風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

美輪明宏ロマンティック音楽会 @ゆうぽうとホール(1月30日)

2015-01-31 18:59:26 | その他観劇、コンサートetc



どんなに新聞雑誌で叩かれたか、世間から白い目で見られたか、そういう戦いが彼の場合は延々とあった。延々とあったけどじゃあなぜ美輪明宏はそれに勝ち抜いたかというと、何も彼の言うことが面白いからとか彼の美貌とかいうことじゃないんですよ。もちろんそれもあるけど、なんたって芸の力ですよ。歌がうまい。誰よりもうまい。まあ、宇宙のミラーボール。ミラーボールっていうとなんかインチキくさいでしょ。このインチキくさいのがまたいいんだなぁ。そこが美輪明宏の美輪明宏たる所以なのよ。
(なかにし礼)


今年も行ってまいりました、美輪さんのロマンティック音楽会。
芸術劇場の方に行きそびれてしまったので、ゆうぽうとホールです。でもやっぱり美輪さんのリサイタルはPARCOのような小さな会場の方がいいなぁ。この会場ではさすがに銀巴里気分は味わえませんでした^^;
私の美意識に徹底的に反するTHE美輪さまオブジェクト(写真のコレ↑)ももちろん健在
しかし銀巴里に通っておられたなかにし礼さんの言葉に、このインチキくさく安っぽい美的センスも味のあるものにも思えてくるからフシギ^_^;
美輪さんって何故か神のようにあがめられている一面があるけれど、とっても人間的なんですよね。私はよく「美輪さんの言うことに100%同感なわけではない」と書きますが、そういう部分も含めて、本当に人間的な魅力に溢れた方だと思う。昨年の紅白のセットは天上世界でしたけれど、実はそこから一番遠いところ、誰よりも地面に近いところにおられる人なのではないかなと生の美輪さんを見る度にいつも思います。そして天国から一番遠くみえるその場所が、実は神様がいる場所に一番近いのではないかな、とも。

さて、上演前には恒例の「咳をされるときはハンカチを口にあてるようお願いします」のアナウンス。「お客様から苦情が出ています」と。苦情はお客からじゃなく美輪さまからよねきっと^^; しかし今回は美輪さんもトークのときに結構咳をされておられましたし、年配のお客さんも多いから仕方のない部分もあると思うの。でも美輪さま、ご体調大丈夫かなぁ。。。昨年も公演中止されてたし。。。歌を歌われているときはまったくご健康そのものでしたが。
ちなみに美輪さまはオペラグラスもお嫌いと聞いたことがあるので、オペラグラスで見たかったけどやめておいたよ・・(11列目だったのでそこそこ見えました)。


【第一部】

美輪さんは透け感のある紫のゆったりしたブラウスに、黒の短髪でご登場。

「皆さまごきげんよう。仲間由紀恵でございます」

第一声から外しません^^
客席に漂い始めるお香の香り(美輪さまからじゃなく、焚いているのです)。
そして音楽会名物?のロングトークのはじまり。
前回は反戦歌やワークソングといった特殊な選曲だったけれど、今年はまた本来のロマンティックに戻しました、とのこと。やっぱり前回は特殊だったのね。でもそういう貴重な曲を生で聴けてよかったです。
全体的にセットリストは前回の方が好きでした(祖国と女達、ふるさとの空の下、メケメケ、ロシアンカフェ、愛する権利、花etcとテンションの上がる曲が多かった)。
今年はどことなく寂しい気持ちになる、別れを感じさせる曲が多かった気がします。美輪さま、健康面とかで色々思うところがあるのだろうか、とか考えてしまった。今年で80歳とは思えない物凄い声量で、背筋もすっと伸びて颯爽とされていらっしゃるので、ついいつまでもいつまでもお元気に違いないと思ってしまうのだけれど。。

第一部は、花子とアンも意識して、明治・大正・昭和と時代を追って歌っていく構成。ドラマの中でこの時代の曲をもう少し流してくれるかと思っていたら意外と流してくれなかったので、今回はその意趣返しで歌ってやろうと決められたそう笑。
「お若い方はご存知ない曲ばかりで途中で帰ってしまうかもしれませんが、帰り道で交通事故にあうかも・・・。ですからここにいらした方がいいですよ」ですって笑

『おぼろ月夜』
「春の歌。初春ではなく、もう少し後の、まだ空気は冷たいけどふっと温かな風が吹いて心が浮き立つような、そんな季節の情景を詩的な美しい言葉で歌った歌です。最近は騒々しくて耳からウンコが入ってくるようなそんな音楽ばかりでしょう。だから殺伐とした事件ばかり起きるんですよ」と^^;
しかしこの曲、改めて歌詞を見ると、本当に美しいのですよね。今声高に宣伝してるどんな言葉よりも、よっぽどクールジャパンだと思うわ。

