風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

天城 湯ヶ島

2022-07-20 11:20:08 | 旅・散歩

先月、ブロック割を利用して湯ヶ島に行ってきました
皆さま、湯ヶ島ってどこにあるかご存じですか?
静岡県伊豆市の天城にあります。
現在静岡の県民割を利用できるのは、静岡、新潟、富山、石川、福井、長野、岐阜、愛知、三重、神奈川、山梨の在住者。
中部地方の県が並ぶ中に一つだけ関東地方の我が県が混ざりめっちゃ違和感を放っておりますが、実は神奈川が隣接しているのは東京、山梨、静岡なんですね~。箱根の山を越えるとそこは静岡!


ずーと自粛していたので、関東の外に出るのは2年半ぶりです。
お隣の県なので鈍行でも行けますが、今回はちょっと贅沢して踊り子号で。
友人が空いている車両を予約してくれたので、乗客も一車両に数人だけでした。新車両で快適


ランチは道の駅「天城越え」の名物、猪丼
天城は地域をあげてのジビエ推しです。
肝心のお味は、、、やはりケモノ臭い
以前湯ヶ島で買ったコロッケはそうでもなかったのだが。
お新香がのってるワサビ型の器が天城ぽいですね。



湯ヶ島はお気に入りの旅先で何度も訪れていますが、今回の旅の目的の一つは井上靖ゆかりの地巡り
井上靖は湯ヶ島の出身で、彼の作品に登場する風景が今もあちこちに残っています。
といっても私は彼の作品はこれまで『天平の甍』しか読んだことがなく(感想はこちら)、作家自身に興味を持ったのは役所広司さん&樹木希林さん主演の映画『わが母の記』を観てから。
今回の旅行にあたって彼の自伝的小説『しろばんば』と映画の原作となった随筆『わが母の記 ~花の下・月の光・雪の面』を初めて読んだのですが、『しろばんば』は子供時代の鮮やかな情景描写や繊細な心理描写が中勘助の『銀の匙』と似ていて驚いた。ああいうタイプの小説が他にもあったとは。『銀の匙』+米映画『スタンド・バイ・ミー』÷2=『しろばんば』という印象
同時に『しろばんば』も『わが母の記 ~花の下・月の光・雪の面』も、客観的で冷静な筆致が新聞記者出身の人が書くような文章だな、とも(全く悪い意味ではなく)。司馬遼太郎さんのような。と感じてから思い出した。この人は新聞記者出身なのだった。毎日新聞社で山崎豊子さんの上司だったんですよね。彼女に「橋は焼かれた」と言ったのが井上さん。

道の駅「天城越え」の中にある伊豆近代文学博物館では伊豆に関係する作家の資料が展示されていて、そのメインが井上靖です。


子供時代に”おぬい婆さん”と住んでいた土蔵の模型。


同じく、土蔵の二階の部屋の再現。


博物館の中庭には、湯ヶ島から移築された旧邸(医者に貸していた母屋)があります。明治23年築。
今回この家の前で蛇に遭遇し、友人が写真を撮ってネットで調べたところ、ヤマカガシという毒蛇でした。日本のヘビの中でも最も強い毒をもっていて、天城全域に生息しているそうなので、行かれる方はご注意を。


内部は、映画で八重(樹木希林さん)が住んでいた家とよく似ていました。二階は見学不可。

それからバスで湯ヶ島に移動し、天城会館の前で下車。天城会館は、井上靖が通っていた湯ヶ島小学校の跡地にあります。小学校は場所を変えて最近まで存続していましたが、2013年に閉校になりました。
湯ヶ島は、町全体が『しろばんば』の舞台。とても小さな町なので、天城会館の観光案内所でいただいた「しろばんばの里散策マップ」を見ながら徒歩で周れます。
「すのこ橋」は修善寺から来るときにバスで通ったので、まず「馬車の駐車場跡」に行き、旧道入口から「旧道」に入り、「旧邸跡」へ。今は道がアスファルトに変わり当時の風景がそのまま残っているわけではありませんが、自分の足で歩いて距離感と空気感を感じられるのが何より楽しい


旧邸跡(先ほど道の駅で見学した建物の移築前の場所)。土蔵のあった場所もちゃんとわかるようになっています。
しかしあの建物はここに残しておいた方が絶対にいいのにな。取り壊されるよりは移築の方が百倍マシだけど、家というのはやはり町も含めてその家なのだと思う。
写真左手の布で補強された木は、いわゆる「あすなろの木」。
母屋と土蔵の位置関係は、こちらのマップがわかりやすいです。以下は抜粋。




旧邸から「上の家」へ。
こちらは、今も当時の場所に残されています。実際に歩くと旧邸の目と鼻の先で、距離の近さに驚く。
その途中の右手にある角地(写真中央)が、「雑貨屋(幸夫の家)」の跡地。
この交差点は、子供達の遊び場だった「四つ辻」。


