風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

内田光子ピアノ・リサイタル @サントリーホール(10月29日)

2018-10-30 23:16:55 | クラシック音楽




シューベルト:ピアノ・ソナタ第7番 変ホ長調 D. 568

シューベルト:ピアノ・ソナタ第14番 イ短調 D. 784
シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D. 959
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 K. 330より第2楽章(アンコール)


光子さんのシューベルト・ソナタ・プログラム@サントリーホールの第一夜に行ってきました。
光子さんの演奏会を聴くのは4回目で(うち2回はマーラー室内管との協奏曲)、彼女の演奏会は比較的聴衆のマナーがいい印象があったのだけど、、、今夜は最初から最後までほぼずーっと客席のどこかで咳が聞こえているって一体どういうこと。。。 そんなに咳が我慢できないほど重症なら何故リサイタルに来るのか、と言いたくなる人達が一人や二人じゃないなんて。。。  
周りに迷惑をかけないという気持ちよりも、自分が聴きたい、自分一人くらい構わないだろう、というような人間が我が国には多いのでしょうかねえ…。

さて、光子さん。こんなに不安定な演奏の光子さんは初めて聴いた・・・
ミスタッチもかつてない多さで、途中で演奏が迷子にもなるという。。
7番(D.568)は音が全然届いてこず、録音で聴いたこの曲の第四楽章の光子さんの演奏が大好きだったので、ちょい残念。
でも客席がこんなんじゃ彼女の集中力も落ちるよねえ…と思っていたら、2曲目の前に舞台袖に引っ込まれて、メガネをお手に再登場。調子のよくない理由は客席の騒音(だけ)でなく目にもあったようで。暗譜ではありましたが、鍵盤も見ますものね。
いつも平均的に安定しているタイプのピアニストかと勝手に思っていたので、これはこれで新鮮でした。

メガネケース?の赤い袋をポンとピアノの中に置いて(バレンボイムと同じ)、メガネ装着で始まった14番(D.784)
おお、さっきのD568とは音が違う!ちゃんとこっちまで届いてくる! メガネ装着しただけで音まで変わるのか!
この演奏は、今夜の3曲の中で一番心動かされました。まだ多少の不安定さはあったけれど、そのせいもあるのか、いつもは理性が勝ってしまいがちな光子さんの演奏に今夜はより人間味が加わって聴こえ、今夜の演奏は私は録音のそれよりも好きでした。
光子さんが弾くこの曲のやり場のない怒り、葛藤、恐怖、寂寥感、孤独感は壮絶で、その心の叫びはシューベルトのものであると同時にピアニスト自身のそれに重なって聴こえ、呆然としてしまった。そして闇の中から現れる弱音の、怖いほどの透明な美しさ。そんな孤独な魂に寄り添うピアニストの心。優しさ。
漱石という作家の存在がどれほどこの世界を生きやすくしてくれていることかと私は常々思っているのだけれど、シューベルトに対しても同じことを感じるのです。この世界にシューベルトという作曲家がいてくれたおかげで、そしてその音楽を形にして届けてくれる演奏家がいてくれるおかげで、私にとってこの世界はどれほど生きやすくなっていることだろう、と。

(休憩20分)

20番(D.959)を聴くのは、ツィメルマン→シフ→ヴォロドスに続いて4回目。光子さんの20番の演奏は14番と同様に「死」に対するシューベルトの感情を強く感じさせるもので。好みかどうかは別にして、終楽章のまるで命がはらはらと散っていくように曲が解体していく感覚は、ひどく心に残るものでした。まるでマーラー9番のラストを聴いているような。光子さんがシューベルトの音楽の孤独感について仰っている「だんだん消えていく魂」というものを強く感じた演奏だった。今回のように7番→14番→20番と聴くと、そういう感じをより強く受けますね。
演奏のタイプが違い過ぎたせいか、シューベルトの後期ソナタ2曲を聴く時に発動される“ツィメさんの呪い”は今回は感じませんでした。でも今日の光子さんの20番とどちらが好きかと言われると、やっぱり私はツィメさんの20番なのだなぁ。もっともツィメさんの演奏も私の究極の理想かと言われればそうではないのだけれど、感動してしまったのだから仕方がない(でも録音の方はイマイチであった。ツィメさんも光子さんと同じでライブで魅力がわかるピアニストだよね)。
そしてつくづくレオンスカヤの20番を聴いておきたかったと感じる。あのときはピリスのベートーヴェンと重なってしまったから仕方がなかったのだけれど。ピリスのベートーヴェンも忘れ難い素晴らしさだったし。東京は演奏会が重なりすぎだわ。。

そしてこの曲や21番をものすごく簡単そうに弾いていたヴォロドスはやっぱり超絶技巧さんだったのだなあ、と今更ながら感じたり(演奏は全く好みじゃなかったけども)。そしてあの夜のコンセルトヘボウの客席はやっぱり素晴らしいマナーだったなあ、ということも今夜の客席と比べて改めて感じたのでありました。

アンコールは、モーツァルトのピアノソナタ第10番第二楽章。マーラー室内管のときもアンコールで弾いた曲ですね。死の影が濃い重い演奏の後で、モーツアルトの明るさに救われた気持ちになりました。これも決して明るいだけの曲ではないけれど、こうして続けて聴くと、シューベルトとモーツァルトの違いを感じるというか。正確には光子さんの演奏での二人の作曲家の違い、というべきか。光子さんのモーツァルト、やっぱり私は好きだなあ 私だけでなく、モーツァルトの音楽を愛していたというシューベルトの魂も、おそらく光子さんご自身も、きっとこのアンコールにより救われたのではないでしょうか。

7日も伺います



©サントリーホール twitter

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フライブルク・バロック・オーケストラ mit キャロリン・サンプソン  @トッパンホール(10月22日)

2018-10-27 16:32:33 | クラシック音楽



【J.B. バッハ: 管弦楽組曲 第2番 ト長調 *Johann Bernhard Bach (1676-1749) *J.S.バッハのはとこ】 
【J.S.バッハ: 教会カンタータ 「わが心は血にまみれ」 BWV199 】
(休憩)
【J.S. バッハ: オーボエとヴァイオリンのための協奏曲 BWV 1060a】
【J.S.バッハ: 結婚カンタータ「いまぞ去れ、悲しみの影よ」 BWV202 】
【山田耕筰:からたちの花(アンコール)】
【J.S.バッハ: カンタータ 「わが心は血にまみれ」 BWV199より、第8曲アリア(アンコール)】

キャロリン・サンプソン(ソプラノ) Carolyn Sampson, Soprano 
アンネ・カタリーナ・シュライバー(ディレクター、ヴァイオリン) Anne Katharina Schreiber, Direction and Violin
カタリーナ・アルフケン(オーボエ) Kahtarina Arfken, oboe

ブロムシュテット×N響(20日夜)→ムローヴァ(21日昼)→ポリーニ(21日夜)→フライブルク(22日夜)と異常なクラシック音楽尽くしだった週末。
どれもが素晴らしい演奏会だったので変な疲れを感じることは全くなかったけれど(感動できない演奏会の場合は一回でもすごく疲れる)、でも音楽はやはりもう少し余裕をもったスケジュールで聴きたいものであるなあ。贅沢な悩みであるのは承知しておりますが。
そんなわけでトッパンホールは遠いし、思いがけず前日にポリーニの振替公演も入ってしまったしで、この演奏会は行くのどうしようかなと実は少し迷ったのですが、行ってよかった

私のように色々な演奏会に行ってネットの感想とかを読んだり&自分のブログも書いていると、アンサンブルがどうとか、気付くと変にコムズカシイ楽しくない気分になっていることが時々あって。はて私は何をしに演奏会に行っているのだったっけ?と思うことがあって。
そうだった、音楽って楽しむためにあるのだよね、という単純で根本的なことを思い出させてもらえたこの演奏会だったんです。

このホールは初めてでしたが、客席の雰囲気もとてもよかった。気負いがなくてのんびりしていて、音楽を純粋に楽しみに来ている風の人が多いように感じました。休憩時間の会話を聞いてると沢山演奏会に行っている風な人達ばかりなのにコムズカシイ蘊蓄を言っている人は全然いなくて。みんなニコニコしてて。

そして演奏も、なんて生き生きとしたバッハ
最初の曲からその躍動感に溢れる演奏に釘づけになってしまいました。でも決して鋭いだけではなくて、一曲目(J.S.バッハのはとこさんの曲)の第7曲ジーグについて会場でもらったプログラムの解説に「のどかな感じもあり、それがどこか古(いにしえ)のアイゼナハの宮廷を思わせて好ましい」と書かれてあるそのままの空気を感じることができた演奏で、なんて幸せな空間だろう、と。

カンタータを歌ったソプラノのキャロリン・サンプソンがまたとても素敵で
私の席は2列目の中央ど真ん中で彼女のすぐ近くだったのですが、歌っているときの表情もとてもよかった。
「わが心は血にまみれ」の第4曲アリアあたりから声にどんどん滑らかさと透明感が増していって、こういうのを聴いていると、人間の喉は究極の繊細な楽器なのだなあと改めて感じたのでした。
こういう清らかなバッハも、いいものですね。
前日のムローヴァのリサイタルで神と罪について考えたばかりだったので、その流れでこの曲を聴けたのは本当に嬉しかったし、有難かったです。
しかしドイツレクイエムのときも思いましたが、歌唱付きの曲を聴く場合は対訳までの予習は必須ですね。当然ながらその歌詞の内容を表した表情と声で歌うので、その歌詞の内容を知っているのと知らないのとでは理解度も感動も全く違う。私はドイツ語の発音には全く馴染みがないですし(歌詞から英語の発音で想像すると全然ちがったりする)、更にこういう歌ってある部分に戻ってリピートしたりするので、ただ歌詞を上から順に目で追ってるだけではすぐに迷子になってしまう。
それでもそうそう完璧に予習できるわけではないので、今回のようにプログラムに対訳が全て書かれてあるのは非常に非常に助かりました。
合唱をやっている人達などはもっとずっと気軽にこういう演奏会を楽しめるのだろうなあ、と羨ましくなります。

