風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

広島交響楽団 下野竜也 音楽総監督ファイナル @すみだトリフォニーホール(3月10日)

2024-05-02 15:02:25 | 日々いろいろ



3月公演の記録をGWにアップするワタシ。。。
もう書くのやめてしまおうかとも思ったけれど、このブログは自分用にとても役立っているので、頑張って書く。

下野さんの広響総監督としてのファイナル公演。下野さんを聴くのは、今回が初めてです。

【細川俊夫:セレモニー ― フルートとオーケストラのための】

会場には細川さんご本人もいらっしゃっていた様子。広響のコンポーザー・イン・レジデンスをされているんですね。
今日のプログラムはブルックナーだけと何故か思い込んでいて、会場で知人から前半にこの曲があることを知らされ驚いた
武満にも言えることと思うけれど、こういう曲は日本のオケに合ってるな~と感じる。日本人の良さ、空白の美の感覚のようなものを感じる曲。尺八のような音の使い方なのになぜ敢えてフルート…?と思ったけれど、特殊な楽器を使わないことで外国のオーケストラも演奏できる曲にするためなのかな

(休憩)

【ブルックナー(生誕200周年):交響曲第8番ハ短調(ハース版)】
前日の井上さんのマーラー3番は第一楽章が最も素晴らしかったのに対して、今日は四楽章が素晴らしかった。ここからオケの音がはっきりと変わったように感じました(三楽章後半も美しくて悪くなかったけれど)。リハーサルも四楽章に時間かけたのかな
それにしても下野さんのブルックナー、いいですねぇ
変な色気(指揮者の自己主張)がなくて、冷静で堅実なのがとってもいい。なのにちゃんと熱もある。
四楽章では手で「まだ、まだ、クライマックスはまだ先だから」とオケを抑えているように見え、嬉しくなってしまった。そうなの、ブルックナーではその冷静さ、俯瞰が大事なの。クライマックスはまだ先なのだから。

ただ以前秋山さんのブラームスを広響で聴いたときと同じく、ブルックナーの前半は音に余裕がなく感じられました。
本当に良い演奏って楽器を聴いていることを忘れるし、さらに音楽を聴いていることを忘れさせてくれる。ただその感覚だけがそこにあるような。ウィーンフィルやベルリンフィルなどでは、自分の楽器を弾きながら他の楽器の音を聴いてる余裕も感じる。
今日の広響はそれぞれが自分の楽器を、目の前のフレーズを弾いている感じが音に出ていた、ように私には聴こえてしまった。
でも四楽章はそういう感じが大きく軽減されて「ブルックナーの音楽」に感動させてもらえました。この曲は過去にバレンボイム&シュターツカペレ・ベルリン、ノット&東響と聴いてきたけれど、個人的には今日の四楽章が一番感動したな。
ずっと生演奏で感動してみたいと思ってきた曲なので(もしや私はこの曲が嫌いなのでは…?とまで思いかけていたので)、ようやくそれが叶って嬉しかったです。

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春ですね

2024-03-22 12:35:03 | 日々いろいろ

春ですねえ。

みゆきさんのコンサートのチケットが全くとれる気配がない。。。ので、夜会のDVDを見直したり、アルバムを聴き直したりしながら、タラタラと過ごしてます。
いっそまだ知らない曲もある初期のアルバムから全制覇しようかしら。

職場でも十数年お世話になった同僚が定年退職していったり、私も異動の話が出ていたり、プライベートでも色々思うことがあったり、必要以上に気持ちだけが忙しなくなりがちな今日この頃。
その同僚は最初の2年をとっても非常識で理不尽な指示を出すドイツ人上司について、その後の7年はやはりとっても大変な日本人上司について、その後の定年までの数年は天国のような環境でのんびり仕事ができた、というヒト。
送別会で「よく辞めなかったよねぇ。どっちの上司もいつまでという期限がわかっていたわけじゃないのに」と言ったら、「すごく大変だったけど、いつまでも続くわけじゃないだろうと思ってたから。いつかは終わるだろうと」と。
どうにもならないような八方塞がりのトラブルについても、「でも結局なんとかなるものだから。なんとかなるのよ、実際」と飄々と言ってました。
「私はあまり先のことは考えないの。そのときそのときで。どうにかなるだろうと。みんな前もって心配してえらいな~と思うけど」と。
私は先回りして心配してしまうタイプなので、上司からも「真面目ですよねぇ。心配しすぎです。相手は大人なんだから、適当にやればいいんです」とよく言われる。
プライベートの友人も「とりあえずやってみて、その後のことはそのときに考えればいい」のだと言う。
そして、たとえばトライしてみて拒否されると、私は「どうして拒否されたのだろう。私に何か理由があったのでは」と考えてしまうけれど、友人曰く「そういうことは考えるだけ無駄。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。他人の気持ちなんてわからない。それに人はこちらが思ってるほどこちらのことなど気にしていないものだ」と。

