風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル @東京オペラシティ(3月23日)

2017-03-29 23:53:25 | クラシック音楽

Sir András Schiff about Bösendorfer pianos



21日に続いて行ってきました。4人の作曲家の「最後のソナタ」です。
モーツァルトが亡くなったのが35歳、シューベルトが31歳、ベートーヴェンが56歳、一番長く生きたハイドンが77歳。
人間の一生なんて本当に短くて、でもその短い人生でも人はこんなに美しい音楽を作ることもできるのに。
このリサイタルの前日にはロンドンでテロがあって。一昨年の光子さんのリサイタルのときもパリでテロがあって。日本も世界も問題が山積みで。。。

さて、この2回のリサイタルを聴いて心から思ったのは、シフってモーツァルトもシューベルトもハイドンもベートーヴェンも、それぞれの個性を本当に上手く表現するんですね。それぞれがそれぞれの作曲家の音楽のように聴こえるという点では、これまで聴いたことのあるピアニストの中で一番かもしれない(バレンボイムさんはモーツァルトしか聴いていないのでこの限りではないけれど)。

【モーツァルト:ピアノ・ソナタ第18(17) ニ長調 K.576
先日のリサイタルでシフ×ベーゼンドルファーはたっぷり聴いたはずなのに、また今夜も初めて聴いたかのように音色にウットリしてしまった。明るい音は明るく、暗い音は暗く、短調と長調で一瞬で色が変わるのも気持ちいい。
今日のモーツァルトは、音に身を預けきって安心して聴くことができました。というかあまりの音色の美しさに聴き惚れて、ふと気付くとメロディが耳に入ってこないときがあるほどであった。美音すぎるのも考えものね^^;。あるいはモーツァルトの音楽にそういうところがあるのかなぁ。天国的とよく形容されますもんね。そういえば光子さんのモーツァルトのときも「天上の音楽だなぁ」と感じたのであった。
これだけ美しいものを聴けたからもうなんだっていいや、と思いました。本当に楽しかった。

【シューベルト: ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D960
「シ、シフ先生、そろそろ呼吸をしても構いませんでしょうか・・・(クルシイ)」となるくらいにはたっぷり時間をかけて客席を静まらせた後、演奏開始。
インタビューで「20番の方が偉大だと思っている」とはっきり仰っていましたし、曲順を前にずらしたほどなので(当初の予定ではベートーヴェン32番と逆だった)、この曲はシフにとってあまり思い入れのない作品なのかなぁと思ったりしていたのだけれど、演奏を聴いたらとんでもない。そりゃあそうか、敬愛する作曲家の最晩年のソナタですものね。
で、20番もそうだったのだけれど、シフの弾くシューベルトってかなり本来の私の好みに近くて、深刻になりすぎない軽やかさとか、粒立ちのいいタッチとか、光と闇の変化とバランスとか、透明感とか本当に素晴らしくて、この21番の1~3楽章も、ああ、いいなあ・・・・とちょっと涙が出そうにさえなりながら聴いていたのですけれど。
・・・・・今日もやっぱり4楽章が私にはダメだったのですぅぅぅぅぅ・・・・・泣。
私、“ツィメさんシューベルトの呪い”か何かにかかってしまっているのかも・・・・・・・。ツィメさんの4楽章の演奏はどちらかというと好みじゃなかったはずなのに、シフを聴いていてもあのとき見えた光を探してしまっているワタシがいる・・・(その当人は数年間リサイタルやらない宣言したそうですね・・・-_-;)。
ところでシフって、フォルテピアノでシューベルトのソナタを録音してるんですね。聴いてみたいな。でも結構お値段高いのよね。。

【ハイドン: ピアノ・ソナタ 変ホ長調 Hob. XVI: 52
シフ先生曰く
S: たとえば彼の最後のソナタ(Hob.XVI:52)ですが、変ホ長調の曲なのに、第2楽章はホ長調で書かれ、中間部はホ短調になっています。なんと大胆で奇抜な発想でしょう!変ホ長調とホ長調の間の距離感を聴衆が理解していなければ、ハイドンのユニークな発想、「調を間違えた」と思わせるユーモアに気づくことはできないでしょう。同じように、第3楽章の冒頭のG音の連続は「冗談」……、ただ聴いただけでは、第2楽章の結尾部のホ短調の続きのようですが、左手にE♭音が現れて、騙されていたことに気づき、その後で変ホ長調に戻ります。
 しかし、ハイドンはただユーモアにあふれていただけではありません。この作品は、小さなモティーフで大きな構造物を組み立てるような技法を使っています。第2楽章の主題のメロディーは第1楽章の展開部から生まれ、作品全体が循環し、ハイドンの傑出した才能を感じさせます。それがベートーヴェンに大きな影響を与えたことは間違いありません。

