風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『義経千本桜(木の実、すし屋、川連法眼館) @歌舞伎座(6月11日)

2023-07-14 01:22:07 | 歌舞伎




たまりにたまった感想もこれでラスト!がんばった自分!
って、自分用の覚書ですけれど。

【義経千本桜(木の実、小金吾討死、すし屋)】
仁左衛門さんのすし屋を観るのは4回目。
ですけれど過去3回は全て2013年の新開場の年の10月なので(ニザさまが肩の故障でお休みに入られる前の最後の月)、実は10年ぶりなのでした。ということに今気づきました。
あのときの千穐楽は亡くなった友人と同じ舞台を観たのだったな。友人は3階席を買ってあって、私は幕見で。翌日「凄かったね~!一階席で観たかったね~!」とお互いに興奮して感想を話したものでした。

さて、10年ぶりに観た仁左衛門さんのいがみの権太。
「至芸だなぁ」と心の底から感じました。いつも感じるけれど今回も、今回は特に感じた。
芸であることを感じさせない自然さ。でも極上の芸。
そしてこれもいつも書いている気がするけれど、こういうお芝居を今後私はどれくらい観ることができるのだろう、と。
吉右衛門さんが亡くなって、もう二度とあの至芸は観ることはできなくなってしまった。
この世代の役者さん達がいなくなったら、次の世代でいつかこんなお芝居を観ることが果たしてできるのだろうか。

とはいえ今回の舞台を観て、若手が成長したな~~~~とも心底感じました。
最近歌舞伎を観る頻度がすっかり減ってしまっているけれど、そのせいかその成長ぶりに本当に驚いた。
壱太郎のお里ちゃん、よかったなぁ。
壱太郎って都会的な雰囲気が出ちゃいそうと思っていたけど、ちゃんと田舎風で、無邪気で、健気で、面白くて笑、可愛らしくて、とても良いお里ちゃんでした。
今まで強く感じたことがなったのだけど、弥助(錦之助さん)が実は維盛で、奥さん(若葉の内侍:孝太郎さん)と子供(六代の君:種太郎)がいたとわかるところ。舞台に1対3で並ぶところ。もっっっのすごく切ないですね・・・・・・・
お里ちゃんが可哀そうで、観ているのが辛かった。
お里ちゃん、すごくショックを受けてるのに、でも3人を助けてあげようとして。いい子だなぁ・・・・・

錦之助さんの維盛は前回観ていたはず、と思ったら前回は時蔵さんで観ていたのだった。
今回配役表をチェックしていなかったので、維盛の出を観て一瞬「時蔵さん?」と思ったのですよ。すぐに錦之助さんだとわかったけれど、本当によく似ている。さすがご兄弟だなぁ。
弥左衛門の前で立ち姿だけで弥助→維盛に一瞬で変化するところ、時蔵さんも素晴らしかったけれど、錦之助さんも絶品でした。役としてのニンは錦之助さんの方が合ってるように思う。錦之助さんってこういうお役がピッタリ。もう維盛にしか見えない。

歌六さんの弥左衛門、今回は桶の重さの感じさせ方が前回よりもずっと自然になっていました。

千之助君の小金吾も、切なさがあってなかなかよかった。大人になったなぁ。

観にきて本当によかったなと感じると同時に、なんだか仁左衛門さんの一世一代のお芝居を観てしまったような気持ちにもなりました。
吉右衛門さんの最後の俊寛を観たときのことをちょっと思い出してしまった。
そういえば仁左衛門さん、7月は大阪で俊寛をされてるんですよね。
仁左衛門さんの俊寛、一度も観たことがないので観たいな。亡くなった友人も博多まで観に行こうとしていたのを覚えている(結局行っていなかったけれど)。東京で演じてこなかったのは、吉右衛門さんに遠慮されていたから、とかあるのだろうか。。

そして猿之助の事件で6月は昼の部の方が注目されていたけれど(猿之助の代役としての中車と團子君が出ていたから)、この「木の実」「すし屋」は家族の繋がりを描いたお芝居なので、色々感じさせられました。演じている役者さん達もお辛かったのではないかな・・・。また私自身にも照らし合わせ、色々考えさせられました。

【川連法眼館】
松緑のキチュネ
なんとなくまだ慣れていない風だったけれど、初役ではないよね?歌舞伎座では初?
演技としては狐よりも佐藤忠信の方がよかったように感じられたけれど、でも、なんか最後の幕切れの爽快さ、華やかさ、温かさに、すごく感動しちゃったんですよね。。。
歌舞伎っていいなぁ、って心から感じました。
こちらも家族の繋がりの物語ですね(狐の家族だけど)。。。

静御前の魁春さん、久しぶりに拝見できて嬉しかったな。魁春さんの古風で品のある赤姫、いつ見ても良き

そして、改めて『義経千本桜』って仏教の輪廻転生の物語なのだなぁ、と。
「今生の別れ」という言葉、現代でも全く使わないわけではないけれど、今回このお芝居の中で聞いて、そうかこれは「今生」での別れという意味なのだな、と。
今の世では二度と会うことはない。でも次の世(後生)では、あるいはあの世では・・・という意味が裏にあるのだな、と。
当たり前といえば当たり前なのだけど、初めてわかった気がしたのでした。


仁左衛門が語る、歌舞伎座『義経千本桜』(2023年6月)

上演にあたり大事にしていることを問われると、「家族愛」と、迷うことなく答えます。「勘当されていても、やっぱり父親のことが好き。そして、子どもがかわいくて仕方がない。『木の実』では、子どもとお嫁さんの三人の家庭の温かみをお客様に伝えることで、後の『すし屋』での別れのつらさを、より感じていただけると思う」と、話します。
・・・ 
江戸と上方とで大きく型が分かれる「すし屋」。「上方でも、河内屋さんと成駒屋さんとで違います。父(十三世仁左衛門)もやっていますが、うちのやり方というのがあるわけではないので、私も私なりにつくっています。大事なのは、丸本物であることを基本にすること。丸本物の丸みを大事にしたいと思っています」。そう話す一方で、型を守っていくことについては、「気持ちを、心を守ることであって、幹がしっかりしていれば、枝はこれからも変わっていっていいと思う。同じ役であってもそれぞれの俳優のつくり方があるから、いろいろな楽しみがある」と、歌舞伎の魅力を語りました。

吉例顔見世興行 木の実・すし屋「仁左衛門さんのこと、教えます」(2018年12月)

 ――仁左衛門さんは、大和のごろつきとして演じられるわけですね。

 権太はよい家の出で、ごろつきとは違います。悪餓鬼だけれどもやんちゃで可愛い子を関西では権太といいますが、この役は、まさに大人になっても、そういうところから抜け出せない男として私は演じています。

 ――権太と弥左衛門の関係も微妙ですね。

 父親の悪態をつきますが、本当は好きで、父親の窮地を救って自分の勘当も許してもらいたさに、自分の嫁と息子を犠牲にしてしまうんです。でも、あんまり深く掘り下げていくと無茶な話になってしまいます(笑)

 ――若葉の内侍と六代君に化けた妻子を梶原が引き立てていくのを見送って、ほっとして真相を報告しようとしたところで、権太が弥左衛門に刺されてしまいます。

 梶原を見送って、「ああうまくいった、誉めてもらおう」というところでぶすっと刺されてしまう。もうちょっとずれていたら助かったのに、少しの歯車のズレで、人間の運命が大きく変わってしまう。ドラマ性が強調されると思うんです。あれも、初日が開いて何日目からか、自然とそれまでのやり方から変わりました。恐らくあのやり方は、今のところ私だけだと思います。ああ、もうちょっとで命助かったのに、可哀そうに、と感じていただけたらと思います。

・・・

 ――これまでいろいろなことがおありだったかと存じます。

 大病をし、命が助かり、再び舞台に立てるようになったときは、おこがましい言い方ですが、神様が「歌舞伎のために頑張れ」とおっしゃってくださったような気がして。それからは、極力歌舞伎に絞り、父を含めた先輩、父から話を聞いていた先人の芸を、私自身も勉強をしながら、後輩に伝えなければと思っております。

 ――今、歌舞伎についてはどんな思いをお持ちでしょう。

 ただただ歌舞伎が好きという思いでまいりました。舞台に立つ前は嫌だと思った役でも、演じていると好きになってしまいます。その人物になりきらないとお芝居は面白くなりません。人物を演じるのではなく、人物になることが大事だと思います。

 商業演劇で、歌舞伎ほど同じ狂言を繰り返し上演する演劇は少ないでしょう。「またこの出し物をやるの」と思われるかもしれませんが、配役が変われば芝居も変わります。その違いも楽しみの要素だと思います。

 ――これからはどうしていらっしゃりたいですか。

 古典物の演技法をなぞるのではなく、掘り下げることで、新しい魅力を掘り起こして、歌舞伎をご存じないお客様に古典のよさを訴えたい。その努力が一番大事です。言い古された表現ですが、死ぬまで修業です。














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『与話情浮名横櫛』『連獅子』 @歌舞伎座(4月14日)

2023-04-17 23:29:29 | 歌舞伎




14日金曜日に行ってきました。
歌舞伎座が新開場してから、今月で10周年だそうです。
あれから10年もたったのか…。
あの新開場の頃は亡くなった友人との思い出が沢山あって、色々思い出しながら観ていました。
そうしたら、翌15日に左團次さんが亡くなられてしまいました…。
ちょうど10年前の4月、開場3日目のホヤホヤの歌舞伎座で最初に観た演目が、菊五郎さん&左團次さんのチンピラコンビが印象的な『弁天娘女男白浪』でした。そういえば、あの時の日本駄右衛門は吉右衛門さんで、忠信利平は三津五郎さんだったな。
左團次さんのお芝居、数えきれないほど観て、数えきれないほどの楽しさ、感動をいただきました。
『与話情浮名横櫛』の予習で観た映像の左團次さんの蝙蝠安もとてもよくて。
私が最後に観た左團次さんのお芝居は、昨年3月の『芝浜革財布』でした。
この世代の役者さんが亡くなるといつも思うことだけれど、ああいう空気の役者さんって、もうこれからは出会えないような気がします。時代が人を作るということを、歌舞伎を観ていると特に強く感じる。
ご冥福をお祈りします。

