風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

生誕105年 太宰治展 ―語りかける言葉― @神奈川近代文学館

2014-05-26 01:42:24 | 美術展、文学展etc




太宰が試みてきたのは客観的に「描くこと」よりも、常に具体的に聞き手を想定して「語ること」なのであった。たとえば初期の「道化の華」では、小説の作者である「僕」が作中に顔を出し、読者である「君」にどのような小説を書きたいのかを直接伝えている。中期のパロディや翻案小説も、原典をどのように改変していくかという作者の舞台裏が、そのまま読者に伝わるような形が取られていた。こうしたサービス精神―心づくし―にこそ、太宰の文学の最大の魅力があるのではないだろうか。

(安藤 宏 @図録より)

大変気持ちのいい企画展でした。
太宰をいたずらに祀り上げるわけでもなく、その退廃性を必要以上に現代と結びつけることもなく、ただ彼の作品の温かな面を温かな視点で紹介した、その作品を素直に愛する人たちによる、知的な企画展。
会場には10代の若者から80代のお爺さんまで、いっぱいで。
なんか、太宰に見せてあげたいなあ、と思った。
芥川賞など取れなくても、亡くなって何十年もたっても、あなたの作品はこんなに多くの人達に愛されているよ、と。

開館30周年記念とのことでしたが、これほど充実した資料を見られるとは思っておらず、驚きました。2時間以上見ても、全然足りなかった。
愛用のマント(これは昔斜陽館で見ました)、高校時代のノート(落書きだらけ、笑)、七里ヶ浜心中の遺書、美知子夫人との結婚誓約書、織田作の通夜の芳名録(津島修治ではなく太宰治の名でした。他に林芙美子の名なども)、太宰が描いた絵(ゴッホ的)、スナップ写真、沢山の草稿や原稿、そして数えきれない書簡など、各地の文学館や個人収蔵の資料約350点。
図録の出品者・協力者の欄には、井伏節代さん(井伏鱒二のご夫人。ご健在なんですね!)、太田治子さん、織田禎子さん(織田作之助の養女の方)、坂口綱雄さん(坂口安吾のご長男)などのお名前があり、こういった関係者やご親族の方々がこれらの物を大切に保管されていたからこそ実現した今回の企画展なのだなぁと思いました。

なかでも興味深かったのが、作品の草稿。書きなぐりのメモのようなものも含め、何度も何度も書き直されていて、感情のままに書かれたように見える小説も、どれほど考え抜いて仕上げられていたかということがわかります。
『人間失格』で主人公が道化を演じる理由が、「弱くてゆがめられた愛情」→「思ひやり」→「必死の奉仕」(最終版)と変化していたり、ラストの「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」の部分も、「神様」→「天使」→「神様」と戻っていたり。
これまでこのラストにそれほど心動かされることはなかったのだけれど、太宰展で太宰の物に囲まれて、彼の自筆でこのラストを読むと、なんだか涙が出そうになりました。これは彼自身が言って欲しかった言葉なのだろうな、と。こういう弱くて不器用で優しい人たちがありのままで幸せに生きられる世界を、彼は望んでいたのだろうな、と。そんな世界はおそらく、この人間の世界にはないけれど。これからも、あることはないだろうけれど。そしてそのことも、太宰は理解していたんですね。

文化と書いて、それに、文化(ハニカミ)といふルビを振る事、大賛成。私は優といふ字を考へます。これは優(すぐ)れるといふ字で、優良可なんていふし、優勝なんていふけど、でも、もう一つ読み方があるでせう?優(やさ)しいとも読みます。さうして、この字をよく見ると、人偏に、憂ふると書いてゐます。人を憂へる、ひとの淋しさ侘しさ、つらさに敏感なこと、これが優しさであり、また人間として一番優れてゐる事ぢやないかしら、さうして、そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)であります。私は含羞で、われとわが身を食つてゐます。酒でも飲まなけや、ものも言へません。そんなところに「文化」の本質があると私は思ひます。「文化」が、もしそれだとしたなら、それは弱くて、敗けるものです。それでよいと思ひます。私は自身を「滅亡の民」だと思つてゐます。まけてほろびて、その呟きが、私たちの文学ぢやないのかしらん。