「上の家」(母八重の実家。本家)。明治6(1873)年築。
公開は不定期(月4日程度)なので、事前確認必須です。
内部は、『しろばんば』を読んだ人ならとても楽しい。
靴を脱いで上がると、小説の中で本家の人達が食事をしていた居間。その奥の縁側から外を見ると、随筆『わが母の記』に登場する「アメリカさんの家」が向かいにあります。マップには載っていないけれど、スタッフの方が教えてくださいました。また、昔のアルバムも見せてくださいました(アメリカさんの写真や当時の建物など)。
急な階段を二階に上がると、肺病のさき子が寝ていた部屋、襖越しに会話をした場所、おしな婆さんの嫁入り道具、おぬい婆さんの葬列を見送った窓、子供達がさき子を覗こうとした柿の木などが見られます。窓からうっすら富士山も。


見学後は、談話室で梅ジュースと小麦饅頭をご馳走になりました
梅ジュースは冷たく、小麦饅頭は熱々で、どちらもとっても美味しい
とお伝えしたら、お饅頭は朝から皆さんで作ってくださった手作りとのこと
朝に家を出て、この頃にはだいぶ疲れていたので、ほっと一息つくことができました。

「上の家」で思いのほか長い時間を過ごした後は、スタッフの方に教えていただいた「光一の家(本屋)」と「営林署跡地(しろばんばの里公園として近々完成予定)」を見てから、廃校となった湯ヶ島小学校のグラウンドを突っ切って(敷地内には井上靖の詩碑や、洪作とおぬい婆さんの像や資料室があります)、「弘道寺」へ。


「弘道寺」と向かいの蓮。
弘道寺は、安政4年(1857)、初代アメリカ総領事のハリスが日米修好通商条約を締結するため江戸に向かう途中で宿泊した寺。その旅程については、こちらのブログ様が詳しいです。


その隣の「天城神社」。さき子と中川先生のデート場所。ユーモラスな表情をした狛犬がいます。
予定時間をだいぶ過ぎてしまっていたので、一旦湯ヶ島温泉にある宿に行き(ここから徒歩数分)、チェックインを済ませました。それから「湯道(ゆみち)」へ。


狩野川沿いの「湯道」。
今は散策路として整備されていますが、洪作達が「西平の湯」に向かった道もこのあたりかな。


男橋から狩野川の下流方面を望む。奥にかかっているのは、落合楼村上(営業中)と眠雲閣落合(閉館)を繋ぐ橋。
眠雲閣落合は廃墟がまだ残っているので、昼間でも薄気味悪いです。窓に人影が見えちゃったらどうしようとか。


映画『わが母の記』のロケでも使われた吊り橋。
手前の赤い屋根は、落合楼村上の我楽多亭。


森を抜けたところにある、「湯本館」。


「湯本館」正面。
川端康成が『伊豆の踊子』を執筆した宿で、趣のある建物です。
ちなみに川端は井上靖の祖父と囲碁を打つため、「上の家」をしばしば訪れていたそうです。


「湯本館」のすぐ隣は、共同温泉「河鹿の湯」。


「河鹿の湯」は、『しろばんば』では「西平の湯」として登場します。小説に登場する場所には必ずこの形の案内板があるので、わかりやすかったです。


「河鹿の湯」の裏を流れる狩野川。


狩野川を渡って、宿のある出会い橋の方へ戻ります。
水が綺麗で、気持ちいい


女橋。その奥は男橋。
猫越川と本谷川がここで合流して狩野川になります。それぞれの川にかかる女橋と男橋が一つに繋がっているので、「出会い橋」。


猫越川を挟んで眺める今夜の宿。
ここの川床が好きで、いつもこちらに泊まります。


これは冬の季節に行ったときの写真ですが、夜の川床。


宿の温泉で汗を流し、夕食処へ。
こんな感じで猫越川を間近に眺められます。
川のせせらぎと風に、日常の鬱憤が消えていく。。。命の洗濯って絶対必要。。。この宿は一人旅の方もウェルカムで、この日も中年の男性がお一人でのんびり川床を楽しんでおられました。半屋外なのでコロナを気にせず食事ができるのもいいところ。


ここはご飯も美味しい(コロナ禍で少々レベルダウンした感も無くもないが)。
天城のアマゴの刺身、わさび鍋、鹿肉などのジビエ料理もいただけます。


今の季節は天然鮎の塩焼きと鮎ご飯も
ところで、天城の特産の一つに椎茸があります。江戸時代に全国で初めて椎茸栽培を成功させたと云われる天城の石渡清助は、井上靖の父方の先祖。石渡家の椎茸栽培は靖の祖父の代まで続いて、『しろばんば』にも石守林太郎として登場しています。

食後は、蛍を見に出会い橋へ
宿のすぐ裏なので、浴衣のままでOK。
蛍は色々な所で見たことがありますが、天城の蛍が一番数が多くて元気もいい。
ピークを過ぎた6月下旬でしたが、雨上がりの暑い夜、新月近くという好条件だったため、今回も沢山の蛍が飛び交うのを見ることができました。

