風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

芸術祭十月大歌舞伎 夜の部 @歌舞伎座(10月25日)

2013-10-27 21:16:31 | 歌舞伎




昼の部につづき、夜の部の鑑賞です。

※3階B席上手


【木の実/すし屋】

仁左衛門さんはいつでも全力演技で、細かな工夫はされても日による舞台の振幅というものは殆どない方ではありますが。
それでもこの千穐楽の舞台は、仁左衛門さんの内側から溢れ出る感情が洪水のように伝わってきて。。。呼吸も忘れるほど見入ってしまいました。。。とくに幕切れ、すごかった。。。
3階席から観ていると、仁左衛門さんの感情が劇場の隅々まで飲み込んでいく様がはっきりと見渡せて、迫力でございました。
また孝太郎さんもブログで書かれていますが、共演者の方々の特別な思い入れも感じられた、熱い舞台でした。

しかし仁左さま、足キレイだな。。。(←オイ)
仁左さまは細いご自分の脚がお嫌いだと何かで読んだことがありますが、綺麗な肉づきではないの。太ももが眩しいわ。
オペラグラスで観ていて、なんだか変態さんの気分になってしまった(ちがうもん!美しすぎるニザさまが悪いんだもん!)

それとあのお声!つくづく思いましたけど、私は仁左衛門さんのあのちょっと高い伸び伸びしたお声を聞いているだけで、幸せになれます。。。よかった、仁左さまDVDを買っておいて。。。ご休養の間は、これを観て仁左さまを補給するのだ。かえって欠乏症になりそうな気もするが。

一度だけ『すし屋』で右腕をじっと押さえられているときがあり、相当痛いのだろうな…と感じましたが、それがまったく不自然に見えないのはやはりさすがでした。それに仁左衛門さんご自身、お客さんには肩のことなど忘れて観てほしいと思っておられるでしょうから、私も忘れるようにしましたし、実際忘れさせてくれる素晴らしい舞台でした(最後、本当に忘れてしまってた)。

それと竹三郎さん。藤十郎さんもお元気ですが、竹三郎さんもほんとお元気ですね~。お若い~。81歳とは信じられません。お二人とも、いつまでも頑張っていただきたいです。


さて。
突然ですが私、自分なりにストーリーを咀嚼できないと基本感動できないタイプの面倒くさい客なのでございます。
「そういう運命だったんだ」とかそんなでも構わないので、とにかく自分なりの納得が必要なのです。
そんな私にとって、仁左衛門さんというのは本当に有難い役者さんです。
客が疑問に思うであろう部分を、仁左衛門さんはちゃんとわかってくれている。そして歌舞伎の一線と品を守りつつ、そのままでは共感しにくい物語を、共感できる落としどころにちゃんと導いてくれる(そこまでカットしなくてもよいのでは、と思うときもあるけれど^^;)。本当に、客に対して優しい役者さんだなと思います。
今回の『すし屋』でもそうでした。
文字だけでは今一つ納得できなかった部分が、仁左衛門さんの舞台を観て、ほぼすっきりと納得することできました。
絵姿のエピソードをすべてカットしていたところも、理解しやすいストーリーになっていて有難かった(絵姿のエピソードを無くして、改心のタイミングを調整されていますよね?)
というわけで、昼の部同様、自分用の覚え書きを、以下にまとめておこうと思います。そうしないと忘れるので^^;
事実に齟齬がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。
ご興味のない方はスルーしてくださっていいですよ。長いので!


権太は、子供のようなところがある大人なのですよね。
父親に認めてもらいたい、褒めてもらいたいと思えば思うほど、気を引くためにワルをしてしまう。
でもちょっと屈折しているだけで根っからの悪人では決してないので、奥さんや子供には愛情いっぱいです。
この辺りの仁左衛門さんの微妙な演技、ほんとうまいなぁと思います。
ワルの部分は凄みを効かせてきっちりワルを演じ(まぁガラの悪いこと、笑)、なのにその後の家族への愛情あふれる権太とも矛盾がない。ちゃんと同一人物になっている。仁左衛門さんのこういう洞察の深さ、『四谷怪談』でも感動したものでした。

小せんはそんな権太をちゃんと理解していて、いつかその勘当が解かれることを一緒に願ってくれている。
そういう台詞はありませんが、『木の実』の秀太郎さんからは、そんな小せんの想いがしっかりと伝わってきました。
そして母親に金をせびりに行く権太をうまく引き止めることができるしっかり女房なのに、花道のじゃれ合いでは少女のような可愛らしさで
この小せんも、昔は女郎をしていたということですから、決して幸せな人生を送ってきた女性ではないのですよね。
でも今は権太と善太と三人、幸せな家庭を築いていて――。
これほどの家族の幸福を権太が犠牲にするのが『すし屋』なわけですから、その展開を客に納得させるのは簡単ではありません。
でも仁左衛門さんは、それを鮮やかにやってのけてくださいました。

今日も今日とて母親のところにタカリにくる権太。
母親はなんだかんだいっても息子が可愛いので、騙されていることも半分承知でお金をあげます。
そこに弥左衛門が帰宅し、権太は奥に隠れながらその秘密(弥助は実は維盛で、重盛に恩ある弥左衛門が匿っていること。それを梶原が勘付いていること)を盗み聞きます。

次に権太が登場する場面は、梶原がやってくるという知らせに、維盛親子が上市の隠居所へ逃げた後。
実は権太は父親の命がけの秘密を聞き、「ここで性根を改めずば、いつ親父さんのご機嫌にあずかる時節もあるまい」と、これまでのワルを返上する決意をしていました。
権太は「あの一家を梶原に渡せば金になる!」と言って家を飛び出し、維盛親子を追いかけていきます。母親からもらったお金を路銀に使ってもらおうと思ったからですが、素直にそう言わなかったのは、慣れない善行を口にするのが照れくさかったのでしょう(このお金を維盛に渡したところで果して勘当が解けるのか?という疑問もありますが、彼がここで性根を改めようと思ったことが重要なのだと思います)。
しかし桶を開けてみると入っていたのは生首で、権太は父親の(偽首を維盛の首として差しだそうという)計画を察します。
首は弥左衛門によって惣髪(維盛卿の本来の髪型)に結い直されていましたが、梶原は維盛が下男として潜伏していることぐらいはお見通しだろうから、こんな首を差し出せばすぐに偽首だとばれるに決まっており、計画の失敗は明らかです。
そこで権太は、別の計画を思いつきました。
生首を下男らしく月代に剃り、それを維盛の首として梶原に差し出そうという計画です。そうすれば維盛を救うことができ、また父親の力になることもできるのです。
しかし、若葉の内侍と六代の君の代わりになる人がいません。途方に暮れていたところに、(おそらく、たまたま通りかかって権太から話を聞いた)小せんが「親御の勘当、故主への忠義(これは弥左衛門の重盛への忠義のこと?)、何を狼狽えることがある」と自分と善太を使えと言います。ここで、『木の実』で見せた「権太の気持ちを誰よりも理解している」小せんの姿が一気に効いてきますよ。泣ける……・。といっても権太の述懐ですけど。

ここで権太が小せんの提案を受け入れたのは、「自分が父親に勘当を解いてもらいたいから」などという理由ではもちろんなく、弥左衛門を窮地から救うためだったと思います。今権太が動かなければ、維盛だけでなく、何も知らずに計画を進めている弥左衛門の身が危険です。
「命がけで維盛を守ろうとしている」父親を守るために、権太もまた命をかけた(小せん&善太だけでなく、権太だって命がけの大芝居です。偽物とバレたら只では済まないでしょうから)。仁左衛門さんの言う「おいたわしや親父殿。~了見違いの危ない仕事」には、権太のそういう思いがはっきりと表われているように感じられました。
そんな権太の思いを、小せんは理解していた。
ここで疑問に思うのは「弥左衛門が重盛から受けた恩というのは、それほど大きなものだったのか?」ということ。まぁそれほど大きなものだったわけですが(=命を助けてもらいました)、ここは弥左衛門の台詞がカットされているために却ってわかりにくくなっていますね。

そして縛った妻子を連れ帰宅し、梶原に「親父が匿っていた維盛卿を自分が討った」と差し出す権太。
梶原は生首を維盛の首だと認め、妻子についても本物だと認め、権太の働きへの褒美に弥左衛門の命は許してやろう、と言います。「親の命よりも褒美をくれ」と言う権太。あくまでも、金のためには親さえも売る「いがみの権太」を演じ通します。維盛の首の信憑性を高めるためです。

この花道の出から、再び花道で小せんと善太を見送るまで、仁左衛門さんの演技は本当に……もう……;;

そして父親に喜んでもらおうと真実を打ち明けようと振り返ったところで、父親に刺されてしまいます。
弥左衛門、「三千世界に子を殺す親というのは己ばかり」と涙を流します…。辛いのです…。弥左衛門だって本当は権太を愛しているのです…。可愛いのです…。そんな息子を手にかけなければならなかった苦しみ…。
ここの歌六さんがまた上手いのよぉ~~~~~;;(もうみんな上手くてどうしよう…。歌六さん、昼も夜もGJ!)
もうこの後の仁左衛門さんと歌六さんは涙なくしては観られない。。。。。