(昭和21年4月30日 河盛好蔵宛て書簡) ※今回この手紙の展示はありません

彼が自分の作品を自信をもって見ていたのだなという点では、金木疎開中に後輩に頼まれて書いたという書に、思わず笑みがこぼれました。
「死なうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。おとしだまとしてである。着物の布地は麻であった。これは夏に着る着物であらう。夏まで生きてゐようと思った。 太宰治」
『葉』からの一節です。でもいくら頼まれたとはいえ、こんな書って・・・^^;。本当にサービス精神旺盛な人だったのだなぁ。

今回の展示でもうひとつ印象に残ったのは、井伏鱒二は本当に根気よく太宰に付き合っていたのだなぁということ。
お酒を飲んで「死にたい」と友人に零している太宰に宛てた、節酒を促す手紙。息子を心配するお父さんのような文章だった。太宰の性格もよく理解していて。
こういう人が周りにいても、やっぱり駄目だったのかなぁ。生きていくことは、できなかったのかなぁ。美知子さんだって、いい奥さんじゃないの。。。

太宰は近松門左衛門などの浄瑠璃も好きだったそうで、娘さんの「里子」という名も、義経千本桜の「すし屋」からつけたものとのこと。「お月さんも寝やしゃんした~」のあのお里ちゃんですね。でもなぜヒロインの静でなく、このセレクト、笑?

 思春期のころは、この作家は私のことを知っていると本気で思った。三十代で読み返したときは、「近い」と読み手に錯覚させることがこの作家のテクニックなのだと気づいた。太宰治よりずっと年上になってしまった今、そのテクニックがどうすれば得られるのか、深い謎である。
 太宰疎開の家で、ひとり旅の青年とともに説明を受けた。年齢を訊くと、二十四歳の大学院生だという。太宰治を巡る旅をしているのだそうだ。それを聞いて私は確信した。太宰治の言葉は古びない。この先ずっと、読むものの近くにすっと入ってくる。書かれた登場人物を、これは私だ、と思わせ、こんな弱いやつは嫌いだ、と思わせ、どうしようもなく私たちの心のなかに住み着く。弱くて卑怯で、自意識過剰で甘ったれで飲んだくれの、こんな私でも、ともかく生きてさえいればいいかと、思わせ続けてくれる。

(角田光代 @図録より)



元町中華街駅の上にあるアメリカ山公園。薔薇が満開でした。


神奈川近代文学館は、港の見える丘公園の中にあります。


文学館正面


文学館カフェの和風サンドイッチ。
オリーブとチーズと韓国海苔。意外だけどイケる組合せ。自分で作ってみよう~。


おなじく港の見える丘公園内にある、旧英国総領事公邸。


図録。展示資料の全てが載っていないのは残念だけど、これは買い!デザインも素敵^^

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五月文楽公演 第二部 @国立劇場(5月21日)

2014-05-22 23:37:41 | その他観劇、コンサートetc




2月に続き、人生3度目の文楽に行ってまいりました。

思えば2月の1~2部のときは体調がサイアクで、感想も上げていないままなのであった。体調はそんなでしたが、とても楽しめた公演でした。『近頃河原の達引』の住大夫さんのお声も大変好みで、よく滋味という言葉で表現されますが、どこか艶も感じられて(上方のアクセントって色っぽいですね)、全盛期を聴けなかったことは残念だけどこれからこの方の公演は通おう~と思っていたら、数日後にまさかの引退発表。。。
今月の昼の部のチケット争奪戦にもあっけなく敗れ。ああ住大夫さん、あれが最初で最後だったとは~・・・。
というわけで、気を取り直して、私はチケットが取れた夜の部へ。
二演目とも歌舞伎で観たことがあったので、予習も不要で、楽しむことができました。