以下、お芝居の感想です。

【与話情浮名横櫛】
与三郎を演じる上で大事なのは、品なのでしょうね。大店の息子が、ある意味でアウトローに。若旦那の甘さとアウトローの強さの兼ね合いです。強さといっても、(腕っぷしのような)いわゆる強さとはちがいますね。
・・・
(玉三郎さんとは)お互いに気心を知れていますから、『ここはどうしようか』などの相談もなく芝居のキャッチボールができる相手です。自分が役の気持ちで舞台に出ると、向こうも向こうで役の気持ちで舞台にいますから、自然とギクシャクすることもなく芝居になるんですね。今回『赤間別荘』は、基本的には喜の字屋のおじさまと尾上梅幸のおじさまがなさった時(1969年4月国立劇場)のものを元に、少し変えさせていただきやらせていただきます。ただ、次はああしてここはこう……といった決まりらしい決まりがありません。このような芝居は、気があう者同士でなければ作れません。

片岡仁左衛門 Spice

仁左衛門さんが与三郎役、玉三郎さんがお富役でタッグを組むのは、約18年ぶりとのこと
仁左衛門
さんは体調不良で5~7日に休演されていたので心配だったけれど、「見染の場」は少し本調子ではなさそうかなと思ったものの、変わらない立ち姿の美しさよ・・・・・。人形のよう・・・・・。綺麗だなぁと何度心の中で呟いたことか。羽織落としも、あの数秒間だけでも国の宝だわ。。。(国宝ですけど)

実は私、この作品を観るのは初めてなのだけれど、省略されることの多いという「赤間別荘」を観られたのはとても嬉しかった。今回は仁左玉コンビなので猶更。
お二人とも、色っぽいなぁ。。。濃厚。。。
簾越し?とはいえ、コトに及ぶときにそれぞれが着物を脱ぐ場面を見せるのって歌舞伎では珍しいような
この濡れ場と、その後の責め場。見応え的にも楽しいし(ニザ玉だからという理由も大きいけれど)、ここを上演しないと「見染の場」と「源氏店の場」のストーリーが全く繋がらなくなるので、今後も省略せずに上演した方がいいと思うな。

「源氏店」の仁左さま、舞台下手の戸の外で揺れる柳の下での石ころ蹴り。なんて絵になるのでしょう・・・・・。「浮世絵から抜け出たよう」とはまさにこのこと。
戸を締めるときなどのサッとした動きは、「赤間別荘」までの坊っちゃん坊っちゃんした与三郎とは違って、それも素敵。一粒で二度美味しい作品

そして、玉三郎さんのお富
こういうお役の玉さまは、鉄板ですよねぇ。紛れもなく唯一無二の国の宝だわ(国宝ですけど)。。。。。見初めの花道での「いい景色だねえ」。大和屋
松之助さんの藤八つぁん、左團次さんの代役で出演された権十郎さんの多左衛門もよかったです。

最後の唐突でご都合主義なハッピーエンド展開は、、、まあ歌舞伎だし(全幕の場合のストーリーは異なるようだけど、そちらもやはりご都合主義)。


【連獅子】
稽古場の一角では左近が、『連獅子』の仕度をはじめていた。左近は一人で鏡台に向かう。手元には、演劇雑誌『演劇界』の古い号が置かれていた。表紙は、獅子の扮装をした祖父の初代尾上辰之助だった。
・・・
松緑「4月の公演中に僕がいなくなったとしても、彼は千穐楽まできっちり仔獅子を勤められると確信しています。そのように育ててきたつもりです。まだキャリアは浅いので、テクニック的に至らないところがあるにしても、それを補うやる気があります。肝は据わっている​」

松緑が「明日本番でも大丈夫だよな?」と聞くと、左近の「はい」が気持ちよく響いた。

左近「父は『連獅子』の親獅子のようなところがあり、言葉では言いませんが、その思いは胃に穴が開くほど分かっているつもりです。いついなくなっても……という気持ちは大事ですが、僕にとって父は大きな存在なので長生きしてほしいと思っています。4月は胃に穴が開いてでも、1か月間父の親獅子で仔獅子をやらせていただけることがうれしいです。父の親獅子に恥じない仔獅子を勤めたいです」

時折、こみ上げる思いに言葉を詰まらせながら、左近は自分の言葉で心境を語った。

松緑はこれまでに、十二世市川團十郎や五世中村富十郎の親獅子で仔獅子を勤めた。父親や祖父との共演は叶わなかった。いつか左近と親子で、との思いも強かったにちがいない。

松緑「その気持ちがなかったと言えば嘘になります。でもそれは僕の心情の話。お客様に1ヶ月お金をいただきお見せすることへの意識の方が強いです。また僕にとって彼は、二代目松緑さん、初代辰之助さんからの預かり物。もし2人がどこかから彼を見た時に、『一生懸命やっているな』と思ってもらえる役者に育てるのが僕の仕事です。皆様に『さすが初代辰之助の孫だ』と言っていただける子に育てたい。それだけです」
・・・
松緑「僕は早くに父親と祖父を亡くしたこともあり、多くの先輩方に稽古していただき、たくさんの言葉をかけていただきやってきました。息子にも“〇〇なら〇〇さんに教わってきな”とよく言います。そして彼は今、(尾上)菊五郎のおにいさん、(片岡)仁左衛門のおにいさん、(坂東)玉三郎のおにいさんといった素晴らしい先輩方から、色々な言葉をいただいています。今はまだ分からないこともあるかもしれない。でも本当に大事な言葉は、意識して覚えようとしなくても心に残り、いつか分かったり、ふと思い出したりするもの。先輩方からいただく言葉が彼の中に積み重なって、彼なりの格好いい歌舞伎役者になってほしいです」

左近「僕も祖父の辰之助さん、曾祖父の二代目松緑さんが大好きです。偉大な役者だと思っています。でも僕はやっぱり父の子で、はじめて歌舞伎を格好いいと思ったのも父の歌舞伎を見た時です。父はよく自分を下げた言い方をされるのですが……僕としては、僕が憧れる現松緑さんをあまり悪く言わないほしいです」
Spice

彼らの歌舞伎座の本興行での連獅子はこれが初とのこと。
予想外に、最後に泣きそうになってしまった。全くそんなつもりなかったのに(実際途中までは割と淡々と観てた)。
数えきれないくらいの回数の毛振りも本来そういうのは私の好みではないけれど、というか松緑も同じだろうと思っていたのだけれど、でもなんか感動しちゃったのよね。
上記インタビューは帰宅してから読みました。
松緑は辰之助さんとは連獅子を踊っていなかったんですね。
私は辰之助さんのことを知らないけれど、松緑は沢山のことを乗り越えて(あのブログは読んでおりました・・・)、こうして今、息子さんと舞台で踊っているのだなぁ、とかやはり思わずにはいられず。連獅子あるあるの感動ではありますが。
左近くん、もう17歳なのか。
左近くんのキレキレかつスケールの大きさも感じさせる仔獅子と、親らしい強さと包容力を感じさせる松緑の親獅子の対比に涙。
辰之助さんは40歳で亡くなっているし、「僕がいなくなったとしても」という言葉を松緑は本気で言っているのだと思うけれど(そして親はいついなくなってもおかしくないというのは、そのとおりなのだけれど)、左近くんのためにも松緑は長生きしないと。

ところで今回の連獅子、笛の音が耳に刺さって少々煩く感じられてしまった。いつもあんなに音大きかったっけ?音の表現自体は切れもあってよかったように思ったけど、もう少し品と清澄さがほしいというか・・・。









初めて見る緞帳だなと思ったら、新開場10周年を記念して寄贈された新緞帳だそうです。
原画は東山魁夷の「朝明けの潮」で、皇居 長和殿「波の間」にある縦約3.8メートル、横約14.3メートルの大壁画とのこと。山口県の青海島の波と岩をモデルにしたといわれているそうです。











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つないでいくもの

2022-12-29 14:13:30 | 歌舞伎

昨夜年末のご挨拶をしたばかりですが、彌十郎さんのこんなインタビューを見かけたので。

ちょうど来年で50年役者をやってきたことになるんですけれども、何やってきたんだって、上にいる親父や兄貴やおじさんたちに心配されてるんでしょうけれども、何とかつなぎましたって言えるようになりたいですね。それが歌舞伎なんだと思います。
(spice)

地元が舞台なのに『鎌倉殿の13人』は観ておりませんが、彌十郎さんの時政パパ、評判よかったですよね。

「何とかつなぎましたって言えるようになりたいですね。それが歌舞伎なんだと思います。」
歌舞伎役者さん達が常々仰るこういう表現が、とても好きです。
新しいものを生み出すことだけが芸術ではないと思う。それはそれでもちろん必要だけれど、過去から未来へ”つないで”いくものも、大事な芸術の要素だと思っています。歌舞伎は芸術というより芸能だけども。「歌舞伎は本当に間口が広いですし、重たい演目のおもしろさもいつかはわかってほしいという気持ちもある。それはいつも考えていることですね。」とも。うんうん

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秀山祭九月大歌舞伎 二世中村吉右衛門一周忌追善 @歌舞伎座(9月18日)

2022-09-22 13:32:29 | 歌舞伎



この秋は怒涛のクラシック音楽祭りの予定ですが、その前に、秀山祭九月大歌舞伎の第三部に行ってきました。
「二世中村吉右衛門一周忌追善」とあるけど、吉右衛門さんが亡くなられたのは11月末だから、まだ一周忌ではないよね(11月は團十郎襲名公演があるからかな?)
でも、吉右衛門さんを偲ぶにはやはり秀山祭をおいて他にないだろうとも思う。
と同時に、歌舞伎座にかかる『秀山祭』の垂れ幕を見て、「吉右衛門さんのいない秀山祭」の寂しさを強く感じました。

【仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場】
吉右衛門さんのお役の中で、第二部の松浦侯とともに5本の指に入るくらい好きな七段目の由良之助。
吉右衛門さんの由良様は最高だと私は思っているのだけど、今回初めて観た仁左衛門さんの由良之助も素晴らしかった。。。

「七段目」は病気全快の仁左衛門の由良助が傑作である。吉右衛門の由良助もよかったが、吉右衛門のそれがハラで見せる由良助だとすれば仁左衛門のそれは姿かたちの風情で見せる由良助。二人の対照的な傑作の一方が欠けても、もう一方の健在はなによりの追善である。

これは渡辺保さんの今月の舞台評からの引用ですが、私も全く同じことを感じました。仁左衛門さんが”仁左衛門さんの由良之助”をこれほど素晴らしく演じられたことは、吉右衛門さんへの何よりの追善になるだろうと。
仁左衛門さんの由良之助は立派でカッコよくて色気もあって。というのは吉右衛門さんと同じだけれど、吉右衛門さんの由良様が鬼平系の大らかな色気なら、仁左衛門さんの由良様は別のタイプの色気というか。雀右衛門さんのおかるとのハシゴ場面のじゃらじゃらは、生々しくてドキドキした。私だったら勘平さんのところに戻ろうとは思わずそのまま由良さんと一緒にいるわ!と思った(ちなみに吉右衛門さんの由良さんのときの感想でも「結婚したい」と書いている)。
全体的に吉右衛門さんよりもリアル寄りの由良さんでありながら、一つ一つの姿が錦絵のように美しくて。立っていても座っていても寝ていても、指先まで全てが絵になるとは…。手鏡を覗くおかると九太夫との三人の場面も一幅の絵のよう。おかるが落とした簪を拾って自分の髪に挿すのは吉右衛門さんはやっておられなかったので、松嶋屋型なのかな。そんな廓で遊び慣れた艶を感じさせる仕草もよくお似合いでした。かつ四十七士を纏めて仇討ちを成し遂げんとする大物感もしっかりあり。蛸を口にする場面も、吉右衛門さんと同じく自然でよかった。また仁左衛門さんはラストの九太夫(橘三郎さん)への怒りもリアルで、由良之助の感情の流れが良い意味でわかりやすかったです。
そんな傑作な仁左衛門さんの由良様を見ながら、仁左衛門さんがいなくなったらもう私は歌舞伎を観なくなるかもしれないな・・・と、前々から思っていることを改めて思ってしまった。
一方、端々で「ああ、ここの吉右衛門さんはああだったな」「こうだったな」と大好きだった吉右衛門さんの由良様を思い出しては涙涙でもあり。
今回は見立てはカットなんですね。”壇蜜”で本当に笑ってしまっていた吉右衛門さんの笑顔を思い出す

雀右衛門さんのおかる、今回も可愛らしかった。
海老蔵は、今月の平右衛門が”海老蔵”としての最後のお芝居とのこと。海老蔵を見るのは久しぶりだったけど、すごく痩せた気がする。前回観たときと同様に、平右衛門の役は彼に合っているように感じました。とても優しそうなお兄ちゃんに見える。時々海老蔵に見えてしまったのも前回と同じでしたが。ただ前回より台詞が聞きとりにくかったのは何故だろう(今回、3分の1くらい聞きとれなかった…)。もっとも黒御簾から音が出ているときは雀右衛門さんの声も聴こえにくかったので、座った席のせいもあるのかも(3階下手)。でも仁左衛門さんの台詞は全て聞きとれたのよね。

竹本は葵太夫さんでした。

(30分間の休憩)

【藤戸】
これは、能の「藤戸」を素材にして吉右衛門さん(松貫四)が構成・演出をされた舞踊劇なんですね。私は今回初めて観ました。
母藤波/藤戸の悪龍は、菊之助。菊ちゃんを見るのも久しぶり。菊ちゃんの女方、やはり私は好きだなあ。菊ちゃんにはこのままずっと”兼ねる役者”でいてほしい。
間狂言で「なんか踊りが上手な子供がいる」と思ったら、丑之助くん(浜の童和吉)だったことを終演後にチラシで知りました。前回観たときは6歳だったけど、今は8歳になったのか。それはそれは可愛がってくれていたお祖父ちゃんのこと、この先もずっと覚えていてくれるだろうか…。
この作品が描いているのは、戦いで子を亡くした親の悲しみと平和への祈り。やはり吉右衛門さんが「一谷嫩軍記」をもとに作られた『須磨浦』にも通じるテーマ(ちょうど2年前の9月だったのだな…)。残念ながら今の世界にもそのまま当てはまってしまう演目です。

尾上菊之助さん・丑之助さんインタビュー「じいたんがつくった大切なお芝居だから頑張る」(婦人画報)



吉右衛門さんの歌舞伎をもう二度と観ることができないこと、まだ信じられないな…。
ところでこのポスター、東銀座の改札を出たところに貼られていて、隣に貼られた新橋演舞場のジャニーズ公演のポスターは若い女の子達がわんさか列をなして写真を撮っていたけれど、こちらの前には誰もおらず。吉右衛門さんの方が圧倒的に素敵だと思うがなあ。


歌舞伎座のショップでは、吉右衛門さんが好んだ品物の販売も。なんかこういうところでも、本当に亡くなってしまったんだなあと感じる…。


日が暮れて提灯が灯ってから壁がライトアップされる前の僅かな時間の歌舞伎座も、艶めかしくて素敵。


木挽町広場で売っていたリラックマの助六、藤娘、太鼓の根付



©松竹

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©松竹

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『ふるあめりかに袖はぬらさじ』 @歌舞伎座(6月11、19日)

2022-06-24 03:27:22 | 歌舞伎

©松竹


人間はみんな、「本当だよ」と言いながら「嘘だ」とも言えちゃうんです。ただ人間はここに生きていて雨に濡れちゃうのね、と言っている中に、人間模様が煌めく入っているところが、この作品の凄さだと思います。…
ふるあめりかに袖がぬれてない人って、いつどこにいるのかしらね。

(坂東玉三郎 『週刊文春WOMAN vol.14』)

玉三郎さんのお役の中で5本の指に入るくらい好きな『ふるあめりか~』のお園!
シネマ歌舞伎でしか観たことがなかったので、今回観ることができて本当に嬉しい(もちろん仁左衛門さんとの『与話情浮名横櫛』が中止になったのは残念だけれど…)。歌舞伎座で上演されるのは、2007年以来だそうです。
11日と19日の2回行きました。
それぞれ演じ方が違っていたけれど、どちらも本当に感動してしまった。。。。。

生で観て実感できたことの一つは、照明効果の美しさ。
一切の照明が落とされた暗闇の中で、お芝居は始まる。
舞台上に見えるのは、窓の隙間から漏れる微かな光のみ。そこは岩亀楼の遊女亀遊(雪之丞さん)が病に伏している行燈部屋で、女中や下男達が次々と出入りするけれど、すぐに出て行ってしまう。そこに芸者のお園(玉三郎さん)が登場して窓をさっと開けると、ぱぁっと一瞬で太陽の光が差し込んで部屋が昼間の明るさに変わる。
「ここから見ると港は本当にいい眺めですよ。海っていうのはいいわねえ、私は大好きだ」と晴れ晴れとした声で亀遊に話しかけるお園。
外国の船々が停泊する幕末の横浜の港の風景が見えるようで、大好きな場面です。
廓が次第に夜へと移り変わっていく様も、とても美しかった。
あと、最終幕の雨(本水使用でしたよね?)の効果も素晴らしかったなあ。あの本降りの雨音が、終盤の物語と重なって胸に迫る…。

今回観て改めて、本当によく出来た作品だなあと感じました。
私達が生きるこの世界は、今も昔も虚構だらけ。
それぞれが身勝手に虚構を作り上げ、虚構を利用し、利用され、何が嘘で何が本当か誰にもわからなくなってしまうような空騒ぎの中で、人々は生きている。
それは攘夷志士達も、岩亀楼の主人も、藤吉も、そしてお園も同じ。
話の舞台である廓という場所自体が、虚構の世界そのものといえる。
この作品の独特さは、そんな虚構を否定しないところ。肯定も否定もしない。
虚実入り混じったこの世界の中で、降る雨にびしょ濡れになりながら生きているのがこの世界の殆どの人達で。そういう人々の人間模様を、この作品はただ描いている。
お園もまた虚構の世界にどっぷり漬かっていながら、同時に、その中で本当に大切なものは何か、変わらないものは何なのかをちゃんと見抜いている女性。淋しくって、悲しくって、心細くって、ひとりで死んでしまった遊女亀遊。その真実を心にしっかりと秘めながら、お園は明日もお座敷に出て「横浜は、ここ岩亀楼」と虚構をうたい、生きていくのでしょう。玉さま曰く、お園は「世の怒涛にどんなに踏みにじられても起きあがり、たとえ戦車のキャタピラに轢かれても、それでも立直っていく女だろうと感じます」とのこと(中公文庫)。

 そして、嘘と本当がないまぜになっているお園の本音が、最後に浮き彫りになって見えてくるのです。終幕では、時が過ぎて、開国も攘夷も意味が無くなっているのです。攘夷党の動きさえも、世の中の流れからすれば、大きな空騒ぎにすぎなかったということなのでしょう。かつて亀遊を「攘夷女郎」とまつりあげた当の攘夷派の連中によって、皮肉にも亀遊の伝説は暴かれてしまいます。
 国を左右するような人たちの生き方でさえ、廓の空騒ぎと変わらないじゃないか――と、ひとりお園は悲嘆にくれます。芸者で、飲んべえで、空騒ぎの人生そのものを送ってきたお園ですが、実はこのような真実を見つめていたのです。落ちぶれてはいるけれども、彼女は本当の心を持っていて真実を見抜くことができた、ということなのでしょう。この真実は、人間の本音とも言い換えられると思います。彼女は決して迫り来る将来を見据えたりは出来なかったでしょう。しかし、今、目の前に繰り広げられている光景の中で、しっかりと真実を受け止めているのです。戯曲の中で、お園が真実を見抜く目を持っていたということは、有吉佐和子先生ご自身の、真実を見抜く目の鋭さを伝えているように思えてなりません。
(坂東玉三郎 中公文庫『ふるあめりか~』特別寄稿)