まず前提として絶対音感絶賛狂い中by老化(譜面より1音上に聴こえたり聴こえなかったりする)のワタクシには、この1楽章が変ホ長調に聴こえたりへ長調に聴こえたり微妙に不安定で。。。なので2楽章のユーモアを知覚するのはムリだった(-_-;)。まぁ、それは今更気にしない(でも実は結構悲しい)。ところでG音(今の私にはラに聴こえるが)が聴こえるとどうしてホ短調の続きと勘違いすることになるのだろう。変ホ長調だって普通にG音使うよねぇ。そもそも2楽章の結尾部ってホ短調ではなくホ長調ではなかろうか。・・・アタマの悪い私にはシフ先生の仰っているハイドンのユーモアの理屈が難しすぎてわからない。どなたか教えて・・・。
でもシフ、楽しそうに生き生きとした音で弾いていましたね^^。とても素敵なハイドンだった。この作曲家も子供の頃には良さのわかりにくい作曲家だったけど、昨年のペライアでもヤンソンス×バイエルンでもとっても良くて、ちょっとずつ良さがわかってきたような気がします。また機会があったら聴きたいな、シフのハイドン。

※バロックや古典派の時代の楽器って今より低い調性だったと聞いたことがあるので、聴くときに調性はさほど気にしなくていいと思うけど、現代に近い作曲家の曲を作曲家が意図したとおりの調性で聴きたくて、でも私のように加齢で絶対音感が狂ってしまったお仲間さんへ。
自分のピアノで最初の数フレーズを楽譜どおりに弾いて、例えばこの曲ならミ♭ッソッラ♭~と聴こえるようになるまで何度も繰り返して、聴こえた直後にCDをかけたら、しばらくはちゃんと変ホ長調の曲に聴こえるようになりますよ♪効果は長く続きませんケド・・・(気を抜くとすぐにファッラッシ♭~に戻る)。二度と作曲家の意図したとおりの音でその曲を聴けないよりは、それだけでも良しとしよう。。。

【ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第32番ハ短調 op.111
やっぱりこの人のベートーヴェンいいなぁ。
終盤のトリルぽいところからの高音トリルのところは、もはや星空じゃなくて宇宙が見えたわ。空間や時間や肉体の感覚がなくなって、宇宙の真ん中に自分の魂がぽっかり浮いているような。音楽ってこんな体験まで人にさせることができるんですねえ。本当に、別世界にいるようだった。これだから演奏会通いをやめられないのだよなぁ。ここからラストまで、一気に連れていっていただきました(あ、でも途中の静かなところで咳が気になったかも。←シフさんがうつってしまったわ・・)。

今回のこの「Last Sonatas」シリーズ。私には作曲家の「死」というよりも(実際に作曲時に迫りくる死を意識していたのはシューベルトくらいか)、どちらかというと「生」の方を、この記事の最初にも書きましたが「人って生まれて、生きて、成長して、死ぬまでにこんなに素晴らしいものを作ることができるのだなぁ、これほどのものを残すことができるのだなぁ」と、人間や人生の可能性のようなものを明るく前向きに教えてもらえたような、そんな演奏会でした。それくらい4人の最後のソナタと最後から2番目のソナタが美しかったから。そういう演奏をシフが聴かせてくれたから。

そしてもう一つ感じたのは、こんなに美しい音楽を作れるなんて、彼らはその人生でどれほどの美しい景色をその心で見ていたのだろう、ということ。こんなに美しい音楽を作り出す人たちが次々に生まれた時代ってどんな時代だったんだろう。それを思うと、文明の進歩イコール人間の内面の進歩、人の幸福とは本当にいえないなぁ、と。でも文明が進歩したおかげで飛行機が作られて、こうして素晴らしいピアニスト達の演奏を日本で聴くことができるのだから、やっぱり文明のおかげの幸せもあるのだよなぁ。とか

~アンコール~
1楽章を1曲と数えると21日は7曲のアンコールを披露してくれたシフ。本日は8曲(^-^)

【J.S.バッハ: ゴルトベルク変奏曲 BWV988から アリア】
【J.S.バッハ: パルティータ第1番 BWV825から メヌエット、ジーグ】
【ブラームス: インテルメッツォ 変ホ長調op.117-1】
【バルトーク: 「子供のために」から「豚飼いの踊り」】
【モーツァルト: ピアノ・ソナタ第16(15)番 ハ長調 K545から 第1楽章】
【シューベルト: 即興曲 変ホ長調 D899-2】
【シューマン: 「子供のためのアルバム」op.68から 楽しき農夫】

