風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

東京都交響楽団 第874回定期演奏会 Aシリーズ @東京文化会館(3月26日)

2019-03-28 23:18:17 | クラシック音楽




昨年の大野さん指揮のトゥーランガリラに続いて2回目の都響に行ってきました。
以下、ド素人の自分用覚書のためだけの感想ですので、あしからず。。
※5階R1列後方

【ブラームス:悲劇的序曲 op.81】
【ブロッホ:ヘブライ狂詩曲《シェロモ》】
2曲ともインバルが作る音楽自体はたぶん私は好きだったと思う。どちらも小さくまとまっていなくて、スケールが大きくて。
曲も、どちらも私は好きです。
だがしかし。
都響の音が・・・なぜあんなに自信なさげだったのか・・・。
最強音に向かっていくところや最強音になってしまってからはとってもいいのに、それ以外の部分では、ソロや合奏の入りが恐る恐るに聴こえ、全体的に伸びやかでなく優等生的というか慎重すぎるというか・・・。
そんなわけで、ブロッホのソロのガブリエル・リプキンは音楽に没入したように演奏していたけれど、私は没入できず・・・

(休憩20分)

【ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 op.47】
これでショスタコも同じようだったらもう都響を聴きにいくのはやめようと心に誓っていたら(諦め早い)、、、おお、とってもいいではないですか
ホルンのソロがもっと表情豊かな音だとよかったとか(ミスは仕方がないとしても)、言いたいことはなきにしもあらずだけれど、全体的に凄みのあるとてもいい演奏だったと思う。
前半になかった自信に満ちた音がこのショスタコでは出ていたのは何故なんだろう。練習時間の違いとか?(それを言っちゃあ…)
特に第二楽章のマーラー的な雑多具合、四楽章終局の怒涛の突き抜けた追い込みが素晴らしかった 
この解釈の難しい曲に対して、驚くほど説得力のある演奏だったなあ。綺麗ごとだけじゃない、こういうショスタコが聴きたかった!という演奏だった。
ショスタコって実は上手過ぎないオケの方が合ってるのではなかろうか。あ、都響が下手とかじゃなく、海外の超一流どころと比較して、という意味です。在京オケの中ではN響の次に上手いと個人的には思っている。
四楽章のガリガリしたピアノの低音もよかったなあ。
オーボエもパーカッションもよかったし、フルートも最初は固く聴こえたけど途中からは美しかった。そして管に勝るほど強い弦!!
こういうショスタコ、私はとても好きです。
インバルさん、都響の皆さん、ありがとう!11月には同じコンビで11番と12番が演奏されるそうで。両方聴けたらいいなあ。
ところでインバルは歌う指揮者なんですね。ブラームスからショスタコまでずーっと歌いっぱなしであった。ハミングというレベルじゃなく、もはやオケの音の一部。なのに全くうるさく感じないのが面白かったです。

そうそう。ブロッホの『シェロモ』はプログラムによると、「チェロはソロモン王の声であり、管弦楽は彼の時代、世界、彼の経験を表しているが、ソロモン王自身の思いを反映することもあるという。」とのこと。バーンスタインの『不安の時代』のピアノとオケの関係に似ていますね。

ちなみに現在ユロフスキも来日していて、10年ぶりにロンドンでの印象の再確認に行きたい気もしたのだけれど、結局チケットを買わずじまいでした^^;

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ピエール=ロラン・エマール ピアノ・リサイタル @紀尾井ホール(3月21日)

