風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

宮辻政夫 『花のひと 孝夫から仁左衛門へ』

2013-08-06 00:41:57 | 歌舞伎



 自分は死ぬかもしれない、とは何回も思いました。けど、怖いとは思わなかった。仕方ないな、と思うた。これは、もうしようがない(笑い)。この世がすべてとは思てませんから。この世は仮の世と思てますし。この世が最高の世界やない。この世は魂を磨くうえでの一つの過程と思てます。殺されるのは嫌やけど、死ぬのは平気やった。人間て、非力なものやということ。月へ行ったり、高いビル作ったり、他の生物を抑え込んだり、これだけの力を持ってる人間が、針一本で死んでしまう。人間の力とはどうしようもなく弱いもんであって、すべては神様の掌の中にある。そやから死ぬものなら死ぬ、生きるものなら生きる。神さんにお任せするしかしょうがない、と思いました。人生においても、そうや、と。仁左衛門も、ぼくが継ぐべきかどうか、決まってからもまた悩んでいた。やはり兄が継ぐべきじゃないか、とか。しかし、そのことも一つの流れで、大きな流れにいくら抵抗してみても、プラスの作用はおこらへん。流れに身を任してしもうてはいけないが、流れを活かして生きていくことが一番ええんやないか。

(1999年 宮辻政夫 『花のひと 孝夫から仁左衛門へ』より)


どうしてニザさま関連の本というのは、こうも赤面するような題名ばかりなのでしょう。。。
返却カウンターへもっていくにも多大なる勇気がいるわ。。。
これでカウンターに長蛇の列ができてる中、本の題名を声に出されて確認でもされた日にゃ、一体なんの拷問ですか。。。
でもとても興味深い内容だったので、借りてよかったです。
こんな本まで揃ってる図書館ってスバラシイ!

ところで、この櫓↑の「きゃうげんづくし(狂言尽くし)」の文字、言葉も字体も粋で好きです。

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小松成美 『仁左衛門恋し』

2013-08-05 23:59:47 | 歌舞伎



 僕は、若い世代のお客さまに足を運んでいただくためにはとにかく新しいことをやらなければいけない、とはあまり思わないんです。どんな世代でも、男性であろうが女性であろうが、役者の「芸」によって常にお客さまには新鮮な気持ちで観ていただけるはずだと信じています。
 僕ね、よくこう思うんですよ。芸を洋服にたとえたとき、通勤ラッシュの中で真っ赤なスーツを着ていれば、人目は引けますよね。皆さん通勤のためのスーツを着てるんですから。でも僕は、真っ赤なスーツを着なくても、みんなと同じようなスーツを着ていても、人込みの中を同じ歩調で歩いていながら、それでも人を引きつけるような、そんな役者になりたいなと思ったんですよ。毎日、同じダークスーツでもいいわけですよ。目新しい服を着て目を引くことに頼るより、今着ている古い服をいかに新鮮に見えるように着こなすかなんですよね。そんな役者になりたいと思ってきた。これもひとつの生き方じゃないかな、と考えるんだよね。

(2002年 小松成美『仁左衛門恋し』より)


仁左衛門さんらしいですね。
以前youtubeで、襲名披露の前日に新橋の料亭で勘三郎さん&團十郎さんと三人でお酒を飲まれている映像を観たことがありますが、襲名後にどんなことをやってみたいかという質問に「目先のことでめいっぱい」と答えられていたのは、こういうお気持ちもあったのかなと思います。
それにしても、孝夫ちゃん、夏雄ちゃん、ノリちゃんと呼び合いながら楽しそうに話しているあの映像を今観ると、泣けてきます。。。おおらかで神経質じゃない團十郎さんと、笑いながらもとっても心の細やかな勘三郎さん。
仁左衛門さん、寂しいだろうなぁ。。。

