風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

東京都交響楽団 「トゥーランガリラ交響曲」 @東京芸術劇場(1月20日)

2018-01-21 17:16:50 | クラシック音楽



『ミュライユ:告別の鐘と微笑み~オリヴィエ・メシアンの追憶に(1992)』(ピアノ・ソロ) *
『メシアン:トゥーランガリラ交響曲』 **
指揮/大野和士
ピアノ/ヤン・ミヒールス */**
オンドマルトノ/原田 節 **

昨年のエマールの『幼子イエス~』からのメシアン繋がりで行ってみました。
大野さんも都響も、聴くのは初めて。
国内オケの演奏会は、ノットさん×東響、ノヴァックさん×ニューシティ、飯守さん×読響に続いて4回目です。
前日に仕事でずど~~~~~~~~~~~んと自己嫌悪の底に陥ってしまうことがあり、演奏会を楽しめる気分じゃなかったのですが、家にいてもぐるぐる考えてしまうだけだし、どうせ月曜にならないと事態は進展しないしで、こんなときこそ音楽!と行ってきました。

私は永遠のクラシック超初心者なので、この曲を生で聴くのは初めて。前夜にサロネン×フィルハーモニアで軽く予習し、全体の構造とメインのテーマ旋律だけは頭に入れていざ参戦。
今回はお安くチケットを譲っていただき、席は最前列中央でした。音はまっすぐ直撃ではなく、頭上を越えていく感じ。でも臨場感は申し分なく、楽しかったです!

【メシアン:トゥーランガリラ交響曲】
いつものことですけど、生で聴かないとわからないことがありますねえ。
録音で耳だけで聴いたときにはこの音ってなんの楽器なんだろう?と思ってたことが、ああこの楽器だったのか、とか。弦でさえ古典等とは全く違う音色に聴こえて面白い。
そしてオンドマルトノ 当然なんですけど、ほんとにスピーカーから音が出てる笑(スピーカーの真ん前の席の人はちょっときつかったのではないかな)。この音、他の普通の楽器と一緒に演奏されると、その異質感がすっ
ごく楽しい。寄り添ったり、離れたり。録音で聴くよりも生で聴く方がずっとその魅力がわかりますね。なんて効果的で豊かな音でしょう!あんな不思議ちゃんな音なのに笑、人間の温かみや意思も感じられて。メシアンによると第10曲のこの響きは「来世からの声」を象徴するんですって(プログラム)。右からこのオンドマルトノの音がヒョワ~~~ンと、左からはチェレスタの音がキラキラキラキラっと聴こえてきて、クラシック演奏会じゃないみたい

今回の演奏会、クラシックファンの皆さんの感想を読んでいると概ね好意的なようですが、「濃密な官能や猥雑さが感じられなかった」という感想も多いようです。
私はというと、予習で聴いたサロネンの録音もそういう感じは強くなかったので、そういう部分を強調したこの曲の演奏というものが実はあまり想像できていないのですが、確かにどろどろした濃密さはなかったけれど、これはこれでいいのでは、と感じたのでした。
不穏さや雑味を含まない不協和音の美しさって、今回初めて知った気がします。協和音って一つの音のように混じり合うけど、不協和音って絶対に最後まで混じり合うことはないじゃないですか。その混じり合うことのないはずのものが、まっすぐそのままで、清らかに美しく透明感さえ伴って聴こえる感じって、すごく魅力的。聴きながらその音が見えるあたりの上空を仰いで陶然としてしまいました(席位置が低いので笑)。その音からは愛と喜びの美しいエネルギーをいっぱいに浴びさせていただいたような気がします。愛というエネルギーがもたらすこの宇宙の調和と安定。メシアンの目が見ていたのはこういうものだったのかな、と聴きながら思いました。ていうか、都響って上手いんですね(初心者がえらそうにすみません)。力任せじゃない丁寧な演奏のおかげで、この曲の美しさや優しさが伝わってきたように思います。確かに濃密さや官能は足りなかった気がしますが、それと引き換えの美しさはいっぱいに感じることができました。フィナーレの最強音があれだけ美しく聴こえたのは、今まで聴いたことのある日本のオケの中で初めてだった。

ピアノのねっとりしていないけど熱い硬質さも、今日の都響の音にとてもよく合っていたように感じられました。違うタイプのピアノだとどういう感じになるのかもちょっと興味ありますが。
しかしベルギーのピアニストのヤン・ミヒールス(Jan Michiels)さん。鼻息?うなり?が大きくて。風邪気味だったのかしら。トゥーランガリラではオケに紛れて気にならなかったけど、最初のピアノソロのミュライユではめっちゃ気になっちゃって曲に全く集中できませんでした 一列目も考えものね・・・(でもフレイレのリサイタルではまったくそういうのなかったのよ)。

