風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

仁左衛門が語る『盟三五大切』

2017-07-09 15:15:56 | 歌舞伎




nizaさま、色悪がほんっっっとお似合いですよねぇ。。。。
美しい。。。。


でもですね・・・


仁左衛門が南北のなかでも「好きな作品」という『盟三五大切』。しかし、南北だから喜んでもらえると安心してしまうのではなく、常に「今のお客様に納得していただけるように変えていく」のが仁左衛門です。原作では真相を知って腹を切る三五郎に源五兵衛が、「当然だ、というようなことを言う。でも、自分のために働いて腹を切った人に当然だとは、私は言えない。お客様もそりゃないだろうと思われるでしょう。早まったことをしたな、でないと救われない」と考え、一部、変えています。

歌舞伎美人

ワタクシ、ニザさまのこと、99.9%愛してますけど。
こういうお考えにだけはやっぱり同意しかねますーーーーーー
「今のお客様」である私は、そんな改変はのぞんでおりませぬ。今のようなすぐに炎上だなんだでCM一つも放映できない時代だからこそ、歌舞伎でくらいは南北の悪の世界に思う存分浸りたいですーーーーー。私は岩を殺したこと(正確には殺してないけど)を後悔する伊右衛門なんか見たくないですーーーー。
前から思ってたけど、ニザさまはお優しすぎる。。。

とか言いつついつか歌舞伎座でかかったら(かけてください!)、キャ~~~と叫んでる私がいるかもしれませんが笑。


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読売日本交響楽団 第604回名曲シリーズ @東京芸術劇場(7月7日)

2017-07-08 02:16:39 | クラシック音楽



東京芸術劇場って初めて行きましたが、結構音がこもるんですね
火曜日は手を伸ばせば届くところにいたフレイレも、本日は3階正面席なので遠い人。

以下、普段クラシックを殆ど聴かないど素人の感想です。
自分用覚書として好きに書いているので、「ど素人のくせにエラそーなこと書くなよ」と言いたくなるタイプの方は以下は読まないでね。

【ブラームス:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83】
飯守泰次郎さん、読売日本交響楽団。どちらも聴くのは初めてなのでどちらの個性なのかはわからないのですが、なんだかアグレッシブというか、ワーグナーのようなブラームスだな、と感じましたです。後半の練習をしすぎたのかしら しかしワーグナーとしても、あれはどうなのだろう?(ワーグナーは詳しくないけど)
ゴツゴツとした音で盛り上げるところはとことん盛り上げてくださるので、最初のうちは「おお!」と興奮するのだけれど、どうも私には微妙なニュアンスというか、音の表情の変化が乏しく感じられるため、ちょっと聴いてて飽きてくる、、、。ただああいう演奏が好みの方も多いであろうことは理解できます。

こういう種類の演奏と対比するとフレイレ(今夜も同じチャイナ風服。でも黒と赤がお似合いで素敵ですョ^^)がいかにアーティスティックで繊細な演奏をしているかがよくわかる。この前のリサイタルで十分にわかってはいたけれど、この人ってやっぱりすごいのだわ、と思った。こういうフレイレの面が際だったという意味では、読響に感謝です。
もっとも始めの辺りはオケとの対話がかみ合っていないような、ちぐはぐな印象でした。しかし次第に互いがかみ合うようになってゆき。
三楽章が・・・
ここは録音で聴いたときも良かったところだけど、なんてなんて……優しさと純粋さと、でもそれだけじゃない、フレイレだけが連れていってくれるあの眩暈がするような別世界に今夜も連れて行ってもらえました。これが聴けただけでも今夜来てよかったと三楽章が終わった時点で心から思いました。
遠藤真理さんのチェロも、情感豊かでとてもよかった。この方のチェロを聴くのは、ロパ様の「瀕死の白鳥」以来だなぁ。ああ、ロパ様・・・。

そして、四楽章
リサイタルのときと同様、一度ノリ始めたフレイレは加速していく一方。あの丸っこい音色の軽やかさだけでない開放感(この解放感は録音では感じることができなかった部分なんです。感涙)
もっともフレイレの演奏の熱って普通に聴いているとわかりにくいところがあると思うので、わかりやすい盛り上げ方をしてくれる飯守さん×読響とは意外と悪くないコンビなのかも、とも。ピアニストのああいう演奏を聴けたのは飯守さんと読響のおかげとも言えますし。カテコのフレイレさん、いい笑顔だった。