菜の花畠に、入日薄れ、
見わたす山の端(は)、霞ふかし。
春風そよふく、空を見れば、
夕月かかりて、にほひ淡し。

里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
田中の小路をたどる人も、
蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も、
さながら霞める 朧月夜。

『惜別の歌』
島崎藤村作詞、藤江英輔作曲。
「恋人と別れるときは、いい別れ方をしましょう。別れ方が下手だとせっかくの幸せだった思い出までめちゃくちゃになってしまって、もったいないですからね。いい別れ方をすれば、後から思い出して、あんなこともあったなぁと生きる力になります。だから、いい別れ方をしてください。・・・いかがですか皆さん、別れたくなってきましたでしょ?笑」
「さよならだけが人生だと寺山修二も言っていましたが、恋人との別れ、友人との別れ、家族との別れ、そして自分自身のこの世との別れと、人生にはたくさんの別れがあります。皆さまもそういうご経験をお持ちだと思います。そういうものを思いながら聴いてください」
さよならだけが人生だと言ったのは井伏鱒二ではなかったか?と思ったけど、そういえば寺山修二はそれに返歌を書いておりましたね。「さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう」と。

『ゴンドラの歌』
大正時代の流行歌。女優の松井須磨子さんの話をされた後、「最近は恋をするのが面倒くさいとかきっかけがないとか、恋をしない人達が増えているようです。なんでもいいんですよ。片思いでもなんでも。恋はした方がいいですよ。お肌も綺麗になりますしね。わたくしは何百年も前なので忘れてしまいましたけど。これをきっかけに恋をしてください。頭の中をでいっぱいにして、目からもをいっぱい出して」

いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪せぬ間に
心の炎 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを

この曲を美輪さんの色っぽくて温かい声で聴いていると胸がいっぱいに。。本当に、一人一人に語りかけるように歌われるのだもの。いい歌ですねぇ。。泣きそう。。。

『喫茶店の片隅で』
『ラ・ボエーム』
トークは、銀巴里の思い出(記憶に自信がないけど、たしかこの曲のときだったと思います・・・)。
「色んな才能と教養のある人達が沢山集まって、みんな空腹でも頭の中は夢でいっぱいで。私は幸福でした」
美輪さんが仰ると不思議なくらい「年寄りの昔自慢」に聞こえないのよね。その後に「でも今はテニスやスケートやスポーツ界で才能のある方がいっぱい出てこられているでしょう。そういう方達が集まって何かできるといいですね」とも仰っていたけれど、もちろん本心なのだろうけれど、美輪さんには珍しいフォローのようにも聞こえて、もしかしたら美輪さんは寂しいのかな、と。。当時美輪さんの周りにいた多くの方が今は亡くなられていますものね。
「もうあの時代は帰ってきません」と歌に入る前に仰って、それは歌の歌詞に繋げているのだけれど、なんだか寂しい気分になってしまいました。。

『ヨイトマケの歌』
やっぱり美輪さんのヨイトマケはいいですね~。何度見ても本当にカッコイイ!!
美輪さんってみゆきさんと同じで、ぜっっったいに生で見るべき人だと思います。
美輪さんの(母方の)ご実家は風呂屋をされていて、番台で手伝っていると、中流の上の生活をされている綺麗な服を着た完璧なプロポーションのご婦人でも、服を脱いで裸になるととても醜い体をしていたりする。「それ以来、服や身分や性別など目に見えるものを一切信用しないと思いました。目に見えるものではなく、目に見えないものを心で見ようと、そういう風になりました」
そんな美輪さんなので、舞台上の美輪さんと目が合うと(そういう風に感じさせる方なのです)、心の奥の汚い部分も全て見透かされているようで少し落ち着かない気分になるのです。心の目で見られても恥ずかしくない、そういう人間でありたいものです。

『金色の星』
この曲を作った頃、人気が落ちて全然仕事がなくて、ある日電車に乗っていると中年ばばあ三人が「丸山明宏よ。なんで電車なんか乗ってんのかしら。最近落ち目だからね」と大声で聞こえよがしに話していたのだそうです。「普通の芸能人の方でしたら聞こえないふりをされるのだと思いますけれど、わたくしは普通ではございませんでしたので、二十倍返しで言い返して最後は泣かしてやりました。ああいう人達には、黙っていてはだめですよ。その方が本人のためでもあるんです。でないと調子に乗ってもっともっと言ってきますからね。ですから皆さんも言い返してください」と笑。
「どの扉を叩いても開かない、誰でもそんな時期があります。でも諦めるということが一番よくない。信じて努力していれば、金色の星は必ず現れます」
いやあ、すごい迫力。。。youtubeで聴いたときはこんなに迫力のある曲には感じなかったのだけど、やっぱり生は全然違います。吃驚した。後光が見えた。
美輪さん、いつも一部と二部の最後は必ず聞かせますよねぇ。さすがのエンターテイナーだわ。絶対に手を抜かないしなぁ。
最後に両手を胸のところで小さく降って笑顔の美輪さん、おちゃめですっごく可愛い

