風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

エリソ・ヴィルサラーゼ ピアノリサイタル @すみだトリフォニーホール(11月26日)

2022-11-29 01:11:29 | クラシック音楽




モーツァルト/幻想曲 ハ短調K.396
モーツァルト/ドゥゼードの「リゾンは森で眠っていた」の主題による9つの変奏曲 K.264
モーツァルト/ロンド イ短調 K.511

ショパン/ワルツ第3番 イ短調 作品34-2(プログラムでは「第19番 イ短調」となっていたけれど、実際に演奏されたのは第3番でした)
ショパン/バラード第2番 ヘ長調 作品38

(20分間の休憩)

モーツァルト/幻想曲 ハ短調 K.475
モーツァルト/ピアノ・ソナタ第14番 ハ短調 K.457

ショパン/ノクターン第7番 嬰ハ短調 作品27-1
ショパン/ノクターン第8番 変ニ長調 作品27-2
ショパン/バラード第3番 変イ長調 作品47

モーツァルト/ロマンス 変イ長調(アンコール)
ショパン=リスト/「6つのポーランドの歌」より「乙女の願い」(アンコール)


2年半ぶりのヴィルサラーゼを聴きに錦糸町に行ってきました。
前回は神奈川県立音楽堂と浜離宮で聴いたので、これで3つのホールで彼女の演奏を聴けたことになります。
このような情勢なので直前まで来日できるか心配したけれど、無事聴くことができてよかった。ザハロワが来日できているのだから、ヴィルサラーゼができなかったら私は暴動を起こしますが。

前回のリサイタルでチャイコフスキー、プロコフィエフ、シューマン、ショパンを聴いてすっかりその音色の虜になってしまった私。今回のモーツァルト&ショパンも、あまりにも素晴らしかった。。。
ヴィルサラーゼのピアノを聴いていると、唯一無二のロシア・ピアニズムの魅力に抗うことなど不可能なことのように感じられてしまう。今回も最初の一音から否応なしに耳を奪われてしまった。
あの温かで深い、力みのないダイナミクスとスケール感をともなった、夢見るように歌う音色。
今年4月のババヤンのリサイタルのシューベルトの『美しき水車小屋の娘』で感じた、魔法のように空気が変化する、否応なく曲の世界の中に引き込まれないではいられない怖いくらいの音色を、今回のヴィルサラーゼのリサイタルでは最初から最後まで感じていました。この先もロシア・ピアニズムは受け継がれていくだろうと思うけれど、彼女のような凄みを感じさせる音色はこれからの世代のピアニストからは聴こえなくなるような気がする。

ヴィルサラーゼのモーツァルトを聴いたのは今回が初めてだったけれど、素晴らしかった。モーツァルトは彼女が子供の頃から親しんだ音楽だったとのこと。
想像していたよりずっと親密な音色で弾かれたそれは、同時に透明な孤独や哀しみも感じさせて、交互に弾かれたショパンの音楽との類似性を自然と感じました。そういえば先日のリサイタルでシフもこの二人の作曲家の類似性について触れていたな。
彼女のモーツァルトを聴いていると「これ以上のモーツァルトの演奏などないのでは…」と感じる。でも続いてショパンを聴くと「ああ、やはりヴィルサラーゼの弾くショパンはいい…」と感じる。あの暗さと深みと体温と歌心と透明感を兼ね備えた音色のショパンが、私は大好きなんです。

正直なところ、私は現在の世界情勢に関してヴィルサラーゼがどういう考えでいるのか、全く想像がつきません。
つい先日、彼女と同じモスクワ音楽院教授のミハイル・ヴォスクレセンスキーがアメリカに亡命したというニュースがありました(ヴォスクレセンスキーはピアノ独奏科の科長だったんですね。モスクワ音楽院のHPは亡命後も更新されていない…)。亡命後の彼のインタビューを読むと、ウクライナ侵攻後のモスクワ音楽院の教授陣がどういう空気なのかがなんとなく想像できる気がする。そしてそこにいる個々人の心の内は本人以外の誰にもわからない。特にロシアのような国では。
『ピアニストが語る』のインタビューの中で「ギレリスは政治的な人間ではありませんでしたか?」と聞かれたときにヴィルサラーゼが答えた「とんでもありません!あの時代は一人の例外もなく、すべての人が苦しんでいたのです」という言葉を思い出したりもする。
以下は、今年5月のヴィルサラーゼのインタビューより(ロシア語→英語のDeepL翻訳)。
ロシアのインタビューなのでどこまで本音が語られているかはわからないけれど(とても慎重に回答しているように感じる)、かなり率直な質問がなされている良いインタビューのように感じます。少なくともモーツァルトの音楽に関する部分は本心だろうと思う。インタビュアーから「最近あなたはモーツァルトの音楽ばかりを弾いていますね」と聞かれたヴィルサラーゼは「現実逃避です、今起こっているあらゆることからの」と。「また、モーツァルトが明るく優しい魂をもっているからでもあります。彼の音楽の中では光と信じられないほどの悲劇が同時に存在します。そのようなことができる作曲家を私は他に知りません」と。そして「今私はモーツァルトを弾くことはできるけれど、プロコフィエフを弾くことはできません」と。

- Eliso, you've been playing a lot of Mozart lately - both your concerts with the orchestra and your recent solo program was half of his works. It just so happened that I also switched completely to Mozart; for some reason I can't listen to any other music now. So I'm curious, what are the purely human reasons for your choice?

- It's escapism, trying to get away from everything that's going on - that's what it is in the first place. But also because Mozart is a light, surprisingly kind soul - he combines light with incredible tragedy in his music, and you can probably hear that too. I can't think of a single other composer who could do it in the same way. Of course, Mozart's examples of tragedy are well known - the Requiem or some of his operas. But sometimes in his works one is struck by layers of tragedy that are not at all so obvious or even completely unexpected, and which lie hidden in a thin layer somewhere within his apparently quite bravura concertos or sonatas. And when one suddenly discovers such layers, it arouses inner awe.

(中略)

- Well, what if a person is under pressure?

- I don't know what to say here. I don't have an answer. There can be all kinds of situations. You just can't betray your culture and your business. Each of us can do too little in other areas - virtually nothing. We are busy with our profession and at this time should be more occupied with it than with other things. Everyone has a civic position. Some express it, some are afraid of it. I choose to play, I have to play. It's within my power, I can't do anything else. But at the same time, I can't demonstrate to perform works that are blatantly pathological and programmatic.

- What do you mean? Let's say some of Prokofiev's works?

- I can't play Prokofiev now. I can play Mozart, but not Prokofiev. But I can and must teach Prokofiev, it's my duty.

(中略)

- We leave the concert stunned, but unable to understand ourselves and say what changed in us after we listened to the music.

- And why sort yourself out? Maybe we shouldn't look inside ourselves and find out what changes music has made in us. After all, we can't understand everything about ourselves. Something has changed in us, but we can't see it for ourselves. Why shelve it all and try to analyze it all? It's beyond us.

The performer is a bridge that allows the listener to step from his time into the era of the composer. That's why I tell myself that you have to serve the music modestly, honestly, without any fuss and without any doubts about the rightness of your work.

- With your intuition as a musician - and musicians really have a tremendous amount of intuition, I've had to convince myself of that many times - what do you sense? What will happen to all of us?

- The main thing is that the bloodshed must stop, the killing of people - something that cannot be undone. There can be no other way. Otherwise, you know, I'm an incorrigible optimist, and I think everything will be fine in the end.