2019-03-22 00:24:05 | クラシック音楽



1年ちょっとぶりのエマールのリサイタルに行ってきました。
会場に着くと当初の曲順から変更になっており、ナッセンとベンジャミンが入れ替わりに。

※2階BR1列目

【オリヴァー・ナッセン:変奏曲 Op. 24 (1989)】
前半3曲はエマールお得意の現代曲のプログラム。youtubeで予習したときは「・・・みんな同じ曲に聴こえるんだけど~ どこがカノンでどこが変奏やら全然わからないんだけど~」と早々に挫折。しかし生で聴くとみんなちゃんと違う個性の曲に聴こえるという現代曲生演奏マジック。
ていうかエマールの現代曲の演奏は本当にいいよね。特に贔屓のピアニストというわけではないので普段彼の録音を聴くことは殆どないのだけれど、一曲目の演奏が始まった途端にオペラシティでの『幼子イエス~』の音が一瞬で蘇ってきて、他のピアニストと同様にやはりエマールにはエマールのはっきりとした個性があるのだな、と実感したのでした。
この曲は結構楽譜をガン見しながら弾いていた感じなのに、完全に自分の音楽にしているように聴こえるのだからすごいものだなあ。鮮やかだった。
ナッセンは昨年亡くなったそうで、今回の演奏は追悼の意味もあったようです。

【アントン・ウェーベルン:変奏曲 Op. 27】
一方、こちらは私にはハードルが高かった
youtubeではポリーニもグールドも弾いているしきっと何か魅力のある曲なのだろうと思うけれど、どういう風に楽しめる曲なのか正直良さがわからず

【ジョージ・ベンジャミン:シャドウラインズ ─ 6つのカノン風前奏曲 (2001)】
これはエマールが初演した曲なんですよね。なので当然ながら完全に”彼の音楽”となっている安定の演奏。第三曲以降が特によかったな。第五曲は圧巻でした。
今日の演奏を聴いて思ったけれど、エマールは最後の一音の響かせ方がとても丁寧で美しいのですね。最後の一音の響かせ方が綺麗なピアニストって沢山いて、それぞれに個性があるけれど、エマールのそれにも独特の個性を感じました。心を感じさせる音というよりは、その音の響きに世界がある感じ。抽象的でスミマセン 覚書として。

(休憩20分)

【J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988】
私はエマールのバッハは録音でも聴いたことがなかったので、初っ端のアリアから「おお、エマールはこういう風にバッハを弾くのか!」と吃驚。
まず拍子のとり方が独特(うまく言えないけど、等間隔ぽい感じ)。そして打鍵が柔らかくなく強めなので、カノンの部分はよくわかる。もう少しフランス的な軽い感じに弾くのかと想像していたのだけれど、考えてみるととてもエマールらしいバッハ。
しかしその強めの音のために途中から耳が痛くなってきてしまい、また基本的に全ての変奏を同じようなニュアンスで演奏するので、ずっと聴いていると飽きてくる。和声もかっきり綺麗に響かず、微妙にばらけて聴こえ(エマールは和声の演奏があまり得意ではない?)。

はっきり書いてしまうと、こういうゴルトベルクはコノミデハナイ・・・。

というわけで早々に目を閉じてウトウトとBGMのように聴いていたのだけれど(BGM向きの演奏ではなかったが)、21変奏あたりからなんとなくいい感じに音が変わってきたような?となり、26変奏辺りになるとなにやらただならぬ空気を感じて舞台に目をやると、エマールがのめり込んだように弾いていたのでありました。おお、音楽がいい感じに活き活きしてる。良い意味で響きまくってる。こうなってくると、なんだか楽しい。好みではないが、こういうのもありかもしれないと思えてくる。ゴルトベルク変奏曲THE LIVE、みたいな。そういえば『幼子イエス~』のときも、15曲目辺りからこの人はトリップ状態のような音を出していたのだった。エマールってそういうタイプなのだろうか。休憩なしで75分も弾いていると相当疲れると思うのだけれど(全てリピートあり)、後半になるほど音が活き活きしてくるとはすごいバイタリティだなあ。あるいは疲れてくる頃ゆえに力が抜けていい感じにトリップ状態になるのだろうか。ご本人にとって本意か不本意かはわからないけれど、私はエマールのこういう音が結構好きです。
最後のアリアもいい感じに力が抜けていて、でも変わらずエマールらしさも残した音でよかった。例のアルペジオは、1回目が上↘下で繰り返し時が下↗上でした。
聴き終わってみると、それを弾くピアニストの数だけゴルトベルクもあるのかもしれないな、と感じることができました。バッハの音楽の懐の深さですかね。