権太は本物の維盛親子を呼び出して、真実を語ります。
ですが、実は梶原はすべてお見通しだったということも判明します。
いま目の前で死んでゆこうとする息子に、嘆き悲しむ弥左衛門。
そんな家族の姿を見、また頼朝の思いも受け取って、維盛はついに迷い続けていた出家をする決意をします。
ここでお里と若葉の内侍の「私も一緒に!」の台詞を仁左衛門さんがカットしたのは、正しいと思います(7日には言っていたように思いますが、10日と千穐楽はありませんでした)。特にお里は今まさに実の兄が死のうとしているのに、「おい^^;!」と突っ込みたくなりますから(お里なら言いそうですけどね、笑)。
袈裟に着替え、出立する維盛。
家族に見守られ、息を引き取る権太。
幕、です。

ところで、梶原は一体どこまでお見通しだったのでしょうか。
17代目羽左衛門の芸談に「弥左衛門と権太から「維盛の首を討った」と言われたときにはハッとするのが約束事。実検の時は、腹の中で、偽首であることを祈るような気持ちで見、偽首と分ってほっとする」というのがあります。
梶原は「重盛に恩のある弥左衛門なら維盛を殺すことなく、(なんらかの方法で)偽首を用意するであろう」ということをわかっていたが、実際に偽首を見るまでは自信は持てなかった、というところでしょうか。
梶原は権太の改心まで見通していたかというと、それはあり得ないと思うのです。エスパーじゃあるまいし。それが歌舞伎だ、と言われてしまえばそれまでですが。
つまり権太の一連の行動は梶原の想定外だったけれど、結果的に梶原の理想どおりに権太は動いてくれた(完璧な首を用意してくれた)、そして梶原は無事任務を遂行することができた、ということではないでしょうか。
そういう流れでの権太の「梶原をはかったと思いしが、あっちが何も皆合点」になるではないかと。
ですが権太は結果的に梶原に利用されたけれど、それによって維盛家族を助けることには役立っています。梶原だって、“いかにも”な総髪の首を差し出されて「維盛の首である」とは言いにくかったでしょうし。
ですから、権太はやはり父親の役に立つことができたのだと思います。
しっかし話が入り組んでるというか、ややこしいですよねぇ(^_^;)。きっと江戸時代の客はストーリーがどうこうよりも、こういうややこしさを単純にワクワクと楽しんだのだろうと想像します。先日一階で前に座ったおじさんは、権太が間違えた桶を持っていったときに「あ!」と声を上げて反応していました。あれがきっとこの話の一番正しい楽しみ方笑。

さて、両手を胸の前で合わせる幕切れの場面、千穐楽の仁左衛門さんは、それはそれは素晴らしい表情をされておりました。
前にも書きましたが、ここの権太は苦しみの中から安らかな表情にふっと変わるのですよ。それからガックリと事切れるのです。
前回の記事で、この明るい表情は「ようやく父親に認めてもらえたから」ではないかと書きました。
ですが千穐楽の仁左衛門さんの表情を観て、それだけではないのかもしれない、と感じました。
なんといいますか、仏様を拝んだような透明感のある安らかな表情なのです。
昼の部の知盛とどこか共通したものを感じました。
辛く哀しい現世の苦しみから今解き放たれようとしている、そんな意味合いも含まれた表情なのではないかな、と。
仁左衛門さんが本の中で仰っていた「自分は決してこの世が最高とは思っていない」という言葉も思い出しました。
もちろん仁左衛門さんがそういうつもりで演じられていたかどうかは、全くわかりませんけれども。

しかし『義経千本桜』って、実はものすごく仏教的世界観に支配された狂言なのですね。因果応報、輪廻、諸行無常・・・。
何を今更と言われてしまうかもしれませんが、私がこの狂言を観たのは今回が初めてで(あ、『四の切』は一回ありますね)、今月は昼の部を2回、『木の実/すし屋』は3回観ましたが、千穐楽で昼夜通しで観るまではこの物語のそういう部分をあまり強くは感じなかったのです。
千穐楽の吉右衛門さんと仁左衛門さんの演技を昼夜通しで観て、はじめてそういう世界観を真に感じることができた気がします。


【川連法眼館】

で、これほどの深い余韻を残した『すし屋』の後での、キチュネ
菊五郎さんは夜の部でもやっぱり菊五郎さんで(ほんとほっとする、笑)、「さすが千穐楽は熱いわ~~~」という特別な熱気はございませんでしたが、びっくりしたのがキチュネが進化していたこと

すごいや、菊五郎さん!
7日に比べてすべてのケレンがスピーディーに可憐にパワーアップしておられました
もっとも千穐楽の舞台だけを観た方は、そう思ってはくださらなかったようですけれど・・・。帰りの駅でオバさま方が「千穐楽なのにやる気が感じられなかったわね~」「もうちょっと沢山回転してほしいわよね~」と不満そうに話しておられました・・・。私は7日の舞台でも「やる気がない」とは全く感じませんでしたけどねぇ。。
とにかく私は千穐楽、感動いたしましたよ。
71歳の菊五郎さんがひと月間でこんなにパワーアップするなんて、一体どれほど頑張られたことでしょう。
そして無事にお怪我なく千穐楽まで務め上げられたこと、素晴らしいことだと思います。

鼓に向ける切ない情も、前回よりもぐんとアップ
もっと感じたいという欲求もなくはないのですけれど、この程よさが「菊五郎さんの狐」なのだろうな、と思います。押しつけがましくない、内から滲む情、といいますか。やっぱり好きだなぁ、この狐。
一日の最後が菊五郎さんの狐でよかった。
ふんわり明るい気分で歌舞伎座を後にすることができました。
菊五郎さんの狐忠信、もう観られないのかなぁ・・・という寂しい気持ちもありますが、菊五郎さんにはこれからももっともっと色んなお芝居を見せていただきたいので、狐忠信でお怪我をしていただきたくはありませんから、そういう意味ではやっぱりこれが最後でいいのかも・・・とも思います。
でも『道行』の狐忠信はまだまだ見せてくださいね、菊五郎さん!!


以上、歌舞伎座新開場杮落としの芸術祭十月大歌舞伎。
皆さま、本当に本当にお疲れさまでした。
まさに名作の名演、これ以上望むべくもないほどに味わわせていただきました。
大きな感動を心からありがとうございました!!

そして仁左衛門さん。しばしのお別れ、とてもとてもとても寂しいですが、ぜひしっかりと治療されて、ゆっくりと休養されて、お元気な姿で舞台に戻られるのを首をなが~~~~~くして待っております!!!

しかし、さすがに昼夜通し観劇は疲れました^^;
もう10年若くないとキツいわ・・・(菊之助より上、松緑より下、でございます・・・)。
たった一日通し観劇しただけでこれなのだから、この4月以降の吉右衛門さんのスケジュールを思い返すとぞっといたします・・・。
吉右衛門さん、本当にこの辺りでゆっくり休んでいただきたい・・・・・・。
このまま11月、12月も公演なんて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


※10月7、10日『木の実/すし屋』の感想

※10月7日『四の切』の感想

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芸術祭十月大歌舞伎 昼の部 @歌舞伎座(10月25日)

2013-10-26 23:54:00 | 歌舞伎




頭の中がすっかり500年前のイタリアな中、歌舞伎座千穐楽に昼夜通しで行ってまいりました。
一言。


凄かった。。。。。。。。。。。。。


もうそれしか言えない。
来年3月のオペラ座バレエを諦めて、このチケットを買ってよかった。。。。。
上司に仕事押しつけて無理矢理休みをふんだくってよかった。。。。。たとえクビになっても後悔しない。

吉右衛門さん、凄かった。。。。。。。。。

が。

仁左衛門さんも、凄かった。。。。。。。。

で。

こんなお二人の後じゃ今日は菊五郎さん大変だな・・・。
と心配したら。

菊五郎さんは、千穐楽などというイベントには左右されない自由なお人だった(笑)

三人三様、それぞれの個性を存分に見せてくださった千穐楽。
まずは昼の部の感想から。
1階5列中央。


【鳥居前】

菊ちゃんの義経さまは、今日も変わらず麗しゅうございました。
美しい役者の板付は「うわぁ~」という眩しさを味わえるので大好き。
しかし菊ちゃんは前回たっぷりと堪能させてもらったので、今回は菊ちゃん以外をじっくり堪能。

梅枝の静。
義経と離れたら死んじゃうウサギちゃんのような健気さで、いじらしかった。。。梅枝は、菊之助とも松緑とも亀三郎ともカップル的に相性よいですねぇ。『新薄雪』の勘九郎とはあまり相性よくは見えなかったのですが、意外に相手を選ばない女方さんなのですね。

松緑の狐忠信。
『陰陽師』に続き、私の荒事&立ち回りアレルギーを発動させない貴重なお人!!立ち回り、カッコよくて惚れ惚れしました。松緑の荒事、ほんと好き。

亀三郎の弁慶。
まさに『鳥居前』の、情けなくも可愛らしい弁慶そのものでした!よかった。

亀寿の笹目忠太。
ええと、声も仕草もせっかくノリノリなのに、目がとても真剣なのが少々残念でした^^; でもこういうのはこれから場数をこなして余裕を持てるものなんでしょうね。笑わせるポイントは上手だったと思います。