Интервью с Элисо Вирсаладзе // Interview with Eliso Virsaladze (with subs)
こちらは、2017年のMoscow Philharmonic Societyによるインタビュー。英語字幕の書き起こし記事はこちら。こちらも結構率直な質問がなされています。
2002年のチャイコフスキーコンクールで上原彩子さんが一位になったとき、審査員として参加していたヴィルサラーゼは抗議をして署名を拒否していたんですね。「彼らはルガンスキーのような素晴らしいピアニストにさえ一位を与えず一位不在としたのだから、2002年も(上原に)一位を与えないのが公正だと私は思ったんです。でも結局賞が修正されることはありませんでした」と。
またゲルギエフが総裁となった2011年以降のこのコンクールについては、「チャイコフスキーのコンクールではなく、ゲルギエフとマツーエフのコンクール」であるとばっさり。「でも現体制になってからこのコンクールの知名度もあがりましたよね」というインタビュアーに、「彼らはお金を持っているもの。お金があればメディチのような一流メディアに放送させることも簡単なこと」と。
そして、2017年当時の母国ジョージア、ロシア、ウクライナの現状について、以下のように答えています。

- What is your sense of self: are you a Soviet person, Georgian or Russian?
- Oh, you know, I never thought about it. I am very Russian and very Georgian, and in general I am a person who absorbs many cultures into himself, so it’s hard for me to say. When they scold Russia, it hurts me a lot. When they scold Georgia - too. When they scold my school in Munich - even this was unpleasant for me when I worked there. 

- Where do you feel at home?
- Still in Moscow, probably. 

– Was it difficult for you during the Russo-Georgian war? 
- Very hard. It’s hard for me even now because of the events in Ukraine. I have been traveling to Kyiv for the last four years in a row, and I am so delighted with how the public accepts and how they treat Russian performers! And in general to Russia. I don't even want to talk about what binds us, it's not even discussed. During the Russian-Georgian conflicts, they said: “Remember, we loved each other so much! I don't want to discuss it at all, because people are always well disposed towards each other. There must be some kind of conflict that can blow people up. Even in a small family, this can happen - imagine what can happen at the level of a large state! You can provoke anyone to do something. I think that the state makes a lot of mistakes here and should be held accountable for this.


Eliso Virsaladze plays Chopin
今夜のリサイタルはどの曲も本当に素晴らしかったけれど、個人的白眉はショパンの作品27の2つのノクターンでした(上記動画21:20~、25:56~)。人間が楽器から生み出しているとは俄かには信じがたい音の世界だった。ピアノという楽器の限界があるはずなのに、どうしてあれほどのものを表現できるのだろう。ヴィルサラーゼのピアノは人間の無限の可能性を感じさせてくれる。
「ピアニスト」という言葉を聴くと、私はなぜかヴィルサラーゼが浮かぶんです。自分でも理由はわからないけれど。

レオンスカヤもまた聴きたいな。コロナで彼女のブラームスがキャンセルになってしまったのは悲しすぎた……。

エリソ・ヴィルサラーゼ、音楽の灯を繋ぐひと~一期一会の来日公演への大きな期待(2022年11月ontomo

フレイレの死に触れてくれていますね…。





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東京交響楽団 『歌劇サロメ』 @サントリーホール(11月20日)

2022-11-21 17:08:02 | クラシック音楽




私にとっては、昨年のムーティ&春祭オケの『マクベス』以来のオペラです。
行こうと思った理由はマクベスのときと同じで、前々日の川崎公演を聴いた人達のSNSの絶賛ぶりが尋常ではなかったから。
音楽のみの公演のときはどんなにSNSで絶賛されていても自身の直感で演奏会を選ぶようにしているのだけど、オペラの場合はあまりにも経験値が低いので、SNSの先輩方の声に素直に従うようにしています。それでムーティ&春祭のマクベスの名演にも出会うことができたので。名も顔も知らない先輩方に感謝感謝です。

とはいえノット&東響は2016年にブルックナーを聴いていまひとつ感銘を受けなかったので、今回のチケットを買うのはかなり迷ったのです。でも、バイロイトにも遠征しているような先輩方の声を信じてみよう!と。直前だったのでSとSS席しか残っていませんでしたが、オケやピアノと違って人の歌声は正面席でないと声が飛んでこないこと、海外の歌手は演技も大きな見どころであることは承知していたので、少々高かったけど(といっても12000円)1階12列目の下手側正面席にしてみました。結果、大正解。音楽的な意味ではもちろんのこと、演奏会形式とはいえ舞台の端から端までを効果的に使う演出だったので(ノイマイヤーのバレエのような)、正面席でないと全部の演技を観られないところでした。ソリスト達も予想どおり素晴らしい歌唱&演技をしてくれて、12列目だと細かな表情も字幕とともにストレスなく観ることができました。

改めて、いやあ、行ってよかった。ほとんど理想的な『サロメ』
オペラでは初めてですが、『サロメ』は以前観た宮本亜門氏演出のサロメが私的にいまひとつだったので、今回リベンジできたのは嬉しい限り。
原作だけ読んでいるとあまりそうは感じないけど、タイトルロールのサロメって生身の人間が演じるのは実はかなり難しい役のように思う。特に「声」も重要となるオペラの場合は猶更。その点、今回のグリゴリアンは私のイメージに驚くほどピッタリでした。現在41歳とのことですが、可愛らしい少女のようで、かつ「ただの少女」ではない加減が理想的。「世界一のサロメ」とも言われている所以がわかります。
この話は神(orイエス)←ヨカナーン←サロメ←ヘロデ王←ヘロディアスの視線の一方通行の構図が楽しくて仕方がないのですが、神について語るヨカナーンをうっとりと見つめながら彼の言葉全無視で「お前に触れたい」と歌うサロメの純粋無垢な表情も、ナラボートの死体に「あら、何か転がってるわ」と道端の雑草を見るように落とす無関心な一瞥も、ヘロデがどれほど「白の孔雀をやるぞ!領地の半分も宝石もやるぞ!」と説得しても静かに「ヨカナーンの首を」と繰り返す透明感のある低い発声もとてもよかった(座ったままであんなに声が通るってすごい…!)。そこからラストまでのグリゴリアンは、歌唱も演技も圧巻の一言。

ヘロデ王役のヴェイニウスも、よかったな。
原作を読んでいても感じるけど、ヘロデって主要人物の中で最も普通の人だよね。彼のような人物がそう見えること自体、どれだけ変人ばかりの話なのか、ということだけど(ヨカナーンだって、サロメとは方向性は違うけど普通の人間とはかけ離れている)。
終盤、サロメが舞台中央でヨカナーンの首を抱いて歌っているときの上手側壁際でのヘロデ王とヘロディアスの存在感も素晴らしかったです。黙っていても伝わってくるヘロデの胸の内。最後の最後の「この女を殺せ!」も、とてもよかった。あの台詞で幕が閉まるのだから、すごく重要ですよね。

その他、ヘロディアス役のバウムガルトナー、ヨカナーン役のトマソン、ナラボート役の岸浪さん、役に合っていて大満足でした。トマソンはスポットライトがあたっている舞台上(オルガン下)やカテコでガムを噛んでいて、なんか自由だな、と笑。

ユダヤ人役の5人はもう少し声量が欲しかったかな。5人集まっても他の人達より声が届いてこなかったのは残念だったかも。

オケは、もう少しだけでもいいから官能性が欲しいとは正直感じてしまったけれど(過度な色気は不要だけど)、そんな不満は些細なことと感じられるくらいの見事な演奏を聴かせてくれました。
不吉な風の音、パーカッションや低音の迫力、ラストでサロメが舞台袖へ姿を消した後のクライマックス→暗転まで、文句のつけようがないほど完璧でした。
下手の椅子でサロメがヨカナーンの首が落とされるのを待つ場面の”静寂”のときの不穏な音(あれはチェロ?)、不気味だったわ…。首切る音みたい…。
ソリスト達がみな舞台袖に引っ込んでオケだけで演奏された7つのヴェールの踊りは官能性皆無だったけど、wikipediaによるとシュトラウス自身はこのダンスは「祈りに使う敷物の上ででも行われているかのように徹底的に上品」であるべきだと規定していたそうなので、これでいいのかも。でも上品な官能性はやっぱりほしいかも。
カテコでのノット、頬を紅潮させて嬉しそうだった