ところで、この本の題名――。
これほど図書館のカウンターに持っていくのに勇気のいった本はございませんでした。。
ツ〇ヤでAVを借りる性少年よりよっぽど恥ずかしいと思うの。。
まるで仁左さまへの情熱を試されているよう。。。
だけど頑張りました! ←購入してないくせにエラそう

私という人間は、矛盾点も多く、短気でのんびり屋で、理屈っぽくて理屈が嫌いで、また大雑把な性格と緻密な性格等々、とにかく相反するものが同居しているのです。

ええ、とてもよくわかる気がいたします、笑。

歌舞伎役者さんの裏話って、面白いですね。
玉さまとのケンカのエピソードとか、へぇ~というお話がいっぱいでした。
吉右衛門さんの本も借りてみたいです。

何度も言いますが、血縁を持っていても偉いわけじゃないんですよ。でも、それ(血縁)が歌舞伎の大きな楽しみのひとつであることは確かなのかもしれません。
歌舞伎というのはありがたいことに、いろんな楽しみ方ができるわけです。「だんだん親に似てきたな」という楽しみもあれば、下手だった役者が少しずつ芸を磨いていく過程も楽しんでいただける。だから、凄く下手な子役でも、その子がだんだん大きくなってきて「ああ、だいぶしっかりしてきたな」というのがうれしくなったりするんですよ。もちろん、妥協を許さない厳しい目も絶対に必要なことも事実ですけれど、お客さまがそんな風に思ってくださったら役者はうれしいですよ。

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歌舞伎の世襲などについて

2013-08-04 01:55:46 | 歌舞伎




とつぜんですが。
歌舞伎の世襲などについて、つらつらと考えてみようかと。


以前は「時代遅れの慣習だな~」と思っておりましたが、実際に舞台を観るようになると、世襲にもそれなりの意味があるのだとつくづく感じるようになりました。
というよりも、歌舞伎の根幹をなしている重要な要素であると、今は思います。

世襲制の一番の長所は、「受け継がれていく血」だと思います。
「芸」は世襲でなくとも受け継ぐことはできますが、「血」ばかりはどうしようもありません。
若き日の菊五郎さんにそっくりな菊之助、幸四郎さんにそっくりな染五郎、11代目團十郎にそっくりと言われている海老蔵。
もちろん世襲というシステムを維持し続けるには、決して小さくはない弊害、ムリや歪みもあるでしょう。
それでも、こうして綿々と受け継がれていく血をその芸とともに見守っていくことができる歓びというのは、何事においても時間のスパンがあまりに短い現代においては奇跡のように思えます。

同じ演目を、同じ配役で数十年後に変わらずに観られる歓び、というのもありますね。
たとえば仁左衛門さん&玉三郎さんが35年前に演じた『吉田屋』を、今まったく同じ配役で観ることができる。
俳優も自分も歳をとって、色んな人生を歩んで、そして今、昔観た夢をもう一度、あるいはそれ以上の夢を観させてくれる、観ることができる。
そんな、それこそ夢のようなことが、歌舞伎の世界では“当たり前に”起こるわけです。
これも一種の世襲制の賜物だと思います。
玉三郎さんは歌舞伎の血筋ではありませんが、世襲で守られている閉ざされた世界だからこそ、役者が簡単に入れ替わらない世界だからこそ、実現することでしょう。

よく歌舞伎では「観客が役者を育てる」という言葉を聞きますが、これも気の長い話ですよね。現代の時間感覚とは恐ろしく合わない感覚です。でも、その気の長さが私には心地いい。
「芸のない俳優はすぐに捨てられ、芸があっても飽きたら捨てられる」「スキャンダルは命取り」・・・。今の芸能界は現実の競争社会そのまま。
そんなシビアな浮き世とはまったく違う次元で、独自の時間と価値観で動いている歌舞伎の世界。
世襲には世襲のシビアさはもちろんありますが(御曹司の生まれでない場合など)、それも含めて、そんな世界がまだ残っていることにどこかほっとするのも事実です。もっとも歌舞伎が今のような世襲制になったのは、そう昔からのことではないそうですが