ところで現代曲とバッハの組み合わせってよくあるプログラムなのかしら。
ムローヴァのときも思ったけれど、どんなに現代曲が素晴らしくても、バッハを聴いてしまうと「やっぱバッハ最強」となってしまうのは、いいのかわるいのか。今日のリサイタルも、エマールの演奏自体は前半の現代曲の方が絶対的に彼の良さが出ていたと思うけれど、作品自体はバッハを聴いてしまうとやっぱりバッハ最強と感じてしまう。300年近くも前の音楽なのにすごいものだなあ。ボイジャー搭載のレコードにバッハが多いというのもさもありなん。現代音楽には感じられない長閑さも好き。
※追記:エマールの最近のコンサートカレンダーを見たのですが、ゴルトベルク1曲だけの演奏会が殆どなんですね。今回の東京は大サービスだったのだなあ。エマールさん、ありがとう。
※追記2:本日3月21日はユリウス暦のバッハの誕生日なのだそうです!

紀尾井ホールに行ったのは初めてだったのですが、永田町からとても近いんですね。いつも国立劇場方面にばかり行っているので知らなかった。そして隣はホテルニューオータニ。あの『リヴィエラを撃て』のめっちゃ重要な場面の舞台ではないですか(といいつつちょっと記憶があいまいだけど)確か庭が重要なのよ!
そんなわけで、帰りは道を渡ってテクテク日本庭園へ。桜が咲いていて、気持ちい~。ていうか思っていた以上に広い本格的な庭園でびっくり 滝まである。椿山荘もそうだけど、さすが歴史あるホテルは庭も違いますねえ。そして改めて高村女史のこだわりぶりに脱帽。リサイタル後のちょっと嬉しいオマケでした

エマールが語るバッハ《ゴルトベルク変奏曲》


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マニュエル・ルグリ Stars in Blue @東京芸術劇場(3月9日)

2019-03-17 03:00:59 | バレエ



ルグリ、スミルノワ、チュージン、アッツォーニ。
好きなダンサーしかいないこの公演。
とはいえ2~3月はピアノリサイタルの予定がいっぱい入っているし…と迷っていたら、ペライアに加えアンスネスまでが公演中止となってしまったため(ペライア大丈夫かなぁ)、3日前にチケットを購入。三千円也。
土曜日の午後にふさわしい、瀟洒なとても素敵な公演でした
歌舞伎の一幕見もそうだけど、一流の公演をこんな風に気軽に手頃な値段で観ることができるのって、最高の贅沢だと思う。

※3階C列右手

『ソナタ』
振付:ウヴェ・ショルツ
音楽:セルゲイ・ラフマニノフ
出演:シルヴィア・アッツォーニ、セミョーン・チュージン
三浦文彰(ヴァイオリン)、田村響(ピアノ)
チュージンと踊るアッツォーニを観て、彼女は小柄なんだなあと、そして踊りや演技のタイプがリアブコにとてもよく似ているのだなあ、と改めて感じたのでした。
ただチュージンとアッツォーニって踊りの相性があまり良くないような(ルグリは二人の相性はいいと言っているけれど)。個性が違い過ぎるのかな。違う個性でも相性がいいと化学反応が起きてかえって面白いこともあるものだけれど。もしまたこの二人を観られる機会があるなら、今度は物語的なバレエで観てみたいなと思いました。

ニコロ・パガニーニ「ネル・コル・ピウ変奏曲」
演奏:三浦文彰(ヴァイオリン)
パガニーニの曲を聴くのは、実は初めてだったような。ヴァイオリンって色んな弾き方ができるんですね~

『Moment』
振付:ナタリア・ホレツナ
音楽:ヨハン・セバスチャン・バッハ / フェルッチョ・ブゾーニ
出演:マニュエル・ルグリ
滝澤志野(ピアノ)
ルグリが素晴らしかった。。。。。。。。
彼の動きが表現するものの密度、強さ、自然さ、魅せ方。そして美しさ。
私はこの人の踊りに対する免疫が少ないので、イチイチ新鮮に感動してしまう。主張しすぎることなくちゃんと主張していた滝澤志野さんのピアノも、ルグリの踊りによく合っていたように感じました。