今回の舞台を観て&聴いて改めて感じたのは、ワイルドは実はとても「まっとうな」人だったのだろう、と。退廃的で不道徳なものをこれ以上なく美しく魅力的に描きながら、読み終わると実はそこにある彼の「まっとうな」感覚が心に残る。『幸福な王子』や『若い王』などはもちろん、『ドリアン・グレイ~』や『サロメ』でさえも。
白と黒だけで区別できず、常に混じり合い、しかも動態なのが人間。であるはずなのに、ワイルドの一般的イメージは彼の芸術至上主義、耽美主義、退廃的な面に偏りすぎているのでは、と改めて気づかせてくれた今回のサロメでした。ノットや演出のトーマス・アレン氏がそのことをどれほど意識したかはわからないけれど、歌手達の演技を観ているとそれを全く意識しなかったということはないと思う。
だからといって宮本亜門演出のような「渋谷にいる普通の女子高生」的サロメを観たいわけでは私は全くないので、そういう点でも今回の品も備えたグリゴリアンのサロメには大満足でした。以下は、サロメの翻訳もした平野啓一郎さんの言葉。宮本演出に関する彼の意見には同意しかねるけれど、ワイルドに関する部分については全く同感です。

僕はワイルドは偽悪者だと思います。挑発的な逆説をたくさん言いましたけど、根は真っ当で繊細な人。彼の弱者に対する優しさは「幸福な王子」や「わがままな大男」なんかによく表れています。「ドリアングレイの肖像」だって、倫理的ですし。でも、だからこそ彼は、自身の同性愛スキャンダルでも見られたような、ヴィクトリア朝時代のイギリスの、退廃的なくせに、肝心なところではどうしようもなく保守的で残酷な社会に、反感を抱いていたんでしょう。サロメの訴える息苦しさは、ワイルド自身が実際に生活の中で感じていたものなのではないでしょうか。またそれは、現在の日本の社会の状況や現代人の感じている鬱屈にも大いに通じるところがあると思います。
それともうひとつ、ワイルドがこれを書いたのは十九世紀の終わりで、ニーチェと同じ時代なんですね。ニーチェの方がちょっと年上ですけど、二人は同じ1900年に死んでる。つまり「神は死んだ」と言われているときに、キリストが登場する時代の話を書いた。これはひとつ、この作品を解くミソになるかもしれません。
(2012年新国立劇場『サロメ』翻訳者(平野啓一郎)×演出家(宮本亜門)から

以下は、『獄中記』よりワイルドの言葉。

ぼくはただの一瞬といえども悔いはしない。ぼくは心ゆくまで味わったのだ、ひとはそのなすところをすべてなすべきであるように。ぼくの経験しなかったような快楽などありはしなかった。ぼくは魂の真珠を葡萄酒の杯に投げ入れた。笛の音につれて桜草の道を辿って行った。蜜を食って生きた。ただもしこれと同じ生活を続けていたとしたらそれは間違っていたに違いない。その生活は限りあるものであったろうから。ぼくはこれを通り越して行かねばならなかった。花園の反対の側もまた、その秘密を持っていたのである。むろんこのことはすべてぼくの作品の中に前兆を投げ予覚されてはいた。(中略)人生のあらゆる瞬間において、ひとは過去の人間であると同時に、未来の人間でもあるのだ。芸術はひとつの象徴である、それは人間がひとつの象徴であるからだ。
(オスカー・ワイルド。新潮文庫『幸福な王子』あとがきから、西村孝次訳『完本獄中記』より)


最後に、『サロメ』の登場人物の中で一番幸福な人は誰か?というと、それは間違いなくヨカナーンだと思う。宗教について色々考えさせられます。

荒井良雄『ワイルドと日本文学』
駒沢大学名誉教授の先生の、まっとうなワイルドについて述べている良記事。

Oscar Wilde’s Chelsea flat is for sale
ロンドンのチェルシーには、ワイルドが『ドリアン・グレイ〜』執筆時に住んでいた家が今も残っています。ブループラークが付いているので、すぐに見つけられますよ。上記はその家が2020年に売りに出されたときの記事。その額、£1.6mとのこと。








サントリーホール前はすっかりクリスマスの装いでした

指揮= ジョナサン・ノット
演出監修= サー・トーマス・アレン
サロメ= アスミク・グリゴリアン
ヘロディアス= ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー
ヘロデ= ミカエル・ヴェイニウス
ヨカナーン= トマス・トマソン

ナラボート= 岸浪 愛学
ヘロディアスの小姓= 杉山 由紀
兵士1= 大川 博
兵士2= 狩野 賢一
ナザレ人1= 大川 博
ナザレ人2= 岸浪 愛学
カッパドキア人= 髙田 智士
ユダヤ人1= 升島 唯博
ユダヤ人2= 吉田 連
ユダヤ人3= 高柳 圭
ユダヤ人4= 新津 耕平
ユダヤ人5= 松井 永太郎
奴隷= 渡邊 仁美

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ブロムシュテットのマーラー、ネルソンス&シャハム&ボストン響のチャイコフスキー

2022-11-11 23:14:39 | クラシック音楽

交響曲第9番はマーラーの最高傑作だと思います。この作品でマーラーは人生、そして音楽に別れを告げているのです。今の時代にぴったりの作品だと思います。命に別れを告げる音楽だからです。地球上の全ての命に別れを告げる可能性が今、あります。核戦争になれば全てが終わりです。この楽曲を書いたときマーラーはまだ50~51歳、重い心臓の病を抱えていることを知っていました。長くは生きられないことも知っていました。だから、これは彼の別れの曲です。歌詞を伴わずとも音楽を通して巧みに終わりを告げています。

(しかしこの曲は悲観的な音楽ではない、とブロムシュテットは言います。)
悲劇と同時に幸福を描いた曲だからです。愛にあふれた曲で、最後に愛するすべてのもの、そして人生に別れを告げているのです。マーラーの交響曲はすべて愛情に満ちています。彼は人生を愛していました。オーケストラを愛し、作曲することを愛し、音楽で自己表現できることを愛していました。そうした能力があることに感謝していました。私たちも、そうでなければならないと思います。人生に別れを告げることになるかもしれない、危険で不穏な時代に私たちはいます。でも私たちには音楽をはじめ、幸せを感じさせてくれるものがたくさんあります。それを多いに楽しみ、他の人たちに伝え、分かち合いましょう。

(ヘルベルト・ブロムシュテット NHKクラシック音楽館 2022年11月6日放送)

遅ればせながら、先週末放送されたEテレのクラシック音楽館をようやく見ました。
ブロムさん、2日目だけでなく1日目も、最終楽章を終えたときに涙を浮かべられていたな…。テレビで見て、胸につけたリボンが青と黄のウクライナカラーだったことを知りました。上記インタビューの核戦争云々という部分も、ウクライナ戦争を意識した言葉ですよね。

会場で演奏を聴いたときも感じたけれど、ブロムさんはやはりこの曲を「死」と結びつけて解釈されていたのだな。そして人生や、この世界への愛。
ヤンソンスさんの”Love song to life and mortality”、”Hymn to the end of all things”に通じる解釈。
ヤンソンスさんのマーラー9番をサントリーホールで聴いてから今月で6年、亡くなってもうすぐ3年。
「脳(brain)はラトビア人、心臓(heart)はロシア人」と仰っていたヤンソンスさんが生きていたら、今のロシアとウクライナの状況をどう感じたのだろうか。ゲルギエフはいま、どう感じているのだろう。

ヤンソンスさんといえば、ネルソンスがボストン響と来日中ですね。昨日は京都、今日は大阪、週末は東京。
私は今回は行きませんが、前回のこのコンビの来日で最高に感動したシャハムとのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏(2017年11月7日サントリーホール公演より)を下に貼り付けておきます。前回2日間行ってこのコンビのメインプロ(マーラーとショスタコーヴィチ)にはあまり感動できなかったのだけれど、この協奏曲は明るくスケールが大きい素晴らしい演奏でした。
しかし今このチャイコフスキーの演奏を聴くと、涙が出てくるな…。音が幸福感に溢れているから猶更。この頃はロシアとウクライナがこんなことになるなんて想像もしていなかった。まさかこんな世界に再びなるとは…。と思うこと自体、日本人である私の平和ボケの証拠ですね。2014年にはクリミア併合は行われていたのだから(例の署名問題もその時のこと)。
早く平和な世界が戻ってほしいです。両国ともにあまりに命が失われすぎている…。




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アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル @東京オペラシティ(11月4日)

2022-11-05 15:43:50 | クラシック音楽




今回の演奏会は、確かに私が普段おこなっているレクチャーやレクチャー・コンサートの延長線上にありますが、それだけにとどまりません。このアイデアが頭に浮かんだのは、私たち演奏家が演奏する機会を失ったパンデミックのさなかでした。


クラシック音楽には、どんな未来が待っているのでしょう? 