以下、先月の歌舞伎座での、隣のおばさま方の会話。六十代くらいでしょうか。

「やっぱり花形は、お父さん達の世代と違うわねぇ。見目は綺麗だけど」

「首の動かし方とか、手の動きとか、ちょっとしたところが違うのよねぇ」

「ああいう風になるには、あと二~三十年といったところかしらねぇ」

“あと二~三十年”ですよ。
「芸が下手だから観られたもんじゃないわ。もう観に行くのはやめましょう」ではなく、このおばさま方はたぶんまた花形も観に行くのだと思います。お父さん達世代の舞台も観ながら。
なんかこういうの、いいなあと思うんですよね。

現代の忙しなく流れる時間の中で生活する私は、歌舞伎のこのあまりにもゆったりとした時間感覚にこそ癒されるわけですが、一方でそれが歌舞伎が現代には受け入れられ難い一因というのも、皮肉なものですね。。
歌舞伎の舞台自体もそうですよね。「のんびり一日かけて歌舞伎座で楽しい時間を過ごす」という楽しみ方が、現代の時間の流れと合わない。昼&夜の二部制でさえ長すぎると言われ、お客さんを呼び込むためには、時間を短くせざるをえない。そして通し狂言がますます減り、ますますストーリーが理解しずらくなり、結局はお客さんが離れていく・・・ということにならなければいいのですが・・・。

もっとも、決して現代のお客さんが「飽きやすい」のではないと思うのですよね。昔のお客さん達も相当せっかちだったと思いますよ。舞台に下手な役者が現れると蜜柑の皮を投げていたそうですし。
でも、他に娯楽がなかったから、客はそれでも芝居小屋に足を運び、蜜柑の皮を投げられながら役者も成長していったのでしょう。
でも今は、他に娯楽が沢山ありますからね。
いつも思うことですが、長い目で見ると、「選択肢が沢山あること=幸せ」とは限らないのではないかな、と思います。
刹那的な幸福は手に入れられても、長いスパンで得られる幸福は手に入れられないわけですから。
人生では、後者の喜びも前者と同じかそれ以上に大きいと、私は思うのですけれど。

つい熱く語ってしまいました。
というわけで、もちろん個人の幸福は何よりも尊重されるべきで、歌舞伎の家に生まれたから本人の意思に反して歌舞伎役者になるべきだとは、私は思いません。でもそうでない限りにおいては、歌舞伎の世襲制はなくならないでもらいたいな、と思います。

そして、まだ歌舞伎を観たことのない方、ぜひ一度劇場に足を運んでみてください。幕見なら千~二千円で観ることができます。
それで例え「すっごく楽しかった!」と感じなかったとしても、ちょっとでも「いいな」と思う部分があったら、ぜひ一度で良し悪しを判断してしまわず、数回別の演目に足を運んでみることをオススメします。
歌舞伎の演目って、本当に様々なので。
そんな悠長なことしてられっか!と言わず、たまには無駄に思えることもしてみましょうよ。
ハマったら儲けものってことで。
そしてもし嵌ったら、もう抜け出られませんよ。

できれば早めに行かれることをオススメします。
芸の極みを見せてくれるお父さん達世代がご健在なうちに。
先ほどのおばさま方に言わせれば、次にそういう芸が見られるのは二~三十年後とのことですからね。

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『終戦のエンペラー』

2013-08-03 17:31:20 | 映画






あの天皇発言が本当にあったか否かなど、色々言われておる本作ですが。
その発言はなかったとする映画を作ったところで、やはり文句を言う人はいるのでしょう。
どんな風に作ろうと必ず何か言われるのがこの時代を描く映画の宿命ですが、現時点で真実は闇の中である以上、諸説ある中からどれか一つを採用するしかないではないか、と私などは思うわけです。
とはいえ「本作はマッカーサー資料を根拠としたフィクションである」とかなんとかテロップの一つでも流しておけば不要な批判はだいぶ避けられたろうと思うので、フィクションとノンフィクションの混同という意味で誤解を与えやすい映画であることは確かですね。