~20分間の休憩~


【第二部】

真っ青なブルーのドレス。海の背景に沢山の色とりどりの薔薇。
インチキくさいといえば、美輪さんの音楽会のセットもある意味これ以上なくインチキくさいのだけれど、それを偽物に感じさせない舞台上の美輪さんに今回も改めて感心したのでした。本当に、笑ってしまうほどのインチキくささなのですよ。それがもう夢の世界そのままのように美しくてね。この2つが矛盾しないところが美輪さまのステージの凄さだなぁと。
身長161cmで今年80歳なのに、あの存在感。やっぱりその人生の厚みゆえなのでしょうか。本当に、どんな言葉も(たとえ間違った事実の内容を仰っているときでも、また私が同意見でないときでも)、美輪さんご自身の言葉として嫌な感じが殆どしないのよね。経験に裏付けされた、ぶれないスケールの大きさ。何度も言ってしまうけど、こういう大人が日本にはもっともっと必要だと思います。私もそうありたいものです。

『港街のレストラン』
『私はひとり片隅で』
昭和30年代?に初めてパリに行ったとき、カフェで座っていると、女性と男性が入れ替わり立ち代わり違う相手と外に出てはしばらくして戻ってくる光景に吃驚した、というお話をされていました。

『ボン・ボワヤージュ』
今回はフルの12分をそのままではなく、前半の演技部分をトークで説明し、後半の歌唱部分のみという構成。この曲はこういうお話で・・・というトークからそのまま自然な流れで「馬鹿ねあんた、何言ってんのよ」とお芝居と歌の世界に入っていく表現の変化、凄かったです。これぞ美輪さん!前半部分が聴けないのは残念に思っていたけど、これが見られてかえってよかった。

『ラストダンスは私と』
『愛の讃歌 日本語版』
素晴らしかったです!!紅白の歌唱より音程も安定していて、ずっとずっとよかった!
もうさぁ、なんかさぁ、愛だよね。。。すべては愛。この世界で一番大切なのは愛。ただ愛だけ。愛があればすべて解決。と、感じた
この日本語版も、いいなぁ。

【アンコール】
いつもどおり、拍手を引っ張ることなくすぐにご登場。
今年の春の舞台「黒蜥蜴」についてのお話。昨年が江戸川乱歩の生誕120周年、今年が三島由紀夫の生誕90周年で没後45年。これが最後の黒蜥蜴になるそうです。黒蜥蜴は舞台の上にいる時間が長く、衣装の早変わりも多いので、ちゃんとした舞台を皆さまにお見せできるのはこれが最後だろう、と。「そんなこといってまたやったりするんでしょ?」とイジワルなことを仰る方もいますが、もうやらないつもりです、と。でも毛皮のマリーなどもう少し体が楽なお芝居は今後もやらせていただく予定、だそうです。
私はお芝居よりも音楽会の美輪さんの方が好きなので、また黒蜥蜴は一昨年に観たばかりで、配役も全く同じなので、たぶん今回は観に行かないと思います(ちなみに昨晩も「木村さんの明智は過去最高だと思っております」と仰っていた。。。)。
美輪さんの最後の黒蜥蜴、蔭ながら心よりご成功をお祈りしております。

『老女優は去りゆく』
「30では早すぎましたが・・・」とちらりと仰っていたけれど、これは30代のときに作った歌なのだろうか?(美輪さんの曲は製作年代の情報がネットで見つけにくいのである・・・)。
しかし今も昔も、この曲を本当に歌うことができる歌手ってどれだけいるだろう。
まさに美輪さんの歌、だよねぇ。これも下に載せた動画より昨夜の方がずっとずっと深みがあって切なくて、素晴らしかったなぁ。。。怖いくらいの迫力だった。。。
照明効果もとてもよくて、人気の絶頂の場面では背景の薔薇にライトがいっぱい当たって、落ちぶれる場面では暗くなって、そして最後の「出ていく迄明りは消さないでね」のところでぱぁっと明るくなるの。そしてなんともいえない嬉しそうな、でも寂しいような、万感の表情を浮かべて、去っていくのです。去り際に小さく両手で客席に手をふった姿が印象的でした。これ聴けてよかった。。。

そして、再び最後に笑顔でご登場。今度は背筋のすっと伸びた素の美輪さん。
丸まった背中でよぼよぼと去って行った老女優の姿から再び颯爽とした姿を最後に見せてくださったこの流れが、ああ、もうほんとに泣きそうよ。。。やっぱり最後はこの美輪さんだよね!
美輪さん、本当に本当に美しかった。。。
今回の音楽会、行ってよかった。

美輪さま、今年の秋にまたお会いいたしましょう!!