たしかにそのとおりかもしれない、と最近思う。
答えの出ないことは考えても仕方がないのに、考えなくていいことまで考えて、自分で自分の悩みを増やして不幸せにしてしまっている気がする。そして周りにも迷惑をかけてしまっている気がする。準備をしておくことは大切だけど、私はそのクセがつきすぎているのかもしれない。

なんてことを、それでもまだ少し忙しない気分のなか、つらつらと思う春の一日。

あともう一つ思うのは、本当に大切なものを見失わないようにしなければ、ということ。
目の前の仕事の色々で心がいっぱいいっぱいになって余裕をなくしてしまうことがあるけれど、よく考えるとしょせんはただの仕事。失敗しても殺されるわけじゃなし。もちろんやりがいを持ってやってはいるけれど、私にとって人生の中でもっと大切な存在や時間は他にある。そっちを犠牲にしてしまっては元も子もない。宇宙的視点とまではいわなくても、少し俯瞰した視点、空を飛ぶ鳥くらいの目線で地上の自分を見る習慣は忘れないようにしないと、と改めて思う。大切な人達との人生の時間は有限なのだから。

私たちは春のなかで 失くさないものまで失くしかけている
(『私たちは春のなかで』)

愛だけを残せ 名さえも残さず 生命の証に 愛だけを残せ
(『愛だけを残せ』)

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NHK交響楽団 第2000回定期公演 Aプロ @NHKホール(12月17日)

2023-12-31 01:54:43 | 日々いろいろ




この演奏会で、過去最多だった私の演奏会尽くしの一年も〆。

N響の記念すべき第2000回定期公演。第1000回は37年前だったといえばその稀少さがわかるというもの。
同じペースていけば、第3000回は37年後。その頃私はどうしているかな…。

マーラーは1番、2番、9番しか聴いたことがないので、今回聴く8番ももちろん初めて。
「一千人の交響曲」という大層な名前が付けられているけれど、初演時の演奏は実際に千人規模の編成だったとのこと。
もっとも今回のN響は300人くらい?だったようですが、それでも普段私が聴く演奏に比べれば十分に大編成で、舞台が人と楽器で埋め尽くされていました

この曲自体は予習で聴いたときは、第一部の大編成で主張される「神を称えよ!」が煩く感じられて辟易してしまいマーラーが嫌いになりそうだったのだけれど、実際に聴いてもその感覚が完全に払拭されたわけではなかったのだけれど、ところどころで聴こえてくる「マーラーな音」が楽しかった。
個人的には、この曲は第二部の方が美しさが感じられて好きだな。それでも予習のときは全く良さがわからなかったのだけれど。今日の演奏では、途中で(私が)中だるみしつつも、壮大なフィナーレの音の響きの美しさは圧倒的で、嫌な感覚を覚えることなく「音の宇宙」を実感することができました。
録音で聴きたい曲ではないけれど、生で聴くと楽しいですね。N響の弛緩することのない集中力のある演奏も、とてもよかった。なにより、苦手なこの曲を音楽的に楽しむことができたのは、ルイージの品よく開放的でドラマチックな音楽作りのおかげが大きかったのではないかと想像する。

第2000回という記念すべき公演をこうして聴くことができて、イベント好きとはいえない私も、なんだか幸せな気分になることができました。最後にホールを満たしたあの音の宇宙の色とともに、忘れない公演となりました。
まぁ、好きな曲か?と言われると、今もそうとは言えないけれど(マーラーに限らないけど、女性に無条件の愛と救済を求めるような夢見がちな歌詞にもあまり共感できない…)。
そうそう、バンダを照らす?左右のライトがここぞというときにオンになって、その効果も楽しかったです🎵

駆け足で感想をあげてしまったけれど、今年の感想を今年のうちにあげることができて、ほっとしました。音楽に浸りきることができたこの一年、本当に幸せでした。来年はどんな年になるのか想像がつかないけれど、良い年になるといいな。

皆さま、今年も当ブログにお越しくださり、ありがとうございました。

よいお年をお迎えください!

