電脳筆写『 心超臨界 』

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シュヴァイツァー

南京大虐殺という嘘 《 もはや南京事件がなかったことは紛れもない――渡部昇一 》

2024-07-15 | 04-歴史・文化・社会
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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亜細亜大学教授の東中野修道氏とそのグループの研究が南京事件はなかったことを完璧に証明した。たとえば、台湾の国民党政府が資料を開示し、東中野氏はティンパーリが所属した国際宣伝処の工作概要を入手している。そこにはティンパーリをはじめ蒋介石の国民党が雇ったスパイの動向が、支払われた報酬も含めて余すところなく記されている。そればかりではない。南京事件の吹き込みにヨーロッパでは成功したから、今度はアメリカにどう吹き込んで支援をより多く引き出すか、を仲間に相談するティンパーリの手紙も見つかっている。


◆もはや南京事件がなかったことは紛れもない

 連載 第184回「歴史の教訓」――渡部昇一・上智大学名誉教授
『致知』 2012年5月号、p120 )

そんな私に大虐殺がなかったことを文献的にはっきりと示してくれたのは、立命館大学教授の北村稔氏が文春文庫で出した『「南京事件」の研究――その実像をもとめて』だったと言える。

北村氏は何の政治的立場に立つ人でもないし、ある思想性を主張する人でもない。それが南京事件に関心を持ったのは、私と似たことだったようである。

南京事件は本当にあったのか、なかったのか、あったとすればどうしてすぐに世に知られなかったのか。なかったとすれば、どうして南京事件が言われるようになったのか。この関心から南京事件に取り組み、実に重要な事実に突き当たるのだ。

南京事件なるものが初めて世に出たのは1938(昭和13)年である。ヨーロッパで一冊の本が出版された。書名は『What War Means: The Japanese Terror in China』(戦争とは何か――中国における日本の暴虐)。

著者はティンパーリ。オーストラリア出身で、マンチェスター・ガーディアン紙特派員を務めたジャーナリストである。この本に世界で初めて南京事件のことが出てくるのだ。

しかもそれだけではない。ティンパーリは蒋介石の国民党中央宣伝部国際宣伝処顧問だったことも分かったのだ。彼は蒋介石から金をもらってデマをばらまき謀略を仕掛けるスパイだったのである。

これが分かっただけでも南京事件は世界の同情をシナに引きつけ、支援を引き出すために仕立て上げられた虚構であることが明らかである。

さらに、亜細亜大学教授の東中野修道氏とそのグループの研究が南京事件はなかったことを完璧に証明した。たとえば、台湾の国民党政府が資料を開示し、東中野氏はティンパーリが所属した国際宣伝処の工作概要を入手している。そこにはティンパーリをはじめ蒋介石の国民党が雇ったスパイの動向が、支払われた報酬も含めて余すところなく記されている。

そればかりではない。南京事件の吹き込みにヨーロッパでは成功したから、今度はアメリカにどう吹き込んで支援をより多く引き出すか、を仲間に相談するティンパーリの手紙も見つかっている。

もはや南京事件がなかったことは紛れもない。

だが、いまの中国では国民をまとめる手段として反日を鼓吹(こすい)し、虐殺記念館まで建てている。戦前のことを知らない世代が増えて、三十万人虐殺を事実と信じ、疑うこともしなくなっている常態がある。

一方、日本でもいろいろな夾雑物(きょうざつぶつ)が跳び出してくる。例えば、秦郁彦(はたいくひこ)氏である。

この人は南京事件についての著作で、虐殺三十万人は大袈裟(おおげさ)だが、四万人の犠牲者はあった、と述べているのだ。しかし、秦氏は犠牲者を四万人と割り出した明確な根拠も、四万人とはすべて一般市民なのか、蒋介石軍の兵士も含んでの数字なのか、はっきりと示していない。兵士を含むなら、兵士の死は戦死といって、虐殺とは言わない。

三十万人は大袈裟でも四万人ぐらいの犠牲者はあっただろうなと思わせて、この種の論述は良識派として受け入れやすい。だが、それは物事をぼかし、事実を見失わせる効果しかない。この種の「良識」は事実を明確にすることを妨げる害でしかない。

南京では攻防戦が行われたのだ。市街戦となれば一般市民の犠牲は避けられない。そのために日本軍は南京をオープン・シティにすることを要求したが、蒋介石軍はこれを拒否した。そして、市街戦となったのだ。とばっちりを喰らって犠牲になった市民はいただろう。だが、その責任はオープン・シティを拒否した蒋介石軍にあるのである。市民は原則すべて安全地区におり、ここは戦場になっていないのだ。

一般市民の虐殺ということで言えば、限りなくゼロに近い。これが南京事件の真実であることは、あらゆる証拠から見てはっきりしているのだ。
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