指揮者の大野さん。オケのコントロールが素晴らしいのですね(またもや初心者がえらそうにごめんなさい)。「一つの交響曲を聴いてる」感が割と感じられて、おお、と思いました。こういう曲とロマン派のような曲、実際のところ指揮するのが難しいのはどちらなのだろう。素人の私にはこちらの方が難しそうに感じられるけれど。いずれにしても、品があって冷静で聴衆を煽ることをしない、でも醒めてはいなくて、嫌いじゃないタイプの指揮者な気がします。今回は最前列だったのでピアノで遮られて指揮姿が全く見えなかったのが残念でした。

ただ今回の演奏会、心の芯が熱くなるとか、そういう感覚にまでは至らなかったのは残念でした。日本のオケではまだ一度もそういう感覚に巡り合えていない。。。でも今後も機会があれば日本のオケも行きたいと思います。ブロムさんのN響、とれるかなー。

あと都響の奏者さん達ですが、カテコの拍手を受けているときにつまらなそう?な無感情な表情をされている方達が少なからずいらっしゃって(笑顔の方はとても笑顔でしたが)、愛と喜びの音楽を聴いた後にああいう様子をされてしまうと拍手をする気持ちが萎えてしまいます。。

終演後は歌舞伎座に行ってみましたが、夜の部は最後の舞踊を残して全部札止めでした。今月は高麗屋三代の襲名ですものね。吉右衛門さんの富樫が観たかった。。。昼の部の寺子屋も観たいけど、たぶん無理だな。


トゥーランガリア交響曲の大きなテーマは人間の至上の愛というものが描かれているということですよね。特にここではより限定された二人の恋人達ということが音楽的にも表わされるんですけど、その人間達の愛すること、それは精神的にも肉体的にもということなんですけど、それが音楽として聴こえたときに、(中略)人間の愛というものがこんなにももくもくと高みに舞い上がって行ってそれが私達聴き手を圧倒し、ひいてはそれが全世界中のエネルギーを遥かに凌ぐような火のような情熱が燃え上がるものなのか、ということがこの曲の中に込められている、ということですね。

(第6曲について)こんな夢のような世界は今までの音楽の中で書かれたことがないと思います。この喜びが永久に続くように、そして時空を超えるように。そしてこれがメシアンという人の人生と密接に結びついていると思います。なぜかといいますとこの曲が書かれたのは1946年なんですね、そしてその前に彼は第二次世界大戦に従軍しているわけです。それからもっと若い頃はヨーロッパでの第一次世界大戦を体験しているわけです。そういう破壊的な、人類に対して挑戦的な世界での出来事を経験した若い作曲家メシアンという人が1946年に戦争が終わったときにこの曲を書いたということは、大変象徴的なことだと思います。いわゆる再生をしなければいけない。そしてそのためには人間というものはより想像力(創造力?)を持たなければならない。(中略)ですからこの作曲家は色々な技術をこの曲の中に織り込んでいるわけで、そしてこの曲から圧倒的な影響を受けた作曲家達がどんどん出ていくわけですが、ところが彼自身が十二音の作曲家としての先鋒、作曲技法の先駆けであったにもかかわらずこの曲が作曲技法として聴こえない理由はそこにあるんだと私は思います。彼の生きた時代に、そして彼が戦後すぐに音楽家として何を成すべきかと考えたときの彼の使命として出来上がったのが、この人間への賛歌だと思います。今の社会情勢、世界的に見ましても、私は最近バルセロナで私の家から近い所でテロが発生しましたのでその夜まんじりともせずにヘリコプターの唸る音とパトカーのサイレンの音に街中が埋め尽くされる所に身を置いていました。さてそういうときに私達は何をすべきでしょうか。何を思うべきでしょうか。私はこの音楽にあるように、あるいはハイドンの『天地創造』にあるように、人間の想像力というものについてもう一度人間の尊厳を取り戻し、人間の自信というものを取り戻し、未来に禍根を残してはいけないということを、この壮大なる美の中から人間としてのあるべき姿、そして人間として人間自身を信じていかなければいけないという、この生きるという宿命というものを聴きとることができるのではないかと思っています。
(大野和士 公式ページ動画インタビューより

 「トゥーランガリラ交響曲」はオンドマルトノの魅力が詰め込まれた作品です。私はこの曲を世界中で330回以上演奏し続けてきました。メシアン先生がご存命の頃はよくご一緒していただき、多くのことを教えていただきました。いつも先生は「オンドマルトノはオーケストラを支配するように、グイグイと引っ張るように演奏することを決して恐れてはいけない」とおっしゃっていました。
 愛をテーマとしたこの作品で、独奏ピアノは男性的なキャラクターであり、オンドマルトノは女性的な役割を担っていると感じます。この二つの楽器は、愛を語らうように密接に音楽を作ります。またオンドマルトノは、第3楽章ではクラリネットと寄り添ったり、第8楽章では木管の響きと調和しながら「花のテーマ」を奏でたりと、室内楽的な面白さも感じながら演奏しています。そのあたりにも注目しながら演奏を楽しんでいただければと思います。
(原田節 上記公式ページより)