 

ソプラノ:ジャクリン・ワーグナー
ソプラノ:ヴァレンティーナ・ファルカシュ
ソプラノ:三宅理恵アルト:オレシア・ペトロヴァ
アルト:カトリオーナ・モリソン
テノール:ミヒャエル・シャーデ
バリトン:ルーク・ストリフ
バス:ダーヴィッド・シュテフェンス

合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:NHK東京児童合唱団

[Aプログラム]のマーラー《交響曲第8番「一千人の交響曲」》は、ファン投票により、3つの候補曲から選ばれた。名前通りの大編成を必要とするため、100年近い歴史を持つN響が演奏するのも、今回でようやく5回目である。戦後間もない山田和男(一雄)指揮の日本初演に続き、若杉弘、デュトワ、パーヴォ・ヤルヴィといった歴代のタイトル指揮者が、ここぞという時に取り上げてきた。マーラーへの思い入れの強さでは、ルイージも負けていない。彼の推薦する欧米のトップ歌手たち、そして大人数の合唱団がNHKホールに集結する。

実演でしか真価が伝わらない曲がいくつかあると思うが、この作品など、その最たるものだろう。マーラー自身は「これまでの交響曲は、すべてこの曲の序奏に過ぎない」と豪語し、初演も大成功を収めたが、ドイツの音楽美学者アドルノなどは「題材が崇高だからと言って、作品も崇高とは限らない」といった意味のことを述べているし、他にもこの曲に対する否定的見解は少なくない。確かに「聖なるもの」一辺倒で、猥雑な要素がない点は、マーラーの作品としてはかなり異色である。中世の讃歌(第1部)とゲーテの『ファウスト』(第2部)を無理につなぎ合わせたような構成も、一見不自然に感じられる。

しかし、圧倒的な音響空間に身を浸すことで、作品の全体像や、「宇宙の響き」を具現化しようとしたマーラーの意図に、多少なりとも迫れるのではないか。めったにない機会、生で聴くことを特に強くお勧めしたい。
N響HP








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NHK音楽祭2023『くるみ割り人形 全曲』 @NHKホール(11月20日)

2023-12-30 00:56:25 | 日々いろいろ




この感想は年末に書いているのでだいぶ回復しているけれど、この演奏会の日はコロナ後遺症のダルさで体調最悪で・・・。
直前まで行くかどうか迷ったけれどチケットを捨てられず(我ながら救いようがない…)、重い身体を引きずりつつはるばる渋谷まで行ったのでありました。
演奏会前に渋谷のマークイズで食べた温かいお蕎麦に少し体力をもらえました

そもそもこの日のチケットはフェドセーエフが聴きたくて取ったものだったのに。
直前で来日できないことが発表されて、代役はジョン・アクセルロッドさん。初めて聴く指揮者さんです。

曲が曲なので、体調が悪くてもゆったりと楽しむことができました。
アクセルロッドは全体的にかなり速めだったけど、思いのほか丁寧に振ってくれて嬉しかった

クルミは改めて素敵な曲がいっぱいだな~
花のワルツや金平糖の踊りの曲が有名だけど、私はその後のパ・ド・ドゥの音楽がとても好き(アクセルロッドはこの曲もかなり速めでしたけど)。
数年前の12月にゲルギエフ&マリインスキーがアンコールでこの曲を演奏してくれたのを思い出すな。。。
年末にクルミを楽しめる環境というのは、なんだかんだいっても幸せなことですね。

1幕最後の雪のワルツの児童合唱(東京少年少女合唱隊)も、とてもよかったな
カーテンコールのとき、アクセルロッドが合唱隊の子供達を優しく気にかけていて、その光景にもほっこりさせてもらえました

幸せな時間をありがとうございました、アクセルロッドさん&N響の皆さん


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井上道義&読売日本交響楽団 @東京芸術劇場(11月18日)

2023-12-30 00:27:53 | 日々いろいろ



復活?復活と言うのは、キリストの事で死んだのに生き返るということ。安易に復活復活と言うなかれ。有り得ない出来事なのだから。マリアの聖霊受胎も同様、人間界ではありえない事。でもマーラーのいう復活は輪廻転生の事。三島由紀夫などもこの東洋思想には激しく憧れを抱いていたようだ。最近?では新井満「千の風になって」がそれだが、これなら復活しなくても死んでも好きな人の近くに生き続けることが出来そうで『安心』するってもんだ。(嫌いな人は風を感じない・・・ふふふ)
(井上道義)

