風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

團菊祭五月大歌舞伎『弁天娘女男白浪』 @歌舞伎座(5月12日)

2018-05-13 23:16:56 | 歌舞伎



 ――このお芝居で大切なことは何だと思われますか。

 目で見ての美しさでしょうか。「浜松屋」「稲瀬川勢揃」「極楽寺屋根」「山門」。「きれいだな」とお客様が見てくださったら、成功ではと思います。

ようこそ歌舞伎へ:尾上菊五郎

思えば開場3日目のピカピカな歌舞伎座で私が最初に観た演目は、菊五郎さんの弁天小僧でありました
あれから5年がたっているというのに、いやむしろ5年前よりも、、、浜松屋の花道のお嬢様が超絶可愛らしいのは何ごと
インタビューで仰っていたダイエット効果もあるのか、あるいは新開場のときは背負っていたものの重さもあったのか。お化粧も変わったらしいけれど、それだけじゃないように思う。今回の花道、恥じらう姿が本気で可愛い(しかし微かに透けて見えるうさんくささが最高笑)。
本舞台で開き直ってからの弁天の明るさと闇と色気と決まり事の動作の流れるような自然さと台詞の気持ちよさと江戸っ子な度胸と爽快さ。ああ、この弁天が再び観られて幸せだ・・・・・。かんざしポロリからの間(ま)も理想的(やっぱり菊ちゃんは引っ張りすぎだったと改めて思ふの)。

左團次さんの南郷も、前回同様、大っっっ好き
軽みも温かみもあるのに、凄みもたっぷり。
菊五郎さんとのやりとりには少年同士の悪友のような、でも長年積み重ねた信頼による親密さが感じられて。この見応え、ああ、至芸であるなあ・・・と今月もまた思ったのでありました(ご本人たちはまだまだと仰ると思いますが)。インタビューで「夏雄ちゃん」と「寿」がいなくなった寂しさを話されていた菊五郎さん。左團次さん、今もお元気に菊五郎さんの側にいてくださってありがとう。
そして花道のお二人のThe江戸っ子なテキトーなお金の山分けに今回もニコニコ 
最初から最後まで、75歳(菊五郎さん)と77歳(左團次さん)というご年齢を完全に忘れておりました。

客席にいながら、まるでその場に自分がいるように感じられました。
でもそれは東京じゃなく、江戸の浜松屋。
東京っ子じゃなく、江戸っ子な菊五郎さんと左團次さん。
これは江戸時代にいた盗賊だ、とリアルに思った。今の時代の人間にはない空気。そしてこういう主人公のお芝居を楽しんだ江戸の人々。
こういう空気のお芝居は今後はもう観られなくなっていってしまうのかなあ、と菊五郎さんの世話物を見るたびに思うことを、今回も思ってしまった。若手の役者さん達は、現代風な解釈や演出のお芝居(劇といった方がいいようなお芝居)は本当に上手いのよね。コクーンの三人吉三や野田版桜の森~のような。でもあれらのお芝居に感動しながらも同時にこういう空気をひどく懐かしく思ってしまっている私がいて。それってこういうことなのだよなあ、と。理屈じゃない江戸の空気。
どちらの歌舞伎もあっていい、と思う。あっちの歌舞伎も大好きだし。でももし今後歌舞伎があちらの空気だけになってしまったら、歌舞伎からこの空気がなくなってしまったら、そのとき私は今ほど歌舞伎を観に来るだろうか、とも思う。

菊之助(赤星十三郎)。
なので正統派で勝負をしている菊ちゃんを応援してるけど、こっちはこっちで喜撰とか文屋とか最近ニンとは言い難い不思議な方向に行っているような・・・。でも何がどう吉と出るかはわからないので、今は色々挑戦していいと思います。ニンなお役を真面目にお稽古しているだけでは身に付かない空気もあると思うし。って素人の初心者がえらそうにすみません…。でも私は菊ちゃんには切に切に菊五郎さんの空気を継いでほしいの…。ちなみに今回も盗賊には全く見えなかったわ…(登場は稲瀬川だけだが)。

海老蔵(日本駄右衛門)。
海老蔵もこの5年間、色んな事があったねぇ・・・。私より若いのに、私よりずっと多くの別れを経験しているのだなぁ・・・。
ところでこの駄右衛門、狙っているのかいないのか(たぶん狙っていないと思うけど)ウサンクササがいっぱいで、それが個人的には何気にツボでした。海老蔵の潜在的な大らかさってこの世代の役者さん達の中では貴重だと思うので、そういうものを失わずに頑張ってほしいなあ。

