風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ラディ・ブール、というらしい

2021-09-29 22:20:38 | 日々いろいろ



ワクチンは打ったけどブレイクスルーだなんだと言っているのでまだ外食は怖い。
コロナ禍ももうすぐ2年。
最近はすっかりおうちご飯に慣れてしまった。

そんなわけで、今回作ったのは辻さんがtwitterで紹介されていたラディ・ブール。ラディはラディッシュのことで、フランスの家庭料理の定番なのだそうです。
ラディッシュは私も大好き!これは作らねば!
と、最初は近所のスーパーで売っている手頃なお値段の発酵バター(有塩)で作ってみたところ、んー・・・なんか違う気がする。想像していた味と違うというより、バターの塩味がラディッシュの味に対して強すぎるような気がする。
そこで再度ネットで調べてみたところ、このレシピで使うべきものは無塩の発酵バターなのだそうで。
でも無塩の発酵バターって、普通のスーパーで売っているのだろうか
あちこち探すのはメンドウなので、一番売っていそうな成城石井へGO
ちょうどイズニーの発酵バター(無塩)がセール中でした。ラッキー
250gで1200円くらいでしたけど、まあ外食に比べれば安い安い。

今回はtwitterの写真と同じように、パンで食べてみました。
本当はバゲットとかカンパーニュが良いのだと思いますが、いわゆる高級食パンがちょうど家にあったので(高級食パンの甘さは基本好きではないのだが、たまに食べたくなる)、それを8枚切りくらいの厚さに切って、更にハーフサイズにして、トーストして、バターを塗る、ではなく載せる。写真のように塊で載せる!その上に薄切りのラディッシュをたっぷり散らして、最後に岩塩をパラパラ。
いっただっきま~~~~す。

これは、、、

ウマーーーーーーーイ

なんだこれ。最高に好みな味。白ワインプリーズ。
イズニーの無塩バターも、ミルキーでめちゃくちゃ美味しい。発酵バターの無塩がこんなに美味しいなんて知らなかった。今まで人生損してた。
我慢できず、ラディッシュを買い足して昨日今日と食べまくってしまっています。やばいやばい。
コレステロールの心配をしなくていい若い頃に出会いたかった。。。

というわけでラディ・ブール、オススメでございます。是非。
唯一のアドバイスは、バターはケチることなかれ。値段も載せる量も



賞味期限の11月半ばまでに食べきれるかわからなかったので、半分は冷凍にしました。
イズニーは、コストコだともう少しお得な値段で買えるようです。
有名なエシレバターもいつか試してみたいわ。
でもうちの近所の成城石井では、エシレは有塩しか売ってなかったな

★こちらも美味しそう
ラディッシュとバター、枝豆とオイルサーディンのタルティーヌ
カマンベールとチェリーとハムのタルティーヌ
サーディンバター
苺のタルチーヌ

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『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』2

2021-09-26 10:28:00 | 映画

三島は『美と共同体と東大闘争』の後記「討論を終えて」の最後をこんな風に結んでいます。

私は彼ら(全共闘)の論理性を認めるとしても、彼らのねらふ権力といふものがそれほど論理的なものであるとは考へないのである。そして彼らが敵対する権力自体の非論理性こそ、実は私も亦闘ふべき大きな対象であることは言ふを俟たない。もし万一私がその権力を真に論理的なものとすることに成功したときに、三派全学連もまたその真の敵を見出すのではなかろうか。

まず闘うべきは、権力の非論理性。これは今の時代にも通じることのように思います。

ところでこの後記で三島は「私がこのパネル・ディスカッションのために用意した論理の幾つかを次に箇条書きにしてみよう。」と、時間の連続性、政治と文学、天皇の問題などの5つの論点を列記し、それぞれについて自身の考えを再度整理しながら述べています。実際の討論もほぼこの5つの議題に沿って進んでいたので、討論会を開催するにあたってこれらの議題が事前に両者の間で決められていたのでしょう。

三島は「その2時間半のうちに十分に問題点を展開し得なかつたのには私の責任もあつた。私はむしろもつとよく問題を整理し、一つ一つの問題の発展に留意すべきであつた。」としています。どこまでも真面目で謙虚な人だなあと思うと同時に、自分の子供くらいの年齢の学生達に対して、たとえ政治的に真逆の立場であったとしても、これからの日本を生きていく彼らの中に何かを残していきたいという想いもあったのだろうと思う。

討論会冒頭で三島が「半熟卵の日」と言っている1969年4月28日についてググってみたところ、「沖縄デー闘争」と呼ばれる日なのだそうです。1952年の同日にサンフランシスコ講和条約および日米安保条約が発効され、それにより日本は連合国から独立したと同時に沖縄は米国の施政下に入ったため、反安保勢力からは沖縄が切り捨てられた日とみなされ、1969年のこの日も学生達が都内や全国各地で大規模な武装デモを行い、逮捕者が続出したとのこと。ちなみにここで三島が展開している「安心した目をした日本の知識人」に関する話が私は好きである。

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『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』1

2021-09-23 01:21:28 | 映画




unextのポイント期限が迫っていたので何か面白そうなものはなかろうか?と物色していたところ、こんな映画があったので観てみました。昨年は三島由紀夫の没後50年だったんですね。
この映画は、1969年5月に東大駒場で行われた三島と東大全共闘の学生達の討論会の映像と、その関係者への現在のインタビューで構成されています。
討論会の冒頭で、三島は学生達にこんな風に話しかけます。

三島:とにかく言葉というものはまだここで何ほどかの有効性があるかもしれない、ないかもしれない。まあためしに来てみようぐらいな気持ちを持っております。(中略)私は決して諸君の理解者でもない。諸君を理解したいという欲望に燃えてここに来ているわけでもないのです。ですから、お互いに相手を理解しないことを前提としながら、一つ今日は言葉をぶつけ合いたい。

現代の私達がこの52年前の討論会の映像から得るものはそれぞれに異なると思うけれど、私はやはり、ここに表れている三島の姿勢に最も感銘を受けました。
討論会の最初から最後まで、三島は決して感情的になることはない。それが容易なことでないことは、討論を聞いていればわかります。共通の言語認識を持たない相手と二時間半も言葉をぶつけ合うことがどれほど疲れ、苛立ち、放り出したくなるものであることか。しかし三島は終始学生達を対等な相手として敬意を払い、彼らの言葉を根気強く理解しようとする。そして自分の言葉を理解してもらおうとする。
ここまで言葉が嚙み合っていないと、果たして対話をすることに意味はあるのだろうかと思ってしまいそうになるけれど、この映像を見ていると「人間と人間が向き合って言葉を交わし合う」ことにはやはり意味はあるのだ、と思わせられる。むしろこれほど異なる者同士だからこそ意味がある、とさえ思わせられる。でもそれは、どちらの言葉も少なくとも本物(本心から出ている言葉)であることがわかるからだ。その言葉が本物でなかったら、その場しのぎの言葉であったら、こんな討論会はなんの意味も持たなかったろう。
この討論会が纏まった映像の形で公開されるのは今回が初めてとのことだけれど、文字の形式では『美と共同体と東大闘争』という書籍として討論会の翌月に出版されています。その後記の中で、三島は討論会をこんな風に振り返っています。

パネル・ディスカッションの二時間半は、必ずしも世上伝はるやうな、楽な、なごやかな二時間半であったとはいへない。そこには幾つかのいらいらするような観念の相互模索があり、また、了解不可能であることを前提にしながら最低限の了解によつてしか言葉の道が開かれないといふことから来る焦燥もあった。その中で私は何とか努力してこの二時間半を充実したものにしたいといふ点では全共闘の諸君と同じ意志を持つてゐたと考へられるし、また、私は論争後半ののどの渇きと一種の神経的な疲労と闘はなければならなかつた。(中略)了解不可能な質問と砂漠のやうな観念語の羅列の中でだんだんに募つてくる神経的な疲労は、神経も肉体の一部であるとするならば、その神経の疲労と肉体の疲労とのかかはり合いが、これを絨毯の上の静かなディスカッションにとどめしめず、ある別な次元の闘ひへ人を連れてゆくといふ経験も与へてくれた。テレビのスタジオや静かな居間におけるディスカッションは、肉体を常数と考へて精神の変数のみにたよつて数式を展開しようとする。私はそのやうなものにいままで参加したいとも思はなかつたし、また今後も参加する気はない。肉体も変数であり、精神も変数であるやうなところで、そのいらいらした環境の中でぶつかり合ふことには、何ほどかの意味があるといふことを私も認めるのにやぶさかではない。

そして「慨して私の全共闘訪問は愉快な経験であつた」と纏めています。
精神と肉体の活動が切り離されず影響し合う状態に重きを置いているところがいかにも三島らしく、討論会後半はもはやランナーズハイ状態だったんじゃと思ってしまいそうだけれど、最後まで三島は精神の活動を放棄していない。それに加え冷静さとユーモアを保ち続けているのには敬服するし、本当に頭のいい人なのだなと感じます。
一方で、三島はこの”砂漠のような観念語の羅列の議論”をどこか楽しんでもいたのだろうと思う。それについては制作裏話で豊島監督が話していた平野啓一郎さんの「三島は楯の会の中にいてそういう知的な会話に飢えていたのでは」という推測が案外的を射ているのではなかろうか、と。そういうものに惹かれてしまう自分と、それを否定したい自分。三島って常にそういう自己矛盾を抱えている人ですよね。そしてそれを自覚している人。

などとエラそうに書いているけれど、私は三島の作品をそれほど多く読んでいるわけではないので(小説、戯曲、随筆をそれぞれ数作づつ程度)、この討論会で彼の「時間」についての独特な感覚を知り、驚いたのでした。
「解放区にあるのは空間だけで、時間は存在しない」とする全共闘に対して(後年の芥さんの説明によると「三島のいうような一つの統一された時間というものは存在しない。この世界には無数の事物があり、それぞれの事物の変化とその空間の変貌を我々は時間と呼ぶ」という意味だったそうですが)、三島は「過去からの時間の連続性」に価値を置きます。そしてこの両者の違いが、「天皇」に関する意見の違いにも繋がる。
以下、再び『美と共同体と~』の三島の後記より。

私は過去を一つの連続性として、歴史として、伝統としてとらへ、そして現在を過去の最終的な成果としてとらへ、現在の一瞬への全力的な投入がそのまま過去の歴史と伝統との最終的な成果を保証するものだと考へる者である。したがつて、現在の一瞬一瞬への全精神と全肉体の投入は、決してそこの一点のみにとどまらず、自己を現在へつなぐ過去の意識を越え、潜在意識をさへ越え、自己の属する時代をさへ越えて、すなはち近代的思考や意識のあらゆるものを越えてまで、そこに一つの現在の結晶が成就されるといふのが私の考へである。私の仕事も行動もすべて、『葉隠』ではないが、朝起きたときに今日を死ぬ日と心にきめるといふところに成立してゐる。したがつて現在は死のための最終的な成果であるがゆゑに未来は存在しない。未来は存在しないから、未来への過程としての自己も存在しない。そして自己を過程あるいは道具あるいは手段あるいは方法と考へる思考はすべてむなしく、自己はそこにおける成就(アカンプリツシュメント)であり、成果であり、そしてそこで終るべきものなのである。

また以下は、討論会より。

三島:ぼくは未来から行動の選択性の根拠を持ってこないで、過去から持ってくるという精神構造を持っちゃっているわけだ。それが誤りであるか正しいかわからんが、そういうふうに持っちゃっているわけだ。(中略)未来というものに手を伸ばす時に、そこに闇の中に確かに人がいると思ってこうやってさわってみたらいなかった。アッという時の瞬間の手の握り具合――私はこういうものが未来だと思うのですね。
全共闘C:それは時間がイマージュだからじゃないですか。
三島:イマージュかもしれないね。ここに何か固いものがあって……ここに壁があれば安心だ……。
全共闘C:記憶や時代は抹消されてるでしょう。抹消されるわけじゃないですか?
三島:それが抹消されないのだね、おれには。
全共闘C:時代は抹消されていますよ。
三島:時代は抹消されても、その時代の中にある原質みたいなものは抹消されないのだよ。
(中略)

全共闘C:関係づけの中でしか生きられない人間というのは、時間の無時間性なんて言ったらダメになっちゃうのはわかるけれども……。
三島:おれはダメになっちゃう、そんなこと言ったら。
全共闘C:でしょうね。

芥さん(全共闘C。映像の中で赤ちゃんを抱っこしている学生)が言う”イマージュ”という言葉は、現に存在している事物に対して、実体のない幻想のような意味合いですかね
わかりやすいイメージで言うなら、全共闘にとっての時間は現在という一つの点(あるいは真空)で、三島にとっての時間は過去から現在まで続いている一本の線。芥さんからすれば三島のいう時間つまり歴史は人間が作った幻想に過ぎず、そのような時間を頼みにしている伝統も天皇も過去の権力者達により都合よく捏造された価値にすぎない(あの腕の中の赤ん坊は「三島さんにとって天皇に値するものは、僕にとってはこの赤ちゃんですよ」と三島に見せびらかしたかったのだそうです。三島は天皇に聖性を見るが、自分はこの赤ん坊の生命に聖性を見るのだ、と)。私には芥さんのいう時間の概念は比較的想像しやすいけれど、三島のいう時間の概念はなかなか想像が難しい。
三島のように時間を過去から現在まで続く一つの歴史と捉えるならば、それは同じように未来へも続いていくものと”仮定”するのが自然のように思うのだ。そしてその仮定を根拠に現在の行動を選択するのが自然のように思う。つまり過去は直線で未来は点線で続いていくイメージ。でも三島の時間には、その点線がないんですよね。現在のところで終わっている。
その説明として三島は『葉隠』に触れているけれど、武士や特攻隊の人達も実際のところ”未来”を思っていたのではなかろうか、と私は想像するのだけれど。
そもそも三島自身、心底そう思っていたのだろうか。それは「そうである自分」ではなく「そうあるべき自分」だったのではなかろうか。「そうあるべき自分」として三島は死んでいったのではなかろうか。三島にとって両者は同一であるべきもので、それらを区別することには意味がないのかもしれないけれど…。

なお三島の「歴史の関係づけの中で存在する自分」という精神構造は、彼の芸術観にも見ることができます。

三島:私にとっては、関係性というものと、自己超越性――超時間性と言いましたかな、そういうものと初めから私の中で癒着している。これを切り離すことはできない。初めから癒着しているところで芸術作品ができているから、別の癒着の形として行動も出てくる。(中略)芸術というものは無意識の領域が非常に大きい。どんなに意識的に書いたって、無意識の領域が非常に多い。その無意識の領域では、私の関係論とそういうものとは完全に癒着している。
(中略)
芸術というのは個性だけが芸術でないということも確かなことで、つまり、ヴァレリーが芸術の個性というものはすでに死んでしまったと言っていますが、芸術というものは個性だけに依拠して自分の主観だけでしか見えないものが見えていると思い込む。こいつはと思ったものしか実は芸術でないのだという考え、それがおまえの見る牛とおれの見る牛は違うのだ、おれの見える牛が芸術だと考える。そういう考えはすでに古いのですね。(中略)牛というものの本質はどうやってとらえたらいいのか。われわれの目から見た本質のとらえ方が一つ、もう一つはみんなが共通項として、これはネコじゃないのだ、これは牛というものだというとらえ方が一つ、その二つには芸術というものがいつもそこに矛盾を持っているわけなんだ。ね、そうすると文学というものはどっちかというとね、ゴッホの絵が、太陽がこういうように狂ったり何かする、ああいう太陽は文字はなかなか書くのはむずかしい。文学はどっちかというと、名前に依る。牛という名前に依るわけです。そうすると、牛というものはすでにみんなの言語であって、ぼく個人、個性の言語とは違うわけだ、牛というものはね。それを越えようと思っても、うまくいかないのだ、どうしても。そして、牛というものに依拠して、自分の見えるだけの牛を書こうとする。しかし、その前提には牛という概念がすでにある。そこに文学というものは芸術ってものと言うにはちょっとあやしげなところがあるわけです。ことに小説というのは非常にあやしげだね。


様式美が基本である歌舞伎を三島が愛した理由が分かる気がします。ただし三島は時間の集積である文化の影響を受けている芸術を受け入れているし、それに価値も置いているけれども、現在を生きていない、過去の遺産として大事に奉られているだけのような芸術については徹底的に嫌っています。

三島:私はその過去と現在というものを別の次元のものとみなしているから、私は一応過去の長い集積を文化の集積として持っているけれども、その集積自体を尊重するような思想にはくみさない。私はいつも文化的遺産というものを大事にする思想というものを軽蔑してきた。なぜならこれは死物だから。(中略)私は文化というものは一つの長い時間の集積でもってここにまた自分の中に続いている。外在すると同時に内在するその中から自分がセレクトするというのが自分の現在一瞬一瞬の行為である。その行為の集積が自分の作品になるんだが、その作品もでき上っちまえばこれも過去に押しやられちゃう。そうやってわれわれ生きているのが文士というものの生活です。

そんなわけで文字ではわからない会場の空気がわかったし、映像の力というのは凄いものだなとも思ったけれど、書籍ではとっくに出版されているものであることを思えば『50年目の真実』と喧伝されているような新たな真実は特にこの映画の中にないわけで、この大仰で陳腐なタイトルや予告映像がかえって映画の価値を損ねているように思う。
映画では説明されていないけれど、芥さんによると三島がこの討論会に呼ばれたのは「カルチェラタンの中で、みずから自主的に主体的な大学を開始しよう」という芥さんのアイデアから作られた「解放区大学」の第一回目の講師としてだったそうで、司会の木村さん(全共闘A)も「わりとソフトな連中」だったのだそうです。以下は芥さんの談。

そんなときに、彼(三島)は本郷のほうの連中に会いに行って、けんもほろろに追い返されて、そのときにちょっと本郷の連中もいかんなと思った。市民が会話したいと言ってきたときに会話を拒否するのは、だいたい解放区のルールでも誇りでもないし、 知性でもないから、では、もし話があるなら、我々が本当に呼ぼうということで、三島さんに、我々の記念すべき自主大学の第一回目の講師として来ていただいたわけです。
(『混沌と抗戦──三島由紀夫と日本、そして世界』2016年)

また映画では「1000人の全共闘を相手に討論が行われた」と言っていますが、実際は討論をしたのは全共闘の学生だけれど、会場にいた多くは普通の学生だったようです(映画.com)。
”50年目の真実”とか”スクープ映像解禁”とか無駄に煽らずに、そういう当時の状況や事実を淡々と伝えた方が、より上質で知的なドキュメンタリー映画になったのではないかな。そうしても監督が見せたかったであろう討論会の”熱情”は十分に伝わったと思うよ。ただ、押しつけがましいメッセージ性がなかった点は、個人的には好ましく感じました。当初は映画の冒頭で福島原発事故の映像を流す計画だったそうだけど、そういうことは映画を見た人達の判断に任せた方がいいと思い直し、やめにしたそうです。やめて正解だったと思う。
ちなみに討論会だけを見ると芥さんの言葉はあまりに観念的にすぎるように感じられるけれど、当時を振り返って話されているこちらの文章を読むと、ちゃんと芥さんなりの筋が通っていて論理的な方なのであった。
豊島監督はインタビューの際に芥さんから「『豊穣の海』は読んでるのか?」と聞かれ「読んでおりません」と答えたら、「そんな程度で人に取材するってのは、三島が可哀そうだ!」と怒られたそうです。まあ芥さんの言うとおりだよね…。

この映画で興味深かったことのもう一つは、50年という時の流れ。
当時東京で大学生だったうちの母親(学生運動にもアルバイト的に参加していた)は、全共闘だった人達が後に公務員や大学教授など「いわゆる体制側の人」になり映画の中でコメントをしている姿に、「結局は彼らが最も否定していたような生き方をしたんだなと思った」とのこと。
映画の中で元全共闘の人達があれから時代の変化と自身の気持ちにどう折り合いをつけて生きてきたかについて語っていますが、宮崎監督もそうだけれど、この時代に青春を過ごした人達にはそういう屈託を心に抱えている人は意外に多い(うちの母は全然そういうタイプではないが)。私の世代には全くない、想像するしかない感覚です。
そんな中で芥さんだけはまるで時が止まったようにブレていないのも興味深い。

話を戻して、三島について。
外国語が流暢で、美しい日本語を操れて、ユーモアもバランス感覚もあって。あの最期は彼自身が望んだものだったかもしれないけれど、彼のような才能を持たない凡人の私からすると、生きていてほしかったなあとやはり思ってしまうな。彼ほど頭のいい人なら、死ぬ以外の選択肢を見つけることはできなかったのだろうかと、どうしても残念に思ってしまう。警察にみっともなく捕まっても生きてまた活動すればいいじゃない、みっともなく老いて生き延びてもいいじゃない、と私などは思ってしまう。本人は全く残念に思っていないかもしれないけれど、日本のために、世界のために、私達のために生きていてほしかった。だって三島のような文章を書ける作家ってものすごく貴重じゃないですか。なのにたった45で!自ら命を捨てるなんて!もったいなすぎる。。。。。。。太宰もそう。本人は死にたかったのかもしれないけど、もっと長生きしてくれたらどんな作品を読めたのだろうと思うと、あなたのような文章を書ける作家なんて滅多にいないのよ!わかってる!?と言いたくなる。
ディズニーランドが大好きだったという三島。生きていれば東京にディズニーランドができる日が来たんだよ。アメリカまで行かなくても日本で家族で楽しめる日が来たんだよ。三島にとって人生はそういうものではないのだろうけれど。。。


生きて動いている三島由紀夫に会える!豊島圭介監督&刀根鉄太プロデューサー(CINEMORE)
三島由紀夫ドキュメンタリーで会見 平野啓一郎氏「今の保守層が『日本はスゴい』と言うのとは違う」(oricon)
平野啓一郎が語る、三島由紀夫とその文学(サイカルjournal)
三島由紀夫の理想の日本とは ドキュメンタリー「三島由紀夫VS東大全共闘」平野啓一郎氏、豊島圭介監督が会見(映画.com)
「実に実に実に不快だった」その日の三島由紀夫(平野 啓一郎)(現代ビジネス)
「広報効果アリ」「非常に危険」…“事件前の三島由紀夫”を自衛隊関係者はどう見ていたか(辻田 真佐憲)(現代ビジネス)
東大全共闘と三島由紀夫の討論会を映画化 豊島圭介監督の制作秘話(東大新聞オンライン)
三島由紀夫没後50年 美輪明宏が語る“素顔”(サイカルjournal)
美輪明宏が語る天才作家・三島由紀夫(SmaSTATION)
美輪明宏 三島由紀夫に何度も「やってくれ!」と口説かれる(女性自身)

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辻仁成さんの「フランス風イカめし」を作ってみた

2021-09-02 15:04:11 | 日々いろいろ

フランス風イカめしの作り方 | 2G COOKING



辻仁成さんのtwitterやブログを時々拝見しています。
20代の頃に何冊か読んだ小説は私には合わなかったのだけれど(辻さん、ごめんなさい)、エッセイの文章は好きです。
そういう意味では私の中では村上春樹さんと同じカテゴリーの作家さん。
ブログは、辻さんの作るめっちゃ美味しそうな料理のレシピやインテリアの記事も楽しい

そんな中から、今回「フランス風イカめし」なるものを作ってみました




これは、、、

ウマーーーーーーーイ

ほぼ辻さんのレシピどおりに作りました。
違うところは、玄米ご飯をレトルト使用、アンチョビはチューブ使用、オリーブオイルとにんにくの量をレシピの80%程度にした、トマト缶はミニトマト缶が手に入らなかったのでホールトマト缶を手で崩しながら投入、くらいです。
辻さんが「お好みで」と仰っているタバスコとパルメザンチーズは、動画と同じように入れました。

いやぁ、まじでめちゃくちゃ美味しいので、ぜひぜひ作ってみてくださいな。オススメです。
ご飯はワタシ的には絶対玄米!ニンニクは絶対にチューブじゃなく丸々ニンニクで!

はぁ、、、フランス旅行したい、、、
パリもいいけど、南仏に行きたいなあ。
バスク地方とか行ってみたい(バスク地方って南仏でok?)

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