ソプラノ:髙橋絵理
メゾソプラノ:林眞暎
合唱:新国立劇場合唱団

群響とのショスタコ4番が素晴らしかったので、こちらも行ってみました。
井上さんの都響との最後の共演のマーラー2番『復活』。
私はマーラーは1番と9番ばかりを聴いていて(たまたま)、それ以外を聴くのは初めて。

今日の演奏が全体的に滑らかな音作りだったせいもあるけれど、群響のあの驚異的な集中力&熱量の高さに比べると、今日の読響は割と日常モードの音に感じられました。

とはいえ、井上さんは改めていい指揮者ですねえ。
どの楽器からも、どのフレーズからも常に「井上さん」の音がする。
どの指揮者も多かれ少なかれそうだけれど、井上さんは特にそう感じる。
彼の中で表現したい何か、世界がはっきりとあるのだろうと思う。

そこに人工的な作為を感じさせないのは、同時にちゃんとショスタコやマーラーという作曲家の存在がその音から強く感じられるからだろうと思います(これらの作曲家は彼に合ってますね)。
また、押しつけがましさが全くないのもいい。常に自然で丁寧。
この強い個性、いまの時代にとても貴重な指揮者さんだと思いますし、私は好きです。

彼岸の響きはあまり感じなかったけれど、人間マーラーや井上さんの生き様のようなものを強く感じて、この生々しさといいますか、リアルさが妙に耳に残りました。

2番、美しい曲ですね。
他の作曲家もそうだけれど、あちらこちらで1番や9番に通じる音が聴こえてきて、マーラーの個性ににやにやしちゃいました。
井上さんもプログラムでコメントされていたけれど(冒頭に載せた文)、この2番の歌詞はもちろんキリストの復活を表面的には表しているのだろうけれど、それよりもマーラーの個人的感情の表れのように感じられました。井上さんは輪廻転生と仰っているけれど、特に今日の演奏からは、私は「この世界での輪廻転生」という風に感じられたな。もう一度生きるために生まれる、みたいな。・・・ってどこかで聞いた言葉だなと思ったら、みゆきさんの歌詞だ

それにしてもマーラーもショスタコもあんなにとっちらかった音楽なのに、無駄な音というのが一つもない(ように聴こえる)んですよね。
面白い作曲家ですねえ。

※ソリストさん達は、悪くはなかったけれどイマイチに感じました。。




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ビーツ!ビーツ!ビーツ!

2023-08-04 13:46:49 | 日々いろいろ

生のビーツが安かったので(大サイズ×3で198円)、久しぶりにボルシチを作りました
ビーツを他の野菜と一緒に炒めるなど、youtubeのウクライナのおばあちゃんのレシピにより近づけて、以前の記事のレシピも更新。


今回は生のディルが入手できず、ドライハーブのディルウィードをかけて。
やっぱり手作りのボルシチは美味しい
今回も牛肉にしたけれど、次回は豚肉もトライしてみたいです(youtubeのおばあちゃんは豚肉使用)



大量のボルシチを作ってもビーツは1個しか使用しないので、残り2つのビーツは酢漬けにしました。
切って、軽く茹でて(切ってから茹でて問題ナシ。色抜け防止のため酢を少量入れる)、かんたん酢+普通の酢に漬けただけ。
ビーツの酢漬け、イギリスでよく食べたな~。特に好きではなかったけども、今では思い出の味です。
ビーツという野菜を初めて知ったのも、イギリスでだった。



大量の酢漬けができてしまったので、ボルシチで余ったサワークリームと両方使えるレシピはないかしら?とググってみたところ、フィンランドのクリスマス料理なるものが
今回参考にしたフィンランド大使館のレシピ動画を、下に載せておきます。
私はあり合わせで作ったので、ビーツの酢漬け+紫玉葱+オリーブオイル+サワークリーム+塩を混ぜただけ。
ビーツの土臭さが軽減されて、甘いお菓子のようでとっっっても美味しかったです。
ピンク色も可愛らしくてテンションアップ



番外編。
インドネシアに出張していた同僚からのお土産。
あちらのスーパーで買ってきてくれました。
いいな~、現地のスーパー。大好き。海外旅行で一番好きな場所は現地のスーパーかもしれん。そういう人、多いのでは。


【フィンランド編】まるでスイーツ 美しい「ビーツのサラダ」サワークリームでさっぱり|Beets Salad|Finland

Борщ!!! За уши не оторвешь. Бабушкины рецепты. Попробуйте!