アンコールは2曲。
サンプソンが手元の紙を見ながら日本語で「今日はお越しいただきありがとうございます。もう一曲きいてください」と
「からたちの花」の歌はもちろん知っていましたが、よくあるサービス的に日本の曲を日本語で歌ってくれたのかと思っていたら、帰宅して調べたところ山田耕筰は「ニューヨークのカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団等を指揮するなど国際的にも活動、欧米でも名前を知られた最初の日本人音楽家でもある。」(wikipedia)と。へ~
この「からたちの花」、サンプソンの明るく清らかな声と非常によく合っていて、なんだかちょっと泣きそうになってしまった。どうも3.11以降は日本のこういう音楽に感じるものがあって。音楽ってやっぱり国境を超えるのかもしれないなあと思うのと同時に、日本語はやっぱり私の母国語なのだな、と今聴いていたばかりのバッハのドイツ語と比べて実感したりして、興味深くもありました。

アンコール2曲目は、「わが心は血にまみれ」 BWV199より、第8曲アリア。この曲をアンコールでやってくれるのはとても嬉しい。明るい気分での打ち出しとなりました。
プログラムによるとこのオケは年間約100回の演奏をしているそうで、よくこんなにフレッシュに楽しそうに演奏ができるものだ。プロだねえ。

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NHK交響楽団 第1896回 定期公演 Bプロ @サントリーホール(10月25日)

2018-10-27 01:18:07 | クラシック音楽



AプロCプロに続き、ブロムシュテット×N響定期公演の最終日、Bプロ2日目に行ってきました。


【ベートーヴェン:交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」 (約40分)】

仕事の疲れと寝不足気味による少々の睡魔と闘いつつ。
今日の演奏は、私は特に二楽章が好きでした。自然で清々しくて爽やかで。N響の木管さん、いい音♪
そして最終楽章も、品がよく美しかったですねえ。ブロムさんの清潔で実直な音はこの曲とよく合っていて、聴いていて綺麗な、幸福な心持ちになれました。ラストの和音は思いのほか優雅に終わって、平和で清らかで美しい田園だった
今回のブロムさん×N響の定期はどうも私は前半の曲と相性がよくないのだけれど、その中ではこの田園が一番楽しめました。
しかし後半を聴いて、ステンハンマルを後半に持ってきた理由がよくわかった。

(休憩)

【ステンハンマル:交響曲 第2番 ト短調 作品34(約46分)】

ブロムさん&N響ブラヴォ~~~~

休憩時間の終わる間際まで睡魔が続いていて、これはステンハンマルはちょっとヤバイかも…と思っていたのだけれど。
最初の一音から睡魔がどこかへピューンとすっ飛び、お目目パッチリ
これ、正面席で生で聴くとものすごく楽しい曲だね~~~
しっとりした美しいメロディーとゴツゴツ系の音色がくるくる変わる変化も楽しいし、和声の音がすごくかっこよくて綺麗で生で聴くと興奮する!
N響の演奏もどの楽章も全部素晴しかった!
纏まりはあまりない曲かもしれないし、深みもないかもしれないけれど、本当に聴いていて楽しかったし、ひと時も飽きずに演奏に引き付けられました。
ラストの唐突感は予習していたにもかかわらず懲りずに「へっ??」と感じてしまったが(予習のときも録音の最後が欠けているのかと思い他の録音を探してしまった)。過去に聴いた中で最もラストがラストらしくない曲ではなかろうか。それまでがわかりやすい音楽なだけに尚更。それもまた面白し。
聴きながら、ラトル×ロンドン響が上手く演奏しそうな曲だな~とも。シベリウスとヤナーチェク混ぜたぽい感じの曲に聴こえたから。

しかしゲヴァントハウスとのときにも感じたけれど、ブロムさんは焦らず長いスパンで緊張感を維持しながら着実にフレーズや曲全体を構築していくのが上手いですよね。ハイティンクにしても、そういうのが得意な指揮者がブルックナーが得意なのかもしれないなあ、きっと。

次回のブロムさんの来日は来年11月とのこと。
どうかどうか一年間お元気で、また素晴しい音楽を聴かせてください。心から楽しみに待っています!!!


そうして幸せな気分で帰宅したら・・・、ヤンソンスの来日キャンセルのニュースがtwitterを飛び交っていたのでありました。。。。
私は今回は出遅れてしまいまだチケットを入手できていなかったのだけれど・・・そうかあ・・・。



ヤンソンスさん、どうかどうかお体をお大事になさってください。そしてまた、BRSOとのあの温かな天国のような2時間を体験させてください。全力で待っていますよ~!!

#5 Asia 2016: Jansons dirigiert Mahler 9 (Ausschnitt)

一昨年の思い出とともに、次回のご来日までお待ちしております。
次回の来日はまた2年後なのかな。遠いなあ・・・。

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マウリツィオ・ポリーニ ピアノ・リサイタル @サントリーホール(10月21日)

2018-10-26 22:04:23 | クラシック音楽




ムローヴァのヴァイオリン・リサイタルの後は六本木へ移動し、ポリーニのピアノ・リサイタルへ。
この公演はもともと11日に予定されていたものが、ポリーニの腕の疲労が回復しないためこの日に延期になったもの。ここ最近の彼のスケジュールを見ましたが、半分近くがキャンセルあるいは延期になっているのですね。来日直前に予定されていた北京公演もキャンセルされている。腕の調子が相当よくないのかな…。

私がポリーニを聴くのは、今回が初めてです。最安席でも14000円(S席27000円)という超高額チケットだったけれど、ツィメルマンや光子さんのように実演を聴いて初めて魅力がわかったピアニストも多いため、やっぱり生の音で聴いておかなければ、と行ってきました。しかしツィメルマンや光子さんの倍近い値段にもかかわらずあれだけ席が埋まるのだから、すごい人気だよねぇ。

サントリーホールに着いたらスタッフが「曲目変更があります!」と案内していて、ショパンのソナタ3番がノクターンop.27、マズルカop.56 、子守歌op.57に変更になったとのこと。18日(本来のベートーヴェンプログラムの日)も同様の変更があったので、残念ではありましたが、これはまあ想定内でした。

今回の日程変更&特にベートーヴェンについての曲目変更にはネット上で厳しい意見が多くみられましたが、76歳のピアニストに対して皆さん厳しいなぁ…。ピアニスト自身が今の自分の状態を鑑みて最もいいと思って選んだ曲目ならば、それが聴衆にとっても最もいい曲目だと私は思うのだけれど…。意に沿わない曲を無理に弾いてくださっても良い演奏会になるとは思えませんし、今回は梶本もちゃんと払い戻しに対応していましたし。コンセルトヘボウ(楽団ではなくホールの方)なんて、リサイタルのピアニストが変更になって、しれっと金額も安くなってるのに、「幸いなことに代役を○○が引き受けてくれました!皆さん喜んで!」な一文が届いただけで、払い戻しや差額返金についての案内ゼロだったんですよ。ヒドスギル。こちらから問い合わせたら直ぐに対応してくれましたが。

ショパン: 2つのノクターン op.27
ショパン: 2つのノクターン op.55
ショパン: 3つのマズルカ op.56
ショパン: 子守歌 op.57

(休憩25分)
ドビュッシー: 前奏曲集 第1巻(全12曲)
ドビュッシー: 前奏曲集 第2巻から 花火(アンコール)

前半はショパン
ポリーニはピリスと同じく演奏前にもP席にも頭を下げてくれるんですね(※29日追記:光子さんも下げてくれてた。ピアニストってみんなこうだったっけ?)
ポリーニが弾き始めてすぐに「あ、いいピアノだ」と感じました。上から目線な意味ではなく、「好きなピアノだ」と。難易度を下げた変更後の曲目でも技術面だけをみれば完璧とはいえない演奏だったかもしれないけれど(でも噂から想像していたよりは遥かに技術も維持されていた)、それでは完璧ってなんなのだ?といつも思うことを今夜も思う。どんな演奏会も自分の胸に響く何かがあるか否かが全てで、そしてこの夜のポリーニのショパンは、私はとても好きでした。
硬質で透徹な音の特徴はツィメルマンに似てるのかなと一瞬思ったのだけれど、ポリーニの方が軽やかというか華やかな音に感じられました。ポーランド人とイタリア人の違いだろうか、とか思ったり笑。
今夜は一つ一つの音をとても丁寧に弾いていて、それは慈しむようにといってもいいくらいで。もしかしたらこれは彼の従来のショパンの弾き方とは違うのかもしれないな、と思いつつ、でも音楽の流れも起伏もとても鮮やかで。そうして生み出される音のなんという美しさ。そしてその裏に感じられる確かな温かみ。
今まで聴いたことがない種類の、惹きつけられる音でした。そして音色のコントロールが鮮やかで素晴らしかった。一つ一つの音の表情がとにかく豊かで、かつ自然。この音色の多彩さは録音ではわからなかったものでした。世の中にこんな音でピアノを弾く人いたのか・・・。

またこれは個人的な事情ですが、ポーランド旅行の前と後とではショパンの音楽から受けるものの強さが全く違い、そのことにも驚きました。音楽からあの国の空気ごとリアルに伝わってくるというか。
ポリーニの演奏を聴きながら、ショパンは今も生きているんだな、と感じました。あの国で生まれて、沢山の音楽を作曲して、そして最後は心臓があの教会に帰って。でもこのピアニストの中で、東京のサントリーホールで、世界中で、今も生き続けているんだな、と。
いい演奏だったなあ。。。
なお18日と両日聴いた人の話では、今日のショパンの方がポリーニの調子はよかったとのこと。