※2013年9月12日「ロマンティック音楽会」の感想
※2013年9月26日「ロマンティック音楽会」の感想
※2013年6月8日「黒蜥蜴」の感想

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初春歌舞伎公演『南総里見八犬伝』 @国立劇場(1月10日)

2015-01-13 00:51:52 | 歌舞伎





今年も初春歌舞伎@国立劇場へ。
正月飾りでいっぱいの華やいだロビーの雰囲気が好きです~。
今年の演目は「南総里見八犬伝」。
この日はお馴染みのくろごちゃんに加え、ダッペエ(館山市)&たいよう君(鴨川市)も千葉から応援にかけつけていました。

お芝居は、今年も楽しかったぁ~♪♪♪
菊五郎さんのカラーのせいか、音羽屋のお芝居は神経質じゃないところがいいですねぇ。昨年同様、のんび~り観られて、細かいことなんかどーでもよくなっちゃって、お正月だもの~って思えちゃう。
華やかに、おめでたく、ゆる~く楽しめる、こんな雰囲気も意外と貴重だと思います。
思わずくろごちゃんストラップを買いそうになってしまった。

そしていつも感じるのですけど、国立劇場は歌舞伎座よりも降りもの(雪とか桜とかキラキラとか)が美しく見えるのはなぜでしょう。映像だとわからないけど、劇場で観ると本当に綺麗に見える。照明が違うのかなあ。歌舞伎座は客席が全体的に明るすぎる気もします。

以下、ネタバレいっぱい。

【一幕目   (安房)富山山中の場、(武蔵)大塚村蟇六内の場、本郷円塚山の場】
この作品も初見。
有名なお話の割に初めて内容を知ったのですけど、八房(音一朗さん)って本当にイヌなんですね!ぶっとんでるなぁ、江戸時代。
右近くん(伏姫)、綺麗だった~。古風だけど現代的な雰囲気が役にぴったり。
空中に浮かぶ八つの光る玉with文字も、かっこいい
でも伏姫の自害の理由を変えちゃった原作からの改変はつまらないと思いますー。

菊之助(信乃)、美しい~~~
花形世代でここまでキラキラの貴公子オーラがあるのって菊ちゃんだけよね。いつも色気が足りないとか言っちゃってごめん。
でも円塚山で松緑(左母二郎)が梅枝(浜路)に絡むシーンを見て、やっぱりこういう場面は松緑の方が色気が出てるわぁとあらためて思った^^;
しかし菊ちゃんには別の意味での色気があることを私は今回知ったのである・・・(→三幕)

亀寿の荘助、三幕で亀三郎が正式に登場するまで、ずっと兄さんの方だと思って見ておりました。。本当に似てますねぇ。菊ちゃんとの絡みが楽しかった♪

團蔵さんと萬次郎さんの蟇六夫婦も可笑しみがあって、ぴったり。

蟇六内で浜路が首を吊ろうとした薄桃色の紐が椿の枝にかかってるところとか、円塚山で左母二郎が浜路の解けかけた赤い帯を手にするポーズとか、今更ですけど歌舞伎の錦絵のような美しさは世界遺産に相応しいと心から思う。

最後に八犬士がズラリと並ぶ場面、かっこよかった~。きゃ~音羽屋&萬屋~~~(>_<)と脳内喝采しちゃいました。キラキラの紙吹雪の中の菊五郎さん(道節)。時蔵さん(毛野)。亀亀兄弟。萬太郎(大角)。菊之助。松緑(現八@二役)。そして犬の被りものを頭にのっけた、みんなのアイドル左近くん(親兵衛)。
もっともパンフを読むまでこのだんまり場面の意味がわからなかった私は、この八人は何をしてるんだろー・・・と思っておりました(運命の八人が互いの素性を知らずに偶然会った、という場面だそうな)。

幕外は、松緑の立廻り好きな私には嬉しいオマケ。そして「スズキの初売り座」(もちろん猿之助のCMパロ)。まさか松緑のこんな台詞が聞けるとは。こんな飛び六方が見られるとは。このためだけでも国立行ってよかった(本気で!)