【グルック(スガンバーティ編)/精霊の踊り】
アンコールは今夜ももちろん「精霊の踊り」。フレイレがどういう気持ちでこの曲をアンコールで弾くのか、先日のリサイタルのときは客席ではなくノヴァエスに向けて弾いているように感じられたことは書きましたが、今夜の演奏は客席に向かって「私が今夜ここでこうして演奏できているのは全て彼女のおかげなんですよ」と言っているように感じられました。
フレイレさん、素晴しい2日間の演奏を本当にありがとうございました!あなたの演奏、大好きです。
来年8月の来日も心から楽しみに待っていますから、健康にお気をつけて、必ずいらしてくださいね

(15分間の休憩)

【ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」から第1幕への前奏曲】
【ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」から"聖金曜日の音楽"】
【ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」から"ワルキューレの騎行"】
【ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲】
そういうわけで飯守さん×読響はちょっと私の好みとは違っていて、「パルジファル」でももうちょい神聖な美しさを感じたいなあとか思ったりしていたのですが、「ワルキューレ」の頃にはなんだか笑えてきちゃって。だって本当に盛り上げることはとことん容赦なく盛り上げるのだもの。自信たっぷりに。
そんな飯守さん、東京シティフィルの名誉指揮者をされているとのことですが、合ってると思う。東京シティフィルのバレエ演奏でオーケストラピットに殴り込んでいきたくなるほどいつも腹が立つのは、とにかく音が自信なさげなところ。先日のボリショイのように、上手じゃなくてもいいから自信いっぱいに盛り上げてほしいといつも思ってしまう。ハンブルクバレエの「真夏の夜の夢」のとき、ようやくそういう演奏をしてくれた3日目はとてもよかったもの。飯守さんならシティフィルにそういう演奏をさせてくれそう。それにフレイレのスピードアップにもよく対応されてたし。今度NBSの招聘バレエを一度振ってみてくださらないかしら。こんなこと書くとクラシックファンに刺されるかしら。でもゲルギエフだってバレエ振ってるしぃ。バレエにワーグナーはないけど。

しかしこれだけぶ厚く盛り上げてくれているのに、どことなく演奏が立体的に聴こえないというか音が平たい?のはなぜなのだろう。会場がよくないのかしら。

今夜の客席のマナーはひどかったです。前半のピアノ協奏曲では最初から最後まで補聴器のハウリング音(周囲の人、本人に教えてあげられないのかな)、ピアノアンコールの前に奇声。後半は、携帯の着信音が鳴りまくり。音を鳴らして鼻をかむ人も(海外でもいますねこれ)。クラシック音楽を愛している人なら、普通は自然に気を付けると思うんですけどねえ。自分がオケの演奏をぶち壊しにするかもしれないなんて、考えるだけで恐ろしいですよ、私は。。。
ちなみに前の席のおば様は前半も後半もずっと爆睡しておられたけど(寝るのはOK)、あのワーグナーの爆音の中で眠れるとは強者だと思わず笑ってしまいました。



Brahms - Concerto nº 2 in B flat major, op 83 (III. Andante) - Nelson Freire

ドキュメンタリーより。フレイレの天上の3楽章。彼はこの楽章が好きなんでしょうか、幸せそうに演奏しますよね 難しい楽章の合間で一息つけるところでもあるのかな。

Nelson Freire plays Schumann/Liszt 'Widmung' for Martha Argerich

フレイレの「献呈」を優しい顔で聴くアルゲリッチ。そして1本のタバコをシェアする二人

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ネルソン・フレイレ ピアノリサイタル @すみだトリフォニーホール(7月4日)

2017-07-06 01:03:59 | クラシック音楽



台風接近中の雨の中、すみだトリフォニーホールへネルソン・フレイレのリサイタルを聴きに行ってきました
現在72歳のフレイレ。日本でのリサイタルは12年ぶりだそうです。S席6500円とこのクラスのピアニストのリサイタルとしては非常にお得なお値段だったのですが、客席の埋まり具合は7~8割程度だったでしょうか。
会場に入ったら、なぜか舞台の上にはガランと何もない。ピアノがセットされていない。こんなリサイタルは初めてです。結局セットされたのは15分前くらい?でした。
私の今回の座席は、なんと最前列中央。次回こんな席に座れるのはいつかしら。。。音は思いきり直接音なのでそういう意味での良し悪しは好みが分かれるかもしれませんが、自分の前にピアニスト以外の誰もいない状況でその演奏を聴けるのは至上の幸福でございました(ちょっと位置は上だけれども)。