昨今、コンサートはきわめて“予測可能なもの”になりつつあります。果たしてそれは良いことでしょうか? 私たちピアニストは、幸運なことに、信じられないほど豊富なレパートリーに囲まれ、あまたの傑作の中から演奏曲を選ぶことができます。しかし、その選択は自発的であるべきです。今回の私の選択は、その時の気分のみならず、会場や、その音響、さらに楽器によって変わります。当日の朝にコンサートホールへ行き、インスピレーションを得て、その日の夕刻に自分が何を弾きたいのか思いめぐらすことになります。もちろん、そのためには沢山の曲を手の内に収めておく必要がありますが……。さらに舞台上でのトークによって、聴衆と演奏家のあいだに在る壁や境界を取り払うことも、企画のねらいです。私たち演奏家は、聴衆の方々と同じ人間であり、他の惑星からやって来た生き物ではないのですから。
聴衆の皆様には、ぜひサプライズと新しい発見を体験していただきたいと思っています。
きっとお楽しみいただけると思います。

サー・アンドラーシュ・シフ


というわけで、3日の所沢公演につづいて、4日のオペラシティ公演にも行ってきました。
2020年の来日公演のシフはいまひとつ本調子ではなかったように感じられたのですが、今回聴いた2公演はどちらも本来のシフらしい演奏を聴かせてくれて、大大大満足の2日間でした。こうなると1日のオペラシティを聴き逃したことが悔やまれるけれど、興味ある全ての演奏会に行くわけにもいかないので仕方がない。
昨日も書きましたが、シフの今回の来日ツアーは所沢公演以外はプログラムが当日発表で、シフが解説を混じえながら弾いていくというもの。シフが普段ロンドンで行っているレクチャーリサイタルの延長線上にあるもので、twitter情報によると同形式のベルリンでのリサイタルは即日完売だったそうです。

【J.S.バッハ:カプリッチョ「最愛の兄の旅立ちに寄せて」BWV992】
舞台袖から登場したシフ&塩川さん。今回塩川さんは下手の椅子に座られて通訳をご担当。といってもシフが延々と話し続けるので、実際に通訳された内容はその一部でした(原稿は用意されていたようだけど、シフはそれ以外のことも話していた)。シフが長~く話してから「はいどうぞ」と塩川さんに振ると、塩川さんが「長すぎて…」と苦笑されて、客席からも笑いが起きていました。今日の客席はいつものような変なタイミングでの笑いは起こらず、シフの英語の話に対して適切な箇所で反応が返っていて(それが普通なのだが)、安心して聞いていることができました。シフ、良いファンを持ってるなあ。

さて、第一曲目のカプリッチョ。シフはまずは何も解説なしで演奏。この曲は初めて聴いたけれど、シフによるとバッハが18歳のときの作品だそうで、全6楽章がどのような内容のものかをわかりやすく解説してくれました(馬を表す部分などをピアノで弾いてくれながら)。そしてたっぷりの解説を終えた後、「あまり弾かれない曲だから、もう一回弾きます」と徐にピアノへ。「え、、、、!?」となる客席。
そして本当に全楽章が再度演奏された。私の今日一番のツボはここでした。通常のリサイタルでは同じ曲を二回連続で弾くことなんてあり得ないし、マイペースなシフ、楽しすぎる。もちろん解説を頭に入れた上でもう一度ちゃんと聞いてほしいという意味だろうけれど。シフのこういうところ大好き。演奏も素晴らしかったです。

【ハイドン:ピアノ・ソナタ ハ短調 Hob.XVI-20】
「過小評価されているハイドンの素晴らしさを多くの人に知ってほしいから、自分のプログラムに入れて普及活動をしている」的な話をされてから演奏。この曲も初めて聴いたけど、3楽章の勢いある音の洪水が楽しかった!
今年2月にウィグモアホールでフォルテピアノで演奏したんですね(この演奏も素晴らしい)。

【J.S.バッハ:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903】
【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」】
ベートーヴェンがバッハの影響を受けている話とか、テンペストのペダルはいちいち踏み変えないのが正解とか該当部分を実演で解説してくれてから、演奏。
このバッハの曲も初めて聴いたけど、格好いい曲&演奏!シフのバッハは何を聴いても絶品ですね。そして切れ目なくテンペストへ。
テンペスト、解説を聴いてから本編を聴くと、シフの言っていることが正解としか思えなくなる。さすがシフ様。私は2017年に初めて聴いてからすっかりシフのベートヴェンの虜になっているので、今年も所沢の30番と今日のテンペストと新たに2曲を聴けて本当に幸せ。テンペストは以前ピリスの演奏で大感動したことがあって、今日のシフはまた違うタイプの演奏で、シフらしい明快な音色で熱のある美しい演奏を聴かせてもらえて大満足!
今回2日間聴いて、改めてシフは音色の変化が本当に凄い。ロシア系のピアニストでは珍しくないけど、シフはそうではないのに不思議。ロシア奏法をかじったことはあるそうなので、その影響だろうか。ちなみにシフは音に色が見えるピアニストとのこと(他の回の解説でご自身が言っていたそうです)。アファナシエフは音に色は見えないとご自身が言っていて、でも私には彼の音に色が見えるので、奏者自身に色が見えるかどうかは関係ないのだなということをアファナシエフで知った。

テンペストが終わるといつまでも拍手が鳴りやまず何度も何度も舞台に呼び戻されるシフ。シフは「バッハとベートーヴェンを弾いたらインターミッションになります」とちゃんと言っていたのだけど、これで演奏会終了と思った人も多いようで。
その後照明がついて日本語で「20分間の休憩です」というアナウンスが流れると、「え、休憩・・・?」という声が周囲から漏れ聞こえました笑。
なぜならこの時点で、既に20時50分。

(20分間の休憩)

今日のベートーヴェンでは高音が”氷”の音ではなかったのでホール所有のインペリアルに違いない、もしこれで280VCだったらもう自分の耳は信用できない、と本日も休憩時間にピアノの確認へ






遠目でもすぐにわかる低音の黒鍵盤。やはりインペリアル。
このインペリアルは1997年にこのホールが開館したときにシフが自ら選んだピアノで、内部にはシフのサインがあるんですよね。
となると、2017年にオペラシティでこれではなく280VCを弾いたのは、珍しいことだったのかも。
このインペリアルは280VCのような麻薬的な陶酔感(一度聴いたら忘れられなくなる音色)はないけれど、より親密な素朴さがあって、ふんわりとした華やかさもあり、これはこれでとてもよい。シフの演奏には本来はこちらの方が合ってるようにも感じる。280VCは低、中、高音でそれぞれの響きが鮮やかに異なるけれど(しかもそれが不自然じゃない)、インペリアルは低中高の全てで同じように木の温もりを感じさせる。なので音色の変化に乏しいとも言えるけど、だからこそピアニスト自身の個性がより前面に出てわかりやすいように思う(280VCは音が魅惑的すぎて、音楽より音自体に耳が持っていかれてしまう時があるので)。
というわけで今回2日連続で違うホールで違うピアノでシフの演奏を聴くことができて、どちらも感動して、とても良い経験になりました。
ちなみに私が280VCの高音を「氷」と表現するのは「無機質ではない温かみを感じる」という意味です、紛らわしいですが。スタインウェイの高音がクリスタルなら、こちらは氷。

