風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ベルナルト・ハイティンク Bernard Haitink | 4 March 1929 - 21 October 2021

2021-10-22 22:55:42 | クラシック音楽


©BERNARD HAITINK IN 2018 (PHOTO: MILAGRO ELSTAK)


たったいまtwitterで、ハイティンクが21日にロンドンのご自宅で亡くなったことを知りました。

私が今のようにクラシック音楽を聴くようになったきっかけは、2008年のロンドンのプロムスでハイティンク指揮のシカゴ交響楽団の演奏に出会ったからでした。
あの夜あれほど感動していなかったら、クラシック音楽を聴き続けることもなく、その美しさも楽しさも知ることはなく、クラシック音楽から人生の励ましをもらえることもなかったと断言できます。
あれから川崎と東京でロンドン交響楽団との来日公演、アムステルダムでコンセルトヘボウ管弦楽団との公演も聴くことができたことは本当に幸せでした。ハイティンクが生み出す音楽が大好きでした。それらの音は、今も消えることなく私の耳に残っています。
他に代わりのいない、私にとって特別な指揮者でした。
今はまだ言葉がありませんが、ご冥福をお祈りします。


【追記】

※ハイティンクは今月もウィグモアホールで行われたコンセルトヘボウの奏者達が演奏する演奏会を訪れて、奏者達を驚かせていたそうです(slipped disc)。これが事実なら、最後の最後までお元気で演奏会に通うことができていたことは、よかったなと思います。また引退後の生活についてハイティンクはセミョーン・ビシュコフに宛ててこんな風に書いていたそうです。'My own empty days since I stopped conducting seem to fill up surprisingly easily, there is always something to read or hear. I am indulging my passion for Beethoven quartets at the moment, the scores of late ones seem as complicated as Mahler 7 to me sometimes.The more I look at these things, the more I realise that I don't know anything.' (slipped discハイティンクはスコアを読むことが大好きだと昔から仰っていましたものね。

こちらはロンドン響による追悼文です。ラトルが心のこもった長いコメントを寄せています。ラトルは最初はピアニストとしてハイティンクと出会っていたんですね。1975年というとラトルは20歳前後。二人は仲が良かったから、寂しいだろうな…。"I found him warm and encouraging from the first moment on, and although I tried not to bother him, if I needed advice or was in a crisis, he was always there, generous with time, wisdom and empathy. I owe him more than I can put into words: he was a famously difficult man to thank or congratulate, the lack of fuss once more. But I think, however unwillingly, he must have sensed the love and gratitude around him."。ラトルはベルリンフィルで苦しんでいた時もハイティンクに相談にのってもらっていたのだろうと想像する。ロンドン響に移るときもそうだったと言っていた。ハイティンクが騒々しい感謝や祝福を受けるのが苦手な人だったというのは、数々のインタビューからわかります。ウィーンフィルとの長い付き合いにも関わらずニューイヤーコンサートを一度も指揮しなかったのも、似た理由だったのではないかなと私は想像しています(指揮者が主役のようになる場が嫌だったのだろうと)。ラトルは"a giant full of humility"と表現していますが、常に音楽の下に自分を置くハイティンクのこの美質をラトルがこよなく愛していたことがわかる(そしてラトルもそういう音楽家だとツィメルマンがインタビューで言っていました)。
コメントではハイティンクの音楽作りの素晴らしさについても話されています(これもラトルは昔から繰り返し話してくれていました)。"Without fuss, and utterly without drawing attention to himself, he created a place where everyone could give their best, and normal problems of ensemble or balance simply vanished. "。第二ヴァイオリンのDavid Albermanさんは"The result was apparently effortless but powerfully moving music, and a strong feeling that he enjoyed making us into the best musicians we could be. We enjoyed it too!"と仰っています。
”the world seems a smaller and less generous place this morning.”。ラトルが感じている喪失感とは比べ物にならないと思いますが、私も同じ気持ちです…。