『瀕死の白鳥』
振付:ミハイル・フォーキン
音楽:カミーユ・サン=サーンス
出演:オルガ・スミルノワ
三浦文彰(ヴァイオリン)、田村響(ピアノ)
ロパ様もそうだったけれど、瀕死のスワンと白鳥の湖のスワンってダンサーの踊り方が違いますよね。瀕死の方はより鳥っぽさを感じる。
スミルノワの瀕死の白鳥は、登場の瞬間から死にかかっていることがはっきりとわかるリアル鳥系で、リアルな肉体の死が前面に出ているように感じられました。それでも品と気高さが失われないのはさすがスミルノワ。
飛ぼうとしても飛べないところ。自分の意思とは関係のない何かにふわあと空から引き上げられているように見えて、そしてガックリと地面に落ちる体。なんだかぞわっとした。
好きなタイプの瀕死かと言われるとそうではないけれど、新鮮でした。スミルノワって意外に現代的なダンサーなのかもしれないと思った。

(休憩20分)

『タイスの瞑想曲』「マ・パヴロワ」より
振付:ローラン・プティ
音楽:ジュール・マスネ
出演:オルガ・スミルノワ、セミョーン・チュージン
三浦文彰(ヴァイオリン)、田村響(ピアノ)
やっぱりチュージンはスミルノワと踊るとしっくりきますね。今回はチュージンだけがソロがなかったのが残念でした。彼のソロ、観てみたい。

『ノクターン・ソロ』「夜の歌」より
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:フレデリック・ショパン 「ノクターン第21番」
出演:シルヴィア・アッツォーニ
田村響(ピアノ)

フレデリック・ショパン「ノクターン 第20番(遺作)」、「華麗なる大円舞曲」
演奏:田村響(ピアノ)

ノイマイヤーの「夜の歌」というのがどういう作品なのかは知らないのだけれど、アッツォーニが最晩年のショパンであるように感じながら観ていました。楽しかったとき、悲しかったとき、そういった人生の色々を思い出しているような。アッツォーニはこんな風に舞台で一人で踊ると体の小ささを完全に忘れさせますね。ルグリやアッツォーニの表現の密度の濃さは本当に素晴らしい。。

続いて田村さんのピアノのみによる「ノクターン第20番」。こちらはショパンが二十歳の頃の作品。『戦場のピアニスト』のイメージが強いけれど、この曲、最後の最後で長調に変わって終わるんですよね(ピカルディ終止というそうで)。アッツォーニが踊った人生を振り返るような最晩年のノクターン21番から青春時代の暗さや悲しみを感じさせるようなノクターン20番に移って、それが最後にふっと長調に変わって、それから「華麗なる大円舞曲」が始まると、なんだか切なくて泣きそうになってしまった。若くして亡くなったショパンの、一番生き生きと華やかだった時代を感じるようで。終わりよければ全てよしという言葉があるけれど、人生ってそういうものではないのではないか、と最近思います。たとえ終わりが悲しいものであったとしても、確かにあった楽しいときも紛れもなく人生の一部で、その人が生きた全ての時間がその人の人生なのだと思う。というようなことを感じながら観て、聴いていました。
今年はショパンの音楽を多く聴けて嬉しい。

モーリス・ラヴェル「ツィガーヌ」
演奏:三浦文彰(ヴァイオリン)、田村響(ピアノ)
気分が変わって、お二人によるツィガーヌ。楽しかった!
よくこうもぴったりと呼吸を合わせられるものだなあ。

『OCHIBA~When leaves are falling~』(新作 世界初演)
振付:パトリック・ド・バナ
音楽:フィリップ・グラス
出演:マニュエル・ルグリ、オルガ・スミルノワ
田村響(ピアノ)
簡単なストーリーがサイトに載っていたけれど、原作を読んでいない私には作品の言いたいことがわかるような、わからないような
スミルノワは生身の女性というよりも、絹の精のように見えました(そういう原作ではではないようだけれど)。絹を求めて遥々東洋に来た男性が女性と出会ってなんやかんやあって、最後彼の手元には絹が残った、的な?って観たまんまやん^^;
ルグリとスミルノワは意外に相性がいいように感じました。まあ相性云々いうほどがっつり一緒に踊ってはいなかったけれど。それにしてもどちらも品格のあるオーラがすごい。