【モーツァルト:ロンド イ短調 K.511】
【シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959】
「私にとってバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトは最も重要な五大作曲家です」と。
モーツァルトのロンドについては「ショパンはモーツァルトを尊敬していて、この曲はショパンに影響を与えたに違いない曲で、ショパンを聴いているよう」と。
シューベルトのD959については「一楽章の下降オクターブはクレド(信条)を表していて、二楽章はシューベルトのあらゆる曲の中で最も暗く悲しい楽章。舟歌のような音楽で始まり、真ん中で壊滅的な事が起こり、最後はまた舟歌で閉じられる。三楽章は死後の世界で、四楽章は親密なメロディで始まるが最後には再びクレド(信条)が現れ、つまり希望を表している」と。
こういう解釈なら(そしてこの後に本編を聴くとこの解釈しかありえないように感じられる)、シフが「21番がシューベルトの最後のソナタなのではなく、19、20、21番の3曲は同時並行の作曲だ!」と強調する意味がわかるな。
今日の演奏も昨日と同様に素晴らしかったです。二楽章の終わりは死そのもの。三楽章のあの弾むような軽やかな高音は天国の音なのだね。
4楽章の懐かしい子供ようなメロディのところも、素晴らしかった。ところで4楽章を聴きながら「5年前の私はこの演奏のどこに作為的と感じたのだろう」と不思議に思っていたのだけれど、ああきっとこういうところだなと感じたのが、たとえばこの演奏の2:30のミーミーミー(強)→ミーミーミー(弱)の変化がシフの演奏は私には少々自然ではなく聴こえてしまうんです。ほんの僅かの問題なのだけれど。他にもそういう部分がほんの僅かずつあって、それ以外は私の理想にかなり近いシューベルト。

【ブラームス:インテルメッツォ op.118-2(アンコール)
【モーツァルト:ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調 K.545から 第1楽章(アンコール)】
【J.S.バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971から 第1楽章(アンコール)】
アンコールは、最初の2曲は所沢と同じ。
今日のブラームスの美しさも絶品だったなあ。二日連続で異なるベーゼンでこの曲を聴くことができて、本当に嬉しい。他のピアニストではあまり聴こえないもう一つのメロディーがはっきり聴こえた部分があったのも新鮮でした。シフらしい。
シフの118-2は死にたい気持ちを起こさせない演奏で、にもかかわらずしっかり”ブラームス”なのが不思議だなあと今までも思っていたのだけれど。今日の演奏を聴いて、ああそうだ、ブラームスは「それでも生きた」人だった、ということを思い出したのでした。
とても心が沈んでいる今(ここ数年ずっとそうなんだけど、今日は会社で色々あり特にそういう気持ちだった)、聴けたのがシフの演奏でよかったと心から思う。
シフに感謝。

モーツァルトも今日も絶品。こちらもピアノが違うと響きも違って、どちらも最高♪♪♪

最後はイタリア協奏曲の1楽章で〆。昨日は少し不安定だったこの曲ですが(不安定だったのは1楽章じゃなかったかもだけど)、今日は明るく迷いのない太陽のようないつものシフの演奏で、幸福な気持ちで会場を後にすることができました。重ね重ね、シフに感謝。もしや全曲やってくれる!?と思わず期待してしまったことはナイショ笑。

舞台上でシフと塩川さんが並んでいる光景も、素敵だったな。良いご夫婦だなあ。塩川さん、時々シフの方に顔を向けながら演奏を聴かれていた。アンコール時にシフが塩川さんを立たせて称えようとするけれど、塩川さんは私はいいからという風に座ったままで、最後もあっさりご退場笑。その後をついていくシフ笑。そういうお二人も見ていて幸せな気持ちになりました。
今日はマイクは入っていたけど、カメラは入っていなかったのかな。映像で残してもらいたかった。こうやってお二人で舞台に並ぶ形式で行われたのは日本でだけだよね。

22時30分終演。
今まで行った演奏会の中で終演時間が最も遅かったのはゲルギエフ&マリインスキーの22時だったけど、それを30分更新(長いトーク込みだけど)。
シフ&塩川さん、2日間、感動的な時間を本当にありがとうございました。
この形式のリサイタル、また是非お願いします!
シフも塩川さんが隣にいらっしゃるからか、とてもリラックスしているように見えました。そしてつくづく来年のカペラ・アンドレアバルカの来日が中止になったのが残念。。。カペラ~と一緒のシフって信頼のおける友人達に囲まれているような雰囲気で、見ているこちらも笑顔になってしまう素晴らしい演奏会だったから。近いうちに是非カペラ~とも再来日していただきたいです。
で、シフの次回の来日はいつなのだろう。やはりまた3年後なのだろうか。遠い、遠すぎる…





良い写真!
舞台袖からぴょこぴょこ覗かれていた塩川さんのお姿、客席からも見えていました


30番は所沢だけだったんですね。1日のフランス組曲とバガテルを聴き逃したのは痛恨の極みだけど、今回30番とテンペストを聴けたのは本当に嬉しかった。
これで私が生で聴けたシフのベートーヴェンのソナタは、12番(葬送1、3~4楽章)、17番(テンペスト)、24番(テレーゼ)、26番(告別)、30番、31番、32番。もっともっと聴きたい。
今日の冒頭で2回連続で弾いたバッハの『最愛の兄〜』もオペラシティだけだったのか。これも聴けてよかった。

Sir András Schiff @ Wigmore Hall, pandemic-recital (all Bach program)
今年6月のウィグモアホールでのレクチャー。一曲目は『最愛の兄~』について。今日の解説と同じく「(5楽章のシ↘シシは)御者の郵便ラッパを意味しているのだろうが、私には馬の音に聴こえる。とても音楽的な御者と、それ以上に音楽的な馬だ」と

András Schiff - Sonata No.17 in D minor, Op.31/2 "The Tempest" - Beethoven Lecture-Recitals

András Schiff Brahms Intermezzo in A major op.118 no.2 (Encore)
今シフの演奏を聴くことができて、私の心はすごく救われた。本当に、シフに感謝だな…。
ところで他のピアニストではあまり聴こえないもう一つのメロディは、たとえば2:10~。

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アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル @所沢ミューズ(11月3日)

2022-11-04 03:03:55 | クラシック音楽



こんばんは。
皆さま、文化の日はいかが過ごされましたか。
私は信じがたい多忙さでございました…。
朝一番で本日が全国旅行支援の受付開始の八ヶ岳のホテルを電話予約し(電話受付のみだった)、午前中に週末の上高地旅行のためのPCR検査を受けに行き(ワクチン2回接種者のため)、昼に2時間近くかけて所沢まで電車で行き、小手指の有名店でハンバーガーを大急ぎで食し、電車を乗り間違えて逆方向に行ったりしながら(埼玉慣れない…)、15時から所沢ミューズでシフのリサイタルを聴き、帰宅したら陰性通知が届いた、という一日。。。疲れたけど、まぁ充実した休日ではありました。全部遊びですが。

所沢ミューズは初めて行きましたが、スタッフさん達が親切で良いホールですね~(「こんにちは!」という挨拶、新鮮だった)。音響もいい。ただ、客層が………。飴玉剥きさん、時計アラームさん、盛大に咳しまくりさん、パンフレットの音ガサガサさんは普通にいるし、演奏中にバタン!と思いきり扉の音を立てて出ていく人に遭遇したのは初めてです…(余裕がないくらい体調悪いとかだったのかもですが)。良いホールなのにもったいないなあ

【J.S.バッハ:イタリア協奏曲 へ長調 BWV971】
前回シフを聴いたのはコロナ禍が始まった頃だったので、2年半ぶり。お元気そうで何よりです
と思っていたら、、、途中で音が迷子になった…?
昨年のバレンボイムと同じく無音にならないように上手く流してはいたけど、この曲でそれが起きたことに驚いた。なぜならシフはこの曲を暗譜で何百回も弾きまくっているはずで、シフ歴短い私でも聴くのは既に3回目。客のマナーがよくないから演奏に集中できないという様子にも見えなかったので、かえって心配になってしまった。

【ハイドン:ピアノ・ソナタ ト短調 Hob.XVI:44】
この曲からは一気に持ち直したように感じられました(だからこそ、さっきのイタリア協奏曲はなんだったのか不思議だったけど)。
シフのハイドン、本当にいいよねえ…。表情豊かで大好き。
ハイドンがこんな良い作曲家だと知ることができたのは、シフとペライアとヤンソンスのおかげだな。

