風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

K-BALLET TOKYO Winter 2023『くるみ割り人形』 @オーチャードホール(12月2日)

2023-12-30 17:44:41 | バレエ



時は19世紀初め。人形の国では以前よりねずみたちとの領地争いが起こっている。
ある日、ねずみの王様は人形王国に魔法をかけ、マリー姫をねずみに、婚約者の近衛兵隊長をくるみ割り人形に変えてしまう。
魔法を解く方法はただ一つ、世界一硬いクラカトゥクくるみを割るしかない。だがそのためには純粋無垢な心を持つ人間の力が必要だ。
人形の王から命を受けたドロッセルマイヤーはこの人物を探すため、人間界へと旅に出る。そこで出会った少女クララに待ち受けるものは……

久しぶりのKバレエ。
母親がテレビで熊川さんの特集番組を見て、観たい!とのことで、一緒に行ってきました。

実はくるみ割り人形のバレエを観るのは、今回が初めてです。
Kバレエ版はストーリーがオリジナルから変更になっていたり、音楽も多少いじっていたりと、ちょっと独特。
クリスマスの夜の幸福な夢の世界を存分に味わうことができました

舞台美術も素敵だったな~。
背景の部屋の窓が最初は夜なのだけれど、最後の翌朝の場面(クララが目覚める場面)では雪の積もった街の風景が見えていたり。
今回の席は舞台を斜め横から見えるR側のサイド席(バルコニー席ではなくサイド席)だったのだけど、多少の見切れはあったものの、ダンサー達の表情まではっきり見えて、背景美術もちゃんと見えて、とてもよかったです。あちらの世界への入口になっている時計がL側にあったので、それをちゃんと見られたのもよかった。

キャストも皆さんよかったです。特に世利さんのクララと杉野さんのドロッセルマイヤーのコンビにほっこりしちゃいました。
杉野さんのドロッセルマイヤー、カッコよくて、でも不思議な雰囲気も出ていて、素晴らしかった

塚越さん指揮のオケもとてもよかったな。
先日N響で全曲を聴いたときは「バレエなしで音楽だけも、世界を想像できていいな」と思ったものだけれど、こうしてバレエ付きで観ると、やっぱりバレエありは楽しいですね!チャイコフスキーの音楽の楽しさ&美しさと総合芸術であるバレエの素晴らしさを改めて実感しました。

カーテンコールの最後にバンって大きな音と同時に舞台左右からテープがとんで、メリークリスマス&よいお年を!的なメッセージが掲げられたのも、幸福な気分にさせていただきました(ロンドンで観たプリシラを思い出した)。その前だったか向かいのL側の扉から熊川さんが出ていく姿が見えて(いつから鑑賞されてたのだろう?)、それも素敵なクリスマスプレゼントになりました。一緒にいた母も喜んでた


指揮:塚越恭平
管弦楽:シアター オーケストラ トウキョウ

マリー姫:飯島 望未
くるみ割り人形/王子:石橋 奨也
クララ:世利 万葉
雪の女王:成田 紗弥
雪の王:吉田 周平
ドロッセルマイヤー:杉野慧 

キャスト表









Tetsuya Kumakawa K-BALLET TOKY Winter 2023『くるみ割り人形』

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OPEN CLASS (Silvia Azzoni)

2020-04-11 22:11:01 | バレエ




皆さま、ご無事ですか(=「お元気ですか」@コロナ界)。
私はたぶん無事です(=「はい元気です」@同上)。
のどが痛い…まさかとなったり、寒気がする…まさかとなっても、一晩たっぷり寝ると治っているので、たぶん無事かと。でも今は誰もが自分もそうかもしれないと思って行動しなきゃ、ですね。
私はひと月以上前からスーパーで購入したものはみんなヤシノミ洗剤で洗うかアルコール消毒するかしているんですが、意外とそれをしていない人が私の周りに多くて驚いてます。絶対にした方がいいですよ~!
そうそう、先週末に92歳の誕生日を迎えた祖母がコロナのことを「コロ」って呼ぶんです。コロ、なんだか犬みたいで可愛いではないか。。

うちの会社は社食メニューがカレーのみになる日を待つことなく、今週末から一か月間、一部の部署を除き全職員が強制的に在宅勤務になりました。もともと引きこもり派なので在宅勤務は全く苦じゃないのですが、思っていた以上に在宅での仕事が忙しくて想像していたのとちょっと違う。基本の業務は止まっているはずなのに何故なのだ。
でも今日は土曜日。週末は意地でも社用メールは見ない。社のネットワークにも繋がない。メリハリが大事。

さて、明日(4月12日)は、イースターなのだそうです。アメリカやイギリスでは普通に経験したけれど(アメリカの力の入れようは凄かった…)、私はキリスト教徒ではないので、日本でその日を意識することは全くなく。欧州からのSNS情報で今週末なのか、と知ったのでありました。
上記のOn Danceのインスタ記事のイタリア語→英語のgoogle翻訳は次のとおり。

Tomorrow morning at 11, an exceptional open class! We will do an intermediate classic with Silvia Azzoni from Hamburg, accompanied on the piano by Shino Takizawa in live connection from Vienna!
An international super class to spend the Easter Saturday morning together.

復活祭前日の土曜日はEaster Saturdayと言うんだね。と思って調べてみたら、キリスト教的にはEaster Saturdayは復活祭の"次の"土曜日を意味し、復活祭前日の土曜日(聖土曜日)はHoly Saturdayが正式なのだそうです。
しかし一般的にはEaster Satudayという言葉がHoly Saturdayを意味するものとして広く使用されてしまっているため、混同を避けるために復活祭の6日後の土曜日にはBright Saturdayという言葉が使われているとのこと(by wikipedia)。

インスタの記事はハンブルク・バレエ団のシルヴィア・アッツォーニがハンブルクの自宅(ということはリアブコの自宅でもあるのか)でオープンクラスをする動画がライブで公開されるよ、という内容。そして見てみたわけですが
アッツォーニ、あいかわらず女神さま
なんて美しいんだろう。。。。。。。。。。。。。。。。。。
アッツォーニって私より3つ年上なんですよね。なんて美しい体。。。。。なんて美しい動き。。。。。彼女はいつも「人間という生物の美しさ」をいっぱいに感じさせてくれる。
作品を踊っているわけでもなく、ご自宅の一室でレッスンをしているだけなのに(お嬢さんのお部屋?可愛らしい)、あの体の動きの美しさを見ているだけで一時間があっという間。
ウィーンからの志野さんのピアノもとっても素敵(なので音質がイマイチなのが残念ではある)
このお二人を東京で観たのは、えーと、ちょうど1年前か。

はぅ、バレエが観たい。
来月のベジャール・バレエ団の来日キャンセルの情報はまだ来てないけど、まあどう考えてもキャンセルですよね。私的に最高の席がとれていたのになあ スイスも感染者が多いし、皆さん大丈夫かな。などと他国の心配をしている余裕は、もはや今の日本にはないのであった。
うちの近所のデパートやショッピングモールはスーパーとドラッグストアを除いて悉くクローズしています。こんなことは私のこれまでの人生で初めて。あ、子供の頃の正月の三が日の街はこんな感じだったな。
でも人通りが減り、春の花が満開で、心なしか街の空気が澄んでいる気がします。

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フェリ、ボッレ&フレンズ Aプロ @文京シビックホール(8月1日)

2019-08-03 15:24:33 | バレエ



Aプロ3日間のうちの2日目に行ってきました。

― 第1部 ―

「カラヴァッジオ」
振付:マウロ・ビゴンゼッティ
音楽:ブルーノ・モレッティ(クラウディオ・モンテヴェルディより)
メリッサ・ハミルトン
ロベルト・ボッレ

カラヴァッジオの絵画って決して綺麗なだけのものではないけれど、この作品はそんな彼の中の純粋な綺麗な部分を見ているような、そんな感じがしました。音楽もそういう風でしたし。彼が最後まで手元に置いていたという『法悦のマグダラのマリア』を思い出したりして(あれもただ美しいだけの絵ではないよね)、彼はどういう気持ちだったのかな、とかそんなことをとりとめもなく思ったりしながら、イタリア絵画から抜けでてきたような美しさの舞台上の二人を観ておりました。人間の身体って本当に美しいねえ。
ハミルトンってその肉体からもっと体操選手ぽい踊りをする人なのかなと勝手に想像していたのだけど、決してそれだけではなく、ボッレとのコンビがとてもよかったです。ひとつの完璧な美の世界だなあ、と。

「フォーリング・フォー・ジ・アート・オブ・フライング」
振付:ナタリア・ホレチナ
音楽:ヨハン・セバスティアン・バッハ
シルヴィア・アッツォーニ
アレクサンドル・リアブコ

初めて彼らを観た『シルヴィア』のときと同じく、作品の内容はわからないのに(今回はプログラムを買っていないのです)、感動してしまう二人の踊り。
リアブコがアッツォーニを腕に抱く一瞬のタイミングとかに(腕の出しかたの速度とか角度とか)、不意打ちのように心臓がぎゅっと掴まれて、それが心と瞼の裏から離れなくなる。絶対に冷静に計算されてやっている動きのはずだけれど、彼自身の心や魂から出た動きにしか見えないあの感じは、数いるダンサーの中でもリアブコに特に強く感じるもの。仮にぼーっと観ていたとしても、はッとさせられて魅了されてしまう。
そしてアッツォーニ。あの小さな身体の全身から発せられる強烈な表現力!ミューズの清らかさ!リアブコにとって彼女は”光”なのだろうな、なんて感じながら観ていました。
視界に入っていなくても互いが見えているような鉄壁のパートナーシップは、今更言うまでもなく。
本当に、奇跡の夫婦ですよねえ。こちらもひとつの完璧な美の形だなあと思いました。

『カラヴァッジオ』とこの作品を続けて観て、ベジャールの『ライト』を思い出していました。一人の人間と、その”光”。

「ボレロ」
振付:ローラン・プティ
音楽:モーリス・ラヴェル
上野水香
マルセロ・ゴメス

水香さんの踊りを見るのは二度目なのだけど(一度目はベジャールの第九)、ファンの方ごめんなさい、やっぱり私は彼女の踊りが苦手なのだと再確認してしまった…。リアブコと逆で、魂から出ている動きに見えないと言うか…。プティってフランス的なお洒落さが特徴らしいので(そして水香さんがお気に入りのダンサーだったそうなので)それでいいのかも?とも一瞬考えたのだけど、いやいや軽いお洒落さと魂からの動きは両立するよね、とルグリ&ゲランの『こうもり』を思い出したり。また水香さんの表情や動きが"相手を挑発しながら可愛らしく誘っている"ようにしか見えなくて…。この作品の女性ダンサーはあまり甘さや女くささを感じさせないで躍る方がいいように思うのだがなぁ。
とはいえ、ゴメスもこの作品に合っているかというと???。敢えていうなら、小悪魔風な水香さん&可愛らしさいっぱいのゴメさんのキッチュな二人、みたいに観るといいのかもしれないが、それも変化球すぎるような 
踊り手を選ぶ作品なのだなあ。もっともSNSの評判は絶賛の声が多いので、私にはピンとこなかったというだけなのですが。