舞台に現れたフレイレは、なぜかチャイナ風服。これは彼なりの日本人へのサービスなのかしら、それとも国とか気にしてなくてただ着たいものを着ておられるだけかしら

以下、あくまで普段クラシックを殆ど聴かないど素人の感想です。

J.S.バッハ(ジロティ編)/前奏曲ト短調 BWV535
J.S.バッハ(ブゾーニ編)/コラール《主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる》BWV639
J.S.バッハ(ブゾーニ編)/コラール《来たれ、創り主にして聖霊なる神よ》BWV667
J.S.バッハ(ヘス編)/コラール《主よ、人の望みの喜びよ》BWV147
【シューマン/幻想曲ハ長調作品17

正直なところ今夜の前半のフレイレは、あまり調子が良くないように見えました。
動画でしか知らないけれど、この人はこんなに弾きにくそうに演奏をする人だったろうか?と首を傾げつつ聴いていました。お顔の表情、指の動き、聴こえる音に、演奏にあまり入り込めていないぎこちなさのようなものが感じられたんです。バッハの後のお辞儀も、あの笑顔で笑ってはおられたけれど、イマヒトツしっくりきていないようなお顔。

シューマンの第二楽章あたりからは音が活気を帯びてきたように感じられたのですが、演奏後のご本人の表情はまだちょっと冴えないご様子。もっともこの時は演奏が完全に終わって手を下ろして膝の上に置いても何故かいつまでも会場から拍手が起こらず、フレイレが椅子から立ち上がってようやく拍手が起きたので、ちょっと戸惑っておられたのもあるかもしれません。

SNSを読むと私と同じ感想(前半は不調に聴こえたという感想)をあげておられる方は数人のみで、殆どの人は気にならなかったようです。はっきり不調とわかる演奏をしていたわけではありませんし、実際のところは私にもわかりません。
誤解のないように書きますと、私はフレイレの弾くバッハもシューマンの幻想曲も大好きなのです。特にシューマンは、youtubeでライブ録音を聴いて、この人の演奏を聴いてしまうと他のピアニストの演奏は聴けなくなってしまうのではないかと心配になったほど好き。

ところでヘス編曲の「主よ人の望みの喜びよ」は私が数十年前の記憶で暗譜で弾ける数少ない曲の一つなのだけれど、とてもフレイレのような透明感のあるポロポロとした弱音では弾けません。あんな音で弾いてみたい。。

20分間の休憩)

【ヴィラ=ロボス/《ブラジル風のバッハ》第4番より「前奏曲」】
【ヴィラ=ロボス/《赤ちゃんの一族》より「色白の娘(陶器の人形)」「貧乏な娘(ぼろ切れの人形)」「小麦色の娘(張りぼての人形)」】
【ショパン/ピアノ・ソナタ第3ロ短調作品58

フレイレさん、休憩で気分転換をされたのか、休憩中の調律も良かったのか、あるいはヴィラ=ロボスだからか、後半は第一音から前半と全く違う音 音の意思がはっきりしていて、お顔の表情も演奏も、すごく生き生きとされていました。弾き終わった後のお辞儀のときの目の表情も、全然違う(というか弾き終わった瞬間にもう笑顔になられていた)。そういえば前半ではバッハとシューマンの間で一度舞台袖に引っ込まれたのですが、ヴィラ=ロボスとショパンの間ではそれはありませんでした。そしてここからはリサイタルの最後までずっと、非常に素晴らしい演奏を聴かせてくださいました。

フレイレが愛している母国ブラジルの作曲家ヴィラ=ロボス。フレイレのピアノの魅力がこれ以上ないほど発揮されて、ピアニストが曲と完全に一体になっていて、もうオールヴィラ=ロボスプログラムでもいいですよ、と思うほど聴き入ってしまう演奏でした。ツィメルマンのシマノフスキのときを思い出した。赤ちゃんの一族では、もうコンサートホールとは別世界の場所に私はおりました。