【モーツァルト:ピアノ・ソナタ第17番 変ロ長調 K.570】
私は最近はシフのモーツァルトが大好きなのですが、今日のこの曲の演奏はこの世のものじゃないような怖いくらいの美しさ…。加えて、親しみや歌心もあって。トリップ状態になって聴いてしまいました。
そしてなんかこの音、とてもとても既視感がある。
もしや今日シフが弾いているピアノって、ベーゼドルファーだけどインペリアルではないのではなかろうか、という疑念がこのとき生まれる。

【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 op.109】 
今回のリサイタルで一番楽しみにしていたのが、この曲(この曲とハイドン以外は、過去にシフで聴いたことがあったので)。
シフ、冒頭でop.109とは違うフレーズを弾いていて(ほんのワンフレーズくらいですが)、その瞬間私の中にバレンボイムの曲間違いに遭遇した時の記憶が蘇り、「シフ、あなたもか…!」と心の中で突っ込んだのだけれど。そのまま自然に本来のフレーズにつながってop.109が始まった。一体なんだったんだろう。一瞬バレンさんみたいに別の曲を弾きそうになってすぐに我に返ったとかだろうか。あるいは、即興的な何か?
youtubeに2013年の来日公演のこの曲の演奏があがっているけれど、いまひとつ音楽の表情が薄く感じられてあまり好みではないのですが、今日の演奏はレクチャー動画の方に近い演奏(←好み)をしてくれて、嬉しかった
勢いのある二楽章もとてもよかったし、シフがレクチャーで「ベートーヴェンの全ソナタの中で最も美しい楽章だと思う」と言っていた三楽章は、昨年聴いたバレンボイムのそれが心に深く沁みたのだけれど、シフも別の良さがありますね。私はシフが弾く独特な軽みや明快さ(バッハやハイドンのような)を持ったベートーヴェンがとても好きで、またシフの変奏の美しさは言うまでもなく無類。
そしてあのひと粒ひと粒の高音の響きの美しさ……。
この音でやはり確信。このピアノ、絶対にインペリアルじゃない。
ベートーヴェンの音楽でぴかぴか氷った星々が見えるこの音色。
ちょっとフォルテピアノのような響きも感じられて。
色合いの変化が繊細なのに鮮やかで。
中音部はまろやかな木の温かみ。
・・・この感じはあの5年前に初めてシフを聴いて感動した時の280VCと同じ。あの怖いほどの美しさ。聴いていると否応なくトリップ状態に連れていかれるあの音色。
最後のゴルトベルクのアリアに喩えられる静かな部分で咳があったのはとても残念だったけど、この頃にはここの客のマナーを私はすっかり諦めていたので、もはやさほど気にする境地にはなく。
それよりも、あの音色をもう一度聴けたことがひたすら嬉しくて、休憩時間になったらピアノの確認に行かねば!と。

(20分間の休憩)
というわけで、さっそく確認しに一階へ。


低音の鍵盤が黒ければインペリアルだけど(←見分け方はそれしか知らない)、、、遠くてよくわからん。
仕方がないので、二階へ


やはり低音が黒くない…!のでインペリアルではないのは確か。
280VCかどうかは不明だけど、あの音色はきっと間違いなくそうだと思うので、満足して自席へ。
あの2017年の演奏会を最初で最後にシフの東京公演はオペラシティ所有のベーゼンに戻ってしまっていたから、もう二度とシフが弾くあの響きは聴けないのだろうと諦めていたのに、まさかの所沢で再会できるとは。
今回私が所沢公演を選んだ理由は一度シフの演奏をオペラシティとは異なるホールの音響で聴いてみたくて、できればオペラシティ所有のインペリアルとは異なるピアノでも聴きたかったからなのだけど(インペリアルが嫌いなわけではなく、シフは前回も前々回もインペリアルだったので他のでも聴きたくなった)、はるばる東京を通り越して埼玉まで来た甲斐があった。

※追記:演奏会後のtwitterで「280VC」と明記しているベーゼンに詳しそうな方がおられました。音の違い以外では、どの部分を確認したら判断できるのだろう…?

【モーツァルト:ロンド イ短調 K.511】
【シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959】
後半の2曲は、昨年ハイティンクが亡くなったときにシフがウィグモアホールで追悼として演奏してくれたのと同じ曲。あの日の客席には奥さんのパトリシアさんもいらしていて…。「ベルナルトが聴きたいと思ってくれるような曲を選んだ」とあの時シフは言っていた。
2曲を切れ目なく演奏したのもあの日のそれと同じで、どちらも過去にシフで聴いたことがある曲だけど、今回聴くことができて嬉しかったです。
シフのシューベルトのソナタは以前聴いたときに4楽章の演奏が苦手だったので今日は覚悟して聴いたのだけど、今日のはとてもよかったな。前回聴いた時よりも作為的な印象が減って、より自然な演奏に感じられて感動しました(私の耳にそう聴こえただけで、ご本人は同じように弾いていたかもです)。
今日の演奏、弱音がやたらと美しく響いていた。シフ、いつもより弱音を小さく弾いていた気もする。ホールとピアノの特性に合わせているのかな。
最後の音の響きが残っているなかで一部の人達が拍手をしてしまったけれど、シフは黙って鍵盤を押さえたままで、すぐに収まる拍手。少しずつシフに教育されていく所沢ミューズの聴衆達
個人的には一部の非常識な人のために残りの客に対しても演奏をしたくなくなるアーティストの考えには賛同できないのだけれど、「アーティストだって人間だ」というのも理解できる。今日のホールの客に限って言えば、後半に向かってほんの僅かずつではあるけれどマナーは改善されていったように感じたし、客席にいた大部分の常識ある、かつシフの演奏を愛している人達の思いはちゃんと彼に通じたのではないかな、と。「マナーが悪いわりに拍手は熱狂的だった所沢の客」とSNSで言っていた人がいたけれど、マナーが悪かったのはそもそも一部の人達だし(とはいえ他ホールに比べるとその割合は圧倒的に多いので、今後このホールはできれば避けたいですが…)。
アンコールを3曲やってくれたのも、シフもそれをわかってくれたからではなかろうか。と思いたい。シフ自身がミューズの音響と280VCの相性の良さを楽しんでいたから、というのもあり得るな。

【ブラームス:間奏曲 op.118-2(アンコール)】
先日フレイレの記事で紹介したばかりのop.118-2。まさか今日シフが弾いてくれるとは…。このプログラムでアンコールにブラームスがくるなんて全く想像していませんでした。
フレイレとハイティンクが亡くなってちょうど一年。先日のマイスキーと今日のシフの演奏で一年目の追悼をできたような気がして(私自身は何もしていないが)、少しほっとしました。
シフの118-2、フレイレのそれと違って死にたい気を起こさせないのが有り難い。
でもシフでこの曲を聴くのは3回目だけど、今日の演奏は何故かいつもよりも深みと憂いが増して聴こえた。私がフレイレのことを思っていたからだけではないようにも思う。

そして280VCの音…。次いつこのピアノをシフで聴けるかわからないから、大事に大事にその響きを耳と記憶に焼き付けました。

【モーツァルト:ピアノソナタ第16番 K545 第一楽章(アンコール)】
シフがこの曲をアンコールで弾き始めると必ず客席から笑いが起こるけど、すぐに笑ってられない演奏であることがわかる人にはわかるはず。ユジャ・ワンのトルコ行進曲と同じ。彼女のそれと異なり、難易度高いことは全くしていないのにヤバイのがシフ。
私の近くの席の人、この曲が始まった途端に楽しそうにエアピアノを始めたけれど、すぐにやめていた。このシフの演奏に合わせてエアピアノをできるとしたらよほど聴く耳を持っていないか、よほど厚顔無恥な人だけだと思う。それくらい物凄いもの、シフのモーツァルト。こういう単純な美しさって、実は最も難しいものなのではないだろうか。一見誰でも簡単にできそうで、実は極々限られた人にしかできない演奏だと思う。この曲でのシフの演奏は、天使が弾いてるとしか思えない美しさ。装飾の自由さ&愉しさもこの上ない。

