電脳筆写『 心超臨界 』

知識が増えるほど不思議が深まる
( チャールズ・モーガン )

ゴミは百㌫資源になる――鈴木武

2024-09-21 | 03-自己・信念・努力
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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僕は本当に窓際族で良かったなと思います。不可能と思っていたことも視点を変え、そして開き直って実行していく。いま人生を250㌫楽しませていただいているのは、まさにこの廃棄物のおかげだなって思っていますし、「廃棄物」なんて言えませんね。大事な「資源」だから、限りなく生かして、これからも地球温暖化対策や地球環境のために活動を続けていきたいと思っております。


◆「ゴミゼロへの挑戦」――環境プランナー・鈴木武
「7月度致知読者の集い」『致知』2007年10月号 p160

「あおいくま」こと、鈴木でございます。「あせらない、おこらない、いばらない、くさらない、まけない」。その頭文字をつなげて「あおいくま」。私の名刺の表にはくまの絵が、裏にはこの言葉が書いてあります。普通は肩書きとかいろいろ書いてあるじゃないですか。でも私の名刺はこれなんですよ。ここからしてもう常識を超えているわけですね。「お名前は?」って聞かれたら、「名乗るほどの者じゃございません」って答えるんです(笑)。

地位も名誉もお金もヘアも何もない私が(笑)、1万人を超える大企業(松下通信工業)のゴミ問題に、一念発起したような形で偶然関わることになりました。この実践を進めたのは「1日1㌢の改革」という呼吸です。

1㌢の変化というのはとても小さく、絶対に気づきません。しかしそれが5年、10年たってみたらえらい変化です。実際、ドイツ駐在から戻ってきた人がびっくりしたんです。帰ってきたらゴミ箱がない、ゴミ置き場がない、なんですかこの変化は、と。でも前から勤めていた方々は誰も気がつきませんでした。

自慢じゃないですが、私は会社の中ではひどい問題児でした。転勤を二度も断り、周りは誰もが出世ばかり狙って競争する中、とても太刀打ちできなくて、次第に会社から干され、窓際族になっていきました。松下のような大企業は、問題児の社員がいたらすぐに飛ばされていきます。私も程なく職場異動になりましたが、その時に一度気持ちの上で会社を辞めたんです。そうして本当に覚悟を決め、いわゆる地獄の底を突き破った時に、まさしく開き直りの人生が始まりました。

当時私は52歳。何か分かりますか?「ご破算=ゴミ」。まさに人生ご破算でやり直し。そんな時ふと後ろを見たら、目の前にゴミがあった。と、大雪原の中をとぼとぼ一人で歩み始めたというのが正直な心境でした。しかしこの後、一つのチャンスがやってきます。

ある時、創業以来続いてきたねずみ色の作業服が新しいものに替わるというので、古い作業服のその後が気に掛かりました。そのまま捨ててしまうのはもったいない、何かに使えないかと関係部署に聞いて回りましたが、「なんとかするんじゃないですか?」とたらい回し、仕方なく赤十字や第三者機関などを訪ね歩き、最後に政府にあたったら、「欲しい国はたくさんあるので、荷造りして送ってください。費用は全部あなた持ちです」という実に情けない答えが返ってきました。

幸いにもスリランカに工場を持つ友達が、部品を送る時に作業着を緩衝材代わりに詰めれば無料で送ることができると教えてくれ、送れることになりました。当時の駐日大使にお会いして、全部寄付したんです。結果的に7千3百着をプレゼントすることができました。この事件を機に、当時誰からも見向きもされなかった環境保護推進部へ異動を申し出ました。

しかし、私がゴミ問題に取り組むと宣言すると、周りは全員反対しました。廃棄物を処理することで利益を得ていた業者にとって、当社がリサイクルに取り組むことは大きな痛手です。これに手を染めた人がことごとく脅かされ、飛ばされ、つぶされていったという実話が水面下にあったんです。でも私は毛がないから怪我(けが)はしません(笑)。

私が着手したことは、大きく分けて次のようなことです。まず一つは、工場の産業廃棄物業者をリサイクル業者に切り替えたことです。当時廃棄物の大半を占めていたのが紙だったので、製紙会社に出向いて相談したら、すべてリサイクルできるとのこと。そこで長年取り引きしていた産廃業者をリサイクル業者に切り替えました。これは大変な危険を伴いましたが、なんとかやり遂げることができました。

そして、トップダウンでなくボトムアップで取り組んだということです。当時環境問題に先進的な企業は、ほとんどトップダウンでした。しかし私は誰からも支援はなく、周囲から馬鹿(ばか)にされながらも諦(あきら)めずに取り組み、ボトムアップでゴミゼロという軌跡を起こすことができたのです。

それから、ゴミ削減のための方法を地道に説明して回るという活動を始めました。それはもう徹底的にやりました。朝礼の席を借りたり、各職場に出向いたりして直接説明させていただきました。一人でも二人でもチャンスがあれば訴えていったんです。

ゴミは百㌫資源になると知ったので、名づけて「ゴミ箱撤去作戦」という構想を考えたんです。それをやってくれそうな方に声を掛けて協力を頼みました。問題は、どこの職場にも必ずいる頑強な抵抗勢力をどう捉(とら)えるかです。私がゴミ箱を取っ払おうとしても、「俺はそんなものは絶対認めねぇ。ふざけんじゃねぇ」というオーラが出ているんですね。そういう人は、最後まで絶対に責めたりしない。そんなことをしたらすぐクビですからね。どうやって気分よく協力してもらうか、すべては仕掛け次第です。私は部署ごとにコアになる人、特に女性を選んで協力してもらいました。

「すみません。これちょっとポスター貼(は)らせてください」「いいわよ」「ありがとうございます。ところであなた幸福の花って見たことある?」。こう言うと、ほぼ百㌫の女性が興味を持ちます。「僕はこの花を見てから人生が一変しました。これであなたも明日から1㌢幸せになります」とか言って幸福の花の写真を見せる。いままで事務的に行ってさっと帰っていたのが、これを繰り返すうちに仲良くなるわけです。そうするといざという時「実はこの部署だけゴミ箱二つ残っていて困っちゃってるんだ」と言うと「任せて、次くまさんが来るまでに取っておくわ」と、本当に取っちゃうんです。女性の力恐るべしですね(笑)。

その後も様々な苦労を乗り越え、ついに2000年にはゴミ削減率98㌫、私が卒業する2002年には99㌫リサイクル、ゴミは1㌫以下になりました。それによって年間2億円かかっていた経費はゼロ。工場の絶対排出量も減らし、おかげでいまもなお、いつ行ってもゴミのないきれいな状態が保たれています。僕は本当に窓際族で良かったなと思います。不可能と思っていたことも視点を変え、そして開き直って実行していく。いま人生を250㌫楽しませていただいているのは、まさにこの廃棄物のおかげだなって思っていますし、「廃棄物」なんて言えませんね。大事な「資源」だから、限りなく生かして、これからも地球温暖化対策や地球環境のために活動を続けていきたいと思っております。

――要約抜粋 文責・編集部――
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