電脳筆写『 心超臨界 』

天才とは忍耐するためのより卓越した才能に他ならない
( ルクレール・ビュフォン )

「事実は一つ」か「真相はやぶの中」か――養老孟司

2024-07-09 | 05-真相・背景・経緯
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


実際に起こったことは一つでも、人間がそれを知ることができるかどうかということがじつは大事なんです。それを端的に示したのが、日本文学でいえば芥川龍之介の『藪の中』です。それを原作にして映画にしたのが、黒澤明の『羅生門』です。黒澤明の『羅生門』が世界で評判になったのは、カメラワークとかいろいろな要素があると思いますが、あの中で、暗黙のうちに一番ショックだったことがあったと思うんです。人間が何かを知ろうとするときに、本当のことは分からないんじゃないか、という疑いです。これが世界に大きなインパクトを与えたんじゃないかという気がしています。


◆「事実は一つ」か「真相はゆやぶの中」か

『真っ赤なウソ』
( 養老孟司、PHP研究所 (2010/1/5)、p68 )

ここでは、いわゆる唯一絶対の神様の問題を取りあげたいと思います。神様の問題は、現代社会と非常に深く結びついています。キリスト教では、唯一絶対の神様は全知全能であると、こういいます。全知とはすべてを知っているということです。このことは非常に重要なことだと私は思っています。

科学に携わっていると、このことがよく分かります。科学は客観性を追求する分野で、その客観性によって、この世に起こった出来事を知ることができるという前提に基づいているからです。どうしてそれを徹底的に知ることができるかという、少なくともそこに神様がいてすべてを知っているからです。ここが、非常に重要なところです。

キリスト教の神学は長い時間をかけて、神の概念を作り出してきました。その神の「属性」の一つを、「全知」という言葉で表します。すべてのことを知っているというのが神様である、といっているのです。

例えば、私は虫を研究しています。そんな虫たちがどうやって暮らしているのかと、そういう自然を徹底的に調べたところで「意味がない」というふうには考えないということです。なぜなら神様がすべてを知っているんですから、それはむしろ神に近づくという行為になるんです。つまり徹底的に調べることが、一方で許されるということが起こります。もう一つ大事なのは、事実はただ一つしかないという信念がそこから生じるということです。

実際に起こったことは一つでも、人間がそれを知ることができるかどうかということがじつは大事なんです。それを端的に示したのが、日本文学でいえば芥川龍之介の『藪の中』です。

『藪の中』という話は、平安末期に夫婦者が山の中を旅行していて、強盗に襲われ、旦那が殺されて、奥さんが強姦されるという単純な事件を取りあげています。強盗と奥さんと殺された旦那、その3人がいわば裁判所で陳述をする、述べるという形式を採っている。その3人の話が全部くい違う。もちろん、死んだ旦那はしゃべれないわけですから、恐山のいたこみたいな巫女(みこ)を頼んで、霊に降りてもらって語るという形式なんですが、その3人の話が、重要なディーテールで全部くい違っているんですね。だから、「真相はやぶの中」。『藪の中』も、まさにそのまま話を終えているわけです。「やぶの中」という言葉が先なのか、芥川龍之介がそれを題にしたのかは知りませんが。

それを原作にして映画にしたのが、黒澤明の『羅生門』です。黒澤明の『羅生門』が世界で評判になったのは、カメラワークとかいろいろな要素があると思いますが、あの中で、暗黙のうちに一番ショックだったことがあったと思うんです。人間が何かを知ろうとするときに、本当のことは分からないんじゃないか、という疑いです。どの世界の人だって、やはりそういう疑いは持っている。そこを見事に、文学的に映像化した。これが世界に大きなインパクトを与えたんじゃないかという気がしています。

ところが、科学の世界では自然科学の99パーセントまでが、事実というものは追求できるはずだという信念を持っているんです。そこにあるのは、「科学的」という表現ですが、本当に起こった事実は一つしかないということをいっています。

それをNHKは「公平・客観・中立」というんですね。「公平・客観・中立」というのは、非常に科学的ですね。しかし、これは本当は「人間の立場」じゃないということを私はいいたい。これは、いわば「神の立場」です。「公平・客観・中立」ってNHKの報道局長がいうときに、それはどこまで可能かという問題があるわけです。それをいったのが、じつは『藪の中』なんです。

ところが、一神教の世界では、これは初めから議論にならないんです。「神の立場」から見れば、すべてが見えているわけですから、本当のことが分かっているわけです。NHKの報道が「公平・客観・中立」ということをモットーにしているということは、既にわれわれの考え方、社会の考え方が公式的には、キリスト教的一元論的な世界だということになってしまっている。黒澤明の描いた『羅生門』の世界じゃないっていうことなんです。

「本当のことは、たった一つだったんじゃないの」と思っている人は多いですね。科学をやっていれば必ずそう思います。事実はこうであったと。じゃあ、その事実はこうであったっていうことを、徹底的に突き詰めていくとどうなるんでしょうか。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「大人虎変」の勢いで臨んで... | トップ | 時には親の更なる覚醒を促す... »
最新の画像もっと見る

05-真相・背景・経緯」カテゴリの最新記事