風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

壽 初春大歌舞伎 @歌舞伎座(1月21日、26日)

2017-01-31 00:22:37 | 歌舞伎




ご無沙汰しておりました
新年のご挨拶はさすがに今更すぎるので省略させていただいて、今年の初観劇の歌舞伎座の感想をば。
21日に『沼津』を、26日の千穐楽に2度目の『沼津』、『井伊大老』、『越後獅子』、『傾城』を観てまいりました。

【伊賀越道中双六~沼津~】
『伊賀越~』は2014年12月に国立劇場で通しを観たことがあるけれど、「沼津」は初めて。
吉右衛門さんがすばらしかった
昨年秋の国立劇場の七段目では少しお元気がないように見えたので、今月はとてもお元気そうで安心しました。吉右衛門さんはこういうお役も、ほんっと上手いですよねぇ・・・。前半と後半で少々別人二十八号すぎではと思わなくもなかったけれど(声も違うし)、可愛い吉右衛門さんと格好いい吉右衛門さんの両方楽しめて嬉し。
平作が実の父でお米が実の妹とわかってからの演技は、「この人は幼いときに里子に出されて、実の家族というものを知らないで今日まで一人で頑張って生きてきたのだなぁ」と、青年なんだけど小さな子供を見るような気持ちで可哀想になる、そんな十兵衛だった。そういう感じは映像で見た仁左衛門さんの十兵衛よりも今回の吉右衛門さんの方が強く感じました(お守りを確認するところなど細かい演技も違うんですね)。
お金と印籠を置いて立ち上がるとき、お母さんの仏壇を一瞬じっと見るところは切なかったなぁ・・・。背中で語る吉右衛門さん。
千本松原での「落ち行く先は九州相良」、見惚れました&聞き惚れました。。。
今月2回観て毎回「ぅ・・・泣」と泣きそうになっちゃったけど、どちらかというと21日の方が抑えた熱さでより話に入り込めたかなぁ。千穐楽の方がはっきりとした熱演ではあったかもしれませんが。
最後に笠を手から落とすところは、2回とも、なぜだかとても美しく見えました。悲しくて美しかった。

他の配役も、歌六さん(平作)、雀右衛門さん(お米)、又五郎さん(孫八)と、安定&理想的なチーム播磨屋の沼津でした。後半を語られた葵太夫さんも、本当に素晴らしかった。
会話の中だけ登場の志津馬は、my脳内では菊ちゃんでした。

そういえば21日には妙な大向こうが一人・・・。普通に話すようなイントネーションで淡々と「はりまや」と・・・。お芝居も他の大向こうさんも良かったのに、あれだけはとても残念&ヒヤヒヤしました・・・。あれなら何も言わないでいてくれた方が有難いデス・・・。

【井伊大老】
幸四郎さんの直弼、優しそうだぁ
幸四郎さんって、新薄雪のパパとか九段目の加古川本蔵とか、そういう女子に優しい役を一番優しそうに演じる役者さんだと思う。
そんな幸四郎さんと、透明感があって可愛らしい玉さまの組み合わせ、とてもよかったなぁ。このお二人は合うのだろうか?と思いつつ観に行ったのだけれど、正室ではなく側室の、若い頃から直弼が一番愛している相手という空気が二人の間にとてもよく出ていて、こちらもちょっと泣きそうになってしまった。
染五郎の主膳と愛之助の水無部六臣がどうも軽く感じられてしまい(まぁ年齢的にも幸四郎さんと対等に見えるのは難しいだろうとは思いますが)、作品の緊張感のようなものはあまり感じられなかったのだけれど、幸四郎さんと玉三郎さんの間の温かさに、なんだかしみじみとした気持ちにさせてもらえたのでした。

明かりの灯った雛壇。
強い風に揺れる庭の桃の木。
桃色の花に暗い夜空から降リ始める白い雪・・・。
観客は桜田門外の変=雪の日だと知ってるから、切なくなる。元禄忠臣蔵などもそうだけれど、古典歌舞伎よりも新歌舞伎の方が「日本の美」と現代の私達が感じる種類の舞台効果が多いのが面白いなぁと思う。江戸時代より現代の人間の方がそういったものに対する憧憬が強いのかもしれませんね。

歌六さん(禅師)、雀右衛門さん(昌子の方)、昼の部の『沼津』から続いてお疲れさまでした!

「一期一会」って井伊直弼の茶道の著書から広まった言葉だったんですね。おお、一つ賢くなった。
大切なのは今日。
昨年末に『Rent』を観てからそのテーマがなんとなくずっと頭にあって。ああ、まただなぁ、と。
十代や二十代の頃には「今を生きる」といった言葉をわかったような気になっていただけで、本当は全然わかっていなかったのだなぁ・・・、とそんな風に思うこの頃です。

【越後獅子】
「五世中村富十郎が得意とした演目でこの度、七回忌追善狂言として上演いたします。」とのこと。
以前仮名手本の力弥でやたらと動きの美しかった記憶のある鷹之資くん。やっぱり動きがとても綺麗。
それ以上のもの(これは旅芸人の悲哀を表した舞踊なのだそうです)はまだ伝わってはこなかったけれど、嫌味のない、いい踊りでした。
観客の方達からの温かい拍手も相変わらず^^

【傾城】
真っ暗な舞台に赤い提灯だけが妖しく連なる吉原の花魁道中から始まる、移りゆく傾城の四季。
ああ、「玉三郎さんの世界」だなぁ、と、そんな風に思いながら観ていました。
玉三郎さんを表現するときに「孤高」という言葉がよく使われるけれど、こういう舞台を観ていると改めてそう思う。
舞台が冬になり、夜空から降る雪を背景に一人立つ傾城の姿には、夜の天守に一人いた富姫の後ろ姿を思い出しました。
でもそれは孤独という意味だけじゃなく。
今回のような舞台を玉三郎さんの「ショウ」と感じる人もいるかもしれないけれど、仮にそうであったとしても、こんな「ショウ」を見せてくれる人はきっと後にも先にも玉三郎さんしかいないだろうと思う。
玉三郎さんが作り上げた、玉三郎さんだけにしか作れない世界。
そんな舞台を見ることができて、私は幸せです。

※追記:玉三郎さんのHPより抜粋。2月1日のご本人のコメント。
昨年12月の「京鹿子娘五人道成寺」と「二人椀久」に続きまして、今年のお正月は久しぶりに高麗屋さんと「井伊大老」の静の方を演じさせて頂きました。「井伊大老」を演じますのは、約40年振りになります。約40年前に、幸四郎さん、吉右衛門さん、私との3人が帝国劇場で三年間ほど幕を開けていました時に上演いたしました。久しぶりにご一緒できましたことを嬉しく思いましたと同時に、北条秀司先生の世界に再び入ることが出来ました喜びも有りました。北条先生の作品は「狐と笛吹き」、「末摘花」、「浮舟」など歌舞伎でも新派でも度々演出をして下さり、ご一緒させていただきました。私が21歳の頃、先代の白鴎さんが国立劇場で「井伊大老」の通し狂言を上演なさいました時に私も出させていただいた思い出がございます。北条先生の、ロマンティックな愛の世界というものを再び感じられた1月でした。また、お人形屋さんの「吉徳」さんが、七段飾りのお雛様を提供して下さり、私の唐織を使いまして立雛の衣裳を作って下さいました。そして徳利は江戸時代中期の物を使って演じさせて頂きまして、本当に久し振りにしみじみとしたお芝居でございました。

Comments (2)
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