一時間ほどすると蛍達はおうちに帰っていき、空も曇ってきたので我々も部屋に戻り、宿からのお夜食のおにぎりとお持ち帰りにした夕食のデザートをおつまみにして、しばし酒盛り(お酒は友人が自宅から持ってきてくれました。瓶なんて重いのに、いつも有難う)。
そうこうしているうちに日付が変わる頃になり、窓から外を見るとすっかり雲が晴れて、満点の星空が
慌てて友人と外に出ると、久しぶりに見る天の川
もうすぐ七夕のこの日、天の川を挟んで向かい合う織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)もはっきりと見ることができました。
と偉そうに書いてますが、私は織姫がベガで彦星がアルタイルであることを知らず、友人が教えてくれました。重ね重ね感謝。。。
星を見ているとき、名残りのホタル一匹とタヌキの姿がありました。


翌朝の部屋からの眺め。
下を流れるのが猫越川。奥に見える山は井上家のお墓がある熊野山かな。


朝食も川床で。
アマゴの干物や、わさび丼など。
わさび丼は、摺りおろした山葵と鰹節をご飯にのせて醤油をかけて食べる食べ方で、安曇野の大王わさび園でもいただいたことがありますが、これが美味しい!生の山葵さえあれば、自宅でも作れます。


朝の川床も気持ちいい


チェックアウト後は、世古橋を渡る南側の湯道(ちなみにここは梶井基次郎が散歩した道)から熊野山の西側を北上し、市山まで歩きました。


市山にある、東京ラスクの伊豆ファクトリー。
私はラスクは買いませんでしたが、建物内の朝市で、新鮮な山葵の茎とズッキーニと地元の方が作った山葵漬けを購入。「今から月ヶ瀬の道の駅に行くので、どうしようかな」と私が迷っていると、おばちゃん曰く「あそこはここの2~3倍の値段よ!」と。本当にそのとおりでした。


道の駅「月ヶ瀬」の近くでは、『しろばんば』の田んぼアートを見ることができました(これも友人が教えてくれた。感謝)。洪作少年とおぬい婆さんと富士山ですね。


帰りは鈍行で。乗り換えの修善寺駅にて、三島行きの電車をパチリ。レトロな色合いが可愛い
三島駅では、乗り換え時間にご当地グルメ「みしまコロッケ」を食べてみました。意外と売っている店が少なく、駅前のヴィドフランスで購入。玉葱の風味がしっかりあって美味でした。

久しぶりの関東圏外への旅行、心からリフレッシュすることができました。
第7波がくる前に行けたのもよかった。
やっぱり旅はいい
湯ヶ島、観光客が少なくのんびりできてオススメです


◆◆◆オマケ◆◆◆


ピンクで囲った家が「アメリカさんの家」。表札は今も井上さん。個人宅なのでもちろん見学不可です。画像はgoogleストリートより拝借。わかりやすく「洋館」には見えないけど、「上の家」と比べると確かに明らかに洋館ですね。


講談社文庫『わが母の記』巻末より。
この写真でお二人がいるのは、土蔵の裏の一段高くなっている部分(昔は「田んぼ」で、今は芝生になっている部分)かなと。この写真の頃には土蔵はなくなっていて、母屋だけがありますね。

最後に、『しろばんば』より抜粋を。
ここ数年ず~っと鬱々している私なので、自然とこういう部分の抜粋になります 

洪作は言われるままに土蔵を出た。洪作にも、おぬい婆さんはもうそう長くは生きないのではないかと思われた。洪作は暫く庭を歩き廻りながら、この世は憂(う)きことが多いというような試験問題の文章があったことを思い出し、実際に人生というものは憂きことが多いと思った。犬飼が狂ったことも憂きことであったし、おぬい婆さんに老衰がやって来つつあることもまた憂きことであるに違いなかった。洪作は久しぶりで若くして他界した叔母のさき子のことを思い出した。さき子もまた憂きことの一つであった。人生というものが複雑な物悲しい顔をしてその夜の洪作の前に現れて来た。
(『しろばんば』より)





井上靖年譜(井上靖記念館)
湯ヶ島のマップ(かかりつけ湯協議会)
湯道のマップ(伊豆市観光情報サイト)
小説しろばんばの舞台・上の家(伊豆市観光情報サイト)
天城 文学と旅(天城温泉郷観光ガイド)
「上の家」パンフレット

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北鎌倉 円覚寺

2022-07-14 23:01:13 | 旅・散歩




先月、明月院の紫陽花を見に行こうと思い立ち、北鎌倉に行きました。
ほぼ地元と言っていい場所なので、午後にぶらりと。
多少の人混みは覚悟していったけれど、線路沿いの道を左折してすぐに『最後尾』のプラカードに出会うとは予想外であった
私は運がいいのかいつも比較的空いている中でここの紫陽花を見ることができていて、以前台風の後の夕方に訪れたときは貸し切り状態なこともあったので、長時間並んで人混みの中で見る気にはなれず。
そんなわけで回れ右して、近くの円覚寺へ。

昨年値上がりした拝観料(300→500って上がりすぎじゃない?)に「まったく世知辛いねえ」と思いながら境内へ入ると、空いていて気持ちがいい

ふと見ると、お、松嶺院が公開している
ここは公開しているときと、していないときがあって。
100円(お庭の整備料)を払うと拝観できるのだけど、山門脇の目立つ場所に位置しているのに何故か全く目立たず、観光客の殆どは素通りしていく。
入ると案の定、出張ビジネスマンらしき男性が一人だけ。

