電脳筆写『 心超臨界 』

幸せは外部の条件によって左右されるものではない
自分の心の持ちようによって決まるのである
( デール・カーネギー )

生きるための杖ことば 《 独来独去 無一随者――松原泰道 》

2024-08-06 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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人生は「一」にはじまり、「一」に終る。生まれたときも一人なら、この世を去るときもまた一人だ。病むときも一人だ。進学の試験場に入るときも一人だ。親もついて行くことは許されない。自分の肉体だけではない。財産も栄誉も持ち込みは許されない。まさしく「独り来たり独り去りて、一も随う者なし」だ。


◆独来独去(独(ひと)り来(き)たり独(ひと)り去(さ)りて)
 無一随者(一(いつ)も随(したが)う者(もの)無(な)し)
            ――大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)

『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p58 )

大無量寿経に「富有(ふゆう)なれども慳惜(けんじゃく=ものおしみ)し、あえて(人に)施与(せよ)せず、宝を愛して貪ること重く、(独り)心労し身苦しむ。かくのごとくして(一生の)竟(おわ)りに至れば、(いかなる財宝も)持古(じこ=たのみ)とするところなし、独り来たり独り去りて、一も(わが身に)随うものなし」とある。

人生は「一」にはじまり、「一」に終る。生まれたときも一人なら、この世を去るときもまた一人だ。病むときも一人だ。進学の試験場に入るときも一人だ。親もついて行くことは許されない。自分の肉体だけではない。財産も栄誉も持ち込みは許されない。まさしく「独り来たり独り去りて、一も随う者なし」だ。

東井義雄(とおいぎゆう)先生(姫路学院短大講師)が、学生時代の夏休みに大無量寿経を読んで、はからずも「独来独去、無一随者」のことばにぶっつかる。

「たいへんだ、たいへんだ。こんなにたくさん人がいるのに、いよいよとなったら人間は独りぼっちなんだ。誰もついてきてくれないんだ」と気がついたとき、ハッと思い出されたのが、母の最後の呼吸の音であった、と(在家仏教)。

先生は教員として、「その教育観の底に絶えずはたらきつづけてくれたのは、母の最後の呼吸の音ひとつになって、私に呼びかけてくる『独来独去、無一随者』のことばであった」と言われる(同上誌)。

この厳粛な事実に気がつけば、探し求める生きがいも感得されようし、また生き方もおのずから規制されるはずだ。

私たちは、この「一・一人」の厳粛な事実を、出来るだけ忘れよう、ごまかそうと腐心するのである。しかし、私たちがいかに努力してみても、この真実をくらましたり、抹殺など出来るものでない。あらためて確認するのが賢明であろう。
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