実際、マーラーは《10番》で、《9番》のさらにまだ先へ行こうとしているのだから。また、マーラーの作品に《9番》に限らず「死」を主要な主題としたものは数多くあるし、マーラー以外も、この時代の多くの芸術家は「死」を主題として多くの芸術作品を作り上げている。決して、《9番》はただ「死」の恐怖に怯えただけの作品ではない。
千葉フィルHP

この曲を生で聴いたのは昨年のヤンソンス×バイエルン放送響の1度だけで、そのときの演奏は一生心に残るような音楽体験の一つです。それはこのブログにも書きましたが、ヤンソンスから私達への、生きとし生けるすべての者への贈り物のように感じられました。
そして今回ハイティンク×ベルリンフィルの演奏を聴きながら、この曲と演奏は、マーラーとハイティンクから私達への贈り物なのだと強く感じたのでした。ハイティンクの指揮は本当に、不思議なほど作曲家の存在が体温をもって伝わってくるので、第一楽章から泣きそうになってしまって困った。するとすかさずハイティンクの「病院に行った方がいいですよ」という声が聞こえてくるという笑(from『マーラーを語る』)。今回のCD、出してほしいなあ。そしてこんな音楽を作れるなんてマーラーって本当にすごい才能をもった作曲家なのだなあということを改めて強く感じさせてもらえた演奏でした。

ハイティンクさん、やっぱりもう日本にはいらっしゃらないのかなあ・・・。そんな予感もしたから前回の日本ツアーの最終日に楽屋口でお見送りをしたのだけれど(私が指揮者の出待ちをしたのは後にも先にもあの時だけ)、もう一度、生で聴きたいなあ。あなたの指揮からしかもらえない音楽があるのです。
でも一方で、この演奏を地球の裏側からこうして聴くことができて、それを楽しめる心と体と環境が今の自分にあって、地球の裏側ではハイティンクが今も元気に指揮をしてくれていて、そのこと自体がすごく貴重で幸せなことなのだ、と感じます。

今年のクラシック鑑賞はシフのラストソナタシリーズから始まって、最後にこのマーラー第9番を聴いて。
人の一生は限られていて、死を逃れる人間は誰一人としていなくて、誰にもいつか必ず終わりは来るのだということははっきりとわかっていて、それは20代や30代の頃と違ってどんどん現実味を帯びてきています。
でも先月のブロムシュテットの演奏会でも感じられたように、今この瞬間、ブロムシュテットやハイティンクがこういう演奏をしてくれていて、それを私や私より歳が上の人達や若い人達が聴いて心を動かされている。それ自体がなによりも大切なことなのだと、教えてもらえた一年でした。
そして人間はその短い一生でこんなにも美しいものを生み出すことができるのだということ。それをこんなにも心動かされる演奏で伝えてくれる指揮者や奏者の人達がいること。そしてその美しさを受けとめられる心を持っている聴衆の人達がいること。そんなところに人間の美しさといっぱいの希望を感じさせてもらえた一年でもありました。

先ほどこの記事を書きながら日記を読み返していたら、ちょうど9年前の今日(12月16日)、アムステルダムに私はいたのだった。またすぐに行くこともあろうと思っていたのに、気付けば9年。ということはハイティンクを初めて聴いてから、9年(聴いたのはロンドンだけど)。
過去も未来ももちろん大切だけれど、なによりも今を大切に生きよう、と改めて感じた年の瀬の一日でした。

ハイティンクさん、ベルリンフィルの皆さん、素晴らしい演奏を本当にありがとう。
地球の裏側より、心からの感謝を込めて
来年6月のコンセルトヘボウとのマーラーも、ぜひお元気で振られますように。

※2011年のRCOとの演奏はこちらで、2016年のNYPとの演奏はこちらで聴けますよ~



アムステルダム中央駅。
ブリュッセルから真っ赤なタリスに乗って行きました。シートも真っ赤
この印象と、映像で見るコンセルトヘボウの赤い絨毯の階段と、東京文化会館でお見送りをしたときにハイティンクがしていた赤いマフラー(だったかな)とで、私のオランダのイメージカラーはすっかり