こちらは、ベルリンフィルからの追悼文です。
“For us as the Berliner Philharmoniker, Bernard Haitink was more than a highly esteemed conductor – he was a friend and companion through many decades of making music together,” recall Knut Weber and Stefan Dohr, orchestra board members of the Berliner Philharmoniker. “When he made his Philharmoniker debut in March 1964, he was just 35 years old and at the beginning of a global career. In the decades that followed, Bernard Haitink was a constant in our lives. He always impressed and inspired us with his qualities – his great craftsmanship, his perfect knowledge of the score, his warm, noble bearing. In his approach to music-making, the free flow of the music was always his ideal. We are very grateful that we were able to perform Anton Bruckner’s Seventh Symphony with him one last time in May 2019. We are deeply saddened by the loss of a great conductor and close friend.”
「ベルリンフィルにとってハイティンクは、高く評価されている指揮者という以上の存在でした。彼は数十年の間共に音楽を作ってきた友であり、仲間でした」と。そして"The mutual admiration between orchestra and conductor was obvious."と。ベルリンフィルとの結びつきは強く、ハイティンクもこの楽団を愛し、奏者達からも深く愛された指揮者でした。
ベルリンフィルを最後に指揮したのは2019年5月のブルックナーの7番。ウィーンフィルとの最後のコンサートも、オランダ放送フィルとの最後のアムステルダムでのコンサートもブルックナー7番でした。私もロンドン響との同曲の演奏を川崎で聴きましたが、忘れられない演奏です。
ベルリンフィルはハイティンクを"Specialist in Brahms, Bruckner and Mahler"だったと。あの最後の日本ツアーはその3人の曲をもってきてくださったのだな…(ご本人も最後のおつもりだったことは当時のインタビューからわかります)。

※コンセルトヘボウ管からの追悼映像。
Bernard Haitink | 4 March 1929 - 21 October 2021

2018年12月16日のブルックナー6番の演奏。コンセルトヘボウ管を最後に指揮したのは、2019年1月だったとのこと。
こちらはコンセルトヘボウ管からの追悼文です。

※コンセルトヘボウホールというか管理部門?からの追悼映像。
In memoriam Bernard Haitink (1929-2021)

手から指揮棒が落ちる最後の映像は、1987年12月のクリスマスマチネのマーラー9番のときのものですね。大好きな演奏ですが、このときには既にコンセルトヘボウとハイティンクの間の溝は決定的なものになっていたと聞く…。その後もハイティンクとコンセルトヘボウは愛憎入り混じる関係が続いたけれど、ハイティンクが指揮するコンセルトヘボウ管が生み出す音は比類ない唯一無二の音だったと思います。ガッティ騒動のときにウィーンフィルの指揮をキャンセルしてまでこの楽団を助けてあげていたのは本当に面倒見のいい人なのだなあと感じたし、彼にとってやはり特別な楽団だったのだろうと思う(そもそも奏者達とではなく経営陣との間の溝だったようですが…)。

こちらは、シカゴ響からの追悼文です。
CSOとのショスタコーヴィチ4番が2008年のグラミー賞を受賞していたことは知りませんでした。私が2008年のプロムスで聴いたときのメインプロがこの曲でした(前半はペライアとのモーツァルトP協24番)。あれから13年か…。

※カヴァコスのinstagramより。ルツェルンでのウィーンフィルとの最後の演奏会、カヴァコスも客席に?いたんですね。愛情溢れる追悼文です…。



ネットで拾ったハイティンク関連記事
以前私が作った記事です。ハイティンクの過去のインタビューを纏めてありますので、ご興味のある方はぜひ。ハイティンクの人柄や音楽に対する想いを感じることができます。



初めてクラシック音楽の素晴らしさを知った2008年9月9日のロイヤル・アルバート・ホール。あの夜のBBCのラジオ放送を録音したものは、今も繰り返し数え切れないほど聞いています。

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カヴァコス・プロジェクト2021 ブラームス ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会 @東京オペラシティ(10月20日)

2021-10-22 04:26:46 | クラシック音楽




というわけで、東京芸術劇場でのヴァイオリン協奏曲に続き、東京オペラシティでのブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会に行ってまいりました。今年のカヴァコスはブラームス尽くし
このカヴァコス・プロジェクト。昨年に第一弾としてベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会が予定されていましたが、コロナ禍で流れてしまいました。聴きたかった…。来年は第二弾としてバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会が紀尾井ホールで予定されているそうです。
今日のロビーはヴァイオリンケースを背負った男女や子供達で溢れていました。音大生さん?と初めは思ったけれど、N響などのプロの楽団の奏者さん達も多かったようです。以前行ったムローヴァのリサイタルはこうではなかったので、カヴァコスはマニアというか同業者に人気があるのでしょうか

【ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 op.78「雨の歌」】
あらためて。
カヴァコスの弾くブラームスの音が好きすぎる。。。。。。。。。。。
言葉で説明しにくいけれど、自己陶酔系や自己顕示系ではない真っ直ぐで誠実な、でもしっかり熱は帯びていてスケールの大きな、蔭も明るさもある温かで深みのある音。こういう音のブラームスがものすごく好み。
ただ、youtubeで聴いていたユジャ・ワンとの共演の第1番のカヴァコスの伸びやかな演奏が私はとても好きで、その音色は今日の演奏でも同じではあったのだけど、この第1番の段階ではまだピアノの萩原麻未さんとの距離がしっくりしていなかったというか、熱が温まりきっていなかったように感じられました。

【ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 op.100】
この2番からは、お二人の音がノってきたように感じました。
いやあ、いいねえカヴァコスの2番!!
印象的な1番と3番の間に挟まれた綺麗な佳作程度にしか思っていなかった2番だけど、今日の萩原さんとのお二人の演奏を生で聴いて、2番がこんな名曲だったとは!!と耳から鱗でした。
3曲の中ではブラームスの最も幸福な気分が反映されている平和で明朗なこの曲。もともと私はブラームスがその音楽の中で時々垣間見せる外見に似合わない愛らしさが大好きなんですが、三曲のうちでそれが一番感じられるのもこの2番。外見に似合わない愛らしさというとカヴァコスにも通じますよね(←失礼)。特にブロムさんと一緒のときのカヴァコスはとっても可愛い(見てこの写真!)
1楽章の伸びやかな美音。。。。。
2楽章のヴァイオリンとピアノの掛け合い、楽しかったなあ。雨の歌より雨の音っぽいこの2楽章、大好き。カヴァコスの音も情熱的なところはしっかり情熱的だし。素晴らしかったなあ。。。。。美しかったなあ。。。。。
3楽章も長調の中に時々あらわれる短調の音色の切なさが素晴らしい。カヴァコスは長調もちゃんと明るい音色なんですよね。でも深みもあって。
ああ、耳福だ。。。。。ありがとうカヴァコス、ありがとう萩原さん。

(20分間の休憩)

【ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 op.108】
この頃にはすっかりお二人の息も合って。萩原さんのピアノは主張は控えめだけどブラームスらしい飾らなさでパワーもちゃんとあり、私は嫌いじゃないです。カヴァコスの音の個性とも合っていたように思う。
一般的に、3曲の中ではこの3番が一番成熟した曲といわれているのではないでしょうか。私も名曲だと思う。
しかし2番の直後に作曲されたこの曲。幸福で明朗な2番から後年のブラームスらしい諦念を含んだ美しさへの移り変わりが、今日は聴いていてすごく切なかったな。季節が夏から秋へと移っていくような…。諦念と、そんな自分を鼓舞しようとする気持ちと…。
予習で聴いていたときはこれほどには感じなかったのだけど、こうして生で素晴らしい演奏で2番と3番を続けて聴くと、当時のブラームスの心の内が迫ってくるようで、胸が苦しくなりました。
2番と3番でブラームスの曲想がこれほど変化した理由として言われているのが、二曲の間に起きた親しい友人の死。
なんか自分に重ねてしまい、聴いていて辛かった。
後で気づきましたが、そういえば友人が亡くなるほんの四か月前に、すぐ近くの席でカヴァコスのヴァイオリンを聴いたのだった。
カヴァコスは現在53歳なので、ブラームスがこの曲を作曲したときと同年齢なんですね。