あと、四天王の歌昇(亀井六郎)が声も通っていてカッコよかった。

以上、まだ寒いなかに咲く早春の梅のごとく、若々しい華やかさを感じさせてくれた一幕でございました。
大満足♪


【渡海屋/大物浦】

『渡海屋』で今回特に感動したのは、知盛の花道の最後の引っ込み。戦に臨む高揚と、義経へ恨みを晴らせる喜びと、緊張感と――。これは、吉右衛門さん以外の役者さんが思いつきません。

しかし、先日と比べ段違いの迫力だったのが、『大物浦』。
10日の知盛だって十二分にすごかったのに、千穐楽の知盛は桁違いでした。
正直他の日とこれほど差があるってどうなんかい?と観終わった後ちょっと思ってしまいましたが、今回の舞台を観ていなければ先日の舞台でもすごく大きな感動をいただいたので、五月蠅いことは申しませぬ。
神がかってるとか知盛が憑依してるとかいうレベルじゃなく、知盛そのものでした。
もし昨夜吉右衛門さんが亡くなりましたと言われても、全然不思議に思いませぬ(縁起でもないと怒らないでくださいね。知盛が海に身を投げた後、生きている吉右衛門さんが想像できなくなってしまったのです。あの知盛を観た方ならわかっていただけるはず)。
とくに「果報はいみじく」以降は、吉右衛門さんもう長生きするつもりないんじゃ…?と疑ってしまった。それぐらいの迫力でした。

芝雀さんも、10日から随分演じ方が変わっていて、驚きました。
先日はしっとり泣かせる芝居だったけれど、千穐楽は熱くて、力強くて、大きかった。
どちらも素晴らしかったですが、もう一人の主役ともいえる迫力はやはり今回の方でしょうか。
泣いた。。。

梅玉さんの義経がまた、もうねぇ。。。
最後の花道で義経が一瞬立ち止まってそっと目を閉じるところ、その意味するところの深さに、もう涙も息もとまって、胸がいっぱいになりました。空気が哀しくて、濃くて、なのに不思議に清らかで――。

そして、なにより。
これほど何から何まで物凄くなってしまった舞台の最後の最後を一身に引き受けた歌六さんのプレッシャーこそ、半端なかったと思いますよ。
それを見守る私のプレッシャーも半端なかったですが・・^^; ラストが近付くにつれ、歌六さんへの同情が増すばかりでした。
しかし、やってくれました歌六さん!
憎しみも哀しみもすべてを浄化してくれる、それは懐の深い清らかな音で〆てくださいました。
弁慶のたっぷりな雰囲気も、あいかわらずご立派!
もう本当にこの〆に至るまで、『渡海屋/大物浦』は義経千本桜の中の名作中の名作でございますね。。。


さて、千穐楽の舞台を観終わって、この物語について自分なりに考えをまとめてみました。
以下は、その覚書のようなものです。

筋書きで吉右衛門さんは「(知盛は)義経への恨みを晴らして自分も果てようと計画していたのでしょう。性根はひとつ。男らしくひたすら安徳帝にお仕えしている」と仰っています。たしかに吉右衛門さんの知盛には、義経への恨みを晴らすためだけに生き延びてきたような、そんな雰囲気がありました。
しかし義経を討っても運よく(?)死ななかった場合は、知盛はどのような人生を送ったのでしょう。
安徳帝もいるわけですから、まさか自害するようなことはないはず。
彼が典侍の局に言う台詞に「(知盛が生きて義経を討ったと噂になれば)知盛また重ねて頼朝に仇も報はれず(吉右衛門さんは「為せず」、だったかな)」というのがありますよね。
この言葉を素直に読むと、知盛はいずれ頼朝へも復讐するつもりだったということになります(義経は戦闘のリーダーだっただけど、源氏のラスボスは頼朝ですしね)。その暁には安徳帝を立てて平家復興なんて夢も少しは持っていたかも…とそんなことを想像するのも楽しいですが、おそらくこの物語ではそこまで考えるべきではないのでしょう。
知盛は本来壇ノ浦(作品では屋島)で死ぬべきだったのに、それを生き残ってしまった幽霊のような存在なのだと思います(知盛の心情的にだけではなく、物語の中の位置づけとしても)。
ですから彼はやはり、この大物浦で死なねばならない。ここで浄化されることこそがこの物語の目的で、そのために作者は知盛を生き返らせたといってもいい、これはそういう性格の物語なのではないかなと、あれから一晩たった今、そう思います。千穐楽の吉右衛門さんの知盛は、そんな知盛でした。
そう思って観ると、前半の明るい銀平の場面も、ただ楽しいだけではなくなりますね。

知盛が出陣する前に「万が一のときは君にも見苦しからぬ最期を」と典侍の局に言い残すじゃないですか。あれを初めて聞いたとき、「安徳帝は知盛にとって何より敬うべき存在だけど、それでもやっぱり道連れなんだな」と感じました。
この時の知盛は、安徳帝の運命が平家と共にあることに、何の疑問も抱いていません。
まぁ実際問題、既に源氏の世で新天皇が即位している以上、知盛達がいなくなればこの幼帝は生きていけないわけですし、それに「平家の仇である源氏は、(清盛の孫の)安徳帝にとっても当然仇」と知盛は疑わなかったのだと思います。そういう意識の上に成り立っている、知盛の「ひたすら安徳帝にお仕え」なのでしょう。史実でも安徳帝は平家と運命を共にしていますしね。

結果として、義経への復讐は成らず、知盛は敗れました。
安徳帝を連れて死のうとした典侍の局からこの帝を救い出したのは、義経です。
義経は安徳帝を決して悪いようにはしないと約束しますが、知盛、「そんなのはお前が天恩を思ったからにすぎず、俺が恩に着るいわれはない」と跳ねつけ、まだ戦おうとします(そんな頑なな知盛がちょっと可愛い場面…。不謹慎ですみませんね^^;)。源氏への恨みは決して浅くはないのです。
そんな知盛の心を溶かしたのは、安徳帝自身の言葉。
「我を供奉し永々の介抱はそちが情け、今また我を助けしは義経が情けなれば、仇に思うな」
安徳帝も幼いながら辛い思いを沢山してきた子供ですが、人の心の良い面に目を向けることができる子供です。子供だからこそ、曇りのない目で世界を見ることができるのかもしれません。
ちょっと義経に似た透明さを感じます(義経の方に子供のような透明さがある、といった方が正しいかも)。
この言葉を聞いて先に心を決めるのは、典侍の局。
この部分、男性にはない女性の心の逞しさのようなものが感じられて、好きです。
頼朝に追われている身とはいえ義経もやはり源氏ですし、この先源氏の世に生きていく帝にとって自分の存在は為にならないと、自害します。
そんな幼帝と典侍の局に知盛の心の闇はついに消え、敵味方としてではなく義経に向かい合えるようになり、幼帝の供奉を頭を下げて頼み(ここの吉右衛門さん、ほんと泣けた・・・)、それをしっかりと引き受けた義経に安堵し、仲間の沈む海に身を投げます。

頼朝に追われている身でありながら、安徳帝の身を預かった義経の覚悟もまた、感慨深いですよね。
義経が安徳帝を連れて花道を去り、弁慶が法螺貝を吹くラスト。
やはりこの狂言は、『義経千本桜』。義経を中心に織りなされる物語なのですね。

曽我物の上演が曽我兄弟への鎮魂の意味があると何かで読んだことがありますが、この『渡海屋/大物浦』という狂言もまた、当時の庶民による知盛や平氏、そして幼くして亡くなった安徳帝への鎮魂の意味が込められているのかもしれないな、と感じました。
そもそもこの狂言が材料にしている『平家物語』自体が、そういう性格の物語ですものね。

この世界、好きですねぇ。。


【道行初音旅】

前幕がこれほどの盛り上がりだったので、『道行』は一体どうなってしまうのだろう、と思ったら。
菊五郎さんはやっぱり菊五郎さんでございました。
お見事なほどのマイペース
というより、心なしか全体的なウキウキ感が先日より減っておられたような^^; 團蔵さんに合流する場面の粋なノリノリ感が大好きだったのですが、今回は普通にスタスタ歩いてた、笑。
最初の上手への引っ込みとラストの花道への引っ込みも、最後の数歩は素に。一か月の間の公演の最後でお疲れだったのだと思います。。。

もっとも、継信討死の場面を再現する部分はとても見応えがありました。
静とともに継信の死を悼む切なさが出ていて、見入ってしまった。

一方の藤十郎さんは、先日よりお声も動きもお元気でした。
藤十郎さんのこのほんわぁ~~~な雰囲気も、貴重な個性ですよねぇ。
私は『先代萩』の政岡よりも、この『道行』の藤十郎さんの方が好きでございます。