4人の作曲家の最後のソナタを聴いた末に聴くバッハのゴルトベルク変奏曲のアリアとか、もうねぇ。。。 幸せの極み以外の何物でもないよねぇ。。。。。シフのバッハ、本当にすごくいいなぁ。いつかゴルトベルクの全曲を生で聴きたい。

そしてブラームスが素晴らしかった 隣の席の兄ちゃん、シューベルトからほぼずっと熟睡していて途中で寝言まで言っていたツワモノさんで、たまに目を覚ましても拍手は指先だけでしたりやたら咳したりの「それはブーイングですか?」な兄ちゃんだったけど(実際そうだったのかも)、このときだけはいっぱい拍手してたわ。

バルトークを弾く前に客席に向かって突然「ほにゃらら」と仰ったけど、3階席からは聴き取れず。後からツイで知りましたが、「バルトーク、ヒキマス」だったようで。なぜこのときだけ?と不思議だったけど、過去にリサイタルに行った方のブログを読んでいたら、やっぱりいきなり「〇〇、ヒキマス」と言っていたそうな。シフって面白い。。
この曲も素敵でした!民族音楽のような現代音楽のような。「バルトークぽい」と感じるほどのバルトーク経験はないので、誰の曲か全く検討つかずに聴いていましたが。バルトークって昨年のマーラー・チェンバー・オーケストラで初めて聴いたけど、あの演奏も最高にカッコよかった。他の曲も生で聴いてみたいな。

バルトークは、シフと同じハンガリー人なんですね。自身はユダヤ人ではなかったけれど、第二次大戦勃発と同時に母国を去って米国に移住。終戦の年にそこで亡くなっている。その数年後にハンガリーで生まれたのがシフ。その頃のハンガリーはもちろんソ連の衛星国で、民主化されたのは1990年。それまでの東欧諸国がどのような状態であったか(もっともハンガリーはポーランドなどに比べると緩い共産主義だったと聞きますが)。
シフはそういう時代を生きて、見てきた人なのよね。ポーランドで生まれ育ったツィメルマンもそう。
そしてファンであってもツィメルマンの演奏を聴くことのできないアメリカの人達。自国のピアニストなのにシフの演奏を聴くことのできないハンガリーの人達。ただ東京にいてこうしてシフやツィメルマンの演奏を聴けることがどれほど幸せなことか。絶対に当たり前と思ってはいけませんね。彼らが東京で演奏をしたくなくなるような国には決してなってはならない。
ところでシフは現在は英国籍なわけですが(2001年からだそうです)、そのイギリスはEU離脱しちゃうし。これから世界はどうなってしまうのでしょう・・・。

そうそう、書き忘れるところでした。アンコールのシューベルトシューマンも、とても良かったです。シューベルトのあの曲って子供の頃によく弾いたけど(ピアノをやる人ならみんなそうだと思うけど)、あんな風にコロコロとした音で聴くと本当にいい曲ね。今度実家に帰ったら久し振りに弾いてみようかな。あまりの音の違いにすぐに嫌になることは目に見えてるけど。
シューマンも、あの聴きなれた曲がまぁ美しいこと美しいこと・・・。思わず身を乗り出して聴いてしまいました。 

19:00開演、21:30終了。
シフのリサイタル、次回も絶対に行きます(^-^)/


Omaggio a Palladio 2012. Schiff plays Brahms Intermezzo op.117 no.1



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アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル @東京オペラシティ(3月21日)

2017-03-25 04:19:48 | クラシック音楽



モーツァルト、ベートーヴェン、ハイドン、シューベルトの「最後から2番目のソナタ」(21日)と「最後のソナタ」(23日)を演奏するという今回のリサイタル。これに「最後から3番目のソナタ」(今回の来日ではなし)を加えて、シフが数年前から取り組んでいるシリーズだそうです。
私は演奏会以外では殆どクラシックを聴かないため(だから全然知識が増えない)、シフの演奏も録音で数曲聴いたことがあるだけでした。
最初はその外見から勝手に穏やか~なイメージを抱いていたのでありましたが、先日、公演のホームページを覗いてギョッ

『3/21(火)と3/23(木)に東京オペラシティ コンサートホールで行われます、アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル「The Last Sonatas」につきまして、既に3月21日(火)の公演は、演奏者本人の強い希望により休憩がない旨、チラシや情報誌等でご案内しておりましたが、3月23日(木)の公演もまた、本人の強い希望により演奏曲順を変更し、また、休憩をとらずに公演を行うこととなりました。こうした曲順で続けて演奏されることで、さらなる充実した時間と空間が生まれることをスタッフ一同も確信しておりますが、お客様にはご苦労、ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。』