【ヴァイオリン・ソナタ イ短調 「F.A.E.ソナタ」 - 第3楽章 スケルツォ ハ短調 WoO 2(アンコール)】
このアンコールの演奏、もっのすごくカッコよかったですね!!!
私この曲を知らなくて、「誰の曲だろう。普通に考えたらブラームスよね。ブラームスぽい曲だし」と思いながら聴いていて、帰宅してから「F.A.Eソナタ」という1853年に作曲された曲だと知りました。以下、wikipediaより。
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F.A.E.ソナタ(Sonate F.A.E. [Frei aber einsam])は、1853年にドイツの作曲家であるロベルト・シューマンが友人アルベルト・ディートリヒとヨハネス・ブラームスとともに作曲したヴァイオリンソナタ。3人の共通の友人であるヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムに献呈された。1935年出版。曲名のF.A.E.とはヨアヒムのモットーである「自由だが孤独に」(Frei aber einsam)の頭文字をとったものである。ドイツ音名のF・A・Eはそれぞれイタリア音名のファ・ラ・ミに対応し、この音列が曲の重要なモチーフとなっている。
ちなみにブラームスは、ヨアヒムのモットーに対応する「自由だが楽しく」(Frei aber froh)をモットーとしており、この略に対応するF-As-Fの音列を交響曲第3番で用いている。
初演は1853年10月28日にシューマン邸で、ヨアヒムとクララ・シューマンによって行われたと推測されている。
現在では、ブラームス作曲のスケルツォがたまに演奏されるだけで、全曲演奏の機会はほとんどない。
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へ~
個性の強い音楽家達が一緒に一つの曲を作ることなんて可能なのだろうかと思ったら、第一楽章はディートリヒ、第二楽章と第四楽章はシューマン、第三楽章がブラームス作曲なんですね。
ブラームスが「自由だが楽しく」(Frei aber froh)をモットーとしていたとは意外でした。1953年というとブラームスがシューマン邸を初めて訪れた20歳のときですね。9月30日に出会って10月28日にはこの曲を初演してるって、、、天才か、、、。若いブラームスの気合の入りようが伝わってきて、微笑ましくなる曲ですね。アンコールでこの曲を聴けて、私も救われた気分になりました。人生って最後だけに意味があるのではなく、その人が生きた全ての時間の集合体なのだと改めて感じます。





カヴァコスのインスタより。絵文字可愛い
日本のホールと聴衆をそんなに愛してくださって嬉しいな


ギリシャ大使夫妻もいらしていたようです。

Leonidas Kavakos & Yuja Wang play Brahms - Scherzo from FAE Sonata

ユジャ・ワンとのF.A.E.ソナタ。
しかしこの録音はヴァイオリンの音が小さくしか拾われていなくてもったいないな。生で聴くとヴァイオリンの音がものすごくカッコイイのに。ユジャ・ワンのピアノはさすがですね。彼女、こういう曲が似合う。

何度も紹介していますが、アンサイクロペディアの「ヨハネス・ブラームス」の記事がめっちゃ秀逸なので冗談のわかる人は見て!

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NHK交響楽団 第1939回定期公演 Aプロ @東京芸術劇場(10月17日)

2021-10-18 20:12:27 | クラシック音楽


ヘルベルト・ブロムシュテットが初めてN響を指揮したのは1981年11月。以来ちょうど40年、ほぼ毎年のように共演を積み重ねてきた。昨年は来日が叶わなかったが、マエストロと私たちの深い絆はいささかも緩むことがない。今回の3種類のプログラムは、すべて北欧とドイツ・中欧の作品を組み合わせたものである。70年近くにわたり、これらの地域を主舞台に活躍してきた巨匠の指揮者人生、芸術のエッセンスが凝縮されている。

《池袋Aプログラム》のレオニダス・カヴァコスは現代最高峰のヴァイオリニスト。磨き抜かれた音色やフレージング、構築力、時には粗野にもなれる実験精神など、どこを取っても間然する所がない。厚い信頼関係で結ばれたマエストロのサポートを得て、ブラームス《ヴァイオリン協奏曲》は、シーズン屈指の好演となる予感大である。ブロムシュテットとN響は、ニルセン《交響曲第5番》を20年前にも演奏した。当時「注目されない曲に敢えて“布教精神”で挑む」と語っていたマエストロ。その熱意が実り、ニルセンは我々のスタンダード・レパートリーになりつつある。《第5番》には作曲家が敬愛したブラームスの楽想が見え隠れするが、表現のユニークさ・インパクトの強さは、マーラーやショスタコーヴィチにも匹敵する。この曲を愛してやまない巨匠が、限りない共感を込めて贈る。
企画担当者による「2021年10月定期公演」の聴きどころ・西川彰一(NHK交響楽団 演奏制作部長))


N響の定期Aプロ2日目に行ってきました。
ブロムシュテット&N響を聴くのは2019年の秋以来2年ぶり。前回来日されたときに「次回は93歳か…。とても聴きたいけれどご無理はされないで…」と思っていたら昨年の来日はコロナ禍でキャンセルとなり、そして今回94歳でお元気に来日。杖なしでスタスタと歩かれ、椅子なしで指揮。そして老いや弛緩とは無縁の音。やはりベジタリアンでいらっしゃることと現役の音楽生活が秘訣だろうか
それにしても。

いい演奏会だったなあ。。。。。。。

チケット発売日にPCの前で待ち構えて購入した今日のプログラム。ワタシ的には今回のブロムさんの公演で一つを選ぶなら絶対にこれ!だったのだけど。世の中の売れ行き的には一番不人気だったようで、長く売れ残っていた(最終的には他の公演同様にソールドアウトになったけども)。なぜなんだ。ブロムさん&カヴァコスのブラームスVn協って物凄いのよ!?しかもブロムさんのニールセンがメインプロよ!?

【ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77】
コロナ対策でブロムさん&カヴァコスは管の後、弦の前(だっけ?)にステージにご登場。客席から万雷の拍手で迎えられながら、ご本人達はオケの奏者達に向かって拍手。相変わらず謙虚な方達だなあ
そして東京芸術劇場の華美でない音響はきっとブラームスに合っているはずと思っていたら、予想どおり。

いやあ、美しかった。。。。。。

ブロムさん&カヴァコスのこの曲の演奏は2017年にみなとみらいホールで聴いていて、後半のシューベルトも含めてあの日のブロムシュテット&カヴァコス&ゲブァントハウス管の演奏は今でも私の中でベスト3に入っている演奏会です。
でも今日の演奏も素晴らしかったなあ。。。。。。改めてカヴァコスのブラームスの音が好きすぎる。清潔感と誠実さと力強さと情熱と陰影と温かみと美しさ…。ホールにふわぁっと作曲家の”心”が広がるような感覚は生演奏ならではだよね。あまりの素晴らしさに興奮しながらも、泣きそうになってしまったよ…。
N響もゲヴァントハウス管のTheドイツ、Theブラームスという音とは全く違うし全体的に控えめではあったけれど、丁寧さと高い集中力と熱と温かみを感じる演奏が素晴らしかった。
第一楽章の第二主題、美しかった。。。。。
第二楽章の終盤はペルチャッハの夕映えが見えた。。。。。
第三楽章。終わってほしくない!と心底思ってもブロムさん&オケはグイグイ進む。と思っていたら、カヴァコスこそがノリノリなのだった
温かく、美しく、愛に溢れて、かつ厳しく凛とした澄んだ空気。
甘えたことを言っていないでしっかり生きなきゃ、と感じさせられました。
ブロムさんとカヴァコスに感謝だな…。
大好きな大好きなブロムさん&カヴァコスのブラームスのVn協奏曲。再び聴ける機会はあるだろうか…。おそらくないだろうな…と思いながら、大切に拝聴しました。でも実際は演奏のあまりの素晴らしさに、最初から最後まで息を止めて聴き入ってしまいました。

【J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番 「ルール」(Vnアンコール)】
しっとりと美しかった…。ブラームスのVn協奏曲も、この曲も、後半のニールセンも、みんな一曲の中に陰と陽を感じさせる音楽だな、と感じました。
コロナ対策のためブロムさんも退場せずに指揮台の上からカヴァコスの演奏を聴かれていました。ブラームスのカデンツァも、このアンコールも、体ごとカヴァコスに向き直ってじっとその演奏に耳を傾けるブロムさん。カヴァコスはこの演奏をブロムさんに向けて弾いているようにも見えました。演奏後のブロムさんはとても嬉しそうで。ゲヴァントハウス管との来日のときにも感じたけれど、ブロムさんはきっとカヴァコスの演奏が大好きなんだろうな

(20分間の休憩)

【ニルセン:交響曲 第5番 作品50】
ニールセンが副題を名づけなかった2曲の交響曲のうちの一つで、第一次世界大戦終結の2年後、1920年の秋から書き始められた曲。ラトルは「第4番より第5番のほうがニールセンの戦争交響曲にふさわしい」と述べているそうです(wikipedia)。
この日ブラームス、バッハ、そしてこのニールセンを聴いて、陰と陽、善と悪、破壊と創造、明と暗、光と影、そのどちらも内に持っているのが人間の本来の姿なのだろうな、とそんな風に感じました。
そんな人間が作っているのがこの社会であり世界であるなら、影が完全になくなり光だけが支配する日がいつの日か訪れるのではなく、その両方が同時に存在するのが自然な姿なのだろう、とそんな風に感じたのでした。破壊があり創造がある。その繰り返しがこの世界なのだろう、と。そんなどうしようもない世界の中で、自分の中の闇に抗い光を消さないようにすること、一人一人の辛く悲しい思いが少しでも少なくなる状態の世界を目指すことがきっと大切なんだ、と。この曲に統一された調性がないのも、そう感じた理由かもしれません。
しかしそれは私が今日の演奏からそう感じたというだけで、ニールセンがどういう意図で作曲したのか、ブロムさんがどういう意図で指揮していたのかはわかりません。キリスト教徒のブロムさんの感覚では違うかもしれないとも思う。