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英国月間

2022-09-14 02:06:52 | 日々いろいろ


9日(日本時間)の早朝に目が覚めてなんとなく枕元のスマホを覗いたら、最初に目に入ったのがこちらのtweetでした。
寝起きのぼんやりした頭の中で94歳の祖母の顔が浮かんだり、英語では女王の崩御も”died"なのだな、そのシンプルさがいいな、とか。自分の国のことではないのに喪失感も覚えたり。
そういえば、亡くなった友人がウィンザー城の庭でエリザベス女王を遠目に見たそうで、「発光してた!」と言っていたなあ。

以下の動画↓は、ロンドン響からの追悼。
一つ目は、英国国歌の演奏とラトルからの追悼メッセージ。
 

二つ目は、ロンドン響とエリザベス女王との長い長い歴史について。
エルガーの「ニムロッド」の美しさよ…。
 

エリザベス女王の逝去は偶然だけれど、ふと気づくと今月の私はイギリス月間なのであった。
月末にはロンドン響が来日予定だし、先日は日本橋三越の英国展に行ってきました。



今回PartⅠとPartⅡの両方に行ったのですが、その間に女王が亡くなられたのでした。PartⅠのときには華やかに感じられたプラチナ・ジュビリーの記念グッズも、PartⅡでは悲し気に見えたな…。


2018年度英国フィッシュ&チップス協会主催のコンペティションのチャンピオンに輝いたという『Millers(ミラーズ)』のイートイン。美味しかった
わたし、フィッシュ&チップスにかけるビネガーの味が大っっっ好きで、イギリスでもバシャバシャかけてたんですが、今調べたらモルトビネガーというんですね(麦芽から作られる酢)。日本でも買えるみたいなので、今度買ってみよう。ファーストフードのフライドポテトにかけたい。

写真右の瓶は、スコットランドのハービストン・ブルワリーのビール「シェハリオン」。

これ、初めて飲んだけど美味しい~~~
エールが並ぶ中で選んだラガーですが(『リヴィエラを撃て』のジャックパパが頭に浮かんだので)、ラガーらしからぬコクもあって、すごく好みの味
以下は、輸入者のウィスク・イー社のテイスティング・コメント。

シェハリオン クラフトラガーは、かつて夏目漱石も滞在したピトロッホリーにある山の名をとった、カスクコンディションのプレミアムラガーです。トースティーでクリーミーなノド越しから、ハーブスパイスとレモンの収斂味、アロマホップの目の覚める苦味。こんなに香り豊かなラガーはなかなかお目にかかれません。爽快なホッピーラガーはこれからの季節にピッタリです。WBAピルスナー部門優勝。

登山しているネズミのラベルも可愛い
ピトロッホリーは、以前スコットランドに行ったときに訪れたことがあります。


ピトロッホリーの中央通り。
とても小さな町で、これが唯一のメイン通りだった記憶。
遠くに緑色の丘陵が見えるのが、いかにもスコットランドの町


人一人いなかった、ピトロッホリーの駅。あちらの鉄道駅って可愛らしくて大好き。
ところでネットでは日本語で「ピトロッホリー」と「ピトロクリー」の2つの記載が出てくるのだけど、英語の発音は「ピトロックリー」と聞こえますね 漱石は作品の中で「ピトロクリ」と書いている(可愛い)。漱石が滞在した建物は今もホテルとして営業しているそうです。

話を英国展に戻して。
英国展で売っている物はイギリスで買う数倍の値段がついているので沢山は買えませんが、チープなお土産系も売っていて、こちら↓は数年前に買った「ハギス」のマグネット(確か当時300円で買ったのだけど、今年は値上がりして500円とかになってた…)。


ハギスは、羊の内臓を羊の胃袋に詰めて茹でたスコットランドの伝統料理。


これはエジンバラで食べたときの写真で、ポテトの下の挽肉ぽい部分がハギスです。
好き嫌いが分かれる料理のようですが、私は羊肉が好物なので美味しくいただきました。
このハギス、ウィスキーの博物館のようなところで食べた記憶があるのだけど、どこだったっけ…
と当時の写真を調べると、建物の写真を撮っていました↓