5年前に三津五郎さんがされた忠信利平は、今回は松緑
私、海老蔵&松緑の組み合わせが実は結構好きで。と陰陽師のときに感じたなあということを今回同じ舞台にいる二人を観て思い出したのだけれど、やっぱりこのお二人は自ら進んで「やろうぜ共演!」とはこの先もならない・・・のでしょうねぇ・・・・・。ええ、わかっております。

長~いお返事の丁稚は眞秀くん(勸玄くんと同い年なんですね~)。
今回の出演は「お祖父様の弁天小僧で絶対にやらせて欲しい」としのぶさんのたってのご希望だったとのこと。出番のないときは暖簾の後ろで動かずに座って待っていてイイコでした。左團次さんにお盆ばっのときに思わず笑顔が零れていた大物ぶりはさすがしのぶさんの息子さん。私が眞秀くんを観るのはこれが初めてだったかなあ。と今調べたら、眞秀くんの初お目見得は昨年の團菊祭の魚屋宗五郎の丁稚だったんですね。友人が観に行って菊五郎さんがすごく良かったって感動していたなぁ。私も2014年に同じく感動していたので、「あの菊五郎さん、いいよねー!」と二人で言い合ったのだった。あれはまだ一年前なのか…。

松也の鳶頭。台詞回しが少々現代風には聴こえたけれど、声のいい音羽屋♪
橘太郎さんの番頭は鉄板ですね~。
種之助の宗之助も坊ちゃんな若旦那らしい柔らか味がいい感じ♪

ところで私はこのお芝居を観るの四度目なのに、なぜか稲瀬川勢揃いの前に休憩と記憶違いをしていた。極楽寺の前に休憩だったのですね。照明がつかないからあれ?と思ってしまった。
菊五郎さんの立ち回りは、しっかり目に焼き付けました。がんどう返しも幕見から見下ろしてもぎりぎりまで屋根に乗っていらっしゃった。音羽屋!!!

山門と滑川土橋。ラストの山門の上の駄右衛門の顔が高層階席からは見えないのは前回と同じ。橋の上の青砥左衛門は今回も梅玉さん。

――誰よりも数多く「弁天小僧」を演じてきた菊五郎さん。後輩の方々に「受け継ぐ」という視点からどんなことを感じとってほしいと思っていますか?

言葉の間かなあ。あと、歌舞伎としての江戸っ子言葉ね。「ひゃく」(百)を「しゃく」というでしょ。でもやり過ぎるとぞーっとしてきちゃう。昔の江戸っ子はそう言ったかもしれないけれど、歌舞伎でやる場合の発音はちょっと違うと思うんです。お客様に聞かせる場合は「ひゃ」と「しゃ」の間くらいにするとかね。

――今回海老蔵さんが父・團十郎さんの演じた日本駄右衛門役を演じられると、昔の團十郎さんの面影を感じたりするかもしれませんね。

そうでしょうね。海老蔵くんもそうだけど、鳶頭(とびがしら)の役も(六代目 尾上)松助がやった役なので、息子の松也にやらせようと配役を決めたんです。彼らには映像を観るだけでなく、実際の演技を見て「感じ」を掴んでほしいんです。一緒に演じたことを思い出してほしいですね。


菊五郎が語る『弁天娘女男白浪』
ようこそ歌舞伎へ『弁天娘女男白浪』尾上菊五郎




今月の歌舞伎座は「十二世市川團十郎五年祭」。
新開場の二か月前に團十郎さんが亡くなられて5年。そして三津五郎さんが亡くなられて3年。
三階の写真もそうですが、こうして飾られたお写真を見ると不思議な感じがしますね…(といっても今回は幕見なので中には入っていないのですが)。

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カラヴァッジョ 光と闇のエクスタシー

2018-05-08 21:31:41 | テレビ




絵画っていうのはただ単純に上手いとかどういう風に表現するかということじゃなくて、人間がどんな風に生きたかというのがどんな風に出るかによって、そのクォリティとか品質とか持久力とか何世紀も残るかどうかとかが決まるんだなということが、実感された感じがします。

(ヤマザキマリ)

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グレーテルのかまど

2018-05-07 23:01:27 | テレビ




私は愛情いっぱいに育ててもらったから 私自身もいつも幸せな気持ちを持って生きていられる
とてもうれしいし 感謝ですよね

(バレリーナ 森下洋子)