配役について。
玉三郎さんのお園は、もう鉄板。
大大大好き。あの台詞回しと作り上げる空気の見事さと言ったら!
そしてラスト、攘夷志士達が去って、部屋に一人残ったお園。ここの玉さまは圧巻の一言。秘めていた胸の内を全て吐き出し、
「それにしても、よく降る雨だねえ。」
この静かな余韻が残る幕切れも、素晴らしいよね。。。。。
ああ、玉さま

今回は新派からの出演が多数だったせいか、物語がリアルに迫って感じられて、とてもよかった。
イルウス(桂佑輔さん)も小山(田口守さん)も、みんな上手い~。
雪之丞さんの亀遊は、最初に見た11日は「17歳の役にしては貫禄ありすぎ?」と感じたけれど、二回目に観た19日にはちゃんと可愛らしく儚げに見えて、藤吉(福之助)とお似合いのカップルでした。
緑郎さんの岡田も、11日には声が掠れていて心配したけど、19日には声にも張りが出ていて、存在感のある演技を見せてくださいました。この役、合ってる。格好いい♪
雪之丞さん&緑郎さんを再び歌舞伎座で見られて、嬉しかったな でも下記の対談を読むと、澤瀉屋→新派への移籍には色々な事情があったようだな…とも感じた。

雪之丞 新派に移籍した私たちが歌舞伎座に出ることは死ぬまでないと思っておりました。いま一番にあるのは、嬉しさと有り難いという気持ちです。若旦那(玉三郎さん)はさらっとおっしゃるけど、誰かに「うん」と言わせるっていうことの大変さがなかったはずがありません。

緑郎 私たちはそれを忘れちゃいけないですよね。

雪之丞 しかも今回は本当にほとんどの新派の俳優さん、女優さんを呼んでいただいてるんです。

玉三郎 私は澤瀉屋さんの具合が悪くなった後、この二人がどうやって生きていくのかしらと、とても気がかりだったんです。新派に移籍したのも私は客観的に見てきたので、二人のためにも歌舞伎、新派という枠を外していけたらと思うんです。

緑郎 昔、若旦那が「役者は地獄を見なきゃダメだよ」という言葉をくださいました。新派に移籍をして二年ぐらい経ってからですかね、ある日、ふっとその言葉が出てきて。やはり、僕と雪之丞ではまだまだ思っているものができないので。

玉三郎 わかります。

緑郎 そういうものが毎日毎日枷になって苦しくて、でもこれ乗り越えないとな、これがたぶん若旦那が仰った地獄、僕にとっての地獄なのかな、というのは常に考えていました。

(『週刊文春WOMAN vol.14』)

そしてそして、鴈治郎さんの岩亀楼主人
商売人の強かさと人間的な温かみのバランスが、素晴らしかった。嘘をつくのもただ金儲けだけが理由なのではなく(それがメインだが)、お客様が喜んでくださることをするのが商売だというような気持ちも感じられるところが良かったな。
玉三郎さんとの掛け合いは絶品!
鴈治郎さんの今までのお役の中で一番好きかも(と言われて鴈治郎さんが嬉しいかどうかはわからないが…)。

大好きなお芝居をこんな素晴らしい配役で観ることができて、本当に幸せでした
玉三郎さんは今回、この作品と『日本橋』のどちらを上演するかで迷われたとのこと。玉さまの『日本橋』…!
「雛の節句のあくる晩、春で、朧で、御縁日、同じ栄螺と蛤を放して、巡査の帳面に、名を並べて、女房と名告つて、一所に詣る西海岸の、お地蔵様が縁結び。……これで出来なきゃ、日本は暗夜だわ」
これを言う玉さまを生で観たい&聞きたい…!玉さま、どうかどうか近いうちに『日本橋』の方もお願いします…!!!歌舞伎でも新派でも、どちらへでも馳せ参じます!

--------------------------

作品全体の印象について―――
 日本の根本的なところが、本当にある意味シニカルに描かれていて、日本の伝説というものは、ほとんどこういう風に出来上がったのではないかと思ってしまいます(笑)。本当に、近代の名作です。

 男達はみんな外に出て行くけれど、女達は廓から出ることが出来ず、外から来るものをどうやって受け入れていくか葛藤します。お園が水平線を眺めて想いをめぐらすのも、外に行けない女の物語だということなんです。

 喜劇なのか悲劇なのか、わからないところで、あれだけ楽しませながら、人間の深層心理を深く描いていきます。そして、最後にお園が女性としての本心を言う・・・不条理劇のようでありながら、非常に心情に訴える、とても素晴らしい作品です。

みどころ―――
 男達は、開国するか鎖国するか、命がけで議論していたのに、結局時が過ぎればどちらでも良くなってしまう。でも、どちらでも良くなってしまう事を女の方が先に知っているんですよね。それでも女は、どんなに苦しくても本音と建前をきちんとわきまえて、廓で商売をしていきます。

 それから、女からみた男の身勝手さが、否定するのではなく手の届かないものとして描かれています。勤皇・佐幕がばかばかしいと一面的に言うのではなくて、お園は、「あの人たちだって大変なのよ」と言って否定しません。岩亀楼の主人もいるし、お客もいる。お客の気持ちもわかるけど、主人の気持ちもわかる。その中庸をとった中でやっているんですね。

 攘夷党の連中が「あのころの華やかな攘夷党の時代終わった」と言います。政治的な建前で流れていく世の中は、その時代時代で終わっていく。しかし、建前ではない本音というのは変わらない・・・それでいて、有吉先生の独特な作風として、本音は変わらないから建前を否定するとも言わずに、建前は建前でやりましょうって(笑)。

 攘夷党の連中が、お園を納得させて帰っていくところなんて、あれも建前ですよね。あの辺りが巧みに人間模様として描かれていて、それを暗い話にしないところが、やはり有吉先生が劇作家として素晴らしいところだと思います。

印象的な場面―――
 岩亀楼のような水商売の場所では、昼間は、夜の支度をしています。そして、外が暮れてくると、中に明かりがついて、夜の世界に変わっていきます。とくに、三幕では、その移り変わりの雰囲気を上手く出して、お客様がそこに居ながら廓に入っていったように感じていただければと思っています。

 外の海の風景を大事にして、日が沈んで暮れなずんでいくと、お客さんがお酒を飲みに騒ぎながら入ってくる・・・このような雰囲気もなかなか舞台では出すことができないので、とても意識しました。

 このお芝居は、初めの行燈部屋を除いて、ほとんどこの一場です。その中でシュチュエーションが変わって物語が進んでいくというのは、やはり有吉先生の筆の素晴らしいところだと思います。

歌舞伎美人 玉三郎 シネマ歌舞伎『ふるあめりかに袖はぬらさじ』を語る


©松竹

©松竹

©松竹

©松竹

©松竹








観劇前にイグジットメルサの成田新川で鰻丼。お手頃価格で美味でした

ところで、上で引用させていただいた『週刊文春WOMAN vol.14』には、アニメ『平家物語』で脚本を担当された吉田玲子さんと菊之助の対談も掲載されているのです。とても充実した内容だったので、ご興味のある方はぜひ。


※坂東玉三郎公式ページ 今月のコメント
※坂東玉三郎が語る『ふるあめりかに袖はぬらさじ』有吉佐和子が込めた人間愛~歌舞伎座『六月大歌舞伎』インタビュー(SPICE
※坂東玉三郎×喜多村緑郎×河合雪之丞が幕末の遊郭を描く 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』6月歌舞伎座取材会レポート(SPICE
※「ふるあめりかに袖はぬらさじ」坂東玉三郎、新派との合同公演に笑顔「いつでも一緒にできれば」(ステージナタリー
※「役者は地獄を見なきゃダメだよ」坂東玉三郎の言葉を喜多村緑郎、河合雪之丞がいま噛みしめる理由(文春オンライン
※操を守り自害した「攘夷女郎」は実在したか?「ふるあめりかに袖はぬらさじ」に隠された真相(warakuweb
※横浜公園水琴窟の謎から浮世絵で港崎遊郭の歴史を紐解く(はまレポ.com

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竹三郎さん

2022-06-21 23:50:34 | 歌舞伎

坂東竹三郎さんが、17日に亡くなられたそうです。
私が歌舞伎を本格的に観始めた2013年の夏、大阪の文楽劇場まで傘寿記念の自主公演『坂東竹三郎の会』を観に行って。そこで演じられた『東海道四谷怪談』のお岩さん。お岩さんは菊之助と玉三郎さんでも観ているけれど、竹三郎さんのお岩さんが一番情が感じられて好きだった。
幕が閉まった後のご挨拶で涙を流しながら「生きていてよかった」と、「東京も大阪もありません」と仰っていた竹三郎さん。
同時にインタビューでは「上方歌舞伎の火を消すまいとやってきた」とも仰っていました。
どちらも心からの言葉だったのだろうと思う。

 昭和24(1949)年5月四代目尾上菊次郎の弟子となり、大阪・中座『盛綱陣屋』の腰元で尾上笹太郎を名のり初舞台。昭和34(1959)年9月三代目坂東薪車と改名し名題昇進。昭和42(1967)年3月菊次郎の名前養子となり、朝日座『吉野川』の久我之助ほかで五代目坂東竹三郎を襲名。昭和53(1978)年上方舞の東山村流の二世家元となり、山村太鶴を名のる。
 関西に居を構える数少ない俳優の一人。『すし屋』のお米や『引窓』のお幸、『忠臣蔵六段目』のおかやなど、情愛深い母親役や『封印切』のおえん、『吉田屋』のおきさをはじめとする上方の花車方、さらにはスーパー歌舞伎II(セカンド)『ワンピース』(女医ベラドンナ)などの新作歌舞伎の舞台でも存在感を発揮した。