駅の壁も赤い煉瓦。
寒々しい光景でしょ笑 
でも私、ヨーロッパは冬の季節が一番好きなんです。



いい景色・・・(同意してくださる人はいるかしら


駅前のお店で買ったワッフル。帰りの列車の中にて

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ピエール=ロラン・エマール ピアノリサイタル @東京オペラシティ(12月6日)

2017-12-08 01:09:37 | クラシック音楽




11月の怒涛のオーケストラ月間のせいで楽器の音が恋しくなってしまい、たまたま前日にお安くチケットを譲っていただけることになったので、行ってきました。
普段クラシック音楽を殆ど聴かない&勉強もしない人間なのでエマールもメシアンも初めて聞く名前だったけれど、現代音楽(←ジャンルじゃなくそのままの意味)はマーラー室内管の武満やバルトーク、フレイレのヴィラ=ロボスやポゴレリッチのラヴェルを聴いてどれもとても楽しめたので、おそらくイケるはず・・・と。
軽く調べてみたら、メシアンという作曲家は鳥についての音楽を沢山書いていて、まるで中勘助みたい

しかしチケットを入手してから本日演奏される曲について改めてwikiってみたところ、そこには、、、

「演奏時間2時間を超える大曲であり

・・・・・2時間て・・・・・。
そんなの交響曲でも聴いたことないんですけど
ここでようやく最近ツイッターを賑わせていた読響の話題を思い出したのでありました。「修行のよう」とも評されていた2幕だけで2時間あるという『アッシジの聖フランチェスコ』の作曲家の名前がそういえば「メシアン」だった・・・。そうはいってもあちらは歌唱もオケもあるオペラ。こちらはピアノ1台で2時間超え・・・。
とりあえず数時間前にカフェでyoutubeからウォークマンに落とし込んだ演奏のさわりだけ聴いてみたところ(全曲聴く時間はもうなかった)、現代音楽だから覚悟はしてたけど、想像以上にメロディがない。予習なしで2時間、私は耐えられるのだろうか。とりあえず「神の主題」と「星と十字架の主題」だけは耳に覚えさせて(これは単純なメロディで助かった・・・)、いざ討ち入り

タケミツホールは、3月のシフのラスト・ソナタシリーズ以来です

【メシアン:幼子イエスにそそぐ20のまなざし(全曲)】
会場に着いて心からほっとしたことの一つ目は、入口でプログラムが配布されたこと。ちゃんと主題についての記載もある。よかった、、、これで自分が何曲目を聴いているか迷子にならないで済む、、、(そんなレベル)。二つ目は、第10曲と第11曲の間に休憩があること。よかった、、、、シフのリサイタルの緊張感アゲインにならなくて、、、、、。


結論から申しますと、前半55分、後半65分はあっという間でした。この倍の時間でも全然聴いていられる。やっぱり現代音楽って色んなイメージや感覚が自分の中で喚起されて、聴いていてとっても楽しい それにこういう標題音楽的なところもある曲って演奏に身を委ねきって聴けるのがいいですよねぇ。好きだなぁ。
一方で、音楽を聴く楽しみとは別のところで、「神」と「信仰」について考え続けることになった2時間でもありました。そういう意味で、単純な楽しみや感動とは違うものももらうことになったリサイタルでした。

前半。
周囲の環境が全く宜しくなくて(音ではなく匂い)、全く集中できなかったのです。実は同じことをこの曲をカフェでウォークマンで聴いていたときにも体験していて、この曲の神聖さが周囲の俗と全く溶け合わないことを興味深く感じたのでした。どんな俗なものも全てを許せてしまえるような精神状態になる舞台や演奏会を何度か経験したことがあるけれど、今回はその逆パターン。
メシアンは第二次大戦中にナチスドイツの捕虜収容所に収容された経験があって、そこで数多くのインスピレーションを得て作曲をしています。ユダヤ人の強制収容所より人間らしい扱いを受けていたであろうとはいえ、それでも私が客席で神経を散らされた原因などとは比べものにならない劣悪な環境を経験しているはずで。でもそんな彼が作った音楽を聴きながら、こういう些末なものに気が散っているこの状況はなんなのだろう、とか。神ってなんなのだろう、とか。そんなことをとりとめもなく考えながら聴いていました。