(休憩は25分間と、少し長め)

後半は、ドビュッシー
ポリーニのドビュッシー、すごくいいですね!この人の音の個性にとてもよく合ってる。ポリーニが弾くとこの曲の魅力が引き立って、この曲を弾くとポリーニの魅力が引き立つ、そんな組み合わせに感じました。なんて表現豊かでドラマティックな演奏だろう。よく完璧主義といわれるポリーニだけど、完璧主義って突き抜け感のない演奏になるイメージがあるけれど、この人のピアノはスケールの大きい風景も見せてくれるのだなあ。ツィメさんにもそういうところがありますが。
「アナカプリの丘」の華やかさ。「雪の上の足あと」の胸をつかれる澄んだ孤独感。「亜麻色の髪の乙女」の甘やかな優しさ。「沈める寺」の幻想的なスケール感(ポリーニって低音もすごくいいんですね)。実に実に素晴らしかった。硬質なクリスタルのようなのに、決して冷淡にならないポリーニの音。好きだなあ

アンコールは、前奏曲集第2巻より『花火』。
カーテンコールで舞台袖に退場する度に厳しい表情で右手首を押さえていたので大丈夫だろうか…と心配したのだけれど、本当は無理してほしくはないけれど、この曲で「これぞポリーニ!!」とファンの方達が湧きたった理由がわかります。ポリーニの従来の演奏を知らない私が、これぞポリーニ!!と感じたくらいだもの。
ショパンからアンコールのドビュッシーまで、ポリーニがこんな聴く喜びをくれる演奏を聴かせるピアニストだったとはなあ。生で聴かないとわからないものって本当にありますね。

twitter情報で知りましたが、客席にはツィメさんや吉右衛門さんご夫妻もいらしていたのだとか。お二人ともお忙しいでしょうに、よくこの振替公演の日にご予定が空いていましたねぇ。ツィメさんは真っ先に立ち上がって拍手をされていたそうで。ていうかツィメルマンって本当に普通に東京にいるんですね。先月のロンドン響公演からずっとこっちに滞在されてるのかな。吉右衛門さんはクラシックがお好きなんですよね。バレンボイム×SKBのブルックナーツィクルスのときもコメントを寄せていらしたものなあ。先月の歌舞伎座の俊寛の感想、早く書かなきゃ…

そしてポリーニが現在76歳であることを思うと、ペライアやフレイレの演奏を私はあと何回聴けるのかな…と考えてしまうのでした…。ペライア、その後続報がないので心配です…。公式ページのスケジュールも空白になっているし…。

そうそう、ピアノはポリーニ特別仕様のものだそうで(ポリーニの調律師アンジェロ・ファブリーニ氏が監修したピアノで、側面に「Fabbrini」と金色のサインが入ったスタインウェイ)、そのマークの部分をお客さんがみんな写真に撮っていました。アクション部分だけでなく、外側も持ち運んでいるということだろうか。だとするとツィメさんの上を行くこだわりぶりですね。




ポリーニ専用ピアノ。2016年来日時の梶本ニュースより。
「いつもアンドラーシュ・シフの専属調律師として来日するロッコ・チケッラさんも、ファブリーニ社の同僚です」とのこと(同ニュースより)

※追記


おお、バレンボイムも「Fabbrini」のサイン入りのスタインウェイを弾いている。このサイン入りのスタインウェイ=ポリーニ専用というわけではないんですね。

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ヴィクトリア・ムローヴァ ヴァイオリン・リサイタル @すみだトリフォニーホール(10月21日)

2018-10-22 13:45:52 | クラシック音楽




J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番 ロ短調 BWV1002 より I.アルマンド & II.ドゥーブル
藤倉大/無伴奏ヴァイオリンのための《line by line》(2013)
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005 より III.ラルゴ & IV.アレグロ・アッサイ
ジョージ・ベンジャミン/独奏ヴァイオリンのための3つのミニアチュア(2001)
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002 より VII.テンポ・ディ・ボレーア & VIII.ドゥーブル
ミーシャ・ムローヴァ=アバド/ブラジル
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト短調 BWV1001 より III.シチリアーナ & IV.プレスト
プロコフィエフ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 作品115
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004 より V.シャコンヌ
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001 より I.アダージョ(アンコール)
*休憩なし約80分


ほぼ半額でチケットを譲っていただけることになり(感謝)、錦糸町まで行ってまいりました。
ピアノ・リサイタルには時々行く私ですが、ヴァイオリン・リサイタルは初めて(と書いていて思い出した。10年前にロンドンのcadogan hallで葉加瀬太郎さんのに行っていた。あれ楽しかったな~♪)。客席は意外と空いていて、6割程度の埋まり具合だったでしょうか。数日前に横浜のフィリアホールでも同じリサイタルをされていたので、そのせいもあるのかも。ちなみに2016年のリサイタルとほぼ同じ構成とのこと(アバドとの間の息子さんのミーシャの曲だけ今回新たにプログラムに挿入されました)。

最初に通訳さんを伴って登場したムローヴァから、今日のリサイタルについての説明。
「プログラムは近現代曲と古典(バッハ)が交互になっていて、近現代曲ではストラディヴァリウス(1723年製”ジュールズ・フォーク”)を、バッハではガダニーニ(1750年製)を使用します。弓もそれぞれ使い分けます」と。「ガダニーニはストラディヴァイウスより半音下げています」と(それぞれのピッチ数も仰っていましたが覚えていない)。あと「楽曲間の拍手はしないくださいね」とのこと。
私の耳は老化で半~一音高く聴こえる耳になってしまっているので、今日のバッハは楽譜どおりに聴こえました(シャコンヌの楽譜を偶々見ただけだけど)。楽譜どおりに聴こえるからいいわけではないのですけどね。私が聴こえている音より更にもう半音下がったものが本来の当時の音ということなのだから…。
ところでyoutubeを見ているとこの半音低い音で演奏されている動画って意外と少なくて、今より若い頃?のムローヴァも、クレーメルもファウストもシャハムもヤンセンもヒラリー・ハーンも、特に半音下げてはいないのですよね。たまたま見つけた古楽オーケストラの方(名前はわからない)は下げていた。私はクラシックに詳しくないのですが、バッハの演奏で半音下げるのってあまりメジャーじゃないのでしょうか。大前提として私の耳がおかしい、という可能性も少なくないですが。

さて今日の演奏会ですが、現代曲とバッハの交互の演奏については違和感はありませんでした。とても自然に聴こえた。バッハの普遍性ですかね。
ただ単純な好みとして、やっぱり私はバッハが聴いていて楽しかったな。
前も書きましたが、私は趣味の一つとしてクラシックを聴いているだけなので(演奏会とその予習以外では殆ど聴かないし)、古楽奏法か否かとかどうでもよくて、どんな奏法でも「いい音楽だなあ」「いい演奏だなあ」と自分が気持ちよく聴ければそれでよいのです。なのでチェンバロやフォルテピアノに加えてモダンピアノでもバッハやモーツァルトが聴ける現代に生まれることができて本当によかったと思っているのである(選択肢が広がるからね)。
で、古楽にこだわりがあるというムローヴァのバッハですが、私はとても好きです。
「淡々と醒めて聴こえる」というネガティブなレビューもたまに見かけるけど、わからなくもないけど、こういうバッハも私は好きだ。たっぷり歌っていない分、純粋にバッハの音楽の素の凄さがわかって。ていうか、あれ、醒めて聴こえるかなあ?私には結構激しく聴こえるのだが(逆に一見たっぷり歌っていても醒めてる演奏というのも世の中結構あるよね…)。

でも冷たい演奏ではないけど、たしかに感情や優しさが前面に出た演奏ではないですよね。
んー、でもなんか、いいのだよなあ。今回のバッハ、どれもみんなよかった。特に彼女のシャコンヌは、バッハの厳しさのようなものが感じられて、それゆえのこの作曲家の懐の深さやスケールの大きさのようなものが感じられて、好きなんです。(※ちなみに変奏曲であるこの曲の楽譜が目に浮かんでくるようなわかりやすい演奏はヒラリー・ハーンのデビューアルバムのそれでした@youtube
私は万物創成の源のような存在は信じているけれど、いわゆる宗教的な神様の存在は信じていなくて。ただ本当に苦しいとき、人間の力ではどうしようもないものに直面したときには「神様!」と思ってしまいます(苦しいときの神頼みとはよく言ったものだ)。それは万物創成の神様とは少しだけ違うもので。
弱くて罪深くて苦しくてどうしようもない人間がこの世界で生きていくためには、そういう神様(例えばキリスト教のマリアのようなもの)が必要だったのだと思う。今も昔も。だって私達は弱くて罪深くて苦しくてどうしようもない存在だから。そしてそういう神様を人間が「いる」と思ったなら、それは「いる」んだよね。
というようなことをムローヴァのシャコンヌを聴きながら、思ったのでありました。一見人間臭くない演奏のようで、それゆえかえって私には人間臭い何かが感じられた、というか。
ちなみにそういう風なことを考えることができた演奏だったというだけで、ムローヴァさんがどういうおつもりで演奏されていたかとか、彼女の人生や性格がどうとかは無関係ですよ。ソ連から亡命し、父親が違う3人のお子さんがいて、そのうち一人は作曲家で、ある意味自由でレッツエンジョイな人生を歩んでおられる方なのではなかろうか、とも思ったり。
こうして改めて考えると、やっぱり今回の現代曲→バッハの交互の演奏というのはなかなか効果的なプログラムだったのかもしれませんね。

