電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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「この山房で良師の指導を受け、あたかも一年になる。師の教えもさりながら、嶺にたたずむ雲も渓水にうつる月かげも、みな禅心をさりげなく語ってくれた。明朝はなじんだこの山をおりようと思う、明師をたずねてまた樹下に眠り、石上に坐る行脚の旅にでるのだ……」
◆嶺雲渓月伴枯禅(嶺雲渓月(れいうんけいげつ)枯禅(こぜん)に伴(ともな)う)
――寂室録(じゃくしつろく)
『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p124 )
寂室禅師(1367年没)の詩――
「この閑房(かんぼう)を借(か)って恰(あた)かも一年 嶺雲渓月枯禅に伴う 明朝下らんと欲す嶺前の路 又何(いず)れの山に向かってか石上に眠らん(借此閑房恰一年 嶺雲渓月伴枯禅 明朝欲下巌前路 又向何山石上眠)の承句・第二句である。
寂室禅師は、滋賀県永源(えいげん)寺の開山で詩文をよくした。江戸中期の古学派の儒者、伊藤東涯(とうがい)翁は自著『東涯談叢』に『寂室の詩』章を置いている。寂室の詩を、仏教に親近感の薄い儒家も高く評価していることを知る。
上記の詩は、行雲流水(こううんりゅうすい)の行脚(あんぎゃ)の生活を字表でうたっている。
「この山房で良師の指導を受け、あたかも一年になる。師の教えもさりながら、嶺にたたずむ雲も渓水にうつる月かげも、みな禅心をさりげなく語ってくれた。明朝はなじんだこの山をおりようと思う、明師をたずねてまた樹下に眠り、石上に坐る行脚の旅にでるのだ……」
嶺雲渓月伴枯禅は、美しい表現だが意味するとことろは深い。唐木順三先生の著書から示唆されて、西田幾多郎先生の『善の研究』(改版、昭和11年10月)の序文を読む――
「私は、何の影響によったかは知らないが、早くから実在は現実そのままのものでなければならない、いわゆる物質の世界という如きものは、ここから考えられたものに過ぎないという考えをもっていた。まだ高等学校の学生であったころ、金沢の街を歩きながら夢みる如く、かかる考えにふけったことが、今も思い出される」
実在は、現実そのままのものでなければならない――を、禅では「現成公案(げんじょうこうあん)」――仏法(真理)は、万象の上に明らかに現われている、と言う。嶺雲渓月伴枯禅は、寂室が禅体験の上から現成公案をうたう一句である。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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「この山房で良師の指導を受け、あたかも一年になる。師の教えもさりながら、嶺にたたずむ雲も渓水にうつる月かげも、みな禅心をさりげなく語ってくれた。明朝はなじんだこの山をおりようと思う、明師をたずねてまた樹下に眠り、石上に坐る行脚の旅にでるのだ……」
◆嶺雲渓月伴枯禅(嶺雲渓月(れいうんけいげつ)枯禅(こぜん)に伴(ともな)う)
――寂室録(じゃくしつろく)
『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p124 )
寂室禅師(1367年没)の詩――
「この閑房(かんぼう)を借(か)って恰(あた)かも一年 嶺雲渓月枯禅に伴う 明朝下らんと欲す嶺前の路 又何(いず)れの山に向かってか石上に眠らん(借此閑房恰一年 嶺雲渓月伴枯禅 明朝欲下巌前路 又向何山石上眠)の承句・第二句である。
寂室禅師は、滋賀県永源(えいげん)寺の開山で詩文をよくした。江戸中期の古学派の儒者、伊藤東涯(とうがい)翁は自著『東涯談叢』に『寂室の詩』章を置いている。寂室の詩を、仏教に親近感の薄い儒家も高く評価していることを知る。
上記の詩は、行雲流水(こううんりゅうすい)の行脚(あんぎゃ)の生活を字表でうたっている。
「この山房で良師の指導を受け、あたかも一年になる。師の教えもさりながら、嶺にたたずむ雲も渓水にうつる月かげも、みな禅心をさりげなく語ってくれた。明朝はなじんだこの山をおりようと思う、明師をたずねてまた樹下に眠り、石上に坐る行脚の旅にでるのだ……」
嶺雲渓月伴枯禅は、美しい表現だが意味するとことろは深い。唐木順三先生の著書から示唆されて、西田幾多郎先生の『善の研究』(改版、昭和11年10月)の序文を読む――
「私は、何の影響によったかは知らないが、早くから実在は現実そのままのものでなければならない、いわゆる物質の世界という如きものは、ここから考えられたものに過ぎないという考えをもっていた。まだ高等学校の学生であったころ、金沢の街を歩きながら夢みる如く、かかる考えにふけったことが、今も思い出される」
実在は、現実そのままのものでなければならない――を、禅では「現成公案(げんじょうこうあん)」――仏法(真理)は、万象の上に明らかに現われている、と言う。嶺雲渓月伴枯禅は、寂室が禅体験の上から現成公案をうたう一句である。