最後は、三浦さんと田村さんによる軽やかな『美しきロスマリン』の演奏にのせてカーテンコール
4人のダンサー達のエレガントさにうっとり
そして三浦さん、田村さん、志野さんが加わった7人で、ポスターと同じにはいポーズ
このカーテンコールがこの公演の魅力をいっぱいに表していたと思う。瀟洒でセンスがよくて、でも決して薄味ではない。ツイッターで多くの人が「大人の公演」」と書いていたけれど、本当にそういう感じの公演でした。素敵だったなあ。
カテコではパトリック・ド・バナも登場
これからもこういう気軽に観に行ける素敵な公演、いっぱい企画してほしいな。

spice:マニュエル・ルグリ『スターズ・イン・ブルー』バレエ&ミュージック記者会見レポート
otocoto:バレエ界のレジェンド、マニュエル・ルグリに『スターズ・イン・ブルー』の新境地について終演直後に聞いた



9日東京公演後(otocotoより)


公式twitterより。17日名古屋公演後。


公式twitterより。志野さんによる撮影だそうです(上手い~


同上


同上。
スミルノワ、神々しい。


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二月大歌舞伎 夜の部 @歌舞伎座(2月24日)

2019-03-07 23:58:06 | 歌舞伎



千穐楽直前に行ってきました。
※3階9列上手


【熊谷陣屋】

――登場人物のほぼ全員が悲しみを背負っていますね。

 反戦の芝居とおっしゃる方がいますが、そうだなと僕も思います。相模、藤の方、義経、弥陀六、鎧櫃(よろいびつ)の中に入っている敦盛さんも悲しいんです。それを華やかな舞台で華やかな衣裳で綺麗な化粧(かお)で見せるのが歌舞伎だと、僕は思っています。

 熊谷が泣かずにお客様が泣いてくだされば最高です。熊谷の気持ちを察していただけるぐらいお客様を自分のほうに引き寄せられるかが勝負ですが、それが難しい。初代吉右衛門という人はそれができました。一度でもいいからこっちは全然泣かずに、お客様に泣いていただけたらと思います。

ようこそ歌舞伎へ:中村吉右衛門『熊谷陣屋』

杮落し以来6年ぶりに観る、吉右衛門さんの熊谷陣屋。
直実が相模と藤の方に「お騒ぎあるな」と言う場面は、吉右衛門さんがインタビューで「直実が一番騒いでいるように見えないよう工夫したい」と仰っていたとおり、今回は直実の心情がより感じられて、緊張感が維持されていたように感じられました(前回はここで客席から笑いが起きていた)。
この場面に限らず、全体的に直実の心情が強く伝わってくる演技をされていたように感じました。首を相模へ渡した後に相模の様子をじっと見守る様子も、妻である相模への愛情が感じられた。吉右衛門さん&魁春さんの夫婦役は、やっぱり好きだなあ。相性がとてもいいと思う。
他には、菊之助の義経が凛とした透明感と品格があってニンだなあと。
そして今回は「十六年は一昔」の前の「今は早や」の台詞を言う吉右衛門さんに、心動かされました。息子をあのような形で亡くした彼は、当然この道を選ぶよね・・・とすごく強く感じられた。。。

 今は早や、何思う事なかりけり、弥陀の御国に行く身なりせば・・・。
 十六年は一昔、嗚呼・・夢だ、夢だ・・・。

【當年祝春駒(あたるとしいわうはるこま)】
左近君を観るのはいつ以来かな。蘭平以来?と思ったら違った。南総里見八犬伝以来だった。まさかの4年ぶり?大きくなったなあ。化粧をするとミニ松緑だ。お父さんと同じで、五郎のような役が似合いますね。
松緑のブログによると左近君は松緑よりもお祖父さんの辰之助さんに似ているとのことですから、彼の舞台姿を見るのは松緑も感慨深いでしょうね
しかし演目自体は、体調がよくなかったせいもあり、あまり楽しめず・・