母に連れられ初めて観たバレエは森下さんのバレエでした
30年以上前のこと。

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NHK交響楽団 第1884回定期公演 Bプロ @サントリーホール(4月26日)

2018-05-03 00:13:04 | クラシック音楽



29日のオーチャード公演の存在を忘れている気の早すぎるN響twitter

私のブロムさん祭り最終夜は、サントリーホール公演の2日目でした。私達が生きている「今」を、そして200年前の「今」を生きていたベートーヴェンの心を鮮やかに感じさせてもらえた夜でした。

【ベートーヴェン (1770~1827) 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93 (約27分)】
可愛らしく跳ねるような音の箇所では小さく笑みを浮かべるブロムシュテット。
そんな少年のような指揮から生み出される音楽の、なんという楽しさ
ベートーヴェンは完全に聴覚を失っていて、こういう曲を作ったのですねぇ。
ベートーヴェンの人間そのものを聴いているような気持ちになったのはなぜだろう。ブロムさんの演奏会はいつもそう(私にとってはハイティンクもそうで、だからこのお二人が好き)。
今日もクラリネットが綺麗な音色 ベートーヴェンやモーツァルトの木管の使い方って、温かくて美しくて好き。

【ベートーヴェン (1770~1827) 交響曲 第7番 イ長調 作品92 (約43分)】
なんという輝かしさでしょう。
第三楽章のトリオなどはyoutubeで予習したウィーンフィルとの演奏と比べやたらと速く聴こえ、戸惑ったのは0.01秒くらい(この速さが最新版採用の結果なのかどうかは知らない)。ブロムさんの音楽を聴くのはこれが最後という可能性もあるのだなぁなどという思いも遠くどこかへ行ってしまい、ただひたすらに「この音楽は”今ここで”作られているんだなあ」と鮮烈に感じていました。速度が速いからではなく、その生き生きとした生命力と、目の前で一瞬一瞬に新しく生まれてくる音のあまりに自然な美しさに。
この曲を作曲したときの40代前半の肉体と精神をもったベートーヴェンが音楽という形で目の前にいるようだった。今の私と同い年の、私よりずっと若々しい精神をもったベートーヴェン。

繰り返しが繰り返しでなく聴こえる(演奏が着実に前へ前へと進んでいっているように感じられる)のはゲヴァントハウスのときと同じ。そこに漂うただならぬ気配も。「一つの交響曲」を聴いている感じ、絶対に乱暴にならないのに突き抜けた演奏、弱音の美しさ、からのフレージングの膨らむような盛り上がり。今回もたっぷりと堪能させていただきました。
そして最終楽章のブロムさんの指揮姿の大きさとキレ、指揮者が「音楽そのもの」にみえるあの感じは、見ていて本当に幸せな気分になる。

ああ、いい夜だった。この爽快感。多幸感。
本当にありがとうブロムさん&あそこまで連れていってくださったN響の皆さん。そして、最高のマナーだった聴衆の皆さん。
次回のブロムさん来日予定は10月とのこと

ところでブロムさんが促したオケのPブロックへの挨拶に関して一部で話題になっていましたが、来日オケのときは殆どの演奏会であるように思うのだけれど、日本のオケでは珍しいのかな

ブロムシュテット インタビュー(本日のプログラムについて)



ブロムさん、旭日中授章ご受章おめでとうございます
しかしムーティさんが旭日重光章でブロムさんは旭日中授章なのは、一体どういう基準なのだろう・・(すうぇーでんよりいたりあとの関係の方が政治上重要的な・・?)
バンベルク響のツイ、take off our headsて
旭日章の英名って"Order of the Rising Sun"なんですねー。カコイイ響き

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NHK交響楽団 第1883回定期公演 Cプロ @NHKホール(4月21日)

2018-05-02 23:09:16 | クラシック音楽



ブロムさんってこういう↑色がよくお似合い
15日に続いて、N響定期のCプロに行ってきました。

【ベートーヴェン (1770~1827) ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58 (約32分)】
この協奏曲を聴くのは、ペライア、ツィメルマンに続いて3回目です。
この曲の光と闇を感じさせてくれたペライア、異世界の透明感と華麗さを見せてくれたツィメルマン、そして今回のピリスは先日のリサイタルと同じくベートーヴェンという人間の等身大の美しさを見せてくれたのでした。同じ曲とは思えない三者三様さで、みんな本当に素晴らしい。