ここは「遍路みち」として一周できるようになっていて、季節の草花を楽しむことができます。






こんな風に塀越しに眺める山門や仏殿も、風情があっていいですよね。


足元には、可愛らしい紫陽花の鉢植えがいくつも
ここには何度か入ったことがあるけれど、もしかしたら紫陽花の季節に入るのは初めてだったろうか。

と、脇の扉から庭師の方が。
「紫陽花の鉢植え、色んな種類があって綺麗ですね~」とご挨拶すると、「育てた鉢を並べてみました」と。
そして「上の観音様の所からの眺めが一番いいんですよ。甍が見下ろせて」と。
なんか甍(いらか)って良い響きだな。
井上靖の『天平の甍』の浪漫が浮かぶ


なぜ「禁煙」の文字がこんなに大きいのだろう


この紫陽花も装飾花が八重桜みたいで素敵。
ここから上りの階段になります。


上りきったところにある観音様の辺りからの眺め。
写真右手の塀の内側の細い道が、今歩いてきた道です。
静かで、気持ちがいい

観音様の隣は、円覚寺の墓所。
ここには作家や女優さんなどのお墓とともに、オウム真理教事件の犠牲者である坂本弁護士一家のお墓もあります。
私が訪れるときにはいつもお花が供えられていて、この日もお花がありました。
墓誌には3人のあまりに若い年齢と全て同じ年月日が刻まれていて、改めてどのような事件であったのか、現実感をもって迫ってきます。

坂本弁護士は職場もご自宅も横浜でした。
その事件が起きたのは1989年、私が13歳のとき。
その後の教団の選挙活動や連日のテレビ出演、松本・地下鉄サリン事件、坂本弁護士のお母様の横浜駅前での署名活動など、私はあの頃の空気を今も鮮明に思い出すことができるけれど、今の若い世代はそれを知らないんですよね。
教団が「信教の自由だ」と主張すると、坂本弁護士は「人を不幸にする自由など許されない」と答えたそうです。私も完全に同意します。
と同時に、なぜあの教団があれほど多くの信者を生み出したのか、なぜ彼らは麻原のもとに集まり入信してしまったのか、その原因の一端は日本という国の社会にもあったのではと私は思っています。それを省みることなく自分達とは異なる異常者の起こした特殊な事件として片づけてしまうこと、そこから何も教訓を得ることなく事件を終わりにしてしまうことは、坂本弁護士も望んでいないだろうと思う。

坂本弁護士の遺体が発見された新潟県上越市にたつ慰霊碑の背面には、司法修習生だった頃に書かれた『一年生』という題の文章が刻まれているそうです。自閉症の青年の家庭教師をしていたときの経験を踏まえて書かれたもので、「『声なき彼らのような人々』の心を汲み取るような仕事がしたい」と。




遍路の道は、最初の入口の場所に戻ります。
先ほどの庭師の方がいらして、私が「こんなに素敵な所なのに、殆どの方が素通りしていてもったいないですね」と言ったら、「ご縁がある方が入られるんですよ」と。
「縁」って面白い言葉だな、と改めて感じました。
”いつかの人生”からの風が一瞬吹き抜けたような、ちょっと不思議で、ちょっと儚い、でも決して心地悪いものではない、そんな感覚を覚えたのでした。


※坂本弁護士の碑文の全文は、「救う会」の瀧澤弁護士のHPで読むことができます。

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ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団 @ミューザ川崎(7月2日)

2022-07-04 22:05:37 | クラシック音楽



フランソワ=グザヴィエ・ロトケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の日本ツアー初日の川崎公演に行ってきました。
先月から続いた怒涛の観劇・鑑賞祭りもこれで一段落、の予定。
2日前に聴いたカントロフのピアノリサイタルが衝撃的な素晴らしさだったので、間隔をあけずにオーケストラの演奏を聴いて感動できるかな?と少し心配していたのだけど。
いざ行ってみたら、最初から最後までとんでもなく楽しかった
私、マスクの下でずっとニヤニヤしっぱなしでした。

【ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲 第3番 Op.72b】
【サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲 第3番 ロ短調 Op.61】

【J.S.バッハ:無伴奏パルティータ第3番BWV1006よりII「ルール」 *ソリストアンコール】
(20分間の休憩)
【シューマン:交響曲第3番 変ホ長調「ライン」 Op.97】
【ベルリオーズ:歌劇「ベアトリスとベネディクト」より序曲 *アンコール】

のっけから、ああ、海外オケの音だと嬉しくてたまらなくなる。
日本のオケではなかなか聴けない、この自然な解放感&突き抜け感!
ウィーンフィル以外の海外オケを聴くのは2020年1月のサロネン&フィルハーモニア以来で、渇いた土に水がしみ込んでいくような感覚に、自分がどれほどこういう音に飢えていたのかを実感したのでした。