【J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻から プレリュードとフーガ第1番 ハ長調BWV846(アンコール)】
モーツァルトが終わりの合図かと思っていたら、熱狂的な拍手&ブラボーに応えてバッハやってくれた!今日はバッハが少なかったからとっても嬉しい。私はこの曲をシフで聴くのは初めてなので、更に嬉しい。最初のイタリア協奏曲の不安定さとは異なり、こちらは抜群の安定感で相変わらず絶品のバッハでした。

今回も客席におられる塩川さんが見える席だったので、そのご様子でこれで最後かを判断するワタシ(塩川さんの様子で大体わかる。最後と判断した場合は楽屋に行く準備をされるので)。それは別にしても、塩川さんの姿を見ているとなんか落ち着く。「シフ、客席の物音に怒ってないかしら?(楽しそうに弾いてはいたけど)」とか心配しながら塩川さんを確認すると、変わりなく笑顔で拍手されていてほっとしたり。シフも同じで、客席にいる塩川さんを確認すると安心したりするのかな。シフの「塩ちゃん」呼び、また聞きたい ってこんなに書いて塩川さんじゃなくて人違いだったらどうしましょう。
そういえばシフ、割と最近もまた客席のマナー関係で物議を醸していた記憶が。内容は覚えていないけど(似たりよったりの内容だし)。
今回2年半ぶりにシフの演奏を聴いて、当たり前だけど、代わりのいない唯一無二のピアニストだなと再認識しました(もちろん他のピアニストも同様)。どうか健康で長生きしていただきたい。この先もできるだけ長くシフのピアノを聴いていたいです。

15時開演、18時終演。シフにしてはアンコール少なめ?と思ったけど、もともとメインが長かったようで、トータル時間は全然短くなかった



小手指駅から徒歩すぐの某有名店のチーズバーガー。人気店なので、30分くらい外で並んで入店。店員さんの感じもよく、確かにとてもジューシーで美味しかったのだけど、パテがスパイスが効いているのがあまり好みではなかったな。個人的にはもっとただの肉!っていう感じの味の方が好き。横須賀のネイビーバーガーみたいな。




ハンバーガーに時間をとられて、さらに電車も乗り間違えたりしたので、航空記念公園を散策する時間がとれなくて悲しんでいたら、ミューズへの道沿いにYS-11が
興奮して写真を撮りまくってしまった。


所沢の紅葉、見事でした。


















所沢といえばトトロ ジブリファンの聖地!(私は初めて行ったけど)
本当はトトロの森も散歩したかったのだけど、今回は時間がとれず断念
写真は、所沢駅のパン屋さんで購入したトトロあんぱん。
ホームの発車メロディーもトトロだった♪


今回のシフの来日ツアーは「曲目を事前に発表せず、その日のインスピレーションで決める。その曲についての解説を混じえながら演奏をする」というものでした。ですがこのtweetの感じだと、所沢ミューズだけは「事前に決めてほしい」とシフに強く頼んだぽいですね。シフのファンはそんなことは望んでいないと思うけどな。ファンならシフが一番心地よく演奏できる状態であってほしいと思うはず。でも演奏会に来るのはファンばかりではないですし、難しいところですね。個人的には、事前に発表をしてくれるのは予習ができるという意味では有難いです(クラシック初心者なので)。もっとも所沢もシフが曲目を決定したのは5日前なので、シフ的にはさほど問題ないのかも。「演奏会の何年も前に曲目なんか決められない」と以前仰っていたし。曲目を事前発表するだけで解説はあるのかな?と思っていたけど、今日は解説も一切なしの通常形式のリサイタルでした。
私は”話をするシフ”も見たいので、明日(4日)のオペラシティも伺います。今日とあまり曲が被りませんように…!(ゴルトベルク全曲やってくれないかな…100%ないか…)

Sir András Schiff - Live at Wigmore Hall
ハイティンクの追悼として演奏された、2021年11月13日のウィグモアホールのリサイタル。1,2曲目は本日後半と同じ。

András Schiff - Sonata No.30 in E, Op.109 - Beethoven Lecture-Recitals

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ミッシャ・マイスキー J. S. バッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏会 @サントリーホール(10月30日、31日)

2022-11-03 00:03:15 | クラシック音楽



【10月30日 15:00】
J. S. バッハ:
  無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV 1007
  無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調 BWV 1010
  (20分間の休憩)

  無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調 BWV 1011
  チェロ・ソナタ第1番 ト長調 BWV1027(アンコール)
  管弦楽組曲第3番 二長調より「G線上のアリア」(アンコール)

【10月31日 19:00】
J. S. バッハ:
  無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV 1009
  無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調 BWV 1008
  (20分間の休憩)

  無伴奏チェロ組曲第6番 ニ長調 BWV 1012
  チェロ・ソナタ第3番 ト短調 BWV1029(アンコール)
  コラール前奏曲 BWV659 「いざ来たれ、異教徒の救い主よ」(アンコール)
  管弦楽組曲第3番 二長調より「G線上のアリア」(アンコール)


怒涛のクラシック祭りは続く。サントリーホールのマイスキーの無伴奏チェロ組曲全曲演奏会に行ってきました。この秋はバッハを沢山聴けて幸せ
無伴奏チェロ組曲は協奏曲のソリストアンコールなどでは何度か聴いたことがあるけれど、こうして全曲を纏めて聴くのは今回が初めてです。
今年5月のアルゲリッチとのデュオでも最高に素敵な演奏を聴かせてくれたマイスキー。でもやはりソロリサイタルの方がその個性がわかりやすいということも確か。
これは録音でもわかるのだけれど、今回改めてマイスキーの音を生で聴いて、その表情豊かな音に驚きました。楽器の音ではない、別の何かのよう。チェロという楽器の制限の中で、なぜこれほどチェロの音のみで深い表情を伝えうるのか。空気が繊細に変わりうるのか。感情豊かなのに下品じゃなく、スケールが大きくて、激しさや厳しさもあって、なのに澄んでいて温かい。そして音が消えた後に残る響きの余韻の美しさ……。美の極致な瞬間が何度もありました。

1日目は、休憩前はまだ温まりきっていない様子もありましたが(こういうアーティスト本当に多い…)、休憩後の5番は響きの深みが全然違って、素晴らしかったです。
2日目は、最初から絶好調に感じられました。
18歳の息子さんのマキシミリアンと演奏してくれたアンコールも、両日とも生き生きと伸びやかで美しく、呼吸を忘れて聴き入ってしまった。チェロ・ソナタは全楽章を演奏してくれたので、アンコールだけで40分以上だったそうです。

そしてどちらの日も最後のアンコールピースとして演奏された、『G線上のアリア(Orchestral Suite No. 3 in D Major, BWV 1068 - II. Air)』。
マイスキーは今回の全曲演奏会に「平和への祈り」を込めたそうです。

「私の両親はウクライナに生まれました。私はラトヴィアの生まれで、ロシア人ではありませんが、ロシアで成長し、ロシアの芸術や文化を愛しています。昨今の悲惨な事態には、ほんとうに言葉もない。情況は複雑で、誰もが被害を被っている。極端な反応というのはつねに危険なものです。
 今年3月27日、トロントでバッハを弾くコンサートの前に、私はひとことアナウンスしました。『ロストロポーヴィチ95歳の誕生日に、彼を称えたい。そして私は願うのですが、彼は晩年プーチンと近かったにも関わらず、生きていたらこの酷い戦争に反対を表明したに違いない。だから私はこのコンサートを、悲惨な戦争の罪のない犠牲者すべて、両国の犠牲者に捧げたいと思います』と」
ぶらあぼ2022年8月号より