― 第2部 ―

「アミ」
振付:マルセロ・ゴメス
音楽:フレデリック・ショパン
マルセロ・ゴメス
アレクサンドル・リアブコ

こういう振付をするなんてゴメスは本当に純粋で可愛い人なんだなあ(知ってたよ!)
ノイマイヤーが『明日に架ける橋』なら、こっちはショパンじゃなく大塚愛の『さくらんぼ』とかはどうだろう(あれは恋愛ソングって?いいと思う!)。だれかこのジャパニーズポップスをゴメさんに教えてあげてください。
カテコではリアブコからゴメスへ投げキッス めっちゃ嬉しそうなゴメたん めっちゃ嬉しそうな客席笑

「クオリア」
振付:ウェイン・マクレガー
音楽:スキャナー
メリッサ・ハミルトン
ロベルト・ボッレ

クラシック音楽の演奏でも時々あるけど、心を感じさせすぎない人間くささを出しすぎない良さってあるよね、とこの二人の踊りを見ていて思うのであった。
いい意味での軽さと明るさ。スタイリッシュで美しかった!
二人のパートナーシップはここでも完璧でした。

「アルルの女」
振付:ローラン・プティ
音楽:ジョルジュ・ビゼー
シルヴィア・アッツォーニ
アレクサンドル・リアブコ

SNSでリアブコのフレデリに彼の『ニジンスキー』を思い出したという感想が多いけれど、それは狂気の踊りだからというだけでなく、彼から”アルルの女”への生々しい恋情があまり感じられないからではなかろうか、と。
彼の目が見ているのは"アルルの女”という生身の女の姿ではなく、既にこの世のものではない何物かに感じられた。生身の人間への恋情によってではなく、自分の閉じられた世界の中で狂っていっているように見えた。そういう意味でニジンスキーの”神との結婚”を思い出させた。
でも”狂気”とは本来そういうものかもしれない、とも思ったり。生身の人間をその人として認識できているうちは狂ってはいないのかもしれない。
そういえば熊哲の『カルメン』のドン・ホセも、最後は相手がどういう人格の女性であるかはもう彼にとっては関係がないのだなと感じたものだった。
世のストーカー達もそうよね(なんて思ってしまうと無邪気に感動しにくくなるが

一方、同じくそこにいない相手への想いに狂う踊りでも歌舞伎の『保名』は違うのよね(生ではニザさまのしかみたことがないけども)。その踊りからあの小袖を着ていたであろう女性の姿が見える。何が違うのかなと考えると、保名は相手の女性とちゃんと純粋な恋人同士だったのよね。一方カルメンやアルルの女はファム・ファタルで、想いは男の一方通行。

このフレデリがヴィヴェットにはどうしようもできない場所にいる存在に捕われているように見えたもう一つの理由は、リアブコとアッツォーニが相変わらず物凄いパートナーシップなので、もし相手がこの世の存在ならアッツォーニが負けるわけがないでしょう、と感じてしまったからでもありました。

それにしてもリアブコのしなやかで美しい踊りよ。。。。ラストのマネージュ?の既に彼の心がこの世にないことがわかる、あちらの世界に行ってしまっているとしか見えない速さ、軽さ。こんなに魅せる踊りが他にあるだろうか。ああ、大好きだ、リアブコの踊り。
そしてアッツォーニの恐ろしいほどの表現力!!!彼女のヴィヴェットの健気なこと、美しいこと、崇高なこと。これまで何度彼女の踊りに平れ伏したくなったことか。リアブコを見ていたくてもアッツォーニからも目が放せなくなってしまうのも、毎度のこと。
本当に、奇跡の夫婦であるなあ。。。。。。尊い。。。。。。
カテコのリアブコの仕草にはいつもアッツォーニへの深い敬愛が感じられて、この姿にも毎度感動してしまう。

― 第 3 部 ―
「マルグリットとアルマン」(全幕)
振付:フレデリック・アシュトン
音楽:フランツ・リスト
マルグリット:アレッサンドラ・フェリ
アルマン:ロベルト・ボッレ
アルマンの父:マルセロ・ゴメス
公爵:アレクサンドル・リアブコ   他

フェリのマルグリットが切ないなあ……
静かな芯の強さと、アルマンへの純粋な愛情と、ふと一人見せる弱さと…。
『椿姫』といったらショパンでしょと思っていたけれど、リストもいいねえ。彼女のマルグリットが静かなメロディーのところとすごく合っていて、これからこの曲を聴くとフェリを思い出しそうだ。

そしてそして、ゴメスのアルマンパパが優しそうでダンディーでめっちゃ素敵
ノイマイヤー版でもパパとの場面が大好きだけど、アシュトン版のこの場面もいい~。
ゴメスパパ大人だしカッコイイし(足腰の弱った演技してたけど隠しきれない素敵さ)、マルグリットはパパと一緒になればきっと幸せになれるよ、と心の底から思ってしまった。二人の間の空気の濃密なこと!

でもやっぱり彼女はアルマンのことを愛しているのだなあ、とパパが帰った後にアルマンが来たときのフェリを見て思うのであった。
何も知らずにソファで無邪気に寝てしまうアルマン。この無邪気さがいいわ~。ボッレのアルマン、正直マルグリットに対する執着の強さはあまり感じられなかったが(爽やか君なアルマン)、44歳でこの屈託のない青年ぽさは素晴らしい!年下のゴメスと全く違和感なく父息子に見える奇跡!!(ちなみにフェリは56歳…!)
アルマンには辛い本心を隠して微笑み、彼から見えないところでふっと笑みが消えるマルグリット。フェリがマルグリットにしか見えない

舞踏会で札束渡されてからの、再びの病床場面。ダンディーなの来た!と思ったらアルマンパパagainではないですか。
アシュトン版はパパが最後に付き添っているのか!しかも息子を呼んであげる?のか!
youtubeでいくつか観たラストシーンのPDDは「ちょ、アルマン、瀕死のマルグリットをそんなにぶんぶん振り回したら死期を早めちゃうでしょうが!」と感じたのだけど、今日の二人にはそれは感じなかったな。フェリのマルグリットは本当に死にそうで、でも二人のPDDには最後にもう一度アルマンに会えたマルグリットの深い喜びと愛情の方を強く感じたから。死はもうあまりにも近くに来てしまっているから、だから二人でいる今この瞬間が彼らにとって何よりも大事なんだとフェリを見ていて感じられたから…。

ピアノは、今回SNSで袋叩きにあっているフレデリック・ヴァイセ=クニッターさん。パリオペの来日の椿姫を弾いた方ですね。他には、私は行っていないけれどWBF2018もこの方だったそうです。今回の強音部分の盛り上がりや速い部分には満足したとは全く言えないけれど、弱音部分の甘く静かな美しさは私はとてもよかったと思いました。そもそもこのリストのロ短調ソナタを私が実演で聴いたことがあるのは色んな意味で滅茶苦茶なポゴレリッチの演奏だけで、そのポゴさんの演奏が好きだったりする私は「ポゴさんの伴奏だったらどんな感じになったのかなあ」と観ながら想像してみたのですよ。速攻で「無理だわ、あの演奏じゃダンサーは踊れないわ」と思いましたです。なので今日の演奏にそこまでの不満は私はないです。そんなことよりフェリが素晴らしかったという印象の方がずっと強い。
ちなみに公爵はリアブコでした(細かい演技してくれてた!)。豪華配役 冒頭の病床のマルグリット役(フェリはすぐ後に赤いドレス&アップの髪型で出てくるのでこの場面は代役が踊っている)は、東京バレエ団の沖香菜子さんだそうです。

全員でのカーテンコール。ゴメス&リアブコは『マルグリットとアルマン』の老けメイク&衣裳のまま『アミ』の振付で踊りながら登場(アミの振付だったことはツイで知った)。可愛すぎる親父達 素晴らしいダンサーばかりが並ぶ綺羅星のような(最後にみんなでクルっと回るように?キメたところの美しさ!)、でもこういう公演ならではのとても温かなカーテンコールでした ボッレ、フェリ、ゴメス、リアブコ、アッツォーニ、ハミルトン、水香さん、幸せな真夏の夜をありがとう。

Bプロのリアブコ&ボッレのOpus100にも心惹かれるけれど、以前に観たリアブコ&イヴァン・ウルヴァンのハンブルクコンビでのそれに大満足させてもらっているので、今回はこれで終わりとします。最近のワタクシのモットーは「足るを知る」なのである。


追記:「衣裳・セットは英国ロイヤル・バレエ団からお借りしています。」とのこと by NBS twitter。へ~。

♦上演時間♦

第1部 19:00 - 19:45
休憩     15分
第2部 20:00 - 20:35
休憩     20分
第3部 20:55 - 21:30

※エンタ・ステージ:ロベルト・ボッレ「『フェリ、ボッレ&フレンズ』は本当に特別な公演」
※Alexandre Magazine:Issue 006 マルセロ・ゴメス&上野水香 独占潜入 『ボレロ』ができるまで
※Alexandre Magazine:Issue 007  アレクサンドル・リアブコ&シルビア・アッツォーニ 至高の芸術家の終わりなき旅
※Alexandre Magazine:アレクサンドル・リアブコが語る、バレエと表現の関係とは。
※SPICE:“バレエ界のレジェンド”アレッサンドラ・フェリ&ロベルト・ボッレにインタビュー~『フェリ、ボッレ&フレンズ』まもなく開幕
※CLASSICA JAPAN:「フェリ ボッレ&フレンズ~レジェンドたちの奇跡の夏~」に出演するダンサーたちのリハーサルにお邪魔しました
※バレエチャンネル:「フェリ,ボッレ&フレンズ」リハーサルレポート vol.1 インタビュー:アッツォーニ&リアブコ
※バレエチャンネル:「フェリ,ボッレ&フレンズ」リハーサルレポート vol.2 インタビュー:上野水香
※バレエチャンネル:「フェリ,ボッレ&フレンズ」リハーサルレポート vol.3 インタビュー:マルセロ・ゴメス


おまけ
公演前に上野に寄り、シャンシャンに会ってきました。
猛暑のため10分待ち程度で、15時~16時の1時間で5回観覧できました。
相変わらず大きなぬいぐるみが動いてるようにしか見えない可愛らしさ


シャンシャン


シャンシャン


シャンシャン


シャンシャン


リーリー


シンシン


文京シビックセンターの展望台(無料!)より。
夕食は同フロアーにあるスカイレストラン椿山荘にて。かつカレーが美味でございました
窓からの眺めもいいし、+300円のドリンクバーにココアがあるのもポイント高し

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スワンロスというか色々ロス

2019-07-27 03:18:16 | バレエ

BILLY ELLIOT FINAL SCENE


マシューのスワンレイクはこれだから困るのよ。。。。。。
2014年のときほどではないにしろ、公演が終わっても日常生活に支障をきたしまくって廃人状態。。。
チャイコフスキーの旋律が耳から離れない。。。

ところで私は映画『リトル・ダンサー』が大好きで、ラストも大好きで(アダム美しい)、ここからマシュー版の白鳥に入った人間なのですが。
今改めて映画を観ると、ザ・スワン役のダンサーの初登場シーンはここじゃないよね、とか色々気付く点もあるのだが。
それよりなにより一番思うのは、基本保守的そうなビリーパパは、この後の3幕のストレンジャー&王子の場面をどんな顔して観たのだろうか、と。きっと目をまん丸にして居心地悪そうに観たのだろうなあ、とか色々想像してしまう
ビリーパパとビリー兄ちゃん、大好きです。