この写真をgoogleレンズで検索してみたら、「スコッチウイスキー・エクスペリエンス」と
スマホってすごい。。。。。。。。。
とてもいい博物館でレストランも美味しかったので、エジンバラに行かれる機会があったら是非
そしてスコットランドに行かれる機会があったら、壮大な自然の広がるハイランドにも絶対に行ってみてくださいまし。

今回の英国展のPartⅠでは、屋上庭園でバグパイプ&吹奏楽の演奏がありました。
私はもしかしたらバグパイプを生で聴いたのは初めてだったろうか
中島みゆきさんの『麦の唄』から始まり、最後は『ハイランド・カテドラル(Highland Cathedral)』という曲で終わりました。このハイランド・カテドラル、私は初めて聴いたのですが、とても良い曲。スコットランドの国歌にも推されているそうです。
今回バグパイプの音色を生で聴いた瞬間、スコットランドの緑の谷や丘陵の風景が瞼に浮かびました。この楽器はロンドンや東京のような都会の中にあるべき楽器ではなく、ああいう広大な自然とともにあるべき楽器なのだなあと感じました(古くは戦場で使われていたそうです)。束の間、スコットランドの空気を思い出させてもらえて楽しかった。
以下は、トリビア。

エリザベス女王の朝は、バグパイプの生演奏で始まります。女王専属のバグパイプ奏者(パイパー・トゥ・ザ・ソブリン)が毎朝午前9時から15分間、寝室の窓の外で演奏するという。
そしてこの奏者は、ウィンザー城、バッキンガム宮殿、バルモラル城など、女王が滞在するすべての場所に同行するそうです(『タトラー』誌によると、宿泊できる部屋がないため、サンドリンガムの私邸にだけは同行しないとか)。
また、1995~98年に女王のバグパイプ奏者を務めていたゴードン・ウェブスター氏によると、「女王は毎朝同じ曲を聴くことを好まれない」ため、専属の奏者は700曲以上を覚える必要があるとのこと。

『バグパイプ・ニュース』によれば、王室が専属のバグパイプ奏者を任命する伝統は、1843年にヴィクトリア女王と夫アルバート公が初めてスコットランドのハイランドを訪れ、テイマス城に滞在したときから続くものだそう。
ヴィクトリア女王はこのときの滞在について、母親への手紙に次のように綴っています。
「この美しいハイランドに到着して以来、バグパイプの音しか聞いていません。それがとても気に入りました……(ウィンザー城の)フロッグモアでも聴きたければ毎晩でも演奏を聴くことができるように、バグパイプ奏者を雇おうと思います」・・・

(ヴァンサンカン)

PartⅡでは、中央階段の上にあるパイプオルガンを聴きました。このパイプオルガンは昭和5年に米国から購入され、昭和10年から現在の場所にあるそうです。今回は英国展にちなんでイギリスに関係する曲目が演奏されました。


写真中央はパイプオルガン、ではなく三越本店名物の天女像。その奥に隠れるようにあるのがパイプオルガン笑。パイプはどこにあるかというと、オルガン両脇の白いカーテンがかかった小部屋の中だそうです。
英国国歌『God Save the Queen』の演奏から始まり、イギリスにちなんだベートーヴェンやヘンデルの曲が数曲、それからイングランド民謡『埴生の宿』、最後に日本の唱歌『ふるさと』が演奏されました(歌は、テノール歌手の小野勉さん)。演奏した青島広志さん曰く「『ふるさと』には英国国歌の影響がみられる」とのこと。確かに似ているといえば似てるかな


地下通路のディスプレイ

”英国展”と名の付くイベントは色々な百貨店で開催されていますが、個人的には毎年秋に開催されるこの日本橋三越のものが一番規模が大きく種類も豊富な気がします。人も激混みですが、お祭り気分を楽しむにはオススメです。ランゲージファームのクロテッドクリームなど、日本ではなかなか入手できないものも買えますよ。