【名月八幡祭】
仁左衛門さん(三次)&玉三郎さん(美代吉)がもうひたすらに極上だった・・・・・・・・・

最近ご無沙汰気味な歌舞伎だけれど、こういうのを観てしまうと
VIVA歌舞伎
という気分に心底なる。
この三次と美代吉の軽薄さの見事なことと言ったら!
仁左衛門さんの三次が下手から駆けてくる駆け方、戸口への入り方、金を無心するときの仕草&台詞回し。ああもうすべてが極上に軽薄!
玉三郎さんの美代吉が魚惣裏の川を舟で通るときに新助にかける「待ってるよ~~~~~~」。ああもうカンペキな軽薄加減!
彼らって、グレートギャツビーのトム&デイジーとギャツビーの関係に少し似ているなあと。自分達の行いがどれほど純朴な人間を振り回し、その人生を滅茶苦茶にし得るかなど考えもしない都会の人間の不注意さ、無責任さ。性格の良し悪し、悪気の有り無しではなく、ただ彼らが“そういう種類の人間”であるということ。
泣き崩れる新助に「こんなところに長居は無用だ」と魚惣が言うときに、上手に座る三次と美代吉が纏っている空気。江戸という街の闇が見えて、ぞくっとした(でもそれを見て嫌~~~な気分にならないところが歌舞伎のステキなところよね。嫌な気分どころか「ニザさま~~~玉さま~~~もう最高すぎます~~~~」とさせてくれるのだもの)。
魚惣はそういう種類の人間ではないけれど、彼らの闇をよくわかっている人なんですよね。免疫のない新助のような田舎者が迂闊に近づいてはいけない人種であることがよくわかっているから忠告した。そういう魚惣のさり気ない凄みがまた素晴らしくて。歌六さん、玉三郎さん、仁左衛門さんが並ぶ舞台には、確かに”江戸”が浮かび上がっていたのでした。ああ、歌舞伎ってすごい。。。。。

そんなお見事すぎる三人の脇役に囲まれて主役を務めなければならないのだから、松緑は大変だよね。。
松緑がこの役をやるのは二度目とのことだけれど、私が観るのは今回が初めて。
この役は吉右衛門さんでしか観たことがないけれど、松緑も前半の演技はとてもよかったと思う。本当に田舎者で、本当に美代吉を信じてしまっていて、「うわぁ、信じ切っちゃってるよ、やばいよ」という空気が出ていて、ニンといっていいのではないかと。ただ肝心の狂ってからの場面が、、、吉右衛門さんのそれと比べてしまうと狂気の迫力がまだまだ乏しく(松緑、気狂いの演技が苦手?)。。。それまでがよかっただけに残念。。
とはいえ正直なところあの魚惣&三次&美代吉を観ることができたというだけで既に1000%満足しちゃっているのですけれど。

そういえば最後の演出が吉右衛門さんのときと違ったような。殺し場の雨が本水ではなかったし(ふわ~っとしたミストみたいな感じだった。本水の方が迫力あるのになあ)、吉右衛門さんのときはワッショイ!で担がれて花道を退場した後に満月が静かに昇ったと思うのだけれど、今回は若衆達が集まってきたときにもう昇っていた

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クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル @サントリーホール(2月28日)

2019-03-02 01:47:31 | クラシック音楽



ツィメルマンの日本でのリサイタルは3年ぶり。
といっても間に2回のピアノ協奏曲を挟んでいるので、なんのかんの毎年聴けているのは幸せなことです。
入口で配られた曲目リストにも、開演前にも、休憩後にも「録音録画は違法です」とアナウンスをさせる念の入れようは相変わらず
今夜は予定より10分遅れての開演でした。

【ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番 ヘ短調 Op. 5】
演奏前のP席への会釈がこの時はなく、あれツィメさんってそうだったっけ?と。
さて演奏ですが。
ツィメさんは指の調子がよくないのだろうか・・・?前半のブラームスのミスタッチの多さに驚いた。こんなツィメさんは初めてだ
それはよいのだけれど、曲が自然に流れていないように感じられてしまい、音楽に身を預けきって聴くことができず・・・。ちゃんと聴かせてほしいメロディも流すように弾かれていて、若いときの作曲だからと敢えて勢いのままに弾いておられたのかもしれないけれど、それにしてもあの曲の流れのぎこちなさというか固さは・・・それも敢えての若さの表現とか?・・・うーん・・・(素人がエラそうにすみません)。
いずれにしても、ブラームスはもう少し温かく曲に寄り添う親密さのようなものも感じられる演奏の方が私は好みでございます。。。フレイレのブラームスを好きすぎるせいもあるかもしれませんが。。
今日のピアノのキラキラ感の少ない音色は、ブラームスなので悪くなかったように思う。ツイ情報によると今回はマイピアノではなくレンタルスタインウェイだったそうで。珍しいですね。でもアクションはいつもどおりご自分のなのかな?
そういうわけで決して私の好みのブラームスとはいえなかったのだけれど、二楽章のピアニシモは文句なしに素晴らしかった。。。。。別世界に連れていってくださいました。

(休憩20分)

【ショパン:4つのスケルツォ(第1番 ロ短調 Op. 20/第2番 変ロ短調 Op. 31/第3番 嬰ハ短調 Op. 39/第4番 ホ長調 Op. 54)】
今度は演奏前に椅子に腰掛けつつふと顔を上げ、P席へニッコリ微笑をくれたツィメさん。相変わらず綺麗な笑顔^^

そしてショパンになった途端に水を得た魚のように曲と演奏の親密さがぐっと増すツィメさん。曲が自然に呼吸していて、こういう演奏だとミスタッチも全く気にならなくなる(そもそもブラームスに比べてミスタッチは激減していたが)。
第一番がすごくよかったなあ。ツィメさんは43小節目のジャジャジャン♪の和音のところ、速度を落とさずに前の音からの勢いのままに弾いてくれるんですよね。youtubeにあがっている1991年の演奏から変わっていない。この曲はこの弾き方が私はとても好きなんです。中間部分の優しいメロディのところも、透明感のある親密さが感じられてよかった。ショパン自身は小さく細い音のピアニストだったそうなので重めの音のツィメさんのような演奏とは違ったろうと思うのだけれど、”ツィメさんのショパン”として説得力がはっきりと感じられるので聴いていて感動する。本当に好みな一番でした。極上だなあ・・・という言葉が何度も頭に浮かんだ。

二番もとてもよかったです(私は今日の演奏は1≧2>4>3の順で好みでした)。
三番はちょっと私の好みとは違い。長調のところがもうちょい温かで華やかな雰囲気の演奏の方が好きかも。
四番でいいなと思ったのは、中間部の愁いを帯びた緩やかな短調のメロディーのところ。ツィメさんって暗い音でも硬質な明るい透明感があるんですよね。でも不思議と濃厚で。なんというかポーランドだなあと感じた。決してたっぷり歌わせてるわけではないのですけどね。一方で、フィナーレはもうちょっと突き抜けてくれてもよかった気も。

【ブラームス:4つのバラード第1番 作品10-1(アンコール)】
ツィメさんには珍しく3曲のアンコール。でも今回はおそらくこれらの曲はプログラムの一部として弾かれたのではないかなと。直前まで曲目が決まらなくてor準備ができなくて本編に組み込むのが間に合わなかった曲を弾いてくれたような気がする。もちろん聴くことができてとても嬉しいです。
拍手に呼ばれて舞台袖から出てきたツィメさん。「Brahms」と仰って椅子に座り、客席も静まりかえり、いつ演奏を始めてもOKな状態なのに全く始める気配がない。まさかまた何か演説でもなさるおつもりかと思いきや、徐に客席に向かって「ほにゃらら」と。ツイ情報によると「opusジュウノイチ」だったそうで。突然のオチャメ  しかし今日のツィメさんはやたらご機嫌だったなあ。いやいつもご機嫌なんだけど、今回はオーバーアクションなくらい。心境の変化でもあったのだろうか。
このアンコールのブラームスはよかったな。激情と孤独のなかに沈みこような音の対比。
ブラームスで強奏が強いのはペライアと同じですね。
ラストの一音の沈潜するような響き、とてもとても美しかった。ちょっとポゴさんみたいで、ツィメさんぽくなく感じられて意外でした。あ、でもシューベルトの後期ソナタの二楽章のツィメさんの演奏はこんな感じだったな、そういえば。