・・・・・・・・・・・・・・がびーん・・・・・・・・・・・・・・。
ワタクシ・・・、必要があろうとなかろうと、休憩時間には必ずトイレに行っておくタイプの客なのに・・・・・・・・・
シフさんってば意外にメンドクサイこだわりの強いピアニストでいらしたのね・・・。
正直、これほど事前の緊張感を強いられたリサイタルは初めてでございました・・・(結果的には問題なかったけど)。
海外のレビューで知りましたが、シフは数年前には客の咳でアンコールを途中でやめたこともあるそうで。そのときシフは「このアンコールは私からあなたたちへのギフトなのです」と説明したそうで、あなたたちはその気持ちに咳で応えるのか、と言いたかったのだろうとそのレビュアーは書いていました。そして次に同じ会場で行われたリサイタルでは、ただの一つの咳も起こらなかったそうです。クシャミと違って咳はハンカチを口に当てれば音を防げるのに演奏中にそういう気遣いをしない客が多すぎると私も感じるので特に厳しい要求だとは思わないけれど、シフのリサイタルはそういう風に客にマナーが要求されている空気が常に存在しているので、正直すこし気疲れしてしまいました
でもそれだけ音楽に真摯に向き合っているからだと思うので、私はそういうのキライではないです。トイレ休憩なしは辛いけど笑。

以下、感想~。

【モーツァルト: ピアノ・ソナタ第17(16)番 変ロ長調 K.570】
演奏が始まる前の会場のあまりの静寂に吐きそうになりました。冗談じゃなく真空の中にいるみたいだった。
演奏が始まってすぐにはっとしたのが、ピアノの音色の美しさでした。今まで聴いたことのないタイプの音。

私は子供の頃から全ての楽器の中でピアノの音が一番好きで、人類が発明した全ての楽器の中で最も素晴らしい発明はモダンピアノはではないかと本気で思っているほどで、バッハやモーツァルトをこの楽器で聴けることは現代の私達が受けている最大の幸福ではないかと思っている人間なのです。昔ザルツブルクでモーツァルトのフォルテピアノで弾かれたCDを買って聴いて「なんじゃこりゃ!」と衝撃を受けて以来、この思いは更に強くなりました(今ではその良さも少しわかるようになりましたが)。このCDが25年前のシフ夫妻による演奏であったことは先程知りました

話をリサイタルに戻して。
この音色がシフの弾き方によるものなのか、ベーゼンドルファー(←今回初めて知った。世界三大ピアノと呼ばれているそうですね。今回の日本ツアーでシフが使用しているのは280VCという最新モデルとのこと)によるものなのか、たぶんその両方だと思いますが、とにかくものすごく好みな音
派手さや鋭さはないけど、素朴さ、深みに華やかさや艶やかさまで兼ね備えているところがスゴイ。そして音色の多彩さ。低音は良い意味で太くガリガリ響いて、中間音は丸っこい温か味があって(あるいは半透明の水の玉のような感じで)、高音の煌めきはスタインウェイがクリスタルならこちらは氷。
みんなもっとベーゼンドルファー使えばいいのにと思うのだけど、全体にまろやかな音なので協奏曲とかではオケに埋もれてしまったりするのだろうか。

ただ演奏それ自体については、シフの個性に慣れるのに少し時間がかかってしまった。。。シフの演奏って「知的に考え抜かれた解釈を完璧なコントロールで弾いている、成熟した大人の演奏」という感じで。たとえばペライアの演奏を聴いていると、私よりずっと年上のはずなのに青年か少年のように感じるときがあるのだけれど、シフにはそういう感じはあまりない。そんな、感情の発露ではなく極上の情景や物語を聴いているような、楽譜そのものが語っているように聴こえる感じは、私が今まで聴いた中では光子さんが一番近いような気がする。
結局この一曲目は、ピアノの音色に感動して、シフの個性に戸惑っているうちに終わってしまったのでありました・・・。

【ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 op.110】
この日の4曲の中で私が一番心動かされたのが、この曲でした。
シフの演奏を生で聴いて意外だったのが、先ほども書いたけれど、よく歌っている、語っていること。目の前の情景が物語が進むに連れて次々移り変わっていく感じは、クラシック音楽を聴いているというよりも、まるで映画を見ているよう。この曲ってこういうストーリーだったのかと改めて気づかせてくれる感じで。なのに説明的に感じさせないのが、このヒトのすごいところだと思う。
そしてベーゼンドルファーって単音でポロン、ポロンと弾かれるとき、ちょっとぞくっとするほど美しい音が出る。3楽章の「嘆きの歌」のところ、3階席の目の前の空間に真っ暗な闇の中ぽつぽつと煌めく星空が見えて、それを少年がただ一人ぽつんと孤独に見上げているような、そんな風景が見えて、うっとりしてしまった。あまり好きな映画ではないけど『不滅の恋/ベートーヴェン』のあの1シーンのようだった(※劇中のペライアの演奏はもちろん好きです)。暗闇で孤独なのに、とてつもなく美しくて。シフの指から紡がれる弱音がもうたまらない。それが次第に元気を取り戻して、輝かしく高らかなクライマックスへと力強く向かうあの多幸感・・・ シフのベートーヴェンって録音でも聴いたことなかったのですが、いいですねえ!

【ハイドン: ピアノ・ソナタ ニ長調 Hob.XVI:51】
5分程度の短い曲だけど、楽しかった♪ 
重い2曲の間で気分転換できる感じで、曲順もグッドでした。

【シューベルト: ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959】
―― 変ロ長調のソナタは「シューベルトの最後の言葉」で、深い意味を持つ作品だと考えられていますよね。

S: それは誤解なのです。シューベルトは人生の最後に3つのソナタを書きましたが、順序をつけていません。楽譜商がハ短調、イ長調、変ロ長調という順番で発表したのです。私はこのソナタ3部作は同時に書かれた作品だと考えています。もしも順序をつける必要があるなら、最初のハ短調に呼応して最後は輝きに満ちたイ長調で終わった方が、シューベルト最後の創作にふさわしいと思います。

―― シューベルトは晩年のピアノ・ソナタで何を語りたかったのでしょうか? これは「遺言」だったのでしょうか? それとも「希望」だったのでしょうか?

S: 両方でしょう。変ロ長調のソナタの第2楽章は寂寞とした死灰のようです。しかし、死灰の中から新たな魂が生まれ、第3楽章では永遠に不滅の精神世界を謳い上げています。イ長調のソナタもそうです。それがシューベルトの音楽の奇跡なのです。イ長調のソナタ(D959)が変ロ長調(D960)のソナタより優れていると思うのは、3つの美しく精彩を放つ楽章を経て、さらに第4楽章で人間のあらゆる感情を生き生きと描き出しているからです。最初は素朴な民謡のようなメロディーで始まり、オーケストラを思わせる輝かしく壮大な讃歌に発展していきます。作品の構造的にも、情感という意味でも、まさに神の技としか言いようがありません。
 この晩年のソナタ3部作は偉大な創作です。ハ短調のソナタ(D958)の仄暗く恐ろしい雰囲気は、一度聴いただけで誰もが忘れることはできないでしょう。人間の心の奥底に潜む暗い影を描き出していると思います。この3部作以外に、ト長調のソナタ(D894)も素晴らしいと思います。この作品も、得難い傑作ですね。
インタビュー@Kajimoto)

ハイドンから間を置かずに(客に拍手する間を与えずに)シューベルトに入る流れ、とってもよかった。シューベルトが死の前年に病を押して徒歩でハイドンの墓を訪れたというエピソードを思い出して、ちょっとホロリとしてしまいました。
この曲もベートヴェンと同じく1楽章から4楽章に向かって「この曲ってこういうストーリーだったのだなぁ」と再発見させてもらえた、そんな演奏でした。シフは曲全体に一貫したストーリーを見せてくれるのね。ああ、このフレーズにはこんな意味があったのかと新しい面を教えてももらった(まぁそれも一つの解釈に過ぎないのはわかっていますが)。
このピアノの素朴な音色も曲にとてもよく合っていて、深刻になりすぎない演奏も好みでした。
ただシフの演奏は最初から最後までコントロールされてる感が決して崩れないので、それがベートーヴェンでは気にならなかったのだけど、この曲では気になってしまったんです。1~3楽章は良かったのだけれど(特に2楽章から3楽章へ移るところは思い出してもゾクゾクします)、それを一番感じたのが最終楽章。そういう意味で個人的には、死ぬ前に人生のおもちゃ箱をひっくり返してしまったようなツィメルマンの20番の方が私は好きでした。あとツィメさんのときに見えたあの最後の黄金色の光は、ベーゼンドルファーでは難しいのかもしれない。あれは平均律を崩していた(と噂の)ツィメさん改造のスタインウェイならではだったのかも。。

~アンコール~
シフがアンコール好きで有名だということを知らなかったので、曲数に驚きました
客からのおねだりというよりも、ご本人も楽しんでいるように見えたナ。客電もつかなかったですし。
63歳ですよね。タフなお人だ。。。

