風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

NHK 「シリーズ “坂の上の雲”への道 拝啓 秋山校長殿 ~日本騎兵の父 秋山好古の晩年~」

2012-11-01 21:00:04 | テレビ

日が暮れたなら天を見なさい。絶えず動かない北極星は旅の道しるべになります。
世を渡る場合には誠の心が道に迷わぬための磁石になります。
曲がった道に入ったと不安になった時は自分の誠の心に問うてみなさい。
天が与えた良心はいつもあなたたちを導き、守ってくれることでしょう。

(秋山好古)

日露戦争で日本を勝利に導く活躍をした秋山好古は、その後陸軍大将、教育総監など軍の要職を歴任。
そして軍人最高の名誉職である元帥にならんとしていた65歳のとき、郷里の松山の知人から「松山北予中学(現松山北高等学校)で校長が不在となったので名前だけでも貸してほしい」と頼まれる。
しかし好古は「日本人は地位を得て退職すると遊んで恩給で食うことを考える。それはいかん。俺でも役に立てば何でも奉公するよ」と答え、名前だけ貸すことをよしとせず、故郷松山に移り住むことを決める。

重い糖尿病を患い歩行もままならなかったにもかかわらず、彼は家族を東京に残し、たった一人で生まれ育った城下の小さな生家に住んだ。
彼のこんな言葉が残っている。
「余が育成した優秀な士官の半数以上が旅順にて死んでしまった。今生きていれば沢山の良い将校が生まれていたとつくづく思う。未曾有の大勝利は国難に殉じた戦死者の賜物である。戦死者の遺族に対しお気の毒と存じ日露戦争後はつとめて独身生活をしている」

好古が校長として就任したのは大正13年。
第一次世界大戦に勝利した日本は、まさに軍国主義への道を突き進んでいた。
大正14年、政府は「陸軍現役将校学校配属令」を発する。
これにより軍事教練が必修科目となったが、好古は「生徒は兵隊ではない」と言い、軍事教練は最低限に抑えた。
また、学校職員が軍人時代の位や勲章の数などを尋ねたとき、「俺は中学校の校長である。以前の位階勲章など話す必要はない」と切り返したという。

北予中学の校旗に描かれているのは、北斗七星と北極星。
上にご紹介した言葉は、陸軍大将にまで昇りつめながら常に国際協調を説き、若者の教育に日本の未来を託した好古が、生徒たちに残した言葉。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする