風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

正岡子規 『九月十四日の朝』

2012-09-15 16:09:55 | 



今朝起きて見ると、足の動かぬ事は前日と同しであるが、昨夜に限って殆ど間断なく熟睡を得たためであるか、精神は非常に安穏であった。
顔はすこし南向きになったままちっとも動かれぬ姿勢になって居るのであるが、そのままにガラス障子の外を静かに眺めた。時は六時を過ぎた位であるが、ぼんやりと曇った空は少しの風もない甚だ静かな景色である。

窓の前に一間半の高さにかけた竹の棚には葭簀(よしず)が三枚ばかり載せてあって、その東側から登りかけて居る糸瓜は十本ほどのやつが皆瘠せてしもうて、まだ棚の上までは得取りつかずに居る。花も二、三輪しか咲いていない。
正面には女郎花が一番高く咲いて、鶏頭はそれよりも少し低く五、六本散らばって居る。秋海棠はなお衰えずにその梢を見せて居る。

余は病気になって以来今朝ほど安らかな頭を持て静かにこの庭を眺めた事はない。
嗽(うが)いをする。虚子と話をする。南向うの家には尋常二年生位な声で本の復習を始めたようである。
やがて納豆売が来た。余の家の南側は小路にはなって居るが、もと加賀の別邸内であるのでこの小路も行きどまりであるところから、豆腐売りでさえこの裏路へ来る事は極て少ないのである。それでたまたま珍らしい飲食商人が這入って来ると、余は奨励のためにそれを買うてやりたくなる。今朝は珍らしく納豆売りが来たので、邸内の人はあちらからもこちらからも納豆を買うて居る声が聞える。余もそれを食いたいというのではないが少し買わせた。

虚子と共に須磨に居た朝の事などを話しながら外を眺めて居ると、たまに露でも落ちたかと思うように、糸瓜の葉が一枚だけひらひらと動く。その度に秋の涼しさは膚(はだ)に浸み込むように思うて何ともいえぬよい心持であった。
何だか苦痛極ってしばらく病気を感じないようなのも不思議に思われたので、文章に書いて見たくなって余は口で綴る、虚子に頼んでそれを記してもろうた。


(正岡子規 『九月十四日の朝』 より)

これを書いた5日後の明治35年9月19日、子規は亡くなりました。
三十四歳でした。

写真は、先日訪れた東京根岸にある子規庵です。
毎年子規の亡くなった9月には「糸瓜忌」が催され、子規の遺品などが展示されます。
建物は戦後に再建されたものですが、庭には子規が生活していた頃の草花が忠実に植えられていて、この季節には萩、鶏頭、糸瓜や芙蓉が目を楽しませてくれます。
秋の風がそよそよと吹きはじめるこの季節、文庫本片手にお散歩がてら、子規を偲びに訪れてみてはいかがでしょうか。
なお鶯谷は有名なラブホ街でもありますので、初めて行かれる方は覚悟をして行かれてください(笑)

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ドラマ 『坂の上の雲』

2012-09-04 17:46:44 | テレビ




淳さんにとって世界は広い。

あしには――深いんじゃ。

(NHKスペシャルドラマ 『坂の上の雲』より)


当時仕事が忙しく通しで見ることのできなかったこのドラマを、先日NHKオンデマンドでようやく見ることができました。

すごくよかった。。。

原作についての感想は以前ここで書いたとおりですが、ドラマの方は原作で気になったロジェストウィンスキーの描写部分が強調されておらず、一方で私の好きなシーン(子規の亡くなった夜に虚子が月明の句を詠む場面、ラストの雨の坂の場面etc)が非常に美しく映像化されていて、大満足でした。
脚本の野沢尚さんが執筆途中で亡くなられたのは大変残念でしたが、最後までとてもよくまとめられてあったと思います。
広瀬武夫のロシアのエピソードもよかったなぁ。
もっくんや菅野美穂ちゃんの演技も、相変わらず素晴らしかったし。
漱石は、はじめは「ちょっと違うんじゃ…?」って思いましたが、最後にはコレはコレでアリかも、と思えました。小澤征悦さん、好きなんですよ(笑)
香川照之さんの演技の素晴らしさは言うまでもなく。
原作のもつ清々しい空気がよく表現されていたドラマだったとおもいます。

それにしてもつくづく、司馬作品の映像化は出来のいいものが多いなぁ。
これまで映像化されたなかで個人的オススメは『新選組血風録』(原作:同名の小説と「燃えよ剣」)、『竜馬がゆく』、『蒼天の夢』(原作:「世に棲む日日」)です。
これに今回この『坂の上の雲』が加わりました。
ちなみに上記は、そのまま私の好きな司馬小説トップ4でもあります。

司馬さんは「坂の上の雲」の映像化を「戦争賛美と誤解される」との理由で最期まで許可しなかったそうですが、日本国民はそんな表面的な見方しかできない人間ばかりではないと思いますよ。天国で安心してくださっていていいです、司馬さん。
原作も、どんなに旅順陥落や日本海海戦のシーンが華々しく描かれていても、それが華々しければ華々しいほど、私の印象に残ったのはラストの悲しい眞之の姿でした。というかこの作品のどこをどう読めば「戦争賛美」になるのか逆に教えてほしいくらいです。
しかし一方で、そのような浅薄な読み方しかできない人達がいるのも、残念ながら事実なのでしょう。
このドラマ化にしても(原作にはなかった)反日的表現が入っていることばかりを声高にいう人達がいます。その情報を聞いたうえで私はドラマを観ましたが、あれのどこをどう観れば反日的なのか、、、。誤解を受けることを承知で言いますが、戦争という状況下ではああいうことは多かれ少なかれ実際に起きていただろうと私は思っています。日本人だけでなく、どこの国においても。
目に余るほどプロパガンダ的であったり悪質な描写ならともかく、そうでないのなら、もっとこの作品の本質に目を向けないともったいない。

司馬さんはいつだって「人はいかに生きるべきか」を描いていた作家だったと、私は思います。
そしてこのドラマは、そのテーマをじつによく表現していたと思います。
一度きりの人生を生きるひとりの人間として、日本人として、感じることの多いドラマでした。

私達はいかに生きるべきか、私達が生きるこの国をどんな国にしていきたいのか。
感情に任せるのではなく、しっかりと地に足をつけて、まずは学ぶべきことを自身で学び、自分の頭で考え、そのうえで主張すべきことは主張し、いい国のかたちをつくっていきたいものです。
子規のように、眞之のように、漱石のように、ひとりひとりが今できることを、着実にしていきましょう。

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