半額で行ってしまったけど、本当に行ってよかったです。
この後は、サントリーホールのポリーニの振替リサイタルへ行ってきました。感想は後日(素晴らしかったです)。



写真は全てすみだトリフォニーホールのtwitterより(©三浦興一さん)


この衣装、素敵だった。足元はピンクの可愛らしいサンダル^^。ムローヴァは今58歳だけど、日本の若くはない女性達もこういう格好をどんどんするといいよねー、と思う。


アンコール後のカーテンコールではムローヴァに呼ばれて《line by line》の作曲者、藤倉大さんが客席から登場されました。

Viktoria Mullova: Chaconne (J.S. Bach Partita No. 2 in D minor, BMV 1004)

こちらは今日と一緒で半音低く聴こえる方のシャコンヌ。2010年holland festivalより。いい演奏だよねえ

※2024年3月追記

覚書として。藤倉さんって、古典の良さが全くわからないと公言されている方なんですね。「僕、古典クラシック音楽が苦手で、ほとんどの場合、どう楽しんで良いか分かんないです。だから自分で曲書くしかないか!って思って(はた迷惑を承知で)作曲してるんですけどね笑」と。

シューベルトのグレートやブルックナーの繰り返しの素晴らしさが全く理解できないようで(マジ!?)。古典リスペクトのメシアンが作曲したトゥーランガリラについても「繰り返さずに一回でいいのに」みたいなことを仰っている。うーん、シューベルトもブルックナーもあの繰り返しがいいのに。東洋思想にも通じる永遠性の心地よさというか。こんなに感覚が違うのでは、逆に私が藤倉さんの作品の魅力がわからないのもさもありなん。。

 

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NHK交響楽団 第1895回 定期公演 Cプロ @NHKホール(10月20日)

2018-10-20 20:10:21 | クラシック音楽
「この頃は、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームスを指揮してほしいとよく言われます。私はそれも望んでいますが、いっぽうでマーラーを指揮したい気持ちもあります。北欧の交響曲やチャイコフスキーも愛しています。ステンハンマルやベルワルドを、私のヴァージョンで皆さまにご紹介しなくては。バッハ、ハイドン、モーツァルトは、ずっと私とともにあります」
(プログラムより)

ブロムシュテット×N響定期Aプロに続き、Cプロ2日目に行ってきました。


【ハイドン:交響曲 第104番 ニ長調 Hob.I‒104「ロンドン」(約30分)】
ハイドンの音楽の楽しさを私に教えてくれたのは、一昨年のヤンソンス×バイエルン放送響で。
あのときの感想で「こういう曲が実は最も日本のオケには難しいのではないかしら」とここに書いたけれど、今日の演奏を聴いて、改めてそう感じたのでありました。マーラーよりもブルックナーよりも、実はハイドン(やモーツァルト)の方が難しいのでは、と。
ハイドンの曲の幸福感と遊び心と音の陰影って、なんというか西洋文化の独特なものに根差しているような気がして。それはあちらの人は苦労なく自然に表現できてしまうもので、でも日本人にはすごく難しいもののような気がするのです。そして音楽を演奏する上では宗教の壁よりも、実はそういう文化の壁の方が高いのでは、と。
そういう意味では今日のコンマスもキュッヒルさんだったらもう少しそういう空気も出たのではなかろうか、とも。
もう来年はウィーンに遠征しかないかねぇ、とこのときは思っていたのでありました(←予習で聴いたウィーンフィルの音に感動した)。
しかしそれはそれとして、この曲はいい曲だねー

(休憩20分)
窓から見える代々木公園の紅葉に、昨年ここでドイツレクイエムを聴いてから一年がたったんだなあ、と。
今もこうしてお元気なブロムさんの音楽が聴けて本当に嬉しい。


【マーラー:交響曲 第1番 ニ長調「巨人」(約55分)】
ブロムさんというとやっぱりマーラーよりはブルックナーだよねえ、と行く前は思っていたのだけれど。

N響ブラヴォ~~~~~~
コンマスもこっちはブラヴォ~~~~~~
そしてそしてブロムさん大ブラヴォ~~~~~~~

この曲を聴くのはムーティ×シカゴ響、ネルソンス×ボストン響に続いて三回目。
ムーティとネルソンスのそれは、それぞれ全く違って。今回のブロムさんのそれも、全く違って。
正直に書きますが、演奏後のソロカテコの拍手とスタオベを率先してやりたいと感じたのは、この曲では今回が初めてです。
もっとも、今日のような真っ直ぐで雑味のない演奏は本来の私のこの曲の好みとは違う演奏で(もっと狂気というか本能的にとっちらかった風な演奏の方が本来は好み)。でも理想の演奏がどうとか、もうどうでもいい。
この曲で一楽章から幸せで泣きそうになるとは、吃驚です。
四楽章が始まったときは「ああ、もうすぐ終わってしまう…」とすごく寂しくなり、でも寂しがってないで今のこの演奏をしっかり聴いておかなければ、と思った。
最後のフィナーレは、CSOのときもBSOのときも「この人達(指揮者含め)バカらしすぎる!!最高すぎる!!」とニヤニヤ笑いが止まらなかったのだけれど(ニヤニヤ笑い止まらない系のこの曲の演奏も私は大好きだ!アメオケ万歳!!)、もう今日のフィナーレではニヤニヤ笑いなんか全く出ませんよ。圧倒的な幸福感と感謝の気持ちでいっぱいの滂沱の涙
ああ、ブロムさん×N響でこんなマーラーの演奏が聴けるとは思ってもいなかった。。。。最高に幸せだ。。。。

フィナーレのホルンはCSO、BSOのときと同じく立奏で、それに加えて今日はトランペット1、トロンボーン1も立奏でした。こういうバージョンもあるんだね~。この補強についてもマーラーは楽譜で指示しているそうで

1楽章のバンダのトランペットさん達、戻るときに靴音をさせてなくてエラかったわ。さすがは気遣いの日本人(もしかしたらBSOの人達も気遣ってはいたのかもしれないが、彼らの体格とミューザの音響がそれを許さなかったのかも^^;)。

今日は中央ではなく壁際の席に座ったのですが、このホールの上階って壁際の方が音がいいねー。中央で聴くよりも立体感が感じられた気がする。
ブロムさんはこのホールでこれまでどれくらい振ってこられたのかなぁ。私はクラシックを聴き始めたのが最近なので、昔のブロムさんを知らないのである。次回のBプロはサントリーホールだけど、NHKホールの舞台にいるブロムさんの姿を見るのも私はなんか好きです

ホールを出ながら、昨年のドイツレクイエムのときもブロムさんからいっぱいの幸福感をいただいたなあ、ということを思い出しました。私はブロムさんに何を返せているだろう、と考えてしまった。
せいぜいちょっぴり高めのサントリーホールのチケットを買ったくらいしか・・・。いや完売公演のチケットを買っても何のお返しにもなってないですね。
あ、あのガラガラだったゲヴァントハウス@みなとみらいに行ったのはちょっとお返しになれていたかも・・・。でもあのシューベルトもmy演奏会史上トップ3の演奏を聴かせていただいてしまったし、結局ブロムさんにはいつもこちらが差し上げられたかもしれない分よりずっと多くのものをいただいてしまっているなあ。。

ところで今回のブロムさんの定期公演、ブルックナー9番→マーラー1番→ステンハンマルという順番は、考えようによってはなかなか感慨深いプログラムですね。






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NHK交響楽団 第1894回 定期公演 Aプロ @NHKホール(10月14日)

2018-10-15 23:59:48 | クラシック音楽

@N響twitter

Aプロの2日目に行ってきました。
ブロムさん、とてもお元気そうで何よりです
91歳というと私の祖母よりも年上ですが、今日も4月と同じくずっと立って指揮をされていました。
以下、例によってクラシックは年に数えるほどの演奏会でしか聴かないド素人の自分用覚書のためだけの感想ですm(__)m


【モーツァルト:交響曲 第38番 ニ長調 K.504「プラハ」】
ブロムさん指揮の演奏で初めて繰り返しが冗長に感じられた、かも
N響の音は品もあって、暗い音色も迫力も出ていて、決して悪い演奏ではなかったのだけれど、モーツァルトは光と影の対比がもう少し鮮やかに感じられる演奏の方が私は好みだなあ…と。特に光の方は、音に羽が生えたような自由な軽みのようなものがもう少しあったらいいのになあ…と(えらそうにすみません)。
でもそれはもしかしたらN響というよりは、ブロムさんの特徴なのかもしれない。なぜなら今まで聴いたブロムさん指揮の演奏(ゲヴァントハウス&N響)の多くでそういう印象を受けたので。「ここはもう少し軽やかに演奏してくれた方が私は好きだな」と感じたことが度々あった。
そういう意味では今回twitter上で驚くほどの批判(曰く「N響の音から浮いている」と)を集めているコンマスのキュッヒルさんの音は、ド素人の私の耳には皆が騒いでいるような問題点は全く感じられず、それどころか「皆がキュッヒルさんのような解放感のある音で演奏をしたら、もっと面白い仕上がりになったのではないかしら」とか思いながら聴いておりましたです。 
まあ「モーツァルトの演奏はこうあるべし」というルールがあるわけではないので、単なる好みの問題なのですが。