今回もピアノはヤマハだったけれど、ピリスの音の存在感がすごかった。
特に二楽章の弱音の集中力と聴かせ方。テンペストのラストでも聴かせてくれた、最後の音の響きが消えゆくときのとてつもない美しさ。静寂の雄弁さとでもいえばいいでしょうか。あんな小柄な体で、あの迫力はどこから来るのでしょう。たった一人でこの広いNHKホールを支配してしまっている。といっても大仰な演奏をしているわけでは全くなく極めて自然体で、リサイタルの時と同じく「昔の偉大な作曲家」ではなく「等身大の若いベートーヴェン」の姿が見えるような演奏で、それはブロムさんによるN響の演奏も同じで、ブロムシュテットとピリスはそういうところがよく似ているなぁと思いながら聴いていました。

ピリスのピアノを丁寧に温かくサポートするオケの音も、
優雅で美しく。
第一、二楽章はゆっくりめで、ブロムさんもこういう演奏をするのだなぁと思っていたら、三楽章のオケの主題は早く、ピリスが時々付いていけていなかったように聴こえた場面も。
カデンツァは、ヴァイオリン協奏曲のときほどモロにではなかったけれど、やっぱり体と顔をソリストに傾けてじっと聴き入るブロムさん。ラストのジャン!の指揮の爽快さは見ていて楽しい♪

カーテンコールは、美しい音楽を聴かせてくれたお二人とオケに満場の拍手。
お先にどうぞなさりげないジェントルマンぶりが素敵なブロムさん。ソリストが女性だとこういうときわかりやすいですね。ハイティンクとペライアが「さあ」「いえマエストロがお先に」「いや君が」と譲り合っていた光景も微笑ましかったですが(結局はもちろんペライアが先に退場していた)。
そしてピリスに拍手を贈りながら後ろから歩いていくブロムさん

ソリストアンコールは、12日のリサイタルと同じ『6つのバガテル』 Op.126-5。
最後に再びお二人で仲良く舞台へ出てこられて、前半終了。


【ベートーヴェン (1770~1827) 交響曲 第4番 変ロ長調 作品60 (約38分)】
こちらも、美しく優雅なベートーヴェン。N響の弦と木管の美しさ。
踊るような軽やかなフレーズのところの重心の低さは今回も同じ。重心は低いのに、聴き終わったときの後味が爽快で軽やかで、音楽を聴いた喜びと満足感がたっぷりあるのが不思議。
やっぱり私はブロムさんの指揮が好きだわ、と再確認。

演奏後はオケに感謝の拍手を送るブロムさん。リハーサルの厳しさで有名な人だと聞いたことがあるけれど、演奏後のこういう仕草はいつも優しいですね。

オケの演奏の突き抜け感は先日のAプロの方が感じられた気がするけれど(キュッヒルさん効果?)、集中力の高く丁寧で美しい、気持ちのいい演奏会でした。



ピリスのFacebookより、演奏会後の楽屋口にて。晴れやかないい笑顔
ベートーヴェンの温かな美しさを教えてくださったお二人に感謝!

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NHK交響楽団 第1882回定期公演 Aプロ @NHKホール(4月15日)

2018-05-02 18:19:51 | クラシック音楽




昨年11月のブロムさん×ゲヴァントハウスの公演は全プログラムをコンプリートしてしまった私。
5ヶ月ぶりのN響との今回も、全プロ皆勤
まずは初日のAプロの感想から。

ベルワルド (1796~1868) :交響曲 第3番 ハ長調「風変わりな交響曲」(ブロムシュテット校訂版)(約28分)
ベルリオーズ (1803~1869) :幻想交響曲 作品14 (約50分)

二曲ともすっごく楽しかった
1500円でこんなに楽しめるのなら、毎回行こうかなN響定期公演。と一瞬思ったけれど、私はN響というよりやっぱりブロムさんが好きなのだと思う。いいなあと感じた部分がゲヴァントハウスのときと同じだったので。
全体で一つの交響曲を聴いている感覚、なのに突き抜けた推進力があって、弱音も強音も丁寧で美しい。
前回ゲヴァントハウスとのコンビで見せてもらえたような天国はN響の音からは見えなかったけれど、N響の演奏、とてもよかった。N響を聴くのは初めてだけれど、このオケの音、これまで聴いた日本のオケの中では私は一番好きかも。もっと保守的な演奏をするオケかと思いきや突き抜けた美しさを聴かせてくれましたし、弦も熱くて濃密でとても綺麗だった(ちなみに本日のコンマスはゲストのライナー・キュッヒルさん)。クラリネットの美しい音色にもうっとり

