電脳筆写『 心超臨界 』

天才とは忍耐するためのより卓越した才能に他ならない
( ルクレール・ビュフォン )

人間学 《 和泉式部と少琴――伊藤肇 》

2024-09-10 | 03-自己・信念・努力
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人間には耐えられない侮辱が二つある。ユーモアのセンスがないという断言と苦労しらずだという断言と。


『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p67 )
第3章 応待辞令の人間学

◆和泉式部と少琴

「人間には耐えられない侮辱が二つある。ユーモアのセンスがないという断言と苦労しらずだという断言と」

シンクレア・ルイスの名言だが、まず「応待辞令」のしゃれた小噺から入っていこう。

ある男がすてきな扇をもっていた。

藤原道長がこれをみて、「誰の扇かね」ときくと、「和泉式部のさ」と得意気に答えた。

平安時代は、恋のあかしに扇を交換したものである。

いささか、ジェラシーを感じた道長は「ちょっとみせてくれ」といって扇をとると、それに一筆したためた。

「うかれ女の扇」

和泉式部は一生、恋愛に終始した情熱家だから、この文句は相当、カンにさわったに相違ない。ところが、和泉式部は、さあらぬ態(てい)で道長の筆の下にさらさらと書き加えた。

  越えもせん 越さずもあらん 逢坂(おおさか)の
  関守ならぬ 人なとがめて

私にとっては、一線を越える深い間柄の人もあるし、それを越えない無関心な人もあるのよ。関守でもない外野席のあなたから、つべこべいわれる筋合はありません。

かなり気の強い才女だったんだろうが、道長はお面を一本とられた形である。

もう少し、品のいいのでは、廣瀬淡窓〈江戸後期の儒者〉が安井息軒〈江戸中期の儒者。昌平黌教授〉の娘、少琴(しょうきん)にプロポーズした時、少琴がしたためた返事の詩である。

  扶桑(ふそう)第一ノ梅
  今宵 君ガタメニ開カントス
  花ノ真意ヲ識ラント欲スレバ
  三更 月ヲ踏ンデ来タレ

日本で一番美しい梅の花、つまり私の心が、今宵、あなたのために、この蕾を開こうとしています。私がいかなる思いを胸に秘めているか、あなたが知りたいと思(おぼ)し召(め)すなら、真夜中に月影を踏んで、ほとほととわが庵を訪(おと)ない給え。

こんな美しい恋なら、筆者といえども老骨に鞭打って、もう一度やってみたい。

それはともかく、和泉式部と少琴との人間の違いがうきぼりにされていて面白い。
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