そして、Theドイツの音
1827年に創設された長い歴史と伝統を持つこの楽団が単独で来日するのは今回が初めてとのことですが、このオケの音を聴いて、ヨーロッパの地方都市ってこういう感じだよねえ、と懐かしく感じました。
東京やニューヨークとは明らかに違う、暗さも伴った、温かな素朴さ。
楽団と一緒にそんなケルンの町の空気も運んできてくれたような、オケの音色。
それは特に『ライン』で強く感じることができて、2楽章の素朴な生活味、4楽章の重厚な荘厳さ、5楽章のカーニバルの狂騒、そういった全く異なるものが極めて自然に共存しているところに、オーケストラや街の「歴史」というものを感じました。
街角の肉屋やパン屋のような庶民の生活と、大聖堂の持つ長い長い歴史の重み。その両方が、当たり前に一つの街の空気の中に存在している感じ。ヨーロッパの街角では普通に出会えるこの感覚。
それを、この楽団の演奏から感じることができたのでした。
でも音楽が過去のものではなく私達と同時代のものとしてあるような、”音楽が生きている”楽しさは、おそらくロトの指揮による部分もとても大きいのだろうなと。
私は古楽やピリオド奏法には全く詳しくないけれど、フライブルク・バロック・オーケストラやシフのカペラ・アンドレア・バルカを聴いたときと同じ種類の楽しさを今回の演奏からは感じました。ベートーヴェンやシューマンの時代の演奏会に同時代の人間として私達が参加しているような、そこに全く違和感がない感覚。

 今回のツアーの演目に選ばれたのがベートーヴェンとシューマン。まさにライン地方で活躍した作曲家であり、彼らの名刺代わりともいえる。

 「シューマンは、すでに交響曲全曲を録音するほど力を入れている作曲家。我々にとって交響曲第3番《ライン》が特別なのは、第4楽章がケルン大聖堂のオマージュとして描かれているからです。また、私はケルンから近いボンのベートーヴェン・ハウスを何度も訪れ、彼の自筆譜や手紙を研究しました。これらの作品を日本で上演するため、ナチュラルトランペットや小型ティンパニといったピリオド楽器を持って行くつもりです」
(ロト。Japan Arts

なるほど。カペラ~来日時の元館長さんのトークによると、シフもベートーヴェン・ハウスに足繫く通って名誉会員にまでなってるそうなので、やはり音楽作りでこの人達に共通しているものがあるのかな

以下、覚書です。

・レオノーレのトランペットのバンダは、4階R側客席より(P席だったので、奏者の姿がよく見えた)。やっぱりバンダって楽しい ロトさん、トランペットが鳴り響いているとき、まさに囚人達がその音を聴いているかのように微笑みながらゆったりと首を巡らせていました。

・サンサーンスの協奏曲。樫本大進さんのヴァイオリンを聴くのは初めてで(「情熱大陸」に出演されたときに断片を聴いたことがある程度)、最初のうちはその良さがわかるようなわからないような?だったのだけれど、どんどん音が艶と伸びやかさを帯びてきて、特に二、三楽章は圧巻でした
オケの美しさと相まって、呼吸を忘れて聴き入ってしまった。
大進さん、さすがコンマスだなあ。音楽を導いてる。オケとは違う種類の音だけど、良い化学反応が起きていたと思う。
エキサイティングかつ美しい協奏曲、堪能させていただきました。ブラヴォー!
ソリストアンコールのバッハも、かなり好みなバッハの演奏でした(サンサーンスより好みだったくらい笑)。過剰に歌わず、でも冷たくなく親しみもあり、かつ品もあって。

・シューマンの『ライン』は、上述したように、まるでシューマンの時代のドイツの街角に自分がいるような錯覚を覚えました。クラシック音楽の演奏会では滅多に味わえない感覚。まだしばらく海外旅行には行けないと思われる中で、時空を超えた旅行気分を味わわせてもらえました

・オーケストラアンコールのベルリオーズのラスト、ロトは笑顔全開でニッコニコ

・久しぶりにミューザでオーケストラを聴いたけれど、改めて良いホールだなあと。といってもケルンのようなオケとこのホールの相性はどんなもんだろう?と聴く前は少し心配していたのだけど(どちらかというとロンドン響のような現代的な音色のオケと相性がいいように思うので)、最高に合ってた
客席と舞台が近い親密さがケルン管の洗練されすぎていない素朴な音色と合っていたし、なにより強奏でも音が混濁しないこのホールの音切れの良さがロトが作るメリハリのある音楽と相性ピッタリ。オーケストレーションに問題があると言われるシューマンでも、ちゃんと各楽器の音が埋もれることなく聴こえました。

・オケの弦は、暗めでザラついたTheドイツの音色。といってもバイエルン放送響などはこういう音ではないよね(あちらは、もっと洗練された美音)。今まで聴いたドイツのオケの中で敢えて言うなら、ゲヴァントハウスの音に近いように感じました。素朴で表情豊かな音色。トランペットやトロンボーンやホルンなどの金管も、どんなに強奏でも煩くならない。こんなオケを持つケルンの人々は幸せだ。
また、大編成のオーケストラではなく室内楽を聴いているような親密さは、ロトとの信頼関係の顕れでもあるのだろうなと。
なおtwitter情報で知りましたが、ホルントップは読響の松坂さんという方が臨時で吹かれていたとのこと(もともとアジア系の楽団員も混ざっているオケなので外見だけでは区別がつかない)。その他にも出国前にPCR検査にひっかかり来日できなかった楽団員が数名いたそうです。