ショパンも素晴らしかった。フレイレの弾き方って結構独特で、「いわゆるショパン」らしい甘さや激しさは少ないのだけれど、「フレイレのショパン」の甘さとロマンティックさがあると思う。ショパンの一つの弾き方として最高峰ではなかろうか。なにより透明な音の奥に温かな優しさと人間味があるのだけれど、それが全く押し付けがましくなく自然体で、更に温かみだけじゃないプラスアルファがあって。それは何かというと、フレイレの人生であるように感じられました。フレイレの人生とショパンの人生がこの曲の中で重なったような、そんな心に響く演奏でした。
そしてフレイレのクマさんのような手が鍵盤の上を縦横無尽に動いてあの音の洪水が紡ぎだされるのを目の前で見るのは、非常に楽しかった。というか目の前で見ていたけど何が起きているのか全くわからなかった@@

「私は、ショパンはけっして声高に叫ぶ音楽ではないと思う。最近の若いピアニストは鍵盤をガンガン力任せに叩き、猛スピードで突っ走るような演奏をするけど、私はそのような演奏はしたくない。ショパンの楽譜をじっくり読み、時代を考慮し、ショパンの意図したことに心を配りたいと思う」
(伊熊よし子さんのインタビュー記事より)

ピアニストの演奏を生で聴く度に毎回書いてしまっていますが、ピアニスト一人一人の演奏の個性ってほんっとーーーーーにハッキリと違いますよね。もうそろそろ誰かと被ってもおかしくない頃だと思うのに、全然被らない。ペライア、光子さん、ツィメルマン、バレンボイム、ポゴレリッチ、シフ、フレイレ、みんな全く違う。本当に面白い。
初めてフレイレの演奏をyoutubeで聴いたとき、ポロポロッとした音色の軽さとその自由さに、ジャズのようにクラシックを弾く人だなあとまず感じました。ただ感情はあまり音に込めないタイプなのかなと思ったのだけれど、全然違った。この人の音って、実はすごく感情豊かで情熱的ですよね。それがわかりやすく表に出ていないから、よく聴いていないと気付けないだけで。みんな違ってみんな良いとは本当によく言ったものだと思います。そしていつも感じるように、こういう「自分の表現したいもの」をはっきりと持っている人達の演奏は、好みであろうとそうでなかろうと(フレイレの演奏はすごく好みです)、本当に聴いていて楽しい。もっともポゴさんだけはまだ私の中でどう捉えていいかわからない位置にいらっしゃるので、この秋のリサイタルを再び買いましたです。

~アンコール~
【グルック(スガンバーティ編)/精霊の踊り】
【グリーグ/トロルドハウゲンの婚礼の日(抒情小曲集より第8集作品65)】
【ブラームス/6つの小品作品118-2 間奏曲】
【ヴィラ=ロボス/子供の謝肉祭から第1番「小さなピエロの仔馬」】


「精霊の踊り」はフレイレがアンコールで好んで弾く曲だそうで、海外のレビューを読むと、毎回ではないにしろ本当にかなりの頻度で弾いています。たとえフレイレが並々ならぬ敬愛を抱いているギオマール・ノヴァエスが好んで弾いていた曲とはいえ、これほどの頻度となると、どういう気持ちで弾いているのだろう?とやっぱり考えてしまうのだけれど、今夜聴いて、もしかしたらフレイレはこの曲だけは客席に対してではなく天国にいるノヴァエスに向けて弾いているのかな、とそんな風に感じました。歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」の中でエリュシオン(死者の楽園)の野原で精霊たちが踊る場面で演奏されるというこの曲。感傷的なわけでは決してない自然体な演奏なのに、そんな風に感じた演奏でした。いや、だからこそ自然体なのかも。

続く3曲も本当に素晴らしくて、グリーグでは興奮し(楽しかった~♪)、ブラームスではまたもや別世界に連れていかれました。コンサートホールではなく、柔らかな光に包まれた花々が風にそよぐ草原にいるような。いや、本当にそういう場所にいました。そのまま眠ってしまいたかった。そしてそのまま目覚めたくなかった。私、こういう空気の中で死ねたら絶対に成仏できると思うんです。いや成仏できなくてもいいです、こんな眩暈がするほどの優しさに包まれて死ねるなら。しかしフレイレさんはそれを許してくれず、再び絶品のヴィラ=ロボスで軽やかにお茶目に「さあおうちにお帰りなさい」と送り出してくださったのでした。はい、ちゃんと帰ります。
後半の絶好調なフレイレでバッハとシューマンをもう一度聴きたいと切に思ってしまいましたが、それは贅沢な願いというものですね。

ところで最前列では近すぎてフレイレと目が合うことなんてないのではと思っていたけれど、例のスマイルでにこーと微笑んでくださいました。こちらもにこー

次回は金曜日の読響×飯守さん×フレイレで、ブラームスのピアノ協奏曲2番です。実はフレイレのこの曲の演奏は録音で聴いた限りではあまり好みではないのですが、はてさて実演、楽しみです。フレイレの演奏をもう一度聴けるだけでも楽しみ。あと初めてのワーグナーも!