単純に「映画」として観た感想を言うなら、私はとても良い映画だったと思います。

フェラーズ准将(マシュー・フォックス)とアヤ(初音映莉子)の恋愛は完全にフィクションで、ない方がよかったという意見も聞きますが、私は必要だったのではないかなと思います。政治も外交も究極には人間(昭和天皇も含め)が行っているわけで、あの真っ暗な時代を懸命に生きた“人間”の姿というのは、やはりすべての根本だと思うのですよね。日本人とアメリカ人の恋愛という最もシンプルな形で、両者の国民性の違いを自然に端的に表すことにも成功していたと思います。二人とも嫌味のない素敵なカップルでしたし。

マッカーサー役のトミー・リー・ジョーンズ。本国での選挙を常に意識している狡猾さと、でもそれだけではない軍人としての大きさが絶妙なバランスで、この役にぴったりだと思いました。

通訳役の羽田昌義さん。東京大空襲で妻を亡くしているという設定と抑えた演技が、とても良かった。

鹿島役の西田敏行さんは、こういう役がすっかりはまり役ですね。ときどき高橋是清@『坂の上の雲』に見えて困りました、笑。終戦後にフェラーズが静岡を訪ねていった場面、淡々とした中に深い悲しみが滲んでいてよかったなぁ。

中村雅俊さんの近衛文磨邸の場面は、先日『異国の丘』を観たばかりだったので、「ちょうどこの頃文隆は・・・」と二重の悲劇に思いを馳せてしまいました・・・。

関屋貞三郎役の夏八木勲さん。この方の演技を見るだけでも、この映画を観る価値があると思います(最近歌舞伎ですっかりこういう見方を覚えてしまった)。明治天皇の短歌を詠み上げる場面、素晴らしかった・・・。こんなに深い空気をさらりと作れる方だったんですね。ご冥福を心からお祈りいたします。

昭和天皇役の片岡孝太郎さん。
2時間半、延々と引っ張ってのクライマックスでのご登場。さぞ難しかったろうなぁと思います。もしこの昭和天皇がイマイチだったら全編ぶち壊し、という映画でしたから。
私は歌舞伎の孝太郎さんの演技が大好きですが、この映画でも期待以上に素晴らしい昭和天皇を見せてくださいました。
考えてみれば、孝太郎さんはこの手の演技がお得意ですよね。今年正月の『勧進帳』の義経でも、「一人だけ周りの人間と違う品格があって、でも浮世離れしすぎていなくて」という空気が絶品でしたもの。
マッカーサーとの会見で「話が違う!」という関屋をすっと左手だけで黙らせるところ、よかったなぁ。もっとも、この瞬間私の頭にぽんっと浮かんだのは、なぜか先日の『柳影澤螢火』で恋人の数馬に目線で合図を送ったときのお伝の方の姿でございましたが(いや、あの場面の孝太郎さんが大好きだったので。。)。
ところで今回の孝太郎さんの出演に父親の許可が必要で驚いたとTVでトミーリージョーンズが言っておりましたね。そんなニザさんも好きですとも!昨日の秀太郎さんブログによりますと、松嶋屋一門は皇室崇拝なのだとか。孝太郎さんの出演がOKだったということは、松嶋屋的にはこの映画の天皇の描かれ方はOKということなのですね(そりゃそうか)。秀太郎さんも孝太郎さんの演技を『力みのない、それでいてしっかりした、「演じていない演技」』と褒めておられました。私もそう思います^^