Swan Lake Op.20 : Act 4 Dance of the Little Swans


2014年と同じく、しばらく通勤のお供に欠かせなくなってしまったチャイコフスキー。特にこの旋律を聴くと冷静じゃいられなくなる。この音楽をあの場面に持ってきたマシューは天才。
ところでツイで話題になっていましたが、私も今回使用していた録音(上の動画とは違う音源)は「なんか演奏しょぼい・・・?」と感じました。音質どうこうよりも、金管こんなに下手だったっけ・・・?と。2014年がどうだったかは記憶はないのだけど、あのときはゴメス&クリスの印象が強すぎて演奏まで気が回らなかったし。今回は舞台を観ながら、マシューはなんでこの録音を使っているのかなあ、どうせ録音を使うならもっと上手な演奏を使えばいいのになあ、と思っておりましたです。

Matthew Bourne's Ballet Clips- "Swan Lake"


しかし実のところ今の私はスワンロスというよりも、マーニーロスになってしまっているのでありました。

先日の舞台には大満足だったけど(新演出はアレだったけど)、それでもクリスの王子が好きすぎる。そしてこの映像を観るのだけど、するとゴメスロスになり、またジョナサンロスにもなってしまうのでありました。
ジョナサン、あの来日から1年もたたないうちにあんなことになるなんて、人間の命の儚さにどうしようもない気持ちになる。今回のプログラムの中でマシューは、新演出版をジョナサンとスコット(彼も昨年亡くなったんですよね…)に捧げる、と言っていますね。

Matthew Bourne's Sleeping Beauty - Official Trailer 2015


眠り~のDVDのライラック伯爵を観てマーニーロスを補う私。

Matthew Bourne's Swan Lake - Interview


へえ、リチャード・ウインザーはザ・スワンとストレンジャーを王子自身の一面という解釈で踊っていたんですね。スタンダードな解釈ではあるけれど、なんとなく意外。

Swan Lake - Pas De Deux (Cooper & Ambler)


アダムのザ・スワンはやっぱり無双だなあ。アダム、来年9月にまた『雨に唄えば』で来日してくれますね。「アダムのドンが観られる最後のチャンス」なのだそうで(まあ既に何度も来日しましたしね^^;)。アダムのドン、夜の雨の街でびしょぬれで歌って踊る姿がすごく美しいんですよね。あの場面また観たいな。節約中なのでたぶん行けないけれど。

Matthew Bourne's Swan Lake Cinema Trailer


とりあえずスワンロスでもある私は、10月のこちらを楽しみに生きてゆきます。
おっと、その前に来週のボッレ&フレンズがあった!ゴメさんの踊りを久しぶりに観られて嬉しい

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『マシュー・ボーンの白鳥の湖』 ソワレ @オーチャードホール(7月20日)

2019-07-21 13:54:01 | バレエ




昨夜は5年ぶりに来日してくれたマシュー・ボーンのスワンレイクを観てきました。
仕事が超多忙だったためチケット購入に気がまわらず、数日前にpiaの当日引換券でA席(9500円)を購入。A席だし当日引換券だしどうせロクな席ではなかろうと思っていたら、会場でチケットを受け取って吃驚。ものすごく良い席ではないですか(3階右手バルコニー前方の一番センター側)。当日引換券、あなどれない。前回は3回とも1階席前方で観たので、今回は上階からのスワンを存分に楽しむことができました。そうそう、開演1時間半前に文化村裏のコンビニにいたら、ダンサーさん達がわちゃわちゃ買い物してて、向かいの楽屋口?に消えていきました

さて、2014年に主役を踊ったマルセロ・ゴメス&クリストファー・マーニーは、公演後のインタビューでこんな風に語っています。

マーニー:最初のリハーサルからぼくたちは特別なつながりを感じました。何かカチッとはまった感じがして、強い絆がすぐに生まれた。…振付はただの振付ではなくなり、彼の腕がぼくを支えてリフトするとき、スワンの羽根に守られて宙を舞うような感覚になる。舞台の上でも、目を見るだけですぐに何を考えているかがわかった。初めて一緒に仕事をしたのに、こんなふうになれるとは思いませんでした。

ゴメス:この作品はぼくの人生を変え、舞台での感じ方も変えてくれた、自分にあるとは思ってもいなかった感情を引き出してくれました。舞台の上でこういう自由を感じたことはなかったのです。…これまで踊ったどんな舞台よりも感情が高ぶってしまった。最後に本気で泣いたのは初めてです。
(ダンスマガジン2014年12月号)

この二人によるスワンレイクは今でもmyバレエ観劇史のベスト3に入ったままの衝撃的な舞台だったのだけれど、このインタビューからもわかるように、この作品はザ・スワンと王子の相性が本当に大切で、それがないと「本当の感動」がもらえないのです。
今回観たのはウィル・ボジアージェイムズ・ラヴェル組(ちなみにこの日が二人の楽日でした)。
いやあ、とってもよかった。ゴメス&クリスの相性は別格で、特別中の特別だったのだということを改めて思い知らされたのも事実ですが、それを大前提として、今回の二人の相性はとてもいいと感じました。それだけで安心して舞台を観ていられた。これは本当にこの作品のmy必須条件なので。

一幕。
幕のシルエットの白鳥が舞台奥へ飛んで行くときのおちりがシャンシャンみたいで可愛い。ここで既に白鳥に愛着発生(パンダに嵌った影響がこんなところに出るとは)。ここ、ザ・スワンの生き物としての孤独と美しさを表しているようでいいよね。
若いラヴェルの自然な真っ直ぐな演技、いいなあ。バルコニーから民衆に手を振る場面、最初はたおやかにちゃんと手を振れていたのに途中でおろしてしまって、心が遠くにいって、女王(カトリーナ・リンドン。彼女もとてもよかった!)に注意されてはっとして再び手を振るところ。王子の心が伝わってきて、切なくなった。

スワンク・バーの場面は、私は旧演出のが好きだったかな。衣装を現代風に変えながらあのゴチャマゼ感は残してほしかった。バーの前~湖へ続く流れも圧倒的に旧演出の方が好きではあるのだけど(そしてここのクリスが大大大大好きだった…)、ラヴェル王子が絶望の中で白鳥を目で追う姿が子供のようで、その姿に胸を突かれました。夜一人で泣いていた子供がふと空に不思議な何かが飛んでいるのを見て、その瞬間は辛いことを忘れてそれだけに心奪われて、怖いけれど唯一の光に縋るようにそれを追いかけていくような。純粋でどこか必死な感じ。
SNSではラヴェルとクリスが似ているという感想をよく見かけるけれど、王子のタイプとしては私はあまりそうは感じなくて。
どちらも芯の強い王子だけど、ラヴェル王子の方はまだ世慣れていないまっすぐな男の子ぽい感じ(どうしようもない苦悩感はちゃんとあるよ)。クリス王子はより複雑な内面というか、彼自身の色々な屈託を抱えていそうだった。ラヴェル王子の方が直情型でクリス王子の方が静かな感じ(でも内面は激しいぞ)。どちらも頑固笑。一幕の裸体の男性彫像場面も、クリスはマジマジと彫像が下げられた後の舞台袖まで気になるように見ていたけれど、ラヴェルはもっと無邪気に驚いてる感じ。
しかしこのスワンクバー前と湖では、改めてクリスの踊りは指先からタイミングから全ての仕草に王子という人間の心と内面が表れていたなあ、と思い出してしまった…。でもラヴェルのちょっと硬さのある動きも、若い王子の心が感じられて彼の役作りにとても合っていました。また、童顔なのにときどきふっと踊りに色気を感じさせるときがあって、どきっとした。そういう振付でもあるのだけど、色気を感じさせないダンサーはどんな振付でも感じさせないですから。こういうところはクリスに似ていますね。

二幕。
ザ・スワンが踊っているのを王子が客席側を向いて眺めているところ、クリスは夢の世界を眺めるように眺めていたけれど(ここのクリスも大好きでねえ…泣)、ラヴェルは決して大仰な表情はしていないのだけれど、今にも泣いてしまいそうな必死な目をしてじっと見ているの。この子はいまギリギリのところにいるのだなあと。そうだよね、自殺しようとしていたくらいだものね…。

ボジアーのザ・スワンは時に他の白鳥達の中に紛れ、圧倒的な存在感というのとは違って。野性的で力強くて、でも獰猛な白鳥達をまとめているリーダーらしい心の大らかさも感じられて、ジョナサン・オリヴィエとは違う意味でとてもリアルなスワンだった。孤高のカリスマというよりは、白鳥達の中の一羽がリーダーとして彼らに選ばれている感じ。白鳥王ではなく、リーダー。または兄貴。今回のコンビではそれがとてもいいと感じました。マシューの『眠り~』のラストのように白鳥達が王子を担ぎあげるところは、気まぐれに戯れながらも彼らが王子を獲物にしようとしているようにも見え(そこにザ・スワンが現れるのはそんな彼らを制御しているようにも見え)。白鳥というのは本来そういう獰猛な面がある動物なのだと、ザ・スワンも元々はそういう彼らの仲間なのだと、でも王子だけは特別な存在になってしまったのだな、と。ボジアー白鳥にはそういう感じが強く感じられて・・・ああ・・・。それが恋愛かどうか、人か動物かということは関係なく、出会ってすぐに互いに心が通じ(ザ・スワンは王子を子供の頃からずっと見守ってきたかもだけど)、かけがえのない無二の存在になってしまうことって、あると思う。それは理性で抗えるものではないし、そこに理由もない。相性に説明がつかないのと同じ。
この二幕のザ・スワンと王子の出会いのシーンには、いつも”運命”というものを感じて心が揺さぶられてしまう。大好き・・・。

三幕。
意外なことに、特に期待していなかったボジアーのストレンジャーがとてもよかったのですよ。ロンドンにいかにもいそうな男にも女にもモテるガラの悪いカッコイイ兄ちゃんが突然宮廷の舞踏会に現れて(といっても古典のオディールと同じくゲスト側)、周りを好き放題に弄んでいく感じ。女性達はもちろん、宮殿スタッフの男性にも雑に気まぐれに抱き締めて体をまさぐるストレンジャー(そしてウットリとした表情で頬を赤らめる男性笑)。あのアホくさい鞭を違和感なく使えるストレンジャー。内部は腐敗しているのに形ばかりの洗練と格式を必死に守ろうとする王室と、そんな彼らを裸にするのが楽しげなストレンジャー。初めてこの場面で現実のバッキンガム宮殿が頭に浮かんだ。
ところでストレンジャーって実は全く悪い行動をしてないのよね。宮殿のマナーを無視して横柄に気まぐれに男や女と遊んでいるだけ。でも王子から見ると、あの白鳥が来てくれた?でもなんかおかしい。あの純粋で美しい白鳥じゃない。母親とも男女の濃厚な空気でダンスを踊っていて。ストレンジャーと王子のタンゴの場面は王子の幻想?なのかな。嬉しさ、驚き、混乱、傷つき、王子の心はもう限界で。そして壊れていく王子の心。。。
執事の隣でタバコぷかぷかなボジアーストレンジャーも、男くさい色気があってめっちゃカッコよかったです。この二人、何気に気が合いそうよね笑。