後半。
気が散っていた原因は、後半はほぼなくなり。集中して聴けた後半は、特に15曲「幼子イエスのくちずけ」以降は本当に素晴らしくて、エマールも渾身の演奏で、トリップ状態に近い感覚を感じることもありました。
しかしそうなればなるほど、どこか「外側」からこの曲の世界を見てしまっている自分がいました。「私の音楽」と感じることができないのです。
「求めよ、そうすれば与えられる。探せ、そうすれば見出す。たたけ、そうすれば開かれる。」
聴きながら、聖書のこの言葉が浮かびました。曲も演奏も、私を拒否してはいませんでした。目の前にあるその門を叩けば、全ての人をこの神は受け入れてくれる。それはわかっていました。でもそれはどうも私の門ではないような、キリスト教の門であるように私には感じられてしまったんです。私の神とは少し違うようなのです。そしてその「少し」が、私にはとても大きな壁に感じられたんです。
でもキリスト教の芸術すべてがそうなわけではなく、「私の音楽」と感じられるものもあるのです。例えば先月聴いたブラームスのドイツレクイエムやこれまで聴いたブルックナーなどがそうでした。この違いはなんなのか。純粋に「キリスト教」度の違いのような気もするし、そうじゃないような気もするし・・・。おそらく私が人生の中で「聖なるめまい」(fromプログラム)を経験したことがないからかもしれません。なぜなら私にとって神は人智を超えた存在ではあっても、神秘的な存在ではなく、いつでも自然に存在しているものだから。例えどん底の精神状態の中で奇跡のように感じられたときでも。
ただ確実に言えることは、例えばこの曲をより身近に、キリスト教徒でない私により近づけた演奏があったとして、それを聴けば「私の音楽」と感じられるだろうかというと、やっぱり違うと思うのです。今夜のエマールの演奏は、この曲にはこれ以上ない演奏だったと思います。温度も熱も神聖さもしっかりありました。

私は世の中のあらゆる神様というのは究極的には同じものだと思っていて、その考えには今も変わりはありません。しかし同じことをその前段階の「宗教」にも言えるのかというと…。素晴らしい曲で素晴らしい演奏であったがゆえに尚更、「宗教」と「信仰」と「芸術」の関係について考えないではいられなくなってしまったのです。シベリアの収容所で祖父が見たかもしれない神と、メシアンの見ていた神は同じものなのだろうか。私がメシアンの音楽を「真に」理解できることはあるのだろうか…。トゥーランガリラの解説などを読んでいるとメシアンって必ずしも宗教性が強いわけでもない作曲家のようなのだけど、、、、まぁこの曲は題名からして「幼子イエス~」ですしね

帰りの電車は、ブロムシュテットのドイツレクイエムを聴きながら帰りました。ほっとしている自分がいました。少なくとも今の私を救ってくれるのは、メシアンよりもブラームスを通した神のようです。でもメシアンの他の曲も聴いてみたいと強く思います。もう少しこの作曲家を知りたい。来年の都響のトゥーランガリラ交響曲、行こうかなあ

ところで、演奏途中(18曲目?)で高音の弦が一本切れたそうですね。演奏後に近くの席の方達がオペラグラスで確認しながら色々話していて、私は全然気づかなかったので、皆さんすごいなぁと思いました。
そもそも弦が切れても音って鳴るの?と帰宅してからyoutubeで弦の切れたピアノ演奏というものを聴いてみたところ、その音自体は一応鳴るのですね。というかこの気の抜けた音、昔うちのピアノでもなったわ!とン十年目にして原因を知った私でありました。親はもちろん知っていたでしょうが。

エマール:インタビュー
※オリヴィエ・メシアン:京都賞授賞式「信仰と音楽の人生」
※加古隆:メシアンについて

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