※二等席(最後列)上手 5300円也
人形の表情を観るにはオペラグラス必須ですが、前方席よりも字幕が見やすく、なかなかよかった。あと、出遣いの方達のお顔も遠いので、初心者の私は人形に集中できて、そういう意味でも見やすかったです^^; でもやっぱり前方のが迫力あっていいなー。


【女殺油地獄】

筋書によると、近松の時代から長らく上演が途絶えていて、明治に歌舞伎で、昭和に文楽で復活したとのこと。
話の時季は卯月半ば~端午の節句なので、季節感はばっちりです

シネマ歌舞伎で観た仁左衛門さんの与兵衛はどこか憎めない可愛さと寂しさがあったけれど、こちらはちょっと薄情そうというか、あまり物事を深く考えなそうというか、「ああ、人殺しちゃいそう」な感じでした。
仁左さまの与兵衛は、豊島屋の段で親の情に対してはっきりと心が動かされていて、お吉を殺す理由も本当に「親に迷惑をかけたくないから」と思っているように見えましたが(そのためにお吉を殺しちゃう浅慮さはあるものの)、文楽の与兵衛はそういう感情は殆ど見られないのですね。お吉に切々と語る言葉も、方便に聞こえる。「こういう男、現代にもいそうだなぁ」と思いました。リアルな殺人事件を目の前で見ているようだった。人間が演じる歌舞伎より人形が演じる文楽の方が陰惨で生々しいというのは、面白いですね。その分後味も悪いですけど・・・。

そんな真性バカ息子なので、徳兵衛とお沢の情も一層強調されるというか、なんというか。
歌舞伎の歌六さんの徳兵衛はそれはもうすんばらしかったですが、義太夫で聴くとまた言葉が心に沁みますねぇ。呂勢大夫さんも温かみがあってよかったけれど(「他人同士親子となるはよくよく他生の重縁と~」)、豊島屋の咲大夫さんが徳兵衛もお沢も深い情が滲み出ていて・・・・・泣。親って本当に有り難いよねぇ・・・・。徳兵衛なんて血も繋がっていないのに・・・・・。なのになのに、ああ親の心子知らず。

勘十郎さんは、二月の八重垣姫につづき、今回もアクロバティックな動きのお人形さん。でも小さなさり気ない動きもいかにも与兵衛!で、河内屋内で柱にもたれかかってる立ち姿とか、カッコよかった^^。今回は出遣いのお顔とも全く違和感なし笑。
油で滑る場面は、人形だと多少オーバーにやってもドリフに見えないのがいいですね。やりすぎ感はなきにしもあらずですけど、せっかく人形でやっているのだから、これもアリかと。
しかし歌舞伎でも思ったけど、あれだけ隣の部屋で騒いでいるのに、なぜ子供は目を覚まさないのか。。

あと、お吉(和生さん)の死体のリアルさ。
人形から人形遣いさんが離れると、魂も離れるのですね。ぞくっとしました・・・。

歌舞伎と文楽、それぞれの良さを発見できて、楽しかった!
立ったままお酒を飲むのは野辺送りのようで不吉だとか、そういう昔の風習をさりげなく知ることができるのも、歌舞伎や文楽の良さですね^^

ああそれと、太夫さんって語り始めや終わりに床本を掲げて一礼しますよね。この姿は人によって色々ですが、2月の住大夫さんはとても大切そうに感謝をするように掲げられていて、その仕草と表情がひどく印象に残っていたのですが、今回咲大夫さんもそうでした。あの姿って、なんかいいですねぇ。