團蔵さんは今日も安定のノリノリ。
菊五郎さんもスッポンからの出と花道の引っ込み(揚幕前以外)は今回も素晴らしく、最後にふわぁ~~~って笠を投げて團蔵さんがナイスキャッチするところは、客席を柔らかく楽しげな雰囲気でいっぱいにしてくださいました。
5月の『先代萩』→『吉田屋』にしても、9月の『新薄雪』→『吉原雀』にしても、今月の昼&夜の部にしても、最後にはちゃんと客を笑顔にして帰らせてくれる。歌舞伎のそんなところも、大好きです。


夜の部へ

※10月10日昼の部の感想

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システィーナ礼拝堂500年祭記念 ミケランジェロ展―天才の軌跡 @国立西洋美術館

2013-10-24 01:02:59 | 美術展、文学展etc

システィーナ礼拝堂の天井画がミケランジェロの手により完成してから、500年。
ということで、国立西洋美術館で開催中のミケランジェロ展に行ってまいりました。
例によって、金曜の夜間開館を利用。混んでいる美術館なら行かぬ方がマシという私にとって、このサービスは本当にありがたいです。
目玉作品の前でさえ、せいぜい3~4人しかいないのですから。ミケランジェロなのに!
ラファエロ展同様、周りを気にせずゆったりと、心ゆくまで好きな作品を堪能することができました。

会場への階段を下りていくと、あら、勘九郎のお写真がお出迎え。私は友人と一緒だったので借りませんでしたが、今回の音声ガイドを担当されているそうです。
ミケランジェロと歌舞伎役者。システィーナ歌舞伎つながり、でしょうか(大塚国際美術館でも現在、『神のごときミケランジェロ展』が開催中です)。
勘九郎は10代の頃に、勘三郎さんにシスティーナ礼拝堂に連れていってもらったそうです。
「一緒に旅行をすると必ず美術館巡りをしていました。礼拝堂も父が希望したので家族で行きました」とのこと。勘三郎さん、素敵な人だ^^

私がイタリアを訪れたのは、今から十ン年前の1999年。
来たるべきミレニアムに向けて、バチカンのサンピエトロ大聖堂も、ミラノの最後の晩餐も、ローマの地下鉄も、どこもかしこもラストスパートの修復ラッシュでございました。今思うと、あれはあれで面白かったですね。最後の晩餐の修復風景など、なかなか見られるものではありませんし。またヴェネチアは仮装カーニバルの真っ最中で、その年の1月に導入されたばかりの通貨ユーロの仮装をした人などを見たのも、いい思い出です。

さて、そのサンピエトロ大聖堂。
はじめて見たときは、それは衝撃でしたよ。
感動というより、ただただ圧倒されたというのが本音です。
そもそもこんな規模の教会など、生まれてから一度も見たことがありませんでしたから。
二千年もの間続いてきた宗教というのは、世界最多の信者数を誇る宗教というのは、ただ「人の心の救い」というような単純なものではないのだな、と。
とりわけカトリックの総本山というのは、やはり一つの巨大な権威でもあるのだな、とそんな風に感じたものです。

もちろんシスティーナ礼拝堂も見学いたしました。
このお部屋も、それは衝撃でした。
だって、上を見ると――



前を見ると――




ご・・・・ごちゃごちゃ・・・・・・・・・・^^;?


当時の私は聖書の知識も美術の知識も皆無でしたので(今も似たようなものですが)、これが正直な感想でございました。
筋肉隆々な裸体のカーニバルです。

ですが、例えば天井画の中央部分をズームインしてみますと――。



このアダムの肉体の美しさ・・・!
この一枚の絵に表現された躍動感!

さらにズームイン。



このたった二つの手が表現しているものの豊かさ!
やはりミケちゃん、只者じゃない!!

この天井画、行かれたことのある方ならご存知のとおり、真剣に見ようとすると首の疲れが半端ないです。
数分見ているだけでそうなのですから、1508年から4年の歳月をかけてこれを描いたミケランジェロはどうであったか。しかもそれは、時間との闘いのフレスコ画。
当然ながら首の骨は曲がり、また滴る絵具が目の中に落ちたことにより、かなりの視力が失われたといわれています。
にもかかわらずその20数年後、1535年から今度は5年の歳月をかけてあの巨大な祭壇画『最後の審判』を完成させているのですから、“天才”の名は伊達じゃございません。
しかしこういう絵を見ていると、キリスト教というのはとても積極的な信仰を人々に要求する、それが根本の宗教なのだな、と改めて感じます。その上に救いがあるのだな、と。そうであれば必ず救われる、とも言えるので、一層強い信仰心が信者のなかに育まれるのだろうな、と。
この天井画や祭壇画の下絵も、今回来日しておりますよ。必見。

ですが当時も今も、私が最も惹かれるミケランジェロは、やっぱり彫刻なのです。



サンピエトロ大聖堂のピエタ像(未出品)。1498年-1500年。
観光客で溢れる大聖堂の中で、どんなに多くの人々に囲まれていようと、この周りの空気だけは常に静かで、誰にも侵すことのできない神聖さが毅然と存在している。



ご存じ、フィレンツェのダビデ像(未出品)。1501年-1504年。
この肉体美!!


さて。
ミケランジェロは彫刻でしょ♪という思いに変わりはありませんが、今回の企画展で感動したのが、初めて見たミケランジェロの素描の数々でした。
ラファエロ展の記事でも書きましたが、私は遥か昔に描かれた素描というものが大好きなのです。
なんといいますか、それをじっと見ていると数百年前の画家の息遣いや温かな体温をすぐ近くで感じるような、そんな気がするのです。画家の存在をとても身近に感じるのです。

しかも今回来日している作品が、それは素晴らしいのですよ。


【レダの頭部習作】1530年頃

チケットを購入したときに一目惚れした一枚。
テンペラ画《レダと白鳥》(紛失)のレダの顔の準備素描だそうです。
このモデルは男性ですが、左下のデッサンでは睫毛を書き足すなどして女性らしさを出す工夫が覗えます。
どこかサンピエトロ大聖堂のピエタを思い出させる絵でもあります。
500年前のこの女性(男性)は、何を思っているのでしょう
これを描いたミケランジェロは、何を思っていたのでしょう。



【クレオパトラ】1535年頃

習作ではなく独立した完成作で、親しい青年貴族のために制作された贈呈用といわれている作品。
やはり、ミケランジェロの彫刻を思い出させる美しさです。

以上2点の素描は、絵葉書とは別にA4サイズのものがミュージアムショップで売られていました。1枚300円。
部屋の壁にかけていますが、朝と夜とで雰囲気が変わり、どちらもとても素敵なのです。

最後に、今回来日している作品の中から、ミケランジェロの彫刻をご紹介しましょう。


【階段の聖母】1490年頃

15歳の頃の作品です。
イエスの赤子らしからぬ(笑…)肉付きに、ミケランジェロの彫刻の特質が既に見受けられるように思います。
下にご紹介する最晩年の彫刻と並んで、本企画展のポスターにもなっている作品。
そのコピーは、『少年の彼が掘り出したもの』


【キリストの磔刑】 1563年頃

死の直前に彫られた、30cmにも満たない小さな小さな彫刻。
展示の最後の最後で「やっぱりミケランジェロは彫刻だよね」と強く思わせられた作品です。
一見すると未完成のようにも見えるイエスの姿に、うまく言えないのだけれど、あれから数日たった今でも心から離れない作品です。
ポスターのコピーは、『晩年の彼が遺したかったもの』

以上、その作品だけでなく、ミケランジェロ・ブオナローティという生身の人間にも惹きつけられた企画展でした。
イタリアの美術や歴史をもっともっとしっかり勉強して、いつかもう一度、イタリアに行きたいです。


※お帰りの際は、美術館前庭のロダンの彫刻『地獄の門』をお見逃しなく!
システィーナの祭壇画『最後の審判』と同じく、ダンテの『神曲』地獄篇をイメージして製作された作品です。
夜にライトアップされた地獄の門は格別でございます。

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今日は澤瀉屋の日!

2013-10-22 12:27:01 | 歌舞伎

本日10月22日の誕生花は、オモダカでございます
なので今日は澤瀉屋の日!と勝手に命名。

澤瀉の花言葉は、「信頼」「高潔」。
素敵ですね。
wikipediaによりますと、‘澤瀉屋’の名前は、初代市川猿之助(二代目市川段四郎)の生家が副業として薬草の澤瀉を扱う薬屋を商なっていたといわれることに由来するそうです。

さて、来年1月の新春浅草歌舞伎は、猿之助&愛之助ですね。
会社の共済会から割引券の案内が届きましたが、私は2500円席狙いなのであまり関係ありません^^;
新春浅草歌舞伎は私を歌舞伎に引き戻してくれた記念すべき公演なので、来年もまいります!
今年の海老蔵&愛之助の『勧進帳』、よかったなぁ。
でも今になって、あの公演中の團十郎さんのご容態、そして当時の海老蔵の気持ちを思うと、切ないです。
あの公演でにらみを急に全日程に変更したのは、やはり團十郎さんの回復を強く願う海老蔵の思いの表れだったのではないかな。。

話を戻しまして、来年正月の浅草。
猿之助&愛之助はプライベートでも親友同士のようですので、どんな舞台を魅せてくれるか楽しみです♪
澤瀉屋!松嶋屋!