 自主公演「坂東竹三郎の会」では復活狂言にも取り組み、また、平成9(1997)年に開塾した「松竹・上方歌舞伎塾」の講師をつとめるなど、上方歌舞伎の振興と、後進の育成に注力した。
歌舞伎美人

思えば私が「上方歌舞伎」というものを意識したのは、あのときが最初だった気がする。
一昨年に藤十郎さん、昨年は秀太郎さん、そして今年竹三郎さんが亡くなられて、なんだか西の方を照らしていた歌舞伎の火が一気に消えてしまったような、そんな感覚がしてしまっています。

私、上方歌舞伎の空気って好きなんですよね。
自分が関東で生まれ育ったので、憧れもあるのかもしれないけど。
竹三郎さんは「関西に居を構える数少ない俳優のひとり」だったとのこと。秀太郎さんもそうだった。
関西に居を構える歌舞伎役者さんって、もう殆どいないのではなかろうか。西の成駒屋(成駒家)の壱太郎達も、松嶋屋の千之助君も、みんな東京生まれ。
その結果変わるのは、言葉だけじゃなく、それ以上に、役者が纏う空気なのではないのかな。
関西では歌舞伎の興行自体が殆ど行われないし、行われてもチケットの売れ行きは良くなくて(これは歌舞伎に限らず文楽やクラシック音楽など文化芸術全般における関西の傾向だけど)、それなら興行の多い東京に住む方が便利だし、仕方がないことなのかもしれないけれど…。でも、このまま上方の空気をもつ役者さんがいなくなっていってしまうのは、残念でならない。壱太郎は上方歌舞伎を本気で大切に思っているのなら、関西に住めばいいのになあ。関西で生まれ育っていないのだからなおさら、その空気の中に身を置くことには大きな意味があると思うの。、、、と思ったら、鴈治郎さんと壱太郎は関西にも家がある?という話も。それが本当なら、上方歌舞伎の未来のためにとても良いことだと思う。
藤十郎さん、秀太郎さん、竹三郎さん達が大切に大切に守ってこられた上方歌舞伎の火。このまま消えることなく継承されていってほしいと願ってやみません。

竹三郎さんのご冥福をお祈りします。
数々の心に残るお芝居を、本当にありがとうございました。
猿之助も仁左衛門さんも、寂しいだろうな…。

※竹三郎さんのご子息の岡崎泰正氏のブログより。泰正氏が観たという2013年の3回目の舞台は、私が観たのと同じもの(2日目の昼公演)。まさに書かれてあるとおりの見事な舞台でした。
訃報 父、坂東竹三郎が生きたミナミ

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『ぢいさんばあさん』『お祭り』 @歌舞伎座(4月24日)

2022-04-29 16:51:28 | 歌舞伎



先週末に、第三部を観てきました。
雨の夜の歌舞伎座には独特の美しさがあるといつも感じる

【ぢいさんばあさん】
森鴎外の原作、宇野信夫の作・演出の新歌舞伎で、1951年初演。
頻繁にかかっている演目だけれど、私は観るのは初めて。

©松竹

前半の若い二人の場面、仁左衛門さん78歳&玉三郎さん72歳なのに、違和感なすぎ
いや見た目はさすがに赤ん坊を産んだばかりの夫婦には見えないかもだけど、空気が若い。それに、原作でも当時にしては晩婚の夫婦なんですよね。
ラブラブバカップル場面は、その場で居たたまれなくなった久右衛門(隼人)の気持ちがよーー-くわかった
といって南北作品でのニザ玉コンビのようなツーカー具合ともちょっと違う、武家の若夫婦らしい距離感は、帰宅後に読んだ鴎外の原作の設定そのもの
春らしい爽やかな色合いの着物も素敵

©松竹

この京都の川床で、江戸のるんから届いた桜の花びらを伊織がチラチラと散らせる場面、美しかったなぁ。。。。。遠く離れたるんを想う伊織の寂しさと、この先の運命を予感させる静かな儚さが感じられて。
ニザさまの立ち姿や指先までの美しさが相乗効果となって、凄みさえ感じた場面でした。

ところでこの刀傷事件、仮名手本の高師直と違い、下嶋(歌六さん)の言い分にも一理も十理もあると思うのよね。「人から借金しておきながら、その金で買った刀の披露の宴に招かないのは筋が違う」というのも、「借金のある身で刀に結構な誂えをしたり、宴をするのは贅沢だ」というのも。下嶋に「俺のことが嫌いなんだろう!」と聞かれ、伊織ってばカラッと「実はそうなんだ」とか答えちゃってるし。なのに伊織は、いくら罵倒され足蹴にされたとはいえ、ついカッとなって下嶋を斬っちゃう。これが、彼の生来の欠点である癇癪持ち。るんと一緒になってから抑えられていたその欠点が、彼女と離れてしまったがために出てしまい起きた悲劇。

しかし、口論で頭に血が上って思わず斬ってしまったという部分は癇癪持ちで理解できるけれど、借金をしてまで良い刀を買いたいという感覚も独特といえば独特。もちろんそういうタイプの人も世の中にはいるけれど、この物語で伊織をそういう設定にしたのは何故だろう、とお芝居を観ながら興味深く感じました。
帰宅して鴎外の原作を読み、それからググってみたところ、こちらの論文(林正子著、岡山大学)を見つけました。「芸術の非功利的な価値を認める鴎外の価値観」。借金をしてまで良い刀を買うのも、それに相応の誂えをするのも、原典史料にはない鴎外の創作とのこと(原典の方は「借金のある身で刀を買う」となっている)。へえ。この論文では、物に対するそういう価値観を貫いた人間が悲劇に陥る鴎外作品の特徴について論じられていて、鴎外自身がそういう価値観を持つ人だったからだろうと推測しています。
私は漱石は好んで読むけれど鴎外は数作しか読んだことがなく、全く詳しくないのです(漱石の葬儀の弔問に来た鴎外の受付をしたのが芥川、とかそんなトリビアにだけは詳しい)。「芸術の非功利的な価値を認める」というのは漱石も同じだけれど、鴎外の方がその傾向がより強いのかも。ちょっと鴎外という人に興味が湧いたので、他の鴎外作品も読んでみたいと思います。
そして宇野信夫の脚本・演出は、鴎外原作のそういう部分をよく汲み取っているように感じる。宴席で下嶋が刀を馬鹿にする形で伊織を挑発しているのも、この場面での刀の冷え冷えとした美しさと不穏さ、散る桜の花びら、夜空に浮かぶ月。
歌舞伎での下嶋の設定が「悪い奴ではない。しつこいだけ」であることや、ラストで伊織が「(赤ん坊の墓参りだけでなく)下嶋の墓にも行こう」と提案していることからも、これは決して伊織=良い人、下嶋=悪い人という図式の物語ではないんだよね。あの史料からあの小説を書いた鴎外も素晴らしいし、その小説からこの歌舞伎を作った宇野信夫も素晴らしい。

話をお芝居に戻して。
それから37年の月日が流れ、二人が再会する場面。やはりこの後半がこのお芝居の白眉。
決して重くなりすぎず、さりげなく、その自然さが37年という時間の重みとともに、しみじみと沁みたなあ。。。。。
仁左衛門さんと玉三郎さんの自然な良さが、この後半部分にとてもよく合っていたように感じられました。全く大袈裟な演技をしていないのに、37年の月日とその心情が静かに滲み出ているというか。
玉さまのるんの凛とした品のよさと伊織への愛情、ニザさまの伊織の子供のような可愛らしさと透明感のある誠実さ。
しみじみとよかった。。。涙が出そうになった。。。周りの客席の多くが本気泣きしていました。
この二人はこれからこの屋敷で、鴎外の原作のように、たわいのない日常の幸せを味わいながら、二人の時間を大切に過ごしていくのだろうなあと心から感じられるラストでした。

©松竹
ラストシーンの二人。
降り注ぐ、桜の花びら。
この桜が咲くのを二人で見るのに37年の時間がかかったんだね。ようやく果たされた約束。。。
でも、会えないけれどどこかにいる愛する人を想いながら、いつか会えると信じながら過ごす37年というのは、一概に不幸なものとも言えないように思う。たとえその途中でどちらかが斃れてしまうことがあったとしても。もしかしたらその相手がもう約束を忘れてしまっていたとしても。
そういう相手がいるがために不安も抱え続ける人生と、そういう人を持たずに不安になることもない人生とでは、どちらが幸福なのだろう。どちらが良い悪いということではなく、ただ、前者は不幸とは言い切れないように思う。
このお芝居を観ながら、『雨月物語』の“浅茅が宿”と、その話をベースにした中島みゆきさんの夜会『花の色は~』を思い出していました。みゆきさんは「受け身で待っているだけでなく、自分から前へ進みなさい」という人。この『ぢいさんばあさん』のるんも、そういう人生を生きた人ですよね。ちなみにるんの人物設定については、鴎外の理想の女性像として描かれているという解釈を見かけました。なるほど。
そうそう、甥っ子夫婦の橋之助千之助も若々しい爽やかさと聡明な感じが、とてもよかったです。久右衛門が、姉夫婦のためにこの家をずっと守り続けてきたというところも、さりげなく泣けるよね。。。

(30分間の休憩)
休憩、20分かと思っていたら30分もあって驚いた。
玉さまの準備が必要だものね。

【お祭り】
©松竹

 日枝神社の祭礼「山王祭」に浮き立つ江戸の赤坂。そこへ一人の芸者が姿を現します。祭りに酔った芸者が色っぽく踊りを披露すると、祭りの若い衆も絡み派手に踊って見せます。

 江戸の二大祭りといわれた「山王祭」を題材にした清元の舞踊です。今回は、芸者の一人立ちの形でお届けいたします。江戸の活気と粋で華やかな風情あふれるひと幕をお楽しみください。
(歌舞伎美人より)


「待ってましたっっっ!!!」という耳に聴こえない声が客席中からはっきりと聴こえた玉さまの『お祭り』
いやあ、素敵!
30分前の穏やかな婆とのギャップがたまらない。
『ぢいさんばあさん』→『お祭り』の流れがこんなにトキメクとは予想外であった。今月の演目を決めたひと、GJ
舞台中央に一人立つ艶やかな芸者姿の玉さまに「なに、待っていたって?待っていたとはありがたい」(←正確な台詞は覚えてないです、すみません)とあの声で言われると、問答無用で「姉御!どこまででも付いていきますっっっ!!!」という気分になる。宝塚ファンの人達もこういう心境なのだろうか。
仁左さまの『お祭り』も極上だけど、玉さまの『お祭り』も極上だわ。。。。。。。。。。。
ほろ酔い気分の芸者の色っぽさ、江戸らしいきっぷの良さと粋。玉さま~~~とひたすら見とれた12分間でございました。泣く演目じゃないのに涙が出そうになってしまった。上演時間は短いけど、登場から花道の引っ込みまで大大大満足。
大和屋!!!