【ブルックナー:交響曲 第9番 ニ短調(コールス校訂版) 】
ブロムさんのブルックナーは昨年ゲヴァントハウスとの七番を聴いていて、そのときはあまり心が動かされず(その直前にみなとみらいで聴いた同コンビのシューベルトは今もmy演奏会史上トップ3の演奏ですが)。なんというか、オケも指揮者も熱い演奏をしているけれど私の心は醒めている、みたいな感じだったのです。今日も一楽章の前半あたりまでは同じ感覚があって、「やっぱりブロムさんのブルックナーは私とは合わないのかなぁ」と思いながら聴いていたのですけど。そして最後まで聴き終わった今でも私的に100%肯定できる演奏だったわけでは決してなかったのだけれど(前半のモーツァルトと同じくオケの音の表現がやや一本調子気味に聴こえたことは否定しない)
でも、なんだかそういうものを全部超えて今日の演奏には心を動かされてしまったんですよね。強く。
「これはブルックナーから私たちへの贈り物であり、私たち演奏者からみなさまへの贈り物です」とブロムさんはインタビューで仰っていたけれど、本当にそうだなあと、とても自然に感じた演奏だったんです。
この「ギフト」という感覚はハイティンクやヤンソンスのマーラー9番でも感じられたもので(ハイティンクさんなどはそういう気持ちではたぶん振っていないと思うけれど)、作曲家の最晩年に作られた曲にはそういう風に感じさせる何かがやはりあるのだろうか。
もっとも今回のブロムシュテットの演奏が「告別」を前面に押し出したものだったかというと決してそうではなく、それよりもむしろ「人が生きるということ」について強く伝えていた演奏だったように私には感じられました。
3楽章の演奏からは人生の様々なものと闘って生きている(生きてきた)人間の姿と、”その時”が確実に迫りつつあるのだという静かな予感の両方が同時に感じられ。でもそれは決して大仰な感情の表出という形でではなく、ブロムさんがインタビューで仰っていたような「good-bye, good-bye」というようなもので。だからこそ一層の凄みと、胸に迫るものがあって。
「それでも」この世界は美しい場所なのだと、けれど自分はもうこの世界から去らねばならないのだと、ブルックナーが言っているようだった。そして「あまり人生を悲観的に考えなさんな。あなたが生きているこの世界はこんな素晴しい音楽がある素晴しい世界なのだから」とブロムさんが言ってくれているように感じられて、少し泣きそうになった。
ブロムさんの、そしてブルックナーの厳しさ、真面目さ、そして優しさがいっぱいにつまっているように感じられた今日の演奏は、今の私にとってはこれ以上ないギフトでした。
本当にありがとうございました、ブロムさん、N響の皆さん。
そうそう今日(14日)はフラ拍手があったんです。ブロムさんの対応は昨年のドイツレクイエムのときと同じ。殆どの人が追従しなかったのもあのときと同じでした。



ホルン&ワーグナーチューバ、ブラヴォーでございました!美しかった。
今回金管がみんな思い切り吹いていて気持ちよかったなあ
N響は、美しさと突き抜け感が両立しているところが好きです(ブロムさん指揮の演奏しか聴いたことがないけれど)。それって海外の一流オケでは頻繁に出会えるものですけど、日本のオケでは貴重に感じられる。
ところで今回金管と弦と木管の音が結構ズレてることが多かったように思うのだけれど(どの音も素晴らしかったけど)、そういうときに金管が全く遠慮していなくて「俺達は思い切り吹くんで頑張って合わせてください!マエストロもそれでOKとのことなんで!」てな感じに聴こえたのが面白かったです(実際がどうだったかは知らない)









そして計画外にラトル×ロンドン響を全曲コンプリートしてしまった身には、さらに今年はアムステルダムまで遠征してしまった身には、こういう演奏が1500円で聴けるのは本当に本当にありがたい。。
N響さん、どうかどうかこのシステムやめないでくださいまし。サントリーホールの方はちゃんとした券を買っておりますので。。


※オマケ
Herbert Blomstedt at 90

ベルリンフィルからの素敵すぎる大好き動画。ブロムさんへの愛情に溢れていますよネ。曲の当てっこをしているコメント欄も楽しい
そういえば今回ブルックナーの3楽章冒頭でブロムさんの歌声を思い出して笑いそうになったらどうしましょうと思っていたのだけれど、実際は弦の素晴らしい音色のおかげで救われました笑


友人と最後に一緒に聴いた演奏は、ブロムさん×ゲヴァントハウスのブルックナー7番でした。彼女はブルックナーは苦手だけど好きな曲ばかり聴いているのもよくないからと、来たようでした。演奏終了後はゲヴァントハウスの金管の音にすごく感動していました。あのときとても嬉しそうにスタンディングオーベーションをして拍手をしていた姿を覚えているので(友人は物静かな性格であまりそういうことを積極的にやるタイプではないのです)、早すぎる突然の死だったけれど、少し救われる気分になります。
彼女は「ブルックナーは苦手だけど、9番だけは大好き」とよく言っていました。私はその頃9番がどういう曲か知らなくて。もう少し早く聴いていれば友人と話せたのにな、と残念に思います。
でも今日(これを書いている15日)は友人の月命日なんですが、月命日であることを忘れていていつものように退社時に職場の給湯室でカップを洗っていたら、ふととても強く友人の気配を感じたんです。それは友人がいつもいた時間、場所だったのですが。友人が亡くなってからあそこまで強くそれを感じたのは今日が初めてで。もしかしたらそろそろ天国にも慣れてきた友人がちょっとだけ会いに来てくれたのかな、と感じています。


Bruckner - Symphony No 9 - Blomstedt

今回の私の9番ブロムさんver.の予習はこの演奏だったので、N響の演奏が特別に速いとは私は感じませんでした(他の指揮者の演奏に比べるともちろん格段に速いですが)。ただ今回はこの予習演奏よりも厳しさや凄みのようなものがより強く出た演奏だったな、とは感じました。
ちなみに私は演奏の「速度」というものが殆ど気にならない人間で、それよりもその音楽に自然に身を委ねられるか否かがいつも重要なんです。なのでポゴレリッチが言う「速度よりパルス」という言葉はとてもしっくりきます。


◎ブルックナーのこと
 私は最初からマーラーよりブルックナーの方がずっと好きでした。マーラーは、とくに若い時はあまり好きではありませんでした。というのも、神経質であまりにも分裂的だからです。反対にブルックナーの世界観には一つのまとまりがあります。ずっと後になってマーラーも好きになりましたけどね。 ブルックナーとの関わりはとても長いです。私は10代の青年の頃、初めてブルックナーの交響曲を聞いた時のことを覚えています。それはまさに今回演奏する「第4交響曲」でした(*注:2012年来日時です)。確か13歳か14歳だったと思いますね。スウェーデンのイェーテボリに住む生徒でした。イェーテボリには素晴らしいコンサートホールとオーケストラがあって、彼らのブルックナー演奏はとても強い印象を私に残しました。そのコンサートを聴き、兄と一緒に家に帰った後、2人で旋律を覚えようとしたのです。忘れまいと口ずさみました。当時はちゃんとしたスコアを買うお金もなかったものですから、覚えておくために歌うしかなかったのです。鳥みたいに・・・。(歌う…) 「忘れちゃダメだ!」と思いました。当時は録音もありませんでしたし、店に行って何かを買うこともできませんでした。ですから、書き残す必要があったのです。私はその音楽に完全に夢中になりました。理由はきっと――そこには美しい自然の景色があるからですね。山々やずっと続く地平線といった美しい世界。マーラーの場合は街が目に浮かびます。都市の音楽です。しかしブルックナーは田舎の音楽です。私はそれがとても好きです。後になってどうしてマーラーがあんな風なのか理解しましたし、彼の音楽が好きになりました。私たちは多かれ少なかれ彼と同じように分裂的な状況に置かれていますから。私たちは田舎が好きですが、都市に住んでいます。ですから色々な衝突を知っています。仕事、宗教、哲学など・・・。しかしブルックナーの世界は違います。自由な世界です。天国のようです。ブルックナーは私の人生です。 この種の音楽は崇高さをもっています。私が思うに、現代人は以前にも増してこうした音楽を好むようになっています。私たちの生活は引き裂かれるような緊張感に満ちています。悲劇もとても多い。津波だけではありません。家族の中、政治・・・。悲劇がいっぱいあります。
ブルックナーの世界は平和と美の世界です。しかしそれは脱力すると言う意味の平和ではありません。夢に満ちています。常にドラマの解決があります。そして日本に来てブルックナーを指揮するときはいつも聴衆に恵まれます。日本人が彼の音楽を深く理解しているからだと思います。

(ヘルベルト・ブロムシュテット @2012年バンベルク響来日公演プログラムより

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アムステルダム3、4日目

2018-10-14 11:32:03 | 旅・散歩

6月10日は昼も夜も演奏会デーで、この日の詳細はこちらに書いたとおりなので旅行記は割愛。


museampleinにて。
小さな自然を愛したゴッホを意識して撮ってみた


11日。
ついに今回の旅も終わり


早朝の誰もいないmuseamplein。


きっとまた来ますね!




Bye Bye アムステルダム! 