【シューベルト: 3つのピアノ曲 D946(遺作)から 第2曲】
いいねえ、いいねえ、歌ってますねえ~ 薫るようなお花が見えた
この曲は知らなかったのですが、シューベルトぽいなぁと思ったらシューベルトでした。
華やかだけど郷愁のようなものも感じられて、本当に素敵だった。シフのこういう演奏、すごく好きです。クサさがないのにロマンティックなんだもの。

【J.S.バッハ: イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971(全曲)】
シフのバッハ聴きたかったからすごく嬉しかった(ええ、ミーハーです)
この曲も知らなくて、曲調からバッハだろうとはわかりましたが、同じ曲の1楽章~3楽章まで全曲弾いてくださっていたとは、帰宅してからネット情報で知りました(1楽章と2~3楽章の間で一旦奥に引っ込まれたので、違う曲なのかと思っていた)。
いやぁ、素晴らしかったですね~~~。興奮しました~~~。子供の頃はバッハの良さってよくわからなかったけど、こういう演奏を聴くとすごくよくわかる。
終わった後はすごい拍手とブラボーでしたね。指笛も。客席大喜び^^ シフさん好かれてるんだなぁ。

【ベートーヴェン: 6つのバガテル op.126から 第4曲】
これも誰の曲か知らなかったのだけれど、先ほどベートーヴェンで見えたあの星がまた見えるなあと思っていたら、本当にベートーヴェンでした。シフは前回の来日でこれを弾いているんですね。これもよかったなぁ。かっこよかった

【モーツァルト: ピアノ・ソナタ第16(15)番 ハ長調 K.545から 第1楽章】
【シューベルト: 楽興の時 D780から 第3番】
この二曲はさすがに知っていました。モーツァルトは昔弾いた、シフとは完全別物な音で(後半のリピート部分の変化は楽譜にあったっけ?シフのアレンジ?素敵だった♪)。こういう軽めの曲をシフのようなピアニストの演奏で聴けるのもアンコールの醍醐味ですよね。

続いて6曲目・・・と思わせて、蓋を閉じて「もうおしまい」とニッコリお茶目に終わり
19時開演、21:20終了。

※23日の感想はこちら

※アンドラーシュ・シフ、来日を前に4人の作曲家の晩年を語る Vol.1 ―― モーツァルト、シューベルト
※アンドラーシュ・シフ、来日を前に4人の作曲家の晩年を語る Vol.2―― ハイドン
※アンドラーシュ・シフ、来日を前に4人の作曲家の晩年を語る Vol.3―― ベートーヴェン



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スノーモンキー @地獄谷野猿公苑

2017-03-18 13:08:19 | 旅・散歩



  野猿公苑はニホンザルが暮らす環境の中で、より 自然に近い状態でサルを観察する施設です。そのため、地獄谷野猿公苑は人里から離れた山奥にあります。便宜上、施設として仕切られていますが、柵もなく、ニホンザルが自由に出入できる自然環境を利用した施設です。 

  ニホンザルは施設で与えるエサを求めて野猿公苑にやってきます。ニホンザルは半径数kmほどの行動範囲の中で生活しています。野猿公苑でエサをもらえる日中のほかは、行動範囲の森林で自由に生活をしています。ニホンザルの生活は野猿公苑の施設の中だけで完結しているわけではありません。ニホンザルたちにとって野猿公苑は生活の一部分でしかありません。 
  ニホンザルの行動によっては野猿公苑に現れないこともあります。餌づけされているとは言え、野猿公苑にいるニホンザルは野生のニホンザルなのです。
(地獄谷野猿公苑HPより)

3月の上旬、ワタクシ、長年の夢を一つかなえてまいりました\(^〇^)/
長野県の地獄谷温泉でスノーモンキーに会ってきたのです

1964年開苑のこの公苑を世界的に有名にしたのは、1970年にLIFEの表紙を飾ったこのコなのだそうです↓


ですが私が地獄谷に行きたい!と思うようになったきっかけは、1994年にNational Geographicの表紙を飾ったこのコでございました↓


真っ白な雪の中で遊ぶふわふわの子猿・・・・・ああっ、見たいっっっ。
しかし雪深き道を30分も一人で歩くなんてイギリスより遠い・・・・となかなか実行に移せずにいるまま早数年、、、。職場の外国人同僚にはさっさと先を越され(地獄谷の観光客の8割は外国から来ているYOU達なのデス)、、、。
しかし今年、ついに友人が付き合ってくれることになったんです!