一見綺麗ごとに聞こえるかもしれないこういう言葉も、ロシアで逮捕され強制収容所で18か月間、楽器に触れることさえ許されなかった時期を過ごしたマイスキーであるから、その言葉の重みはやはり違う。
この曲、チェロとピアノで聴いたのは初めてだったけど、余りに美しく深いチェロの音に涙が込み上げました。
この数年、コロナ、ウクライナと、どれほど多くの命が失われていったことか…。29日夜にはソウルでハロウィンの圧死事故があり、百数十もの人が亡くなってしまった。
そしてちょうど一年前に亡くなったマイスキーの友人でもあるフレイレ、今大変な病気と闘っている私の友人、数年前にあまりに儚く逝ってしまったもう一人の友人のことなどが浮かびました。
マイスキーの音は、沢山の、そして一つ一つのかけがえのない命のことを思わずにいられない、そんな音。
この曲が追悼で演奏されるとき、それは亡くなっていった人達への”静かな祈り”なのだろうと今までは思っていたのだけれど。今回のマイスキーの音色から感じられたのはそれだけではなく、亡くなっていった(亡くならざるを得なかった)人達の、そしてそれを見送った(見送らざるを得なかった)人達の、行き場のないやり切れない思い、心の慟哭を強く感じました。youtubeで聴ける彼の若い頃のこの曲の録音とは異なり、今回は時に激しいほどに深い感情が込められているような音色で、この曲をこんな風に聴いたのは初めてでした。

またマイスキー自身は、自分は幸福でラッキーな人生を送ってきたと言っていて(もちろん決して甘い人生でなかったことは周知のとおりだけれど)、だからこその、そんな風に亡くなっていかざるを得なかった人達に対する感情というのもあるのかもしれない。

一日目も二日目も曲が終わるたびに一旦舞台袖に引っ込み、毎回服を変えてくるお洒落さん
その色が、曲のイメージとよく合っている。
一日目は「白→青→黒→シルバー(アンコール)」、二日目はえーと「グレー→青→黒と銀のストライプ→黒」だったかな…?2日目についてはクラシック倶楽部(12月30日放送)でご確認くださいませ。特に1日目の5番を弾いたときの黒は、曲にぴったりだと感じました。

「音楽はただの娯楽ではない。それ以上のものだ」と以前バレンボイムが言っていたけれど本当にそのとおりだと改めて感じた、2日間にわたるマイスキーのバッハの無伴奏チェロ組曲全曲演奏会でした。
聴くことができてよかった。






2012 Verbier Festival - interview #21 - Mischa Maisky
グレート・ジャパニーズ・デザイナーのイッセイ・ミヤケの服がいかに素晴らしいかを語り倒すマイスキー
先日三宅さんが亡くなられたときも、いち早く追悼コメントをあげてくれていました。


マイスキー親子はニューオータニに泊まったのかな。
マキシミリアン君、舞台ではほとんど笑顔を見せないシャイボーイだったけど(お父さんを称えるために手を握ろうとする仕草も遠慮がちで可愛くて、客席から微笑が漏れてた笑)、お父さんとのフリータイムではこの笑顔


Mischa Maisky and Lily Maisky - Live at Wigmore Hall
昨年11月1日、フレイレが亡くなった当日にロンドンのリサイタルで追悼として演奏された、ブロッホの『Prayer』(56:10~)。そしてブラームスの『ひばりの歌(Lerchengesang, Op. 70-2)』。「great pianist and great friend 」と…。

※追記:上の動画、非公開に変わってますね。昨日まで公開されてたのだが。ちょうど一年で公開終了なのかな。

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Nelson Freire - Memories

2022-11-01 00:10:44 | クラシック音楽

Gluck: Orfeo ed Euridice, Wq. 30 - Mélodie (Dance of the Blessed Spirits)

Villa-Lobos: Bachianas Brasileiras No. 4, W264 - I. Prelúdio (Introdução)

Brahms: Intermezzo in A Major, Op. 118, No. 2


フレイレが亡くなってから今日(11月1日)で一年。
でもなんとなく私は、彼が亡くなったのは10月31日という感覚の方が強いのです。あの最後の晩についての記事のせいもありますが。
昨夜サントリーホールでマイスキーのチェロを聴いていて、マイスキーが1年前の今日、ロンドンでフレイレを追悼する演奏をしてくれたことを思い出していました。
それから帰宅してネットを覗いたら、先日『Memories』という没後一周年を記念した未発表音源のアルバムがDeccaから出ていたことを遅ればせながら知りました。
その中から「グルック:精霊の踊り」、「ヴィラ=ロボス:ブラジル風のバッハ」、「ブラームス:間奏曲op118-2」を上にご紹介。私にとっても思い出深い3曲です。

没後1周年を記念し、未発表ほか貴重な録音を集めたアルバム。CD2枚組

 昨年(2021年)11月に亡くなったブラジル出身のピアニスト、ネルソン・フレイレ。その1970年から2019年の未発売の録音を集めたアルバムがCD2枚組で発売されます。
 2014年ベルリンでの、グルック、バッハ、ベートーヴェンの録音。ベートーヴェンの『アンダンテ・ファヴォリ』はネルソン唯一のこの作品の録音となります。そして1970年から1985年のベートーヴェンの第4番、ブラームスの第2番、バルトークの第1番の協奏曲とR.シュトラウスの『ブルレスケ』はラジオ放送局に残されていた貴重なテープの録音です。ヴィラ=ロボスとドビュッシーの作品は初CD化。ブックレットには、ネルソンのプロデューサーを長い間務めたデッカのドミニク・ファイフ氏による新規エッセーが掲載されています(欧文)。

 「ネルソンはこの上ないレコーディング・アーティストでした。彼は私が出会ったどのアーティストよりもスタジオに細心の注意を払って準備し、その録音には最も編集が少なかったアーティストの一人でした。私たちは彼の並外れた芸術性のためだけでなく、その厚い友情、ユーモア、謙虚な人柄のために亡くなったことが残念でなりません。彼は偉大な真にかけがえのない人物でした」~ドミニク・ファイフ、デッカ・プロデューサー(輸入元情報)

(hmv ネルソン・フレイレ/『Memories~未発表&放送音源集』)

このドミニク・ファイフ氏によるコメントの原文は、フレイレが亡くなった時にファイフ氏が寄せたこちらの文章↓ですね(なぜか和訳では途中の大事な部分が省略されているけれど)。自分の録音は決して聴かないということは、フレイレ自身もインタビューで度々言っていました。聴いたら修正したくなるに決まってるしキリがないから、とかそんな理由だったような。

‘Nelson was the consummate recording artist. He was more meticulously prepared for the studio than almost any artist I have encountered and his recordings among the least edited. Paradoxically he claimed never to listen to his own recordings but he knew when his performance matched his exacting standards and he placed his trust in our hands to capture this. We will miss him not just for his extraordinary artistry but also for his friendship, his humour, his humility. He was one of the greats and truly irreplaceable’.
Slippedisc

【収録情報】
Disc1
1. グルック:精霊の踊り(歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』より ズガンバーティ編)
2. J.S.バッハ:主よ、人の望みの喜びよ(カンタータ第147番 BWV.147より)
3. ベートーヴェン:アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO57
4. ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調 Op.58
5. ベートーヴェン:バガテル Op.119-11
6. R.シュトラウス:ブルレスケ ニ短調
7. ドビュッシー:レントより遅く
8. ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第4番より前奏曲

 ネルソン・フレイレ(ピアノ)
 ウリ・セガル指揮、シュトゥットガルト放送交響楽団(4)
 ゾルターン・ペシュコー指揮、バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団(6)

 録音:
 2014年2月 ベルリン(1-3)
 1972年10月 シュトゥットガルト(4)
 2006年4月 スイス、ラ・ショードフォン(5)
 1985年12月 バーデン=バーデン(6)
 2008年6月 ハンブルク(7)
 2019年2月 ハンブルク(8)

Disc2
1. バルトーク:ピアノ協奏曲第1番イ長調 Sz.83
2. ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 Op.83
3. ブラームス:6つの小品 Op.118より第2曲:間奏曲イ長調

 ネルソン・フレイレ(ピアノ)
 ミヒャエル・ギーレン指揮、フランクフルト放送交響楽団(1)
 ホルスト・シュタイン指揮、フランクフルト放送交響楽団(2)

 録音:
 1970年10月 フランクフルト(1)
 1977年4月 フランクフルト(2)
 2006年(3)

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