風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

芥川龍之介 『或阿呆の一生』

2006-11-28 20:47:40 | 


僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしてゐる。しかし不思議にも後悔してゐない。

(芥川龍之介『或阿呆の一生』より)


「ただぼんやりとした不安」を理由に35歳で服毒自殺した芥川龍之介。
これは死後にみつかった『或阿呆の一生』冒頭の、友人(久米正雄)へ宛てた文章の一節。


私は「死んでもいいかな……」と思うことは数えきれないくらいあるけれど、積極的に「自殺したい」と思ったことは実は一度もありません。
人生が楽しくて仕方がないわけではありません。でも、世の中には苦痛なものも沢山あるけれど、捨てたもんじゃない素敵なもの(家族、友人、本、音楽、映画、自然、歴史etc)も沢山存在することを今の私は知っているので、それらに二度と出会えなくなることがちょっと惜しいのです。「どうせ二度と戻ることのない世界だし、今急いで楽になることもないかな。生きたところであとせいぜい50年か長くて80年。大好きな桜や梅の花を見られるのもあと50回。そう思うと意外に少ない。それに案外明日交通事故であっさり死んじゃうかもしれない。そう遠くない将来必ずその時はやってくるのだから、そのときまで、この世界がどんなものか見てやるのも悪くないかもしれない。せっかく生まれてきたのだし」という風に思って、乗り越えてきました。そしてまだこうして生きています。

でも、こんな私が万が一自ら死を選ぶときがくるとしたら、その心境はたぶん次のような感じなんじゃないかな、と、思います。
「この世界のいいものも沢山見てきた。それについては本当に満足しているし、生きたことに後悔もしていない。でも、なんだか疲れた。死ぬほど耐え難いかと聞かれればそれほどでもないかもしれないけれど、この状態を乗り越えねばならないことがひどく面倒くさい。こんなに億劫なら、今死んで楽になるのもいいような気がする」。
そしてそんな時に私は「もっとも不幸な幸福」を感じるのではないかと思います。

こういう風に死を選ぶことが果たして本当に悪いことなのかどうか、間違ったことなのかどうか、正直いって私にはわからない。そもそも殺人に善し悪しはあっても、自殺の原因に善し悪しはあっても、自殺行為そのものに善し悪しなんてあるのか。それを決められる者がいるとしたら、それは本人だけなんじゃないだろうか。遺していく、私を愛してくれた人達に対してほんとうに申し訳ないとは思うけれど…。それに、「本当に本当に耐えられなくなったら、その時は死ねばいい」そう思えば生きることが少し楽になる。もし自殺という最後の選択肢が許されないならば、私のような人間にとってこの世界を生きることはどんなに辛いだろう。

死を思わない人間などいない。人間だからこそ死を思う。
「そもそも人間は明るくなければならないわけではないし、人生は楽しくなければならないわけでもない。もがき苦しみ死を思うのは全然おかしなことでもないし、それどころかそれが普通の人間の姿なんだ」という認識がもっとあたり前になれば、もう少し世の中生きやすくなって、かえって自殺者の数も減るのではないかと思うのですが、楽観的すぎますかねぇ。

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ドラマ『遥かなる約束』

2006-11-26 03:05:54 | テレビ

「教会で結婚式を挙げずとも、私達の人生は誠実で神聖でした。……他人の不幸の上に私だけの幸福を築き上げることはできません。最後に、あなた達の限りない幸せと長寿を心から祈り続けることをお許しください」

(『
遥かなる約束』より)


昨夜放映のフジテレビドラマ『遥かなる約束』より。50年間夫の帰還を待ち続けた日本人の妻と、37年間その夫を支え続けたロシア人の妻。
上の言葉は、ロシア人の妻が、日本の妻のもとへ帰る夫に宛てた手紙の一節です。
そうだよね、人を愛するってこういうことなんだよねぇ…。
悪いのは戦争で、夫も、日本人の妻も、ロシア人の妻も、誰も悪くないのに…。切ないなぁ…。
それでも、人を愛する心はやはり強くて温かくて希望に満ちたものなのだと、そう教えてくれる素敵なドラマでした。恋愛という狭い意味ではなく、人は「愛」がなければ生きていけないのだと、自分一人だけの力では決して生きてはいけないのだと、そんな風に思います。
人はみな「生きている」のではなく「生かされている」。他者の存在のおかげで今こうして私は生きていられる。その感謝の気持ちを、忘れないでいたいと思います。

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谷川俊太郎 『朝のかたち』

2006-11-24 00:15:04 | 




昨夜から思いつめていたことが
果てのない荒野のように夢に現れ
その夢の途中で目覚時計が鳴った
硝子戸の向こうで犬が尾を振り
卓の上のコップにななめに陽が射し
そこに朝があった

朝はその日も光だった
おそろしいほど鮮やかに
魂のすみずみまで照らし出され
私はもう自分に嘘がつけなかった
私は<おはよう>と言い
その言葉が私を守ってくれるのを感じた

朝がそこにあった
蛇口から冷たい水がほとばしり
味噌汁のにおいが部屋に満ち
国中の道で人々は一心に歩み
幸せよりたしかに希望よりまぶしく
私は朝のかたちを見た

(谷川俊太郎『朝のかたち』より)