歌舞伎座に行く前に、恒例の上野動物園へ。
鯉のぼりが飾られていました

『ぢいさんばあさん』令和4年4月歌舞伎座にて上演決定!

仁左衛門さんと玉三郎さんがこの演目で共演するのは、12年ぶりとのこと。
この映像は12年前のものかな。

ぢいさんばあさん(青空文庫)

仁左衛門が語る、大阪松竹座「七月大歌舞伎」
2015年に時蔵さんと『ぢいさんばあさん』を演じたときのインタビュー。あの美しい川床は、十三世仁左衛門のアイデアだったんですね

 「大好きな狂言です。ほのぼのと温かみがあり、涙あり、笑いもあり」と、仁左衛門は『ぢいさんばあさん』の伊織のような笑顔を見せます。「私はのんびりしているようで、かっとしやすいほうで…」と明かし、眼目の一つである下嶋殺しの場は、下嶋とやりあう中で武士として恥辱的な言葉を吐かれ、「ついかっとなって反射的に、自分の意志で斬ってしまい、後悔する」という気持ちで伊織を演じます。

 原作ではこの場は2階座敷となっていますが、「父(十三世仁左衛門)が京都で演じたときに夏だったので、“床”に変えました。私も夏の雰囲気が出るのでそうしています」。一方、再会の場では、「父の伊織は、隠居している身として裃(かみしも)を着けなかったのですが、私は、殿に拝謁してきたのだから裃を着けているだろうと、十七世勘三郎のおじさんのほうの衣裳にしています」。

 「うまくまとまっている短編」に、父からの教えだけでなく、さまざまな工夫を加えて再演を重ねてきました。るんとの会話でも、初演した折に(平成6年3月歌舞伎座)玉三郎とのやりとりで、新たにせりふを入れたりしています。「伊織の気持ちは変わりませんが、るんのタイプで夫婦の雰囲気は変わってきます」と、今回の時蔵との初コンビにも期待を寄せました。

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『河内山』『芝浜革財布』 @歌舞伎座(3月27日)

2022-03-29 13:17:55 | 歌舞伎



三月大歌舞伎の第二部、前楽の日に行ってきました。
楽しかった
先月のようなヒリヒリするような緊張感も素晴らしいけれど、今月のようなのんびりした空気の歌舞伎座も私は大好きだ。

【河内山】
今月9日~15日はご体調が悪く休演をされていた仁左衛門さん。
今日私が拝見した限りでは、お元気そうなご様子でほっとしました。2、3、4月と三か月連続で歌舞伎座出演ですものね…。本当に本当にお体お大事になさっていただきたい
吉右衛門さんの河内山を観たことがあって大好きだという人が今月は観に行く気持ちになれないと仰っていて、私は先月の知盛がそうだったので、その気持ちがよくわかるんです。それでも私は先月観に行ったし、観に行ってよかったと思っているけれど(私は仁左衛門さんも大好きなので)。
その点、今月の河内山は私は初めて観る演目だったので、まっさらな気持ちで観ることができてよかったです。
もちろん吉右衛門さんの河内山も観ておきたかったなとは心底思いましたが。
またこの演目の歌六さんや次の演目の東蔵さんを客席から見ながら、「吉右衛門さんはもういないのだなあ」とそんな風に感じもしましたが…(吉右衛門さんとご一緒の舞台を沢山拝見したので…)。

仁左衛門さんの河内山、いい
ワルいニザさま、相変わらず素敵 色気もあって(もちろん!)、軽みもちゃんと出てる。
そして仁左衛門さんの動作って、ほんっっっっとうに美しいですよね・・・。頭の先から指の先まで・・・。見とれてしまう。最初に拝見した時からずっと変わらない。
あとどれだけ仁左衛門さんのお芝居を観ることができるのだろうか・・・と寂しい気持ちになるけれど、人生は本当にわからない。仁左衛門さんの大ファンだった友人が、あんなに早く逝ってしまうなんて想像もしなかった。「仁左さんのお父さんは90歳まで生きたし、きっと仁左さんも!」という話を一緒にしたなあ。彼女が旅立って、今月で四年です。コロナ禍で上演が中止になった一昨年を除いて、あれからずっと3月は仁左衛門さんは歌舞伎座に出てくださっている。その舞台を観るたびに、私の何百倍も仁左衛門さんのことが大好きだった友人のことを思います。彼女も観たかったろう…と。

千之助くん(浪路)、最近女方で観る機会が多いけれど、女方に進むのだろうか。ほっそりしていて、女方、似合っているような気がする。孝太郎さんに習うことができるしそれもいいのでは、と思うけれど。でもそうなると仁左衛門さんの芸を継いでくれる人はどこに・・・・・・・・(この話もよく友人としたなあ・・・)

【芝浜革財布】
この演目も私は観るのが初めてでした。
いい話だなあ。。。。。。。落語がもとの演目って、本当にいい話が多い。

菊五郎さん(政五郎)、冒頭に真っ暗な中で聞こえてくる「っくしゅん!(クシャミ)」からもうニヤニヤしてしまう。こういう可笑しみって菊五郎さんならではですよね。夜明け前の空気のような、白々とした薄青い照明が綺麗だったなあ。時蔵さん(おたつ)とはもう本当に夫婦!夫婦以外の何物でもない!
夫婦っていいなあ……とすごく羨ましくなってしまった(突然深刻)。

今月眞秀くんが出ているのを知らなくて(歌舞伎好きの丁稚の役柄でした)、「あ、眞秀くんだ」と思ったら、お嬢吉三や弁天小僧の名台詞のオンパレードを聞かせてくれて、すごく楽しかったです。本人もとても楽しそうで、周りの菊五郎劇団の人達の眼差しも温かくて、ほっこり気分にさせてもらえました。
寺島しのぶさんが今月のブログに「それにしてもほぼ80歳の父。凄いです。愛らしいです。あんな働かないで日がな一日飲んだくれてる貧乏人なんですが、奥さんが愛想をつかさないで一緒にいる説得力がある。何だろう。プーさんみたい。眞秀が出演しているおかげで毎日見られる幸福感。長屋にひっそり住む人たちが皆んな素敵です。」(3月7日)と書かれていて。しのぶさんはお父さん(菊五郎さん)が本当に大好きだよね
また、眞秀くんのこんなエピソードも。

眞秀が寝る前に私も添い寝をして話をする。
今日は休演日。明日から6回で千秋楽です。
しのぶ:芝浜っていい話だよねー。お母さん、時蔵さんの役やりたいなー。奥さんが主役みたいな話じゃない?
眞秀:主役は時蔵さんでもヒーマでもないよ。革財布だよ

って。なんか、グッときた。

(3月22日)

眞秀くん、鋭い。素晴らしい。本当にその通りだなあ。主役は革財布だなあ。

この演目は、江戸の風俗を感じられるのも楽しい。
納豆売り(色んな人達が次々と家と訪ねてくるのが楽しい)の「なっとぅなっと~ぅ」。おお、東京下町生まれの母親から聞いてはいたが、本当になっとなっと~って言うんだなあ
菊五郎さんの世話物はそこに出てくる食べ物が美味しそうで、食べたくなってしまうことが多い。
『雪暮夜入谷畦道(直侍)』の蕎麦もそうだし(関係ないけど直侍って河内山と同じく黙阿弥の『天衣粉上野初花』の一部なんですね)、今回はまずこの納豆が食べたくなった。おたつはお碗を納豆売りに渡して、納豆売りは藁の包みから中身を出してお椀に入れてあげてたなあ。藁の包みごと売るわけではないんだね。おたつ「からしたっぷりで」

そして、日本酒と刺身と天ぷら!
歌舞伎に出てくる刺身って必ずマグロのような赤い切り身がお皿に乗っているけど、江戸の人達ってマグロを食べていたのだろうか。カツオを食べていたのは知っているけど。
調べてみました。

まぐろは外海を泳ぐ魚である。江戸時代の関東周辺の場合、漁場は相模湾沖や房総沖だった。しかし早船で送っても、日本橋の魚市場に着くまでは数日かかる。

冷蔵技術のない時代であり、そもそも赤身のまぐろは劣化が早い。そのため、江戸城下のような都市部で生のマグロを食べることは難しかったのである。下等な魚として扱われたのもそのためだが、文化年間(1804〜18)ごろから変化が訪れる。

そのころ関東では銚子を中心に醤油が盛んに作られていたため、切り身にしたまぐろを塩気の強い醤油へ漬け、生のまま安全に届ける保存技術が考案されたのである。いうまでもなく、現代に伝わるヅケである。ヅケは江戸っ子の人気を呼び、まぐろ赤身を中心とした新鮮な魚介からなる、いまの鮨の基礎となったわけだ。