四幕。
ここはもうさあ。。。。。。。。。。
ゴメス&クリスのときも号泣だったんだけど、あのときは「でも死んで二人一緒になれて幸せだったよね」という気持ちが強かったのだけど(なぜなら二人の間の愛が1000%だったから)、今回の二人はとにかく可哀想で 「可哀想・・・」と口に出して言いそうになってしまった。ゴメス&クリスのときのように雪崩のようにぐわぁ~~~~!と感情の波は襲って来なかったけど、「ああ・・・っ」と胸が痛くなった。。。。。王子のしがみつき方もザ・スワンの表情も、なんていうか、若い二人の必死さが胸に痛かった。あれは何故だったんだろうと後から考えたのだけど、そうだ、この二人には”弱さ”を感じるからだ。先程も書いたように二幕のボジアーのザ・スワンと白鳥達の間には「ザ・スワンが隙を与えたら(弱くなったら)白鳥達はあっさりと彼をリーダーと認めずに殺すのだろうな」という自然界の力関係の緊張感が自然と感じられて(それはキング的な圧倒的な存在感がボジアーにないからだけど)。そしてラストの強弱の逆転。こういうところがリアルで胸に迫る。白鳥達の獰猛さと息も絶え絶えの主役二人の対照が際立って、見ているのが辛い。誰かがリンチと言っていたけど、本当にそんな感じ。そしてそれは王子の心がそれだけ暴力的に容赦なく壊れていっているということだから・・・もう・・・

このコンビの四幕にはそういう凄絶な悲痛さがあったので、最後に天窓に王子を抱くザ・スワンが現れるところは、「天国で一緒になれてよかったね」という気持ちよりも、「やっと二人、楽になれたんだね」と感じたのでありました。
ボジアースワンとラヴェル王子には、同世代の友達のようでありながら、やっぱり同性愛の空気も感じました。ザ・スワンの力強い自由さに憧れる王子と、そんな王子を放っておけない兄貴気質なザ・スワン。そしてザ・スワンがそう感じていることは王子に伝わっている笑。ゴメス&クリス→恋人、ジョナサン&サイモン→ガーディアンor父子、ボジアー&ラヴェル→(同性愛の空気のある)友人or憧れのお兄さんという感じ。でもこの関係に無理に名前をつける必要はないのだと思うのでした。

最初のカーテンコールのラヴェルは、呆然とした表情で笑顔なし。そういうところは憑依気質なクリス系か。ダンサーとしてはやっぱり似ているのかも。ボジアーと二人、やりきったという良い顔をしていました。

はぁ。。。。。。よかったよチケットを買ったのが二人の楽日で。。。。。。でなければ確実にチケットを買い足していた。超節約生活を心がけているにもかかわらず、終演後に我慢できずに2000円のプログラムを買ってしまったくらいだもの。
千秋楽のマシュー・ボール&ドミニク・ノース組の当日券にも参戦するか少し迷ったのだけれど、ボジアー&ラヴェルに十分に満足させてもらえたので、そしてこの印象を大切にしておきたかったので、今回のスワンレイクはこの1回で終わりにすることにしました。時には「足るを知る」を実行しないと本当に破産する・・・。しかしマシュー君はいい子だね~。海賊王 来月のシネマのロミジュリは観にいくつもりです。そして彼のザ・スワンを観なかったことを後悔することになるのであろう。

スワンレイク、やっぱり傑作だ。素晴らしい舞台をありがとう、マシュー&New Adventuresの皆さん!!心が洗われました。アジアツアーの次の訪問地は上海とのこと。お気をつけてツアーを続けられますように。

私の次回のバレエ鑑賞予定は、8月のボッレ&フレンズです。


'My dad’s so proud he cries tears of joy': Birmingham student James Lovell talks joy over role in Matthew Bourne's Swan Lake at Hippodrome
ラヴェル君はバレエスクール在学中にボーンによってスカウトされ、卒業を1年早く切り上げた19歳(!)だそうです。労働者階級出身で、初めて踊ったのは3歳のとき。親友の女の子がダンス教室に行っていて、自分も母親に頼んで入れてもらったと。父親には「バレエは女が趣味でするものだ」と反対されていた、と。リアルリトルダンサーだ!と思ったら、この記事のサブタイトルも「He could almost be a real life Billy Elliot.」だった New Adventuresで史上最年少でメインロールを踊ったダンサーとのこと。

INTERVIEW | WILL BOZIER ON TAKING THE SWAN IN MATTHEW BOURNE'S 
"I love the wildness of the Swan. Swans are beautiful characters who can be very protective of their own and will attack if you are too close. I like to make the stranger as mysterious as possible."
ストレンジャー、そうだったんだ。すまぬ、ミステリアス度は低めに見えたが、でもあなたのストレンジャー、かっこよくて大好きよ!

※SPICE「マシュー・ボーンと出演者たちが語る『白鳥の湖〜スワン・レイク〜』~新演出でドラマが濃密に

――スワン/ストレンジャーはどんな人物ですか?
ボジアー:この二役はとても似ていると同時に、とても異なるキャラクターでもあります。スワンはエレガントで静か、穏やかである時と凶暴で襲いかかる二面性があります。一方、ストレンジャーは謎めいたキャラクターで、パーティーで好き放題に振る舞い、人々が畏怖する存在。アダム・クーパーが作り上げたこの役は、子供の頃から一番やりたい役でした。本当に、本当に驚くほど素晴らしい役です。

――『白鳥の湖』で一番好きなシーンは?
ボジアー:物語としては最初から最後までスペシャルですね。あえて言えば、主役のスワンが一番前、後ろに全てのスワンたちが初めて勢ぞろいする場面が好きです。とてもパワフルで、王子と力強いスワンとの一体感が印象深いです。また、後半『白鳥の湖』の有名なメロディーとともに、王子が正気をなくし始めるシーンは、舞台袖で待つ間、いつも鳥肌が立ちます。人間を白鳥に見せる振付、くちばしや翼などの動きはとても難しいのですが、マシュー、アダム・クーパーとスコット・アンブラーが素晴らしい仕事をしています。動きを見れば、何をしようとしているのかが伝わりますから。


マシュー・ボーンの『白鳥の湖~スワン・レイク~』座談会


※ボジアーのザ・スワン、10月に映画館で公開されるそうです。王子はラヴェルではなくリアム・ムーアだけど、彼の王子も観たかったので楽しみ!
ツイで知ったのだけれど、『眠り~』の来日のときボジアーもいたんですね。私の目は99%クリスのライラック伯爵しか見ていなかったからなあ。。

※Chacott:ザ・スワンザ・ストレンジャー役のマルセロ・ゴメス、王子役のクリストファー・マーニーにインタビュー(2014/9)
以前も載せた2014年の公演前のこのインタビュー、久しぶりに読んだら二人ともすごく深いところまで役や相手について語っているんですね。 あれは本当に奇跡のような舞台だった。。。。

クリス :僕自身は作品の中では描かれていないものの王子とザ・スワンは「2人の愛はこの世では受け入れられない」「2人は共に存在しても幸せにはなれない」と悟ったんだと思う。だから作品の最後でザ・スワンは消え去り、王子は死んでゆくけれども、それは「孤独な死」ではなく「恍惚とした喜びに満ちた死」であって、王子が死ぬことで2人は初めて結ばれると思う。

ゴメス:僕も全く同感だな。

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マニュエル・ルグリ Stars in Blue @東京芸術劇場(3月9日)

2019-03-17 03:00:59 | バレエ



ルグリ、スミルノワ、チュージン、アッツォーニ。
好きなダンサーしかいないこの公演。
とはいえ2~3月はピアノリサイタルの予定がいっぱい入っているし…と迷っていたら、ペライアに加えアンスネスまでが公演中止となってしまったため(ペライア大丈夫かなぁ)、3日前にチケットを購入。三千円也。
土曜日の午後にふさわしい、瀟洒なとても素敵な公演でした
歌舞伎の一幕見もそうだけど、一流の公演をこんな風に気軽に手頃な値段で観ることができるのって、最高の贅沢だと思う。

※3階C列右手

『ソナタ』
振付:ウヴェ・ショルツ
音楽:セルゲイ・ラフマニノフ
出演:シルヴィア・アッツォーニ、セミョーン・チュージン
三浦文彰(ヴァイオリン)、田村響(ピアノ)
チュージンと踊るアッツォーニを観て、彼女は小柄なんだなあと、そして踊りや演技のタイプがリアブコにとてもよく似ているのだなあ、と改めて感じたのでした。
ただチュージンとアッツォーニって踊りの相性があまり良くないような(ルグリは二人の相性はいいと言っているけれど)。個性が違い過ぎるのかな。違う個性でも相性がいいと化学反応が起きてかえって面白いこともあるものだけれど。もしまたこの二人を観られる機会があるなら、今度は物語的なバレエで観てみたいなと思いました。

ニコロ・パガニーニ「ネル・コル・ピウ変奏曲」
演奏:三浦文彰(ヴァイオリン)
パガニーニの曲を聴くのは、実は初めてだったような。ヴァイオリンって色んな弾き方ができるんですね~

『Moment』
振付:ナタリア・ホレツナ
音楽:ヨハン・セバスチャン・バッハ / フェルッチョ・ブゾーニ
出演:マニュエル・ルグリ
滝澤志野(ピアノ)
ルグリが素晴らしかった。。。。。。。。
彼の動きが表現するものの密度、強さ、自然さ、魅せ方。そして美しさ。
私はこの人の踊りに対する免疫が少ないので、イチイチ新鮮に感動してしまう。主張しすぎることなくちゃんと主張していた滝澤志野さんのピアノも、ルグリの踊りによく合っていたように感じました。

『瀕死の白鳥』
振付:ミハイル・フォーキン
音楽:カミーユ・サン=サーンス
出演:オルガ・スミルノワ
三浦文彰(ヴァイオリン)、田村響(ピアノ)
ロパ様もそうだったけれど、瀕死のスワンと白鳥の湖のスワンってダンサーの踊り方が違いますよね。瀕死の方はより鳥っぽさを感じる。
スミルノワの瀕死の白鳥は、登場の瞬間から死にかかっていることがはっきりとわかるリアル鳥系で、リアルな肉体の死が前面に出ているように感じられました。それでも品と気高さが失われないのはさすがスミルノワ。
飛ぼうとしても飛べないところ。自分の意思とは関係のない何かにふわあと空から引き上げられているように見えて、そしてガックリと地面に落ちる体。なんだかぞわっとした。
好きなタイプの瀕死かと言われるとそうではないけれど、新鮮でした。スミルノワって意外に現代的なダンサーなのかもしれないと思った。

(休憩20分)

『タイスの瞑想曲』「マ・パヴロワ」より
振付:ローラン・プティ
音楽:ジュール・マスネ
出演:オルガ・スミルノワ、セミョーン・チュージン
三浦文彰(ヴァイオリン)、田村響(ピアノ)
やっぱりチュージンはスミルノワと踊るとしっくりきますね。今回はチュージンだけがソロがなかったのが残念でした。彼のソロ、観てみたい。