バスも時間どおり来て、空港に着いて~
さて10:25発のワルシャワ行きのカウンターは、1Aね。
テクテクテクテク
って、やたら遠いんですけど・・・・・・・・・・・・・・
スキポール空港の広さハンパない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ようやく到着~。
ってカウンター開いてないし
同じ出発時間帯の他の航空会社はみんな開いてるのに
と怒っていても仕方がないので、再びテクテクテクテク賑やかエリアに戻ります


とりあえず朝ごはんを食べよう
サーモンとクリームチーズのサンド。€8.95。
店員の女の子が「どこから来たの?」と聞くので「日本」と答えると、「私、来週バケーションで大阪と福岡に行くの!日本は初めてだからとっても楽しみ!」と。
初めての日本が大阪と福岡とは。最近はそういうコースが流行りなのだろうか。


スキポールはワルシャワと違って時間を潰すには苦労しない空港で、お土産もここで全部揃っちゃう。
欠点をあげるなら、あまりにも広すぎることか。


専門店だけじゃなく、大手のスーパーが入っているのもポイント高し
ばらまき土産やチーズなど、買い残しのお土産はここで購入しました。


おお、寿司のレベルが高い
海外の例によってサーモンばかりだが、すごい美味しそう。朝ご飯はパンじゃなくてこれにすればよかったかな。

さて、そろそろ時間になったので、カウンターに行くか。
と、ふと掲示板を見ると、予定の便が”Delayed 13:00”とな・・・
ポーランド航空が遅延やキャンセルの常習犯であることは噂で知っていたのでさほど驚きはしなかったが、ワルシャワでの乗り継ぎ時間は2時間50分なので、まあ、アウトだよねえ。。
今まで乗り継ぎでこういう事態になったことがなかったので、てっきりワルシャワで一泊して翌日の便に乗ることになるのかと思い込み、「今夜はショパンのコンサートとか行っちゃおうかな~」とスーツケースからガイドブックと着替えをいそいそと取り出すワタクシ。
そしてLOTのカウンターに行き、

私:東京への乗り継ぎ便には間に合いませんよね?
兄ちゃん:そうですね、無理ですね。
私:じゃあやっぱりワルシャワで一泊・・・
兄ちゃん:いや、まず%※▲#へ行っていただいて、
私:?
兄ちゃん:ここを真っ直ぐ行って〇番のポールの近くにAvian Partnerというカウンターがあるので、そこでrebookしてください。(紙に”Avian Partner“と書いてくれて、€6.25のバウチャーを渡される)
私:はぁ(なんだワルシャワで一泊できないのか。考えてみたら当然だけど、ちょっと残念


行くと、すでに5~6人の列が。
そしてここからが長かった。。。。。。。。。。 
私の番が来るまでになんと1時間20分!これじゃあ代替便も離陸しちゃうわよ!
当然ながら列はあっという間に20人、30人と増えてゆく。

しかしここで、お国柄の違いを痛感することになったワタクシ。
列の中の誰一人としてイライラしていない。どころか、みんな笑っている。
「LOTはいつもこうだねー」「まったくだねー」と。
だいぶ列が増えた頃にやってきた若い兄ちゃんが「もしやこれはLOTの列かい?」と聞き、列の人達が「そうだよ!」と答えると、「オー!」と頭を抱える姿に皆が大笑い。
あの列の中でおそらく一番イライラしていたであろうワタクシも、思わず口が綻んでしまう。
そういえばすっかり忘れていたけど、ロンドンでもそうだったなぁ。いきなりバスが行き先を変更して「申し訳ないが皆さんここで降りてください」とドライバーに言われても、いきなり「駅をクローズすることになったから皆さん駅から出てください」と言われても、「オ~」とか苦笑しながら粛々と従っていたロンドナーズ。
何が正しいとか正しくないとかはないけれど、すぐにイライラする自分をちょっぴり反省したワタクシでありました。どうせ状況が同じなら、怒るより笑っていた方がいいよね。もちろん遅延もキャンセルもクローズもないのが一番だけど、遅延もキャンセルもクローズもあってもその完璧じゃなさに居心地のよさを感じることもあるのだと教えてもらったのもロンドンでの1年だった、ということを久しぶりに思い出させてもらったのでありました。

そしてようやく私の番がまわってきて。
これだけ待ったのだから、希望は言わせていただくわ。
私:東京への直行便がいいのですが。
カウンターのおばちゃま:OK、調べみるわね。(カチャカチャカチャカチャ)14:40発のKLMでどうかしら?
私:(やった~♪)それでお願いします!
カウンターのおばちゃま:じゃあパスポートをもらえる?(カチャカチャカチャカチャ)はい、これで完了よ。(とパスポートを返され)、次の方どうぞ~。

ん?紙の一枚ももらえないとは予想外であった。「14:40発のKLM」と確かに聞いたけど、どうせ紙に書かれてあるだろうし~と少しいい加減に聞いていたのである。


とりあえずこのパスポートで予約はされているはずだから、そのままKLMの自動チェックイン機へ。心配だったので優しそうなお姉さんがヘルプしている列に並び、無事チェックイン。通路側を希望したら一席だけ残っていて、「この席でいい?」と言われたので「いいです!(早くその席押さえて!!!)」と勢い込んで答えたら笑われてしまった。
お次は預け入れ荷物の手続きを~・・・・って預け入れ手続きもセルフですと最近の空港ってこうなの
ええと・・・(超不安)。まずパスポートをディスプレイにかざして、表示に従って台の上にスーツケースを置いて、重さを量って、ディスプレイに表示された内容でOKならOKと押して、ピ~っと発行されたタグをスーツケースに貼り付けて、ガシャンとシャッターを下ろすと、ス~っとベルトコンベアで運ばれてゆくワタクシの荷物・・・。大丈夫かな・・・。ちゃんと成田まで行ってくれますように・・・。


まだ時間はあるけど、保安検査&出国審査を済ませてしまおう。

出国審査の兄ちゃん:(パスポートをパラパラめくりながら)どこから来ましたか?
私:え、日本です(出国審査で質問されるとは思っていなかった)
兄ちゃん:でも、んーと・・・(パスポートをパラパラ)
私:あ、ここに来る前の都市なら、ワルシャワです。
兄ちゃん:(兄ちゃんもスタンプを見つけたらしく)うん、確かにワルシャワだねー。これから大阪に行くの?
私:(は?)いや、東京に。
兄ちゃん:OK。アリガトー
私:(大阪と答えたら「マイドー」とでも言ってくれたのだろうか・・・。と思ったら、同時刻発のKLMの関空行きがあったのでした)


出国審査後もお店がいっぱい。


チーズはさすがに安かった。
自分用にお土産で買ったのはどれも美味しかったけど、ヤギのチーズがクセはあるけど美味でした


オランダの空港らしくチューリップ屋さんも




ワルシャワの空港にもあった誰でも弾いていいピアノ。
ワルシャワはスタインウェイだったけど、こっちはなんだったんだろう。
この空港には、美術館もあるんですよ。


この空港の広さがわかる、ある意味親切な表示。
辿り着くまで徒歩24分というゲートも。時間に余裕をもって動かないと大変なことになりますね。。
しかしターミナルは一つしかないので、わかりやすいといえばわかりやすい、、、のかな

Schiphol Airport Clock

出発ロビーの時計
こういう遊び心、好きだなあ


結果的に直行便に乗れたのでラッキーだったけど、バウチャーは意地でも使ってやる!と購入したドライフルーツ&ナッツ。


よもやKLMで帰ることになろうとは。
成田到着予定時刻は、当初予約していたワルシャワ発のLOTとほぼ同じ。


エールフランスとのコードシェア便でした。


可愛らしいパッケージ。
KLMも決して評判のいい航空会社ではないけれど、LOTに慣れていた身にはパラダイスに感じられてしまった




機内食も美味しかったわ(LOTも問題なかったけどね)。
初めて海外に行ったのは20数年前だけど、その頃に比べると機内食って格段に美味しくなりましたよね。


隣の席のドイツ人のご夫婦。今まで高くて日本には行けなかったけど、格安ツアーを見つけたそうで、箱根とか色々まわる予定とのこと(典型的な日本ツアーだねぇ)。
「アジアは素晴らしい!あなた達は我々西洋人と違い、真に美しいものが何かを知っている!」
そ、そうですかね・・・?ありがとうございます。
「前回は上海に行ったが素晴らしかった!私はテコンドーを習っていて・・・」云々
中国と韓国と日本はだいぶカラーが違いますどね まああちらの人にとっては同じよね。
最初の夜はどこに泊まるのか?と聞いたら「東京」と。ふぅん。最寄駅は?「京急ラインの…」ふむふむ。「黄金町」
・・・って東京じゃないやん。横浜やん。「え、横浜はパートオブ東京じゃないのかい??」まああちらの人にとっては同じようなものかもね。



成田に着いたら、ちょうど一週間前の今日乗ったポーランド航空の便が離陸するところでした

次はどこに行こうかなー♪


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アムステルダム2日目②

2018-10-13 22:44:20 | 旅・散歩

レンブラントの家を見学し終えた時点で、16時過ぎ。
夏至が近いアムステルダムでは、まだ半日が過ぎたばかり。

再びトラムに乗って~


ベギン会修道院(ベギンホフ)へ。
何も調べないで来たけど17時半閉門だったようで、間に合ってよかった。


薄暗い通路を抜けると、


そこはまさに都会のオアシス


ま、実際はこうなんですけどね笑
それでも外界が騒々しいだけに、ここの静かな空気は心が落ち着きます


以前行ったブルージュのそれと比べて、建築もどこかオランダらしいような(詳しくないけど)。


ブルージュと同じく、小さなギフトショップもありますよ
カード不可で現金のみ。いいねえ。落ち着くわぁ。
もっとも現金の手持ちは殆どなかったので、小さな天使の置物を買いました。最初は無表情にレジに座っていた女性、私が天使のスノードームで遊んでいたらニコッと話しかけてきてくださいました


紫陽花が綺麗




聖書の場面の絵


のんびりした時間が流れています

が、一歩外に出ると、


完全な俗世界笑

そしてここから歩いてすぐの~


ハーリングのストールへ


ニシン以外もなかなか美味しそうですが、私はやっぱりニシン!海洋国家オランダのソウルフード


ニシンの塩漬けのみだと€3.50(これは翌日食べたときの写真。好きすぎて再訪した)


サンドイッチにすると€4.50

決して安いとはいえないけれど、これマジ美味しいのすんごい美味しいのニシンの生臭さや脂こさがなくて
東京で売ってくれたら絶対に通いまくるのに!!!
両方美味しかったけど、私はサンドイッチバージョンの方が好きでした
アムステルダムにはニシンサンドを売る店がいくつもあるので、次回行くことがあったら他の店も試してみたいです。
ああこのためだけにまたアムステルダム行きたい(まじで)