※七月の文楽劇場は「逮夜の段」までやるのだとか。いいな~、一度観てみたい。


【鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき)】

おお。歌舞伎より雰囲気が明るい。
でもこの演目は、私は歌舞伎の方が好きかなぁ。あのしっとりとした、切ない情緒が好きなので。文楽は太夫も三味線もズラリと並んで圧巻ゴージャスでしたが、少々五月蝿く感じられてしまった。。。 タイトルのとおり、お声も楽器も鳴り響いておりました。
「判官御手~」がないのも寂しく(美しくて好きなんです、あの場面)、延年の舞と飛び六方も「人形がやってる!すごい!」とは思いつつも、やっぱり人間の体がこれらをやっている方が好きですねぇ。
また、弁慶(英大夫さん)も富樫(千歳大夫さん)も、あまりお声とお役が合っておられなかったような。。
正直なところ、この演目に関しては、あえて歌舞伎から持ってきてまで文楽でやる意味がわからなかったです。。
といっても私は初心者も初心者なので、数年後には「文楽の勧進帳、超楽しい!」と書いているかもですが、笑。

後半の海の背景は、大らかで爽やかで、素敵でした。これ、歌舞伎でも見てみたいなぁ。

今回あらためて思ったのは、文楽って決して高尚な小難しいものなどではなく、歌舞伎と同じかそれ以上に、庶民のエンターテインメントなのだな~と。
楽しいですね♪




ロビーに飾られた、住大夫さんへのお花。
吉右衛門さんや海老蔵、薬師寺からのお花などもありました。
引退公演というと寂しいイメージがありましたが、住大夫さんのお名前の上に書かれた『御祝』の文字に、ああこれはお目出度いことなのだな、と気付き、晴れやかな気分で席に着くことができました。
とてもいい雰囲気の公演だったと思います。

※追記
「女殺油地獄」記者会見(2014年7月国立文楽劇場):豊竹咲大夫吉田和生桐竹勘十郎

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團菊祭五月大歌舞伎 昼の部 @歌舞伎座(5月17日)

2014-05-17 19:42:42 | 歌舞伎






爽やかな五月晴れのなか、『魚屋宗五郎』を幕見してまいりました。今月はこれ一本です。
海老蔵の勧進帳も長兵衛も昨年観たばかりですし(富樫が愛之助だったら、また観たかったのですけれど)、昼の部が終わった時点で夜の部は既に立ち見だったので。

チケットを買った後、喫茶YOUでオムライスをいただきました。前回行ったのはちょうど一年前の5月で、吉田屋のときだったなぁ。美味しいのですけれどバターの味が少々重いので、これくらいのペースが私にはちょうどいいです。また数ヶ月か一年くらいたったら、食べたくなるのだろうなぁ。


【魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)

私の大っ好きなタイプの菊五郎さんだ!!!
ぽんぽん木魚を叩いている後姿だけで、なんだか可笑しい。
身替座禅に続き、菊五郎さんらしい芸の自由さ、可笑しみ。役者の大きさに負けない町人の風情、妹を失った悲しみ、幕切れの大らかさ。そして何より、思いっきりニンな“江戸っ子”な空気!
この先これ以上の宗五郎に出会えるかなぁ、と良い舞台を観たときにいつも思うことを、今回も思いました。
菊五郎さん曰く、「禁酒を破りお酒を飲んで酔っ払っていくところが見所だとは思いますが、私にとりまして難しいのは磯部屋敷玄関の場で恨み言を言う場面です」とのこと。この屋敷玄関の長台詞の場面、とりあえず何でも笑っとけ!なお客さんばかりの歌舞伎座で、役者が笑う場面で客が一人も笑わなかったのもすごいことです。台詞がわかりやすかったせいもあるでしょうが、心が泣いているのが伝わったのだと思う。
お酒を飲んで酔っ払っていく場面は、菊五郎さんの肌がほんのり上気して、本当にお酒に酔っているように見えました。
演技に全然あざとさがなくて自然なのに、見せる。聞かせる。
すごいなぁ。