『ノクターン・ソロ』「夜の歌」より
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:フレデリック・ショパン 「ノクターン第21番」
出演:シルヴィア・アッツォーニ
田村響(ピアノ)

フレデリック・ショパン「ノクターン 第20番(遺作)」、「華麗なる大円舞曲」
演奏:田村響(ピアノ)

ノイマイヤーの「夜の歌」というのがどういう作品なのかは知らないのだけれど、アッツォーニが最晩年のショパンであるように感じながら観ていました。楽しかったとき、悲しかったとき、そういった人生の色々を思い出しているような。アッツォーニはこんな風に舞台で一人で踊ると体の小ささを完全に忘れさせますね。ルグリやアッツォーニの表現の密度の濃さは本当に素晴らしい。。

続いて田村さんのピアノのみによる「ノクターン第20番」。こちらはショパンが二十歳の頃の作品。『戦場のピアニスト』のイメージが強いけれど、この曲、最後の最後で長調に変わって終わるんですよね(ピカルディ終止というそうで)。アッツォーニが踊った人生を振り返るような最晩年のノクターン21番から青春時代の暗さや悲しみを感じさせるようなノクターン20番に移って、それが最後にふっと長調に変わって、それから「華麗なる大円舞曲」が始まると、なんだか切なくて泣きそうになってしまった。若くして亡くなったショパンの、一番生き生きと華やかだった時代を感じるようで。終わりよければ全てよしという言葉があるけれど、人生ってそういうものではないのではないか、と最近思います。たとえ終わりが悲しいものであったとしても、確かにあった楽しいときも紛れもなく人生の一部で、その人が生きた全ての時間がその人の人生なのだと思う。というようなことを感じながら観て、聴いていました。
今年はショパンの音楽を多く聴けて嬉しい。

モーリス・ラヴェル「ツィガーヌ」
演奏:三浦文彰(ヴァイオリン)、田村響(ピアノ)
気分が変わって、お二人によるツィガーヌ。楽しかった!
よくこうもぴったりと呼吸を合わせられるものだなあ。

『OCHIBA~When leaves are falling~』(新作 世界初演)
振付:パトリック・ド・バナ
音楽:フィリップ・グラス
出演:マニュエル・ルグリ、オルガ・スミルノワ
田村響(ピアノ)
簡単なストーリーがサイトに載っていたけれど、原作を読んでいない私には作品の言いたいことがわかるような、わからないような
スミルノワは生身の女性というよりも、絹の精のように見えました(そういう原作ではではないようだけれど)。絹を求めて遥々東洋に来た男性が女性と出会ってなんやかんやあって、最後彼の手元には絹が残った、的な?って観たまんまやん^^;
ルグリとスミルノワは意外に相性がいいように感じました。まあ相性云々いうほどがっつり一緒に踊ってはいなかったけれど。それにしてもどちらも品格のあるオーラがすごい。

最後は、三浦さんと田村さんによる軽やかな『美しきロスマリン』の演奏にのせてカーテンコール
4人のダンサー達のエレガントさにうっとり
そして三浦さん、田村さん、志野さんが加わった7人で、ポスターと同じにはいポーズ
このカーテンコールがこの公演の魅力をいっぱいに表していたと思う。瀟洒でセンスがよくて、でも決して薄味ではない。ツイッターで多くの人が「大人の公演」」と書いていたけれど、本当にそういう感じの公演でした。素敵だったなあ。
カテコではパトリック・ド・バナも登場
これからもこういう気軽に観に行ける素敵な公演、いっぱい企画してほしいな。

spice:マニュエル・ルグリ『スターズ・イン・ブルー』バレエ&ミュージック記者会見レポート
otocoto:バレエ界のレジェンド、マニュエル・ルグリに『スターズ・イン・ブルー』の新境地について終演直後に聞いた



9日東京公演後(otocotoより)


公式twitterより。17日名古屋公演後。


公式twitterより。志野さんによる撮影だそうです(上手い~


同上


同上。
スミルノワ、神々しい。


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クランコ版『オネーギン』の音楽

2018-11-18 01:36:58 | バレエ

©Roman Novitzky/The Stuttgart Ballet 


マリインスキーのスメカロフはフィギュアのプルシェンコの振付を担当していましたが、羽生くんのフリーで再び話題になっている『ニジンスキーに捧ぐ』も、彼の振付だったんですね。彼は前回の来日では踊っていたけれど(ロパ様の愛の伝説で大臣役だった。あまり好みな大臣ではなかったが…)、今回はどうなんでしょうね。今回のマリインスキーのチケットはあまり売れていないようだけれど、羽生くんファンがプルシェンコ繋がりで観に来てくれたりはしないのだろうか。と、今ジャパンアーツのHPを見たら、今回スメカロフはガラで自作の振付作品を踊るらしいですよー。ここをもっと宣伝したらチケットがはける、ということはないかしら。と言いつつ、私も今回のマリインスキーはスキップいたしますが・・・(ロパ様もヴィシ様もいないし;;)。 ※29日追記:スメカロフは劇場の都合で来日しないことになったそうですー。
今知りましたが、プルシェンコのファーストネームもエフゲニーなのか。キーシンもエフゲニーだし、ロシアってエフゲニーだらけなのだなあ。
以上、余談。

さて公演から日がたって今更ですが、、、書かないではいられないので書かせてくださいまし。

クランコ版『オネーギン』の選曲&編曲って、素晴らしくないですか

 クランコは1952年に、英国のサドラーズ・ウェルズ劇場で上演されたオペラ『エフゲニー・オネーギン』のバレエ部分を振付けた経験があり、以来プーシキンの小説に興味を抱いていた。1964年、ボリショイ・オペラによる『エフゲニー・オネーギン』が映像化されて西側で公開されると、これに触発されてバレエ化を決意するに至った。
 当初はオペラ曲を編曲して使うことを考えており、英国ロイヤル・バレエ団でヌレエフとフォンテインを主役とする作品として話が進んでいたが、オペラ楽曲をバレエに使用するのは前例がないとしてロイヤル・オペラ・ハウスの首脳陣に却下された。自らが所属していたシュトゥットガルトでも同様の結論が下されたため、音楽はシュトルツェに依頼してチャイコフスキーの様々な楽曲を編曲して用いることになった。
 シュトルツェは、『四季』作品37bなどのピアノ曲を全体の3/4ほどに使い、その他はオペラ『チェレヴィチキ』のオクサーナのアリア、幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』などを細かく分けて数か所で使うなど苦心の末、全幕物に仕上げた。ほとんどは移調した上にリズムも変えてあり、またチャイコフスキーによく見られるオーケストレーションから逸脱しないように気をつけたという。
(wikipediaより)

私は『オネーギン』を観たのは今回が初めてで、「バレエ版はオペラ版の曲を全く使用せず、チャイコフスキーの他の楽曲を用いているのが特徴」という知識だけで観に行ったので&クラシック音楽に詳しくないので、てっきりチャイコフスキーのオリジナルの管弦楽曲を使用している(そういう管弦楽曲が存在している)のかと思いながら舞台を観ていたのですよ。
なんて素敵な音楽だろう、帰ったらネットで探して聴こう、と思っていたら。
その殆どが原曲はピアノ曲だったとは・・・

先日の感想でも書きましたが、ヴィシニョーワのタチヤーナが奥のベンチに腰掛けて夢見るように本を読んでいるときの空気がすんごく素敵で、その場面に流れていた音楽と相まって、舞台の上がロシアそのものに感じられたんです。
この場面の音楽は、ロシア的な哀愁と、今これから始まろうとしている恋が悲劇に終わることを感じさせるスペクタクルな予感がゾクゾクするほど素晴らしくて。
プロコフィエフのロミジュリの出会いの場面の”モンタギュー家とキャピュレット家”が、「この恋、絶対幸せに終わらないよね…」と悲劇の運命をはっきり予感させるのと似ていて。
ああ、ロシアの作曲家の音楽ってどうしてこんなに美しい悲劇が似合うのでしょう!!!

この場面でなされている音楽のアレンジは、次のとおり。

①このOp.51-2 "Polka peu dansante"の0:00-1:43と3:43-4:49の間に、


②Op.19-3 "Feuillet d'album"(下記
7:21-9:01)が挿入されて、


この4:15-6:55
の音楽が作られちゃうんですよ! ※ちなみにこちらの動画のタチヤーナは1965年の初演キャストのMarcia Haydee


同様に、②op.19-4 ”Nocturne”(9:03-12:16)が、上記動画の17:20-20:40の音楽になっちゃうんですよ!

元のピアノ曲ももちろん素敵だけれど、
このロシア的&チャイコフスキー的なオーケストレーション、素晴らしくないですか

以上、原曲がピアノ曲であると知ったワタクシの感動の思いを叫ばせていただきましたm(__)m
他の場面のアレンジについても、皆さんネット上で情報をあげてくださっていて、もうありがとうございますとしか。自分では決して辿り着けない情報でした。

それにしても、この音楽にヴィシ様のタチヤーナの似合うことといったら。。。。。。。。。。。


©Roman Novitzky/The Stuttgart Ballet 

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シュツットガルト・バレエ団『オネーギン』 @東京文化会館(11月3日)

2018-11-04 00:12:22 | バレエ

©Damon Winter/The New York Times


半年ぶりのバレエ鑑賞に行ってきました。
6年前のマリインスキー来日で観たヴィシニョーワのバヤがものすごく良くて、もう一度彼女の全幕が観たいとずっと思っていたので、この日を選んだのでした(今回はゲストとしてご出演)。


【第一幕】
『オネーギン』を観るのは初めてで、ストーリーを予習したところ「この役はヴィシ様には合わないのではなかろうか…」と少々不安だったのだけれど、、、

ヴィシニョーワ圧倒的

彼女、やっぱりすごい。
想像を軽く超えてました。
何がすごいってその技術も存在感も半端ないのに、The 女王様なはずなのに、役の前ではその貫禄を完全に消し去る表現力!完璧さを目立たせない完璧さ!
そういうところはロパ様と似ていて、マリインスキー恐るべし。
最初の登場場面で妹から声をかけられたタチヤーナが顔を上げた瞬間に、「イケる(いいタチヤーナ)」と確信しました。顔の表情はもちろんだけど、動いているときも止まっているときも、腕の角度ひとつとっても、一幕のヴィシニョーワは”田舎の令嬢”(そう、田舎臭さもちゃんと出てるのです)で、”読書を好む内気な少女”。ヴィシニョーワの全ての動きに意味があって、全てがタチヤーナという人物を表していて、音楽が彼女と一体になっていて、でもそれが実に自然で、、、ってこれもロパ様のときにここに書いたな。
そして、ロシア文学の小説の中から抜け出てきたような彼女の空気。ロシア人独特の少し翳のある感じがチャイコフスキーの哀愁漂う音楽にとてもよく合っていて。
一幕の庭の奥の椅子で本を読んでいるときの夢みる表情。頭の先から足の先までその姿の美しさ、可愛らしさ(ヴィシニョーワの体型、好きです)。歌舞伎のように舞台写真売ってくれればいいのに!と思ってしまった。そしたらこの場面絶対に買う。
そして手紙を書く場面の彼女の空気といったら!ロシア文学の世界!
ベッドの中で見せる幼い無邪気さ、愛らしさ。ああもうほんと可愛い。恋する少女以外の何者でもない。
そして鏡のPDDでの少女の恋の高揚の中に、そこはかとなく花開き始める大人の女性の色気。
はぁ、素晴らしかった。。。


【第二幕】
そんなわけで一幕ではひたすらヴィシ様のタチヤーナに目が釘づけだったワタクシでしたが、二幕では、

あれ?・・・ジェイソン・レイリーのオネーギンも、もしかしてすごくいいんじゃない?