【二幕目   (下総)滸我足利成氏館の場】
菊ちゃんの衣装きれ~。薄ピンク水色の着物に、カラフルな刺繍の入った裃。
松緑の現八も、すごくカッコイイ!こういう役の松緑って無双ですね。
屋根がまわる仕掛けも、なかなか楽しかったです。
屋根上の立廻りでは、二人に「ご両人!」の掛け声が。ご両人って男男でも使うんですねー。


【三幕目 (下総)行徳古那屋裏手の場】
うん、たしかにご両人ですね、この二人。
だって髪を後ろに緩くたらして着流し姿の二人、しっとりした色気があって、こんなに美しい~~~。
前にも思ったけど、この二人って不思議と合うんですよね(別に腐的な意味じゃなく)
空の星と、水辺に瞬く蛍。ここの初夏の夜の景色、素敵だったなぁ
間に立つ亀三郎(小文吾)も場によく馴染んでいて。音羽屋っていい。


【四幕目   (武蔵)馬加大記館対牛楼の場】
毛野が二人の弟子(梅枝&右近@二役)を引き連れて、捕われた小文吾を救出に。
この辺りから後半はちょっとお芝居が失速気味に感じられたけど、細かいことは気にしない。
時蔵さんのフリフリ衣装は昨年菊ちゃんも着ていたけど、歌舞伎の唐衣装のお約束なのでしょうか。。


【大詰    (上野)白井城下の場、 (武蔵)扇谷定正居城の場】
幕間にスタッフが一階前方の客席に何やら話してると思ったら、扇谷定正(左團次さん)一行と交戦中の道節の火遁の術で赤いラメの紙吹雪がプシュ~と十列目くらいまでどっさり!たのし~。正月だしこれくらいやってくれて全然OK~。

恒例の手拭い撒きは、左近くんも参加。左近くんは台詞回しが堂に入っていてびっくらしました。
背後にズラリと並んだ旗の八文字の漢字がかっこよかったな~。外国人が喜びそうだけど、国立って全然外国人いないよね・・。

最後はの季節で麗らかな春らしさの中で幕。今回は菊五郎さんのアイデアでを全て取り入れたのだとか。安易といえば安易な演出だけど、こんな楽しみ方ができるのも正月国立ならではでしょうか。

以上、今年の国立もまったり楽しい初春芝居でございました。大満足(*^_^*)



三階喫茶「十八番」のカレー 800円也。
ちょっとお高いけど、味はザ・カレーライスという感じで好きなんです。ちゃんと辛いし。
いつもこれかラーメンをいただきます。そして二階売店でホットコーヒー


正月の国立はどこも賑やか

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壽初春大歌舞伎 夜の部 @歌舞伎座(1月4日)

2015-01-09 19:40:22 | 歌舞伎



一年の観劇始めはやっぱり歌舞伎で


【番町皿屋敷】

とはいえ、最初がこれって。。。^^;
いえ、一年の最初に吉右衛門さんが観られて満足です、はい。

吉右衛門さん(青山播磨)、前半の染五郎(放駒四郎兵衛)とのケンカの辺りはお疲れ気味?な感じだったけれど、前半最後の散るを眺めるところ、雰囲気があってとてもよかった。後半は熱演。台詞も聞かせます~。
しかしそんな吉右衛門さんの熱演をもってしてもあまり私の心に響かなかったこのお話。。。だって播磨さん、心が小さすぎやしないかい?愛してるからこそ不安になっちゃったお菊ちゃんの気持ちをもう少し考えてあげてもよかろうに。若さゆえの真っ直ぐさですかねぇ(吉右衛門さんだから貫録あるけど^^;)。
このお役って梅玉さんが年をとらないうちにもう一回やりたいって仰っていた役ですよね。梅玉さんの播磨もとても見てみたいです~。あまり作品に魅力は感ぜねど。。

芝雀
さんのお菊、若い娘が思いつめた様子がお見事でした。

染五郎は、吉右衛門さんに完全に食われちゃうこともなく、よかった。吉右衛門さんが前半は調子控えめだったせいもあるかもですけど。


【女暫】

暫も観たことがないのだけれど、助六や曽我対面的な絵面のおめでたさを味わう感じでしょうか。
体調が悪くてのんびり観ていたので、この中身のなさがかえって楽しめました♪ 正月らしくてよかった 楽屋落ちも楽し~(大和屋のねぇさん♪)

玉三郎さん(巴御前)は背が高いから舞台映えしますね~。ゴージャス~。姐御!
玉さまの後、これをやれる女形って誰かいるかなぁと考えてしまった。
「赤いぽっぽの兄さんたち」って言う玉さまがとても好きです笑

