電脳筆写『 心超臨界 』

天才とは忍耐するためのより卓越した才能に他ならない
( ルクレール・ビュフォン )

人間通 《 事大――谷沢永一 》

2024-09-10 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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処世の道における要諦(ようてい)は根本のところ事大主義の線を行きながら世間の眼に厭(いと)わしい醜いと映らぬよう種々の細工を施す演技力である。問題は自己保全のための慮(おもんばか)りが露骨(あからさま)であるか或いは何処かに余裕(ゆとり)を示しているかの微妙な区別(あやち)である。見え透いたお世辞が嫌われ巧みなお追従(ついしょう)が好まれるように、大に事える方式にも不器用な直線行程(コース)と気配りに満ちた迂回(うかい)作戦がある。


◆事大(じだい)

『人間通』
( 谷沢永一、新潮社 (2002/05)、p99 )

事大という語はもともと賢い振舞いを意味する言葉であった。孟子(もうし)の言うところ、ただ智者(ちしゃ)だけが自分の国は小国でありながら隣接する大国に堂々と礼を尽くして交わりをする、それが小を以(もっ)て大に事(つか)える道である(梁恵(りょうけい)王章句下)。孔子が現実主義者であるのに対して孟子は理想主義者だから実際には為(な)し難い不可能事を平気で説き進める。小国がどれほど巧妙に立ち廻ろうと相手の大国が傲慢(ごうまん)であり横暴であったら小国に智者ありと雖(いえど)も手の打ちようがない。そこで孟子の夢物語が忽(たちま)ち現実に引き降されて事大党および事大主義という批判的評語が生まれた。即(すなわ)ち己を低うして強大な勢力に付き従う姿勢を意味する。大陸と地続きの半島国家が悉(ことごと)く事大主義を国是とせねばならぬのは国民性が卑屈なゆえではなく地政学的な宿命に基づく。徒(いたず)らに事大主義を罵(ののし)るのは理不尽である。国家行動も個人生活も人の世では事大主義を完全に離脱すること不可能である。

処世の道における要諦(ようてい)は根本のところ事大主義の線を行きながら世間の眼に厭(いと)わしい醜いと映らぬよう種々の細工を施す演技力である。問題は自己保全のための慮(おもんばか)りが露骨(あからさま)であるか或いは何処かに余裕(ゆとり)を示しているかの微妙な区別(あやち)である。見え透いたお世辞が嫌われ巧みなお追従(ついしょう)が好まれるように、大に事える方式にも不器用な直線行程(コース)と気配りに満ちた迂回(うかい)作戦がある。諸人(もろびと)すべて大根(おおね)のところは事大主義なのだから人目も憚(はばか)らぬ誰かの下手糞(へたくそ)の遣(や)り方を見ると自分の恥部を大写しされたように感じて不愉快になるのである。
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