奏者の方のtwitter情報によると(オリジナルは下に貼っておきます)、ブロムさんはリハーサルで第一楽章について「ごく日常的で平凡なマーチが、いつしか戦争の恐ろしいマーチに変わるのだ」と仰っていたそうです。第二次世界大戦の終結時にブロムさんが18歳だったことを思うと、実感を伴った重い言葉だな…。この曲の中の容赦ない邪悪さがじわじわと世界を支配していく空気、恐ろしかった…。
一楽章ラストのクラリネットのソロ(松本さん?)、いい音だったなあ。N響のクラリネットの音は、いつも好みです。このソロはブロムさんによると「たった1人の生き残りが、我々に物語を伝えている」とのこと。
しかしこの曲は本当に独特ですね。ショスタコーヴィチとブラームスとヤナーチェクを混ぜたようなところにプラスされる、北欧の作曲家らしい清廉とした空気。
金管の音で正義が表現されるのは割とお約束だけど、小太鼓のテンポを他の楽器とずらして闘いを表現するのは面白いなあ!こういう手法ってよくあるのだろうか。私は初めて聴く気がする。
ブロムさん曰く「1楽章に比べて2楽章のコーダは短いので、難しく感じている」と。そのせいなのか今日の演奏がたまたまなのかはわからないけれど最後の和音も「大・勝・利!!!」という風にスカッと気分爽快に全てが解決されるのではなく、これはひとまずの勝利なのだと感じさせられるような、どこか心の中に後を引いて残る感じで、それゆえの独特の響きの美しさと余韻が印象的でした。予習のときは第一楽章だけで終わった方が名曲になったんじゃ?と感じたこの曲ですが、今日の演奏を聴いてやはり第二楽章は必要だ、と感じました。そして今ふと思ったけれど、この曲を聴き終えたときにこれで全て解決!もうすっかり安心!とは感じられず、闘いは終わったはずなのにこの先も再び不安は訪れるのだろうと感じるのは、第一楽章のラストの後にこの第二楽章が続いているのも理由かもしれない。
そしてこんなに難解そうな曲なのに、ブロムさんの指揮で聴くと、全ての音に意味を感じる。ちゃんと一つの交響曲に聴こえる。さすがは十八番。
演奏機会の少ない曲だそうなので、ブロムさんの指揮で聴けてよかったな。ブロムさんはこの曲をとても愛されているそうで、今回はブロムさんたっての希望でプログラムに取り上げられたとのこと。確かにyoutubeを検索すると色々な楽団との過去の演奏が出てくる。ブロムさんの個性を思うと少し意外な気がするけれど、傷跡を引きずりながらなお光を求めるような、そういう感じにブロムさんは惹かれておられるのかもしれない。暴力と恐怖で心も体もぼろぼろに傷ついて。それでも光の方へ行こうとする、倒れても再び立ち上がる力。そういう人間の、世界の逞しさ、美しさ。それはイエスキリストの姿にも似ているといえるかもしれません。
「私は身体的にも精神的にも痛みは大嫌いだ、しかし音楽の中の痛みは美しい。戦いも美しい」とはブロムさんの言。
私が聴いたのは二日目ですが、一日目の演奏はクラシック音楽館で11月21日に放送予定だそうです。
そうそう、ニールセンの五番を東京芸術劇場で演奏したのは正解だったと思う。響きの豊かなサントリーホールでは絶対に音の団子になっていたと思う
あと一楽章の最後、小太鼓はちゃんと舞台裏に行って遠ざかっていっていた(覚書)。