もしかしたら原作の性格設定とは違うのかもしれないけれど、こういうオネーギン、私はとても好きかもしれない。
パーティー場面の彼は、若さゆえの高慢というよりは(そもそもレイリーはそれほど若くは見えない笑)、世の中や人生の全てに嫌気がさしていて、いま目の前にどんな女性が現れても本気の恋愛をするつもりはないのだな、と感じさせる。でもタチヤーナへの態度は意外に優しいの。手紙は破るけど
この自分自身も含めた全てに苛立ってる感じは、ちょっと椿姫三幕のエルヴェのアルマンを思い出しました(超サイテーな行動しちゃってるけど本当は嫌な奴ではないのだろう、と感じさせるところも)。
ばかだねえ、初恋に少々突っ走り気味になっちゃってはいるけどタチヤーナのような綺麗な心の女性がいかに彼の人生を温かなものにしうるか、後から気付いても遅いのに。。。
そしてそんな彼を「あの人は私の手紙をどう思ったろう…?」と不安そうに遠くから見つめているヴィシ様のタチヤーナが、とっても可愛らしいのです。
ヴィシニョーワのタチヤーナとレイリーのオネーギンは、二人の雰囲気がとてもよく合っていて(いわゆる「この二人は似合ってる」と感じさせる雰囲気があって)、もう少し違うタイミングで出会っていれば、オネーギンがもう少し違う状態のとき(もう少し精神的に大人になったとき)に出会っていれば、とてもいい恋人同士になっただろうにと感じさせる二人で。
だってレイリーのオネーギン、根は優しくて繊細そうだし、きっとタチヤーナを大切にして、彼女の個性を真に理解して愛してくれる恋人になったと思う。ああ、本当に、もっと違うタイミングで出会ってさえいれば・・・。
人生の擦れ違い、人の運命、、、切ないねえ・・・。
決闘を終えたオネーギンを見つめるタチヤーナの目は強い非難や激しい悲嘆を示すものではなく、ただ静かにじっと、透徹する目で見つめていて。それは彼の心の奥まで見つめているようで。こんな目で見つめられたら、オネーギンは非難される以上にたまらなかったろう。

ダンサーとしてのヴィシニョーワとレイリーですが。急拵えのパートナーゆえのぎこちなさがあったことは否定できないけれど、一方で急拵えの二人ゆえの緊張感と個性のぶつかり合いがあって、それが私には好ましく感じられました。いつも思うのですがバレエや歌舞伎の恋人同士の演技って、長年の夫婦のような安定感が必ずしもプラスに作用するとは限らないんですよね。時には必要な擦れやザラツキもある、というか。そういう意味ではヴィシニョーワはおそらく一心同体レベルな踊りができてしまうゴメスのようなパートナーよりも、レイリーとの組み合わせの方がこの作品にはいいのではなかろうか、と個人的には感じました(ゴメさん大好きだけど)。一幕の鏡のPDDは別ですが。レイリーの翳のある風貌もヴィシニョーワとよく合っていました。


【第三幕】

ヴィシニョーワもレイリーも素晴らしい・・・

レイリーのオネーギンは、彼がこれまでに過ごしてきた数年間が目に見えるようで、非常に説得力がありました。
今更タチヤーナに縋っちゃって都合のいい…と感じさせない。
このオネーギンがいつ恋に落ちたかといえば、昔から恋には落ちていたのだろうと思う(本人無自覚だが)。立派な婦人になったタチヤーナを見て心動かされたのではなく、むしろ昔から変わっていないタチヤーナの内面から滲む美しさを今改めて目にして、それがどれほどこの世界の中で貴重なものであるか、自分のような人間の心をどれほど温かく満たしてくれるものであるかを痛いほど思い知ったのだと思う。でもそれに気付くことができたのは、今の彼だからで…。

ヴィシニョーワのタチヤーナはグレーミン公爵と幸せに暮らしてはいるけれど、それに偽りはないけれど、かつてオネーギンを愛したような心で夫を愛せたことは、きっと一度もないのだと思う。夫婦で踊っている場面のヴィシニョーワの表情にそう感じました。公爵はとてもいい人で、心からタチヤーナを愛してくれて大事にしてくれているけれど、、、タチヤーナは心の底から満たされているわけではない。ここのヴィシニョーワの絶妙さときたら!笑みは浮かべているけれど、心が別の場所にあるような。それが露骨じゃなく飽くまで自然なのが、素晴らしいよねえ、本当に。。。。
オネーギンが部屋に訪ねてきたときに机に向かっていたタチヤーナが一瞬で見せた表情は、毅然とした態度をとらなければならないと自分に言い聞かせるもので。つまり、そう強く自分に言い聞かせなければ自分の心が揺れてしまうことがわかっているからで。もし心の底から公爵を愛していてオネーギンが完全に過去の人になっているなら、そんな努力は必要ないものだよね・・・。

だからこそ、そこから彼女が冷静を保てなくなる展開は・・・辛いねえ・・・。
でももうどうしようもないのだ、と。ヴィシニョーワのタチヤーナは、彼を受け入れることはしないと最初から決めている。
ここでヴィシニョーワが見せた自分自身に対しての厳しさ、よかったなあ。それはタチヤーナが人生の様々な出来事を通して身につけたものでもあり、また生まれながらに彼女自身がもっている性質でもあるのだと思う。
このタチヤーナにはそういう美しさがある。

最後に幕が下りるときのヴィシニョーワの表情、気高く美しかったですねえ・・・。決して大仰ではないのにあらゆる感情がつまったその表情は、どんな想いも全て自分で引き受けて生きていく大人の女性の顔に見えました。おそらく人生でたった一度の、二度と持てることはないであろう激しい恋情も全部自分の内に引き受けて、彼女はこの先の人生を生きていくのでしょう。
そしてオネーギンもそれを背負って、これからの人生を生きていくのだと思います。

号泣!!というのとは少し違い、人間の人生や運命というものを2時間で観てしまったような、静かに重く心に響いた舞台でした。
バレエ版『オネーギン』、いい作品だねえ。。。
ヴィシニョーワもレイリーもブラヴォー

カーテンコール。
ヴィシニョーワはもらった花束の中から薔薇の花を一本ずつレイリーと指揮者の方へ。舞台奥の方にいるときも、オケへの拍手の時には、一人だけ腕をいっぱいに前方へ伸ばして拍手していて。最後まで完璧なヴィシ様でありました。

東京シティフィルも今日はよかったよ~やればできるじゃない!(上から目線で失礼。でもそれだけこれまで辛い思いをさせられてきたので…)

ユルゲン・ローゼの装置と衣装も、相変わらず素晴しかった。ああロシア行きたい、と思ってしまった。また、どの衣装もヴィシニョーワにとてもよく似合っていました。
今日の席はLサイドの真ん中辺りだったのですが、ノイマイヤーの『椿姫』や『真夏の夜の夢』のように舞台の端から端まで使ったらどうしましょうと思っていたが、違ったのでよかったです笑。ベッドの中のタチヤーナの演技がよく見えて、下手側での演技もさほど問題なく、いい席でした。

はあ。。。幸せな時間だった。。。。。

あ、最後に脇キャストについて。
快活なオサチェンコの妹オリガは、内気だけど芯はしっかりしたヴィシニョーワの姉タチヤーナと好対照で、なかなかよかったです。彼女はカザフスタン出身なんですね。
レンスキーは・・・これからに期待、かな。彼がどういう人物なのかがあまり伝わってこなかった。でも人の良さそうな明るさはGoodでした。
その他の皆さんも、コールドも、演技が細かく丁寧で、踊りも安定していてよかったです。


~「オネーギン」アレクサンドル・プーシキンの韻文小説に基づくジョン・クランコによる全3幕のバレエ~
振付: ジョン・クランコ
音楽: ピョートル・I.チャイコフスキー
編曲: クルト=ハインツ・シュトルツェ
装置・衣裳: ユルゲン・ローゼ
世界初演:1965年4月13日、シュツットガルト・バレエ団
改訂版初演:1967年10月27日、シュツットガルト・バレエ団

◆主な配役◆
オネーギン:ジェイソン・レイリー
レンスキー(オネーギンの友人):マルティ・フェルナンデス・パイシャ
ラーリナ夫人(未亡人):メリンダ・ウィサム
タチヤーナ(ラーリナ夫人の娘):ディアナ・ヴィシニョーワ(マリインスキー・バレエ プリンシパル)
オリガ(ラーリナ夫人の娘):アンナ・オサチェンコ
彼女たちの乳母:ソニア・サンティアゴ
グレーミン公爵(ラーリナ家の友人):ロマン・ノヴィツキー
近所の人々、ラーリナ夫人の親戚たち、
サンクトペテルブルクのグレーミン公爵の客人たち:
シュツットガルト・バレエ団

指揮:ジェームズ・タグル
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団  

◆上演時間◆
第1幕  14:00-14:45

(休憩 20分)
第2幕  15:05-15:30
(休憩20分)
第3幕  15:50-16:15


©Roman Novitzky/The Stuttgart Ballet 
ロシア文学の世界そのままのヴィシ様
シュツットガルトバレエが舞台写真をあげてくれました!
今日の公爵を踊ったロマン・ノヴィツキーによる撮影。写真もプロ並みですね。彼の公爵もとてもよかったです。誠実で優しそうで品があって。

©Roman Novitzky/The Stuttgart Ballet 

©Roman Novitzky/The Stuttgart Ballet 

©Roman Novitzky/The Stuttgart Ballet 
ヴィシニョーワはレイリーの”his dream ballerina"なんですってThe Suttgart Ballet Blogより)

©Roman Novitzky/The Stuttgart Ballet
こちらは稽古時の写真。この場面のヴィシニョーワの表情…

©Roman Novitzky/The Stuttgart Ballet







Diana Vishneva’s Last Days with American Ballet Theatre | The New Yorker

昨年のゴメスとのABTフェアウェルに向けたオネーギンの稽古風景とインタビュー。
彼女は今年5月に男の子を出産し、今日が出産後初の本格的な舞台復帰だったそうです。そんなブランクは微塵も感じさせない完成度の高さでした。というよりも、より表現の深みを増していたように感じられました。すごいなヴィシニョーワ。。。
前にも書きましたが、私、ヴィシニョーワと同い年なんですよ・・・。楽な方に流れて生きていてはいけないな、と喝を入れてもらった気分です。

Diana Vishneva Bids Farewell to Ballet Theater, but Not to Dance (The New York Times, June 20, 2017)
インスタグラムは若手バレリーナにとって「毒」、世界的プリマが苦言 (AFP, Nov 3, 2018)
どちらも良いインタビュー。