・ベートーヴェンで使用された小さなティンパニ、目の前で聴けて楽しかった。ピリオド楽器なんですね。トランペットも。素朴な音色がいいなあ。

・今回のプログラム、オケのお国ものであるドイツものを2曲、指揮者のお国ものであるフランスものを2曲と、バランスの良いプログラムだったな、と今思う。

ああ、本当に楽しい演奏会だった…!
ロト、いい指揮者だなあ。すっかり好きになってしまいました。
twitter情報によると、次回は レ・シエクルと2年後に来日予定とのこと。行けたらいいな


Mo.ロト&ギュルツェニヒ管弦楽団、樫本大進とともに!



都響の演奏会のために来日中のクラウス・マケラと食事をするロト(マケラのインスタストーリーより)。ちょうど親子くらいの年齢差でしょうか。



※来日迫る! フランソワ=グザヴィエ・ロトのインタビュー “聴き手が旅をした気持ちになれるようなプログラムを” 初来日のケルン・ギュルツェニヒ管とともに(Japan Arts

 17世紀からアバンギャルドまで幅広いレパートリーを持つロトに、その好奇心の源泉を聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

 「私が音楽に惹かれるのは、それがまさに旅だからです。これとこれだけをやる、というような限定はしたくない。さまざまな時代のレパートリーを指揮することで、聴き手が旅をした気持ちになれるようなプログラムを作ることに興味があります」


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音遊人

2022-07-02 00:03:51 | クラシック音楽

Q3.「音で遊ぶ人」と聞いてどんな人を想像しますか?
イメージとしてとらえるなら、ゼウス。神の中の神様ですね。神話の中にはミューズやアポロなど、いろいろな芸術の神様がいますが、彼らは音に奉仕している。本当の意味で「音で遊べる人」って、神話の世界にも、われわれ人間の世界にもほぼいないんですよ。ただ、だからこそ「人はみな音遊人である」と言うこともできるかもしれません。
実在する人を直感的にあげるとしたら、ピアニストの藤田真央くんですね。「能動的に音と遊ぶ」ことは、音そのものにしかできません。その点、真央くんは意識的に音と遊ぼうとはせずに遊んでいる、「音、そのものの人」。人はみな、翻弄されるんです。人生にも翻弄されるし、音楽家なら演奏会や曲にも翻弄される。それをのほほんと難なくやっているように見えるのが真央くんなんです。
音遊人になれる人って無垢である人だと思います。誰にも無垢になれる瞬間はあるんですが、真央くんは無垢なままに音と戯れて、音と会話できて、音楽と対話できる。彼は、そんな選ばれた人なんです。でも、基本的に「人はみな音遊人」だと思います。

(ヤマハ「今月の音遊人:山田和樹さん」)

おお、ヤマカズさん(一度も演奏を聴いたことがないのに馴れ馴れしくスミマセン)、すばらしい言葉力!
真央くんは意識的に音と遊ぼうとはせずに遊んでいる、「音、そのものの人」。
真央君の良い時の演奏から感じる魅力って、まさにコレ
その無垢さに凄みさえ感じるのよ。なるほど、真央君はゼウスなんだな、きっと

ところでヤマカズさん&読響は、来年1月にポゴさんとプロコフィエフの協奏曲をやるんですよね。前回聴き逃したので、今回は行きたいと思ってます。ポゴさんの協奏曲って、私はまだ一度も聴いたことがないのである。村上春樹さんは今回もいらっしゃるのかな?

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アレクサンドル・カントロフ ピアノリサイタル @東京オペラシティ(6月30日)

2022-07-01 18:56:25 | クラシック音楽


2019年のチャイコフスキー国際コンクールで一位をとった、フランスのアレクサンドル・カントロフ。
コンクールには全く関心がない私だけど、フレイレが審査員としてあの真央君と並んで選んだピアニストなら絶対に私の好みに違いないと、オペラシティまで聴きに行ってきました。フレイレの追悼コンサートでもこの二人が弾いていて、ゲルギエフも「ネルソンは彼らのことをよく知っていた」と言っていたし。
昨年11月のリサイタルの評判も良かったので楽しみだったけど、いやあ、期待を遥かに超えて素晴らしかった。。。。。。。興奮した。。。。。。。
実はyoutubeで聴いても彼の良さがイマヒトツわからなかったのですが、生で聴くと熱さと冷静さの同居の素晴らしさがわかるね!あと、あの和音の響きの色合い!
開演前には、本人からフランス語と日本語で「どうぞお楽しみください」のアナウンス。kajimoto恒例のこれ、楽しくて好き