一曲目は、ブロムさんの故郷スウェーデンの作曲家ベルワルドの交響曲。
そうだった、ブロムさんの指揮はこんな感じだった。すごく音楽が好きそうに楽しそうに指揮されますよね。少年みたいで、インタビューですぐに歌いだしちゃうあのまんまの指揮。ていうかブロムさん、お元気だ。11月の来日時よりさらお若く見えるという驚異の90歳。この日は友人の月命日で、健康に気をつけて次回もぜひお元気で来日していただきたいって言っていた友人はあちらの世界に行ってしまって、人生って本当にわかりませんね…。

本日演奏される2曲は、ブロムさん曰く、どちらもベートーヴェンの影響を受けた作曲家の作品とのこと。同じプログラムを5月にコンセルトヘボウとも演奏されますね。
ベルワルドという作曲家の名前を今回初めて知った音楽素人の私にはこの曲がどういう形でベートヴェンの影響を受けているのかはよくわからないのだけれど(ベルリオーズの方は型破りな交響曲の作曲法?)、最終楽章の木管楽器からクライマックスに向かう勝利の主題のような部分などはスメタナのブラニークを聴いた感覚が思い出されて、すごく楽しかった ブロムさん、盛り上げる~。

休憩を挟んで後半は、ベルリオーズの幻想交響曲。
ブロムさんが振るとゲヴァントハウスでもN響でもTHE独逸な音になるのだなあ。好みとしては2楽章のワルツなどもうすこし軽やかに演奏してほしいと感じる部分もなきにしもあらずだったけれど、そんなのは些細なことと思わされてしまう楽しさと充実感

そして、きゃ~楽しい~美しい~~~~♪♪と聴いていると、その美しいまま、はたと気づけば断頭台への行進の只中にいるという。金管全開の華やかさ!!がゆえの怖さ。音色の美しさ!!がゆえの異様さ。を繰り返しありでたっぷりと味わわされた後の、ギロチンざしゅっ!で呆然。予習で聴いたカラヤン×ベルリンフィルの演奏では、最期の想いに十分に浸り切らせてくれた後にざしゅっだったのに、今回は浸る間を与えてくれずに容赦なくざしゅっで。この演奏って一見リアルじゃないようで、実はものすごくリアルなのでは。最終楽章の魔女の宴も盛り上げきってくれました~~~。ブロムさんもオケもぶらぼーーー
この曲はバンダ(オーボエ&鐘)も楽しいですよね

大大大満足な演奏会でした。
日本のオケで毎回こういう演奏が聴けるのなら、来日オケに行く頻度を減らすのだがなぁ

※ブロムさん動画インタビュー:ベルワルドの交響曲について

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マリア・ジョアン・ピリス ピアノリサイタル @サントリーホール(4月17日)

2018-05-01 19:58:16 | クラシック音楽




モーツァルト:ピアノ・ソナタ第12番 ヘ長調 K.332
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調 K.333
シューベルト:4つの即興曲 Op.142 D.935
シューベルト:3つのピアノ曲 D.946より第2曲 変ホ長調(アンコール)

12に続いて、ピリスのリサイタルに行ってきました。

衒いのない素直な音のモーツァルトと、演奏家自身の主張を感じさせない無垢な音のシューベルト。
どちらも、それぞれの作曲家の演奏としてとても私の好みな演奏でした。

シューベルトの即興曲D935を聴くのは光子さんに続いて2回目。思いのほか速い速度で弾かれ始めたそれにすこし驚きつつ、ピリスの個性はシューベルトという作曲家と非常に合っているように聴こえ、ベートーヴェンと同じく、この曲を作曲したときのシューベルトがそこで弾いているような錯覚を覚えたのでした。いつまでも聴いていたかった。