上記euronewsのインタビューより。
“What’s touching about Nelson is that he is filled with doubt, he is always searching… he gets nervous before each concert. For me, that is the very sign of a great artist. A great artist is someone who is always questioning himself. Certainty is not something that is essential in music,” Capuçon told us.

“He is also an exceptional human being, because there is that gentleness about him, which you also find in his piano playing, that intelligence, of course. You know, it’s no secret: when artists remain at that level over the course of a career that spans more than fifty years, it’s because they really have something to say, they are not like those artists who come and go, and that’s why they are great masters and why we are so proud and happy to have them here at the festival.”



――とりわけフレイレさんの音の美しさには惚れ惚れしてしまいます。何か秘密はあるのでしょうか。

サウンドの探求は私にとって重要な課題です。幸運なことに、ブラジルで最初に師事したニセ・オビノ先生とルシア・ブランコ先生にとって、サウンドは最優先すべき要素のひとつでした。彼らは何よりもまず演奏テクニックというものを、しかるべきテンポを維持しながらサウンドを表現するための手段とみなしていました。オビノとブランコはまた、それぞれの作曲家の様式を捉えることの大切さを教えてくれました。私は、昨今の演奏において様式の問題が軽視されているように感じることがあります。作曲家の世界に没入することよりも、自分自身の個性を示すことに心血を注いでいる演奏者がいるという意味において。

――今回の来日では、リサイタルのほかに読売日本交響楽団とブラームスのピアノ協奏曲第2番を共演されます。この曲はシャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管との素晴らしい録音がありますね。

ブラームスは私にとって、付き合いの長い、かけがえのない友人のような存在です。ブラームスの音楽を深く愛するようになったのは、23歳の時に、オビノ先生が《ラプソディ第1番》をコンサートで演奏するのを聴いた時です。その後、ブラームスのすべての作品を知りたいと思うようになりました。さて、ピアノ協奏曲第2番を初めてレッスンで弾いたのは14歳の時です。ウィーンでブルーノ・ザイドルホーファー先生に師事した際に最初にみていただいたのもこの曲でした。以来、協奏曲第2番は私の演奏家としての人生に絶えず寄り添ってくれています。そう、私は自分のレパートリーを擬人化する癖があるのです!ところで、ブラームスのピアノ協奏曲第2番には、私がピアノを始めたばかりの頃の思い出が詰まっています。自分の人生でもっとも幸せだった数年と言えるでしょう。新しい出会いや新しい経験に満ちた時代でしたし、当時は今のように演奏家としての責務をひしひしと感じたこともありませんでしたから……(笑)
KAJIMOTOインタビューより抜粋)




2003年?制作のフレイレのドキュメンタリー。現在購入不可。
6:22~ アルゲリッチとフレイレ。なんて空気でしょう。どなたか英訳プリーズ~~~!
14:49~ ギオマール・ノヴァエス。二人のそれぞれの「精霊の踊り」が聴けます。涙なしには聴けません。どなたか英訳プリーズ~~~・・・。
40:48~ フレイレのヴィラ=ロボスに聴きいる愛犬ちゃんが見られます。
1:09:13~ ピアノを掃除するアルゲリッチ(ブリュッセルのアルゲリッチの家のようです)。その傍らのソファで寝転がっているフレイレ笑。そして仲良く一緒にお掃除。誰か英訳を・・・。


ヴィラ=ロボス/《ブラジル風のバッハ》第4番より「前奏曲」
フレイレの演奏の特徴として色っぽさというのはまず聞かれない言葉だけれど、フレイレの音ってこの人独特の色っぽさがあると思うのですけど、そう思いません? いずれにしてもそういう面は非常にわかりにくい、謙虚でシャイな自由人、フレイレ氏なのでありました。