地獄谷に行くには、長野駅から長野電鉄に乗り換えます。
こちらはその名もスノーモンキー号という特急列車。なんと昔の成田エクスプレスの車両が再利用されているんです。
NARITA EXPRESSならぬNAGADEN EXPRESS。


車窓からの景色はどんどん雪深くなっていって、リンゴの木(よね?)が信州らしい風景。


地獄谷の最寄駅、湯田中に到着!特急の終点です。
早速、おサルさんがお出迎え


休憩室にもスノーモンキー。
湯田中駅は昭和を思い出させる、のんびりしたいい駅でした。


上林温泉の宿に荷物を置いてから、地獄谷へ向かいます。
私が泊まった上林ホテルは地獄谷温泉へのトレイルのほぼ入口にあるので、ここから例の徒歩30分が始まります。
3月でだいぶ温かくなったとはいえ、この日も午前中に雪が降り、雪+氷+泥で足下が滑ります。宿で長靴を借りられて助かりました。
でも雪が陽射しにキラキラ光ってとてもキレイ。


下を見るとこんな感じ。柵はないので、滑ると結構コワいです。


イギリスより遠いと思っていた30分の雪道も友達とだとあっという間で、公苑入口に到着。
ここから最後の階段をのぼります。


振り返るとこんな感じ。やっぱり秘境ですね~。冷たい空気が気持ちい~。
眼下に見える建物は、後楽館という地獄谷温泉唯一の宿泊施設です。


入口でチケットを購入し(800円也。私はパック料金に込みでした)、整備された雪道をテクテク歩いてゆくと、突き当りにモクモクと湯気の立ち上っている露天風呂が。
ここが色々な写真で見る「温泉に入るサル」のお風呂ですね。
思いのほかきちんと作られた、心地のよさそうなお風呂でした。こんなお風呂なら人間だって入りたい。
左に赤く見えているのは、ホームページで公開されているライブ映像用のカメラです。


近づいていくと・・・・・おや、湯気の向こうにどなたかお一人入っていらっしゃるようですよ。


「ふぅ・・・いい湯加減だのぅ・・・・」
贅沢に貸切状態の風呂を満喫し、目を細めるお方


「ん?なにか?」
カメラ目線(笑)
この日は気温が高かったので、ほとんどのお猿さんは周辺で日向ぼっこしたり、遊んだり、昼に撒かれた餌を食べたりしていました。
そんな中、一匹だけ温泉に入るこのお猿。1時間以上は入っていました。
お湯の温度は42度とのことなので、人間のお風呂と同じ熱さ。
これでのぼせないとは、本当にお風呂好きなサルなんでしょうね。顔を真っ赤にして、気持ちよさそうに入っていました(^_^)


あまりに長く入っているので、観光客も次第にこのコに関心を払わなくなってきて。
そんな人間(大きなサル)達を見つめる後ろ姿。どんなことを考えているのでしょうか。
お気に入りの写真です笑


この露天風呂の麓には小川が流れていて、その河原にも沢山の猿達がいます。
苑内全部合わせると100匹以上はいたのではないかなぁ。


こちらは上の露天風呂よりも陽があたってポカポカ。
子猿の丸っこいシルエットがたまらない(>_<)


あちこちで作られていた猿団子
こうするということは、やっぱり寒いことは寒いんですかね、サルたちも


でんれ~と人間様の通り道でくつろぐサル
本当にここのサル達は人間に対する警戒心がゼロで、お腹を見せて寝ているサルまでいます。
完全に人間を無視していて、人間に対して無関心。それだけ安心しているということだと思うので、現在のこの公苑の状況はどちらにとってもちょうどいい距離感なのでしょうね、きっと。
そうはいってもこの日は観光客の数はあまり多くありませんでしたが、多いときは相当多いはずなのに、それを経験していてもこの警戒心のなさ。サルってあまり神経質な動物じゃないのでしょうかね。


これ、望遠レンズじゃないんですよ。目の前30cmくらいにいるんです。
サル達は普通に足下をチョロチョロしているので、そして人間を避けないので、ぼけっと歩いてると子猿を踏みそうになります。


結局1時間半ほど公苑にいましたが、帰る頃(3時頃)にスタッフの方による餌撒きが行われ、それ以降はどのおサルさんもご飯を食べるのに夢中になってしまいました。みんなひたすら下を向いて餌を食べ続けるので、餌を食べていない時間の行動の方が一匹一匹の個性が出て圧倒的に見ていて面白いです。
とはいっても、この後ろ姿・・・笑 もぐもぐもぐ・・・
ああ、ほんっと真ん丸、ふわっふわ!