最後に、ハイランドにあるネス湖の写真を。
こういう天気の日なら、ネッシーも出てきそう。




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PCを捨てる

2022-05-09 23:22:29 | 日々いろいろ




自宅のPCの調子が悪くなったので、最近買い替えをしたのです。
古いPCは東芝製の2011年秋モデルなので、なんと11年ももったんですね。ビックリ。今の新しいHP製のPCが11年後も使える気は全くしない。それは今東芝製を買ったとしても同じ。ていうか11年後って何歳だ?56歳か。
そんなわけで古いPCの廃棄は久しぶりなのですが、ええと、まずはデータを消去しなきゃいけないのよね。
11年前のマニュアルどおりにやってもうまくいかなかったので(OSをアップグレードしたためと思われる)、ネットで調べた「設定→回復→PCをリセットする→全データを削除」という方法を試してみたら、初期化が完了するまでなんと8時間もかかったよ。。。「このPCを初期状態に戻しています 21%」の画面が5時間くらい変わらなくて、いい加減に強制終了したくなったけどPCはカタカタ頑張っているようだったから、根気よく放置しておいたら(ヘンな日本語)、ちゃんと初期化されました。
初期化だけでは不十分という話もあるけど、怪しい業者ではなく東芝に回収してもらうので、もうこれで完了とする。

さて、回収の依頼もしたし、あとは梱包するだけ。
ふむ・・・。最近使っていなかったから、ホコリだらけ・・・。
私は元々物に執着がない人間で、これまでの私なら「どうせ廃棄するPCだし」とそのまま梱包していたと思うけれど、今回はホコリをはらい、水拭きしました。
というのも、亡くなった友人との会話をふと思い出したからで。

以前友人と雑談していたときに「古くなった下着や靴下って、最後はどうしてる?」と聞かれ、「雑巾替わりにベランダとかトイレとかを拭いてから捨ててる」と言ったら、「うちの母と同じだ(笑)」と笑っていて。「私はそれができなくて。洗って、たたんで、『今までありがとうございました』ってお礼を言ってから捨ててるの」と。私は感動して、一人暮らしで誰も見ていなかったとしても彼女ならきっと一人でそうしているに違いないと感じ、「優しいね~~~!」と言ったら、「いや、本当は母やcookieさんみたいに最後までちゃんと使ってあげた方がいいんだよ。でも、私はそうできなくて」と笑っていました。

彼女はとても真面目で(といって真面目一辺倒なわけでもなく、面白いところもあった)、彼女が亡くなったときに同僚が「彼女が『ジャムの作り方を教えてほしい』と言ったから教えてあげたら、本当に作って持ってきてくれて。普通は話の流れでそういう会話になっても、実際にそうする人って少ないじゃない?でも彼女はそういう人だったよね」と。
私も覚えがあって、雑談の中で「神楽坂って行ったことがないから行ってみたいんだよね」と言ったら、美味しいお店を教えてくれてその時は会話が終わって。そしたら翌日にそのお店の載った神楽坂の散策マップのコピーをわざわざ持ってきてくれて。ネットで調べればそういう情報はすぐに手に入るのに。そういうことが、彼女との間ではいっぱいあったな。自宅から昔の歌舞伎の筋書や彼女の宝物(仁左衛門さんの襲名のときのテレフォンカード)をわざわざ持ってきて、見せてくれたり。その時のノリで適当に言ったり聞いたりしない、というよりおそらくそういうことを思いつきさえしない、世の中にそういう人間がいるということも思い浮かばない、そんな人だった。
相手がそうだと、私も変わって。彼女が喜びそうな本を持っていったりして。それを彼女もちゃんと読んで、感想を言ってくれたり。

話が長くなってしまいましたが、そんな彼女のことを思い出したら、11年間一人暮らしの私と共に頑張ってくれて楽しみをいっぱいくれたPCをホコリだらけの姿のまま捨ててしまうことができなくなってしまい。
軽く濡らしたキッチンタオルで拭いてやりながら、これを買ったときは近所の電気屋で限定セールで、この赤色が気に入ってその場で衝動買いしたんだったなあとか思い出し、そうしたら自然と「今までありがとう」と声をかけたくなる気持ちになったのでした。
彼女からは本当に、人間の優しさやこの世界の美しさを沢山教えてもらった。丁寧に生活するということも。
これからはもう少し本当に大切なものだけを自分のもとに置いて、しっかり愛着をもって大事にしよう。でも布物は捨てる前にベランダ掃除に使うけど笑。