周りの皆さんも、とてもよかった。同じメンバーばかりで固まって芝居をする歌舞伎が時々もどかしく感じるときがあるのだけれど(音羽屋系とか播磨屋系とかそういうの)、気心知れている役者さん同士ならではの良さというのは、やっぱりあるんですよねぇ。見事なチームワークでした。

時蔵さんのおはま。
菊五郎さんとの夫婦が、ホンモノの夫婦にしか見えなかったです。すんばらしい安定感。宗五郎を見る優しい表情に、じんわりしちゃいました。時蔵さんって基本的にクールな役者さんだと思うのですが、あんな表情もされるんですねぇ。

萬次郎さんと右近の茶屋母娘も、場にしっくり馴染んでいました。

宗五郎、おはま、團蔵さんの父親、橘太郎さんの三吉の4人のいる家を訪れる梅枝のおなぎが、またぴったりその空気にはまってて。相変わらず器用といいますか、上手いねぇ。「おたふく!」、笑。

錦之助さんのお殿様も、お役にぴったり。
お蔦が斬られたと知った宗五郎が「あの殿様が理由もなく斬るわけがない」と信じていた理由がよくわかるような殿様でした。結局、この殿様も酒癖が悪かったのね^^;。一介の魚屋に両手をついて謝って、いい殿様なのだなぁ。
家老(左團次さん)も、家臣たち(宗五郎にお水をあげたり)もいい人で、悪者は成敗されて。
亡くなったお蔦ちゃんも、こんな困った兄さんと殿様に、草葉の陰で苦笑しちゃっているのではないかしら。そんな風に感じる、とても後味のいい幕切れでした。
1時間20分、笑って泣けて、歌舞伎ならではの大らかさも味わえて、楽しかった。大大大満足。

しかしなんといってもやっぱり、菊五郎さんの至芸だなぁ。
これを観る事ができて1400円。こういうものを観ると、歌舞伎って高くないとつくづく思う。



ところで、新悟くんがブログで大絶賛している、このチラシ↓ですが――。

 

これ、新悟くん世代から見たらイケてるの・・・・・・・・・・?まじで?
私、これ見た瞬間、「うわダサっ!!!」って思ったんですけれど。買ったチケット本気で売ろうかと思ったんですけれど。
まぁ勘九と七の吉三に興味があるので(コクーンだけど)、行きますけど。
でもなぁ、うーん・・・・・このセンス・・・・・やっぱりダサい・・・・・・・・。てか古臭い・・・・・・・。バブル崩壊直前だった中学時代(私はリアルホットロード世代)を思い出す・・・・・・・・。せめて舞台の方はこのセンスじゃありませんように・・・・・・。

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鎌倉の3海水浴場、公募の名前「従来通り」

2014-05-15 20:45:57 | 日々いろいろ




これからは鎌倉行くたびに鳩サブレー買う!!
豊島屋の社長さんのような方こそ真のThe COOL JAPAN
CCレモンホールみたいなことにならないで本当によかった。

豊島屋は小鳩豆楽も美味しくてオススメです~^^


『鎌倉の3海水浴場、公募の名前「従来通り」』
~日本テレビ系(NNN) 5月15日(木)15時31分配信

 神奈川県鎌倉市にある3つの海水浴場の命名権を獲得した地元の菓子メーカーは15日、公募していた海水浴場の名前を発表した。

 鎌倉銘菓の「鳩サブレー」で知られる豊島屋は15日に会見を行い、3つの海水浴場の名前を「材木座海水浴場」「由比ガ浜海水浴場」「腰越海水浴場」と発表した。いずれも従来の名前そのままとなっている。一方、同時に募集していたロゴマークには、鳩のキャラクターをあしらったデザインが選ばれた。

 去年、命名権を獲得した豊島屋と鎌倉市が海水浴場の愛称を公募したところ、慣れ親しんだ名前がいいとして、従来通りの名前を応募する人が最も多かったという。

 命名権を購入した豊島屋は鎌倉市に対して年間1200万円を支払うが、豊島屋は「海の清掃費を出させていただいたと考えている」と話している。

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茨木のり子 「汲む―Y・Yに―」

2014-05-09 23:36:37 | 




大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

(茨木のり子 「汲む―Y・Yに―」)