第1番:アンダンテ、ニ短調
…この曲はドイツロマン派の詩人ヘルダーの「諸民族の声」のなかの「スコットランドのバラード〈エドワード〉」によった作品であり、「エドワード・バラード」とも呼ばれる。この詩は、父を殺したことを静かに問い詰める母、気持ちを荒立て、また罪の意識にさいなまれる息子エドワードの対話からなっている。
この詩に対しては、歌曲作曲家のレーヴェが歌曲(作品1の1)を書いており、ブラームスも、1877年にアルトとテノールのための2重唱曲(作品75の1)を作曲している。
(ピティナより)
へ~

【ショパン:4つのマズルカ第14番 作品24-1(アンコール)】
【ショパン:4つのマズルカ第17番 作品24-4(アンコール)】

この2つは、ポーランド人の血の中に受け継がれているリズムのようなものを感じた。舞踊的というのともちょっと違って、クラシックにジャズを少し混ぜたような重めの品のあるリズム感というか。自分がいまショパンの時代にいて、その音楽を同時代に聴いているような感覚を覚えました。
ところで実はツィメさんって現代に近い曲が似合うのでは、と密かに思っている私。ドビュッシーみたいな軽さのある曲ではなくて、バーンスタインやシマノフスキみたいな重めな感じの。

そういえば、今回もずっと低い鼻歌のようなものが聴こえていたのだけれど、あれはやっぱりツィメさんのハミングなのだろうか(ツイ情報によるとそうらしいのだけど)。ピアノから聴こえるような感じもするのだけどなあ。ツィメさんの大ファンだった女性の幽霊さんが傍らでピアノに合せて歌っているとか  なんて想像しちゃいました


※オマケ1
昨年のラトル&LSOとの『不安の時代』の演奏ツアー中のツィメルマンのインタビュー。ザルツブルクにて。わざわざ出発の時間を変更してインタビューに応じてくださったんですって
「サイモンは『彼がここにいた気がする』と、昨日も含めて、ツアー中に何度も言っています。バーンスタインはこの曲の中に信じられないほど存在し続けているのです。私はツアー中に何度も涙がこみ上げてきましたが、ラトルは音楽にのめり込んでいました。彼は全身全霊をかけていたので、そのまま死んでしまうのではないかと心配になるほど、すべてを捧げていました。私がいつも生徒に繰り返し聞かせるように『私たちが音楽の最初の犠牲者にならなければならない』のです。その信念が一番大切で、それがない人は職選びを間違えたと言えましょう」(『音楽の友』2018年12月号)
ツィメルマンだけでなく、ラトルもそんなに入れ込んでいたとは。
でもわかる。スケールが大きいのにとても温かな、すごくいい演奏だったもの。バーンスタイン、ニコニコして天国で聴いてくれていたと思う


※オマケ2
シャンシャン
サントリーホールに行く前に寄り道しました。
ひさしぶりに会ったら、すっかり大きくなっていてビックリ(そして初めて見た小庭の狭さにもビックリ・・・)。
まん丸のおっきな縫いぐるみが動いてるようにしか見えなくて、個人的には今のシャンシャンが一番可愛く感じる


この3頭身のフォルムがたまらん。。。。。。。


目をきゅっと瞑って幸せそうにクマ笹を味わうシャン ウマウマ
ツィメさんの演奏を聴いている最中に、一回だけふっとこのシャンの姿が頭に浮かんでしまい、ちょっと笑いそうになりました。


悩みなんてなさそうな顔でウマーなリーリー 嬉しそう


こちらもめっちゃ幸せそうに竹を食べまくっているシンシン シンシンを見るとやっぱりシャンシャンは全然小さいんだとわかる笑
みんなかわいいなあ

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