追記:
歌舞伎美人に演目の詳細が発表されておりましたね。
・・・って、猿之助&愛之助が同じ演目に出演しないって何ごと!?
今年の海老蔵&愛之助は、昼も夜も共演していたというのに!!
うぅむ。。。
そして今思い出したのですが、考えてみたら来年正月は歌舞伎座があるのですね!今年正月にはなかったということが、今ではなんだか夢のようですが。となると・・・、ちょっと歌舞伎座の方に・・・惹かれる・・・かも。。
ところで竹三郎さんの会で猿之助のファンになった私は(四の切に対して色々書いてはおりますが私は好きですよ、猿之助)、猿之助の女方が観たくてたまらないのですが、もうやらないのだろうか。。。

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芸術祭十月大歌舞伎 昼の部 @歌舞伎座 (10月10日) 

2013-10-20 03:16:22 | 歌舞伎




今月の舞台を観ながら、私は思いましたよ。
歌舞伎座には確実に神さまがおられますね。一人じゃなくていっぱい。
それはきっと、過去にこの舞台に立ってこられた人達ですよ。
その人達が、いま同じように身を削って舞台の上にいる役者さん達を、高いところから見守ってくださっているのだと思います。

というわけで、鑑賞から10日もたってしまいましたが、昼の部の感想でございます。


【鳥居前】
うわ、菊之助の義経…!

美しい。。。。。。。。

眩しすぎて目に毒だわ。。
若々しくスッキリとした気品と、明るさと、優しげな情もあって、こんな義経ならそりゃあ静も付いていっちゃうよねぇ~と納得させられる麗しい義経様。

今回は前から6列目の席で菊ちゃんと目が合いまくりだったのですが(わかってますよ、錯覚ですよ)、シッカリ見つめ返してこの眼福な眺めを堪能させていただきました。
この「私のために演じてくれてるのね!」な贅沢感を味わわせてもらうための1万8千円ではなかろうかと、本気で思う今日この頃。滅多に買えませんけど。
でもこの勘違い席は、お目当ての役者さんが他にいる場合には、かえって観にくいのですよね。5月の花子のときはやっぱり菊ちゃんと目が合いまくりでしたが、そんな菊ちゃんの視線をガン無視で玉さまばかりを目で追っていたため、それは心苦しかったものです(はいはい、わかってますよ、全部錯覚です)。
他に今までにこの勘違い魔法をかけてくれた役者さんは、梅玉さん、菊五郎さん、時蔵さんなど。ひじょ~に残念なことに、仁左さまはこの魔法をなかなかかけてはくれませぬ。。玉さまや吉右衛門さんもないなぁ。視線はこっちを向いているのに私のことは見ていない、みたいな。。ああ、切ない片思い。。

以上、ひたすら菊ちゃんの美しさに目を奪われた『鳥居前』でございました。
…って、まったく参考にならない感想ですみませぬ。。
松緑の忠信も、亀三郎の弁慶も、梅枝の静もよかったのですけれど、私には菊ちゃんの存在感が圧倒的すぎたのでございます。。。


【渡海屋/大物浦】
これはもう、吉右衛門さんの知盛に尽きる。。。
すごく良かった。本当に良かった。正直、今までに観た吉右衛門さんのお芝居の中で一番感動したかもしれない。
渡海屋の男ぶりといったら
その芸の余裕!
今月仁左衛門さんからも、菊五郎さんからも強く感じたことですが、なんでしょう、この芸の余裕から滲み出る艶は。
もちろんご体調を考えれば余裕なわけはないのですが、そんなことは微塵も感じさせず、といって余分な力みも一切なく。気負いなく演じられる役の魅力と、役者自身の魅力が、最高の配分で混ざり合った結晶を目の前で見られる歓びといったら!
歌舞伎の芸ってこういうものをいうのだなぁ、歌舞伎の感動ってこういうところにあるのだなぁ、とあらためて感じさせてもらえました。

相模五郎(又五郎さん)と入江丹蔵(錦之助さん)を追い返す場面では、その台詞まわしと一挙手一投足に聞き惚れました、見惚れました。いい男だぁ。。
そして海戦に出る前に典侍の局(芝雀さん)に言う挨拶がまた、見惚れます、聞き惚れます。
「沖の提灯松明が一度に消えたら我が討死の合図と心得、お覚悟を」と最悪の事態について説きつつ、戦に臨む緊張感の中に、待ち望んだ一門の無念を晴らす機会をついに得た歓びが溢れていて。
うまいなぁ。
こんな演技、この人以外には出来ないのではないかしら(いや、仁左さまにも出来る気がする。観てみたい)。
吉右衛門さんをこんなに美しいと感じたのは初めてだわ。衣装も美しいけれど、それを着ている吉右衛門さんはもっと美しい。

芝雀さんがまた、泣かせるのですよ。
『渡海屋』でのお柳→典侍の局への変化もそれは見事で、『大物浦』で安徳帝が「いまぞ知る」の句を詠む場面では、生まれたときから乳母として帝の側にい続けてきた女性の心情が溢れ出て……。常に気高く凛としている女性なだけに、こういう場面には一層泣かせられる……。女方さんってすごいなぁ…。
この安徳帝の子役も、首や手のゆったりとした傾け具合や話し方が子供ながらに帝で、感動を倍増させてくれました。

そして血まみれになって花道を戻ってくる知盛。
輝かんばかりに出立した数刻前との差が……切ない……。
けれどいま帝は義経の手に渡り、帝から「我を供奉し長々の介抱はそちが情」の言葉を承って、典侍の局も命を絶ち……。
知盛の目から闇がすぅと消えてゆく様は、すこし『俊寛』のラストを思い出しました。
そして――。
「昨日の仇は今日の味方。嬉しやなぁ…、心地よやなぁ…」
っこの表情…!!
吉右衛門さん…(><)!!!

梅玉さんの義経がまた、こんなに大きな知盛を受け入れる透明な優しさがあって、素晴らしいのよ…(号泣)
知盛にあの台詞を言わせるには、この義経でないと!
海に身を投げる知盛を下手から見守る表情も、すごく良かった。
そして義経もまた、兄頼朝に追われている身なのよね…。

安徳帝を連れて義経が去った後、一人残った弁慶が吹く法螺貝は、海に沈んだ知盛と、そして数多の平家の人々への、鎮魂の意味が込められているのだと思います。
ここの歌六さん、雰囲気があってよかったなぁ。
歌六さんのブログによりますと、この法螺貝は下座に任せてしまうのが通常で、実際に自分で吹く役者は珍しいのだとか。
ここは役者さん自らが吹かないと興醒めでしょう!
台詞と同じかそれ以上の意味をもつ、とっても大事な音なのですから。
毎日楽屋で練習されているという歌六さん、アッパレです。
将来この役を演じる可能性のある若手さん達も、今のうちから練習しておいてほしい。
ところで、「ぽわぁ~♪」っていう綺麗な音が出る前の「しゅ…ふしゅぅ~…」という空気が抜ける音、これって法螺貝では多かれ少なかれ出てしまう音なのですね。たまたまこの数日後に別の場所で法螺貝を聴く機会があったのですが、やはりこの音が出ていたので、あれは別に歌六さんの失敗というわけではなかったのだな…と確認できました^^;


【道行初音旅】
そんなこんなで前幕の感動がなかなか去らず、あっという間の20分間の休憩が終わり、『道行初音旅』。
ネットでほとんど良い評判を聞かなかったこともあり、まぁ気楽に楽しもう~♪と観始めたのですが。

まずは板付の静御前。
藤十郎さんがとても若々しい可愛らしさで、おどろきました。
なんともいえない華やかでふんわりした春らしい空気が漂っていて、とってもいい感じ

そして鼓を打つと、スッポンから菊五郎さんの狐忠信がせり上がってきますよ。

………

ちょ…・・・

…か…・・

かっこいい…!!!

これはなにごと!?
四の切のあの超キュートなキチュネとはまるで別人な、男ぶり炸裂な狐が目の前に!
き、菊五郎さんに初めてそういう意味でドキドキした。。
いや待て。
こんな男ぶりを私は前にも見たことがあるぞ。いつだったか…・・
そう、あのyoutubeで観た若き日の菊五郎さんだ!
はじめて今の菊五郎さんとこの↑菊五郎さんが同一人物だと実感いたしました。

71歳で、仁左さまのようなほっそり体形でもないのに、ノックアウトさせられるこの色気。。。
すごすぎる、菊五郎さん。。。
以前は「女遊びは芸の肥やし」なんていう言葉は役者の都合のいい言い訳にしか聞こえなかったけれど、この菊五郎さんを見たら、やっぱり歌舞伎役者は遊んでなんぼなのかもしれん・・・と本気で思ってしまった。

インタビュー「主従関係は忘れちゃいけませんが、道行の題名が付いていますし、前の(『渡海屋』『大物浦』の場の)重い空気を変えるのがこの場ですから、お客さまをウキウキした気分にさせることが大事」と仰っているとおり、舞台上の菊五郎さんのおおらかで楽しそうなこと。
その表情を見ているだけで、ウキウキ気分でいっぱいになれました

また菊五郎さんの狐忠信が、藤十郎さんの静ととっても合っているのです。
過去の上演記録を見ると時蔵さんや菊之助の静ともこの道行を踊っているようですが、それでは「あっさり属性×あっさり属性」になってしまうではないの。
この「あっさり属性×こってり属性」のカップルが生み出す独特の空気感が、たまらないのに。
忠信と静が恋人のように踊る場面はドキドキする色っぽさと華やかさで、「ご両人!」という掛け声が本当にピッタリだった。
それに菊五郎さんの人を食ったような雰囲気は(褒め言葉です)、後輩や息子の静と組むよりも、年上の先輩の静と組む方がその魅力がより引き立つように思うのです。
…しかしよく考えてみると『喜撰』の時蔵さんはすんごく大人な色気があったので、もしああいう雰囲気なら、菊五郎さん&時蔵さんはか~な~り観たいかもしれない…!18禁っぽいけど…!