©N響twitter


カヴァコスのインスタより。可愛らしい53歳と94歳


※11月21日追記



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金木犀の香りと誕生日

2021-10-03 23:42:29 | 日々いろいろ

金木犀が今年も香っていますね。
毎年この季節に香るのに「そろそろ香る頃だな」と思ったことは殆どなくて、いつもある日ふと香ってきて初めて「ああ、その季節か」と気付きます。
梅や桜は「そろそろ咲く頃だな」と思うのに、金木犀の場合は思わないのはなぜだろう。
花の姿よりも香りを先に感じる植物だからでしょうか。
この季節は夏の激しい暑さが落ち着き体がほっとして、エアコンも不要で、夜に窓から秋の虫の声と金木犀の香りが静かに入ってきて。お風呂上りにタオルケットとその上に足した羽根布団にぱふんっとくるまると、とても幸せな気持ちになる
そんな今の季節は、一年で最も好きな季節です。

私、もうすぐ誕生日なんですよ。あと四日後(と、いま気付いた)。
誕生日を楽しみに感じたり嬉しく感じることって昔からあまりないし今は猶更ですが、必ずこの季節に香ってくれる金木犀のおかげで、なんとなく無条件に自分の存在を祝福してもらえているというか、この世界に受け入れてもらえているような気持ちになることができています。そして自分もこういう優しい香りをもつ世界の一部なのだと、そういう世界から生まれたんだと思うと、少し自分の存在に自信をもつことができます。

私の金木犀好きを知っている友人が、今年は金木犀の香りグッズがいっぱい売っているからソニプラとか見てみて!とLINEで教えてくれました(どうでもいいですがソニプラって今はただのプラザに名前が変わったんですね。そういえばそんなニュースを前に読んだような)。近所にプラザがないのでロフトに行ってみたら、確かに色々売っていました。バスソルトとかボディクリームとかパフュームとか。金木犀の香りグッズ、最近はレベルが上がって嬉しい。トイレの芳香剤の香りと蔑まれていた時代が嘘のよう 

それにしても、私も結構長くこの世界に生きてきたなあ。12歳のときに、あとこの6〜7倍生きるのか、とふと思ったことを覚えています。シチュエーションも覚えている。そのとき住んでいた家の庭でした。45年生きてくるとちょっと疲れたし飽きてきた気もしなくもないけれど、でもやっぱりまださよならをしたいという風には思わないんですよね。まだ行きたい場所も見たいものもある。もうちょっとだけここにいようと、そう思わせてくれる金木犀でした。
金木犀の開花期間って、短いんですよね。ほんの一週間ほどだそうです。でも毎年必ず私の誕生日には咲いていてくれます。もちろん私にだけじゃなく、みんなに平等に。お金のある人にもない人にも、幸福な人にも悲しい人にも寂しい人にも、健康な人にも病気の人にも、同じように香りを届けてくれる。そんな自然の大きさにいつも救われます。



今日は上野動物園に行ってきました。
年間パスポートが切れていたので再購入しました(それでも一年近く延長してくれていた)。年間パスポートが2400円って、お得ですよねえ。ディズニーランドの一日券の4分の1の値段だもの。
上の写真は、ウタイとアルンです。アルン、泥水で遊んで楽しそうだった


シャンシャンは今は撮影禁止なので、最新のズーネット公式映像より(シャンシャンは3:50~)。ふふ、みんな可愛い
今日のシャンシャンは、一周目は幸せそうに夕ご飯を食べていて、二周目は木のベッドの上でスヤスヤ笑顔で眠っていました。遅い時間だったので、両方室内です。中国に還っても幸せでいてほしいと、心から心から思います。
こんなに私達人間の心を癒してくれる動物達には本当に感謝だし、彼らから学ぶことはとても多い。
そして膨大な宇宙の時間の中で、ほんの短い彼らの時間と私の時間を交じり合わせてくれた神様に感謝します。

★★★豆知識★★★
日本の金木犀が染井吉野と同じく全て同一の遺伝子をもつクローンだって、知ってました??私は先ほど知りました。同じ気候条件の下で金木犀が一斉に香るのは、そういう理由だそうです。

★★★コンフィデンスマンjp★★★
まだ観ていなかったプリンセス編をようやく観ました。最後のエンドクレジット、竹内さんも三浦さんもすごくいい笑顔だった。。。改めてご冥福をお祈りします。

★★★誕生日★★★
誕生日は一つ歳を重ねる日ではなく、その歳まで生きてこられたことに感謝する日なのだという考え方を聞いたことがあります。私はこの世界に生まれてくることや生きていることがイコール幸福だとは考えていない人間だけれど、この誕生日の考え方は悪くないな、と思います。

Comments (2)
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