サライ

へ~~~~!マグロのヅケにそんな歴史があったとは!
ああ、江戸時代にタイムスリップして江戸の食事を食べてみたい。どんな味だったんだろう。
江戸の街中でご飯を食べて、お芝居を観て、お団子を食べたりしたい(食べてばかり)。

歌舞伎版のオチは、落語とは違うんですね。
久しぶりのお酒を飲んで、みんなで幸せにニコニコで幕。これはこれでいいな。
舞台の上には、菊五郎さんと左團次さん(大工勘太郎)と時蔵さんの3人。
平和で、温かくて。
今のご時世にこういう人情噺は、沁みるな。。。。。。

仁左衛門が語る、歌舞伎座「二月大歌舞伎」、「三月大歌舞伎」(歌舞伎美人)


歌舞伎座前の交差点。ここを通ると、この道にいた友人や麻央さんの姿を思い出す。ほんの数年前のことなのに夢のよう。人の命って本当に儚いですね…。
麻央さん、今の状況を天国から心配して見ているのではないかな…。






昼の歌舞伎座もいいけれど、夜の歌舞伎座も美しい。

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『春調娘七種』『義経千本桜(渡海屋、大物浦)』 @歌舞伎座(2月15日)

2022-02-17 00:34:35 | 歌舞伎




ブログには書いていませんが、歌舞伎座にはちょこちょこ行っています。
でもオミクロン株が流行り出してからはさすがに自粛していて、でも今月はニザさま一世一代だしな・・・と迷っているうちに月の中旬になってしまい、こんなご時世だしいつ休演になってもおかしくない、観ないで後悔したくない、と意を決して行ってきました。できれば第一部の梅玉さんの『御浜御殿』も観たかったな・・・。

【春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)】
梅枝萬太郎の曽我兄弟+千之助君の静御前。
舞踊の上手下手を見極める目はないけれど、萬太郎の五郎が元気がよくて動きもハキッときまって、見ていて楽しかったです。
春の七草の歌にのった若い3人の踊り。早春らしい澄んだ空気を感じながら、のんびりと拝見しました

(20分間の休憩)

【義経千本桜~渡海屋、大物浦~】
仁左衛門さんの知盛を見るのは、2017年3月に続いて2回目。
基本的には前回書いた感想と同じですが、前回より更に仁左衛門さんの気迫が増していたように感じられました。特に大物浦は凄い迫力だった。
前回いいなと感じた個所に加えて今回いいなと感じたのが、銀平。仁左衛門さんの銀平って、台詞のイントネーションが上方アクセントなんですね。あれ、いい!上方の堅気じゃない親分的な空気が素敵!ニザ様は西のお人ですものね、お似合いなわけだ。一方で吉右衛門さんの鬼平的な大らかな銀平も私は大好きなのですけど。
渡海屋最後の花道の引っ込みは、今回も美しかった。。。。。。。。。発光してた。。。。。。。。。。
安徳帝(梅枝の息子の大晴くん)への知盛の忠義は、松嶋屋が皇室崇拝のご一家だったことを思い出し(孝太郎さんが『終戦のエンペラー』で昭和天皇役をされたときに秀太郎さんがブログにそう書かれていた)、演技がリアルに迫っているのはそういう理由もあったりするのだろうかとか想像しました。
ラストで本当に仁左衛門さんが死んでしまうように感じられたのも、前回と同じ。

ただ、本当に本当に素晴らしい知盛ではあったのだけど、やはり私は吉右衛門さんの知盛が好きだな、と改めて感じてしまったことも前回と同じでした。
『渡海屋』の前の幕間に3階の廊下を歩いていたら亡くなった俳優さん達の写真の一番新しいところに吉右衛門さんの写真が加えられているのを見てしまい、それがとてもいい笑顔のお写真で、もう歌舞伎座であの空気を感じることはないのだなと不思議な気持ちになりました。劇場というのはやはり独特な空間ですね。
仁左衛門さんはどうか、長生きしていただきたい。。。。

脇では、孝太郎さんの典侍の局がよかったな。『渡海屋』の後半でお柳から典侍の局となる空気の変化が素晴らしかったし、『大物浦』も迫力の演技でした。私、このお柳&典侍の局の役って好きなんですよね、可愛らしさと潔さが両方感じられて。
そして左團次さんの弁慶がとてもよかった。大きさも厳しさも優しさも感じられて。仁左衛門さんとお二人並んだところも、最後の花道に一人立ったときの空気も素晴らしかったです。今回は(前回も?)弁慶が眠っている安徳帝をまたぐ場面はないんですね。また法螺貝はご自身で吹いてはおられなかったけれど、それはそれで落ち着いた気持ちで見られるのでよかったです。役者自身が吹くパターンはちょっとハラハラしてしまうので

私はこの演目、知盛が海に身を投げて幕が引かれて、盛大な拍手がおさまって、舞台上に義経達だけが残って、舞台と客席がシンと静謐な空気に変わる瞬間が大好きなんです。知盛の壮絶な死の名残の気配と、鎮魂と、義経達のこの先の運命と、そういった全てを表しているような厳かで透明な清らかさというんですかね。この演目にはいつも浄化の空気を強く感じる。
なのに。
今日の客席、知盛が海に身を投げて幕が引かれると「ニザ様もう出ないし、お芝居は終わり」とばかりに、ハンドバッグのファスナーをジーッと開けてオペラグラスをしまって、ガサガサと帰り支度を始める客達が。舞台上にはまだ義経一行がいるのに!これからが良いところなのに!あんた達本当にこのお芝居に感動したのと聞きたい。まあああいう輩はニザ様だけがお目当てで、芝居なんてどうでもいいんでしょうけど(毒舌失礼)。

以下、覚書。
・マイクがあったので、収録日だったようです。でも前日も収録していたそうなので、色々撮ってるのかも。
・喉の渇きを血で潤す上方だけの演出について、インタビューで「矢を舐める型と薙刀を舐める型があり、どちらかにしようと思っています」と仰っていましたが、この日は矢の血を舐める型でした。相変わらず血がお似合いのニザ様。
・今回の席は3階1列目でしたが、ラストの岩の上の知盛も問題なく見えました。
・仁左衛門さんの知盛は最後で後ろにジャンプはしないんですね。

終演後はいわて銀河プラザで、いつもの冷凍ホヤと、サバのマリネと、今回初めて北上市のロシア料理レストラン「トロイカ」の冷凍ボルシチを買ってみました。
このボルシチ、帰宅してレンチンして食べたら、美味しい。次回はロールキャベツも買ってみたい。
一つだけ残念なのは、トロイカのボルシチにはビーツが使用されていないこと。ビーツが入った本格ボルシチを食べたくなり自宅周辺のロシア料理店を探してみたところ、全然ない。あやしいガールズバーしかない。ロシア料理のレストランってこんなに少ないんですね。今まで割と気軽に食べていた気がしていたので、知らなかった。仕方がないのでレシピを探したところ意外と簡単に作れそうなので、自分で作ってみようと思います。それにしてもほんの2年前には本気で計画していたロシア旅行がどんどん遠くなっていくな。。。

ロシアといえばマリインスキーとイタリアツアー中のゲルギエフとトリフォノフがコロナ陽性となったそうで。お大事に…と感じる前に「ゲルギエフ×マリインスキー×トリフォノフってめっちゃ聴いてみたい組み合わせだな」と思ってしまった私は非情だろうか(今はそれよりも反日!とか言われそうだな)。
記事によると「マリインスキー劇場管弦楽団については先月末、オーケストラのメンバー50名以上に陽性反応が出たが、症状が出ているメンバーなどを除いてモスクワ・ツアーを敢行。その後、イタリア・ツアーに出発した。」。マリインスキーについては今更驚かないけど、イタリアもそれを受け入れてるのか。日本から見ると吃驚だけど、最近の欧州のスタンダードは案外そんな感じなのかも。なんか色々ぶっ飛んでるけど、とにかく皆さんお大事に。。。





トロイカのボルシチ。
ビーツ不使用でも本当に美味しかったので、機会がありましたら是非 肉が柔らかくて、サワークリームもたっぷりで、満足度高し。
(写真はいわて銀河プラザのHPからお借りしました)

※追記
自宅の近くにはなかったけれど、銀座に良さげなロシア料理レストランをみつけました(「ロゴスキー」) 
コロナが落ち着いたら歌舞伎観劇ついでに行こう。
あと丸ビルの「ゴドノフ」とか六本木の「バイカル」とか。やはり東京は揃ってますな。


©松竹

「一世一代と銘打たせていただきました」。
歌舞伎俳優の片岡仁左衛門が「義経千本桜渡海屋・大物浦」で渡海屋銀平実は新中納言知盛を勤めるのは、この『二月大歌舞伎』が最後となる。
「役者には完成というものはないですし、まだまだ勉強したい、まだまだやりたいんですけれど、いかんせん体力がきつい。20kg近い衣裳を身に着けますのでね。この次やらせていただくチャンスがあっても、果たして1ヶ月間自分の納得いくやり方ができるかどうか、お客様に対して恥ずかしくない芝居ができるかどうか。(最後だと)謳っておかないと役者はどうしてもまたやりかねないので自分でブレーキをかけました。今回が最後と言えば、”次でええか”と思っていたお客様にも来ていただける。それを狙ってます(笑)」と語る。
源氏への復讐を遂げようと凄まじい執念で源義経に迫る知盛。初演は平成16年4月の歌舞伎座だった。
「知盛を勤めた先輩方は既にいらっしゃらない。紀尾井町のおじさん(二世尾上松緑)と河内屋のおじさん(三世實川延若)を参考に、私なりにアレンジさせていただいて、私の型を作り上げました。ですからこの狂言には愛着を感じております」と語る。
物語を重視する大阪と、役者の見せ方を大事にする東京と、双方のやり方をミックスして知盛を描いてきたという。大物浦の瀕死の知盛が、自身に刺さった矢を抜き、その血で喉を潤す場面も凄まじい。
「これは東京の先輩方はなさらない、河内屋のおじさんはなさっています。薙刀を舐める型もあり、どちらかにしようと思っています。壮絶な雰囲気を何とか出したいですね」。
東西をミックスした、いわば「仁左衛門型」の知盛だ。
「今回で消えるかもしれませんから、せいぜいよく見といてください(笑)。こればっかりはなさる人が(どの型で勤めるか)選ぶことなので、こちらの方から売り込むものではないんです。(仁左衛門型で)勤めたいと言ってくれる方が現れればもちろん伝えようと思います」。
ぴあ