鼓を両手に抱えて後ろの静に取られまいとするような振りのところも、愛嬌があって可愛らしかった*^^*

團蔵さんの藤太。
こういう役もお上手ですねぇ。
舞台の奥の菊五郎さんも楽しそうに見てた、笑。

最後の花道の引っ込みの狐六法も雰囲気たっぷりで、『渡海屋/大捕物』と全く種類は違うけれど、同じくらい大きな感動をもらえた『道行初音旅』でした。
こんな粋な軽みと芸の深みに溢れた道行を、今度はいつ観られるのだろうか。


※10月25日千穐楽昼の部の感想

※歌舞伎美人インタビュー:中村梅玉

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芸術祭十月大歌舞伎 夜の部② @歌舞伎座(10月7日) 

2013-10-14 23:38:32 | 歌舞伎




【川連法眼館】


仁左衛門さんの『すし屋』で洪水の涙を流した後は、30分間の幕間を挟んで、菊五郎さんの『四の切』です。
あらためて、一階席はええですなぁ~。この演目は舞台が綺麗だから見応えある~。
隣のおば様方が「多少高くても、舞台に近い方がいいわね~」と話しておられましたが、そのとおり。ただ“多少”じゃないんですけどね^^;

さて、『四の切』。
この演目を観るのは、7月の猿之助につづいて2回目です。
前回が澤瀉屋型、今回が音羽屋型。
って、、、、、音羽屋型もケレンが満載なんですね…
菊五郎さんが演じられると知った時点で「音羽屋型=ケレンが少ない」と思い込んでいた私は、かなりビックリいたしました。
たしかに宙乗りがなかったり(もっとも私が観た猿之助も巡業だったので宙乗りでなく桜の木で、今回と同じ)、狐が天井から落っこちてこなかったり、最後の追手の人数が少なかったりと多少の違いはありましたが、素人目には「型」の違いというほどの差は感じませんでした。
それもそのはず。歌舞伎美人によると現行の澤瀉屋型は『当代猿翁が、従来の澤瀉屋の型をベースにケレン味を最小限に抑え、狐の親子の情愛を描くことに重点を置いた音羽屋型を取り入れながら、上演の度に工夫を加えました。』とのこと。
猿之助が演じている四の切も、純粋な澤瀉屋型ではなく音羽屋型を取り入れているから、この二つはよく似ているのですね。

けれど私は今回、猿之助の狐からはもらうことができなかったものを、菊五郎さんの狐からいただくことができました。
素直に「可愛い」と思える愛嬌、嫌味のないケレン、あざとさのない狐言葉。観劇後の後味がよかったのは、断然今回の方でした。
猿之助はせっかく素晴らしい素材と身体能力とガッツを持っているのですから、この菊五郎さんの「演技の自然さ」をもう少し見習ってほしい。。。ニンに思えるだけに本当にもったいない。。。(ちなみに猿翁や右近さんの狐忠信は好きです。映像で見ただけですが)

前半の忠信。
これはなんといっても菊五郎さんですから、安心の演技でございました。まあ立派なこと、立派なこと。立派すぎるくらい、笑。

後半の狐
登場前から、すでに階段がゴソゴソ(ちなみに友人が観た日は、階段から一瞬手が見えたそうな^^;)
そしてクルンッと登場。
クルンッと・・・・・・・・クルン・・・・・
・・・・・。
・・・階段の上になんかのっかってる。。。。。
行き倒れのクマさんみたいのが。。。。。
き、狐の登場シーンってこんなだったっけ(混乱)??たしか猿之助はハイ、登場!みたいなポーズをキメてなかったっけ??それともこれは音羽屋の型??
気のせいか客席にもびみょ~な空気が。。。
あ、起きた、クマさん。。。^^;

にしても―――


可愛い・・・。


白状しますと私、キモい狐を覚悟していたんです(スミマセン)。
だけど、可愛い!!!
さすがは菊五郎さんだ。ただの粋な太ったおっさんじゃなかった。いや、もちろんそんなことは百も承知でしたが、それでも狐はアレだろうと思っていたのです。
体を嬉しげにゆすりながら階段を上るキチュネ・・・・・やば、萌える・・・・・。なんだ、このものすごいインパクトの萌えキャラは・・・。
あの感動の涙の『すし屋』の直後に、よもや同じ舞台でこんなイキモノを観ることになろうとは・・・。やはり歌舞伎は侮れない・・・。

欄干を乗り越えるときは「よっこらせ」だし、欄干渡りも数歩で終了だし(でもあの高さから飛び降りた!すごい!でも足は大丈夫!?)、垣根に飛び込むときは水車に掴まって「はい回しますよ~」だし、クルクル回転は「ぐーる、ぐーる」だし、立ち回りではタテさんの背中に乗りきれず前方の床へドテンだし、もしこれが歌舞伎でない普通の演劇だったら、金返せな「出来」なのかもしれません。
でも、歌舞伎の「出来」って違いますよね。
菊五郎さんという歌舞伎役者がもつ、積み重ねてきた芸の空気というものが、匂いというものがあるのですよ。それが舞台に広がっているのですよ。他の人には代わりになれない狐忠信がそこにいるのですよ。もちろんそれがあればなんでもいい、とは申しませんが、それって歌舞伎ではすごく大事なことなのだな、ということを強く知ることができた夜でした。

とはいえ、狐の前半はやはりケレンでお気持ちがいっぱいいっぱいだったのか鼓へ向ける情が薄めで、この部分は千穐楽にどうなっているか楽しみ。
そして、ラスト。
静から鼓をもらって、歓びを全身で表す子狐。菊五郎さん、ニッコニコ!!!
もう心から「よかったねぇ、キチュネ*^^*」って思ってしまった。たぶん客席の皆さんもそうだったのではないかな。
あの大きな拍手は、「菊五郎さん、よく頑張りました」の意味合いだけでは決してなかったと思います。

最後は上手の桜の木に登って(自動で上がって)、幕。

菊五郎さんは、やっぱり粋でした。
ものすごく頑張っておられるのだろうし、汗もいっぱい掻かれていて、あのいつも飄々としている菊五郎さんが……;;という感も確かにありましたが、それでもやっぱりいつもの「菊五郎さんな空気」がある。なんかそんなところにも感動してしまいました。
歌舞伎は「お遊び」だと言い切る菊五郎さん。
そんな菊五郎さんが、私は好きです(ああ、私が仁左さま以外に告る日がくるとは…!)

時蔵さんの静御前。
情は控えめですが、綺麗で品のある静でした。
隣のおば様方も「時蔵、綺麗だったわねぇ~」って喜んでた^^
でも菊五郎さんを見守る目が、すこしだけ心配そうに見えてしまった。。

梅玉さんの義経。
もう何も言うことはないです。完璧な義経役者。少し浮世離れした空気があり、気品があり、出過ぎない情もあり。
最後に鼓を狐に与えるとき、静に「そなたから渡す方が狐も喜ぶだろう」というような表情を微かにみせるのがとてもよい。

あとこれは本当に観る人の好みだと思いますが、最後の立ち回りも私は今回の方が好きでした。
立ち回りが派手で長いと、二重舞台の上に突っ立っている義経と静がなんだか間抜けですし、それまでのお話の感動が次第に薄れてきてしまうので。。

そんなこんなで、大きな満足をくれた『四の切』でございました。
仁左衛門さんの『木の実』『すし屋』といい「今月の夜の部は豪華だな~♪」とほくほくして家路についた私。
数日後に観る昼の部で、これまた予想を超える感動をもらえることになろうとは、このときは知る由もございませんでした。
歌舞伎座新開場杮落しの芸術祭十月大歌舞伎。
いやぁ、スゴイです。

※10月25日千穐楽夜の部の感想

東京新聞インタビュー(菊五郎)

歌舞伎美人インタビュー(梅玉)

※菊五郎さんのコメント(音羽屋HPより)
2013年10月7日
3ヶ月間のお休み明けの今月10月は歌舞伎座に出演しております。
歌舞伎座での「通し狂言 義経千本桜」は平成19年以来6年ぶりとの事です。
昼の部は、「道行初音旅」に出演しております。
やはり、スッポンからの”出”は一番緊張致します。主従の関係を心しながらも、前半の重い空気を変えて道行は華やかに、そして、皆様にうきうきして頂けますよう演じております。昔は型から役に入っておりましたが、今は心から役に入り体が後で付いてくるという感じです。
夜の部は「川連法眼館」に出演しております。
変わり目変わり目をはっきり演じるように心がけておりますが、なにしろ、とにかく体力のいるお芝居です(笑)。
人間の忠信の芝居を大切に演じ、狐に繋げていき…親子、主従、兄弟の「愛」を表現したいと思います。
過ごしやすく、お出掛けしやすい季節となりました。
是非、歌舞伎座に足をお運び下さいませ。

