風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

NHK 『仕事学のすすめ』 姜尚中

2019-09-20 21:01:06 | テレビ



僕はこれからの時代は、自分らしさの価値を求めなきゃいけない時代だと思うんです。ビジネスも仕事も人間にとってはものすごく大切なことですね。しかし同時に家庭がある。そして仲間がいたり、地域でのボランティアもあるかもしれない。
ですから、どこかで凹んでいる部分は必ずどこかで相殺できると。そういうものを持っている人と、ほとんど会社やビジネスが100%の人では…言ってみればリスクヘッジできる可能性が違うわけですよね。
僕は自分が忙しくなった時に、ものすごく違う領域にいたいと思うわけですよね。それは趣味になるかもしれないし、あるいは社会的なボランティアになるかもしれない。ですから大切なことは、一つの領域だけに100%自分を預けない。その方がビジネスもうまくいくと。
もっと大切なことは「自分を知る」。自分を知る機会はどこに生まれるかというと、自分と全く違う人と出会うことだったり、異質なものと出会うことによって、自分が見えてくるんですね。その時初めて「自然に」って言葉があるけど…これは本来、仏教用語なのかな「じねんに」という言葉があるけど、「ああ、自分はこれぐらいなんだ」と。これは安く見積もることではなくて…「自分はこういう人間なんだ」ということを知らないで、理想と現実のギャップにたえず悩む人が多いので。

いろんな本を読んだ限りで言うと、やっぱり神経症的な人に共通していることは不安なんです。つまり自分はこの高みに達せられるだろうか、これは実現できるだろうか…人間の最大の悲劇は記憶を持っているということと未来を予測したがるということ。
その処方箋は「今とここで生きる」ということ。全く不確実な時代に生きていて、先を予測できない。でも「今とここ」を生きていることは間違いない。僕はそこに寄り添うしか…それはある意味では「ケセラセラ」かもしれないけれど。いま僕はそういう立場で、できる限りそういう生き方をしたいと思っているんですね。私たちは3月11日以降、社会には最悪のこともあり得る。あり得るけれども、「今とここ」を生きるということですね。


(姜尚中 NHK『仕事学のすすめ』 2012年5月度  第1回 )

姜さんは、”漱石に人生救ってもらったナカマ”です。
写真は120年前に漱石がロンドンでお散歩にいった公園の一つ、ハムステッド・ヒース。姜さんもきっと行かれたことがあるのではないかな

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『考える人 2016年夏号』 細野晴臣

2019-09-07 00:04:24 | 




 人間は本来、苔のような、自然と一体化した生活をしていた。消費しすぎることなく、環境を汚さない。かつてネイティブアメリカンは薬草を採りに野原に行き、草を採取するとき、草のリーダーに「これから採ります」と声に出して言ったという。そしてお礼に供物を捧げた。そこには必ず交換があり、採る量もその日に必要な分だけ。こうして自然が保たれてきた。
 日本でも縄文人はそれに近い生活をしていた。自然は豊かで、木の実や貝を食べて十分やっていけた。採取生活はどこでもできるから、諍いを避けるために移動した。でも農耕文化になると、土地を際限なく使って消費が膨らんだ。土地が大事だからそれをめぐる争いも増えたし、定住によって格差が生まれて今に至る。
 持続可能な世界とか声高にいうけれど、それはかつてあったもの。縄文時代にすでに行われていたこと。
 いまさら縄文時代に戻ることはできないけれど、人間は遺伝子のなかにそういう経験を持っている。だから憧れる。消費社会を見直そうという人がいる。生き方を変えようという人もいる。・・・

 いま人間が生活しているこの世界、宇宙――空気があって、その空気の成分が一定で、空気が震えて音が生まれるから聞くことができる。光は、目に見えない紫外線や赤外線を除いて七色あるから物が見える――こうした、人間を守ってくれている世界と環境。それがとても貴重なものという気持ちがぼくには強い。そこから自然への崇拝の気持ちも生まれる。自然を敬う気持ちからスタートしないと、人間は道を誤ると思うね。

(細野晴臣 苔にあこがれる)

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『考える人 2016年夏号』 養老孟司

2019-09-06 00:03:35 | 




これまでの科学は、「こうなったらああなる」という因果律で考えるばかりでしたが、そこで抜け落ちるのは、ものごとの間にある関係性です。海、山、川、そして里はそれぞれ個別にあるのではなく、お互いにつながっています。田んぼで育った稲が米になり、それを食べて私たちの身体はつくられる。それなら、田んぼは私たち自身です。海で育った魚を食べてそれが私たちの身体になるなら、海もまた、私たち自身なんです。それをぶつ切りにして別物だと考えるのは、言葉や意識です。たとえば道志村は横浜市の水源地になっている土地だから、なにかあったら、横浜が困るんです。岸由二さんが言う「流域思考」は、川の流域単位で土地を見る考え方ですが、いま都会の人たちは、自分がどこの水を飲んでいるか、近くの川がどこから流れてきているか、知っているでしょうか。環境問題や里山の意義について、誰もが「持続可能性」を当たり前のように理解して唱えているのに、一向に実現しないことは不思議です。

(養老孟司 森の残響を聴く)

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『考える人 2016年夏号』 石川直樹

2019-09-05 21:38:11 | 




 盲目の人々が列をなして、喜捨を待っている。片足のない男や、下半身のない男が手を差し出している。無数の蝋燭の火が揺らめいている。お香の煙が舞う。犬が四肢を伸ばして気持ちよさそうに寝ている。赤い袈裟を着た坊さんがゆっくりと歩いている。五体投地をしながら牛歩で進む女性がいる。

 そうした群衆のなかにまぎれて、ぼくもストゥーパのまわりを歩いた。ここでは歩くことが、祈りそのものである。歩き続けることは、祈り続けることである。旅の原型が巡礼にあるとすれば、ボダナートのストウーパのまわりを歩行するという身ぶりは、きわめて原初的な旅の形態をなぞっているということになるだろう。
 苦しくなったら、この無心の歩みを思い出せばいい。祈りの先にあるのは、登山の成功などではなく、その瞬間を生きることなのだ、とふと思う。

(石川直樹 いまヒマラヤに登ること)

谷川さんの特集以外にも良い記事がたくさん。
ちなみに写真はヒマラヤではなく北アルプスです^_^; 

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