大野和士が語る メシアン《トゥーランガリラ交響曲》 Part1

この動画、Part3までありますがとってもいいです(上記インタビューもこちらより)。
彫像のテーマは男性、花のテーマは女性、その対比を結んでいくのが鳥の歌、など興味深い。

♪オンド・マルトノの音色♪

この動画、わかりやすい♪ 弾いていらっしゃるのは本日と同じ原田さん。

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初春歌舞伎公演「世界花小栗判官」 @国立劇場(1月6日)

2018-01-13 01:24:51 | 歌舞伎




ワタクシ、昨年の年末はちょっぴり気分がお疲れモードで・・・
そんな私の正月休みはもちろん、食って吞んでの寝正月。
初芝居は、何にも考えないでぼーーーーーーと観られるものが観たかった  
感動はいらない。理屈もいらない。くだらなくて、ばかばかしくて、ゆるくて、のんびり気分で観られるもの。

といえば~


 正月の国立  


今年の正月ほど菊五郎劇団の存在に感謝したことはなかったかもしれない。
ゆるゆるで、途中うとうとしちゃって、それを心苦しいとか思わなくてよくて、通常なら1800円だって高いんじゃね?と思うであろうぶっちゃけ浅いストーリーを12時~16時まで4時間観て、ちっとも腹が立たず、最後の全員勢揃いの手拭い撒きで真ん中の段の上に立つ菊五郎さんを拝んで、気分よく帰れてしまうのだから。
いまの私が必要としていたのはまさにこれ。力を抜ききってのんびり観られるお芝居。なんでも許せちゃうお芝居。

※役者さん達がいつでも真剣勝負なのはもちろん承知しておりますです。

30分前に入ったら、ロビーで獅子舞をしていました。3階通路からのんびり見物。


【通し狂言 世界花小栗判官(せかいのはなおぐりはんがん)】

一幕。
オープニングは、現代風な音楽をバックに、流れ星と赤く光る馬
室町御所堀外の場。
小栗家の奴の声がいいな~と思ったら、萬太郎だった。
春の鎌倉扇が谷の横山館
人食い馬に菊ちゃん(小栗判官)食わせようとしたり、馬を碁盤に後ろ足で立たせようとさせたり(黒衣によるワイヤー掛けも3階席からはシッカリ見える笑)、上使細川政元が実は風間(菊五郎さん)だったり、屋敷に居合わせた白拍子(時蔵さん)が実は本モノの政元だったり、正体がバレてしゅわしゅわ~な煙の中のんびり襖を開けて退場する菊五郎さんだったり(誰も追わない)、江の島沖のお馬さんの下半分に海柄の布がついてたり、江の島沖なのに馬が普通に泳いでたり。ばかばかしくて、実によい。←100%褒め言葉です
足利家の重宝の宝剣を横からかっさらった風間が水色の布をユラユラ振る浪役さん達に紛れ、フラッシュ効果(これは目ぇチカチカ~)の中退場。
「父の敵!」と菊五郎さんに食ってかかる菊ちゃんも見どころな一幕。

二幕。
夏の近江
チャリ場。鬼瓦の胴八(片岡の亀蔵さん)の妹小藤(梅枝)へのカラミはちょい苦手だった。橘太郎さん(瀬田の橋蔵)のシャンシャンが片手に握ってる笹に不覚にも吹く。
松緑(浪七)と梅枝が、しっかり歌舞伎
波打ち際の立ち回りは見応えたっぷり
浪七が腹を切って神に祈ると、逆戻りしてくる照手姫(右近)の舟

三幕。
秋の美濃の青墓宿
萬屋父息子による、万屋母娘。
足利家のもう一つの重宝である轡(実は既に風間の手にある)目当てでお駒(梅枝@二役)と祝言しようとして、それがここにないとわかり本命の照手姫に再会した途端アッサリお駒を捨てる女の敵判官は、見目麗しい菊ちゃんだと説得力ありあり。母(時蔵さん@二役)が娘を殺すときの展開はやや強引だったような。
梅枝、幽霊似合う。三次元の幽霊画

四幕。
冬の熊野
風間の隠れ家セットにわくわく。
花道から判官を車に乗せて曳いてくる照手姫。まるで子供のオモチャな車(座った菊ちゃんと同サイズ)の現実味のなさがお伽噺みたいで楽しい。――と思っていたら、なんとこの車(躄車、土車というのだそう)、実際に中世・近世に体の不自由な人がこれに乗って全国を巡礼したりしていたのだとか!歌舞伎のおかげでまたひとつ賢くなりました
場面転換後の真っ青な那智の滝も大詰らしくて爽快。

こういう荒唐無稽なファンタジーぽい歌舞伎の雰囲気は、好きだなあ。澤瀉屋バージョンも機会があったら観てみたい。

ところで、春夏秋冬を巡るパターンって前にも国立正月でありましたよね。安易すぎる演出だと思うのだけど(綺麗ですけどね)、まあよいです、正月だもの。











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