これらの方々の演技が見られただけでも、十分感動いたしました。

この映画の歴史描写がどれだけ正確であるかの議論はあるでしょうが(二二六事件やその後の戦況に踏み込んだ発言をしていた昭和天皇の姿は、この映画からは覗えません)、少なくとも十ン年前、大学時代にワシントンDCのスミソニアン博物館でエノラ・ゲイの特別展示を見、「戦争を終結させ、多くの命を救った航空機」という英雄的解説が大々的になされ、その犠牲者については一切触れられていなかったことに大きな衝撃を受けた私は、今回の映画で中村雅俊にあの台詞を言わせ、そして広島・長崎・東京大空襲の犠牲の大きさについてはっきりと述べたこの映画を米国が作ったというだけで、十分価値あるものに感じました。なおエノラ・ゲイは現在スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターで展示されていますが、依然として犠牲者についての解説は省かれているそうです。
決して完璧ではないかもしれませんが、今回の映画に関しては、作られたことによる罪よりも、作られたことによる功の方が大きいであろうと私は思います。これまで作られた同種の作品と比べても日米両国に対して格段に公平な描写となっていますし、仮に日本がこの映画を作った場合、米国人は誰一人として観ることはなかったでしょう。
年々あの戦争の記憶が風化していくなか、こういう映画がきっかけとなり、日米の若者が「実際はどうだったのかな?」と興味をもってくれれば、十分だと思います。

なので、こういう映画こそ若い人達に観てもらいたいと切に思うわけですが、夏休み中の1000円デーであるにもかかわらず、観客の平均年齢は六十~七十代。。。三十代の私が一番若かった気がする。。。
残念です。

数年前に亡くなった祖父が、亡くなる前に「最近は戦前と世の中の空気が似ている」と言っていました。
この頃ふと、思い出します。


《記者会見》
片岡孝太郎

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インタビュー:上村吉弥

2013-08-02 03:26:30 | 歌舞伎

 入門して最初の頃は、たまに抜擢していただくと、「よう出来た」と褒めていただける。10年以上経って名題(なだい)昇進試験に合格して“名題”という身分になると、幹部俳優さんとからむことが増えます。この立場だとうまく出来て「普通」です。ところが幹部俳優になると、幹部俳優としてのセリフの言い方、芝居の仕方があることに気づかされるんです。最初はうまく出来ませんでした。どうやっていいか、わからないんです。先輩方に「それらしい芝居をしなさい」とアドバイスしていただきましたけど、襲名するまでは幹部俳優さんの後ろで控えているような役が多かったでしょう。急に意識改革できませんでしたね。

 --最初から御曹司として歌舞伎の世界で育った俳優さんは当たり前のようにそういう演技ができる

 つくづく思うのは、歌舞伎には家柄とか門閥が必要だということなんです。御曹司でないと出来ないお役ってあるんですよ。たとえば、「勧進帳」の義経とか、「仮名手本忠臣蔵」の直義(ただよし)のように身分が高くて、品格や大きさが必要なお役は、御曹司でないとそういう匂いが出ないような気がします。不思議なものです、歌舞伎という芸は。

(上村吉弥)


産経新聞インタビューより。
竹三郎さんと同じく、歌舞伎とは無縁の世界から歌舞伎役者になられた吉弥さんの言葉は、興味深いです。

【インタビュー】
美貌の女形、上村吉弥さん「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」
「師匠の誘い受け役者に」
上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも
弟子には「役の性根を大切に」

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インタビュー:坂東竹三郎

2013-08-01 17:00:59 | 歌舞伎

「歌舞伎役者って何なのっていうと、舞台の匂いなんですよ。サラリーマンでも他の舞台役者でもない。どこかに品があって匂いがあって、そういうものが自然に出てこないといけない」

(坂東竹三郎)


産経新聞インタビューより。
これ、すごくよくわかります。
歌舞伎ファンの多く人達も、なによりこの「歌舞伎の匂い」を愛しているのだと思います。
竹三郎さん、素敵な方ですよね。

【インタビュー】
役者に猛反対の父に「勘当してください」
「芸人はみなライバル、雑草の力で精進」
化け猫が本物のコイ咥え…斬新な「歌舞伎」演出が大評判に
遊廓にいるよう…「花車方は品・情感・大阪のにおい」
「命続く限り、脇で主役を引き立て」

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