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電子ピアノ

2017-07-03 21:47:26 | クラシック音楽



↑↑↑
突然ですが、こんなものを買ってしまったんです。電子ピアノ。

少し前のことになりますが、とある公共の場のピアノにベートーヴェンの「月光ソナタ」の楽譜が置いたままになっていたんです。
この曲はもちろん知っていましたが自分で弾いたことは一度もなくて、ちょっと弾いてみたくなって、あの有名な一楽章だけその場で弾いてみたんです(というか初見で弾くには、ゆったりテンポの一楽章しか私にはムリであった)。
まあ、びっくりしたこと
こんな曲が作れるなんてベートーヴェンって天才!?と愕然としましたですよ。
聴き慣れすぎている曲のはずなのに、まるで初めて聴いたような感覚でした。
バレエファンの人達が観ているだけでは足りずバレエを習ってしまう気持ちがよーーーくわかった。例えプロのピアニストの音とは比べものにならなくとも、自分の指で鍵盤に触れて音を出してその曲を弾いてみると、耳で聴いていただけではわからなかったものが見えてくるものですねえ。タイムスリップしてその曲を作曲したときの作曲家の心に近づけたような、そんな感覚になれたんです。
私はピアノを高校生のときにやめてしまい、実家に帰ったときに昔習った暗譜で弾ける曲を極々たまに弾く程度だったので、新しい曲を弾いたのは数十年ぶりで、この新鮮さと驚きといったらありませんでした。

今更大変な練習をする気も、譜読みに時間をかけるつもりも皆無。誰かに聴かせるわけでもない。ただ自分が弾きたいときに弾きたい曲を弾いてみたいだけ。
大人がピアノを欲しくなる理由なんて、それで十分だと思ったんです
そんなときちょうどアマゾンで電子ピアノのタイムセールをしていて、このピアノ(KORG B1という機種)が28,800円で売っていて。クチコミを参考にお財布とちょっと相談してから、ポチ。来日オケのサントリーホールS席一回分のお値段ですから、高い買い物とは思いません。

そして届いたこのコですが、最近の電子ピアノのコスパって素晴らしいのですねえ 正直楽器というよりデカいコンピュータにしか見えなかったり、ペダルが心もとなかったり、ドとミを同時に弾くと何故かソが小さく鳴ったりするけども、この値段でこれだけ美しい音で楽しませてくれるなら大満足です。
もちろんホンモノと比べれば音にも味わいにも天と地の差はありますが、夜間でも弾きたいときに弾きたい今の私に合っているのは、ホンモノではなく電子の方。それにいつ飽きるかわからないので、高いものはいらないんです。ガシガシ弾くつもりもないし。

ピアノを買ったらまず一番に弾きたかったのが、バッハ。
光子さんのアンコールで聴いたフランス組曲5番のサラバンド、シフのアンコールで聴いたゴルトベルク変奏曲のアリア、ペライアのCDで聴いたフランス組曲4番のアルマンド。
シフは一日の始めに必ずバッハを弾くそうですが、私はこれらの曲を一日の最後に弾くと、とても癒されます。
世界も人生も全部肯定できるような、そんな気持ちになれちゃうんです。
300年近く前にこんな美しい音楽を作った人がいて、それから今日まで時代が変わっても私達は同じように美しさを感じて、哀しみを感じて、喜びを感じて生きているんだなあ、と。この300年の間に今の私と同じようにこれらの曲の美しさに励まされていたであろう人達の呼吸を、国も時代も超えて、近くに感じるような気がするんです。

というわけで、ピアノのリサイタルには行くけれど自分ではもう長いこと弾いていない、家にピアノもない、今更レッスンに通ったり大変な練習をする気もない、という私のような方がおられましたら、音楽を聴く延長線上としての電子ピアノ、オススメです。楽しいですよ 運指なんかテキトーでOK。ド下手でもヘッドフォンをつければ人に迷惑はかからない。誰のためでもない、自分の楽しみのためだけに弾くピアノ。大人になった今だからこそできる楽しみ方です

一つだけ心配なことは、このピアノがどれくらいもってくれるか。アマゾンのセールだったので延長保証をつけられなかったのです。電子ピアノというものを初めてまともに弾いて実感したのが、楽器よりもコンピュータに遥かに近いということ。調律やメンテナンスで半永久的に使えるようなものではなく、PCと同じで壊れたらそれまで。少しでも長持ちしてくれますように( ̄人 ̄)

Horowitz plays Moonlight Sonata



Mitsuko Uchida - Bach French Suite - Sarabande

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