少し離れた場所でも、雪のなか転げまわって遊んでいました。
サルって犬みたいに雪が好きなのかな。


苑内には休憩所もあります。しっかり暖房が効いていて、綺麗なトイレもありました。少ないですがお土産も売っています。
なお飲食物の販売は一切ありません。苑内での飲食も、サルに餌を与えるのも厳禁。スタッフ以外の人間から餌をもらえることを覚えると、人を襲うようになってしまいますからね。今は「どうせこの観光客達からは何ももらえないし~」と承知している感じです。もちろんサルに触れるのも厳禁。

野猿公苑はヒトの生活空間にニホンザルや野生鳥獣がやってきたのではありません。ニホンザルや野生鳥獣が元々生息する、人里離れた自然の中にヒトの方が訪問しているのだということをご理解ください。
(公苑HPより)

アラスカのデナリ国立公園と同じ考えですね。もっともデナリは自然体系が壊れるという理由で餌付けをしていないので、あちらの方が徹底しています。でも自然に近いサルの行動をこうして私達が気軽に観察できるのは餌付けのおかげ・・・。難しいところですね。それにアラスカはサルじゃなくて、クマやオオカミだしね
ところでこの施設に関するネットのレビューは当然海外からのものがとても多いのですが、アラスカから訪れた方が「amazing!」と興奮したレビューをのせていて、なんだか嬉しくなっちゃいました。日本の繊細な自然も本当に美しいよねえ。でもアラスカの壮大な自然もまた行きたいなあ。


帰り道。新雪が風に舞ってキラキラ!


宿は上林温泉にとりましたが、夕食まで時間があったので、近くの渋温泉にお散歩。渋温泉の温泉街はちょっと寂れた感じで正直ビミョーでしたが、途中にあったこちらの玉村酒造さんはとても雰囲気のいい素敵な酒造でした。


ギャラリーには伊東深水の絵画などが飾られ、試飲の利き酒コーナーにはこちらの酒造の日本酒がズラリと並んでいます。
どれも美味しかったぁ。。。
一番左はにごり酒の『雪猿』。クセのない味で瓶もお洒落なので、地獄谷のお土産にぴったりです。
他にお客さんはいなくて、従業員の方も事務所におられたので、静かにゆっくり見学させていただきました。
入場無料。


宿泊した旅館は、上林ホテル。
皇室の方達も利用されているそうで、写真が飾られていました。
温泉も気持ちよく、食事も美味しくて、とても素敵な旅館でした。
またラウンジの飲み物は飲み放題でくつろげますし、夜にはロビーで弦楽四重奏の演奏もありました。


お部屋からの景色。雪をかぶった信濃五岳が綺麗に見えました。






朝食は和洋から選べたので、洋食にしました。
旅館って夜が和食なので、朝に洋食が食べられるのは嬉しいです。
どれも美味しかった(*^_^*)


帰りの新幹線に乗る前に、善光寺さんに寄ってお参り。お戒壇めぐりが楽しかった!
史料館には、ダライラマ法王が来られた際に作られたという砂曼荼羅が展示されていました。でもあれって出来上がったらすぐに崩すのが本来のあり方なのではなかったでしたっけ・・・?


【動画(やっぱりサルは動画が楽しい 下4つは音声を消しています)】















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「あとはおまかせ」 

2017-03-07 21:34:04 | 旅・散歩



禅のこころ
「あとはおまかせ」

 私達は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息をひきとります。仏心と言っても抽象的でわかりにくいものではなく、大自然と置き換えてもけっこうです。
 大自然の中にほんの一時命をいただいて、大自然の中で生かされて、大自然の中でまた息をひきとって参ります。
 お日様の光、空気、風、大地、お庭の草や木、周りの家族、身近な人々など私達はこの大自然のほんの一部であります。生きるも死ぬも大自然の中、仏心の中。
 大自然の中で命のある限り、最後まで精一杯明るく努めていく!そうすれば、あとはおまかせであります。

(鎌倉 円覚寺)


先週末に行った、円覚寺の拝観券(ていうのかナ?)にあった言葉。
私は無宗教ですけど、命や自然に対するこういう感覚は同じです

久しぶりに行ったら、円覚寺の見晴茶屋が「洪鐘弁天茶屋」という名前でリニューアルオープンしていました。
新橋のサラリーマンの定食屋みたいになっておった・・・
以前の時代劇に出てくる峠の茶屋のような雰囲気が好きだったのになぁ。なんてセンスがないのかしら。
でも軽食メニューが増えたのは、小腹が空いたときにはいいかもです。値段設定は高めですけど。




弁天ベジカレー(750円)と白玉小豆(650円)。
味もなかなか美味しかったですよ。

向かいの東慶寺の梅は、今が盛りでした。
最初の写真の福寿草も、東慶寺にて。





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