電脳筆写『 心超臨界 』

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( ロバート・アンソニー )

メソポタミア繁栄と衰退の陰にぺティ・クラークの法則あり

2024-06-21 | 08-経済・企業・リーダーシップ
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経済成長とともに産業のウエートが第一次産業(農林水産業)から製造業など第二次産業へ、さらにはサービス業など第三次産業へと移行することは、ぺティ・クラークの法則として知られています。実はこの法則、古代メソポタミア文明においてもその通りに働きました。その結果、基幹産業である農業はかえりみられなくなり、メソポタミアの衰退を招くことになります。


◆メソポタミア繁栄と衰退の陰にぺティ・クラークの法則あり

「都市化で農業崩壊し衰退」地球号は今 (39)
( 2005.12.25 日経新聞(朝刊))

「都市が発展すると、農業が廃れる。現代と同じですよ」。メソポタミア文明研究の第一人者である国士舘大学イラク古代文化研究所の松本健所長は歴史は繰り返すと強調する。

メソポタミア地域で農業・牧畜が生まれたのは約1万年前。イラク北部などの山すそや、高原を中心とした肥よくな地帯で天水に依存した農業が始まった。しかし5千-6千年前に気温が一度以上下がり、乾燥化が進むと、天水農業は行き詰まる。

年間250㍉㍍程度の降雨だけでは、安定した収穫が期待できず。人口を支えきれないからだ。次第にチグリス、ユーフラテスの大河周辺に人は集まり、灌漑(かんがい)を使った小麦や大麦の栽培に乗り出した。

二つの大河は川底が周囲よりも高い天井川なので、川の水を灌漑に使いやすく農業の発展に有利だった。このため、年間降雨量が100㍉㍍程度しかないメソポタミア南部の砂漠地帯でも農業が可能になった。

「近代農法が始まる前の欧州よりも、当時のメソポタミアの方が生産性が高かった」と松本所長。農業の進展により都市の原型が出来上がった。「シュメールやバビロニアなど古代メソポタミアの国は基本的に都市国家」と説明する。

農業の生産性向上で余剰作物が生まれると、それを売買して都市はさらに繁栄した。しかし皮肉なことに、これが都市衰退の原因にもなった。余剰作物によって金属や宝石など付加価値の高い物品を購入できるようになり、交易が盛んになると、農業よりも商業で手軽に収益を上げられるようになった。

都市周辺の農地は高度な灌漑で維持されていた。高度な技術や経験に基づいて水を供給し続けることで塩害を防いでいた。しかし農民が割りのいい仕事を求めて都市に流入し始めると、農地は徐々に荒廃していったという。塩害が出た耕地の回復は現代でも難しい。農業生産が低下し、繁栄の基盤である余剰作物が失われるとともに都市は衰退していった。

貿易で様々な資源や製品を輸入するようになると様々な職業も生まれ、繁栄に拍車がかかる。だが基幹産業の農業をかえりみず一種の「マネーゲーム」に走ったことで、メソポタミアがペルシャに征服されたときには事実上、農業は崩壊していたとみられる。

メソポタミアの繁栄と衰退は、製造業より金融・サービス業への構造変化が進む現代と重なる部分がすくなくない。
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