周りの環境はゴミッゴミですけどねー
このベンチでたまたま隣で休憩していた日本人のご夫婦。私と同じ日にルフトハンザでアムステルダムに着く予定だったそうですが、到着地が悪天候という理由でデュッセルドルフで一泊待機することになり、先ほどアムステルダムに着いたとのこと。
確かに私が着いたときも雨が降っていたけれど、そこまでの悪天候ではなかったような。というかそれでも飛んでくれたポーランド航空に今回ばかりは大感謝 そのおかげで唯一のハイティンク×RCOのマーラーを聴くことができたのだもの・・・


そして、そんなゴミッゴミなシンゲル運河沿いにあるのが、観光地としても有名なシンゲルの花市場


有名なので一応足を踏み入れてはみたけれど
んー、一度行けば十分かなあ。。。チューリップの季節だともう少し華やかなのかもですが
でももしまたアムステルダムに来ることがあるなら、10年前と同じく観光客の少ない寒い時期に来たいです。

さて、ただいま18時近く。
トラムに乗って、宿の近くまで戻りましょう


戻ってきました。やっぱり人が少ないと落ち着く。


ぶらぶらしていたら突然現れたカジノ。Holland Casino Amsterdam
調べたら、オランダはカジノも有名なのだそうで。
大麻、性、カジノ。このオープンな猥雑さがこの国の一種の魅力といえるのかも。いや、どうだろう笑


大麻にもセックスショップにもカジノにも用のない私は(10年前は夜の飾り窓地帯を興味本位で探検したりもしたが)、日の傾き始めたフォンデルパークへ


といっても街中のヒマ人がみんな公園に集まってくるのが夏のヨーロッパ。


加えてアムステルダムは人間と同じくらいの数の自転車がびゅんびゅん飛び交っているので、さほどのんびりした空気でもないのですが    


それでも、みなさん適当な場所を見つけてはゴロゴロしたり、




それぞれが思い思いに時間を過ごしてる感じで、


街の中心部に比べたらのんびりしたもん。


22時過ぎに宿の外でパチリ
今日も充実した一日でした~。
アムステルダム滞在もあと一日



そうそう、オランダにもパンダがいるんですって
昨年4月につがいが中国からやってきたそうで、オランダは8億円をかけてパンダ御殿(その名もパンダシア)を建て、彼らの初上陸を迎えたそうです。
宿の兄ちゃん曰く「でもお金を払って中国からレンタルしていて、オランダのものではないんだよ」と。こういう話題はどこでも同じなんですね^^;

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ロンドン交響楽団 @サントリーホール(9月29日)

2018-10-03 21:40:37 | クラシック音楽



いま気づいたけれど、このチラシわざわざ「Music Director」と書かれてあるんですね。ここ重要ということか?

コンサートホールってこの世の天国だなぁ、と改めて感じさせてもらえたラトル×LSO最終日のサントリーホールでした。あの世ではなく、この世の天国。そういえばハイティンク×LSOのブルックナーのときも同じように感じたのだった、ということも思い出した。神の世界の美しさではなく、この世界の美しさ。
前にも書いたようにLSOの音は決して本来の好みとは違うのだけれど、こういう音こそがこのオケの魅力なのかもしれないな、と3年前と今回の演奏会を通じて感じることができたのでした。
とても楽しくて、とても幸せな公演だった。


【ラヴェル:マ・メール・ロワ】
もう初っ端から素晴らしかった。
次から次へと音が移り変わっていく様が実に鮮やかで、自由自在で、でも決して乱暴にならず品があって、そしてなによりオケから出てくる音がとても楽し気。この曲の一つの演奏としてほぼ完璧じゃなかろうか、と思いながら聴いていました。
暗譜で指揮しているラトルはとっても楽しそうで、コンマス(LSOではリーダーですが)もこの曲を弾いているときが一番楽し気に見えた。二人ともこの曲が好きなのだろうなあと思うのと同時に、サントリーホールの音響でこの曲を演奏していることを心から楽しんでいるようにも見えたのでした。なぜなら時々本当にものすごくいい響きがしていたのだもの。そしてそういうはっとする音で演奏がキマる度に同時ににやっと笑うラトル&コンマス。コンマスのソロもいい音でした~。
そしてこれは初日のスラヴ舞曲やヤナーチェクでもちょっと驚いたことだけど、メロディアスなメロディで聴かれたオケの音の艶と深み。こういう音がこのオケから出るというのは素晴らしいことだなぁ、と。ラトルはLSOの音にベルリンのような深みを加えたいと言っていましたが、早速効果が出始めているのだろうか。
『親指小僧』の悲しみのところではオケを煽りまくるラトル。これは今回の全公演を通じてしばしば見られた光景だけど、BPhの音に慣れているこの人の耳には「もっとこい!」と感じるときがあるのかもしれないな~とも。
そして『妖精の園』のラスト!あの美しさ&高揚&キラッキラの音色のおもちゃ箱のような多幸感 息をとめてトランス状態で聴いてしまった。
いやあ鮮やか、お見事でした。
ブラヴォー\(^〇^)/

【シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番】
この作曲家の曲を聴くのは今回が2度目(前回はツィメルマンがブーレーズへの追悼のアンコールで弾いた『9つの前奏曲 op.1-1』。シマノフスキの音楽の魅力を全開で教えてもらえた演奏だった)。先日のフレイレのパデレフスキにしても、ポーランド旅行から帰ってきた途端にあの国の作曲家の曲を立て続けに聴くことができて本当に嬉しい。来年は国交樹立100周年とのことなので、色々ポーランド出身の作曲家の曲が聴けたらいいなぁ
ソリストは、ジャニーヌ・ヤンセン。オランダのヴァイオリニスト。以前youtubeでチャイコフスキーの協奏曲を聴いたときは私の好みより少々熱すぎる演奏をする人のように感じたのだけれど、実演を聴くといいねえ!彼女の音に耳が引きつけられるオーラのようなものがあって。演奏もなんていうか、大人な演奏でよかった。
ヤンセンの音はロンドン響の音とも不思議とよく合っていて。基本的にクールに聴こえがちなこのオケの音と情熱的なヤンセンの音がぶつかり合うことなくうまく溶け合って、これはこれでとても良い感じ(一方youtubeにあがっているゲルギエフ×LSO×ヤンセンの演奏はコッテリ系で、あれはあれで良い感じ)。
そしてツィメさんとの『不安の時代』でも感じましたが(あれは正確には協奏曲じゃないけど)、ラトルは協奏曲の指揮が上手いね。オケにもがっつり攻めさせるのにそれがソリストの個性を殺さないで、両者の間に温かみさえ感じさせるのだもの。温かみのある音を出すタイプのオケ&ソリストではなくてもそういう協奏曲が出来上がるのは、この人の人柄も関係あるのか。この曲だけは譜面ありで指揮していましたが、シマノフスキはラトルの好きな作曲家のようです。いっぱい録音しているそうな。

【ラヴェル:ハバネラ形式の小品(アンコール vn:ヤンセン、pf:ラトル)】
協奏曲の後に指揮者がソリストだけをカーテンコールに送り出すときの舞台袖でのやり取りが私は結構好きなんですが。ブロムシュテット&ピリスのときは「マエストロも一緒に…」なピリスにブロムさんが「次は一人で行っておいで」とめちゃくちゃお優しそうなジェントルマンぶりを発揮されていてほっこりさせていただいたものでしたが、今回はやはり「マエストロも一緒に…」なヤンセンに「Bye Bye」としてみせたラトルの姿がツボでした。その後再び一緒に登場した二人は徐にステージ後方へいき、ラトルが客席へ「Ravel!」と叫んでピアノに座るともう会場大喜び
アンコールでラトルがピアノを弾くことがあるのは海外の何かのレビューで読んで「聴けた人が羨ましいな~」と思ったことがあったので、今回聴けて嬉しかったな。
この二人の演奏、もうすんごい素敵でねぇ。。。憂いを帯びた音色のしっとりした大人の色気と、濃密だけど濃すぎない軽みと、お洒落感。こういう種類の空気は日本人にはなかなか作り出せないもののような気がする。ラトルはさり気ない魅せ方、聴かせ方が上手いね~。さすが指揮者。ヤンセンとの雰囲気もとてもよかったです。
そしてそんな二人の演奏をめっちゃガン見して聴く団員達の姿が楽しすぎる。皆さんとっても幸せそうな表情をされていました。ロンドン響、以前よりも雰囲気のいいオーケストラになりましたね。

(休憩20分)

【シベリウス:交響曲第5 変ホ長調 op.82
今日一番楽しみだったシベリウス。マ・メール・ロワが最高だったし、シマノフスキが超絶盛り上がってしまったので、どうなるんだろう?と思っていたところ、オケも最終日で少々お疲れなのか、ホルンがコケた冒頭からしばらくは音楽にのり切れていなかった印象。が、次第に回復し、それからの演奏といったらもう・・・!
そう、これこれ!オケから出る音に指揮者が心動かされているときに見せるあの最高に幸せそうな表情!
過去に聴いたmy上位の演奏会の全てで見られたそれ。
オケが指揮者の一つの楽器のように見えて、指揮者とオケが相乗効果で高まりあって、指揮者が「音楽そのもの」に見えるこの現象!
今回LSOの人達がtwitterで頻りにサントリーホールの音響を褒めていたけど、いいホールで演奏ができるのはオケにとっても嬉しいことなのでしょうね。てかバービカンの音響ってそんなによくないのだろうか。私の記憶ではサウスバンクも相当だったがなあ。。
やっぱりラトルもLSOもこういう曲が似合うなぁと思う。LSOの技術(特にホルン)には時々ン?と感じる箇所は皆無ではないものの、全体を聴き終えたときには殆ど気にならなくなってしまう。
またしてもラトルはこの曲が大好きなんだろうなあと感じた演奏でした。今回のツアーはラトルの好きな曲ばかりを持ってきたのだろうという推測は、たぶん本当だろうと思う。
ラトルは10歳でこの曲を初めて聴いたとき大きな感動を受けたそうで、彼自身の言葉を借りると“like a thunderbolt”(雷に打たれたよう)だったとのこと。
このエピソードってどこで読んだんだっけ?と今ネットで探してたら、代わりにこんな記事↓が見つかってしまった・・・。ベルリンフィルとのこの曲の演奏についてのラトルの言葉。