【リスト:J.S.バッハのカンタータ「泣き、嘆き、悲しみ、おののき」BWV12による前奏曲 S.179】
【シューマン:ピアノ・ソナタ第1番 嬰へ短調 op.11】
真央君のピアノを初めて聴いたときに「新人類」と感じたけど、今回も同じことを感じました。現在、真央君が23歳(初めて聴いた時は21歳)で、カントロフは25歳。
演奏自体はベテランピアニスト達と比べると二人ともまだ硬さはあるけれど、なんだろうねえ、この落ち着きぶりは。緊張なんて全くしてなさそう。この世代って、人種を超えてこういう感じなのだろうか。ニコニコッと舞台に出てきて、ピアノを弾きはじめると途端に別人になる。
カントロフの弾く色合い豊かな和音の響き Theシューマンな響き 他にも色々な箇所で「シューマンの音だなあ」と感じました。
真央君もシューマンがとてもよかったけど、チャイコン組にはやはり似ているところがあるのだろうか。そういえば真央君と同じく、カントロフもロシア味のある音だったな。インタビューによると、長年ロシアの先生に師事していたとのこと。またカントロフの祖父母(ジャン=ジャックの父母)は、ユダヤ系ロシア人なのだそうです。
ドラマティックさとロマンティックさは真央君と同じだけど、真央君の方はより甘い幻想的な優しさがあって、カントロフの方はより鋭さと微かな狂気と静けさのようなものを感じました。どちらも、個性がしっかりあって素晴らしい。
この日は前半も後半も、曲の間で拍手は起こらず。この歳で完全に客席の空気を支配しているとは。本人は飄々としてるのに。というところも真央君と似ている。新人類だなあ。

ただ今日の演奏、四楽章の半ば辺りは少しダレて、というか長い曲だなと感じられてしまった。これはカントロフのせいというより、曲自体の問題のような気もする。ラストは盛り返して、興奮しました。

(20分間の休憩)

【リスト:巡礼の年第2年「イタリア」から ペトラルカのソネット第104番】
【リスト:別れ(ロシア民謡)】
【リスト:悲しみのゴンドラ II】
【スクリャービン:詩曲「焔に向かって」】
【リスト:巡礼の年第2年「イタリア」から ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」】
前半で既に十分満足だったけど、後半は更にパワーアップ。
カントロフのリスト、大変よい(しかし個性的なプログラムだな
スクリャービンから間を空けずにダンテソナタに続けた流れ、ストーリーがそのまま繋がっているようで、それがちゃんと演奏から感じられて、ゾクゾクしました。
それにしても、25歳で”神曲の音"をどうしてこんなに見事に出せるのだろう。どうしてその空気をこんなに表現できるのだろう。響きに高潔さ、神聖さまで感じさせるなんて……恐ろしい子……。私の25歳の頃のことを思うと、不思議でならない。老成しているというか、なんというか。脱帽です。

プログラムの第2部では、人生との別れを告げ、死後の世界へと直面していきます。私たちの知る世界との惜別です。そして、スクリャービンは『焔』と言っても破壊ではなく、大いなる神秘の啓示に近い宗教的な思考がみられるし、だからこそその後に大いなる闘いとも言うべきダンテの『インフェルノ』を弾く必要があります。生と死の激しい葛藤があって、芸術家は最後にはある種の勝利を得ます。しかし、長調の和音で結ぶのではなく、リストは空虚5度を置いている。闘いに勝ったのか負けたのか、生きているのか死んでいるのかといった結論よりも、ここにいたる旅の全体が人生の何たるかを物語っていると私は思います。
(『ぶらあぼ』インタビュー)

たとえキリスト教文化のフランスでも、25歳でこういうことを考えるものだろうか。考え方がとても大人で、驚く。彼は自分の表現したい世界の景色を明確に持っている人なのだろうな。それが演奏からも伝わってくる。同時にそういうストイックさに、若さも感じる。もちろん悪い意味ではなく。歳とってくると、だんだん考え方がいい加減になってくるのでね。それも悪いことではないと私は思ってますが。どちらも良き。
ちなみに今回予習で聴いたポゴさんの演奏も私は大変好きなのですが、2014年の来日公演で弾いてたんですね。聴きたかったな。

【グルック(ズガンバーティ編):精霊の踊り *アンコール】
アンコール一曲目は、『精霊の踊り』。
大阪のアンコールでは違う曲順だったそうなので深い意味はなかったのかもしれないけど、ダンテソナタ→精霊の踊りの流れにも、一つのストーリーが続いているように感じられました。
しかし、、、私はまだこの曲を冷静な状態では聴けないのでありました…。私がこの曲を生で聴くのはフレイレ以来で(この曲を弾くピアニストは珍しいですよね)、生音の威力というのは物凄くて、聴きながら必死に涙を堪えていました。懐かしく思い出すには、まだ記憶が鮮やかすぎる。
でもフレイレが大切に大切に弾いていたこの曲を、彼が未来への希望を繋いだであろうカントロフがこうして弾いてくれて。そのことにとても慰められました。精霊達が踊っている場所。フレイレは今そこにいるのだろうなと感じた。

【ストラヴィンスキー(アゴスティ編):火の鳥からフィナーレ *アンコール】
そして精霊の踊り→『火の鳥』のフィナーレという流れも、沁みた。。。凄く救われた。。。
私はこのピアノ編曲版を初めて聴いたのですが、あのオーケストラ曲をピアノ曲にしようなどという発想がよく出たものだ。そして成功している。
スクリャービンにしてもこの曲にしても、カントロフは人知を超えた光の世界をなぜ25歳で表現できるのだろう。あの和音の響きが一つの理由だろうと思うけど、それだけじゃない音楽作りの力を彼のピアノからは感じる
この曲もチャイコフスキーコンクールで演奏した曲なんですね。

