電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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人間には耐えられない侮辱が二つある。ユーモアのセンスがないという断言と苦労しらずだという断言と。
『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p67 )
第3章 応待辞令の人間学
◆和泉式部と少琴
「人間には耐えられない侮辱が二つある。ユーモアのセンスがないという断言と苦労しらずだという断言と」
シンクレア・ルイスの名言だが、まず「応待辞令」のしゃれた小噺から入っていこう。
ある男がすてきな扇をもっていた。
藤原道長がこれをみて、「誰の扇かね」ときくと、「和泉式部のさ」と得意気に答えた。
平安時代は、恋のあかしに扇を交換したものである。
いささか、ジェラシーを感じた道長は「ちょっとみせてくれ」といって扇をとると、それに一筆したためた。
「うかれ女の扇」
和泉式部は一生、恋愛に終始した情熱家だから、この文句は相当、カンにさわったに相違ない。ところが、和泉式部は、さあらぬ態(てい)で道長の筆の下にさらさらと書き加えた。
越えもせん 越さずもあらん 逢坂(おおさか)の
関守ならぬ 人なとがめて
私にとっては、一線を越える深い間柄の人もあるし、それを越えない無関心な人もあるのよ。関守でもない外野席のあなたから、つべこべいわれる筋合はありません。
かなり気の強い才女だったんだろうが、道長はお面を一本とられた形である。
もう少し、品のいいのでは、廣瀬淡窓〈江戸後期の儒者〉が安井息軒〈江戸中期の儒者。昌平黌教授〉の娘、少琴(しょうきん)にプロポーズした時、少琴がしたためた返事の詩である。
扶桑(ふそう)第一ノ梅
今宵 君ガタメニ開カントス
花ノ真意ヲ識ラント欲スレバ
三更 月ヲ踏ンデ来タレ
日本で一番美しい梅の花、つまり私の心が、今宵、あなたのために、この蕾を開こうとしています。私がいかなる思いを胸に秘めているか、あなたが知りたいと思(おぼ)し召(め)すなら、真夜中に月影を踏んで、ほとほととわが庵を訪(おと)ない給え。
こんな美しい恋なら、筆者といえども老骨に鞭打って、もう一度やってみたい。
それはともかく、和泉式部と少琴との人間の違いがうきぼりにされていて面白い。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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人間には耐えられない侮辱が二つある。ユーモアのセンスがないという断言と苦労しらずだという断言と。
『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p67 )
第3章 応待辞令の人間学
◆和泉式部と少琴
「人間には耐えられない侮辱が二つある。ユーモアのセンスがないという断言と苦労しらずだという断言と」
シンクレア・ルイスの名言だが、まず「応待辞令」のしゃれた小噺から入っていこう。
ある男がすてきな扇をもっていた。
藤原道長がこれをみて、「誰の扇かね」ときくと、「和泉式部のさ」と得意気に答えた。
平安時代は、恋のあかしに扇を交換したものである。
いささか、ジェラシーを感じた道長は「ちょっとみせてくれ」といって扇をとると、それに一筆したためた。
「うかれ女の扇」
和泉式部は一生、恋愛に終始した情熱家だから、この文句は相当、カンにさわったに相違ない。ところが、和泉式部は、さあらぬ態(てい)で道長の筆の下にさらさらと書き加えた。
越えもせん 越さずもあらん 逢坂(おおさか)の
関守ならぬ 人なとがめて
私にとっては、一線を越える深い間柄の人もあるし、それを越えない無関心な人もあるのよ。関守でもない外野席のあなたから、つべこべいわれる筋合はありません。
かなり気の強い才女だったんだろうが、道長はお面を一本とられた形である。
もう少し、品のいいのでは、廣瀬淡窓〈江戸後期の儒者〉が安井息軒〈江戸中期の儒者。昌平黌教授〉の娘、少琴(しょうきん)にプロポーズした時、少琴がしたためた返事の詩である。
扶桑(ふそう)第一ノ梅
今宵 君ガタメニ開カントス
花ノ真意ヲ識ラント欲スレバ
三更 月ヲ踏ンデ来タレ
日本で一番美しい梅の花、つまり私の心が、今宵、あなたのために、この蕾を開こうとしています。私がいかなる思いを胸に秘めているか、あなたが知りたいと思(おぼ)し召(め)すなら、真夜中に月影を踏んで、ほとほととわが庵を訪(おと)ない給え。
こんな美しい恋なら、筆者といえども老骨に鞭打って、もう一度やってみたい。
それはともかく、和泉式部と少琴との人間の違いがうきぼりにされていて面白い。