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芸術祭十月大歌舞伎 夜の部① @歌舞伎座(10月7、10日)

2013-10-13 21:06:26 | 歌舞伎




今月は昼も夜も、たっぷりと泣かせていただきました!
鑑賞順に、まずは夜の部の感想から。
7日は夜の部を通しで(1階5列目)、10日は『木の実』『すし屋』のみの鑑賞でした(幕見)。
楽日までに、もう一回行く予定です。
今後半年分、仁左さまのお姿を観だめしておくのだ。あのお声を聴きだめしておくのだ。


【木の実/小金吾討死/すし屋】


父と子(弥左衛門、権太)に、泣いた。。
母と子(お米、権太)に、泣いた。。
父と母と子(権太、小せん、善太)に、泣いた。。
義経千本桜という壮大な狂言の中の、小さな“家族”の物語。

7日は月曜の夜だったせいか一階席は空席が目立ちましたが、にもかかわらず仁左衛門さんは素晴らしい熱演でした。
仁左衛門さんのこういう、状況を読んで手を抜いたりしないところ、大好きです。
勘三郎さんも「絶対に客をだましたりしない人」って言っていたものなぁ。。
右肩を怪我されているため、木の実を落とすときも、煙管を吸うときも、床几を片付けるときも、博打遊びも、子供を背負うときも、全部左手でされていましたが、それがとても自然で、何も知らずに観た友人は「左腕しか使っていないなんてまったく気付かなかった」と言っていました。
プロ、ですね。
ですが、今度は左腕を傷めてしまわないか心配です。。。
あんなに片腕を酷使したら、絶対に傷めると思うの。。。
あの5月下旬の三人吉三と吉田屋を観て、仁左衛門さんには体調が悪いから適当にお芝居をするなどということはできないことは重々承知しております。あのときも、最後まで全力でお芝居してくださいました。そんな仁左衛門さんだから好きなのですが、だからこそ、休むべきときは思い切って休んでいただきたい。。。ここで無理してさらに悪化させてしまったら、ファンを悲しませることになるのですよ。。。

…さて、気を取り直して、いつもの感想とまいりましょう。

この権太。私の大好物な色気系仁左さまではありませんが(といっても仁左さまは何をしていても色気は隠せませんが)、きゅんきゅん場面がいっぱいですね。
まず、小せん(秀太郎さん)とのじゃらじゃら。
「ちょっとだけこっち向け」 「イヤじゃ」 「向け」 「イ・ヤ
じゃらじゃら!
じゃらじゃら!
「今夜はうちに戻って」って小せんが子供に頼ませる場面も、あったかくて大好き。
博打の真似事の場面も可愛い。「大人んなって役立つやないかぁ~」
この場面、7日に観たときは、慣れない左手で器を回したせいかサイコロが地面に散らばっちゃったのですが(ニザさま…泣)、それはもう自然に「もっかいやろな~」って子供に優しく笑って、付いた土をふッて吹いたのですよ。
出た、仁左さまの超ナチュラルハプニング対応!
このリアルさ!舞台に土なんかないのに!
『四谷怪談』でもそうでした。隠亡堀で小箱が落ちたとき、壊れていないかをゆっくりとひっくり返して確かめたのですよ。舞台の上で。この自然さ、この余裕。ハプニングでさえも魅せてくれる仁左さまでございます。
もう一つ思ったのが、アスファルトの時代に育った若手世代には、きっと今回のような反応は出来ないのではないかな、と。それだけ私達は、作品が作られた時代からどんどん遠ざかってしまっているのだな、とも。。


他の配役も、みなさん過去に演じられているだけあって安定していて、呼吸もピッタリでした。

秀太郎さんの小せん。
文句なしです。秀太郎さんがぶつぶつ言ってる姿、大好き!
出の瞬間から上方の空気が舞台に広がって、これを感じるだけでも楽しい。
基本的に兄弟や親子で夫婦や恋人を演じるのがあまり好きではない私ですが、ノープロブレムアットオールでした(そういえば『一條大蔵譚』でも夫婦役でしたね、このお二人)。
10日に観たときはちょっとお声が掠れていたけれど、大丈夫かな。松竹座でもそうだったので、お疲れが声に出やすいのかも。
中日の秀太郎さんのブログで、『「ワル」でいて「情のある」可愛い権太が善太を可愛がるシーンを見ているのがとても幸せです。そんな権太を演じている仁左衛門と、このあと半年さきまで一緒に芝居出来なくなると思うととても寂しいです。』と。。。あったかいご兄弟だなぁ。。。そんなあったかさが舞台からも伝わってきます。
また、『小せんは二度花道を引っ込みますが、初めの幕では楽しく、後の「すしや」では哀しみと喜びの入り交じった引っ込み…』とも。二度目の引っ込みに哀しみだけでなく喜びも交じっているというのは、深いですねぇ。

梅枝の小金吾。
なんだろ、この年齢不相応な落ち着きは。このメンバーにも違和感なく溶け込めちゃうとは、貴重な若手ですねぇ。若葉の内侍(東蔵さん)&六代の君に後のことを話して聞かせる場面、苦しげな呼吸の中にも凛とした空気が出ていてとてもよかった。若くて美しいので、死んでいく姿が一層涙を誘います。立役、もっとやってほしいなぁ。

時蔵さんの弥助(維盛)。
最初の出からステキです。空桶でのヨロけ方にときめきました、笑。
体の動きがそれは美しく、時折入る舞踊もどきの振りにはうっとり。
菊之助にしても、梅枝にしても、時蔵さんにしても、女方の立役は眼福ですねぇ
東蔵さん&六代の君の出のときに片肘をついて横になった体勢でじっと静止している姿も、あまりに綺麗で艶っぽくて、花道よりも舞台の時蔵さんに目がいってしまった。
弥助→維盛の変化も素晴らしかったです。
それと、「梶原殿がまいられます」の知らせが来たとき、孝太郎さんと二人でさっと片手を上げて決めた形、痺れました!先代萩の沖の井を思い出す~。

孝太郎さんのお里。
可愛い*^^*
最初の出の場面で、お米と弥助が話をしているときに、上手からねっとりと濃ゆく弥助を見つめている視線が最高でした。
「仮の情け」ということは、この二人はすでに関係があるのですね。まぁ、よくあることか。
「お月さんも寝々してじゃえ~♪」

我當さんの梶原。
悪役かそうでないのか読めない雰囲気が、素晴らしかったです。
とても短い出にもかかわらずあの存在感はさすが。威厳あるなぁ~。
首実検の松明は本火なのですね!それも盛大!煙もくもく。権太の「煙いなぁ」にリアリティが出ます。
今回は松嶋屋三兄弟が同じ舞台に勢揃い。孝太郎さんもいるし、仁左衛門さんの状態が状態なだけに、そういう意味でもよかったなぁと思いました。

竹三郎さんのお米。
あいかわらず仁左衛門さんへの情をたっぷりと見せてくださるので、嬉しい限り。
コチコチ!「器用な子やな~^^」
膝枕!!「アイアイ~」 竹さん、その場所代わって!!!

歌六さんの弥左衛門。
実直で毅然とした父親で、優しい竹三郎さんのお米とのバランスがよく、泣けました。
権太が弥左衛門の着物の胸の部分を掴んでもたれかかるところ、よかった。。。。。キュンとした。。。(←オイ)
ただ、丁寧なお芝居は好ましいのですが、熊谷のラスト同様、歌六さんは重い物を持つときの演技がやっぱりちょっと極端だと思うのです。。。
帰宅した時はさほど重そうに持っていない首が、桶に移す時にはすごく重そうで、さらにその桶を持ち上げる時はもっっっのすごく重そうで。空桶にも重さはあるとはいえ、あの比重はどうなのか。。。そしてそこまで重い桶を、権太は後から軽々持ってるし。。

7日は中央の席だったので、最後のシーンの仁左さまが目の前で、流れてる涙まで見えてしまって、もう……もう…・・・・泣  
また歌六さんが、しっかり仁左さまを抱いてあげるんだよ~……泣泣泣
最後に掌を合わせてどこか明るさを含んだ安らかな表情になるのは、やっと父親に認めてもらえたからなんだよね。。。長い間、ずっと望んでいたこと。。。
そしてあちらの世界で遠からず小せんと善太に再会して、また家族三人で小言を言い合ったりしながら、睦まじく暮らすのだろうな……(本人として現れてしまった以上、頼朝も助けるわけにはいかないですものね…)

仁左衛門さんの他の多くの舞台と同じように、仁左衛門さん以外の権太が考えられなくなる、あったかくて情の深い、悲しいけれどそれだけじゃない、『木の実』 『すし屋』でございました。
本当に…、無理しないでいただきたい………。