最後の幕外は、なんという贅沢!最高に楽しかった~~~
吉右衛門さん&玉三郎さん。このお二人も、仁左衛門さんとは違う意味で美しい組み合わせ~。二人ともなんて可愛くて素敵なの(>_<)! 吉右衛門さん(舞台番)、六方をあんな風に(笑)教えてるだけなのに、勧進帳を思い出して見とれてしまいました~。そのまま六方みせて~。

男女蔵さん(成田五郎)、最初誰かわからず、台詞回しや声が左團次さんにそっくりだなぁ、でもどう見ても違うよなぁ、と思っていたら男女蔵さんだった。初めて親子なんだなぁ、と感じました。


【黒塚】

猿之助、新歌舞伎座初出演おめでと~。
猿之助&勘九郎、この二人が一緒にいるのを観るのは超楽しい!素敵!

猿之助の岩手、細かな所作が妙に元気がよくてあまり老女には見えなかったけど、やっぱり色々上手い~。私は四の切よりもこっちの猿之助の方が数倍好きです。
薄野原の場面、薄(ちゃんと風に揺れてる!)も照明もすごくすごくキレイだった 
岩手が背負ってる薪には、白い桔梗の花が数本ささっているのですね。老女で鬼なのに、女性らしい細やかさが垣間見えて微笑ましかった。月の光に地面に映る自分の影と戯れながら嬉しげに踊るところも、なんとも可愛らしく。
そんななので調伏されちゃう後半が哀れなのだけど、勘九郎の阿闍梨が誠実さに溢れているから、嫌な後味がまったくないのよね。この阿闍梨は岩手の哀しみを理解して、一緒に悲しんでいるのがわかるから(岩手は裏切られたと誤解しちゃってるけどね・・)。そんな彼に魂を鎮めてもらえた岩手は幸福だったのではないかな、と感じることができました。

そして強力の寿猿さん、お若い~~~。本当に寿猿さん?と何度も見直してしまった。

この演目、好きです。できれば秋の季節に観たかった!

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『通し狂言 伊賀越道中双六』 @国立劇場(12月23日)

2015-01-08 00:00:02 | 歌舞伎




クリスマスからずーっと風邪で臥せっていたため、感想を書かないまま年を越してしまった。もう1月の歌舞伎座も行っちゃったわ。。
誰も読まないかもしれないけど、今書いておかないと永久に記憶が消えそうなので、書きます!

この演目を観るのは今回が初めてで、日本三大仇討ちという言葉も、伊賀越えという仇討ち事件のことも、今回初めて知りました。
「岡崎」は44年ぶりの上演だそうで、そういえば去年の師走の「忠臣蔵形容画合」も60年ぶりでしたねぇ。歌舞伎座も、役者を変えて同じ演目ばかりやらずに、こういう珍しい演目ももっと上演してくれたらいいのに。。(まぁ同じ演目ばかりやってくれるおかげで、私のような新参者も有名な作品を待たずに観られるのですけど)

そして今回の舞台を観て、松竹は吉右衛門さんを本当に大事にした方がいい、と超上から目線で恐縮ですが、心の底から思いましたよ。
役者としての吉右衛門さんの素晴らしさはもちろんですが、今回はなにより「岡崎」をほぼ変更を加えることなく上演してくださったこと。以前松緑のカテコの件があったときに「歌舞伎のアイデンティティー」というものについてここで書いたことがありましたが、「変えるべきもの」と「変えてはいけないもの」の見極めって、伝統芸能の分野では物凄ーーーく大切だと思うのです。それを変えてしまったらもう歌舞伎ではなくなる、というような境界線。そこを蔑ろにしてしまったら、グズグズとあっという間に土台が崩れて、気付いたときには手遅れになりかねないと思うからです。
例えば今回の「岡崎」のような作品を「今の時代と合わないから」とソフトな表現に変えたりすることなどは、それを上演しないよりもっとタチが悪いとさえ思う(「恐怖時代」の改変など最悪だった・・・)。
ですから今回吉右衛門さんがそれをせず、またそういう姿を若い役者さん達に見せてくださったことは、すごく価値があることだったと思うのです。

以下、お芝居の感想。

歌六さん(幸兵衛)、とてもよかった!政右衛門が追手と闘っている姿を腕を組んで眺めている立ち姿、雰囲気ありました~。『松浦の太鼓』で、ただ立っているだけでどういう人間なのかがわかる、彼が感じている空気が伝わってくるあの歌六さんを思い出した!
東蔵さん(おつや)も同じく、火鉢にあたって座っている姿など、空気が伝わってきた~。
そこが菊之助(志津馬)や米吉(お袖)との違いというか・・・。菊ちゃんや米吉くんは、なんというか、舞台の上にいるその時間だけを演じているように見えるのです。その役の人生や生活が見えないというか。丁寧に下駄や草履に雪までついているのに、肝心の空気が~伝わってこない~。二人の掛け合いは面白味があって楽しめたけれど、それってある意味最も手軽な客の楽しませ方よね。。でも、楽しいだけじゃ満足度は低いのよ~。。難しくても、ちょっとずつでも、色気とか空気を作ることにももっと力を注いでほしいと思うの。。エラそうにすみませんっ。とはいえ若く美しい二人だったので、眼福ではありました。