【ヴェチェイ(シフラ編):悲しきワルツ *アンコール】
【ブラームス:4つのバラード op.10-2 *アンコール】
【モンポウ:歌と踊り op.47-6(歌のみ) *アンコール】
【ブラームス:4つのバラード op.10-1 *アンコール】
ヴェチェイという作曲家は初めて知りましたが、ハンガリー人なんですね。この曲も、とてもよかった。カントロフはこういう曲の空気を作り上げるのが上手いね。
ブラームスもよかったな。op.10-2は優しくて。その静かな空気でしっとりとモンポウが弾かれ(この曲だけタブレットで楽譜見てた)、最後はブラームスの10-1(エドワードバラード)。この曲を聴くのはツィメルマン、アファナシエフに続いて3回目。彼らほどの濃厚さはないけど、ちゃんと暗い音で、スケールも大きくてよき しかし演奏会の最後がこの曲とは
全6曲のアンコール(前日の大阪ではモンポウがなく5曲だったとのこと)。本人も終始嬉しそうな笑顔でとてもご機嫌だったけど、本編からずっとあんな渾身の演奏をして翌日の名古屋公演は大丈夫かい…?とちょっと心配になってしまった。チャイコフスキーコンクールのときも、最初からエネルギー全開で弾いてしまったそうで。

ーチャイコフスキーコンクールのファイナルの舞台で演奏してみて、いかがでしたか?

本当にすばらしかったです。このコンクールのために全力で準備してきたので、アドレナリンもたくさん出て、特別な感情を持ちましたし、本当に疲れました。…というのも、ファイナルでは最初からエネルギーを全然セーブしないで弾いてしまったので、1曲目の1楽章が終わったところで、もう息切れしそうになってしまって(笑)。

ー力の配分とか計画しなかった感じなんですか? でも、見事に弾ききったように見えましたよ。

全然計画しなかったんですよー。事前に2曲をいっぺんに弾いてみるということもしなかったし。まぁどうなるかやってみようという感じで本番に臨んだので。

ーそうなんですか…そのうえ、2曲目にあの大きな曲(ブラームスの2番)を選んでいたんですね。

そうなんですよ。もしかしたら1曲目にブラームスを弾いておいたほうがよかったのかもしれません。なにしろ、チャイコフスキーが終わったときにはもう疲れきっていたから。あの時はどうなるかと思いましたが、でも、再びステージに出てブラームスを弾き初めてみたら、大丈夫でした。

ピアノの惑星journal

アンコールも含め、このピアニストの基本的傾向がわかるような選曲の演奏会だったなと感じました。
NHKの収録が入っていたので、いずれ放送されるのではないでしょうか。
本当にいい演奏会だった。
こんな若い子からこの世界に生きることの価値を教えてもらえるとはね。。。


あんなエキサイティングでドラマティックな演奏をするのに、ピアノを離れるとこの笑顔
このとき私も「かわえー」と思って見てました。
今日のカントロフ、ずっと嬉しそうでしたね。数ヶ月住みたいくらい日本がお気に入りとのことで、オペラシティのホールも気に入ってくれたようだし(インスタに"the amazing Tokyo Opera City Concert Hall"とあげてた)、毎年来てくれるといいな ただこのホール、前回のシフのときも感じたけど、コロナ禍以降に空調でも変えたのか、開演後や休憩後しばらく微かな雑音がするのよね…。あれ、結構きになってしまう。
※カーテンコールの写真撮影はOKでした。私は拍手をしたかったので撮りませんでしたが。


大阪の5曲も既に史上最多アンコールだったのか。日本で気持ちよく演奏してもらえたようで良かった

Alexander Kantorow - Interview at the XVI Tchaikovsky competition (2019)

チャイコフスキーコンクール時のインタビュー。驚くほど自然体だよねえ。

Alexandre Kantorow won the Grand Prix of the Tchaikovsky Competition with this concerto

チャイコフスキーコンクールのブラームスのピアノ協奏曲2番

Alexandre Kantorow performs Stravinsky's The Firebird

マリインスキーオーケストラ公演より、本日のアンコールでも演奏された『火の鳥終曲』。
ゲルギエフ、嬉しそう 協奏曲のソリストがアンコールを弾いているのを舞台上で聴くゲルギエフの姿を見るのも、好きだったんだけどな。もう見られることはないのかな…。

Alexandre Kantorow - Encore in Mariinsky (21.12.2019)

同じく、ヴェチェイ(シフラ編)の『悲しきワルツ』。

※人生の何たるかを物語る壮大な旅(ぶらあぼ
※チャイコフスキー国際コンクール第1位、アレクサンドル・カントロフさんのお話(ピアノの惑星journal
※アレクサンドル・カントロフ(pf)特別インタビュー(杜のホールはしもと
※冷静な眼差しと燃え立つようなパッションの両面を持ち合わせるピアニズム。特別インタビュー(kajimoto

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