世の中には私よりずっと大きな運命と立ち向かっている人たちが沢山いるのに、時々そんな当たり前のことを忘れ、自分の悩みでいっぱいになってしまうことがある。不意にそのことに気づかされて、恥ずかしくなる。
自分だけが大変なわけじゃない。人はみんなそれぞれの悩みを抱えて生きている。
人を人とも思わなくなったとき、堕落が始まる。
一人でわかった気になって硬く手遅れになる前に、難しくても外に向かってひらいていたい、柔らかな感受性。
それくらいは自分で守れ、ばかものよ。ですね、茨木さん。


茨木のり子「自分の感受性くらい」

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『ドレの神曲』

2014-05-06 22:00:09 | 



私の体は、すでにナポリに埋葬された。だから今、私には影が無い。だがこうして話し、感じ、そしてもっと大事なことは、現に私がお前を案内しているということだ。何が大事かを知ることだ。理屈を超えて見ることだ。何故と思う事は良いが、その時下手に理屈を探さぬことだ。人が理詰めで行ける道には限りがある。全てをあるがままに、景色のように見るがいい。全ては不思議、全ては自然。映る心を知ることだ。


(『ドレの神曲』より)


ダンテの『神曲(La Divina Commedia)』です。
人生半ばにして深く暗い森に迷い込んだダンテと同じ位の年齢になったから、というわけでは全くなく。
『インフェルノ』とも関係なく(そもそもダヴィンチコードも未読である)。
ラファエル前派展からの、ロセッティつながりでございます。
わたくし、GW後半はヒドイ風邪を引いてしまいまして・・・・・・。おかげで読書が進んだこと進んだこと。
『神曲』は以前に抄訳を読んだことがあるのですが、今回もまた抄訳。訳は谷口江里也氏です。
全訳に踏み切るには他に読みたい本が多すぎて、なかなか・・・。

さてこの『神曲』。煉獄でヴィルギリウスがダンテに言った言葉ではありませんが、難しく考えずにただ素直に物語として読むだけでも、とても楽しい読み物です(原文は長編叙事詩)。とにかくダンテの想像力がスゴすぎ
しかし今回お伝えしたいのはその文章よりも、絵!ギュスターヴ・ドレの絵!
すっっっっっごい迫力なの!
美しいの!
神曲の世界そのままなの(抄訳しか読んでないけど)!
「神曲に興味はあるけど、いきなり全訳は・・・」という方、この本オススメですよ~。もう文章よりも、次の絵が見たくてページをめくってしまう。

ところで、ダンテの地獄のイメージはもちろんキリスト教の地獄のイメージだと思いますが(※聖書には具体的な描写はないそうです)、仏教の地獄のイメージとひどく似通っているのはどういう理由によるのだろう。
いくつもの層から成っていたり、黄泉の川があったり、生前の罪の重さを審判される場所があったり、火釜的な責め苦とか。
ダンテがこれを書いたのは13~14世紀ですが、興味深いところです。