吉右衛門さん(政右衛門)、包丁と俎板がお似合いでいらっしゃること 辛い場面だけど惚れ惚れ
この「莨(たばこ)切り」の場面、最初「ん?フリだけ?」と思ったら、ものすごく細かく切っているのですね。吃驚。道具も、珍しいものが見られたなぁ。煙草は、最初スルメイカが干してあるのかと思ったら、煙草の葉だった^^; 煙草の葉ってあんな形をしているのですねぇ。

芝雀さん(お谷)と吉右衛門さんのカップルはもう見慣れ過ぎていて(正直ちょっと飽きてきたかも・・・^^;)、あの赤ん坊も当たり前に二人の子供に見えたわ~。あんなにリアルから程遠い赤ん坊なのに。なので政右衛門にブスリとやられて、ぺっと雪の庭に捨てられるあの場面は、うっと胸が苦しくなりました。。一番苦しいのは政右衛門でしょうけれど。いや違うかな、やっぱりお谷だろうな。。

時々止んで、また降り始める雪とか。入相の鐘とともに閉じられる関の門とか。当時の冬の情景をその場で見ているようで、楽しかった。私は四季の中で雪のお芝居が一番好きです。

お袖ちゃんの最後は、野崎村な展開なのですね。菊ちゃんのお光ちゃんがまた観たいなぁ、と舞台にいる菊之助を見ながら思いました。菊ちゃんは最近立ち役が多くて寂しい・・・


※あぜくらの集い イベントレポート
『通し狂言 伊賀越道中双六』を楽しむために

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2015年

2015-01-05 22:24:24 | テレビ

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします

年末年始は皆さまいかがお過ごしでしたか。
私はずーーーーーっと風邪で布団の中で過ごしておりました。。。
みゆきさんの紅白、素敵でしたねぇ~。
美輪さんも、もはや男も女も関係ない美輪さまという一つの生命体であることを再確認いたしました~。ぶらぼ~。
お二人の歌を聴きながら、あらためてアルカディアの舞台を思い出していました。
夜会を観てから、縁会2012-3のBlu-rayを買ったのです。この中でみゆきさんが「最後の女神」を歌われていました。
憶えていらっしゃる方も多いと思いますが、2008年11月に亡くなられた筑紫哲也さんのNEWS23のエンディングテーマだった曲です(1993-4年)。

以下は、筑紫さんが亡くなられたときにこのブログでご紹介させていただいた多事争論(NEWS23の中で筑紫さんが話をされていたコーナー)からの言葉です。
改憲の議論についても触れられていますので、新年を迎えるにあたって、6年ぶりにあらためて載せさせていただきますね。

そうそう、この年末は久しぶりに祖母と過ごしました。数年前に亡くなった祖父はシベリアの抑留者でしたが、祖母は東京で大空襲を経験しています。年を越しながら、遅くまで色んな話を聞きました。
今年は戦後70年。先日のニュースでは、今の20代の6割が戦争体験談を直接聞いたことがないそうです。


*****

弱者の問題として格差が捉えられ過ぎるのですが、そうではなくて「そういう人間は努力しないから悪いんだ」というような非常に非情な空気、とげとげしい空気がこの国に生まれていること、私はそのことの方が大きな問題だろうと思います。

そうやってお互いが険しい形で生きていく国を作るのであろうか、もう少し情のある国を作るのかどうか、これは今後の大きな課題であります。

(2006.9.19 筑紫哲也 News23  多事争論 「非情の国」)

*****

これから否応なしに憲法をどうするかという議論が始まりそうな雲行きでありますけども、憲法を改めるにしろ、そうしないにしろ、まず大事なことは何かと言えば、憲法に手をつけるということが大事(おおごと)だということであります。

それは、今の憲法がどうやって出来たかということを調べれば一目瞭然であります。若い歴史を知らない政治家はよく「これが占領軍の押しつけ憲法だ」などという簡単な事を言いますけれども、調べれば調べるほどそんなに単純な話ではありません。

例えば憲法の25条に「全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文があります。これは占領軍が押しつけたものでも何でもありません。日本の民間学者が強硬に主張してこれを入れました。

