電脳筆写『 心超臨界 』

人生の目的は目的のある人生を生きること
( ロバート・バーン )

真理のひびき 《 何人も成功を希望して居りながら――中村天風 》

2024-10-11 | 03-自己・信念・努力
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[箴言十九]

何人(なんびと)も 成功を希望して居りながら
案外否らざるものの多いのは その心に
積極性のものが 欠けて居るからである
Every man desires to win success. But the reason
for the existence of so many unsuccessful men is
that they lack a positive attitude of mind.


『真理のひびき』
( 中村天風、講談社 (1996/7/18)、p174 )

この箴言に対しては、特に註釈的に、あえて論及する必要のないほど、天風会員である皆さんは、十分徹底的に理解されていると確信する。

というのは多言するまでもなく、天風教義が積極性を終始一貫して唱え鼓吹(こすい)する第一義的な人生道であるからである。

したがって、因縁あって天風会の会員となられた皆さんは、男女老幼の別なく、心身統一法の講習会の序論から、すなわち心身統一の根本原則を聴講されると同時に、心の態度の積極的堅持を、そのもっとも本源的に必須のものであるということを説示されている。

そして、定例の講習会も夏の特別修練会も、また秋季に催す真理瞑想補成行修会においても、その目的は積極性の現実化に対する実際的手段である。そして半世紀にわたってなおたゆみなくそれを講述することを前掲のごとく終始一貫その信条として、かつ如実に実行していることは、これまた会員諸子のよく知るところである。

そもそも積極性精神態度が、人生の自律基盤として絶対的であるという理論は、天風自身が身をもって、あるいは病難に、あるいは運命難に、思い見るだに、われながら万丈の波乱などという形容の言葉ではとうていその十分の一をも納得できないといってよいほどの、危険以上の危険をあえて冒して体験した現実から直感したものである。

いいかえると、理論から得た智識をもとにして体験したものでなく、現実の体験から獲(え)たインスピレーションで、実感的に肯定したものなのである。

平素講述するとおり、インスピレーションは、まさに的確な断定である。

さればこそ、いかなる場合にも積極性を失うなかれと、力説し強調するのもこれあるがためである。

また先般、特にテープレコーダーに「積極性と人生」というのを吹き込んで有縁(うえん)の希望者に頒布(はんぷ)したのも、積極性精神態度の必須性を人々の常識として知ってほしいためである。

ところが極めて稀(まれ)ではあるが、数多くの会員の中には、これを単なる理想的理論か、もしくは想定的推論のごとく、軽率に判断する人がいる。

それが特に、むしろ人生苦楽の経験に乏しい理智階級に存在することは、まことに遺憾の至りである。

また中には積極ということに対して正当な解釈をもっていない人もいる。すなわちガムシャラに強がることを積極的だと思っている人もある。

これほど危険な大間違いはない。万一そういうのを積極と解釈したら、乱暴と勇気とを履(は)き違えるよりも、もっとはなはだしき誤解である。

積極ということには峻厳侵すべからざる四つの条件があるはずである。

すなわち、尊さ、強さ、正しさ、清らかさ、という四大要項である。

そして、この聖なる心的態度に現実に到達するべく、天風教義はその実際方法=how to do?に、常に不断の主力を注いでいる。

そして精神態度が完全に積極化し得れば、万人の求望する成功ということが何事にも可能のことで、あえて至難のことでないということも自(おの)ずから諒解される。

その上に、今日までの数十年の間に数多くの先輩会員が、天風教義の実践によってよくその精神態度を積極化して、儕輩(さいはい)の群を凌(しの)いで人生の成功をかち得ているという貴重な事実をしばしば実見するとき、あえて手本を遠くに求めるに及ばずとも、即座に信念されると思う。

ただしくれぐれも注意すべきは、これまた平素折あるごとに説述している通り、「貴(とうと)さに慣れて小成に安んずるなかれ」である。

要は、常に日々新たにして日々新たなるべし、という心持ちを心にもつことである。

西哲の戒語にも、“Familiarity breads contempt”(慣れは侮(あなど)りを産む)というのがある。まことに心すべきこととして忘れるべからずと断言し、よりいっそう積極的であれと熱奨する。
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