そういえば友人はそういうタイプなので、物を捨てられないのだと言っていたな。何年も前に彼女が食べて美味しかった台湾のパイナップルケーキのお店のリーフレットを大切にとってあって(彼女の自宅の整理箱の中は完璧に年代順の地層になっているからすぐに見つけ出せるのだと言っていた笑)、同僚が台湾に出張に行ったときにその紙を見せて同じお菓子をお土産に頼んでいた。そして同僚はちゃんと買ってきた。亡くなる数週間前のこと。

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在宅勤務中のおやつ

2022-04-28 01:44:48 | 日々いろいろ




苺のショートケーキってどうしてあんなに高いんですかね。どんどん高くなってますよね。
安いケーキだとフレッシュ苺がほんのちょびっとで苺ジャム使用だし。
と思いながら昼食後の散歩でセブンイレブンに寄ってみると、「もっちりクレープ カスタード&ホイップ」(税込194円)なる商品が。
おおっ
これに冷蔵庫にある苺を散らして、やはり冷蔵庫にある練乳を軽くかけて、ミントの葉を飾ると、立派なスイーツになるのでは。

やってみました。コーヒーも入れ、いきただきまーす。
美味しい
在宅勤務中のおやつとしては十分満足
お皿とマグカップはともにイッタラ。ここの食器はお値段は高めだけど長く使っても飽きがこないので、オススメです。

しかし最近のスイーツはどこもかしこも、なんでもかんでも、”モッチリ”ですよね。私はフンワリも好きなんだがなあ。焼き芋もホクホクよりネットリばかりだし。
セブンがモッチリクレープにするならファミマはフンワリクレープで勝負!とかすればいいのにと思うのだけど、やはり一般受けするのはモッチリの方なのでしょうかね。

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ハナミズキ 2022

2022-04-22 23:49:17 | 日々いろいろ




君と好きな人が 百年続きますように

(『ハナミズキ』)

今日のお昼の散歩中に何気なく撮ったら、たまたま飛行機が写っていて、おおっと嬉しくなった一枚

でも『ハナミズキ』の歌は、一青窈さんが9.11同時多発テロが発生したときに現地に住む男性のご友人とその恋人の無事と幸せを願って作詞された歌なんですよね。
以前にも書きましたが、私が初めてこの花を知ったのは二十歳のとき、この花を州花としていたノースカロライナ州の大学に滞在していたときで、3月のキャンパスにはいっぱいにこの花が咲き乱れていました。
100年前に日本が贈った桜の返礼として米国から贈られたのがハナミズキ。それから100年たった今も、春になると桜の花が米国で咲き、ハナミズキの花が日本で咲いている。そしてそこに住む人たちの目を楽しませ、心を和ませている。
国と国との関係が、いつもそんな風にあれたらいいのに。
しかし考えてみると、その100年の間に太平洋戦争が起きているのだな…。いま米国にあるソメイヨシノと日本にあるハナミズキは、そういう困難な時期を越えて咲き続けているんですね。

ところで、米国でハナミズキが満開になるのはちょうどイースターの季節。米国では、この花に纏わるこんな伝説があるそうです。

ハナミズキはかつてはとても大きく頑丈な木だったため、イエスの磔の十字架として使われた。木は、その役割に大きな悲しみを感じた。十字架上にいる間、イエスは木の苦痛を感じ、それが二度と磔に使われることがないように、細く曲がった枝を持つ低木に変えてやった。
イエスは十字架から降ろされ、墓に入れられた。3日後、彼が蘇ると同時に、森のハナミズキが一斉に花を咲かせた。それ以降、イエスの復活を祝うイースターの時期に花を咲かせ続けている。
ハナミズキの木は二度と処刑に参加することはなかったが、4枚の総苞は十字架の形をし、先端は釘穴の形にへこみ血のような赤みを帯び、中央の花弁はイバラの冠の形をし、イエスの受難を今も人々に伝えている。

ネットで調べると少しずつ書かれていることが異なるけれど、大体こんな感じの内容です。
最近流行りの都市伝説?とも思ったけれど、南部では割と昔から伝わっている話のようです(といっても20世紀)。ハナミズキは中東原産ではなく、聖書にこのような記述もありませんが、一部のキリスト教徒からは愛され続けている話とのこと。
あちらで私が通っていた大学はもっっっっのすごい敬虔なバプティストの大学だったので、ぴったりといえばぴったりの花だったんですね。私はそのときの経験で宗教アレルギーになったので、この花とこの伝説をあまり結び付けたいとは思いませんが、なかなか面白い伝説だなとは思います。




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