電脳筆写『 心超臨界 』

想像することがすべてであり
知ることは何の価値もない
( アナトール・フランセ )

歴史を裁く愚かさ 《 日本が犯した罪と犯していない罪——西尾幹二 》

2024-06-30 | 04-歴史・文化・社会
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私たちがいまここで考えるべきは、20世紀の戦争の歴史の総決算期に当たって、日本はどういう位置を占め、どういう罪を犯し、そしてどういう罪を犯していないのかということである。各国は日本のそうした自己主張をいま必死になって抑え込みにかかっている。いわばパンドーラの箱の蓋が開きつつあるので、なんとしてでも抑えにかかる。一部東南・西南アジアの力弱き国々以外の、世界中のほとんどの大国は依然としてナチの犯罪と日本の犯罪を一緒にし、無理やり日独ファシズム共同戦争体制観のフィクションを堅持しようとする。


『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p207 )
第4章 日本人よ、知的に翻弄されるな
2 反日歴史観に包囲されている日本

◆日本が犯した罪と犯していない罪

原爆ドームが世界遺産に認定された直後の平成8年12月3日――それは私たちが「新しい歴史教科書をつくる会」を発足させた翌日にあたるのだが――、米司法省は、旧日本軍の731部隊の元隊員と「従軍慰安婦」施設の維持・管理に関与したとされる元軍関係者など16名に対して、ホルツマン修正条項と呼ばれる米国内法に従って入国を禁止したと発表した。大変奇妙なことに、その16名の氏名は公表されず、本人にも通知されていない。その上「捕虜の権利センター」なるアメリカの市民団体は、今後、首相経験者1名を含む計2百人の「戦犯」リストを作成して、司法省特別調査部に提出するとしている。つまりこの2百人もいずれ「戦犯」として入国拒否の憂き目にあうぞ、と半ば脅されているようなものである。

前にも述べたが、アメリカの新聞では、ある大学教授が「東京裁判をもう一度開く気か」と揶揄し、また別の教授がすべてを解決させた案件を再燃させるのは「著しい偽善」と非難している。講和条約を結んだ後で、アメリカが自分を正義の裁き者の位置にいつまでもつけると思っている傲慢はどこからくるのか? そもそもこの動きは何を意味するのか? アメリカの威信が深く傷つけられていることに対する巻き返しとしか思われない。そこには、日独ファシズム一体観をあらためて再確認し、威信を政治的に回復しようというアメリカの意思が見え隠れする。

731部隊の問題が一種の人体実験であったこと等々からしてナチスの犯罪と質的に似ていると言われる。それは私も否定しないが、決定的に違うのは、731部隊の行為は戦争の最中に戦争遂行目的のために――いわば戦争という破壊行為をより目的的に遂行していく際に逸脱していた戦争犯罪の一つであろう。しかも規模がナチスとは違う。それに対してナチスの犯罪は戦争犯罪ではない。戦争遂行目的とは無関係に、大量殺戮をすること自体が目的の「人道に対する犯罪」であった。6百万人のユダヤ人の殺害、2百万人のポーランド知識人あるいはそれを上まわる旧ソ連人の殺害、50万人のジプシーの集団殺戮、大量の人体実験、占領地広域の不妊断種手術、障害者や病人の安楽死政策、そしてさらに鳥肌立つ事件は外国から約20万の美少年・美少女を拉致し、戸籍を消すためにその親たちも殺害して、ドイツ民族化をはかる……。美しき者、良き者は人種的に生き、悪しき者はドイツ人であっても地上から抹殺されるべきだという、われわれアジア人の考えることもできないような超神秘的な一つのイデーから出た巨大犯罪である。

これと同じような理念の犯罪をしたのはスターリンで、「一つの階級に属している者は、それ自体において万死に値する」と、大量虐殺を断行した。ナチスの場合は「一つの人種に属している者はそれ自体において万死に値する」というイデオロギーで、同類タイプの「集団の罪」を形づくった。ナチスにせよスターリンにせよ、特異なイデオロギーを完結させるために、国家の意思によって百万単位の殺人行為が戦争遂行目的とは無関係に実行された。だからこそ、兵員や弾薬を運ぶのに必要な車両が不足している戦争末期に、ヨーロッパ各地から東欧の奥地に被害者を運んで「殺人のための殺人」をするというような「無駄」が行われた。これ自体がもうすでに軍事的利益に反する行為と言える。

しかし日本の場合は、ナチスのような「人道的犯罪」を行ったわけではない。731部隊の行為が紛れもなく「犯罪」であっても、その種の戦争犯罪がアメリカになかったといえるか。イギリスになかったといえるか。フランスになかったといえるか。戦後ヨーロッパでは百万単位のドイツ人捕虜が連合軍の収容所で消滅している、という謎めいた事件も記録に残っている。

第一、731部隊の件では、アメリカはデータ利用の目的のために、関係者の放免という取引きをしたといわれる。このような「取引き」の方がはるかに悪質な人類への犯罪ではないか。

アメリカは同じ種類の犯罪をナチスの科学者や対ソ連情報将校を高給で雇い、アメリカ市民に迎えるという、国益のためなら何でもするエゴイズムを剥き出しにしてきた国家である。戦争に関する悪を言い出したら、欧米は日本とは数桁違う規模の巨悪を重ねている。

私たちがいまここで考えるべきは、20世紀の戦争の歴史の総決算期に当たって、日本はどういう位置を占め、どういう罪を犯し、そしてどういう罪を犯していないのかということである。各国は日本のそうした自己主張をいま必死になって抑え込みにかかっている。いわばパンドーラの箱の蓋が開きつつあるので、なんとしてでも抑えにかかる。一部東南・西南アジアの力弱き国々以外の、世界中のほとんどの大国は依然としてナチの犯罪と日本の犯罪を一緒にし、無理やり日独ファシズム共同戦争体制観のフィクションを堅持しようとする。そういうフィクションに立脚する歴史観とそうではない見方の大格闘が、国内のみならず国際的にも始まりつつある。そのことを指摘しておきたい。
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