 仁左衛門は知盛を演じるにあたり、「安徳帝への忠義と源氏への恨み」を意識しているといい、「人物の生き様、戦いの虚しさ。そして忠義も場合によっては虚しさを伴うことがある。そういうことを訴えられれば」と、語ります。知盛が大碇を担いで入水する最後の場面は、「恨みも晴れ、安徳帝を確認したあと心静かに沈んで消えていく。一人の人間として、いろいろとがんじがらめになっていたものから解放されて、散り際、潔さを見せる...一つの武士の生き方」をお客様に観てもらいたいと強調します。 
  せりふを観客へストレートに伝える方法も、常に考えているという仁左衛門。役を演じるにあたり、「意味を伝えるだけではなく、思いを伝えるようにせりふを言うこと」を大切にしていると言います。「“おんてき”という言葉は、相手を尊ぶ“御敵”ではなく、怨む敵で“怨敵”。せりふで『怨敵九郎判官義経を討取って』と言いますが、お客様がその言葉を、“怨敵”ととらえてくださるか」と、神妙な面持ちで話します。「わからなくても雰囲気で汲み取っていただきたいところもありますが、できるだけお客様にわかる言葉で伝えたい。そういう部分はどんどん直している」と、明かしました。
歌舞伎美人

















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中村吉右衛門さん

2021-12-01 23:53:44 | 歌舞伎

吉右衛門さんが、28日に亡くなられたそうです。
たったひと月半の間にハイティンク、フレイレ、吉右衛門さんと大好きな人達が立て続けに旅立ってしまって、呆然としています。また一つ、この世界の色が薄らいでしまった。
母親がメールで「歌舞伎役者ってみんな、静かに終わっていくね」と言っていたけど、本当にそう…。
吉右衛門さんが3月末に倒れられてから亡くなるまで意識が戻ることがなかったということ、今日の記事で初めて知りました。今年7月の歌舞伎座で配役がなされていたので(結果的に錦之助さんが代役をされましたが)、意識は戻られているのだろうと思っていました…。

最後にお芝居を拝見したのは、倒れられる10日前の『楼門五三桐』。吉右衛門さんは昨年秋頃から体調が万全ではないと伺っていて、この月の舞台も吉右衛門さんのご体調を心配する声が多く聞かれていました。けれど私が拝見した日の吉右衛門さんはとてもお元気そうに見え、山門の上の吉右衛門さんが「絶景かな 絶景かな」と仰った瞬間に、舞台も客席も歌舞伎座の建物も超えてどこまでも広がる満開の桜の絶景が見えたんです。あの劇場の空間が果てのない青空と桜色に染まっていて、眩暈がするようだった。あらためて吉右衛門さんという役者の大きさを思い知った舞台でした。

その前に拝見したのは、昨年11月の国立劇場の『俊寛』。千穐楽の日でした。あの日の吉右衛門さんの俊寛は、生も死も超えた場所におられました。「俊寛のさまざまな心情の変化を経て、浄化の域にまで到達できれば役者冥利に尽きる」と仰っていたけれど、あの幕切れの空気はまさに「浄化」という言葉でしか表現できないもので、忘れがたい凄絶な静けさに満ちた舞台でした。

昨年9月には、歌舞伎座の『引窓』とともに、観世能楽堂で撮影された『須磨浦』の映像配信がありました。「伝統歌舞伎はまだ命脈を保っていますよ、忘れないでくださいと、僕は孫の丑之助のためにも申し上げたかったのです。配信をご覧になった方々からは賛否両論ございましたでしょう。・・・なにはともあれ、僕は歌舞伎で大好きな熊谷を演じられただけで、あれ程生の喜びを感じたことはありませんでした。」と後日仰っていた。
この『一谷嫩軍記』の熊谷、『義経千本桜』の知盛、『仮名手本忠臣蔵』の由良之助、『大老』の井伊直弼など吉右衛門さんの多くの当たり役で見られた、劇場中に広がる圧倒的な気迫や大きさと同時に存在する、独特の澄んだ静けさ、透明感、孤独感。それは私が吉右衛門さんという役者に最も惹かれた部分でもありました。賑やかなご家族もおられて、お芝居だけでなく語学や絵画や台本を書く才能にも恵まれていて、なのにどうして吉右衛門さんはいつもそういう空気を感じさせるのだろうと不思議に思っていたのだけれど、あるとき吉右衛門さんの自伝を拝読し、その理由がなんとなくわかったように感じました。4歳で祖父である初代吉右衛門のもとに養子に出された出来事が吉右衛門さんの心に残したものの重さは、私などが簡単に想像できるものではないのだと思う。でもその出来事が吉右衛門さんという役者を作り上げたのも事実で。役者というのはやはり特殊な職業だな、と感じるのでした。私が「役者」という言葉を聞いて一番に思い浮かぶのは、いつも吉右衛門さんの姿でした。

一方で、『石切梶原』の梶原のような明るいお役の吉右衛門さんも、大好きだったな。『松浦の太鼓』の松浦公も、とても可愛らしかった。
歌舞伎座新開場のときの『盛綱陣屋』の和田兵衛も、大きくて素晴らしかった。仁左衛門さんとの共演、もっともっと観たかったな・・・。ベストコンビだと私は思っていたのだけれど・・・。

いま数えてみたら、このブログに感想を残しているだけでも、吉右衛門さんのお芝居を45回拝見していました。これが多いのか少ないのかはわからないけれど、思い返すと、吉右衛門さんのお芝居と同じくらいに、舞台の上に見えた吉右衛門さんの周りの空気が目に浮かびます。歌舞伎役者さんは一人一人、舞台の上で違う色を纏っておられる…。

吉右衛門さんの舞台は、どれほど多くの私の知らなかった人間の心の風景を見せてくださったことでしょう。どれほど私の人生を豊かなものにしてくださったことでしょう。どれほど日々の辛いことを忘れさせてくださったことでしょう。
これほど沢山のものをいただいていながら、私から吉右衛門さんに返せたものは何かあっただろうか…。

今夜はきっと、吉右衛門さんに思いを馳せる人達が日本中に沢山いらっしゃることと思います。私もその一人です。
ご冥福をお祈りいたします。

※白鸚さんのコメントより
「幼い頃、波野の家に養子となり、祖父の芸を一生かけて成し遂げました。病院での別れの顔は、安らかでとてもいい顔でした。播磨屋の祖父そっくりでした」と。
このご兄弟の間にも様々な出来事や想いがあったはずですが、白鸚さんのこのコメント、きっと何より吉右衛門さんが嬉しい言葉ではないかなと思います。吉右衛門さんは祖父初代吉右衛門さんと実父初代白鸚さんのことを”「成し遂げた」という言葉を送りたい人”と仰っていました。そして彼らのようになることが自身の目標なのだと(『本の窓 2021年5月号』)。この連載の文章は2月に執筆されたもののようで、そして3月に吉右衛門さんは倒れられました。白鸚さんがこの連載を読まれていたかどうかはわかりませんが、おそらく読まれていたのではないでしょうか。お兄さんから弟への愛情を感じたコメントでした。

※『月刊 本の窓
バックナンバーから、吉右衛門さんがコロナ禍の自粛期間中に描かれていた絵と連載を読むことができます。『俊寛』や『須磨浦』についても語られていますので、ぜひ。吉右衛門さんの美しい日本語の言葉遣いも、ユーモアも、大好きでした。
コロナ禍に描かれていた絵は、お孫さんに残したいからとも仰っていましたね。
この連載以外でも吉右衛門さんの昨年のインタビューを読み返すと、将来の夢が沢山語られていました。ヨーロッパで『俊寛』をやりたい、夫婦で海外旅行がしたい、80歳で弁慶をやりたい、そして孫の丑之助君の小四郎で盛綱を勤めたいと…。

中村吉右衛門より近況ご挨拶【歌舞伎ましょう】

昨年6月の動画です。吉右衛門さん、品があって素敵だなあ。
BGMのドヴォルザークの『新世界』、吉右衛門さんがクラシック音楽をお好きだったことを思い出して、泣けてくる…。他の【歌舞伎ましょう】の動画ではこの音楽は使われていないんですね。吉右衛門さんの選曲だったのかな…。

※「偉大な祖父に追いつきたくて 悩み苦しみ、歩いてきた」(機関誌ヘルシーライフ 2015.8)

※『文芸春秋2020年10月号』より。
自宅では、本を読んだり、台本を直したり、芝居の動きを考えたりしていました。
本は鏑木清方先生の「紫陽花舎(あじさいのや)随筆」を枕元に置いてちょこちょこっと読み返しています。木挽町辺りの描写は、私も新橋演舞場の下を築地川が流れている頃を知っていますから、「ああ、そうだったよね」と思い出にふけることができますし、また、文章が素晴らしいんです。江戸時代の言い方や、お祭りのことなど、いろいろ芝居の役に立つこともあります。先生のお住まいがあった明石町界隈が、かつて外国人の居留地だったことはご本で初めて知りました。低い白塗りの柵があって、芝生があって、おうちの中も見えるくらい開放的な外国人のお宅があの辺にあったと想像すると、素敵だったんだろうな、風の通りもよかったんだろうな、と思います。
吉右衛門さんは、海外の街に行くと何より美術館を訪ねるのがお好きだと仰っていましたよね。音楽も絵もお好きだった吉右衛門さん。
鏑木清方もお好きだったんですね。この週末は吉右衛門さんを偲んで鎌倉の鏑木清方美術館に行ってこようかな…。

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