朝がもつ圧倒的なパワーと同じくらい、この詩そのものが、この詩を生んだ詩人の存在が、私に元気をくれる。
そして私と同じようにこの詩から元気をもらっているであろう多くの人々の存在が、私を励まし、夜の闇に耐える力をくれる。

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谷川俊太郎 『やわらかいいのち』

2006-11-23 14:25:27 | 

・・・
どこへ帰ろうというのか
帰るところがあるのかあなたには
あなたはあなたの体にとらえられ
あなたはあなたの心に閉じこめられ
どこへいこうとも
あなたはあなたに帰るしかない

だがあなたの中に
あなたの知らないあなたがいる
あなたの中で海がとどろく
あなたの中で木々が芽ぶく
あなたの中で人々が笑いさざめく
あなたの中で星が爆発する
あなたこそ
あなたの宇宙
あなたのふるさと

あなたは愛される
愛されることから逃れられない
たとえあなたがすべての人を憎むとしても
たとえあなたが人生を憎むとしても
自分自身を憎むとしても
あなたは降りしきる雨に愛される
微風にゆれる野花に
えたいの知れぬ恐ろしい夢に
柱のかげのあなたの知らない誰かに愛される
なぜならあなたはひとつのいのち
どんなに否定しようと思っても
生きようともがきつづけるひとつのいのち
すべての硬く冷たいものの中で
なおにじみなおあふれなお流れやまぬ
やわらかいいのちだからだ

(谷川俊太郎『やわらかいいのち』より)

「人はみな一人であることを知っている人」が好きです。
そういう人は、他人に対して決して自分の価値観を強要したりしないから。
人はみな一人一人違う人間で、それぞれに違う価値観を持っていることを、知っているから。
そのどうしようもない孤独を知っていて、それでも人との関わりから逃げない、人との関わりにどうしても惹かれてしまう、そんな人が好きです。そういうところに私は、人間の愛しさを感じる。

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谷川俊太郎 『希望に満ちた天使』

2006-11-22 00:35:35 | 
のはらにもうみべにも
まちかどにもへやのなかにも
すきなものがあって

でもしぬほどすきなものは
どこにもなくて

よるをてんしとねむった

やまにだかれたかった
そらにとけたかった
すなにすいこまれたかった
ひとのかたちをすてて

はだかのいのちのながれにそって

(谷川俊太郎『希望に満ちた天使』より)

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谷川俊太郎 『人を愛することの出来ぬ者も』

2006-11-21 22:27:30 | 

これが一番いいもの
この短い単純きわまりない旋律が
ぼくは息をこらす ぼくはそっと息をはく
人を愛することの出来ぬ者もモーツァルトに涙する
もしもそれが幻ならこの世のすべては夢にすぎない

(谷川俊太郎『人を愛することの出来ぬ者も』より)

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谷川俊太郎 『問いと満足』

2006-11-19 00:06:21 | 
ホームの壁にはられた巨大なポスターには
三歳で父親に強姦されたという中年男の写真が印刷されている
いったいどこまでが真実なのか この世の混沌は精密だ
一週間有効のパスを買いこみ地下鉄に乗って都市の煉獄をうろつき
長いエスカレーターを上り下りしてぼくはしばし天国を訪れる
天使はいないとしても博物館にはMUSEがいる

……

この一日をすべての詩とひきかえにしてもいい
今日のあらゆる細部が死ぬまでぼくの記憶に残るなら
問いかけることは何もない ただ満足することができるだけだ

(谷川俊太郎『問いと満足』より)

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谷川俊太郎 『唇』

2006-11-18 16:39:00 | 


砂に血を吸うにまかせ
死んでゆく兵士たちがいて
ここでこうして私たちは抱きあう
たとえ今めくるめく光に灼かれ
一瞬にして白骨になろうとも悔いはない
正義からこんなに遠く私たちは愛しあう

(谷川俊太郎『唇』より)

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谷川俊太郎 『詩の書き方』

2006-11-17 23:27:29 | 

詩は死と同じように思いがけずぼくらを襲う
シーッ 詩と死は意味の合間の沈黙によって孕まれるもの
そこで花は開き魚は泳ぎ獣はまぐわい人は静まる
ぼくらは生き延びるために生きているのではない

(谷川俊太郎『詩の書き方』より)

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谷川俊太郎 『嵐のあと』

2006-11-16 20:44:29 | 

手紙が来た
男は不運を嘆いている
おそらく無数の小さな決断の誤りがその原因なのだ
しかし誤りっていったいなんだ

理性は誤るとしても感情はどうか
泉のように噴き出て尽きることのない感情は
たとえそれが人を破滅に導こうとも
正しい

(谷川俊太郎『嵐のあと』より)

はっとした。
あたりまえなことなのに、言われてはじめて思い出した気分。
どうも私は(たぶん現代人の多くは)、理性を感情だと勘違いしてしまいがちなのだ。

人はよく「あのときの判断は間違いだった」って後悔するけれど、間違えたとしたらそれは理性であって、その時々に湧き上がっていた感情はいつだって「正しい」しかない。「あの悲しみは間違いだった」「あの喜びは間違えていた」なんてないし、そんな風に感じるとしたらそれは感情ではなく理性だったということだ。
それなら、感情に従って決めた決断にも「誤り」はないのだ。
その結果がたとえ破滅であったとしても、それはいつだって正しい。
だから私は、決断をするときは、最後は理性より自分の感情に従いたいと思うのです。後悔しないために。

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