電脳筆写『 心超臨界 』

成功はそれを得るために捨てなければならなかったもので評価せよ
( ダライ・ラマ )

日本史 古代編 《 紫式部の文学論の先進性——渡部昇一 》

2024-09-10 | 04-歴史・文化・社会
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われわれは実用価値といえば勧善懲悪を思い出すのだが、紫式部が言っているのは、そんな実用価値の話ではない。彼女が言うのは、小説によって人間性というものがよくわかるから、価値があるのだということである。西欧の近代の文学論が、さも大発見したように言い出したことを、彼女はそれより900年も前に言っているのである。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p249 )
3章 平安朝――女性文化の確立
――日本における「成熟社会」の典型は、ここにある
(1) 和歌に見る文化的洗練の達成

◆紫式部の文学論の先進性

このような後宮から「源氏物語」が出てきた。

ドナルド・キーン氏(アメリカの代表的日本学者)に従って、「小説とは散文で架空のことを扱った100ページ以上の作品」というふうに定義すれば、これこそ世界の最初の小説である。イギリスのウェーレーがこれを英訳したとき(1923年)、欧米の読者たちは、その規模の大きさと、そこに描かれた、それまでは夢にも見たことのない洗練された世界に圧倒されたのであった。

そして、『ドン・キホーテ』や『デカメロン』や『ガルガンテュアとパンタグリュエル』や『トム・ジョーンズ』などと比較してみたわけだが、源氏のほうはそれより数百年古いのである。何でも古くからあるシナでも、小説が出てくるのは元(げん)の末から明(みん)にかけてであるから、これよりざっと500年遅い。

欧米でも女子が小説を書くのはアフラ・ベーン(1640-89。小説『オルーノウコウ』などの作者、英国人)を採りあげても約650年も遅く、もっと小説家として価値のあるジェーン・オーステン(1775-1817。『高慢と偏見』、『エマ』などの作者。英国人)を採りあげるならば、約800年遅いのである。ジェーン・オーステンより800年も前に、彼女より大規模で、彼女より洗練された世界を小説にした日本女性がいたことを、普通の欧米人はなかなか信じようとしない。

例外的にキーン氏のような人は、源氏の会話は洗練の度が高いゆえに、ヘンリー・ジェームス(『鳩の翼』、『象牙の塔』、『黄金の杯』などの作者)の小説の会話よりもむずかしく、現代の小説家では、マルセル・プルーストの『失われし時を求めて』に一番似ているのではないかということを指摘する。そして同じキーン氏が平安朝を「世界史上、最高の文明」と言っているのは、わが意を得ている。

紫式部が源氏を書いたのは、単にフィクションを書いただけではない。この物語の中で、紫式部は光源氏を通じて、フィクションというものが、『日本書紀』よりも忠実に、神代以来の人間の生き方を示している、と言わせているのである。そして、そういう空想で作り上げた物語の実用価値も、ひじょうに大きいと言っている。

われわれは実用価値といえば勧善懲悪を思い出すのだが、紫式部が言っているのは、そんな実用価値の話ではない。彼女が言うのは、小説によって人間性というものがよくわかるから、価値があるのだということである。西欧の近代の文学論が、さも大発見したように言い出したことを、彼女はそれより900年も前に言っているのである。

もし『源氏物語』しかなかったら、大天才の作品というだけのことで特異現象と言えるであろう。しかし、源氏は富士山であって、裾野が広大なのである。清少納言の『枕草子』は、女性の書いたエッセイでは、やはり最古のものであろうし、そのエスプリは今日でも光を失わない。

そのほか『伊勢物語』など、ほかの物語の類いはいっぱいあるし、紫式部も和泉式部なども日記を残している。女性の日記というのも、やはり日本の平安朝が最初であろう。

そしてこのほか、もちろん和歌がある。『古今和歌集』(905年)は最初の勅撰集であるが、皇室が率先して文学のアンソロジー(詩華集)を世代が変わるごとに作っていくという手本を示したのは、たしかにキーン氏の言うごとく、高い文明である。

そして勅撰集の選者になった者たちは、例の衣通姫(そとおりひめ)を和歌の神として祀ったという。和歌浦(わかのうら)の玉津島(たまつしま)明神に、かならず参詣することになっていた。
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