“Simon Rattle, discussing Sibelius, explains ‘difficulties’ with the Berlin Philharmonic”

In a fascinating hourlong interview with Sibelius expert Vesa Siren, the Berlin Phil conductor describes the symphony that is least suited to his orchestra.
‘To do an accelerando at all with Berlin Philharmonic is really quite hard! It is a very heavy, Germanic truck that has it’s feet on the ground and part of what is extraordinary is how the sound comes out off the ground. And often with Sibelius, you have to really move. It is not that we can’t rush, because we can rush like hell particularly when we don’t want to. When it is necessary to get faster in a controlled way it is very difficult. It requires the same kind of trust as when you stand up and someone says I will catch you when you fall. To actually do this accelerando without going off the rails requires an incredible amount of trust. I would say that fifth symphony this orchestra found the hardest, by far. The symphonies I found tremendously difficult with other orchestras – 4 and 6 – were absolutely no problem here at all. Berlin Phil knows about the sound and line and how to go through silences with the meaning. I look forward to work incredibly hard (with the fifth) — with enough time to work incredibly hard.’

February 4, 2015, Slipped Disk

要約すると、「ドイツ製重量級トラックのようなベルリンフィルはアッチェレランドをかけるのが非常にハードなオケである。シベリウスではアッチェレランドが特に重要だが、それをうまく行うには指揮者とオケの間に多大な信頼関係が必要で、(他のオケでは非常に困難を伴う4番や6番のような曲をベルリンフィルは難なく演奏する一方で)5番をベルリンフィルと演奏することは最も難しい仕事である」と(誤訳があったら失礼…)。
つまり「自分とベルリンフィルとの間には5番の演奏に絶対的に必要である信頼関係がない」と言っているも同然なわけで。
海外の音楽家って時々驚くほど率直に自分の意見を言いますよね。もっともこのインタビューについてはThe Telegraphで”brutally frank”と書かれているので、彼らの感覚でも率直すぎるものだったようですが。ラトルは25日のサントリーでのマーラーの演奏について"That's got to be one of my top 10 concerts, and one that I will never forget."と言ったそうで(フラ拍手はあったらしいが)、そういうことをBPhを辞めてまだ間もない時期にストレートに言ってしまうのか、とそのときもちょっと驚いたのであった。もちろん多少のリップサービスはあったろうとはいえ。
上記記事のコメント欄には賛否両論の意見が寄せられていて、「トラックを上手く動かせないのはドライバーが良くないからだ」という意見も。
私はクラシックの世界には詳しくないので今回の来日公演を聴いた限りの印象ではあるけれど、やはり相性としかいいようのないものはあるのではなかろうか、と感じる。指揮者とオケの相性だけじゃなく、指揮者と曲の相性、オケと曲の相性も含め。そしてラトルはロンドン響を「ピンを少し触るだけで作動する高性能のスポーツカーを運転しているよう」と例えていて、ラトルの好きなタイプの曲を好きな方法で演奏するにはやはりロンドン響が合っているのかな、と。もっとも、彼は昨年9月に音楽監督に就任したばかりで今はまだ新婚の蜜月のような状態といってもよく、彼らの関係はまだまだこれからなんですよね。今後コテコテの古典の演奏も当然避けては通れないでしょうし、これから色々あるかもしれないけれど乗り越えていってほしいなぁと心から思います。こういう素晴らしい演奏の恩恵にあずかることのできた一聴衆として。

話は戻って、このシベリウス。本当に素晴らしかった。自然の情景が次から次へステージ上に現れては姿を変えていく鮮やかさ、生き生きとした躍動感、そして草木の臭いや空気の透明感を感じさせる美しさ。先日のマーラー9番の終楽章で「ここにそこまでの弱音は必要だろうか?」と思ってしまったあの驚異的なピアニシモ(これはラトルの特徴なのだそうですね)も、この曲では非常に効果的。そしてあの16羽の白鳥が頭上を舞う場面のおおらかな幸福感。。。敢えて言うなら最後の最後の和音部分がより解放感があると嬉しかったけれど、今夜の演奏全体からもらえた満足感に比べたら些細なこと。

【ドヴォルザーク:スラヴ舞曲 Op.72-7(アンコール)】
24日の全曲通し演奏のときとは違うアンコールバージョン
全曲のときも痛快だったけど、今日は全体の中のバランスなど関係ない、F1スポーツカーが暴れまくっているような7番!
すっごく楽しかった~~~~

今日はソロカテコも思いきり参加しちゃうよ!
ラトルのソロカテコ待ちの拍手のときに目の前で退場中の奏者達に向けて拍手をしたら、皆さん嬉しげに笑い返してくれました(目と鼻の先で退場している奏者達をガン無視でラトルが出てくる扉の方をひたすら見て拍手していたお姉さま方、素晴しい演奏を聴かせてくれたオケに対してあれはちょっと失礼では・・・。どちらにしろオケがはけないとラトルは出てこないのにねぇ・・・)
今回も、残っていたパーカッションさんに声をかけるラトル。毎回このシチュエーションだったけど、このために敢えて一人残してるのでしょうかね。おお、ラトルが近い。
そしてP席にも「アリガトウゴザイマス」と。P席に会釈してくれた来日オケの指揮者は数いれど、声までかけられたのは初めてだわ(しかも日本語)。
最後まで「気持ちのいい演奏会」という言葉がピッタリで、そして今このときのこのコンビの演奏を聴くことができてよかったなあと心から思えた、ロンドン交響楽団2018年来日公演でした。

ラトルはLSOの音楽監督を人生最後の仕事にするつもりとのこと。
38年間ロンドン響に在籍され今回のツアーで引退されるサブリーダーのLennox Mackenzieさん(今日のカーテンコールでラトルから花束とプレゼントが贈られました)は、ラトルが音楽監督として就任して最初にオケと話した日に彼にこんな風に言ったそうです。”I hope and I'm sure the LSO will make you as happy in the next years as it has made me for my whole working life." 本当に、LSOとラトルの未来が幸多きものでありますように!そしてベルリンフィルとペトレンコの未来も!と願わずにいられません。これからはラトルも気楽にベルリンフィルを振れるようになるといいね

※ベルリン・フィル・ラウンジ第122号:ラトル、シベリウスを語る


フルート首席さんのtwitterより。二人の演奏をガン見しているオケメンバーズにご注目ください。
ラトルはベルリンフィルのときと同様にファーストネームで呼ばれているんですね。


ラトルとヤンセン


※ロンドン響というオケについてハイティンクが彼に言ったアドバイスのことをラトルは度々インタビューで語っていて、それは「(彼らはあまりに忙しすぎるから)良い演奏をさせたいなら、十分な休息とリハーサルの時間を与えてやれ。そうすれば、彼らは他のどんなオーケストラよりも素晴らしい演奏ができる」というものだったそうです。ラトルによるとロンドンのオケ、中でもロンドン響はスケジュールが殺人的なのだそうで。もしベルリンフィルが同じスケジュールを与えられたら、一ヶ月で全員が病院行きになるだろう、と。ラトルが音楽監督になってそういう状況も少しずつ改善されていくといいですね。
なおラトルはロンドンに引っ越すことはせず、一年のうち四ヶ月ほどをロンドンで過ごし、基本はベルリンに住み続ける予定だそうです。でもロンドン響の日常的な運営には積極的に関わっていきたい、とのこと。

His title at the LSO will be Music Director – which in itself signals a change from the role taken by his immediate predecessors, who were designated Chief Conductor. What is the difference? “I will be much more involved with the day to day, even though I won’t be living here permanently. This is a proudly independent orchestra, but it’s a matter of having someone taking care – it’s been a long time since they’ve had that.” Not every conductor wants to take on the nitty gritty of an orchestra’s long-term development. “Valery [Gergiev] wasn’t interested, nor Claudio [Abbado]. Colin [Davis] loved them to bits, but he made it very clear that he did not want anything to do with the running or the auditions or the personnel.”
So when did the LSO last have a real caretaker? ‘I suppose it was Andre”, he says – and Previn ended his tenure as principal conductor in 1979.

Rattle will be in London for about four months every year in total, when, he says, “I will absolutely work my ass off for the orchestra and for the arts. And then it will be good to escape. I think if I lived here I would be ‘on’ absolutely every day, and I’m not sure I would survive. Not in my 60s.” Home for the 62-year-old will remain Berlin, where his children are growing up. He and his wife, the Czech mezzo-soprano Magdalena Kožená, have two boys aged 12 and nine, and a three-year-old girl. (He has two grown-up sons from his first marriage.) They live half an hour from the city centre, five minutes from the Grunewald, where a forest walk offers the chance of an encounter with a wild boar, and next to a lake where the children can swim. Family life involves “an awful lot of football and table tennis and trampoline. Or we go down to the local playground, or we make sushi together – it’s really messy but not so difficult if you don’t want it to look gorgeous. And there’s a lot of making sure the tortoises don’t escape from the garden. All they do is sleep, eat and try to escape. We had three.” How many do they have now? He winces. “Two.”

(4 Aug 2017, The Guardian

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