アンコールで演奏されたD946-2は、先日のベートーヴェンと同じく、ピリスはきっとこの曲がとても好きなのではないかしら、と感じました。その演奏は、「色々あるけれど頑張りなさい」とピリスが言ってくれているようで、そしてきっと彼女自身も色々あったけれどこういう曲の存在に励まされて今日までピアニストという職業を続けてこられたのではないかな、と感じるような演奏でした。
12日のアンコールの選曲と同じく、即興曲D935よりも後に作曲されたシューベルトの最晩年の作品。この曲は以前にシフのアンコールでも聴いていますが、ピリスの方が優しく情熱的に歌いますね。
シューベルトもピリスも、最後までこの世界の美しさと優しさを私達に教えてくれるのだな、と思いました。
ピアニストという職業の人達は、いい演奏をするだけでなく、この世界にあるこういう美しいものの存在を教えてくれる人達でもあるのだなあ。
そして生きていればこういう新たな美しいものに出会う機会があるのだな、と駅への帰り道に思いました。生きてさえいれば。
ピアノを演奏しているピリスは、73年の人生を生きてきた大人の女性であり、同時に、私よりずっと年若い少女のようにも見えました。アンコールの後、涙を拭うような仕草をし、長い長いお辞儀で感謝を示してくれたピリス(感謝をしているのは私達の方!)。コンサートピアニストとしてはこれで引退だけれど、これからもきっと様々な形で音楽の、そして世界の美しさを私達に伝え続けてくれることでしょう。

ピリスのSNSにヤマハの練習室前で撮影されたレオンスカヤとのツーショット写真がアップされていましたね
日本でピアノを習う殆どの人達にとって、ピアノの音といえばヤマハの音なのではないでしょうか。
そんな私にとって最も親しみのある音で、それぞれの素晴らしいシューベルトを聴かせてくれたお二人に心から感謝。
 
ピリスの演奏は、21日のブロムシュテット×N響の協奏曲@NHKホールにも行ってきました。感想は追って。
 

Maria João Pires plays Schubert - Drei Klavierstücke - D.946

アンコールで演奏された第二曲は14:45~27:10。

以前の来日時のインタビュー

こちらの雑誌のインタビューで、ピリスがステージ活動から引退する理由について語っています(スペイン語を英語にgoogle翻訳して読みました。ネットに上がっているのは全文ではなく抜粋)。彼女の手はとても小さく、歳をとるに従いピアノという楽器との違和感が増してきている、と。今後は自分にとってより快適なフォルテピアノの勉強もしたいし、録音もしたいと。音楽はコンサートホールで演奏されるためにあるものではなく、より精神的なものであり、聴衆や場所の種類ももっと無限であり得るはず、と。また全てが勝ち負けで判断され、作曲家や音楽に対するリスペクトや謙虚さが失われている最近の音楽業界や教育現場に対しても思うところがあるようです。引退に際してネガティブな気分は一切なく、非常に喜ばしく感じている、とのこと。

Looking back, what How do you see your relationship with the piano throughout all these years?

Look, I have to tell you, the piano itself is probably the main reason I'm retiring. I've never really had a good relationship with him. I mean, there are multiple factors, of course: I need more time to myself and I want to live without having to play concerts, but the piano itself, the instrument, has never suited me. 
I have hands that are too small for their dimensions.  Of course I am not going to start studying violin, cello or clarinet right now, but I am going to start playing in a different way: to play for myself... and to play the fortepiano. Perhaps, as I said before, make some recordings with it, with which my hands can enjoy more. I am going to study him, I am going to study his technique and I am going to try to find a way to feel more comfortable in front of him than I have felt all these years at the piano, feelings that have worsened with age. Of course there is another great reason that leads me to retire: ...

Pianist Maria João Pires, A Conversation with Bruce Duffie
1991年のピリスのインタビュー。モーツァルトを好んで弾く理由として、自身の手の小ささと体重の軽さをあげています。この時点では「(鍵盤の幅は狭いけれど)フォルテピアノを弾きたいと思ったことはない」と仰っていますね。

YAMAHA インタビュー
同じくステージ活動を引退した理由について語っています。(インタビューされた方のこちらの記事も興味深い内容です)。
なお今回のツアーで使用したピアノについては、こんな風に仰っています。へぇ~。
 日本のファンにとって、ピリスさんの生の音に触れられる最後の機会となるかもしれない今回のツアー、彼女は滞在の最初に試弾したヤマハのCFXを気に入り、全公演でこのピアノを弾いた。
「私がピアノに求めることは、自分の音を生み出せること、音を通してすべてを伝えられることです。今回のピアノは、今まで弾いたCFXの中で一番すばらしいものでした。あたたかさと柔らかさがあり、同時にオープンで、軽すぎず重すぎないアクションもすばらしい。すべてを持ち合わせていたので、ピアノを信じ、自信をもって演奏できました。実は、1台のピアノで全ツアー日程をまわったのは今回が初めて。コンチェルトでもリサイタルでも、同じピアノが完璧に機能したので本当に驚きました。音楽を創る以前にピアノと戦わなくてはいけないときは、本当に辛いものです。その意味で、今回のツアーは楽な気分で本番に臨むことができました」

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