ヴィシ様の先月の投稿より。女神が二人並んでいる。。。

Comments (2)
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ハンブルク・バレエ団 『ニジンスキー』 @東京文化会館(2月12日)

2018-02-13 02:31:02 | バレエ




最終日に行ってきました。
2016年来日公演のガラで抜粋を観て以来、死ぬまでに生で観たいと強く願っていたリアブコの『ニジンスキー』全幕。
想像を超えた素晴らしい作品でした。この作品を今回の来日公演に持ってきてくださって本当に本当にありがとう、ノイマイヤーさん。これで人生の心残りが一つ減りました。

以下、感想を(映像含めても2回しか観ていないので知識・理解不足や記憶違い、見当違いなことも書いてると思いますが…)。


まずはなにより。

リアブコは人類の宝  
※この言葉をダンサーに使ったのは過去にロパ様白鳥に対して一度だけでございます。

この上なく繊細なのにスケールの大きな表現力、しなやかな身体と動きの艶、なにより魂のレベルで強く訴えかけてくる彼の踊りが本当に本当に好き。どうしようもなく目が引き付けられてしまう。

『ニジンスキー』は来日公演に先だってNHKで放映された映像を観ていたのだけれど、生の美しさと迫力は映像とは別物でした(でもリアブコで映像が残ることは感涙)。スヴレッタ・ハウスのセットとライティングの美しさ、バレエリュスの鮮やかさ、第二幕の群舞の迫力、そして光の輪の強烈な存在感。

一幕の冒頭で、バルコニーにいるディアギレフの幻に子供が縋るように飛んで抱きつくところ、切なかった…。今日のリアブコは椅子に片足をついて伸びあがる軽やかさが背に羽根が見えるようで、もうあれだけで私には彼がニジンスキーにしか見えなくなってしまいましたよ…。

イヴァン・ウルバンは、ディアギレフの初演キャストなんですね。ウルバンってリアブコと相性がいいなぁと改めて感じました。二人が全力で踊っても、どちらも迫力負けしない。そして甘くないのにすごく官能的。同性愛の関係で、支配する側とされる側で、そしてニジンスキーのその才能を誰よりも理解していたディアギレフ。冷酷で残酷で、でもある意味ではニジンスキーを本気で愛していた人。ノイマイヤーの描く愛は痛い・・・。
今日の薔薇の精はヤコポ・ベルーシでしたが、中性的な色気があって、ディアギレフが誘惑されるようなあの振りに説得力があって、とてもよかったです。
そして遊戯の若者/レオニード・マシーン(リロイ・ブーン)への一目惚れ度。結局はあんたもこういう可愛い癒し系がお好みなのねー、あんたもただの男だったのねーとも(ニジンスキーも男だけど)。でもここのウルバン、めちゃくちゃ色っぽかった。
ラストでニジンスキーが乗ってきたソリに乗ってのご退場は何か意味があるのだろうか。あそこだけちょっと笑いそうになってしまうのだけれど(あと一幕冒頭のスポットライトが当たってのご登場もちょっと笑いそうになる)。このソリは先月歌舞伎で観たばかりのいざり車みたいだなぁと。女性が男性を乗せて引く演出の使い方も。
しかしニジンスキーとディアギレフの出会いって、どちらの人生にとっても不幸な、でもバレエ界にとっては幸福な、運命の出会いだよねぇ・・・。

エレーヌ・ブシェのロモラ、すごくよかった。聖人ではない、人間の身勝手さ、どうしようもなさのようなものが感じられて。だからこそ最後にニジンスキーを見捨てずにもう一度戻ってくる場面が一層強く胸を打ちました。あれは男女の愛情とは違うものだと思うから一層。
今日の舞台、ロモラだけでなく、全ての人物にこの「人間のどうしようもなさ」のようなものを感じた。人間の不完全さ、弱さ。悩んで、迷って、裏切って、傷つけて、傷ついて。
身勝手さではニジンスキーだって同じだと思うの。子供の頃も結婚した後も家族よりもバレエを選んでいるような場面もありますし、旅先での突然の結婚もディアギレフの感情に対してあまりに無頓着ですし。ロモラはダンサーとしてのニジンスキー(シャイな本人ではなくセクシャルな金の奴隷や牧神)を愛したかもしれないけれど(そんな自分に戸惑っている彼女もブシェは繊細に表現していた)、ニジンスキーも一人の女性としてのロモラを愛していたかというと疑問だと思う。彼はただ自分の心が安心できる場所が欲しかっただけではないのか、と。ディアギレフとの関係もそう。
でもディアギレフの身勝手さも、ロモラの身勝手さも、ニジンスキーの身勝手さも、それが悪いことだと責める気持ちにはならなかった。神様はそういう不完全なものとして私達人間を作ったのだと、そのどうしようもない世界で私達は生きるしかないのだと、そう感じさせられるものが今日の彼らにはあったから。
でも、そういう世界で生き続けるには、ニジンスキーの精神はあまりに繊細で、敏感で、純粋すぎた。
彼のように生まれてしまった人間には、それこそ「神との結婚」をするしか、この世界を生きる術は残っていなかっただろう。

ニジンスキーが私達とは全く別世界の天才ダンサーであり天才振付家でありながらこの舞台を私達が客観的に傍観することができないのは、ニジンスキーの壮絶な孤独感、疎外感、痛みが観客(の少なくとも一部の人達)にとって決して他人事ではないからだと思う。少年時代のノイマイヤーがニジンスキーに惹かれた理由もきっと同じなのではないか。ノイマイヤーはこの作品で「特殊な天才の孤独」を描きたかったわけではないと思う。彼にとって決して生きやすいとはいえない世界に生まれ落ち、その中で自分の居場所を必死に探し求めていたであろうニジンスキーの魂に、ノイマイヤーの魂の何かが共鳴したのではないかな。

リアブコが「ダンサーとしてのニジンスキー」とディアギレフ/ロモラと三人で踊る場面は、『椿姫』で死が近付いたマルグリットがマノンとデ・グリューと踊る場面を少し思い出しました。どれほど望んでも、そこに自分の居場所はない。

アッツォーニのタマラ・カルサーヴィナのスケールと圧倒的な存在感は、もう女神様のようで平伏したくなるレベル。舞台袖から駆けてくるだけで目がいってしまう。アッツォーニの甘くない厳しさが好きです。
リアブコの精神がニジンスキーのようにあっちの世界にいかずにこっちの世界で留まっていられるのは、この世界の女神と結婚したからに違いない。あんな魂を受け止められるのはアッツォーニだけ(断言)。
と、リアルと混同してしまいそうになるほどリアブコがニジンスキーの役そのものに見えてしまったわけです。
この二人は本当に奇跡の夫婦であるなあと、先日の『椿姫』に続いて、今日の舞台を観ながらしみじみと感じました。

ユングが精神科医(一幕冒頭のホテルで登場するのはこの精神科医の方ですね)とニジンスキーの父親役の二役をやっているのは、家族を捨てて若い女と家を出て行った父親の記憶と、ロモラの不倫がニジンスキーの頭の中で重なっているのかな。
ユングの精神科医、ロモラと不倫しながらもニジンスキーのことはちゃんと医者として面倒を見てあげている性格の悪くなさが感じられるというか、あまりヤな人間に見えないのがいいです。これで医者も悪人だったら救いがなさすぎるもの…。

妹ブロニスラヴァ役のパトリシア・フリッツァ。春祭の生贄の踊りがものすごい迫力でかっこよかった。
この作品って、どの役も(ダンサーとしてのニジンスキー役まで)すべてが重要だなぁと生で観て改めて強く感じました。兄役のレイズ・マルティネスも、母役のアンナ・ラウデールも、何もかもが私的には完璧に感じられた今日のキャストでした。
映像と同じく金の奴隷と牧神を踊ったマルク・フベーテもエロくてよかったわ~。

ロイド・リギンズのペトルーシュカの素晴らしさはいわずもがな。映像で観ていたときは気付かなかったけど、二幕でずっと下手に横たわっているんですね。本っ当に容赦なく痛い作品ですよね・・・。

ニジンスキーが何度も両手で抱くように作る輪(そしてそこを擦り抜けていく彼の愛する人達…)。精神を病んだ彼がいつも書いていたのも輪っかの絵だったそうで。それは彼が望んだ世界の安定の形、理想の形だったのかな。ハンブルクバレエ団のマークでもあるあの形。生で観て気付きましたが、大きい方の輪が二幕?で何度も不気味にゆっくりと上下するんですよね。小さい方の輪が家族や自分といった小さな世界で、大きい方の輪は広い意味での世界を表してるとか? 違うかな。 

※追記:ニジンスキーの輪は"perfection"を表してると1919年の自身の日記に書かれてあるそうです(こちらの記事より)

そしてノイマイヤーの音楽の使い方は相変わらず素晴らしいですね。シェヘラザードで踊るリアブコ、すごく軽やかで綺麗だった。
ショスタコ11番はボストン響で生で聴いたばかりだったので最初は1905年の血の日曜日事件の光景がはっきりと浮かんでしまってちょっと困りましたが、民衆達の血を吐くような心の叫びがニジンスキーの心の叫びと重なり、じわじわと総攻撃が迫ってくる不気味さと緊迫感がニジンスキーが周囲や戦争の世界により追いつめられていく過程と重なり、全て終わった後の疲れ果てた諦念も感じさせる悲しみの三楽章・・・で終わると思いきや、まだ「この世界」の物語は終わってはいないのだということをつきつけるような四楽章の鐘の音。

この作品、観る前はニジンスキーが最後に一人狂気の世界へ行ってしまう話なのだろうと思い込んでいたんです。もちろんそれで間違いではないのだけれど、見方によっては正反対の話なんですよね。ラスト、束の間の家族の温かな記憶を最後に、崩壊していくニジンスキーの精神世界。それに呼応するように次々と床に崩れ落ちてゆく兵士達とダンサー達(映像では兵士達しか映っていませんが、今日はダンサー達も倒れていたと思う)。それは彼の中の芸術や闘いが死んでゆく象徴であると同時に、この先の第二次大戦へと続く時代における多くの芸術と兵士達の死も表しているのかな、と。赤と黒の十字の布を体に巻き付け、空間を見つめるニジンスキーの瞳。響き渡る「警鐘」の鐘。
「ニジンスキーにとって狂気に向かっているのは彼ではなく世界の方だった」(ノイマイヤー@プログラム)。では私達にとっては…?狂っているのはニジンスキーなのか、私達なのか。
最後のリアブコのニジンスキーの澄みきった眼は、どんな光景を見ていたのだろう。

幕が下りても、すぐには拍手ができませんでした。が、皆さんも同じだったようで、幕が下りきるまで拍手が起きませんでしたね。クラシック演奏会でもなかなか起きないこの現象。あのリアブコを見てしまっては、とてもすぐに拍手なんてできないよね。リアブコは今月20日で40歳になるのだとか。いつかこの人がいなくなるバレエ界が私にとってどれほど色褪せたものになるだろうと、思わずにいられません。

本日は東京公演最終日なので、カーテンコールでは恒例のSee you againの電飾と金のキラキラ
リアブコからは両手で客席へ投げキッス
一生心に残るであろう舞台を見せていただきました。本当にありがとうございました、ノイマイヤーさん、ハンブルクバレエ団の皆さん!!!
次回の来日も楽しみにしています!
 