以下、ドレのめくるめく世界の一部をどうぞ。


地獄篇


煉獄篇


煉獄篇


天国篇

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夏目漱石 『坑夫』

2014-05-03 11:12:44 | 



当時を思い出すたびに、自分はもっとも順良なまたもっとも励精な人間であったなと云う自信が伴ってくる。兵隊はああでなくっちゃいけないなどと考える事さえある。同時に、もし人間が物の用を無視し得るならば、かねて物の用をも忘れ得るものだと云う事も悟った。――こう書いて見たが、読み直すと何だかむずかしくって解らない。実を云うと、もっとずっとやさしいんだが、短く詰めるものだからこんなにむずかしくなっちまった。例えば酒を飲む権利はないと自信して、酒の徳を、あれどもなきがごとくに見做す事さえできれば、徳利が前に並んでも、酒は飲むものだとさえ気がつかずにいるくらいなところである。御互が泥棒にならずに済むのも、つまりを云えば幼少の時から、人工的にこの種の境界に馴らされているからの事だろう。が一方から云うと、こんな境界は人性の一部分を麻痺さした結果としてでき上るもんだから、図に乗ってきゅきゅ押して行くと、人間がみんな馬鹿になっちまう。まあ泥棒さえしなければ好いとして、その他の精神器械は残らず相応に働く事ができるようにしてやるのが何よりの功徳だと愚考する。自分が当時の自分のままで、のべつに今日まで生きていたならば、いかに順良だって、いかに励精だって、馬鹿に違ない。だれの眼から見たって馬鹿以上の不具(かたわ)だろう。人間であるからは、たまには怒るがいい。反抗するがいい。怒るように、反抗するようにできてるものを、無理に怒らなかったり、反抗しなかったりするのは、自分で自分を馬鹿に教育して嬉しがるんだ。第一身体の毒である。それを迷惑だと云うなら、怒らせないように、反抗させないように、御膳立するが至当じゃないか。




自分はよく人から、君は矛盾の多い男で困る困ると苦情を持ち込まれた事がある。苦情を持ち込まれるたんびに苦い顔をして謝罪(あやま)っていた。自分ながら、どうも困ったもんだ、これじゃ普通の人間として通用しかねる、何とかして改良しなくっちゃ信用を落して路頭に迷うような仕儀になると、ひそかに心配していたが、いろいろの境遇に身を置いて、前に述べた通りの試験をして見ると、改良も何も入ったものじゃない。これが自分の本色なんで、人間らしいところはほかにありゃしない。それから人も試験して見た。ところがやっぱり自分と同じようにできている。苦情を持ち込んでくるものが、みんな苦情を持ち込まれてしかるべき人間なんだからおかしくなる。要するに御腹が減って飯が食いたくなって、御腹が張ると眠くなって、窮して濫して、達して道を行(おこな)って、惚れていっしょになって、愛想が尽きて夫婦別れをするまでの事だから、ことごとく臨機応変の沙汰である。人間の特色はこれよりほかにありゃしない。と、こう感服しているんだから、ちょっと言って見たまでである。

(夏目漱石 『坑夫』)



漱石の自宅を訪れた実在の青年の話をもとに書かれた作品。
そういう意味では漱石作品の中で異色といえるけれど、文章は漱石らしさがいっぱい。

前作『虞美人草』の装飾過多な文体はすっかり成りを潜めたものの、唐突なラストはあいかわらず笑。
けれど前作のような「ムリヤリ収束しました」感は少ないのは、最初からずっと「これは小説ではない」という前提のもとに書かれているからでしょうか。

そして、まるで読者もその場にいるかのように主人公の周りの情景が浮かぶのも、漱石ならでは。
漱石って本当に人間だけでなく周囲の物や光景に対する感覚が鋭いというか、よく観察していますよね。子規とやっていた俳句の影響なのか、元からの性質なのか。

ところでこの少年は結局東京に戻ったわけですが、その後彼はどうしたのでしょう。東京では何も事態は変わっていないわけで。
ただこれは成長物語という類のストーリーでは決してないけれど、それでもこの少年自身は鉱山の五ヶ月間で大きく変わったはずですから、なんとか自身で解決していったのでしょうね。ナレーションの現在の彼はだいぶ図太くなっていますし。
とはいえ当時から結構いい性格してますよね、この少年笑。漱石キャラの中では、虞美人草の甲野さんや彼岸過迄の須永や行人の兄さんやこころの先生のような明らかなデリケート系じゃなく、虞美人草の宗近くんや坊ちゃんの坊ちゃんや吾輩な猫タイプ。でもどちらもやっぱり繊細なんだよね。どちらも、漱石の性格なのだろうな。

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