それから今の教育制度、義務教育の制度も学校の先生達の強い要求によって26条、特に2項というものが入りました。そして、その当時の日本政府は終始、国民に主権を与えること。あるいは女性に参政権を与えることには抵抗し続けまして、天皇の地位が危うくなるということが分かって、初めて占領軍の要求に屈しました。

つまり、国民の側に当時の政府は立っていたわけではありません。にも関わらず、第9条については、その保守派のリーダーですら日本が敗戦の代償に理想的な、戦争をしない国を作るということについては、大変な情熱をその当時は感じていました。そういういろいろな事情があって出来た憲法であります。

スカートの丈を短くしたり、長くしたりするのとは理論が違います。どんな議論をこれから始めるにしろ、これが大事だということは、まず認識して始めたいものであります。

(2007.5.2 筑紫哲也 News23 多事争論 「大事」)

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 「がんは面白い病気でね、これくらい個人差があり、気持ちに左右されるものはない」と言う。「心臓が急に止まるのと違い、余命率がどれくらいという、一種予約つきの人生になる。年数はわからない。ラッキーだと延びるし、短い人もいる」

 日々、「ありがたい」と思うことがある。「倒れるまで、一日、一日なんて、特に考えないで過ごしてきたけど、先が限られていると思うとね。例えばきょう一日も、とても大事というかね。うん。お墓には何も持っていけないから、大事なのは、どれくらい、自分が人生を楽しんだかということ。それが最後の自分の成績表だと」

 今は週に1回、立命館大で講義し、あとは『源氏物語』を猛烈な勢いで読んでいるそうだ。

 「入院中にじっくり読んだのは新渡戸稲造の『武士道』。古典が面白くてね。それと、仏像や日本画をしみじみと見るというのかな……。これって、なんだろうと思う。これから先、見ることはないという、見納めの心理も働いているんでしょうが、すべてにありがたさを感じる。そう思いながら味わえる何日かが、あとどのくらい続くか分からないけど。その日々、月日があるというのは、急に逝くよりいいんじゃないか、なんて思うんです」

(2007年11月27日 筑紫哲也氏 インタビュー 毎日新聞)

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例えば、私が今年最大の出来事だと思っておりますサブプライムローンの話も癌と似ております。癌は元々は局部で起きた、自分の体の中で起きた事が全身に広がっていくわけでありますが、アメリカの低所得者向け住宅ローンという局部で発病したことが世界中に広がっていきました。

この出来事の最大の意味、教訓はこのところ日本を含めて世界中に支配的に呪文のように広がった1つの言葉。それが実は虚構=フィクションの上に成り立っていたという事を劇的に証明した事だと私は思っております。その言葉とは「自己責任」という言葉であります。

頭の良い人たちが金融工学の最先端のテクニックを用いて、それはサブプライムローンの債務担保の証券化というんですけれども、そうして起こした事が世界中に癌をいわば、ばらまいております。しかしながら、その責任を誰も取ろうとしないし、誰も取りようもありません。神様でしか責任の取りようもない事を含めて、何でもかんでも「自己責任」という事が世界中にすさまじい格差社会をつくりだしました。自分の能力がないから、あるいは努力が足りないから落伍するんだという形でそういう社会が正当化され、しかももっと悪い事には自分が原因でない事で起きた苦しい状況や弱者に対しても、大変情け容赦のない非常に冷酷な社会をつくりだしてしまいました。

私たちはこんな言葉の使い方から一刻も早く決別すべきです。そして、新しい年になって、私たちが目指すべきはもっと人間らしい、人間の血のかよった、そして人間の尊厳が守られる社会。そういうものをどうやってつくるかということをこれから考え始めるべきだと私は思います。

(2007.12.24 筑紫哲也 News23 多事争論 「自己責任」)

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そんなことより、むしろ変わらないのは、長い間みなさんの支持によって作られたこの番組のあり様であります。それを私たちは「ニュース23のDNA」と呼んできました。

力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること、それから、とかく1つの方向に流れやすいこの国の中で、この傾向はテレビの影響が大きいんですけれども、少数派であることを恐れないこと、多様な意見や立場をなるだけ登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと、そういうことが含まれています。

それを実際に、すべてまっとうできたとは言いません。しかし、そういう意志を持つ番組であろうとは努めてまいりました。この18年間、人は変わったんですけど、そのことでは変わりはありません。同じようにこれからも松明は受け継がれていきます。

(2008年3月28日 筑紫哲也 News23 多事争論  「変わらぬもの」)

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「論」も愉し

近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。
その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。
そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、
失なわれるのは自由の気風。
そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。
二〇〇八年夏 筑紫哲也

(Web多事争論 公開に寄せて

 

最後の多事争論(2008年7月5日)


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