電脳筆写『 心超臨界 』

現存する良品はすべて創造力の産物である
( ジョン・スチュアート・ミル )

生きるための杖ことば 《 独坐大雄峰——松原泰道 》

2024-06-29 | 03-自己・信念・努力
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  わたしの まちがいだった
  わたしの まちがいだった
  こうして 草にすわれば それがわかる


◆独坐大雄峰
 どくざだいゆうほう――碧巌録

『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p190 )

9世紀の中国の禅僧、百丈(ひゃくじょう)に修行僧が問う、「いかなるかこれ奇特(きとく)の事(じ=ことがら)」と。奇特を、きとくと清音で読むときは「殊勝・とくにすぐれていること」の意。きどくと濁音で読む場合は「霊験(れいげん)・不思議なしるし」を指す。百丈の質問の奇特は、この両者の意味を含めている。つまり、禅を聞き、修行すると、どのような霊験なり収穫があるか――の内容を含めて修行僧が百丈に問う。

百丈の答えが「独坐大雄峰」だ。私が、今、ここに、一人、こうして坐っている、と。大雄峰は百丈が住した中国江西省百丈山の別名である。独坐は、孤独の自分が坐っている、との意味ではない。かけがえのない絶対の一人、尊い存在である真実を示す。

「坐」の字を見ると、土の上に二個の人が並んでいる。ほとけ(仏(ぶつ))と、ただの人間(凡夫(ぼんぷ))である。私たちの内部には、この二人の私がつねに同居している。「仏凡同居」だ。この二人の私の対話が多いほど、その人の心は豊かになるが、二人の私の対話が少ないと、その人の心は貧しくなる。

私たちは、とかく他者との対話の機会の少ないのを憂えるが、自分の中の二人の私の対話の断絶を、もっと悲しむべきであろう。この二人の対話が交わされている状態を示すのが「坐」の字型だ。若くして逝(い)ったクリスチャンの詩人、八木重吉は詩(うた)う。

  わたしの まちがいだった
  わたしの まちがいだった
  こうして 草にすわれば それがわかる

草に坐れば、土の上に坐れば、自分の根源的なまちがいがわかるという。二人の自分の対話がくり返されるからだ。仏と凡夫と互いに疎外なく抱擁しあう。おおらかな絶対の一人に止揚(しよう)されたのが「独坐」の独だ。
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