ところで梶原と頼朝は、結果的にほぼ思い通りに事が運んだわけですが、そもそもの計画では一体あの陣羽織をどう使うつもりだったのだろうか。。
本人が現れたら直接渡すつもりだった、なんてことはないですよねぇ。
でも、匿っている者が代わりに偽首を差し出すことまで読めていたとも思えないし。
そもそも陣羽織の歌の謎を維盛が解けなかったらどうするつもりだったのか。それならそれで仕方ない、ということなのかな。借りを返すことが目的なわけだから、チャンスを与えたという事実が大事なのかも。
いずれにしても、『熊谷~』にしろ『盛綱~』にしろ、相手からの暗喩バリバリなメッセージを正確に受け止められることが、歌舞伎世界のよい武士たる第一条件ということですね。まったくまだろっこしい生き物ですな、武士ってやつぁ。

夜の部②

※海老蔵が10月6日のブログで「仁左衛門の兄貴」って言っていましたね。 勘三郎さんのことをそう呼んでいるのは知っていたけど、仁左衛門さんのこともそんな風に親しく呼んでいるのか。ちょっと意外。……てか幕切れの手前で帰ったりせずに、ちゃんと幕切れまで観なさいよ!ジムなんか行くより、この偉大な先輩の至芸を生で観ておく方が、何千倍将来の自分のためになるかしれないのに!!!はぁ……

東京新聞インタビュー(仁左衛門)

※10月25日千穐楽夜の部の感想

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芸術祭十月大歌舞伎 @歌舞伎座

2013-10-10 22:15:51 | 歌舞伎

わたくし、とっても幸せでございます。。

だって、諦めかけていたのですもの。
4~5月のあの感動は、きっと特別だったのだと。。
二度と味わえないのだろうと。。

ですが今月。
再び!!訪れてくれました・・・!!
仁左衛門さん、吉右衛門さん、菊五郎さん、ありがとう!!!!!

7月と9月は花形ならではの良さが確かにありました。8月の納涼もそれはそれは楽しく、素晴らしい舞台でした。
けれど、得られる満足感が、違うのです・・・。
桁違いに違うのです・・・(ああ、こういうことは書くべきじゃないとわかっているのに・・・(><))
もうこの人達が元気に舞台にいてくれればそれだけでいい、とさえ思ってしまった。。
存在そのものが世界遺産でございます。

各部の感想は、また後ほど~。

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『演劇界』 2013年11月号

2013-10-05 23:55:34 | 歌舞伎




仁左さま休演の知らせに打ちひしがれていたなか、『演劇界』11月号に「竹三郎の会」のカラー写真が掲載されてるとの嬉しいニュースが。
絶対に手に入らないだろうと初めから期待もしていなかった、伊右衛門@仁左さまの舞台写真。
1400円というお値段におののきながらも、もちろん買いましたとも。
メインの記事ではないですし、1枚でも見られたらそれで十分と思っておりましたが、思っていた以上に載っていて嬉しかったです。
なにより狂喜したのは、伊右衛門@仁左さまがお梅ちゃん@隼人君の肩に手をまわし抱き寄せたあの名場面が掲載されていたこと。
最前列から最後列までの全女性客を一瞬で撃沈させ、その夜のブログやツイをで埋め尽くさせたあの伝説の場面。
惜しむらくはその写真があまりにも小さいことですが、1cm丈の仁左さまでもあのドキドキ感を思い出すには十分でございます。それほどの威力があの場面にはございましたもの。

もっとも私は、前にも書きましたとおり、このお梅ちゃん抱き寄せ場面よりも、その後の初夜場面の方が何倍もドキドキバクバクいたしました。伊藤家の場面は明るい室内で喜兵衛や乳母もいますが、こちらの場面は灯りを落とした中に二人きり…。何もかもがそれは生々しく、ニザさまも色気セーブする気など皆無で(嬉しすぎる想定外)。男をまったく知らない初物感がぷんぷんのお梅ちゃん@隼人君と、素人女の相手など朝飯前な、嫌味なほど余裕たっぷりな伊右衛門@仁左さま。そしてあの仁左さまの口から「水揚げ」……・・。な、なんて言葉を仁左さまっ(@@)!ああもう、私にどうしろと(><)!いいえ、もうどうにでもしちゃってくださいませ!!!

、、、失礼いたしました。思わず気持ちが8月11日に戻って、興奮してしまいました。
私、この舞台を観るまでは、仁左衛門さんは伊右衛門を演じるのはお嫌いなのではないかと思っていたのです。誰が考えても絶対にニンなお役なのに、これまで話が来なかったわけがないのですから。
きっと、あまりにイメージどおりな役を演じるのが、お嫌だったのではないかなと。
ですが実際に拝見したら非常に楽しそうに演じられていて、観ていてとても気持ちのいい舞台でした。二日きりの自主公演で、客層も本当に歌舞伎が好きそうな方達ばかりでしたから、安心して伸び伸びとお好きに演じることができたのかもしれません。

、、、ここまで書いたら、休演ニュースを思い出して切なくなってきました。。。
ご体調がお悪いなか、あれだけの伊右衛門を見せてくださったのですもの…。
もう、本公演でも演じるべきなどとそんな贅沢は申しません(本音は演じてほしいですけれど…)。
ですから、ぜひ、お元気な姿で歌舞伎の舞台へお戻りください。。。

すっかり仁左衛門さんのお話ばかりしてしまいましたが、昼の部の『女團七』の猿之助も、とっても綺麗な写真がいっぱいでしたよ^^
白い夏の着物、色っぽくて猿之助によく似合っていて素敵です。この衣装の猿之助をもう一度見たいと思っていたので、嬉しかった。

あとは歌舞伎座の『新薄雪』と『陰陽師』の写真が、大判で豪華です。菊之助の滝夜叉姫、七之助の籬が美人すぎる。それと新橋の『不知火検校』の秀太郎さん。なんなのでしょう、この可愛らしさ!『沼津』の吉右衛門さんも、とっても男前なお写真です。

これだけの大判カラー写真が載っていることを考えると、この雑誌、決して高くはないのかもしれません(竹三郎さんの会も大判で載せてほしかったですが…)。
バックナンバーの7月号も思わず追加購入しちゃいました。杮落し五月の掲載分です♪

そうそう。染五郎の連載コラムに彼の描いたイラストがあるのですが、晴明と物怪の絵がとても可愛かったです。染五郎にこんな才能があったとは。

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仁左衛門さん休演

2013-10-04 23:59:32 | 歌舞伎

仕事からの帰り道、私の仁左さま好きをよ~く知る友人からのメールで、仁左衛門さんの長期休演を知りました。
そういえば團十郎さんのご葬儀のときも、腕を吊っておられましたね。。。
ぜひゆっくりと養生されて、また必ずや、必ずや素晴らしいお芝居を私達に見せてくださいませ。
いつまででも待っております!!!
本当は、今月も無理せずに休んでいただきたいです。。。。。
悪化してしまったらどうするのですか。。。。。
納涼歌舞伎の三津五郎さんもそうでしたが、そんなに頑張らないでください。。。。。

11月の仮名手本、大好きな吉右衛門さん&仁左衛門さんのお二人のご共演が観られると楽しみにしておりましたので、正直に申せば、とても残念です。
吉右衛門さん、昼の部で由良之助の代役を務められるんですね(代わりに大序・三段目の師直が左團次さん)。
この杮落しでは團十郎さんの代役もいくつもこなされ、その次は休む間もなく巡業と、ご年齢からすれば信じがたいハードスケジュールをこなされていますから、吉右衛門さんのお体もとてもとても心配です。
歌舞伎座開場時の記者会見で「命がけ」と仰っておられましたが、、、でも、でも、命などかけないでくださいませ。。。と私は言いたいです。。。
吉右衛門さんだけじゃなく、同じく代役をされる梅玉さんは67歳、左團次さんに至っては72歳です。
円熟した芸の極みを見せていただけることは客からすればこの上ない歓びではありますが、どうかご無理をなさりませぬよう。

11月の秋季巡業の代役も発表されました。
菊之助が江島→生島ですか。まさかの立役の舞踊、予想外でしたが期待しております。右近くんの舞踊もちゃんと拝見するのは初めてですし、彌十郎さんの久作も納涼歌舞伎の『野崎村』を見逃しておりましたので、楽しみにしております。
ですから三津五郎さん、安心してゆっくりと休養されてください。
そしてお元気なお帰りを心から、心からお待ちしております!!!

最後に松竹さん――。
万が一でもこの日本の宝の方々にこれ以上何かあろうものなら、、、ただでは済ましませんよ(怒怒怒)
これを機に、役者の人権を完全無視した無謀としか言いようがない歌舞伎の興行スケジュールを、ぜひとも見直していただきたい。


片岡仁左衛門が右肩手術へ 11月から舞台休演

※追記:10月5日の孝太郎さんのブログ。「とうぶんのお別れ」……。わかってはいるけど……;; 5月の千穐楽のときと同じく、孝太郎さんの書き方は、まるで二度と仁左衛門さんに会えないのではないかという気分になるよー。。。;;
「右肩以外は元気」という部分に、救われます。。。

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