◆主な配役◆
ニジンスキー:アレクサンドル・リアブコ
ロモラ:エレーヌ・ブシェ
ブロニスラヴァ・ニジンスカ、妹:パトリシア・フリッツァ
スタニスラフ・ニジンスキー、兄:アレイズ・マルティネス
ディアギレフ:イヴァン・ウルバン
エレオノーラ・ベレダ、母:アンナ・ラウデール
トーマス・ニジンスキー、父:カーステン・ユング
タマラ・カルサーヴィナ:シルヴィア・アッツォーニ
レオニード・マシーン:リロイ・ブーン 
 
【ダンサーとして役を演じるニジンスキー】
 『謝肉祭』のアルルカン:ヤコポ・ベルーシ
 『ばらの精』:ヤコポ・ベルーシ
 『シェエラザード』の金の奴隷:マルク・フベーテ
 『遊戯』の若い男:リロイ・ブーン
 『牧神の午後』の牧神:マルク・フベーテ
 ペトルーシュカ:ロイド・リギンズ
 内なる世界でのニジンスキーの象徴、ニジンスキーの影:
アレイズ・マルティネス、コンスタンティン・ツェリコフ
 

◆楽曲(NHKより)◆
 「前奏曲 ハ短調 作品28 第20」
ショパン:作曲
オンドジェイ・ルッチェンコ

「ウィーンの謝肉祭の道化」
シューマン:作曲
オンドジェイ・ルッチェンコ

「交響組曲「シェエラザード」から」
リムスキー・コルサコフ:作曲
(バイオリン)レオン・シュピーラー、(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、(指揮)ロリン・マゼール

「ビオラ・ソナタ 作品147から」
ショスタコーヴィチ:作曲
(ビオラ)タベア・ツィンマーマン、(ピアノ)ハルトムート・ヘル

「交響曲 第11番 ト短調 作品103「1905年」」
ショスタコーヴィチ:作曲
(管弦楽)ワシントン・ナショナル交響楽団、(指揮)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ


◆上演時間◆
第1部  14:00~15:00
  【休憩 25分】
第2部  15:25~16:45


NIJINSKY AND DIAGHILEV:The Australian Balletの『ニジンスキー』についてのページ。


※NBSのページより。










 
ハンブルク・バレエ団「ニジンスキー」


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ハンブルク・バレエ団 『椿姫』 @東京文化会館(2月4日)

2018-02-09 01:01:25 | バレエ




ハンブルクバレエ団『椿姫』の最終日(コジョカルトルーシュ)に行ってきました。

2014年のパリオペ来日公演のオレリー・デュポン&エルヴェ・モローの椿姫は私にとって5本の指に入るバレエ体験の一つで、東京文化会館の舞台が一瞬で別世界になった奇跡は今もはっきりと覚えています。
その二人と比べるとコジョカル&トルーシュはゴージャス度という点では下がるため「一瞬で別世界」なあの感覚は味わえなかったのだけれど、今回の舞台ではそれが良かった。なぜなら今回の舞台、アッツォーニリアブコのマノン&デ・グリューのこの世ならざる存在感が素晴らしかったから。リアブコ達が神がかった表現力で表わした現実の存在ではない恋人達と、コジョカル&トルーシュのこちら側の世界の恋人達。それぞれの役を四人が見事に踊りきってくれたことでその対比が際立って、パリオペとは全く違うタイプの椿姫を堪能させてもらうことができたのでした。

もっとも、一幕は主役二人の地味さ(あくまでもオレリー達と比べると、ですよ~)に私がまだ慣れず、リアブコ&アッツォーニだけが別格に感じられてしまったのは事実です。紫のPDDも、小柄な体型と可憐な雰囲気のコジョカルはシャンゼリゼを歩くだけで男達の視線を集めるような高級娼婦には見えませんでしたし(華奢な感じは薄幸さが出ていてよかったですが)、二人の感情もぐわっとは迫って来ないなぁと思ったりしていたのだけれど。
二幕、三幕と物語が進んでいくに連れて、愛がはっきりと見えた・・・。

(マルグリットは)毎日つねに死を覚悟して過ごしているのです。・・・マルグリットの病気は本物で、絶望的で不治の、ひどく曲解される病です。そのため、アルマンが彼女をありのままに受け入れ、すべてをひっくるめてまるごと愛しているという考えにおよんだ最初のパ・ド・ドゥで、彼女は言葉を失うのです。そんなことそれまで誰一人として彼女に言ったことがなかったのです。パ・ド・ドゥが終わっても、彼女はまだアルマンを信じられませんでした。しかしストーリーが進むにつれて、彼を信頼するようになります。
(ジョン・ノイマイヤー。公演プログラムより)

白のPDDは、前回来日時に『ジョン・ノイマイヤーの世界』でやはりコジョカル&トルーシュで観たときに「コジョカルの白は切なさの色が濃いなぁ」と感じたのだけれど、今回観てもやっぱりそうでした。特に今回はスローテンポの寂しげな情感を湛えたピアノ演奏もその大きな理由だったと思う。二人だけの幸福の絶頂の時間というよりも、この先に待ち受けている悲劇のフラグが裏に立ちまくりのPDD。ノイマイヤーの指示なのか、コジョカル達の解釈なのかはわからないけれど、とても新鮮でした(というほど多くの椿姫経験はないけれど)。ここのコジョカルは緩くウェーブのかかった髪が可愛かったな。

そして三幕の黒のPDDの激しさ。強引なトルーシュがめちゃくちゃカッコよかった。ここのピアノ演奏は非常にドラマティックで、その音に刺激されて主役二人がどんどん高まっていったように見えました。そこにはっきりと見える愛に泣きそうになった。
黒のPDDの空気って露骨なほどの振り付けなのにいやらしさが全くなくて、この上なく純粋なんですよね。官能的なのに純粋。それが本当に素晴らしいと思う。パリオペの二人も、今回の二人もそうで。ノイマイヤーってすごい、と改めて感じました。

ここから夢にマノン達が現れて、舞踏会で札束渡して、それから次第に静かになってゆくフィナーレへのなだれ込みは、舞台上の四人から放たれる空気、感情に、息をとめて見入ってしまいました。
この日がロールデビュー2日目のトルーシュのアルマンの、若さゆえの勢いと情熱、そして未熟さ。
ボトルごとお酒ぐびぐびしている自暴自棄な姿(←なんか色っぽくてドキッとした)をバカバカ~(>_<)!と思いながらその先に続く展開を見守るしかできない客席のワタクシ…。
札束を渡されてショックで気を失ったマルグリットが運ばれていった後にトルーシュが見せた表情。バカバカバカ~~~!今そんな表情するくらいなら札束なんか渡すんじゃないわよ(>_<)!!!
と思うけど。
仕方がないんだよね…。だって彼はまだ若いのだもの…。自分をコントロールできなくて、愛する人を傷つけて、自分も傷ついて……。そんな若さがとてもよかったよ。

ヴァリエテ座の『マノン』から逃げるように部屋へと帰った後、マルグリットがマノン、デ・グリューと三人で踊る場面。個人的に黒のPDD、その後の場面と並ぶ今日の白眉でした。見ていて辛くて辛くて…。でも三人が作り出す世界の息をのむ素晴らしさは神々しくさえあって。
人生の最期にデ・グリューの愛に包まれ魂が救われたような表情を見せるマノン。デ・グリューはマノンだけを抱いて去っていく。マルグリットが伸ばした手をとってくれる人はいない。あんなに拒否していたマノンになりたいと願ってしまうマルグリット。こちらの世界の人間じゃないのにリアブコが優しげだから、そんな彼がマノンだけを抱いて去って、マルグリットが一人残されるところ、マルグリットが本当に可哀相で…。コジョカルのマルグリットって可憐なんだけど芯の強さも感じさせるから、そんな彼女の心が揺れるこの場面は見ていて胸が締め付けられました。
そしてここのリアブコとアッツォーニはほんっとーーーーーーーーーに神がかってた。。。この世のものじゃない感がしっかりあるのに人間としてのマノン&デ・グリューの深い深い感情が伝わってくるって、この人達の表現力ってどれだけ凄いの…!!!配役を知ったときにマノンとデ・グリューか~主役で見たかったな~とか思ってごめんなさい。ものすごいマノンとデ・グリューを拝ませていただきました。
物語後半でアッツォーニのマノンがマルグリットに見せるようになる表情も切なかったなぁ…。彼女の心を理解しているような表情。このマノンとデ・グリューはマルグリットとアルマンの心の鏡でもあるのかな。主役二人より年が上のダンサー二人が踊ったマノン達は、ノイマイヤーの真夏の夜の夢の妖精王達を少し思い出させました。異世界の、でも心のどこかでリンクしている存在。

コジョカルが時折みせる少女のような駆け方、原作のマルグリットの年齢(確か二十歳そこそこなんですよね)を思わせて切なかった。
そういえば紫のPDDのトルーシュは、自分の心の内をすべて曝け出してマルグリットへの愛を表現する爽快なほどの真っ直ぐなアプローチが、ガラで観たリアブコのアルマンを思い出させました。

ピアノとオケ。ブラボーでした。今回オケがシティフィルじゃなかったことがどれほど嬉しかったか…(ごめんなさい。でも本心です…)。オケが安定しているだけですごく安心して舞台に集中できました。これからもずっと東フィルにしてほしい…。そしてエルヴェがこの作品は音楽に身を任せていれば感情がおのずから引き出されると言っていた意味が、今回よくわかりました。音楽がその時々の人物の感情をあんなにもはっきりと表している。その点だけでもノイマイヤーの振付ってすごいと思う。
ピットでメインで弾いていたピアニストのミハル・ビアルクさん、華麗にドラマティックに情感豊かに盛り上げてくださってありがとうございました。

カーテンコールでは、今回もノイマイヤーさんがご登場。
リアブコが(珍しく?)満面の笑顔でしたね~。
まだこっちの世界に戻っていないような表情のコジョカルにトルーシュがキス
本当に、とてもいい舞台でした。ノイマイヤーさんもきっと満足してくださったのではないかな。

来週は『ニジンスキー』に行ってきます


◆主な配役◆
マルグリット・ゴーティエ:アリーナ・コジョカル(ゲスト・アーティスト)
アルマン・デュヴァル:アレクサンドル・トルーシュ
ムッシュー・デュヴァル(アルマンの父):カーステン・ユング
マノン・レスコー:シルヴィア・アッツォーニ
デ・グリュー:アレクサンドル・リアブコ
プリュダンス:菅井円加
ガストン・リュー:ヤコポ・ベルーシ
オランプ:フロレンシア・チネラート
公爵:ダリオ・フランコーニ
伯爵N:コンスタンティン・ツェリコフ
ナニーヌ(マルグリットの侍女):パトリシア・フリッツァ

演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
指揮:マルクス・レーティネン
ピアノ:ミハル・ビアルク、オンドレイ・ルドチェンコ 

◆上演時間◆
第1幕  14:00 - 14:50
【休憩 20分】
第2幕  15:10 - 15:50
【休憩 20分】
第3幕  16:10 - 16:55







 椿姫の前にお隣の動物園でこんなの↓も見てきました笑 

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